「「元風俗嬢」であるかどうか関係ある?」ちひろさん とびこがれさんの映画レビュー(感想・評価)
「元風俗嬢」であるかどうか関係ある?
レンタルビデオ屋で借りてきて宅飲みしながら友人と視聴。友人は有村架純かわいいと言うが私にはストライクゾーン外角高めで、それはさておき
これはアート映画でしたね。シュールギャグのアート。一貫した物語の起承転結はなく。冒頭、猫と戯れる美女のちひろさんと、それを隠れて撮影する女子高生が登場し、ガールミーツレディーで物語が動き出すのかと思ったら、ドユコトー?なまま終わっていきました…1人1人が人間的な動きをしないから、そうはならんやろという場面が続くなかで、時に現実にもありそうな場面を経由します。
ホームレスをいじめる小学生に「何してんの?私もまーぜーて」と口だけの笑顔で迫るちひろさんは、さながらダークヒーローでした。けれど自宅に上げて風呂に入れる、わけねーだろ!
ラーメン屋さんでムカつく客にキレたら、有村架純に逆ナンされてワンナイトに至ることもありません!バットで父親を殴って家出して、キレそうになったら腕の般若心経を見て落ち着かせる割に、ついさっきキレてただろ!ナンセンスギャグ的で、ここ面白かったです。
1人で生きることに慣れて強さを手に入れていたホームレスに、無責任に施しを与えてしまったが故に草むらで尽きているのを発見して、自分を責めて絶望に落ちるちひろさん…
等おらず、死体を埋めたあとのビールは美味い!とごちるちひろさん。これはシュール。
あらゆるものから自由なちひろさんが街を駆け巡り、ふれあった人たちがちょっとだけ、不自由から自由へと背中を押される感じ。予想通りの行動をしないトリックスターがいることで、この世界はそうなるようにしかならないという前提が揺らぎ、よくなることを期待できる感じ。キャラクター映画「ちひろさん」というタイトルも、「寅さん」的な、型にはまらないキャラクターがいて、その回りの普通の人たちが成長する感じがあります。。
だがちひろさんの周りはよくても、ちひろさん自身はどうなのだろうか?
この映画の主題は「元風俗嬢の弁当屋」である。冒頭で弁当屋のバックヤードで「(元風俗嬢って)隠してるのに広まっちゃうじゃない」「いいって、みんな知ってるし」というくだりが印象的なつかみとなっている。ちひろさんは、属性から解放された妖精ではなく、元風俗嬢の弁当屋なのです。そしてこの「元風俗嬢」という属性が、このちひろさんの立ち居振舞いのバックボーンにあると描くのは非常に危険です。
はっきり言ってちひろさんはかなり頭のネジがとんでいる。見知らぬホームレスを家に上げて二人きりの空間で薄着で、体を洗ってあげるちひろさん。まあ元風俗嬢だし、それくらいするよねって、なりません!ほぼ全ての元風俗嬢は、そんなことしないと思います。
そんなことを普通にする人がいても構いませんよ?けれどそれは圧倒的に特殊な人格形成を経ている人であり、「元風俗嬢」と喧伝してからこの動きをされると「元風俗嬢」の方々に風評被害がいきます。
元風俗嬢だからこんな頭おかしい世捨て人みたいになってんだなって、思わせてどうすんですか。やっぱ風俗やる女は変だって思われて。
その肩書きを前面にだすのであれば、「元風俗嬢だが」いや、「元風俗嬢だからこそ」得られた大事な価値観を描いてほしい。単に「職業に貴賤なし」とか平凡なこと言うなら、その看板は取り下げるべきだ。
風俗嬢という仕事はやっぱり特殊な仕事で、そうでない人たちと価値観の解離があると、今の社会のなかでは位置付けられていると思う。かくいう私も門外漢の側だ。だから向こうの立場から新たな価値観を提示してくれるのもまた一つだと思って、この映画を視聴したのだが…