TAR ターのレビュー・感想・評価
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クラシック音楽界を舞台とした正統的なピカレスクロマンやサイコスリラーを予期していたら、冒頭から度肝を抜かれる一作
誰もがまず驚かされるのは、冒頭のある仕掛け。驚きつつも、これは通常の作りの作品ではないということを直感的に理解させてくれます。
ケイト・ブランシェット演じるリディア・ターは、その切れの鋭い身体動作があまりにも独特で、ブランシェットは実在のターの動きを緻密に再現したのかと思ってしまいますが、ターは全く架空の人物。それなのにこれだけの存在感を与えるのだから、ブランシェットの演技は恐るべき、としか言いようがありません。
一つひとつの楽曲にも物語的な意味を持たせており、その意図を読み取ることも楽しければ、ただ素晴らしい音楽に身を任せても良いという、映画館で鑑賞した甲斐を実感できる作品です。
予告編から観た本作は、天才だけど冷酷非情なオーケストラ指揮者、ターが権謀術数を巡らせつつそれにはまり込んでいくピカレスクロマン、あるいはターが精神的に追い詰められていくサイコスリラーではないかと予想させるものだったけど、実際の本編は確かにそれらの要素を絶妙に配合しつつも、思ってもみないような展開に観客を誘導する内容となっていました。
本作は一見明確な筋立てのようで実は非常に入り組んだ物語構造をしていて、その仕組みを感じられないと、結末が異様に凡庸に見えたり、意図が掴みづらく呆然となってしまうという類の映画です。そのため、おそらく複数回鑑賞したくなる人も多いのでは、と思います。いわゆる「考察のしがいのある」映画と言って良いと思います。
しかも予告編にあったある場面の顛末など、大真面目にやっているのかふざけているのか分からないような展開もいくつか含まれており、何度か吹き出しそうになるという隙のなさ。
特に超有名なある作品のファンならぜひ最後まで鑑賞してもらいたい一作です。
リンダの末路
特にクラシックファンでもない私には、前半が長く感じられました。
異例の経歴を持つある女性指揮者の栄光と転落がシビアに描かれています。
子どものイジメ相手を恫喝する場面など、こういう手口でのし上がってきたのかな、と思わせる。
シャロンとも欲得ずくでパートナーになったのでは。
後半、音楽業界でなくても、なんで自分じゃなくてアンタがそこにいるのって殴りかかっていく主人公の気持ちは分かるけど、何ていうか痛々しすぎて、スッキリしない。
驚愕のラスト、ターの実家を見たあとでは、リンダは再びここから這い上がっていくのでは、とも感じました。
じわじわと
自分の楽団では独裁者のように振る舞うカリスマ的な指揮者が主人公の映画です。前半はオーケストラの舞台裏などが細かく描写され、クラシック音楽に詳しくないと楽しめない映画かなと思いましたが、さにあらず。後の展開を暗示する要素が随所にちりばめられています。中盤以降はじわじわと不穏な空気が強まっていき、見ているこちらも不安にさせられました。終盤の展開には賛否両論ありそうですが、わたしはこういう映画、大好きです。説明が少なく、見ているうちにちょっとずつわかってくる作りで、情報量の多さに理解が追いつかずもう一度見たいと思わせるのも計算のうえでしょうね。
自分の感性の無さが悲しいです
世間では高評価の本作。ケイトブランシェットの演技は素晴らしかったですが、はっきり言って内容がまったく頭に入ってきませんでした。
他の方のレビュー拝見すると何度もおかわりしている方もいらっしゃったりして、自分のセンスの無さに呆れます。
今年ベスト級。
この映画は言葉についての映画である。
そして現代の時代における言葉の難しさ、危うさを描いた映画でもある。
本作を観賞し始めて驚いたのが圧倒的なセリフの量だ。
それもワンショット、長回しという超絶テクニックをさらりと行なっている。あの量のセリフを頭の中に叩き込んでいるなんて役者はやはりすごい。
今の時代、言葉というものはとても難しい。
SNSで発せられる言葉がその人の全てを表すかのように扱われ、簡単に人は晒され、炎上し、転落してしまう。
本作は物語終盤で音楽とはその音符一つ一つが言葉であり、人の話す"言葉"以上に豊かに感情を表現することが出来るとの引用がある。人の感情とは言葉のみでは表現しきることはできない。それほどに複雑であるということだ。
本作の主人公リディア・ターは複雑な人間だ。彼女と周りの人間との間に実際に何があったのか、どんな感情があったのか、本当のところはわからない。
音楽を"言葉"として考えると、この映画は彼女が言葉を奪われていく話になっている。
そのきっかけとなったのが、SNS世代と言われる若い世代だ。
冒頭のとあるトークショーでは饒舌に語り観客を沸かせる姿が描かれるが、アメリカの名門校ジュリアード音楽院で教鞭を振るう際には、リディアの言葉は生徒らSNS世代には全く通用しない。
だが、彼女はその立場や自分の知識を総動員し生徒を論破し、追い出してしまう。(このシーンはカット割なしのワンショットで撮っておりさらりとすごいことをやっている。)
物語中盤までは、巨匠と言われる彼女のある意味強権的な言葉により思い通りに進むが、SNS世代の逆襲に合っていく後半はホラー映画のような演出になっている。リディアは彼女の知らない言葉、そして"彼ら"の言葉である"SNS"によって追い詰められ、転落していくのだ。
決定的なのがチェリスト オルガとの出会いだ。
明らかにSNS世代である彼女とも会話が噛み合わないし、巨匠を前にしても全く動じない態度を取る彼女の気を惹きたいリディアはオケの反発の中、強権を発動し彼女をソリストに抜擢させる。そして個人レッスン後の彼女を車で送るシーン。彼女が消えていく場所は廃墟のような場所で、明らかに人が住むような場所ではない。リディアが彼女を追っても彼女はおらず、転んで怪我を負ってしまう。これは彼女"SNS世代が住む世界"はリディアが住めるような場所ではないということのメタファーに思える。
ここからリディアの転落が始まっていく。
リディアはベルリンフィルで副指揮に立場を奪われる際も、これは私のスコアだ!と"言葉"を奪われることへ必死に抵抗する。
ベトナムで隠遁生活を始めた際も、マッサージ店を聞いたつもりが風俗店へ連れて行かれ、ここで言葉の通じなさのストレスか嘔吐をする。
そしてラストはまるで若い世代、SNS世代を喜ばせる下僕と化すかのようなオーケストラシーンで幕を閉じる。
何という皮肉のこもったラスト!
とても難解で読解力の求められる映画だが、この巨匠を演じられるのはケイト・ブランシェットしかいないし、長回し、長セリフ、ワンショットなどの超絶テクニックがさらりと出てくるすごい映画。2回、3回と観ることで新たな発見があるでしょう。
リディアが励むベルリンフィルでのマーラー交響曲第5番、引用されるベートーヴェンの交響曲第5番(運命)、そしてベトナムの不思議な世界観の風俗店で指名を待つ女の子の番号は5。そしてラストのモンスターハンターのナンバリングは?
ゾクゾクする伏線、引用のオンパレード。
エンドロールで始まる映画なんて観たことない。
今年ベスト級!!
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クラッシックの映画ではない
マーラー、バーンスタイン、カラヤンとクラッシックベースの言葉が出てきますが、本質は権力、差別、ハラスメントの主題
マエストロの迫力の演技が見せ所か
イジメの相手の子供を、反撃されない弱者を、脅すところなど、とても気持ち悪かった
クラシックの知識なんかなくても…
冒頭にケイト・ブランシェットが登場した時から、もう彼女が指揮者にしか見えないの!
この憑依した演技が、TARの造形と重なって、こちらまで苦しくなるような映画でした。パフォーマンスを極める人の、張り詰めた感じが、怖いくらいに伝わってきます。
昨今のテクノロジーの進化や、SNSの手軽さは、何年もの苦しい努力なんか、やすやすと乗り越えて、誰もが一瞬の称賛を受けることができる世の中。
でも、と私は思うのですよ。指揮者であれ、役者であれ、バレリーナ、オリンピックを戦うアスリートであれ、何千人もの前で、一流のパフォーマンスを極めた人が、努力の末に高みに登って見る景色は、私たちが見る景色とは違う。長く苦しく、やっと到達した後も、さらなる努力を要求され、妬まれ、悪意によって歪曲され、拡散され、それでもエゴを貫き、いつしか、狂気へとかりたてられていく、重々しいテーマを、静謐な映像で見せる映画でした。
映画序盤は、指揮者の日常を不安な情景の中で、ゆるゆると描写していきます。自分たちの世界でしか通用しない、陳腐な言葉の羅列に酔う会話が延々と続きます。
何が背景にあるのか容易に分からず、ちょっとウトウトしかけましたが、ベルリンの街の情景や、TARのユニセックスなファッションや、オーセンティックな家具なんかが眼福でした。
終盤になって一気に物語が動き出すのですが、ストーリーや事の善悪よりも、TARの背負っているもの(職業の重さや、またトランスジェンダーとして)と、人格のバランスが崩れていく、その過程がヒリヒリと、なんというか、肌感覚ののように伝わってきました。
ギリギリのところで身を削って、パフォーマンスする人が、枠からはみ出してしまった時に、ゴシップや、コンプライアンスやらを振りかざして攻撃していたら、そのうち世の中は、本物の芸術を失ってしまうのではないか。
そんなことを常々思っていたところの、考えさせられる映画でした。
付け足しですが、
マーラーの5番を演奏するところで、『ベニスに死す』は忘れて、とのセリフがあるけど、いやいや、ずいぶんとオマージュ捧げているじゃないですか。
ダーク・ボガート演じたオッフェンバッハと、ケイト・ブランシェットのTAR、どちらもトランスジェンダーで、2人が堕ちていく共通項は、傲慢さ、ってことかも。
シュールなホラー映画
事情通ぶって真面目にストーリーなど追ってはいけない。これは主人公にまとわりつく様々な音が隠しテーマのシチュエーションホラーとして見ると、居眠り防止になる。ヒントはケイトのアップシーン。玄関チャイム、メトロノーム、アダージェットの消えゆくフィナーレ、暴漢の足音、公園の泣き声、ピアノの半音、動画内のチェロ、滝の轟音。他に貴方はいくつ見つけられるか。ケイトはその狂言回しだ。
イケメンおばさんの栄枯盛衰
ケイト・ブランシェットが本当、イケメンだった!始めの音楽論的な場面が理屈っぽくて何度船を漕ぐとこだったか。なんとか着こなしファッションチェックをしてしのいでいたけれど。それが後程新入チェロの子にクソ例えと陰口を叩かれる。はたまた、暴漢に襲わせたり?パワハラ場面を拡散したりスコアをこっそり盗んだ黒幕はこの子なん?と思わせ振り。
有罪
インタビューに答える主人公 ウィットに富んだその話。プロフェッショナルな哲学。指揮者とは。吸い込まれるようなケイトの語り。聴者の頭が気になる。何のことか。
紳士な別の指揮者との語り合い。アファーマティブアクションはキリをつけてよいと地位を得た女性が語る。フェアな男に若干のいけてなさも感じるが、それは若干。
バッハと向き合わない男子とのやりとり。言っていることは正論。しかし学生相手にマウントをとって侮蔑するのは邪道。若人はいつか気付く日がくる。道は示せばそれで良い。
子供の父親を自称し喧嘩に介入して、相手の子供を恫喝する。閾値は超えている。イケているようでイカれている。
若さに惹かれ機会を与えることに快楽を覚える。自分の広さを見せて若さを手繰り寄せる器用さ見せようとするが若さは自分の手にはおさまらない。
人を飛ばすことをローテートと言い、排除しているのに機会を与えているように言う。組織にとって良い判断に見えて、相手には死刑宣告。
組織を考えて彼女の判断をたてる近しい人々。支持は得ていない。しかし本人は気づいていない。
エグイまでにラストまで描き続ける。女性であるとかLGBTだからといって優遇せぬ冷徹さ。しかし、こんな男は大勢いる。自戒と自省。
主役を女性にしたのは意図的に感じる
主役を男性指揮者から女性に転換した事でハラスメントの実態がより明瞭になったように思う。
男性→女性の力関係が取り払われ、狭い世界の中で絶対的な権力をもったレズビアンである事でマイノリティ=弱者の色眼鏡が外されハラスメントが必ずしも性別や人種で関係が決まるものではなくて、あくまでも当事者間の関係、環境、立場に起因してそれに個人の先入観や差別意識が乗っかってくるって状況が分かりやすかった。
更に白人権威主義的なクラシック界を舞台にすることで、芸術やエンターテイメントを囲む環境と観客の目の時代的変化を痛感させられる。
もう前半でのターの言動が後半になってブーメランになってガンガン刺さってくるのがすごい。前半を見ている時はもっともらしく聞こえていたけど、後半になるにつれ時代の価値観に擦り合わさって見え方が180度変わってしまう。
それは映画を囲むフィールドが前半のクラシック界の中から後半はもっと広い世間へとスライドしたからだと思うんだけど、大事にする基準が違う眼線へ移動したとたんに前半のター眼線の自分の事以外は他人事から、後半はターの事なんて他人事に見えてくるのも空恐ろしい。
他にもクリエイティブ論みたいな事が色々と入ってきてそれも面白かったです。
作品の所有者と解釈はあくまで鑑賞した個人にあって、作ること自体は指揮者や監督には出来ない。以前は作品のパッケージの顔は総括する人にあったけれど、もうクオリティの質は作るスタッフやスタジオの力が先に立って、作り手の作品の解釈をありがたがる時代は終わって個人の様々な見方を許容できる事の方が重要になったって意味にとれました。
ちょっとしたワードがけっこう刺さってくるのが面白かったのとオチには笑いました。
家で見るには集中力が必要な映画だったのと音が良いのとで映画館で見てよかった!
一回だけの鑑賞ではよくわからない?
映画館の予告編で何回も見た事とケイト・ブランシェットさんが好きな事と尚且つクラッシック音楽自体も興味あり鑑賞しましたが登場人物も多くストーリーが中々、頭に入らなったが、落ちぶれていく終盤は何となく理解できるレベルでした。
内容もドラマ(会話)が、中心で期待していた演奏シーンは少なく残念でした。後日配信等がスタートしたら、改めて鑑賞したい。
カオスを経て原点にもどる
真面目なオーケストラ作品かと思いきや、途中からなかなかのカオスっぷり。
ステレオタイプと、多様性をおしつけるステレオタイプ、どこにでもある原理主義、パワハラ、セクシャリティ、炎上と、現代の問題を詰め込んだ作品になっている。
ただのドラマにせず、もはや何が正しいのかわからない。そんな現代をありのままに現していた。
前半は非常に抽象的な会話が続くが、この作品の軸であり、カオスの中心となるターを表現するために必要なプロセスである。
登場人物が多く、説明が少ないので、理解するまではひたすら知らない人の噂話を聞かせられるのはちょっと厳しい。
そして、なんといってもラストシーン。だれもが拍子抜けに感じる(劇場でもそんな雰囲気を感じた)なのだが、振り返ると終わり方も含めこの作品の真髄なのだと感じる。エンディングもクラシックではなく、ロック。
名声とか、炎上とか、ジャンルとか、そんなものから無縁の、純粋に楽しむこと。表現できない感情こそが大事という原点。
bunkamuraとか、大阪の作曲家(カプコンのことね)が出てきて嬉しかった笑
2023年劇場鑑賞72本目
わざわざ難しく描く意味がわからず謎
ベルリンフィルを舞台にする必要はないし、舞台にするなら活かすべきだ。世界最高峰のオーケストラにしては描き方も雑でベルリンフィルのイメージが崩れる。ようはハリウッド映画にでてくる「芸者だらけの日本」みたいに安易なのだ。ストーリーだってわざわざ難しく婉曲的に描くほど、主人公ターの数々の愚行が奥深い訳でもない。だから観る側の想像と混乱を掻き立てる意味がわからない。そもそもエンドロールを冒頭に持ってくるのはどうゆう意図があるんだろう。冒頭の長いインタビューシーンか一番良かった。
面白かった。
ター周辺の「ノイズ」が変化していく。
おじさん達とは上手く話しながら食事出来るけど、若い子とは…。
あんなに普段走り込んでいるのに階段でつまずいてコケる。
夜の物音シーンはホラーすぎて普通に怖い。
ケイト・ブランシェットが素敵。
ケイト・ブランシュエットの圧倒的パワー
ここまで俳優の表情を食い入るように観た映画はないかもしれない。
1つ1つの演技がズシンとくる。緊張感が押し寄せる。
もともと好きな女優だったが、さらに好きに。
ただ、内容の説明が難しく、
何が良かったのかこれ以上はうまく表現できません。
宣伝の仕方が悪い
2023年劇場鑑賞115本目。
女性指揮者の音楽にかける狂気・・・みたいなあおりをポスターでされると、やはりこちらとしては「セッション」の鬼教師を思い浮かべてしまうわけですよ。
それを想像して観ているとなんか普通の人というか、音楽に対してではなく、自分に対しての守りを大事にしている気がして、なんかもっとめちゃくちゃなのを期待していたので肩透かしでした。
最後もえっ!というところで急にはしごをはずされた感覚でした。
後は今の状況を、場面を見せてこちらで頭の中で組み立てることを要求してくるので、人の区別をつけるのが苦手な自分には誰が誰やらさっぱりだったのもあります。
権威の脆弱性とキャンセルカルチャーの虚無性をバランス良く描いた秀逸サスペンスドラマ。
冒頭からいきなり延々とスタッフロールが流れ意表をつかれるが、その後は静かに著名な指揮者リディア・ターの日常が淡々と丁寧に描かれる。彼女の日常が徐々に壊れていく中盤辺りからは、カフカの様な不条理な世界観も忍ばせつつ、後半の決定的事件からは一気に凋落へと流転していく。ドライな感覚が終始あってサスペンスドラマとして構成が非常に秀逸。
昨今あらゆる業界で跋扈するキャンセルカルチャーを、ポップスやジャズなどと違い、個性の違いが事程左様に分かり難い特異なクラシック界で描いて見せたのが巧い。映画と違いまだまだ女性指揮者というマイノリティなキャラクター設定も、このテーマを描くにあたって上手く作用しているように思う。
印象操作で容易に真実を歪曲出来てしまう現代において、リディア自身の人間性に多少の問題があったとしても、彼女の様なクラシック界にとって財産とも言える情熱的な才人が埋没してしまう悲劇は、非常に考えさせられる。それでも表現する事を辞めなかったリディアのたどり着くラストは、決してバットエンディングではないなと個人的には受け取った。
自信満々のキャリアの謳歌から、強迫観念に駆られ次第に憔悴していくリディアを、ケイト・ブランシェットは仔細に説得力たっぷりにさすがの成りきり演技で見せ、この作品の軸となっている。見終わった後も悶々と考えさせらる逸品。
マエストロ
2023年5月25日
映画 #TAR/#ター (2022年)鑑賞
女性初のベルリンフィルの首席指揮者に就任したリディア・ターは、新曲の作曲、自伝の出版、録音、若手式指揮者の自殺のパワハラ疑惑等多くの重圧を抱えながら⋯
クラシック詳しかったらな
#ケイト・ブランシェット の圧倒的演技力を堪能する映画でした
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