イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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2時からビール飲む生活したいけど
すごく好きなのに、凡庸さとつまらなさに耐え難くなる。好きだからこその苦痛と哀しみ。
前半は話のつまらない人といる苦痛にシンパシー。閉じられた島である日突然、もううんざりと思う気持ちがわかる。私は島では暮らせない。ちょっとした諍いが引くに引けぬ争いになる滑稽さ。もううんざりと思った時に、外に出られる強さを持ちたい。
なかなか寓話的というか、いろいろ読み解きができそうだけど。
悲しいときに家にロバを入れる。
アイルランドの島の美しさを堪能。ジャケットくらいじゃ寒くないのかな。
サービス精神はない。面白いけど。
スリービルボードのようなお話がどうやってできるのだろうかというのもあってマクドナー監督ということで観たのだけど、1920年代の僻地の美しく、そして退屈極まりない島で起こる「男と男の喧嘩」の話だった。
「退屈極まりない」と指定されてしまう切ない主人公の話などあまり見たことないが、それにベソかいて立ち向かっていく主人公もまた見たことない。他にやることがないのだろう。しかし、俺に近づくな、近づくと俺の指を切るぞ、という敵も意味がわからない(面白い意味)。過去は描かれないが、そんなふたりが友人でいれた訳はない。勘違いだったのだろう。俗物雑貨屋とか牧師とかも配され、ロバもでるし、変な魔女的婆さんも出てくるのでヨーロッパ的であり、演劇的ではある。
スリービルボードも確かこんな僻地での喧嘩っていやあ喧嘩の話たったか。それでもあちらは仰天の展開があったがこちらは神がちらついて神秘のほうにいくので面白いっちゃあ面白いけど、サービス精神はない。
本当のところ、何が言いたいのかよく分からない。
知ったかぶりして、カッコつけてもしようがない。正直、何を訴えたいのか私にはよく分からず、眠ってしまった。
おそらく、戦争は些細なことから始まり、当人達が思いもよらなかった方向に展開・拡大し収拾がつかなくなってしまったことを暗示しているのかなと感じた。当たっているのだろうか
当初は現代のアイルランドの孤島が舞台かと思ったら、1923年だった。電気も車も登場しなかった。日本だと大正13年。
とりあえず1時間我慢したらおお!ってなる
最初は中2レベルの喧嘩が延々と。その1時間を我慢すれば急激に面白くなる。
とはいえ、スッキリ爽快な映画でもない。
閉ざされた島の陰鬱さ、グロいシーン、狭いコミュニティの吐き気がする身内感。家族でもない人が手紙開封してからわたすか?
なのに、なんだか引っかかって延々忘れられない不思議な映画。
執着
ロバに執着するのも、未評価の名曲に執着するのも、同じことなのかも…
執着の度合、意味は人によって当然違うけど、その本意や真意は(往々にして)他人にはわからない。
一方の側からすれば、心の底から正当なことを言っているつもりでも、もう一方から見れば、殆ど狂気・妄言ってことも世の中にはあるのかも知れない。
旧教の神父はひどく人間的だったが、カトリック教会に佇む厳かなマリア像が印象的だった。
本質的には違わないはずなのに、遠く離れて分断してしまうこともあるのかも…。
争いが絶えない理由
アイルランドの島。イニシェリン島での友だち同士の争いの話。
圧倒的な美しさの大自然の映像とは対照的にとても小さな村の友人同士のいざこざを描く作品。
はじめは村社会は閉鎖的で嫌な感じだなと思いながら鑑賞していたが、物語が進むにつれて、これは自分の住む世界でもあり得る話。国と国との争いが絶えない理由にまで繋がっていることに気が付かされる作品であった。
人間同士の争いが絶えない理由をしっかりと感じることが出来る作品であった。
島向こうの内戦と仲たがいの喧嘩
長年良き?友人としてつきあってきた男(コリン:ブレンダン・グリーソン)から
「残り少ない人生は知的に行きたいので馬鹿なお前とは付き合えない」
と言われた男(パードリック:コリンファース)達の物語
バードリックが可愛がっているのはロバ
コリンが可愛がっているのは牧羊犬
動物でも資質を表しているのは皮肉だ
でもどちらも凄く可愛い
コリンの一方的な絶交宣言に戸惑い、理由を聞き苦悩するバードック
この下りは泣けてきた
*不思議なのはこの映画、観客のすすり泣きが聞こえるのだが
どの場面でも違う部分で聞こえる所
ラストでは超えてはならない線引きをどちらかが超える
島向こうの内戦をなぞらえて2人が語り合う部分は印象的
戦争も仲違いも規模が違うだけで
傷ついた方が許すことはむずかしい
非常に身近に感じる映画だった
ホラーかよ。
とにかく島の人間が全員狂っているのだ。
島の閉塞感、戦争という閉塞感、そして多分貧しさからくる閉塞感。それぞれが、その閉塞感から逃れるために、創作活動をしたり、本を読んだり、暴力に走ったり、他人のゴシップを追い求めたりして、そこに潜むモノ(それがバンシーなのかも?)を見ないようにしている。それでも少しずつ蝕まれ、狂ってきている。
その中で、1人だけ充足しているのがパードリックで、それは彼の愚かさと、妹(シボーン)や友人(コルム)に何かを肩代わりさせているせいなんだろうと思う。(だから彼は音楽を必要としない。音楽は人々の苦しすぎる生活を紛らわせるものだから)
ある日コルムは「やってられるかよ」と思ったんだと思う。でもなんというか、遅すぎたし相手が悪かった。
って、こういう風に書くと村上春樹の小説みたいだ。
コリン・ファレルがとにかく良かった。一見普通に見えるのに、いつの間にかなんかおかしい役がすごい上手い。
ドミニクもすごく愛らしくて、こういう純粋な人間もこの島でも生きられないのだな。
個人的にはシボーン共感するので、彼女がバンシーから逃げ切って本土で生き延びられたらいいのにと思う。
あとロバがかわいいに1票。飼いたくなった。
退屈な島の生活以上に退屈な映画体験
歯車崩壊系のシュール劇だが「昨日まではうまくいっていた」の「昨日まで」が全く描かれていないために、冒頭から置いてきぼり感が凄い。観客にひたすら退屈な映画体験を強いることによって、作中人物たちが島の退屈な生活に精神崩壊していくさまをメタフィクション的に表現したかったのだろうか。作中人物のうち誰一人としてその心情に共感できる者がいない。死を告知するというバンシーとその依代と思われる老婆の扱いも中途半端で、このストーリーに登場してくる必然性を感じない。予告された死と内戦が何か関係あるのかと思ったらそれもない。あれほど通奏低音のように本土から聞こえる内戦の砲撃音を作中に織り交ぜといて何も無かったはないでしょう。
静寂な島
突然起こる人間関係のもつれ。
ああ、こういう気持ちってわかるな..と思いながら前半を見ていた。
場面が進むにつれ少々サイコパス的な展開になり、時折画面から目をそらしながら、でも面白く鑑賞した。
場面がほとんど決まった場所で、登場人物も少ない。部屋の中か、パブでの会話だ。
それにも関わらず、観ていてまったく退屈しない。最後までどうなるか、釘付けだった。
きっと脚本がしっかりしているせいだろうと思う。俳優の演技も秀逸。
良い映画を鑑賞した、と満足感で劇場を後にできた。
退屈な奴は嫌われるのか。
1920年代のアイルランドの島。当時イギリスは内戦中なんだ。
主人公のパードリックが親友のコルムから嫌われてしまう。どちらもオッサンなのに突然何があったのか?パードリックはコルムに尋ね続けるんだけど、なかなか応えてくれなかった。で、やっと答えてくれた理由が、お前が退屈な人間だから耐えられなくなった。どゆこと?
島はとても綺麗な風景なんだけど、町感ゼロ、お隣さんや飲み屋まで何キロあるんだろう?しかも歩きか馬車で移動。一台も自動車見かけず。
登場人物は少ないんだけど、皆んな自分の考えを曲げたくない真っ直ぐなキャラ。特に妹のシボーンが強くて良かった。警官オヤジ以外は酷い奴いなかった。ある意味自由な生き方ができる場所だったんだろうな。あと、人物ではない、馬、ロバ、犬など動物達が可愛かった。
それにしても、コルム、自分で指切って投げつけるって?しかも痛くないのか?途中、退屈して何度も落ちてしまったけど、それなりに楽しめたかな。
アイルランド内戦が背景だけど
時代設定は、映画の中に出てくるように1920年代はじめのアイルランド内戦だ。日本人にとってはあまり馴染みはないが、その後のIRAを巡るテロなどの原点になった内戦だ。自らの指を切り落とすという凄惨な設定はテロなどによる悲劇を思い起こさせる。
ただこの映画の中で政治的な背景が語られるわけではなく、登場人物たちが理不尽な行動を取る理由は島の精霊(Banshees)であることがタイトルにより暗示されている。Bansheesは精霊と訳されていて土地などに宿る霊のことだが、妖精、妖怪などと訳したほうが分かりやすかったかもしれない。
このように考えるとこの映画は単にアイルランド内戦を巡る映画ではなく、閉鎖的な社会おいて起きがちが悲劇を表現しているのかもしれない。
ただ、映画に中ではかすかに希望も語られており、一つは動物に対する愛で、コリンは犬の命を救ってくれたことについてパドリックに対して素直に感謝の意を述べている。もう一つはパドリックの妹シボーンが勇気をもって島から離れ充実した暮らしをしていることだ。
映像や音楽は美しいが簡単な映画ではない。
1923年アイルランドの孤島
主人公がどこまでも
おバカなのが
みててイライラしましたが
この時代
アイルランド
本が読めない
孤島
と考えると
あたりまえのことなのかなと
思いました
友達も
狂気でした
禁じられた遊びがよく似合う映画
退屈が生む怪物
イニシェリン島はとても退屈な島。
人々は表向きでは自分の生活をしっかり送りながら、陰で他人の噂話ばかりしている。パン屋のおばちゃんはニュースはないかニュースはないかと警官に聞き漁り、頭の悪い若者は品のないエロ話を繰り返す。警官はその息子に乱暴を働き、占い師みたいな女の人がなんだか不吉な事を言ってくる。
この島にいる人はみんなどこかしら、「ストレンジ」な顔つきをしています。いつ破裂するか分からない風船のようなものを心に飼っていて、それを膨らませたり、時には空気を抜いたりしながら、なんとかやり切っている。
私ごとで恐縮ですが、田舎出身者にとっては、それはとてもよく分かる感覚。実際、私の母は60歳を超えてから「ずっと田舎暮らしにうんざりしていた」と、都会に引っ越したりしてました。
そんな中、退屈を寸胴鍋で三日間煮込んだような男・パードリックに突然三行半を突きつけるコルム。これも一つの風船の破裂なんでしょう。最初はユーモラスなやり取りも含んでいましたが、指を切るくだりからは、恐るべき切迫感に。
人が「ヤバくなる」ための、ゆっくりゆっくりとした時間の積み上げ。それの一種が、「退屈」という一見大した事なさそうな感覚に含まれている。コルムは、なんだか理由なく突然に愛想を尽かしたかのように見える。でもそれは、表面張力でギリギリ保たれていたコップの水がこぼれただけ。シボーンの「もう嫌、わたし本土へ行く」と本質的にはあまり変わりません。アメーバのような退屈に飲み込まれてしまいそうな世界と、救いの対象としての「退屈ではないと思われる世界」。その対比で進むこの物語はとても暗喩的で、趣があるものに感じられました。
それにしても恐るべきは、なんだかんだで田舎の生活をやりくりしてきた人間を二人も「もう嫌!」に追い込んでしまったパードリックの退屈さ。もう想像を絶するくらいにつまんない人間なんでしょうね笑。作中で見ると全然おもしろい変なおじさんでしたけど。このパードリックは、島を愛し、退屈さを心の底から愛している。シボーンの本土への誘いにも「俺の生活はここにある」と譲らず、コルムとの闘争も、あくまで「自分の大切な価値観を守るため」。結果的に「お前今退屈じゃないよ」と言われてしまってますし、コルムとの平和な日々も、ここからどうやっても戻ってこないやんけ、となっているのは皮肉中の皮肉ですが、「平和を守るための戦争」と同じで、人間は元来そうした矛盾を抱えているものなのかもしれません。こうした「矛盾」もユーモラスに描き切っているところが好きでしたね。
結局「なるようになるからやるっきゃねーな」となっている二人でこの映画が終わるのは凄くポジティブだし、ある種の人間讃歌すら感じました。スリービルボードでも感じた、この監督が持っている、シニカルな中の優しさやポジティブさ、なかなか好きですね。あと絵もキレイで芳醇な世界でした。
みえかくれするもの
永遠に続きそうな景色とありふれた毎日
目に見えるものも人の生命も関係もちぎれるように突然の終わりを告げることがある
いさかいは、誰かにはささいなことで、誰かにはささいなことではないからどこにでも起きる
寄り添えばなにが必要で不必要かがみえるのだろうが
そもそもの価値観はひとそれぞれ
そしてそれは変貌性を持つ
タイミングよく察知できなければそのボタンはかけちがいのまま
まわりには、異変を感じ声かけるひとあり、みてみぬふりをするひともあり
こまった噂がはじまれば、波紋は形をかえてさらに広がりだす
垂れこめる灰色の空と海
荒涼とした野原の短い草をたべ
のんびり過ごす家畜たち
ぽつりぽつりと神様が置いたように点在する住居
素朴な人々は
日曜になると古びた教会に通い
小さな店で小さな買い物
午後のアイリッシュパブは馴染みの顔でうまる
誰もが知り合いのその土地の赤土を守る平積み石の壁は濃くてせまいコミュニティの砦のようにもみえ長く長くむこうの風を塞く
いまも歴史を匂わすアイルランド
そこは小さなイニシェリン島
親しかった2人の男の訣別はここで勃発した
対岸の本土に轟く無情なエゴと変わらぬ本質をもって
徐々にひきさかれる心と心が
ダーンダーンと不穏なトーンで
カウントダウンされる
コルムは高齢で一人暮らしの演奏家
人生の残り時間を音楽に費やし作品を遺したい思いにかられる時がきた
胸をおさえる様子がちらりとあるが、体調の不安も本土の内戦状況も時間への思いをより身近なものとして捉え死生観を新たにしていたのだろう
一方、パードリックは同居の妹がすべての家事をこなしてくれ、取り急ぎの心配もない
仕事後は日課のようにパブで過ごし、たわいもない会話と酒が生きがいのよう
黒ビールの泡のような時間をいい気分で過ごせる気力も、若さも、暇も持ちあわせている
そんなパードリックがコルムから「お前は退屈だ、嫌いになった」と急に絶交宣言をくらうが腑に落ちない
自分に落ち度がないと思うから反論する
大切なロバがコルムの指のせいで死んでしまうと、深まる傷がさらに承認欲求を強固にする
コルムの家を焼き払ってでも恨みを示すのだが、事前に犬は避難させるように忠告を欠かさなかった良心の不思議
コルムは自らの約束通り次々指を切り落とす本気度をみせつけパードリックと離れたがる
しかし、何故かパードリックの窮地に居合わせると躊躇なく手をさしのべる
おそらく自然にみせる彼の人間性で、別れたい相手なのに見放しきれないのだ
加えて、何度かパードリックに〝おあいこ〟だと言う
このボールを受け取れば争いはおわると彼にチャンスを渡しているのだ
だが、パードリックはもはや抑制できず、そのボールを除けたりひどく投げ返したりする
ここには、屈辱感が強いほど自尊心を刺激することと相手(彼にとってのコルム)がどれほど大切な存在だったかという真実が出る
不条理なできごとに面した人間の複雑な感情と行動が皮肉なほど裏腹で滑稽だ
渦中を囲む人たちの反応も興味深かった
行動的で聡明なパードリックの妹シボーンは2人のヒートアップに呆れながらも事態の収拾を考え協力していた
だが、いつまでも一方通行で折り合おうとしない兄達
これを引き金に、噂という刺激を求めて湧く狭い近所付き合いにも耐えかね島を出る
自分軸で生きるために居場所を変える選択をした彼女にとって、すべては過去の世界
俺の飯は?俺はどうなる?と最後まで言ってた兄が見送る岸壁がためらいなく遠ざかる
風にふかれる船上の表情はさわやかだ
〝他人が絡みあう人生だけど
自分を生きるのは自分しかいないのよ。前からあなたたちに付き合っている時間はないと思ってたけど踏ん切りがついたわ。〟
そんなふうにふっきれた胸のうちが聞こえるかのようだった
しかし、そんな彼女も後に兄に快適になった近況を知らせ、最後に兄さんもこっちへ来れば?と綴る
彼女もまた見放さない人間性をみせるのだ
時間への思いなど遠の昔に通りこえてきたような老婆ミセス・マコーミックはどうか
そう、やはり既にそのステージにはおらず、だ
深く遠くをのぞく眼光で島の人々の一挙一動を常に眺め、ところどころに現れて無言でたたずむ
そして時折、近寄りぼそっと発する予知的な警告
的中してしまった二つの死の予言は、ロバとドミニクも〝絶交〟事件を発端にした被害者だと暗に語る
ロバは投げられた血みどろの指を喉につまらせ死んでしまった
ドミニクはみんなにバカにされていたが嫌がらず話をしてくれるシボーンに失恋後、彼女の離島を知り滅入ったに違いないし、騒動の最中、父からの虐待について告げ口したことがばれ、よりひどい仕打ちをされただろう
希望も涙も枯れた彼の死は闇に葬られたわけだ
ミセス・マコーミックは、まるで自然災害が発生する前の兆しと同じ気配を漂わせて
〝予兆を見逃すな。警告を軽んじるな。〟と訴えている
彼女の生きる精霊と化したオーラは、アイルランドの精霊バンシーと時空を越えつながっているかのよう…
自分のことだけに夢中になり俯瞰しなくなることの恐ろしさを伝授するための存在におもえるのだ
そして、登場人物に若者やこどもがほとんど出てこないこと、男女比などの違和感がある
それは不自然な操作がまかりとおる地上のアンバランスさの象徴のようにもみえ、権力の乱用(警官は息子を虐待し、違法に酒を取得し、気に入らない相手に暴力で対応する。死刑の仕事に立ち会うのは手当がよいからで、楽しみにしているという。)(船でわざわざやってくる神父は島民に丁寧に扱われ、ご機嫌麗しく、時々良心にさいなまれ懺悔に来る真面目なコルムにカチンとくれば我をわすれて罵声をあげまくる。)は、差別や支配を優位性の中毒症状のごとくやめられない人間の愚かさを言いたかったのではないか
馬やロバ、犬…戦争をしない人間以外の動物は与えられた境遇のなかで立場を全うする
どんな感情にもまっすぐ寄り添うあの子たちと亡くなったドミニクの純粋さはどこかが似ていた
劇伴のケルト音楽は、そんな魂たちを讃え鎮めさせ、風にのり草の海を駆け巡らせる
共有って?
自由って?
他者の考えを認めるって?
自分を主張するって?
他に求めすぎるね
みんなちがうのに
尊重するってことを
ずいぶん難しくしちゃうよね
人間たちって
だから距離がわからくなるんだね
おじさんもさ、ダーンダーンのあの時
〝せいぜいがんばれ なんの戦いかしらんが。〟みたいに
いってたよねー
うん、あのおじさんもがんばって
ゆびをなくしちゃったねー
なんのたたかいかしらんけどね
動物たちはいがみあう人間をみて井戸端会議をひらきこんな話をしていたかもね
そしてもっと妄想すると、作者は相も変わらず繰り返し混迷するこの世に生きる〝私〟という人間を構成するいろいろな断片を、この別れに関係したキャラクターに投影し問いかけたかったのではないだろうか
そう考えると、自分のなかにも否定はできない覚えのある要素がひとつ、ふたつ…いやみっつ…
美しくて長いダークなおとぎ話をそっと閉じたあと、最後のふたつの言葉が胸にのこる
そして、じんわりじんわりなにかが押しよせる後味がたっぷりな個性極まる逸品だ
修正済み
人間は2つのタイプに分けられるのだ
主人公(コリン・ファレル)は友人(ブレンダン・グリーソン)から突然、絶縁を告げられる。
絶縁される理由が思い当たらない主人公は、関係改善を図るけど、友人は頑なに拒否。当惑しシツコク付きまとう主人公に嫌気が差した友人は「これ以上関わろうとするなら、俺の指を切り取す」と宣言する。
友人はだいぶ年上で、残り少ない時間をバイオリンを弾き作曲をして日々を過ごしたいと思っている。一方、主人公は”ロバの糞の話”をして楽しい時間を過ごすことが人生だと思っている。
人間は行動を起こすときに「誰とやろう?と思うタイプ」と「何をやろう?と考えるタイプ」の2タイプに分けられると思っているのだけど、主人公は前者で友人は後者のタイプなので分かり合えるのはなかなかに難しいね。
俺自身は後者のタイプかな。指までは切り落とさないけどね。
深く考えない
もしかしたら深いいい?話なのかもしれないが…すみません、深く考えられなかった。
突然絶交ってね。
ありえない。
意味わからない。
そりゃショックだし、原因を突き詰めたくなるのは当然でしょう。
パードリック良い人なのにかわいそう。
と、ずっと思いながら見てしまった。
アイルランド好き。景色とか、閉鎖的な島の暮らしも。
バリー・コーガン何をやらせても光る。この人目当てで観たというのもあるけど。
深く考えずに見ると睡魔に襲われそうになる展開。
しかし、ちょろっと働いてあとはひたすらパブで時間潰し?
閉鎖的だけど、うらやましい生き方ではあるな。
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