「「奴は退屈だ・・・」」イニシェリン島の精霊 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「奴は退屈だ・・・」
かなり変わったプロット作品だが、アイルランド問題を綺麗に比喩しつつしかもケルトの寓話性を高めるために巫女的な老婆を配する事も、物語の解釈の幅を拡げる意味で不可欠であろう
勿論、国同士の戦争と、個人の諍いは単純に比較は出来ないが、どちらも人間が引き起す"愚"であるが故、その滑稽さはヒシヒシと伝わる演出である
今作の特質すべき点は、閉じ込められたコミュニティ内での不自由さでの解決策は絶望的に困難を極めると言うこと 簡単(勿論、愛する肉親との別れを天秤に掛ける重い決断であったが)にそのコミュニティから出ていけば物事は解決するのだが、新天地での生活に対する想像が思いつかない人種だって存在する プライバシーが全て筒抜け(勝手に人の通信物を覗き見る港の万屋)等々、主人公も含めてのデリカシーの無さや無神経さから蓄積される抑圧は、丸で蛸壺で煮染められた様で、この地獄から一刻も早く逃げ出したいと願うのは、鑑賞最初の印象である フィドル奏者はそれを"絶縁"という形で表現したのも同様である さて、逆側からすれば、その蛸壺の居心地良さ(同化)故の以心伝心に、そのぬるま湯が原因での他者への思いやりや立場に立ったイマジネーションの著しい減退に気付けない程の旧態然の人間である バージョンアップが出来ないならば闘うしかない、かくして主人公のラストの顔つきは前半の戸惑いとは真逆の決意に満ちた戦闘の顔つきそのものである 相手の意図を想像し、そして尊重する 人類がバージョンアップ可能かどうかを問われる課題をプレゼンスした作品であった どちらかが死ぬまで争いが続く・・・こんな世界に未来など無い・・・
いぱねまさん、コメントありがとうございます。そうですね、指切りは比喩ですね。切ってすぐに若者たちとパブで音楽を楽しむって有り得ないですね。演劇の観客の共犯性、すごくよくわかります。それが重く、終演後の空虚さというか、おつきあいでつきあわされていた感が半端ないので映画の方がいいな、自由だなと思うように鳴りました。歌舞伎と文楽ではそういうこと感じないんですが。
でも私はコルムになれない。相手が話しかけてきたら自分の指を切ることはどうしてもできない。そう考えると、痛い思いをしてもあいつなしの自分の残り少ない時間を本当に渇望しているか、或いは優しい人なのかも知れない
とりあえず昔から付き合っているけど、なんでそういう言動するのかわからない、なんか表層的だなあ、視野が物凄く狭いなあ、嫌いだ、そいつ!っていう人が私にもいたことに最近気がついた!
お邪魔します。
知的レビューで、難しくて理解できたかは、正直分かりませんが、
強く惹かれました。
納得がいくというか・・
確かにラストのコリン・ファレルの表情は戦いに向かう兵士のように引き締まっていました。
もう誰も退屈な男と彼を呼ばないでしょう。
寝た子を起こしたようなコルムの行動。
これが戦争の引き金を引く・・・事でしょうか?
とても深い映画でした。
いぱねまさん、コメントありがとうございます。
私にとって〝あなたはいい人〟というのは、箸にも棒にもかからない、とか、毒にも薬にもならない、なんて聞こえることがありました。