「価値観の違う人」イニシェリン島の精霊 ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
価値観の違う人
そもそもパードリックとコルムは合わない。人生の価値観が圧倒的に合わない。だけど、生まれた場所で固定化されている人間関係は、付き合う相手を選ぶ事ができないし、途中で付き合いをやめることも難しい。日本でも過去には八つ墓村的な事件が「ムラ」単位で沢山あったんだろうなあ。
そんな「ムラ」に漂う閉塞感から自分を救ってくれるのが、芸術だとしたら?虚しい人生から救ってくれるのが、芸術だとしたら?コルムは単に芸術に人生の救いを求めただけなのではないでしょうか。コルムのパードリックへの態度は極端ではありますが、「嫌いになった」なんて恋愛関係では当たり前の事ですよね。しかし、パードリックにはそれが理解できる視野も教養も感性も経験もありませんでした。もし、パードリックが違う世界や違う人を少しでも知っていたら、こっぴどく女性に振られたことがあったなら、もっと違う結果になっていたでしょう。
宮台真司氏が「定住化は人類にストレスを与えた。祭りは定住化が始まってから(抑圧を取り除くものとして)始まった」みたいなことを話していましたが、パードリックも村人もまさしく「ムラ」にとどまりつまらない話題に勤しんできました。定住(ムラ)がつまらない人間を量産したならば、つまらない日常は人類にとって普遍的なものです。つまらない日常を少しだけ楽しく過ごすには、芸術かはたまた争いか。
パードリックとコルムを巡って、ストーリーは徐々にエスカレートしていきますが、これが喧嘩を超えた暴力になった時に、私達はあることに気づかされます。この暴力は、今でも世界中で起こっている争いと同じだということを。1923年のアイルランド紛争も2023年のウクライナも全く同じではないかと。紛争や戦争はもっともらしい理由がつけられて正当化されますが、冷静に考えるととても馬鹿馬鹿しいことなのではないかと。
本作はパードリックを通じて、価値観の違う人や意見の違う人に対する不寛容さを表しているように感じました。その不寛容さは、無知や疎外感からくるものであり、時に大量に人を殺します。
しかし、パードリックの様な人間がいるのも事実です。パードリックは、他者に対して暴力を振るっていましたが、コルムは自らの指を切るだけで、他者へ暴力は振いませんでしたし、暴力に対しては常に否定的でした。このコルムの態度は、暴力に対するクリエイティブ側からのひとつの答えだと思います。
地球がイニシェリン島だとしたら?
マーティン・マクドナーの脚本は、キャラクターの作り込みとか暗喩とか、本当に素晴らしくて、これぞ映画だと思いました。彼は「スリー・ビルボード」でも憎しみの連鎖の描き方が秀逸でしたが、今作でもかなり奥深い考えさせられる憎しみの表現でした。
こんばんは。
「世界中で起こっている戦いと同じではないか」
コルムとパードリックを媒介して、戦争、不寛容、憎しみ、拒絶・・・
奥深くて、この映画の虜になりました。
憎しみ・・・コルムの拒絶のきっかけはなんだったのでしょう?
ミカさんのレビューが心に沁みました。
この映画を見て以来、ずっと、コルムさんの気持ちはわからないと思っていました。しかし、近頃、自分に残された時間のことを考えて、コルムさんのような考え方もあってもよいのではと思うようになりました。
返信ありがとうございました。ムラ社会は経験しないと、シロウト的にはわかりにくいですし、不寛容は深刻な問題で、まさに好き嫌い二分する作品でした。ありがとうございました😊