ファミリアのレビュー・感想・評価
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家族愛は良いとして、そっからの行動の是非を問うと言う
家族愛は、神谷も榎本も同じ。更に言うと、マルコスモエリカも。
恨みにとらわれてしまった榎本は人の道を踏み外す。「ブラジル人」をひとくくりにして、決して晴れることの無い鬱憤をぶつける。
人種も生まれ育った国も関係なく家族として生きて行くことはできる、と言うテーマ性。安易に社会批判・政治批判に走ることなく、人間ドラマに徹しつつも、ノワールを軸に、見る人を引き込むストーリーを作る。悲劇の中に、希望を見出せる話の締め方。
ツッコミどころもある脚本ですが、木下グループらしい作品で、これは好き。
ちなみに「機械の部品」として人を扱うってのは、それが日本人だろうが外国人だろうが、変わりないんですけどねw
もっと言うと、機械の部品で終わるか。自立して、自分の足で立って生きて行けるのか。ってのは、その人次第だよ、って事で。
良かった。
結構。
以下、脱線。2013年1月に起きた、日揮のアルジェリアプラント人質事件をモチーフにしたストーリー。
映画の中では、学の身代金を外務省に届けるも、政府側は「テロへは毅然と対応するのが日本の基本政策」と言う旨から、これを受け付けない、と言う流れが描写されていましたが、これは過去に発生したIS等による人質事件の事例を混ぜこぜにしてシナリオ化していると思われ。
例のアルジェリア人質事件に関して言うと、1月16日に襲撃されたプラントには17人の日本人が取り残され、当時安部首相はアルジェリアのセラル首相に「人命最優先」の対応を直談判。なぜならば、日本は救出のための特殊部隊を現地に派遣する事が9条の制約から出来ない上に、犯行グループと思しきイスラム勢力との伝手も無いから。犯行グループはマリの国際テロ組織であり、マリへ軍事介入したフランスに領空使用を認めたアルジェリアに対する「報復」を宣言。背景は複雑だったんです。アルジェリア軍は事件発生の翌17日から空爆による強硬策に出ます。プラント周辺には、人質となった母国の特殊部隊が展開する中、21日にアルジェリア軍特殊部隊がプラントに突入しテロリスト部隊を制圧。日本人人質は、10名が犠牲になりました。
でですよ。この時も「9条の壁」が問題になった訳ですよ。
プラント突入は、公式には「アルジェリア軍特殊部隊」になってますが、7人の人質を取られた米国や、2人の人質を取られ3系統の特殊部隊を持つ英国が黙っている訳がなく。展開した特殊部隊は、自国の人質救出のため、同時に行動したものと推測されています。
更に言うと、この事件は日本政府に課題を突き付けました。その教訓は、2021年のアフガン撤退の際に、実は生かされていたのではないかと。結局あの時、日本人は家族も含めて全員脱出。散々の悶着と批判はありましたが、9条の制約のグレーゾーンと裏取引で上手く立ち回った模様。また、マスコミは一切報じていませんが、出国を希望した日本への協力者500名の現地スタッフのうち、10月末までに300名以上が日本政府の関与によって出国しており、うち20名ほどは日本へ定住予定と伝えられています。あの状況の中、どうやって出国できた?のかは不明。おそらくは、アフガンに影響力を持つイランへの強力要請があったものと推測しています。アメリカと対立するイランとは、比較的良好な関係を、当時は維持できていたためです。
ちょっと脱線しましたが、言いたかったことは、当時の安倍政権は、そんな冷たい態度は取ってねーよ、って事で。
重い映画…⭐︎
予告編を何度も見て、お正月明けに楽しみにしていた映画だったが、予告編から抱くイメージとは全く違った内容の作品だった。
陶芸を営む役所広司演じる神谷のとこに息子の学(吉沢亮)が結婚相手のアルジェリアで出会った女性を紹介するために
赴任先のアルジェリアから帰国するところから始まる。
この後が、予告編では思いもよらなかった暴力的なシーンや悲劇が待ち受ける。
愛知県が舞台とのことなので、おそらく豊田市の郊外のブラジル人達が期間工などで多く住んでいると思われる
団地で、妻と子供をブラジル人に殺された(実際は、飲酒運転の事故)MIYAVI演じる榎本海斗の凄まじい憎しみが
彼等に向かっていく。
あるきっかけで、彼等の仲間と関わることになった役所広司と彼等との物語、MIYAVI の物語、そして息子・吉沢亮が
アルジェリアでテロに巻き込まれて、妻と二人とも亡くなってしまうという悲劇。
鑑賞しているうちに、個人的には段々と重苦しい気持ちになって 悲しいとも違う複雑な感情が湧き上がってきた。
息子が亡くなった後、役所広司がMIYAVI 率いる半グレ集団に一矢報いる行動に出るが、それでも何故か救われない
ような気持ちになる。
文化も何もかも異なる人々と分かりあうのはいかに困難なことなのか…
突きつけられているように思う。
昔、ブラジル人の集団と公営のバスに乗り合わせた時に、バスの最後部で彼等が他の乗客がいるにも
かかわらずに大声で皆んなで歌を歌い、楽しそうに騒ぎ始めた姿を突然思い出した。
難しい…答えはわからない。
家族愛をテーマにした隠れた傑作
役所広司が主演であり、日本に不法滞在しているブラジル人をテーマにした話かと思っていた。
しばらくはそのつもりで観ていたが30分程でまったく違うテーマであることがわかった。
息子が紛争孤児である女性と結婚しナイジェリアでのプラント開発の仕事を辞めて陶工房を継ぎたいと話すも、それを拒否する役所広司演じる神谷誠治。
陶工房では満足な収入がなく、妻が働きすぎたことで病死したからだ。
誠治の住む地域にはブラジル人の不法滞在者が住む団地があり、男性は土木作業などの日雇い労働を、女性はキャバクラで働いている。
ここからブラジル人と誠治の交流が始まるかと思いきや、半グレがどんどんブラジル人たちを追い込んでいく。
半グレのリーダーである榎本の妻子がブラジル人の飲酒運転事故に巻き込まれ亡くなっていたという理由が明かされ、ここで役所広司に始まり吉沢亮や佐藤浩市、松重豊などのそうそうたる俳優陣がこの映画への出演を決めた理由を垣間見た気がした。
誰しもがそう行動した「理由」を持っているのだ。
誠治の息子である吉沢亮演じる学がナイジェリアでテロの人質に巻き込まれてしまった時はここまで風呂敷を広げていいのか?と勝手に心配したが、ここでの息子の死が重要なファクターとなった。
誠治やブラジル人少年のマルコスが現状を打破しようと必死にもがくが、現実は時に無情で残酷だった。それは榎本にとってもそうだったのだろう。
終盤にマルコスとその恋人エリカが半グレに追い詰められ生きるか死ぬかの瀬戸際にいることを知った誠治は身を張って半グレ集団のアジトに乗り込み、マルコスたちを救った。
息子や孫を失った誠治にとって、ある意味で自分自身をも救う行為だったのだろう。
今日も誰かが誰かのために行動している。
血縁関係に関わらず、絆や愛はそこに自然と生まれるものなのだと感じた。
おそらく大ヒットはしないだろうが、観た人の心を打つ隠れた傑作になる映画だった。
詰め込み過ぎで、練り込み不足?!
ブラジル移民の問題あり、半グレ集団の問題あり、中東ゲリラの問題ありと、今どき(?)の政治問題、社会問題がてんこ盛りに詰め込まれていて、視点がとっ散らかってしまったというのか、フォーカスが甘くなってしまったというのか、ストーリーの練り込みが足りなくなってしまったというのか…。とにかく、そんな残念な一本になってしまいました。評論子には。
おまけに、誠治(役所広司)と半グレ集団のボス海斗(MIYAVI )との対決は、いかがなものだったでしょうか。
評論子の脳裏には「アジャン・プロボカトゥール」(教唆する刑事巡査)」という刑事訴訟法の教科書であれば、どんなに薄い本にも必ず載っているフレーズが思い浮んでしまいました。
これは、「捜査機関またはその協力者が犯罪を犯しそうな者に接近して犯罪に導き,犯罪の実行をまってこれを捕らえる捜査方法」のことを言い、「国家がみずから犯人を作り出しながらこれを捕らえて罰するというのは不公正の感を免れず,アメリカでは犯罪実行者の処罰自体を問題にする」とも解説されています(出典はいずれもコトバンク)。
(老婆心ながら、せっかく誠治に対する殺人未遂などに基づいて半グレ集団を立件・起訴できたとしても、ちゃんと裁判官を納得させられて、有罪判決が取れるのでしょうか。録音した証言だって、あとで「それは暴行されて、やむなく誠治の意に沿うウソの証言をしただけ」と言われれば、それまで(誠治が拷問をして証言させたことは事実)。作品中では、警察当局は(懲役)15年は固いと、自信満々だったようですけれども)。
いろいろと詰め込み過ぎて、ストーリーの練り込みが足りなくなってしまっている弊害が、そんなとこにも出てしまったように、評論子には思われます。
名俳優たちの演技に魅了される!が、
役所広司さんの圧倒的な演技力。
前半の父親としての姿、職人としての姿
後半の復讐心を持った父親の姿。
本当に素晴らしい。
何気なく見たのもあって、びっくりするほど有名な俳優がたくさん出て驚きもしました。
内容としては、ブラジル、テロ、半グレ、家族
と大きく分けても4つの内容がごちゃ混ぜで、てんこ盛りすぎる。でも話の流れ的には全部ないと理由付けができないんだろうなと思った。
ただ、SEXのシーンは本当に要らないと思った。
何か惜しい
役所広司は素晴らしい。
でも、なんか惜しいのよ。
説明が長いというか、会話のテンポが悪くて。
比べることや同じようにする必要もないのかもしれないが、外国の映画では1分で済むような会話が5分とかダラダラと。
それと、終盤のマルコスとエリカのマンション屋上でのシーン。
それ要る?そこだけ外国風に濃厚にしてみました的な。
なんだかちぐはぐな感じ。
難民や出稼ぎ(死語?)ブラジル人達が日本で受けてきた理不尽な待遇、仕打ち。
アルジェリアの紛争。人質問題。
解決出来ない問題、いろいろ盛り込み過ぎのようにも感じて。
マルコス達だけがファミリアになっても問題は山積みだからね。
救いの糸は切れない
痛切。
そうとしか言いようのない映画でした。
そんなことがあって欲しくない、起きて欲しくもない、だけど、現実には世界のどこにでもあるし、もしかしたら、あなたの家族に関わるほど身近で起きるかもしれない。
客観的な立場にいたら、自分だってきっとこう言ってます。というか、それしか言えない気がします。
「まずは落ち着いてください」
では、あなたが当事者だったら、どうしますか?
①逆恨みだろうが、なんだろうが、怒りの矛先を見つけて攻撃する(海斗の場合)
②不確かな情報であっても一縷の望みを抱き、自分のできることで何とかなるかもしれないと縋る(誠治の場合)
③絶望して自殺する、もしくは返り討ちで死ぬことを前提の反撃に出る(マルコスの場合)
現実の社会ではどれも難しいし、もし実行できたとしても解決することはほとんどないし、そのことで癒やされることもない。
映画的な決着としては、主人公の犠牲的行動で、一定の救いと希望がもたらされたが、脅しによる証言は裁判の上での信憑は得られないだろうし、犯した罪に見合うほどの懲罰は受けない可能性もある。
なので、誠治のような犠牲的行動も、現実味が薄いし、この映画も決してそのような行動を美化したり、容認しているわけでもない(と思う、たぶん)。
理不尽な出来事がもたらした不幸が、次の理不尽のきっかけ(例えば、被害者側から逆恨みによって加害者側に回る、というようなこと)にならないこと。
そのためには、自分ができる範囲で、誰かに救いの手を差し伸べること。
とここまで書いていたら、中島みゆきさんの『倒木の敗者復活戦』の歌詞の一部を思い出しました。
望みの糸は切れても
救いの糸は切れない
生きていてくれ、という願いは叶わなくても、誰かを救うことで、自分もまた救われることもある。
そういうことだと解釈しています。
思ってた作風とは違った
ファミリアというタイトルだけに他国の方も交えてほっこり温かい話と思いきや内容が結構ハード。
トラブルの発端はブラジル人の1人が風俗店の金を盗んでしまい仲間、家族が半グレ、ヤクザに、暴力、殺し、金を強請られる。
半グレに追われる1人のブラジル人マルコスたまたま逃げ込んだ先が役所広司演じる誠治が住む自宅兼職場の作業場、そこで誠治、吉沢亮演じる学との出会い、そこから始まる話。
それぞれの人にいろんなドラマがあってどの話をつまんで書いていいのか難しくて。
アルジェリアに戻った学とナディアまさかの職場でテロリストの人質になってしまい命を落としてしまう。
こんなストーリーになるとはと想像もしてなかったから驚き!ってのが正直な感想。
人質になる前の話でナディアから学へ赤ちゃんが出来たと報告。そのままの喜びを父誠治へ動画で記録、亡くなった遺品から動画の記録されたタブレットが渡されて誠治が観るんだけど、このシーンは泣けた。
ラストの誠治、半グレによくやった!って感じでスッキリした。
半グレのリーダー海斗(MIYAVI)あんだけ悪でも事故で亡くなってしまった娘のタンブラーを大事に肌身離さず持っていたのは観ていて唯一の救いだった。
あとMIYAVIさんってギタリストですよね?
よく俳優さんとしても活躍してるし貫禄もあるし何か魅力的な方です。
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