The Son 息子のレビュー・感想・評価
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息子のキズは親のキズ…
前妻から17歳の息子の様子がおかしいと相談を受けた男が、息子と話し合い、息子と同居することになり巻き起こる話。
学校に行かずに何をしていたのかと問うと母親と暮らすことの不安に潰されそうだと訴えかけてきて、と展開して行くけれど、荷造りをして家を出る際のやり取りをみると違和感が…。
そして父親と後妻と赤ん坊との4人暮らしが始まって行くけれど、何だか息子の機微をみるにスリラーかサスペンス?とも思しきところがあるほどで、自傷行為や全ては誰かのせいという言い分は、傍からみるとただの拗らせ系の甘ったれにもみえる。
ただ、これが実際の息子だったら…と考えると非常に難しい問題だし、どうしたら良いものかと絶望的になりそうな。
そんな息子に翻弄される父親をみるに、この作品はThe SonよりもThe Fatherというタイトルの方がmatchする様に感じた。1作目と被ってしまうけど。
非常に難しくそして悲しいでは済まされない問題が題材ではあるけれど、家族の中にあっての個人の立ち位置みたいなものとか、何だかあまりにもアメリカ的に感じる部分もあって、安直に身につまされるとまでは思えなかったかな。
(採点内容で「映画の問題点」がわかるため、便宜上のネタバレ扱い)
今年85本目(合計737本目/今月(2023年3月度)20本目)。
映画を見ていろいろ思ったのは(架空のお話だとしても)「やりきれないなぁ」の一言です。「何が当人のために正解だったのか」あるいは、「正解以外の選択肢はすべて不正解なのか」、あるいは、「不正解を選ぶことにどれだけの"罪"があるのか」といった複雑な論点を抱えています。
扱う内容が非常にセンシティブで、日本でも今、状況は違っても同じようなことは論じられることがあります。この映画は「時々論じられる問題」について、「断定的な解決方法」の提示をさけながら、何というか…、かなり「どの選択肢でも間違っていないよ」という点についての配慮があるように思えます。
一方でこの映画は明確に配慮不足という点があるので、その点はやはり書かざるを得ないでしょう。
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(減点1.0/自死行為に対するメッセージ性が足りない・不十分)
・ 扱う内容がこのような映画であるため、エンディングロールで、珍しくも「自死行為は重大なものですが防ぐことができます。もしあなたや関係者がそうであるなら、この電話番号に電話してください。もし、困っている人を発見したら、以下のサイトや電話番号の存在をおしえてあげてください…」という文章(すべて英語)が30~60秒くらい流れます(結構長いほうだと思います)。
これ自体は映画の趣旨を鑑みればわかるのですが、そこそこ長文な上に使われている語彙も高いので、ある程度の英語力がないと読み切ることができません。
そして「****という*」(最近公開された映画なので、一応伏せておきます)でもこの趣旨の表示はされますが、こちらの映画は「厚労省」からのメッセージで「もし困っている当事者や関係者はこちらに電話して下さい」という「日本語による」メッセージが流れていたのですが、こちらの作品はなし。
ちょっとこのあたり、妙にバランスを欠いているかな…(特に1週間前の参照した作品と「実質的に」「扱う内容」が同一であるのに、日本語のメッセージが出ない等)というのは明確に思えました(もっとも、このような「特殊なメッセージ性をもつ映画」が2週続けて放映されること自体が特殊なので、厚労省もそこまで手が回らなかった、とは思える)。
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もっと何かやれることがあったのかも
息子を亡くした父親の後悔の言葉が突き刺さって1日考えてしまった。
でもきっとこれが父親、母親が出来るベストだったのだと思う。親だってひとりの人間、子供もひとりの人間、思い通りにはならない。
観ていて切なくなりましたが観てよかったです。
タイトルなし
タイトルのThe Sonは、ニコラスのことなんだろうけれど、ピーターのことでもあるのだろうと感じていた。
父もまた息子だから。
そして、父である前に、ひとりの人間。
そんな、ひとりの人間であるピーターが表に出てくるシーン、その時のニコラスの表情。
双方にとっての親という存在の難しさが描かれていた。
親の愛が足りない、という言葉はよく聞くけれど、愛では救えない、という言葉はあまり聞かない。
そう、愛は必要、でも、愛では救えない。悲しいけれどそれが事実。
誰が悪かったわけでもないからこそ、胸がいたむ。
家族でなければ面倒くさいだけの息子。仕事一筋で家庭を顧みない父親。...
家族でなければ面倒くさいだけの息子。仕事一筋で家庭を顧みない父親。最後に両親がある決断をするのですが全く理性的でない選択。そして想像通りの結末。
今朝、シネコンへ向かう電車でマスクをしていない人が一人だけ。科学的に考えてもマスク外して安全な訳がない。映画の両親はマスク外すタイプの人でした。そして後遺症に長く苦しむことになるのです。
これは切ない
ちょうど同い年になる息子と鑑賞しました
あたりまえの生活が
実はあたりまえでなかったり
ヒュージャクマンが映画の中で
自分の人生を楽しんで何が悪い
みたいなセリフがありましたが
それもそうなんですよね
救えなかった親の辛さを感じつつ
必要以上に息子と
コミュニケーションを取ろうとしている
帰り道の自分がおります
家族愛があれば、家族憎もある
たまたまなのでしょうが、家族愛をテーマにしたアカデミー賞作品も同時期に上映中。
小難しいことを言うつもりはないのですが、家族、ときたら〝愛〟が続くことが、さも当たり前のように語られ過ぎな気がします。世の中には、家族愛と同じくらい、家族憎という感情があるように思います。
平均寿命が50歳前後の時代までは、60歳まで生きる人が滅多にいなかったから、還暦のお祝いが特別なことでもあったし、70歳まで生きるなんて古来稀(まれ)だったんですよね。
働いて、稼いで、食べて、生きることだけで精一杯の環境では、家族の関係性は、愛よりも、家族がひとつの共同体として生き延びていくのに必要かどうかで成り立つという要素が強かった。
と書くと、そんなのは遥か昔のことのように思われる方もいらっしゃると思いますが、『82年生まれ、キム・ジヨン』の時代の韓国では、稼ぎ手となれる男の子を望む人が多いから、妊娠しても女の子だと分かるとかなりの割合で中絶させられたそうです。だから、統計上も有意なレベルで男性の方が人口が多かった時期がある(キム・ジヨンの原作の中にそう書いてありました)。ひとりっ子政策時代の中国でも、同じようなことがあったようです。
話が変な方向にずれましたが、授かったこどもへの愛ですら、こんなに不確かなのですから、性格も個性も別の人間である親と子どもが、相思相愛というのも、そうであって欲しいとは思うけれど、現実はなかなか難しい。
期待通りに育ってくれない我が子。
こどもの望む理想像にはほど遠い父、あるいは母。
当然、他の誰よりも長く一緒に暮らし、人間的な本質や本音を知る機会が多いから、強固な信頼関係も築けるし、逆に覆せないほどの不信しか持てないこともある。
もしかしたら、私個人の感性が、世の中の平均と大きく乖離しているのかもしれませんが、家族関係の中に無条件で自然体で変わらぬ愛情なんてものは無いと思ってます。
家族であっても、信頼関係を築いたり、壊さないお互いの努力は必要だし、高齢化社会になってからは、親(大人)の身勝手さも目立つようになった(50代で亡くなっていた時代には悪目立ちする前に亡くなった)。
配偶者との関係が長く続くためには、信頼関係を損なわないための努力が必要だし、自我が芽生えた子どもとの関係でも、極力、自分の決めつけによる押し付けがましさが出ていないか、キチンと聞く耳を持っているか、いつも意識しています。
などと書き連ねると、いつも緊張しっ放しで相当疲れてそうですが、割りとすぐに慣れます。
つまり、人間が意識や感情というものを獲得して以来、愛情という不確かなものよりは、他者とどう向き合うかを考え続けることのほうが自然体(本能)として身についている、ということです。愛に頼るより、信頼関係を育むほうが、共同体が生き延びる可能性が高いからです。
長々とつまらないことを書いてしまいましたが、つまるところ、家族愛の物語というのは、信頼関係の構築における失敗、恢復、成功、後悔の物語。
そして、人間として生まれてきた以上、誰もが生きていくうえで、経験したこと、いま経験していること、これから経験するかもしれないことばかりなので、登場人物の誰かしらに感情移入せずにはいられなくなる。
どなたにとっても、深く身につまされる作品だと思います。
そういえば、ところどころの場面で感情が強まる音楽が流れていたのですが、エンドロールの中に、なんと、ハンス・ジマーの名前が❗️
これ、なんだか得した気分になりました。
胸にぐさぐさと。
昨今離婚する夫婦は珍しくもなく、ピーターだったり、ニコラスだったりする人も多いのではないでしょうか。実は私自身がニコラスでもピーターでもありました。だから、この映画辛くて胸にぐさぐさと。分かるなあと思ったり、そうだったのかもしれないと思ったり、忘れていたことを思い出したり。でも少なくとも僕はニコラスほどには sensitive な人間ではなかった。言い換えれば、ずるく(息子よ、すまん)生きて来たなと思いながら観てました。で、僕の息子?元気に、そして社会的にも活躍してますよ(と僕は思ってます。心の中までは読めないけど…。息子よ、ありがとう)。
こうして、僕自身が自分の過去と向き合うことができたということは、この映画の持つ力、リアリティーを表していると思います。
書きたいこと、山ほどあるんだけど、これで終わりにしときます。
これ、レビューじゃないですね。すいません。
親子の間に正解はない
フロリアン・ゼレール監督の『ファーザー』に続く家族3部作2作目。本作も自身の戯曲を基にしている。
弁護士のピーターは、離婚した元妻から息子のニコラスの様子がおかしいと告げられる。ピーターはニコラスを引き取り共に暮らし始めるが、2人の間には埋めがたい距離があった……。
17歳の少年が心の奥深くに秘めた思いは言葉にできない。ピーターも自身の父親との間に確執がありながら、同じ言葉で息子を傷つけてしまう。そんな親子の複雑な関係を淡々と描いていく。
ヒュー・ジャックマンがいい。終始抑えた演技で、苦悩する父親を巧みに表現する。元妻のローラ・ダーンもうまい。この映画の中で、一番複雑な感情をもった役だと思った。芸達者な2人に挟まれて一歩も退かない息子役のゼン・マクグラスもよかった。
暗く重いテーマだが、家族について考えさせられた。
【ハリネズミのジレンマ】
胸が詰まり居た堪れない作品。言葉にならない思春期の不安定な心情に踠く息子、何とかしてあげたいが理解出来ずに戸惑い空転する父親、子供に対し厳格で努力と成功を叱咤してきた社会的地位を手にした祖父、それぞれが愛する家族故に素直に向き合えない。理想とする父親像と自身が受けた子育ての呪縛に苦悩し後悔する父親の姿と、愛情だけで解決しなかった受け入れ難い結末に震える。
家族でも心の中までは見えない
他人からどんなに恵まれた環境に見えても、本人が満足をしていない限り人間は幸せになれない。
たった17歳の少年がどんなに考えても人生に不安しかなくてどんどん精神的に追い詰められていく。そしてその家族も一緒にその不安のドツボにハマっていき、這い上がれないしんどさよ。
愛情に恵まれなかったわけではない。
少なくとも愛されてはいる。
がしかし、一度根付いた身内への不信感、愛情への不安はどれだけ与えてもすぐ乾く砂のように全く手ごたえがなく、どんなに水をやってもかけたそばから乾いていくようだった。
多分、同じような状況の子どもは沢山いる。離婚が昔ほど難しくなく、人生の選択肢として十分普通にあり得る現代では、こういう家族の形態が始まりとは違う形をとった時にできる、愛情の狭間でもがいている子どもは本当に多いと思う。
でも全員が同じようになるわけではない。やはりメンタルの強さは関係があると思う。
誰が悪いとかいう問題ではなく、本当に精神の弱さは本人が自分で立ち上がって進むまでの過程が難しいんだなと改めて思い知った。
監督の仰った、家族内のメンタルの問題はブラックホールのように家族を飲み込むという言葉が忘れられない。
けど言わせて。
初めてヒュー・ジャックマン(なんかヒーローなイメージを勝手に持ってた)が嫌なやつに見えたの。何にもわかってないんだね、と。あなたは見たいものだけ見てるんだね、と。
でも人が何かに気づく時は、何かが起こってる最中とは限らない。
落ち着いた時に納得のいく気づきがあることもある。
監督がメンタルヘルスの問題は口にし辛いけど、もっと話していくべきである、というようなことを仰っていました。
家族間のことは特に外からは見えないもんな。そして第三者が関わることの大事さも学んだ。
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