TAR ターのレビュー・感想・評価
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これはスゴい作品、ケート・ブランシェットさんの演技に圧倒される158分
ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」やフローリアン・ゼレール監督の「ファーザー」に似た雰囲気を持った作品ですごく好き、一気に引き込まれ158分の長尺を全く感じず、すごく面白かったです
何よりケートさんの演技が素晴らしかった
力強く、勢いと威圧感MAXで高い自尊心とプライドに満ち溢れた女王様が徐々に壊れていく様は圧倒的、彼女のキャリア最高傑作と謳われるのも心から納得できました
トッド・フィールド監督の演出と脚本も素晴らしかった
不穏な音楽と映像で、終始とてつもない緊張感に包まれ、観終わった後、硬直していた両肩の力が抜けて一気に落ちる感じ、それぐらい全編に漂うテンションの高さが半端ないです
クラシック界の話だけど音楽よりも“音” にフォーカスが当てられており、いろんな音が出てきて、嫌〜な感じがいいです
全体的に暗い映像もすごく好き
いつも曇り空、薄暗い室内、“何か”がいそうな闇
そして一番気になったのは“余白”を感じる構図としょっちゅう出てくる鏡越しの映像、主人公が壊れていく過程の二面性を象徴しているのでしょうか
後半の展開によってフィクションとノンフィクションのシームレスな世界に混乱しはじめ、観終わった後、始めからもう一回すぐ観たくなる傑作、すごく面白かったです
本作を楽しめる側の人間では無かった
レビューを見て覚悟はしていたが、想像以上に見る人間を選ぶ作品だったように思う。
特に冒頭の30分。
超絶音楽音痴で、小学生や中学生時代の授業で何を聴いても読んでも感想を書けない、思いつかない、感性というものをほぼ持ち合わせていない自分には何の共感も沸かない言葉ばかりまくし立てられ、ただ「早く次行けよ」と思っていた。
中盤から物語が加速するというようなレビューを見ていた為、期待して見続けたが、自分的にはあまり加速せず終わった(笑)
(三輪車から補助輪付き自転車ぐらいまでは加速したかな・・・)
本当に最後の最後の方のあの激しいシーンは少し「おお!?」と思ったが、その前に何故あの男性があそこに立っていたか分からなかった。もうちょい説明求む!
しかし、駄作だとは思わない。レビューの題名に述べた通りなのだろう。
かなり待たされたトッド・フィールドの新作ということで自分がハードル...
かなり待たされたトッド・フィールドの新作ということで自分がハードル上げすぎた感もあるけどケイト・ブランシェットの演技が圧巻でそれだけで充分おつりがくる
人を安易に傷つける人ほど脆い
ケイトの演技は素晴らしかったですが、リディア・ターという人物については全く共感することなく終わってしまいました。
正直、自業自得と言いますか。そりゃ近場の人と寝まくってたらそうなるだろうって感じですが、のし上がるために同性愛者を装って枕をやるしかなかったのか、単純に惚れやすい人間だったのかどっちだったのかは最後までわかりませんでした。
唯一言えることがあるとすれば…コンマス怖え。
自分が相手を切る立場の時は、相手の痛みなんてわからない。
自分が切られる立場になって、初めて痛みがわかるようになる。
それをわかりやすく描写した作品ではありましたが、なんにせよ、ちょっと脆すぎじゃないか主人公とは思ってしまった。
仕事人間としての自分とプライベートの自分に挟まれて我を忘れたとしても、さすがにどっちかの自分に対してはプライドを持ってるだろうとは思っていたので、転換期となったあの一件はさすがに落ちすぎだろと。
お前も終止線入れんなやとツッコミ入れてしまいましたが。
個人的に転換期のあの一件の強引さと、ラストのアレでなんだこりゃ?と思ったので3.5点と辛めにしました。
別の国の話なのに大阪人の指揮者という時点で変な悪寒がしましたが、やっぱり日本はアニメとゲームとコスプレの国だと思われてんだな全世界で…とエンドロールで思わず遠い目になってしまいました。
ケイト・ブランシェットに尽きる
ケイト・ブランシェット渾身の演技による凄まじい迫力の映画。
主人公のリディア・ターは、非凡な才能に恵まれた女性だ。本業の指揮ではベルリン・フィル初の女性主席指揮者となり、作曲や執筆もこなす。頂点に君臨した女帝が、ある事件をきっかけに転落する様を丹念に描いていく。
正直、楽しい映画ではない。頂点に立ちながら彼女は少しも幸せそうに見えない。意味不明なシーンも多々あり、観客に考えることを要求する。
だが、監督・脚本のトッド・フィールドが創造した人物に、ブランシェットが命を与えた。その奇跡を目の当たりにする価値は確かにある。
観ておいて本当に良かった
前情報なしで観たのだが、
想像以上にずっしりと重い映画で、
本当に気分が重い。
誰かと思えばトッド・フィールド。
流石ですわ…。
セクシャルマイノリティを加害者にすることは
NGだと思っていた。
しかし、この映画はやってのけた。
観客は進んでいるのだから、意図も分かるはず、そんな気概を感じさえした。
当然の話なのだが、どんな人物から向けられたって、暴力は暴力だし抑圧は抑圧なのだから。
しかし加害者だけにフォーカスを当てたこの映画が
本当に賞賛できるものかと言われれば微妙である。
被害者の姿は全く見せず、自殺したと口頭で伝えられるのみなのだ。
主題が別にある、と言われればその通りなのだが、余りにもそっけない。
(『ウーマントーキング』の予告後に鑑賞したせいもあって、余計にそう見えた)
映画として、一言で表すことは難しいが、
個人的には「ターはどのようにして加害者になったのか」的な見方をした。
ターは自身の権力を利用して周囲に圧力をかけ暴力を振るった。
ターの生活を見る限り、完璧なパワーカップルに見えるし、その生活や言動、ビジュアルからもカリスマ性を感じる。しかし、追っていくにつれて、そのヴェールが剥がれていく。まるで、ター自身が否定しているような男たちと同じような心根が暴かれ始める。
指揮者を目指してきたターは同じ指揮者の偉大な先人たちに憧れ、彼らのようになりたいと思って生きてきた。しかし、時代が時代だった。憧れた先人たちはほとんどが白人男性だった。社会が彼女をそうさせたのだ、とも言える。
最後には「地獄の黙示録」の遺物の話が持ち出される。ターがそういった社会の上で育ってしまった負の遺産だと言わんばかりに。
(加害者を擁護する訳ではなく、そういった背景がターにはあった、という話)
ただ、男に指揮をとらせない、と女が先頭に立つことは暴力や圧力無しにも全くもって可能な話だ、とは言いたい。言えるような社会になってほしい。それが本作の目的ではないだろうか。
鑑賞後、どこからターがおかしいと気づいていた?と挑発されるような作りの構成で、観客もモラルを問われる。(ヒザ触るのはアウトだし、ロボットなんて言ってた時点から怪しいのだけど)
最後の最後、発展途上国の残酷な女性たちの性的対象化を目にして、ようやく自分のしてきたことに気がつく。過去に自分がした言動は消えやしない。重石となり、残り続ける。それでも指揮棒を離さないター。この先、どこへと向かっていくのか。
リヴェラ・ターという人物像に関して、思い起こしたことがある。
アンジェリーナ・ジョリーが演じた『17歳のカルテ』の登場人物、リサだ。
彼女も、身につけてしまったカリスマ性を利用して、周囲を翻弄していた。(施設に長年いるという意味では権力者とも言える?)
リサも最後には、ボロボロの“悲しい人“と言われるような姿になっていた。
本作ではその過程を、ケイト・ブランシェットという超一流の役者が、本当に素晴らしく演じきってました。
追記。
これは「ロールモデルを持てなかった人の話」でもあるのかな、と思い始めた。
ある職種を目指すも、そこに自分と同じ条件で戦っている人間はいなかった。だから、戦い方が分からなかった。どう進めばいいか分からなかった。音楽に対して真っ直ぐに進むには、彼らの枠に自分を当てはめるしかなかった、そんな話かも。過去に実績の少ないことの難しさを示す作品でもあったのかなと。だから歪んでしまった。どんな理由があるにしろやってはいけないことだが、そんな背景があると思うと本当に絶望するよ。
愛と感覚、"マエストロ"の研ぎ澄まされたそれらから感じる今の世界の生きにくさ
"時" Time is the thing.
作品前半の圧倒的長回しと長台詞。その中で彼女は言う、"右手の秒針で時を止める"のだと。そしてこうも言う、"指揮者は自我も捨てて、作曲家に全て捧げる"と。となると、止めることができない、自分の思い通りにできない"音"=自我の表れか。"医者の不養生"じゃないけど、この世界で自分がコントロールできないものとしての表象。
そうした作品の導入部とそれ以降の変わっていく作り・語り口は、主人公ターの半生や輝かしいキャリアなどには冒頭で尺を割きながら、他のキャラクターやその関係性にはこれといった説明無く、この映画自体が始まるそれ以前から既にもう始まっており途中から語られ始めることを強く意識させられるようだった。
一時(いっとき)、一音、一ミリも退屈しないで、居心地の悪さを共有するように胃がキリキリムカムカとするように神経に障りながらも、どうなるのか気になって仕方ない。静かに時に激しく徐々に壊れていく心理サスペンス/ホラー…。女性、ドイツ、そして偉人たちの欠点や暗い一面。あるあかは何処かからする"音"の正体と、走るトンネル。SNSや下世話な週刊誌ゴシップとかスキャンダルに群がるロボットたちとルール。高みに到達したらあとは落ちるしかないのか?(決して楽しい夢ではないが)夢でも見ているように迷い込む。
怖いくらいに迫力と溢れんばかりの魅力カリスマ性がある彼女の一挙手一投足から目が離せない圧倒的ケイト・ブランシェット劇場!これは私のスコア!! 言葉の節や言い回しのニュアンス一つ取っても説得力がある彼女の佇まいはオーラありありだし、本当に鬼気迫るものがあった。真の高みを知る者の苦悩と周囲の雑音。
メンズライクなジャケット&パンツスタイルが安定に似合い過ぎな美しく惚れ惚れするほど格好良い我らがブランシェット姐さんだけど、やっぱりそんな彼女でさえ、男性と一切臆することなく頑と対峙したときに、"激怒した相手が襲って来ないか?"など見ていてヒヤヒヤとしている自分がいた。
それくらいどの画も緊張感があってとても良かった、というか凄かった。時に意表を突くようにキッレキレな編集然り。表面上の展開だけ掬い上げて文字に書き起こしたら、きっと既視感の覚えるようなものになっていくのだろうけど、実際見ているときはもっとこう感覚でやられる。今までの時代というか今日も、地位のある力の持った男性が女性を囲い込むことなんて(キモいけど)普通にあることだろうと皆受け入れているだろうに、それが女性となると叩かれるのか?男と置き換えて見てみる。
"マエストロ" マルチな=多才は好まれない今の時代?何もかも失って命を削って、自分が愛した表現とその理由に、言葉でなくもっと感覚=愛(を持って)で向き合うには、これだけの時間が必要だった。汚いくらい剥き出しに、あるいは上述したような世界の回り方を、キレイな部分だけじゃないところから見て気付くこと。ハッと目が覚めるような感覚。
RAT ON RAT
観たい度◎ 鑑賞後の満足度◎ 今まで観た映画の中で最も面白い(興味深い)女性キャラクターの一人。
①全編を圧するケイト・ブランシェットの演技が凄い。既に当代一の演技派大女優の名を欲しいままにしている彼女だが更に高みに登った感がする。誰が今年のオスカーを取ったのか忘れたくらい(『エヴエヴ』のミッシェル・ヨーでした)、何故彼女が取れなかったのか不思議なくらい。
でもヴェネチア映画祭をはじめ名だたる映画賞は彼女が取っているのでまあ良いでしょう。
②私は音楽が好きだが(といってもポップ・ロック・歌謡曲が好きなミーちゃんハーちゃんですけど)、音楽の素養もないしクラシックも殆んど聴かない。
音楽がわかっていたらもっと面白いのだろうと思うけれども、リディア・ターという女性の生き様を追うだけでも面白い。
三時間近くに及ぶ長尺だけれども少しもスクリーンから目をそらせなかった。
③ターが養子のペトラが学校でイジメられているのを知り、イジメっ子を脅すシーンのケイト・ブランシェットの演技が怖い。
それと共に、この些細なシーンか大事なのは、“私が言ったということを人に話しても信じないわ。だって私は大人だもの”という台詞の‘大人’を‘ター’に置き換えると、この時の彼女の心理が透けて見えるからだ。この私‘ター’に刃向かえるものはいない、という驕りである。
そして、その驕りが後半彼女の脚をすくうことになる。
④ターという女性の性格やその時その時の心の動きをを表すのに、彼女の行動や表情のみで描写しているのも実に映画的。
冒頭近くの巨匠と呼ばれる人たちの床に敷き詰められたレコードを素足で分けていくシーン。ここは後に転落した彼女が自分の生家で若い時何度も観ただろうビデオ画面(カラヤンだったと思うけど)を前に涙を流すシーンと対になっている。
⑤指揮者という仕事をしている彼女だが、その私生活では不協和音(雑音)が多い。
彼女をレズビアンにした設定は巧いと思う。これで少なくとも男女関係というある意味一番の雑音を排したから。
これにより彼女を悩ます不協和音(雑音)がどういうものかより明確に描写できたと思う。
⑥全編張り詰めた空気を漂わせているが、2箇所だけ思わず笑ってしまいそうになるシーンがある。
1つは地下通路で何か(誰か)に追われて階段を駆け上がった時に躓いて倒れた際に、見事に顔から石段のへりか何かに激突する場面。あまりに見事な転け方だったので、他人の不幸を思わず見た時に現れる私の心のダークサイドが私を微笑ませてしまった。
2つ目は、レッスン用のアパートの大家が亡くなって家族か親族が「部屋代を値切られるから、“騒音”を出す時間は決めて欲しい」といわれた時、“音楽”を“騒音”と言われて(まあ、わからん人には確かに騒音でしょうな)ブチキレたターが、アコーディオンを鳴らしながら本人たちを前には言えなかった本音を歌で吐き出すところは、ターの素の部分(人間らしい部分)が出てしまったようで可愛く笑ってしまった。
⑦この後は、も一回観てから…
騒音や環境音から主人公の心情が伝わるような表現を含めて、独自の空気...
騒音や環境音から主人公の心情が伝わるような表現を含めて、独自の空気感が漂う本作、終盤まではなかなか楽しんで観れていたのですが
最後のオチを含め、折角終盤まで積み上げたものが台無しになった感があり、蛇足感が否めない
折角丁寧な作りだっただけに、もう少し最後は上手い事まとめるか、突き放すような終わり方をして欲しかった
よく書けたリアルな脚本に感心
この映画の脚本はよほどクラシック音楽界に詳しい人が書いたのか、いかにもありそうなシーンを丹念に作り上げて特異な主人公を見事に造型している。冒頭のインタビューなどはまるでドキュメンタリーのようなリアルさだった。才能ある人間の業が痛々しいが、そのキャリアの破綻の描き方も現代的で、これまたリアル。何も知らずに見たら、実在のモデルがいるように思えてしまうだろう。
音の演出を堪能して欲しい
音を際立たせるためか、劇中に無駄なBGMは流れません。
自宅に音響設備が整っていなければ、劇場で観ることをおすすめします。
内容はやや難しく長いですが、退屈せずに観終えることができました。
以下、個人的な愚痴です。
冒頭でスタッフのクレジットが出るのですが、そこでスタントが6名いることがわかってしまいます。
あー、そういうシーンがあるのねーって思うわけで。
スタントの方も画面に映るわけですから、キャストと一緒にエンディングで出して欲しかった。
ター‼️
前半の静寂な趣きから後半の喧噪に満ちつつ徐々に魅せられる展開に目が離せない。
頂点から転落へ、彼女の強烈な情熱がハラスメントとして社会からはじき出される、ハラスメントを利用した罠にはまってしまった。凡人しか育たない社会に警鐘を鳴らしている。
主人公の運命に納得することも同情することもできない
地位も名声も手に入れた女性指揮者の話なのだが、何を描きたいのかがなかなか分からない。
評論家とのトーク・イベントや同業者との会話、あるいは学生に対する講義などで延々と音楽論が交わされるのを観ていると、「独り善がりな規制で芸術の自由を奪うべきではない」みたいなことを言いたいのかと思ったが、そうでもない。
序盤こそ、主人公の華々しい活躍が描かれるものの、副指揮者をクピにしたことでアシスタントがやめ、教え子が自殺したことで裁判沙汰となり、若いチェロ奏者を登用したことでパートナーとの関係に亀裂が入るなど、どんどんと雲行きが怪しくなっていく。
ドアのチャイムやメトロノームの音だけでなく、冷蔵庫のモーターや車内の振動によって生じる生活音、あるいは実際の音とも幻聴ともつかない悲鳴などを巧みに使って、主人公が精神的に追い詰められていく様子が描かれるが、困難に直面しながらも作品を完成させようとする芸術家の話なのかといえば、そうでもない。
終盤になって、ようやく、これが「転落劇」であることが分かるのだが、コンサートが始まろうとするその時に、いきなりそのことが示されるくだりは、この映画の一番衝撃的なシーンと言えるだろう。
ただし、なぜ主人公がすべてを失うに至ったのかについての情報があまりにも断片的過ぎるため、主人公が受けた仕打ちに納得することも、主人公に同情することもできないし、ましてや、その結末に感慨を覚えることも、感動することもできなかった。
それ以外にも、全体的に事実をぼかして描いているようなところが多く、それが、上映時間の長さと相俟って、「余白」ではなく「説明不足」と感じられたのは残念だった。
【”マーラーの交響曲第5番。”優越的地位を濫用したベルリン・フィルの女性マエストロが、自業自得の絶頂から転落していく様をシニカルに、音響、視覚効果も取り入れて描いた作品。鑑賞後の重い余韻が嵌ります。】
ー 今作は、多少難解な部分もあるがそれを含めて、自身で色々と解釈しながら鑑賞するのが良いと思った作品である。-
◆感想< 可なり個人的な意見です・・。>
・イキナリ、エンドロールのようなスタイルで製作スタッフの名前が流れる。何だなんだ!、と思っていたら、ター(ケイト・ブランシェット)のインタビューシーン。
ベルリン・フィルの初の女性マエストロであるが故に、余裕の姿でインタビューに答えるター。
ー 当たり前であるが、あの貫禄は並の女優では出せないだろう。-
・だが、時折不思議なアングルの、スマホの動画で、ターを盗撮するシーンが挟み込まれる。チャットで交わされる会話。”彼女が熟睡している訳はないわ・・。”
ー 段々と分かって来るのだが、ターの現在の恋人は同性コンサートマスターのシャロン(ニーナ・ホス:変わらないなあ。)であるが、ターの秘書の様な役割をしているフランチェスカ(ノエミ・メルラン)が且つてはターの恋人であったのである。ー
・そして、一度もキチンと映されないターを信奉するクリスタの影。
ターは、彼女とトラブルを起こしたらしく、他の楽団にクリスタの異常性や精神的不安定さを伝え、クリスタは自死する。そして、彼女の両親はターを告訴するのである。
・更に、ターはジュリアード音楽院で生徒を指導している際に、バージェンダーであるマックスという青年を、微妙な言葉でネチネチと弄り、彼は憤慨して退席する。
ー この様も、誰かが密かに動画で撮っているのである。そしてSNSでその様は拡散していくのである。-
・一方、美貌のオルガを特別に楽団に招聘したり、副指揮者であるセバスチャンを一方的に退団させたり、シャロンの娘を苛めるドイツの少女には怖い目をして脅したり・・。
ー ターの遣りたい放題且つ怖いシーンが満載である。ターを演じる、ケイト・ブランシェットの眼が怖いです。-
・様々なトラブルを抱えながら、ストレスを溜めていくター。そんな彼女にフランチェスカから退職願いがメールで届く。苛つきは頂点に達し、普段は聞こえない筈の様々な音が・・。
ー 怖いなあ。けれど、自業自得でもある。そして、フランチェスカが密かにターに復讐していた事が分かるのである。ー
■だが、そのような所業によりターはベルリン・フィルを追われ、東南アジアの僻地で師であるバーンスタインのビデオを涙しながら観て、ベルリン・フィルとは全く違うコンサート劇場で指揮を執るターの姿。
そして、その姿を見るモンスター・ハンターの衣装を着けた観客たちの姿・・。
シニカルだなあ。
<いやー、今作、疲れたけれど面白かったなあ。
そして、優越的地位の濫用をバンバンした、横暴なベルリン・フィルの女性マエストロが転落していく様を、シニカル感溢れる描写や音響及び視覚効果(特に、メトロノーム。)も取り入れて描いた作品である。>
劇場で観るべし
長回しフェチなので、ジュリアード音楽院のシーンには痺れました。あと「音」の演出が素晴らしかったです。スマホの着信音、ドアベルやメトロノームの音、謎の悲鳴、字幕の無い外国語など。うまく説明できませんが、さまざまな音の積み重ねによって、じわじわと不安感が煽られていくような気がしました。ケイト・ブランシェットさん、ああいう演技をさせたら世界一ですね。「ブルー・ジャスミン」と二本立てで観たくなりました(笑)。
まさかそちら側からの
事前情報を入れずに鑑賞した。
偉人物語と思い込んでいたので、始まるとなにを描いているのかよく分からなかった。
だがエンディングに近づいていくにつれて、まさか今社会問題になっている、そちら側を映していたのか、と衝撃を受けた。
ケイト・ブランシェットは美しく、素晴らしい演技。眉間のしわもこの人には問題ない。ただ立っているだけでも最高にカッコいい。
いま一番魅惑的な俳優だと思った。
文句なし!作品の世界に引き込まれる彼女の演技
文句なし!素晴らしい作品だった。ケイト・ブランシェントの演技はさすが。オーケストラが題材の作品だが、ターの栄光から堕落、そして再出発への流れが一つになるし、ターの感情・葛藤がスクリーンから物凄く伝わった。これぞ映画!全ては彼女の演技、作品のポイントになるクラシック曲、オーケストラが加わるのだから。
ちょっと退屈
長い。長かった。事前に把握してなかった💦
話に没頭すればそれなりに面白い。でも2度睡魔にも。
映画としてはノミネートされるだけある濃い出来映え。
が、ミーハーな私向きではなかった。
※苦手なフランス映画みたい。
またWOWOWでやったら倍速で観てみようと思う。
ケイト・ブランシェット渾身の演技で魅せる、この作品そのものが協奏曲。
ケイトの演技にあっぱれだ。舞台に立つ前の張り詰めた感じや気が緩んだ時の表情。縦横無尽に指揮棒を振る姿。
権威的な顔を見せたかと思えば、親の顔も時折覗かせる。講義やインタビュー時などの長回しとあの膨大な台詞の数……、彼女の実力たるものをありありと見せつけられた。
メトロノーム、ブザー、叫び声など本作は“音”を使った演出も素晴らしい。
順調だったはずのリディアのキャリアは、あることを境に崩れてしまう。転調してまた転調して、作品そのものに不協和音が鳴り響いている。
まだまだ男性社会なクラシック界で生きるレズビアンという設定も面白い。
若手指揮者の告発が真実なのか、フランチェスとの過去の関係などなど、白黒はっきりさせない部分が沢山ありスッキリしないけど、見応えはあった。
ちなみに、撮影現場で同時録音された音源が劇中で使用されているとのこと。サウンドトラックのクレジットには、ケイトの名前が“指揮者”として記されているというからさらに驚き(映画評論より)。
今作はケイトの一人勝ちです!
追記
バッハの「アヴェ・マリア」が好きです。
子ども20人作ろうがバッハが後世に残した名曲はこの先も後世へと受け継がれていくのです。
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