「人生はスクロール。時が来たら向き合えば良い」スクロール いも煮さんの映画レビュー(感想・評価)
人生はスクロール。時が来たら向き合えば良い
原作「スクロール」はそれはそれで面白い青春ストーリーだ。顔も忘れかけていた友人の死をきっかけにして、「死んでから距離を詰める関係もある」ことを示してくれる。
果たして映像化した本作はキャストの勝利とでも言おうか。それぞれの個性が際立っていて素晴らしい。小説の中では想い及ばなかった <僕> や <ユースケ> がしっかり生きている。
賛否を醸す冒頭のワンシーンは、ゴシック調の色彩に可愛らしいけど不安定さを感じるウエイトレスが、次々と頼まれもしないオーダーを運んでくる。
なんかワクワクした!何が始まるのか、と。私が知ってる小説「スクロール」の世界じゃない!と。
レストランへの階段を登る北村匠海の横顔からしてもう引き込まれたもんね。
彼の顔立ちが特に好みというわけでもないのだけれど、あの分厚い部類に入るだろう唇とか黒目がちの大きな瞳とかは映し方によって様々な表情を持つ。だからいつも観ていて役者向けの顔だな、と思うのだ。
一方、ユースケ役の中川大志も良い。運とその場のノリだけで世の中渡ってきたような調子よさが滲み出る。けど、ユースケは気は良い奴なのだ。自殺した森が最期にかけてきた電話が自分宛かもしれない、と知れた途端「俺が電話に出ていれば森は死なずに済んだかも知れない」罪悪感に苛まれるのだから。
だもんで、その気もないのに出会ったばかりの菜穂にプロポーズしてしまう。ちゃんとやれば出来るんだという自分の証明のためだけに。
菜穂は令和にあって昭和の価値観を引き摺る女だ。結婚が女の幸せと言われて育ったような箱入り娘。だからお堅い職場に勤めている。千切りにするきゅうりをぶった斬る松岡茉優の演技に唸ったわー。
原作ではもっとはっちゃけてます、菜穂。
そんな菜穂とバーで知り合った <私> は、菜穂から「気をつけたほうがいいよ、重い女と思われるから」と言われて返すひと言が秀逸だった。自分の足で立って生きている女と誰かを頼って生きている女の違いが「重さ」の違いなのだ。
物語は観る者に答えを委ね、正答を導き出してと言わんばかりに会話の間合いを長く取って、ハッピーエンドともそうでないとも取れる方向に進んでいく。
合間合間に入る何気ないカットも素晴らしい。
「キャンバスを前に100円ライターをこすって見える炎の画」や「東京タワーの見えるオフィス」のワンシーン。また、再会した僕とユースケが「銭湯の湯船で癒されている2人」のカットなど。
それこそスマホの画面をスクロールしてスクロールして見つけたある日のワンシーンのようにフレームに収められていく。「その時が来たら向かい合えば良い」のだから。
なんと言っても森くんの遺影が笑える。あごの部分にユースケのピースした指が丸く差し込まれた遺影。20数年間生きて遺影に使える写真がコレしかなかったのか、と彼の人生がわかる1枚になっていた。