劇場公開日 2023年2月3日

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「「手汗」ダラダラ(マジ)! やたら鳥に厳しい(笑)ワン・アイディア勝負の高所パニックムービー!」FALL フォール じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「手汗」ダラダラ(マジ)! やたら鳥に厳しい(笑)ワン・アイディア勝負の高所パニックムービー!

2023年2月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

キン●マひゅーーー~ん!!(二人ともついてないけど)

映画観て、こんなに「手汗」かいたの、何年ぶりだろう。

最近は、くだらないスラッシャー映画やグロ映画の観すぎで、首が飛んでも、腕がもげても、もはや半笑いで鷹揚に受け止められる度量(老人力)が身についてしまっていたが、ひさびさに思わず「ひぃぃぃ!」っと目を閉じかけること数度。
幼い頃に、薄目で『サスペリア』や『13金』を観ていたころの「ビビりまくる感覚」というのを思い出させてもらいました。

なにせ僕は、バリバリの高所恐怖症である。
まわりに壁やガラスや金網があれば、東京タワーでもスカイツリーでも登れるし、ある程度、足元に傾斜さえあれば、槍ヶ岳でも穂高でも平気で登頂できるのだが、いざ足元が切り立った断崖になっていると途端にまったく進めなくなる。昔、群馬の妙義山の子どもでも登れる中級ハイキングコースで腰を抜かしかけて、尻尾をまいて逃げ帰ってきたことがある。
それから、錦糸町にあるトリフォニーホールの三階席最前列で、恐怖のあまり指から垂れるくらい手汗をかいて、休憩時間に後ろの席に移らせてもらったこともある。
とにかく、「周囲に支持がない」状態で高いところにいる感覚が、僕はたまらなく怖いのだ。

で、きょう、たとえ映画のスクリーンのなかで起きていることであっても、ちゃんと「手汗」はドバドバ出るのだ、ということを嫌というほど思い知らされました。いやあ、マジ怖かった!!

映画としてどれくらい評価されるべき作品かは、正直よくわからない。
実際、4つも星をつけるような映画ではないのかも。
あきらかに低予算映画だし、作り手も女優もあまり有名な人ではない。
話のつくりも、そんなノリでいいのかな、と思わないことはないし、
ガチのクライマーにあんなぽっちゃり体型の人っているものなのか、とか、
クライミングやってた割にはふたりともタコのない綺麗な手してるな、とか、
1年呑んだくれてた人間が急に鉄塔登りとかやれる筋力あるのか、とか、
いろいろ気にしだすと、けっこう切りがない。
そもそも、こんな塔、物理的に立ってられないだろう、とか、
(↑他のレビュアーさんの評を観てKVLY-TV塔という元ネタがあることを知る。ただ映画とは違って、がわにワイアーが20本以上補強してあったw)
あれだけ配信で煽ってて更新されなかったら、ふつうに誰か警察に連絡するのでは、とか、
一晩、航空灯が消えてたら大問題だし、それだけでも気づかれるもんじゃないの、とか。

でもやっぱり、なんだかんだいって、「アイディアの勝利」なんだよね。
このワン・アイディアにたどり着けただけで、
もう細部の出来とかどうでもいいというか。
この映画は、僕みたいな「高いところが怖い人間」に、
びっしょり「手汗」をかかせることに成功した。
もうそれで、「勝ち」でいいじゃないか?

僕は、小説や演劇と違って、映画は受け手が「受動的」な状態でも十分楽しめるところに、「娯楽の王者」としての絶対の優位性があると思っている。
要するに、能動的に関わったり、考えたり、集中したりしなくとも、自動的に楽しめるのが映画だ、ということだ。ただ座って観ているだけの観客を、「無理やり」興奮させたり、「強制的に」持っていったりするだけの「働きかける強い力」が、映画にはあると思うのだ。

そして、その際たるものが、「エロス」と「ホラー」なのではないか。
この二つは、「つい硬くなったり」「つい上気したり」「つい目をそむけたり」「つい冷や汗をかいたり」と、われわれ観ている者の「身体」に直接訴えかけてくる、始原的な力を備えている。
それは、とても動物的で、体感的で、本能的な力だ。
だからこそ、僕は無条件に「エロス」と「ホラー」という、一見「下世話」で「低俗」と思われがちなジャンルをひたすら愛し、ひたすら敬うのだ。
逆説的にいえば、こちらがいろいろ考えたり感情移入したりしないと楽しめない高尚な作品よりも、よほどストレートに人間の「根幹」と結びついている「すぐれた」ジャンルだと思っているから。

で、今回の『FALLフォール』は、ここでいう身体への訴求力、影響力、強制力が、ちょっと他では類を見ないくらい強烈だった。そこは、認めざるを得ない。
だって、マジで観ていて手汗がとまらなかったもの。
(となりの客もしきりに揉み手してたから、俺と一緒だったのでは?)

これだけ「根こそぎ持って行ってくれた」映画を
評価せずして、一体なにを評価するというのか。
この圧倒的な「手に汗握る」感覚の前では、
「映画の出来」なんて些末なことだ(笑)。

それに、この映画のアイディアって、実は意外にリアルでもある。
僕にはまったく理解できないけど、「クライマー」という人種は大量に存在するし、
命綱なしでクッソ高い岸壁を登ってしまう「フリーソロ」の猛者も複数存在する。
実際にこういう「デンジャラスD」みたいなインスタ投稿者も存在するわけだし、
映え写真を撮ろうとして、高所から落ちて死んだ配信者も「何人も」存在する。
だから、ここで描かれる無謀な挑戦は、決して絵空事でもなんでもないのだ。
実際に、こんな途方もないことをやってる奴らが、この世の中にはいる。
そう思いながら観ると、余計に映画内のエピソードがリアリティをもって感じられ、怖さが倍増しになるというものだ。

今までも、クライミングの映画や、「高所に登る」映画はいろいろあった。
古くは、クリント・イーストウッドの『アイガー・サンクション』。
あるいは、シルヴェスタ・スタローンの『クリフハンガー』。
ちょっと変わり種だと、地底洞窟に垂直降下してゆく『ディセント』。
あと、ロバート・ゼメキス監督の綱渡り映画『ザ・ウォーク』も同じカテゴリーか。
それから、ここ数年は、フリーソロの神様のような人たちのドキュメンタリーが、『フリーソロ』『人生クライマー』『アルピニスト』と、立て続けに公開されている(高所恐怖症ゆえ、クライマーにシンパシーを持ちえないので僕は観ていないが、彼らはこの映画の主人公たちと同様、マジで命綱もつけずに数百メートルの断崖絶壁を「手だけ」で登ってしまうのだ)。
これに、インスタ映え中毒の要素(『ザ・サークル』『スプリー』とか)と、「狭いところに閉じ込められる系」(『パニック・ルーム』『リミット』『デビル』とか)が、結びつくと、必然的に『FALLフォール』が生まれてくる。

僕は、単純に高いところが怖いから、単なるクライマーの映画は観ない。
だが、これが「サスペンス」としてフィクションに仕立ててあると、がぜん観る気がわいてくる。
『FALLフォール』は、たしかにフリー・クライミングの「怖さ」に依存した映画だ。
だが一方で、意外にいろいろと考えて作ってある気配もある。
この映画、「サスペンス映画」として、なかなかによく出来ているのだ。

まず、前半に出てきてちょっと「おやっ」と思うようなシーンは、実はほぼすべて、状況解決につながる「伏線」であり、それらはしっかりラストまでにすべてきちんと律儀に「回収」される。
これらの伏線は、バレやすいかどうかはさておき、結構「本格ミステリ」並にねちねちと張り巡らされていて、監督の充実したミステリマインドがうかがわれるのだ。
さらに監督は、「鉄塔登りのアイディア」と、「鉄塔脱出のアイディア」に加えて、「友人」の過去にまつわるとある「秘密」もお話に絡めてくる。さらには……おっと、これは言ったら興ざめだね。
ハンター役がクライマーにしては明らかに小太りに見えるのも、実は物語の設定上、「ベッキーよりは肥って見えないといけない理由」がちゃんとあったり。
なんにせよ、「謎」と「解決」の連鎖によって物語を紡ごうとするミステリ寄りの姿勢は、実にすばらしい。

サスペンス映画として観たとき、この映画が猛烈にずるいと思うのは、鉄塔の最上部にいる、という状況下においては、「ただ立つだけ」「ただ手を放すだけ」で、ちゃんとスリルとサスペンスが生まれてしまうということだ。
だから、なにげないシーン――ふと下を見下ろすとか、二人が位置を入れ替えるとか、両手をふって相手を応援するとか――が、観ていてもう、怖くて怖くて仕方がない(笑)。
本人たちにとっては、まったく普通のことをやっているだけなのに、ヒロインがよいしょと立ち上がるだけで、あるいは何かをバックパックから取り出すために両手をフリーにするだけで、(少なくとも僕のような高所の怖い)観客はもう気が気ではない。「もっと注意して動けよ!」「それで落ちたらどうするんだよ!?」――何度観ながら、ツッコミを入れたことか。
ヒロインの一挙手一投足で客をビビらせられるサスペンス映画って、実はけっこう凄くないか?

それから、『テルマ&ルイーズ』のような「女性ふたりのバディ・ムーヴィー」として、今日びの映画の風潮としてのフェミニズム的要素もしっかりクリアしている点も如才ない。実際に「命を預け合う」クライマーどうしの絆って、きっと僕たちが考える以上に深く濃密なものなんだろうし、当然、そこから産まれる愛憎のドラマというのも、密度の濃いものになってくるわけで。
だから、敢えて「男女」のペアにせずに、女性どうしに設定して、ふたりの友情を物語の中核に据えたのは、なかなかのいいアイディアだったのでは。

なお、主演の二人は、見た目から漂うオーラはほぼゼロに等しいが、演技としてはとてもよく頑張っていたように思う。特にベッキー役の女優は、目元をチックみたいにひくひくさせるのがとてもうまい(笑)。呑んだくれているときに結構伸びていた爪が、鉄塔登りになったら切りそろえられていたのも芸が細かいなと思いました。

ー ー ー ー

あと一点、とくに指摘しておきたいことが。
そういや、この映画、やたら「鳥」に厳しいよね。

なぜか、やけに「鳥」が「怖いもの」「凶兆」として扱われている。
長年のバーダーである自分としては、「監督、小さいときになにかあったの??」と訊きたくなるくらいの「バードフォビア」ぶりだ。
冒頭でも、鉄塔登りの出だしでも、中盤でも、物語の終盤でも、「鳥」は主人公たちの運命を左右する重要なファクターとして降りかかってきて、彼らはどう鳥に対処するかを問われることになる。
ここでの「鳥」は、ヒッチコックの『鳥』に近い、明快に人類に対して敵対的な存在だ。
(そういえば、この映画の中核には当然、ヒッチコックの『めまい』的な要素もあるわけで、もしかしたら監督は結構なヒッチコキアンなのかもしれない。二人が塔を登っている最中にだんだん弛んでゆくナットとか、まさにヒッチコックの「爆弾理論」そのままだし)

考えてみると、人間は重力には決して抗えない存在なわけで、高所から足を滑らせたら、ただ下へと落ちるほかない。だが鳥は違う。重力に対抗して、自在に空を舞う力を持っている。
鳥からすれば、崖の途中にある洞窟や鉄塔の上は絶対的な「自分たちにとっての聖域」であり、そこに土足で踏み込んでくる人間連中は、ただただ「敵」でしかないだろう。
一方、重力に挑戦してクライミングに命を懸ける人間から見たら、鳥はうらやましくも憎らしい存在に違いない。「お前らは羽があっていいよな、俺だって欲しかったよ」というわけだ。
その意味で、本作における「鳥の意外なくらいの禍々しさ」は、きちんと理由のあるものなのかもしれない。
「聖域」を犯す人間たちに死に物狂いで挑んでくる鳥たちと、それに死に物狂いで立ち向かう人間。
羽のあるものと羽のないもののあいだで起きるつばぜり合い。
高所での生存権を懸けた、究極のサバイバル。
「高所」にチャレンジする人たちにとって、鳥は永遠のライバルなのだ。たぶん。

まあ実際、綿密な登頂計画を立てて壁に挑む人たちにとって、対象物の劣化(岩の崩壊や老朽化した建築の脱落)と並んで一番怖いイレギュラー要素が、まさに「鳥の介入」なのかもしれなくて、「鳥が怖い」「鳥が憎らしい」というのは、クライマーに共通するリアルな認識なのかもしれないが。

じゃい