「「いい人」が隠している凡庸な悪」イニシェリン島の精霊 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
「いい人」が隠している凡庸な悪
1923年のアイルランドの小さな孤島を舞台にした話。島民が数十人くらい(?)で閉鎖的で、終始陰鬱な雰囲気がただよっている。
100年前のアイルランドの田舎の生活の様子が見れるだけで、この映画観て良かったなーって思う。自然や景色は美しいのだけど、それだけで、ほんとに何もない。映画館はもちろん、テレビもラジオも雑誌も新聞も何もかもない。警官は絞首刑が見られるのが楽しみだとか言ってる。唯一の娯楽と言えば島に一軒しかないパブだけで、読書してるだけでインテリといわれる。そんな島。
人々は暇を持て余していて、退屈で怠惰な日々を送っている。この映画で唯一まともそうな人物が主人公パードリックの妹。妹以外はみんなどこかおかしい。
この島の陰鬱な閉塞感て、たとえば「家庭」「学校」「会社」などの限定された人間関係から逃れられない閉塞感を普遍的にあらわしているような気がしてならない。
妹は最終的に島を出る決心をして、主人公(兄)にも早く島を出るようにすすめるのだけど、主人公は「島を出ることはできない」と考える。閉塞的な環境がいろいろな悪いことの元凶だとしても、自分のいる場所を出ることを想像すらできず、ここで生きていくしかない、と思い込んでしまう、というのはすごくありがちだと思う。
妹は本を読んでいたから、この島以外の選択肢を考えることができた。知識や教育といったものの本当の価値はこういうところにあるのだと思う。世界が自分の周囲だけで完結してしまっていて、その外の世界を想像することができず、選択肢があることに気づけなかったり、気づいてもそれを選ぶことが心理的にできない。
主人公は長年の友人コルムから突然「お前が嫌いになった」と絶交され、そこから泥沼の人間関係が展開されていく。おそらくこれはアイルランドの内戦の暗喩なのだろうけど、それだけでは解釈しきれないような謎がいろいろある。この映画は、テーマだとかメッセージが分かりやすく示されていない。ハッピーエンドなのか、アンハッピーエンドなのかすら分からない。この抽象画のようなストーリーをどう解釈するのかは観客にゆだねられている。
僕はこの映画は、「いい人」と評価されている人の「凡庸な悪」を暴く話ではないか、と思った。主人公は、「自分はいい人だ」ということを唯一のほこりにしている。でも僕は「いい人」って誉め言葉なのか?って常々思っている。「あの人いい人だけどね」というとき、それって「いい人」であることしか取り柄が無い、という意味じゃないだろうか。
コルムに「お前の話は退屈で無意味で時間を無駄にしている」「俺は残り少ない人生を作曲に専念したい」と言われても、主人公は自分のそれまでを顧みることをせず、相手の意思を尊重するわけでもなく、「自分は悪くない」という感情しかもてない。
主人公はコルムと自分は親友だ、と思っているが、コルムがほかの人と作曲やら演奏やら何か生産的な活動をしているとき、苦々しい感情しか持てない。主人公の人間関係の見方というのは非常に単純(幼児的)で、要は「相手からの自分への好意」にしか関心が無く、相手の成功だとか成長だとか目標だとか幸せには興味がない。
そして、主人公の「いい人」の正体が徐々に明らかになってくる。このへん、ホラー的な不気味さがある。コルムの仲間の音楽家に「お前の父親が死んだ」とウソを言って島から追い返してしまったり、そのことに全く罪悪感を感じていないことから、実は主人公は「いい人」なのではなく、「いい人」と思われたいだけの人なのだ、ということが徐々に示される。
自分の中に善悪の基準があって善いことをしているわけではなく、他人からの評価だけを基準にして自分の行動を決めているのだとしたら、同じ行動をしていたとしても中身は全く違う。主人公がやたら島民からの評価を気にしていることもそれを裏付ける。
主人公の異常さがはっきりするのが、コルムの家に火をつけたとき、家の中にコルムがいるのを確認し、確認したのにそのまま立ち去ったシーンだ。主人公は、おそらくはじめは、コルムを殺そうとは思っていなかった。でも、家の中にコルムを確認したとき、「死んでもいいや」と思ったのだ。
主人公にとっては、「自分を好きなコルム」だけに価値があるのであって、そこまで自分を嫌いだというコルムは死んでもかまわない、と思ったのだろう。ロバを溺愛していたり、コルムの犬を殺せなかった理由も、ロバや犬は自分を好いてくれる価値ある存在だからだろう(この映画とは関係ないけど、ペットを飼う目的や、恋人を作る目的は、自分を好いてくれる存在を側に置きたいから、という理由が大きい気がする)。
ドミニクの死体が上がるシーンは、この映画のストーリーの中で明らかに蛇足であって、謎展開の1つだけど、この映画が主人公のサイコパスを暴く話なのだとしたら、合点がいく。ドミニクは主人公が「いい人」でないことを悟ってしまった。それで、主人公は自分を「いい人」ではない、と考えるドミニクに価値がなくなり、崖から突き落としたのだろう。これは、警官に対する報復でもある。
そして最後、コルムが生きていたことを知った主人公とコルムとの会話。あくまで関係を断とうとするコルムに対して、主人公は、憎しみという形でも関係をもち続けようとする。
閉鎖的な環境が長く続くと、発展や成長に興味がない人間は、自分でそうと自覚のないまま、とことん堕落していく、その醜悪さをこの映画は描こうとしたんではないか…? 知らんけど。