ボーンズ アンド オールのレビュー・感想・評価
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骨まで丸ごと
当サイトの新作映画評論の枠に寄稿したので、ここでは補足的なことがらをいくつか書いてみたい。 まずタイトルの「ボーンズ アンド オール」は、直訳すると「骨とすべて」だけれど、マレンとリーが滝のある水場で過ごした後に出会う二人の男たちから語られるように、人の肉だけでなく骨まで全部食べることであり、それは至高の体験なのだという。 評論のほうで宗教とのつながりと、キリストの血と肉について言及したが、キリスト教で骨と肉に関して思い浮かぶのは、アダムの肋骨からイヴが創られたという聖書の記述。体の一部が愛する人になったという話と、愛する人の骨まで食べて一体になるというのは、対をなしているか、または循環しているようにも思われる。 「食べちゃいたいくらいにかわいい」という表現もある。人肉食は言うまでもなくはるか昔から忌避されてきたタブーなのだが、まだ文明人になりきらない進化の途上で、共食いは時々起きていたのかもしれないし、「イーター」と呼ばれる種族はそんな遠い昔に枝分かれした人種的なマイノリティーだ、なんて妄想する人がいてもいい。 それにしても、マーク・ライランスが演じるサリーを筆頭に、本作の大人たちは大抵どこか恐くて、同時に哀しい。それがまた、若い恋人たちとのコントラストとして効いている。
ジャンルの枠に収まらないグァダニーノの最新作
1980年代後半のアメリカ中西部を、お互いが食人族と分かった若いカップル、マレンとリーが旅していく。旅の目的は幼い頃マレンを捨てた母親を探すこと。2人は旅の途中で恋に落ちる。果たして、彼らの行手に何が待っているのだろうか。 人喰いシーンは想像以上にリアルで、並のスプラッタ映画の比ではない。でも、それをカバーして余りあるのは、ラブロマンスとしての濃度だ。人肉を栄養にしてきたマレンとリーに訪れる衝撃の結末を含めて、これはむしろ、愛と欲望についての映画だと言える。 これまでも、ジャンル映画の枠をぶち壊してきたルカ・グァダニーノが、セクシュアリティの違いを超えた友情、または愛情の可能性を追求したTVドラマ『僕らのままで』にも勝るセンセーショナルな新作が、これ。もはやジャンル分けは不可能だし、グァダニーノがアメリカ映画進出第1作として本作を選んだのは、ある意味挑戦状だったのかも知れない。 ガリガリに痩せた美しい人喰いの青年、リーに扮したティモシー・シャラメが、監督の企みに喜んで協力しているように見える。ハリウッドアイドルの有り様は確実に変化している。
人肉食だからって、獣みたいにならなくったってw
みんな顎が強くて歯が丈夫なんだな 生肉食いちぎるって牙持ってる肉食動物じゃないと無理だからね 社会的マイノリティーの孤独を描いたのは分かるんだけど、人を食べる描写にリアリティが無さすぎた 役者がいい芝居してただけに残念
激しい恋の物語
この作品の食人衝動は、本能的な頭で考えるような理屈ではない。そうせざるを得ないといった感じだ。 それは、あるところで恋愛と似ている。 恋せずにはいられない。とか、そういった恋愛衝動(恋愛は普遍的すぎて衝動とは言わないけれど)を食人という形で表現した異質ロマンスものなのだ。 どうしてもホラーとかサスペンスにカテゴリされてしまう作品だろうが、食人行為を求愛や恋心に置き換えて見ることもできる。 恋愛には相手が必要だ。食人にも相手が必要である。 計画的に相手を選ぶ者。衝動的に相手を選ぶ者。好みもある。その突き詰めたところが「骨ごと全て」なのだ。 先日観た「愛がなんだ」という映画で、主人公の女性は恋する相手に「なりたい」と言っていた。「なりたい」は少々行き過ぎにしても、相手の全てを欲するというのは普通の範疇だろう。 あなたの「骨ごと全て」欲しい。私の「骨ごと全て」受け入れて欲しい。どちらも激しい恋愛の衝動としては普通の範疇である。 つまり、激しい恋の物語だったのだが、その表現方法ね、これが奇抜。 それをやってのけてしまうルカ・グァダニーノ監督は、初めて観たけれど結構ヤバい人なのではないかと思う。
直視しにくい
生きるために命をいただくのは自然の摂理と思っているのに、カニバリズムは容認できないのは何故なのか。先の短い老婆はギリギリよくて、妻子ある男だとアウト!主人公マレン(テイラー・ラッセル)の矛盾した葛藤は、違う形で自分にも在る様な気がしましたが、如何せん、なかなか直視しにくい題材ですね。ホラーテイストでありながら究極の愛を描いているところは、「ぼくのエリ 200歳の少女」(08)に似ているような気がしましたが、個人的な好みは真逆でした。自分でもよくわからないですね…(汗;)。
惜しい、惜し過ぎる!!
あとほんの少し【逆転反転2回転捻り】すれば切ないラブストーリーに、 なっただろうか? 惜しい、ティモシー・シャラメに《カンニバル》の冒険をさせながら、 この仕上がりでは残念だと思う。 それにしても「君の名前で僕を呼んで」の監督、ルカ・グァダニーノと 2度目のタッグを組んだ本作。 誰が観たい映画だろう? 「カンニバル」に生まれた宿命の男女。 悩む姿も愛し合う姿も、真に迫らない。 Heartが熱くならない・・・体温が低いままだ。 ちょっとした工夫、細部の描写によってカンニバルに生まれた男(女)の苦悩が、 浮き彫りになるシーンが欲しい。 マレン役のテイラー・ラッセル。 若く見えるので10代かと思ったら29歳。 リー役のティモシー・シャラメ(27歳)より年上とは!? 人肉喰い=カンニバルというタブーを演じさせるなら、監督も出演者も 覚悟を決めなくちゃ。 生半可な気持ちで取り組めるテーマではない。 【至高の愛】を描きそれを観るものに納得させる力技。 それが必要だ。 大体になぜ今頃シャラメにカンニバルを演じさせる必然があるのか? 人肉を食べたい、 人肉を食べずにはいられない、 そこにはロマンのカケラもない。 カンニバルのカップルのどこに切なさを見出せはいいのか? 【ロードムービー】のスタイルをとっている。 そこは効果を上げていた。 リーと恋人のマレンがいつも小綺麗な洋服に着替えていて、 お金やお風呂はどうしたの? と疑問でもあった。
何この映画!スゴイいいじゃん
へんな要素の入った純愛映画が好きなんです。そのストーリーが完璧ながら、人肉食のほうもしっかり描いてて、サリーもしっかり不気味で気持ち悪くて、非の打ち所がない!お母さんがクロエ・セヴィニーなのもうれしい!使い方も分かってらっしゃる。ルカ・グァダニーノ天才だな。
初めて体感した「純愛ホラー」という作品世界
【鑑賞のきっかけ】 劇場公開時には注目していませんでしたが、最近動画配信が始まった作品の中でも注目を集めていることを知ったことと、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞していることに気づき、鑑賞してみることにしました。 【率直な感想】 <これまでにないジャンルの物語> 私が視聴している動画配信では、本作品の紹介中、ジャンルとして「ホラー・ロマンス・エキサイティング・緊迫」と書いてあるのです。 人を食べたいという欲求を抱いた人物を描いた作品なので、「ホラー」というのは何となく分かるけど、「ロマンス」とは一体? 公式ホームページでは、「誰も見たことのない純愛ホラー、誕生」とあります。 「純愛ホラー」ならば、確かに見たことのない作品です。 そして──その宣伝文句に偽りはありませんでした。 ただ、「ホラー」とは言っても、恐怖をかき立てるような描写は殆どなく、使用されている音楽も、どちらかというと美しい音色のものでした。 「人を食べたい」という特殊な欲求を持った人たちの「恋愛」を描いた作品ということで、メインテーマは、「恋愛」のような気がしています。 <ロードムービーとして> 他のレビュアーさんも指摘していることですが、本作品は、ロードムービーでもあります。 少女マリンは、人を食べたいという欲求に悩んでいたところ、離れた土地に、母親がいるらしいと気づき、母親探しの旅に出ます。 そこで、同じ欲求をもつ青年リーと出会い、旅を続けていく…。 本作品では、冒頭、マリンの住む街を映し出す際に、「VA」というアルファベット2文字が大きく表示されます。 何これ?と思った瞬間に、「バージニア州」の字幕が。 そして、彼女が旅立ち、新しい土地に到着するたびに、アルファベット2文字が登場し、「○○州」という字幕が出ます。 ずっと気づかずにいたのですが、アメリカの各州は、アルファベット2文字の略称があるのだそうです。 確かに、ニューヨーク州は、しばしば「NY」と表記されていたりします。 でも、全州に略称があるとは知らなかったです。 蛇足ですが、途中「KY」と表示された際、思わず「空気読めない」と頭に浮かんできてしまい、「ケンタッキー州」と字幕が出た瞬間、「そうか」と妙に納得していまいました。 【全体評価】 人を食べたいという欲求に悩む主人公が、同じ悩みを持つ青年と知り合い、恋に落ちていく物語。 「純愛ホラー」という誰も見たことのない作品世界に、強い感銘を受けた作品でした。
10代の自分だったら星5だったかもな。 ティーンエイジャーをターゲ...
10代の自分だったら星5だったかもな。 ティーンエイジャーをターゲットにしてあるのかな。 映画の雰囲気とかティモシー・シャラメとか良かった。また妹が良くて妹役の女優さんもいい配役だと思う。しかしながら浅いと言うか薄っぺらいといかそう感じてしまう部分がある。 舞台が80年代でなければ成り立たないお話。監視カメラもネットもない時代じゃなきゃとっくに大変なことになってると思う。 骨とか大腸とかどうやって.....
理性か、本能か?
タイトルは<骨ごとまるまる>っていう意味。すごすぎないか! あらすじを読んだ時は、グロいので観なくていいと思った。でも、評価は高いし、ベネチア映画祭で、最優秀監督賞と新人俳優賞を受賞している。しかも、監督は「君の名前で僕を呼んで」を撮った人だ。だから、観てみることにした。確かに、グロいシーンは多いが、言ってみれば主人公マレンの自分探しのロード・ムービーだった。まずキッカケは、自分が何者であるかを確かめるため、会ったことのない母親に会いに行く。途中で、何故か同族のいろいろな人たちと出会う。その過程で、彼女は自分がどう生きていきたいかを考えるようになる。でも、疑問に思ったことが三点ある。一点は、同族の人に出会い過ぎること。あんなに多かったら、怖くて町も歩けやしない。二点目は、よくお金が持つなぁということ。盗み歩いていたけど、働きもしないで、よくお金が足りるなぁと思った。三点目は、警察が追いかけて来ないこと。まぁ、アメリカは州ごとに警察も違うそうなので、FBI でも出動しないと無理かもしれないが、危機感が皆無だった。この作品は一種の寓話だから、リアリティを追求するのは野暮かもしれない。やっと平穏な毎日を送れるようになったかと思いきや、そうはさせてもらえない。彼女は今後どう生きていくのだろうか? やっぱり同じ場所に定住は無理で、流れて生きて行くしかないのだろうか… マレンを演じたテイラーは知的な雰囲気があり、自分の運命を受け入れてどうしようかと悩む姿がなかなかよかった。これからが楽しみだ。
ホラーでは無い青春ロードムービー⁇
主人公の2人が、すごく美しく繊細に表現されていて、 人肉を食うなんてえ〜! カニバリズムを題材にした映画は、RAW、ガーゴイルなど他様々ありますが、この映画の面白いと思わされるのは、匂いで仲間が分かるんかい👀 途中に、おじいちゃんがストーカーするのがホラー要素でしたね😱 まぁ、衝動的に人肉を食うなんて、ましてや骨まで食べるんかいと思わされる映画でした🫣 複雑で切なくなる気持ちになりましたね。
世界との断絶と救い
孤独とそれが救われていく過程を美しいショットで丁寧に切り取り、繋ぎ、映画にしていく、素晴らしい作品だった。 色々な解釈ができるであろう設定と演じる二人の美しさ、ショットの美しさ、カメラの動きと編集テンポがどれも素晴らしかった。 我々は孤独だ、だがそれを共有はできるのだ、と前作から連なる強い意志も感じる。
骨まで愛して
RAW少女のめざめ(2018)やぼくのエリ(2008)を思わせる。 世間から隠れ、人と違う体質に葛藤している。 人食はしたいが非道はしたくない。 とてもそういうものを描いているとは思えない語り口でもっていく。 同情しにくいが人食をとったら自分探しのロードムービーになっていた。 マレン役テイラーラッセルはジェナオルテガに似ていた。 サリー(ライランス)やリー(シャラメ)と道連れになったり離反したり、人食と自分の出自に納得のいく答えを見つけようとする。 思春期らしく乱れる心象が描かれ、なぜこれが食人ネタのホラーになっているのか不可解なほどの逃避と恋愛と青春のドラマになっている。 ふたりの無頓着な気配がいちばんの魅力。着のみ着のままであちこちを巡る。からだが訴えるフリーダム。適当な服装とぼさぼさの髪とシャラメのだらしない英語。New Orderがかかって眺望がひらける。謳歌される若さ。 さすがルカグァダニーノだと思った。 とはいえ食人と青春はアンバランスだった。 が、ラストでようやく腑に落ちた。 なるほど「骨まで愛して」と言いたいために恋愛を描いたのか、と。 まったく気づかなかったがこれは城卓矢の1966年のヒット曲「骨まで愛して」を映像化したものだった。 すなわち、愛する彼氏をフルボーンズしちまった少女の悲哀の物語。 愛しているからあなたを食べる──という究極を描いていることでRAWやぼくのエリというより大島渚の愛のコリーダに近い映画になっている。 ──と考えたら笑うところじゃないのだがなんか笑えた。サスペリアもそうだがグァダニーノの何がすごいって与太話を壮大に語ってしまうところじゃなかろうかw。
思春期とカニバリズム
思春期とカニバリズムを合わせて描いた作品として、近年の「RAW少女のめざめ」と少し比較して観てしまったのだけど (以下RAWの内容に触れるので注意してください) 両者とも、食人の衝動を血筋や遺伝的な継承があるように暗示されてるんだけどRAWはそのあたりがめちゃくちゃ上手くて(一人に焦点を当て切っているのもあるかもしれない)。遺伝的するとゆうことに納得度があったけど、ボーンアンドオールは、いまいち納得ができない部分があったり、食人が食欲なのか愛情の衝動と関連してるのか、何故同族は食べてはいけないのか(それが彼らの論理なのか、本能なのかみないなことが分からない)カニバリズムを扱ってるのに 何となくそのあたりがフワフワしてるのが気になる。 吸血鬼ものなのに、性質の設定があやふやだとなんか嫌だなってゆう感じに似てる。 遺伝することに感しての納得度が得られないのは、親子感の確執のメタファーとして食人を描いてる様に見えてたり 思春期もので、ロードムービーで、食人もあって、親子や家族の確執もあってなどなど盛り込み過ぎた結果、物語の強度が低い感じに仕上がってしまっている印象。 サリーの存在も少し意味わからなかったな、狂人的ピエロの様な存在なのは分かるし、行動に論理的な説明ができない人物として描かれてるんだろうけど話を無理矢理進める為に無理矢理いる存在のように見えて、何だかなとゆう感じ。だから落ちもね、なんだかな〜って感じ。 文字通り"骨まで愛して"のロマンチックな感じにしたかったんだろうなぁみたいな感想。 君の名前で〜のときも思ったがこの監督は 物語より気持ちいい決め絵や、空気感でいい感じに観せるのが上手くて 結果中身がやや薄くみえる作風なのかもと思う。 主人公のテイラー・ラッセルさんの世界に納得してない様な目や、少女と大人の間のような素朴なたたずいや、服のスタイリングと 80年代の様なノスタルジーのある風景が良かった。 シャラメもセクシー。
美しいぞ、これは。
なんだろう、ちょっと不思議な気分。 人肉を食べる種族がフツーにいて、 その人たちの恋愛事情を垣間見た感じかなー。 だから、人肉を食べるという非日常な行為が二の次三の次ぐらいになってて、 ストーカーやその種族の生き辛さの問題や… 最初はウゲッて思ったのに、いつの間にか受け入れてた...。 とにもかくにも、純愛の二人が美しい...。 それにしても、ティモシーから目が離せん。
俳優も雰囲気も悪くないのに、色々と残念
原作既読した者としての感想。 予告編の絵面や雰囲気、俳優は、原作の魅力をいい感じで体現してくれていそうだと期待したんだけど。観終わって残ったのは残念感のほうが強かった… 普通の人間の中に、なぜか生まれてしまうイーター=人喰いという忌まわしい存在。その人喰いである少女マレンが主人公だけれど、本作は、マレンと、同じく人喰いの少年の恋を中心に描いたが故に、恋愛ものとしてもホラー?としてもどっちつかずになったように思う。 原作は、マレンが人喰いであるため実の母(映画ではなぜか父に変換されてる)にも疎まれて見捨てられ、ひとりで生きていかざるを得なくなる。その設定は映画でも変わらないが、何が違うといって、マレンが人を食べるのは、自分に対し好意や愛情を寄せてくれて、かつ、自分もその人に惹かれた相手に限られる、という重要な設定が映画では失われている。つまり、自分が誰かを好きになればきっと人喰いの衝動を抑えきれず殺してしまうから、マレンは人と親密な関係が築けない。この上ない孤独を抱えてしか生きられない少女なのだ。 その彼女が、人喰いの少年と出会って惹かれあい、いったんは別れてもまた二人でいることを選んだ時に起きる出来事が、マレンの生き方を定める。つまり原作は恋物語ではなく、マレンの辛い成長と自立の物語なわけで。美しくも哀しく、恐ろしい捕食者として歩き出すマレンを、映画でも描いてほしかったなあ。そうすれば、少年リーを演じるティモシー・シャラメの繊細な美貌は、マレンへの供物としていっそう輝いただろうに。 原作と映画は別もの、とわかってはいても、やっぱり残念なものは残念だし、たとえ違うものになるとしても、違う魅力を見せてほしいと思うのですよ。
人を喰って愛を貫く二人
人喰い族というホラー映画然とした要素が売りの作品であるが、本作はただそれだけの作品ではないように思う。そこにはマイノリティの苦悩が隠されているような気がした。 マレンやリーのカニバリズムの衝動がどこから来るものなのか。それは映画を観終わっても良く分からなかった。ただ、遺伝が関係していることは明確に示唆されており、そこには抑圧されながら生きる被差別民の姿が投影されているような気がする。 また、食人の衝動はここでは恋愛の衝動に似た意味で語られているような気がした。 例えば、それは同族を匂いで感知するという彼らに特有の本能からもよく分かる。これはオスとメスが放つ”フェロモン”に近い生理的現象なのかもしれない。 また、彼らは生きていくために我々と同じように普通に食事をするが、人肉を喰うと特別な興奮と快感が得られるということだ。これはセックスの快感に割と近いものなのかもしれない。 こうしたことを併せ考えると、マレンとリーが惹かれあっていく今回の物語には”性的少数者”の苦悩が何となく透けて見えてくる。 人種差別やLGBTQ等、本作は深読みしようとすればいくらでもできる作品であり、単にホラー映画という外見だけで捉えてしまうには惜しい作品のように思う。物語の根底に忍ばされたメッセージを汲み取りながら観ていくと大変歯ごたえが感じられる作品である。 ただ、寓話としては面白く読み解ける作品なのだが、このカニバリズムという設定はやはり余りにもインパクトが大きい。それゆえ、どうしてもその意味については解明を試みたくなる。 しかして、本作はその本質に迫れているか?と言えば、自分はそこまでの深淵さが感じられなかった。どうしてカニバリズムなのか?その真意が読み解けなかった。 本作にはヤングアダルト小説の原作があるようだが(未読)、そちらにはマレンたちが食人になった経緯などは書かれているのだろうか? 監督はルカ・グァダニーノ。展開で首を傾げたくなる個所が幾つかあったのと、マレンの父親が残したカセットテープが余り上手く活用されていないことに不満を持ったが、演出は概ね安定しているように思った。リメイク版「サスペリア」に続き奇しくもホラー付いているが、見せ場となるようなビジュアル・シーンは前作ほどの刺激性はないものの、作品のテーマとしては十分に野心的で先鋭的で、改めてこの監督の独特な作家性には魅力されてしまう。 キャスト陣では、どうしてもリーを演じたティモシー・シャラメに目が行ってしまうが、サブキャラにも魅力的な俳優が揃っている。 特に、マレンが最初に遭遇する同族のサリーを演じたマーク・ライランスは印象に残った。自己の中に人喰いの自分とそうでない自分を抱えた精神分裂症気味な怪演がインパクト大である。 また、マレンたちに骨まで喰う恍惚感を嬉々として語るマイケル・スタールバーグ、マレンの母親を演じたクロエ・セヴィニーも少ない登場ながら印象に残る演技を見せている。
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