TAR ターのレビュー・感想・評価
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ひとえにケイトのおかげ。
ブラック・スワンほど病んでいかない。
凡庸な女優さんでは主役はムリだったろうな。
しかし、病む理由なんて浜の砂ほどあるんだなぁ…
でも、Tarは世に出てくるよ。
何羽かのツバメが電線に停まってても、棒振るね、彼女。
ART?!
誰か書くだろうって黙って見ていたら誰も書きゃしないじゃない、TARがARTのアナグラムだって。私やトッドの最後の映画になるかもしれないってあれほど大風呂敷広げたのに、どうも興行の方はパッとしないみたいね。やっぱりトッドの勘はあたってたわ。たとえ大物俳優(もちろん私のことよ)に渾身の演技をさせたところで、アート作品じゃ客を呼べないって、時代は変わったのね。ウォシャウスキーが『レザレクションズ』で映画とリアル(ネット動画)の共存をうたい、カラックスが“MOTAL”致死状態の映画を嘆き、リドリー・スコットがミレニアル世代の映画離れを罵倒し、ジョーダン・ピールがブロック・バスターの終焉を予言したように、トッド・フィールドは本作のような芸術映画がもはや時代遅れだってことにちゃんと気がついていたのね。だから映画の中にジャンル系(オカルト)のトッピングを混ぜてあったんだ。あんたたち大好きでしょ、そういうの?じゃあ映画についての映画ってこと、って当たり前じゃない、あんたたちどこ見てんのよ。聞く人がいないとうまく歌えないって私が冒頭教えてあげたでしょ。見る人がいないとうまく演技できない、つまり、ケイト・ブランシェットがケイト・ブランシェットを演じた映画でもあるのよこの映画、わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。私が演じたターよりも、それを動画に撮っているのは誰かってことで、あんたたち盛り上っていたらしいじゃない。まるでターが実在しているかのようなごっこをしてネットで遊んでたって噂よ。私とトッドが心配してたことまんましでかしてどうすんのよ。本チャンのライブ(映画)よりも、指揮者(役者)本人のスキャンダルの方を見る人がずっと多い、っていう本末転倒現象のことを言ってるの。キャンセル・カルチャー云々はどちらかというとその副産物ね。アケルマンへのオマージュショット※だって“映画についての映画”であることのちゃんとヒントになってるでしょ、気がついてよったく。フィリピンの滝のシーンで、案内係のバカップルがリディアのことそっちのけで遊び呆けてたでしょ、(滝の)スクリーンの中の私をひとりぼっちにして。水槽の中の風俗嬢だってみんな目をふせていたじゃない。そんな誰も見ない芸術映画を自己満足でつくったって意味がないってこと。たとえ系統は違っても若い人たちがノリノリで見てくれるエンディングのような、どんな形でも映画が生き残る道を考えるべき時代に突入してる、ってことを言いたかったのに、ったく。
※この映画実は過去の名作へのオマージュらしきシーンを、他にもたくさん発見できそうな作品です。気がついた部分だけ列挙しますが、おそらくこれだけではないでしょう。
・常時精神安定剤を服用し、饒舌かつ神経質、#me-tooでパージされたコンダクターは、トッド・フィールドが映画のイロハを教わったというウディ・アレンがモデルなのかもしれません。
・一連のボクシング練習シーンとカプランぶん殴りにいくシーン→ロッキー
・チェリストを追って廃墟でリディアが迷子になるシーン→ベニスに死す or ストーカー
・リディアが口から煙を吐く幻覚シーン→地獄の黙示録
タイトルなし
結末、アジア人としては胸糞じゃないですか?文化といえばゲームとコスプレ、性を売り物にする野蛮さ…へいへいわかりましたよ、としか思わないのだが。ターが自らの傲慢さを突きつけられるためにああいう演出なのだとしたら、そんなことのためにステレオタイプを強化するな、端的に制作陣の傲慢さの表れだと思う。
(追記)上記のような指摘に対して答える監督のインタビューも読んだが、典型的な「俺にはマイノリティの友人がいる」話法で笑ってしまった。この期に及んで『ロスト・イン・トランスレーション』のだめな部分を見せられるとは。
理性と感性と
「指揮者の故郷は演奏台」
カッコつけます。これは現代の「8 1/2」であり、「地獄の黙示録」です。
正直に言います、よく分かりません。
理解したければここまで登りつめて来いという、そういう作品です。
そして何より、徹頭徹尾マイノリティに配慮した(或いはせざるを得なかった)作品に映りました。
冒険しているのに堅牢、僕はあまりスマートフォンやタブレット端末が登場する作品は、(サイバーものでもない限り)作品の奥行きが損なわれる気がして好かないのですが、ここでは全く雰囲気を損ねていないのは見事。
そしてケイト・ブランシェットの多彩ぶりに驚くばかり。ピアノは弾く、ドイツ語はペラペラ話す、エンドロールを観たら「指揮:ケイト・ブランシェット」表記の多いこと多いこと。おっと、「多彩」という言葉は現代においては否定的な表現でしたね、専門性がないと生きていけない。
私事ですが、最近ベルリンを舞台にした海外ドラマにハマっておりまして、本作の主な舞台もベルリンということで、華やかなりしも陰を漂わせるのはベルリンならでは。作業場にフォルカー・ブルッフやリヴ=リサ・フリースが突然現れるのではないかとドキドキしました。
ただ、マーラーの交響曲第五番第四楽章"アダージェット"はやや軽かったかな?あれではダーク・ボガードが未練タラタラになってしまう(劇中リハーサルでもヴィスコンティに触れていましたね)。
人生を安全に生き抜くには徹底的に感情を排除しなければならないが、人間そうはいかない。いわんや芸術家をや。本作で取り上げられた問題はあくまでも氷山の一角で、恐らく至る所で起こっていたのではないかと推察します。
映画手法は斬新だが説明不足で観る人を選ぶ
どんな指揮者の半生を描くんだろうと思っていましたが、
無駄にレズビアンであること、気に入った女性スタッフをえこ贔屓しがちでひんしゅくをかっていること等。。音楽に直接関係無い本人の嗜好が何故か強調されて行き、
しかも途中の幻聴の理由説明が無い。
もしかしてオカルト映画?ホラー映画なのか??と困惑する演出が淡々と続き、
一応話の流れとしては意図しないスキャンダルで名声のあった指揮者が干されてゆき、最後はおそらく何でもいいから仕事しないと、となってアニメ映画か?ゲーム映画?のオーケストラの指揮で観客はコスプレOK上映をしている。。
もちろんマーラーやベートーヴェンとかの交響曲の演奏のほうが格式は高いかもしれませんが、例えばドラクエや鬼滅の刃のオーケストラコンサートなんかは凄く本格的なきちんとした演奏をするものだから、例え観客が世界観のコスプレOKの演奏会、上映会だったとしても「落ちぶれた指揮者の成れの果て」みたいな演出にゲーム音楽を充てるのはちょっと納得いきませんでした。
それと。。場面が唐突に変わりすぎ、説明無さすぎて観客はほっとかれるし。。この斬新な手法も面白いと思う観客だけが楽しめばいい、という監督の意図なのか???うーんちょっと私はこの映画手法はあまり好きになれませんでした。
自ら命を絶った若い女性の亡霊が為せるわざなのかなんなのか、何が言いたい映画かよく分かりませんが、
とりあえずターさん、この若い女性がロビーで「メールしてもいいですか?」って尋ねた時にはっきり「忙しくて返信出来ないのでメールはしないでね」と断らなかったくせに、結局スタッフが「またメール来てますがどう返信しますか?」の問いに「あぁ、返信しなくていいから」ってぶっきらぼうに。。。この部分だけは誠実さが無さすぎて、ターが落ちぶれていっても同情出来ませんでした。
返信する暇が無いなら、メールとか連絡はしないで、とちゃんと断っていれば、せめて途中にこれからはごめんなさい返信出来ないので、ごめんなさいね、と誠実に状況を説明していれば、若い女性は命を断つこともその両親が告発することもなかったのに、と残念でした。
同居しているパートナーにも事態を黙っていたとか。。。とにかく主人公も監督も説明しなさ過ぎる映画であまり面白くはなかったです。
ケイト・ブランシェットの無駄遣いだと思いました。。残念。
物音はドレミでしか聞こえません♪
色々なプレッシャーがかかり苦悩する天才女性指揮者の話。
冒頭から始まるインタビュー、余りにも長い会話で即寝落ちしそうな私。インタビュー終わったと思ったら喫茶店で話。(笑)
話が長いよー!!
作品観て音楽部分の感想するなら、作品が作品なだけにプロ側の話であって、軽く楽器かじってます位のレベルでは共感は出来ないと思った。作品を観てストーリーは把握出来ても、ホントに音楽をやってて、ある程度の領域、もしくはプロじゃないとわからない話の部分があるように思えた。(楽器の演奏部分、音楽関係者の話部分など)
あと凄いと思ったのは主役のター、白パン履いて貧乏ゆすりの天パーかパンチヘアの彼のシーン、あそこのセリフ相当長かったけどカット入らないで一連撮り?ごめんなさい私はプロではないので一連撮りという言葉であってるのかわからないけど。
個人的わがままを音楽作品だから音楽風で例えるけど、もうちょっと強弱ありの山あり谷ありが良かったかな!平坦な一本道って感じでちょっと時間が長いと感じてしまった。
芸術と生活の葛藤・現代版
2022年。トッド・フィールド監督。ピアノを弾き、古典音楽の歴史にも音楽理論にも民族音楽にも通暁して、指揮者としてトップに上り詰めた女性が転落していく様をリアルに、かつ、現代社会批判として描く。
昔から天才芸術家は生活面では壊れていることが多く、そのことを表現する文学作品も映画作品も多い。この映画もその「天才ジャンル」の正統的な流れに沿っている。破綻の原因が恋であることもパターンといえばそれまでだ。異なるところは、女性主人公がレズビアンを公表しており、相手が女性たちであることと、悪意あるSNSによって集団内の出来事がすぐに一般的な倫理規範にさらされて反論の余地がないということだろう。SNSは特殊事例を許さず、あらゆる出来事を標準化・一般化の圧力にさらす。民主主義の原則をどこまでも完遂しようとする。しかし、天才は民主主義にはなじまない。才能は平等ではないから。
天才の描き方も新鮮だった。この映画では、主人公は自らの天才ぶりに自覚的であり、その意味では生活者の資質を持っている。したがって、天才であること=普通の生活者ではないことに恐れを抱いている(天才の自意識)。それを表現するために、ちょっとした生活音におびえる様子が細かく挿入されているし、自信を裏切る若い女性演奏家の姿を見ても我を忘れて怒るのではなく、あきらめとともに受け入れている。没落後の生活も音楽に奉仕するかのごとく淡々と描かれている。
天才であることが特別視されない現代社会をよくわかっている天才の悲劇、というところだろうか。
クラシックの知識がある方向き
前半のモタモタ感はクラシックの知識が有れば乗り切れるかも 後半のバタバタした展開も前半の伏線が理解できれば楽しめるのだろう 始まって30分で置いて行かれた私には残り2時間は辛かった
レヴァインwデュトワww
ブランシェット凄すぎ。冒頭インタビューとそれに続く音楽院講義シーンでの台詞の抑揚・緩急・間、眼と手の表情等、全てに圧倒され,あっという間に見終わった。
並外れた才能・野心・使命感に相応しい栄達と,それを失うまいと守勢に入った時の痛々しいほどの不器用さとの対比が鮮烈。
女性は指揮者には不向き、と言い続けた岩城宏之氏が御存命なら、どんな感想をお持ちだろう?
権力者は賞賛も嫉妬も誹謗中傷も「都落ち」も全て受け入れる覚悟を
音が苦手で、雑音も騒音も時計のカチカチ音もダメだ。夜の工事音やアイドリングやお喋りが我慢ならないレベルに達すると110番してしまう。ラジオやテレビはめったにつけない。音楽を聞きながら歩くことも仕事をすることもない。皿洗いや料理やダンスなど自分も盛大に音と共に動く時だけ音楽を流す。
だからこの映画の不穏な音はとても怖かった。一度気になったら正体が分かって完全に止めるまで安心できない。でも背筋が痺れて鳥肌がたつ感動もあった。前半のTarの指揮によるオケの音だ。この映画の音響は本当に素晴らしい。映像も。
権力の最高峰にいるTar、歩き方も指揮する姿もインタビューに滔々と答える様子もケイト・ブランシェットにしかできない。リハーサルでのオケメンバーへの指示にも魅入られた。英語である必要性、ドイツ語である必要性に説得力があり、強くて適切な緊張感のあるドイツ語をマスターしていた。
Tarをフィクションの女設定にしたことで、過去の、今の、リアルだった(過去形にしていいのかわからない)男性中心の権力構造が裏返しに透けて見えた。おぞましくホモソーシャルで限りなく傲慢で極端な身贔屓。のし上がるための情報源確保、自分の地位を脅かしかねない者や気にくわない者は丁重に結果的には蹴落とす。自分にとって愛らしく能力ある若い存在はペットのように側に置き鼻についてきたら捨てる。権力トップに座すれば性別関係なく起こる。それほど権力は強烈で甘くて毒がある。その毒は権力者自身にもまわる。
「ブルー・ジャスミン」と通底するが、TARは見てからの疲労感が凄まじかった。
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でもトッド・フィールド監督はブルー・ジャスミンの監督とは異なる。Tarの「都落ち」の先にはピラミッドの無い、みんなが楽しいホモ・ルーデンスの世界が待っていた。Tarは子どもの頃の夢に戻って自由な時空を思い出し回復する。二回目鑑賞してTarの思考と感情に少しだけ近づけたように思う。
迫りくる老い(すっころんで顔に大怪我)、死(隣人の母親の死)、絶望(女性若手指揮者の自死に始まる自分の転落)を苦しく味わい腹から身に沁みて、Tarは再生し希望への一歩を踏み出す。Tarはヴィスコンティの主人公のように「ベニスに死す」ことなく、音楽以外は潔く捨て「アジアに生きる」。(2023.5.15.)
おまけ
マーク・ストロング、髪の毛があったので本人だとわからなかったー!大好きだから残念だった(再度鑑賞で確認できました!)。
歪みと女優力
69本目。
BGMがなく、音楽を扱った作品だから、沈黙も含め、スクリーンから出る音全てがBGMかと勝手に解釈。
序盤の長回しでの、指揮者としての知識、説得力、終盤までの演技を観て、そこまで意識した事なかったけど、ケイトブ・ランシェットを好きになってる。
紆余曲折を経て、最後は圧巻のと思ったら、何処かで掛け違えたボタン。
狂っていく様子が、ミステリーだったり、サスペンスの様に感じる。
でも、最後があれとはね。
大分、予想外。
先にパンフを読んでから鑑賞した方がわかりやすいかも
天才指揮者の話だが、物語の描かれ方もある意味アーティスティックで、一筋縄ではいかない。
一般的な映画なら物語が進むにつれて真実が明示されたり解決されるであろう謎が、本作の中ではほぼ解決しない。冒頭、メッセージアプリでやりとりしているのは誰なのか、リディアと彼女のプログラムの元生徒(だったか?)クリスタとの間に具体的に何があったのか。リディアの部屋に入って真夜中に戸棚の中のメトロノームを動かしたのは、娘が気配を感じていた存在は誰なのか。
多分こうなのかな、と観ていて思える程度のヒントはあるが、種明かしもすっきりした解決もなされない(幽霊だってことにしないと説明のつかない部分も?)。
リディアの指揮者としての意識高い日常描写が淡々と重ねられていく中で、彼女の才能だけでなく、その横暴さもだんだんと浮かび上がってくる。
娘をいじめた子供に静かな脅しをかけたり、年配の副指揮者を独断で追い出したり、若いチェロ奏者オルガへの依怙贔屓をしたりといった行動だ。
パンフレットの前島秀国氏によるレビューを読んだところ、リディアとコンサートマスターであるシャロンの関係は、もし女性指揮者と男性コンマスだったなら公私混同と非難され、公的な性格が強く世論に敏感にならざるを得ないベルリンフィルにおいては醜聞となっただろうとのことだ。ところが、全く同じ理由のために、レズビアンカップルであるリディアとシャロンの関係は黙認されていた。LGBTQコミュニティからの非難を恐れたということだ。彼女が指揮者として実力者であることもあいまって、リディアの身勝手なふるまいを止めるものはいなかった。
自殺したクリスタの両親から訴えられたり、ジュリアードの授業で男子学生を論破する動画をスキャンダラスに拡散されたりしたのち、リディアは常任指揮者の座を降ろされ、カプランのコンサートに乱入して、ベルリンフィルを去る。
最後にリディアは活動の場をフィリピン(とパンフの町山氏のレビューに書かれているが、地獄の黙示録がどうとか言っていたのでベトナム?よく分からなかった)に移し、モンスターハンターのサウンドトラックコンサートの指揮をとるところで物語は終わる。コスプレをした聴衆が、そこまで見てきたクラシック業界の高尚な雰囲気とかけ離れていて、ちょっとシュールなラストだった。
過去のLGBTQ映画を全て観たわけではないが、同性愛者である主人公の生き様について美化も言い訳もしない描き方をする作品は珍しい、という印象を受けた。
一昔前なら、これは完全に男性の主人公で描かれていた話だ。リディアの職場には元恋人(フランチェスカ)、現パートナー、彼女が新たにロックオンした若い女性がいてドロドロ、登場しないクリスタも恋愛絡みのトラブルだったのかと思わせる。マッサージ店を紹介してもらったら性的マッサージ店だった、というくだりも、昔の感覚で言えば男性の登場人物にありそうなエピソードだ。
リディアというキャラクターがバーンスタインとカラヤンをモデルにして創造されたためでもあるが、こういう役を女性が演じても特段不自然に感じない時代になったんだなあと思った。
そしてやはりケイト・ブランシェットは圧巻だ。
リディアの日常を描きつつも、その中で薄紙を重ねるように彼女のフラストレーションが堆積してゆく、それを学生の貧乏ゆすりや遠くで聞こえるチャイム音、悲鳴などの音で表す脚本も巧みだが、ケイト・ブランシェットだから160分持ったという気もする。
クリスタにまつわる謎がずっとチラ見せされながらスッキリ全貌がわかることなく話が進み、主にリディアの反応が描写されるばかりなので、これで物語の緊張感をずっと保つのは、実はなかなか技量がいることだと思う。
彼女の明らかに異常な行動は、終盤に自宅で騒音おばさんになったり(高級そうな住居なのに、向かいにああいう家族が住んでるのは違和感)、コンサート中のカプランをどつき飛ばしたりすることくらいなのだが、そこまでのいわゆるキチゲが溜まる描写や演技が丁寧なおかげで唐突感がない。
それを、抜群に美しくてカッコいい彼女が演じ切るので、クラシック業界のことがよく分からなくても見ていられた。
ただ、バックボーンを知った方がいろいろ腑に落ちるのは間違いない。マーラーの人生や実在の指揮者の実名からヴィスコンティの小ネタ(ドイツ語で字幕なし)まで、埋め込まれた蘊蓄が満載だ。業界事情に詳しい人以外は、多少のネタバレをいとわなければ、本作に関しては事前にパンフレットを読んでから鑑賞した方がすんなりと観られるかもしれない。
緊張感が途切れない
特別ドラマティックな出来事が起こるわけではないのだけど、日常の中で起こる出来事が物語の緊張を高めていく。それは音であったり、人間関係であったり、メールであったり。抑えた演出が、逆に凍るような緊張を高めている。長尺な作品だが、最後まで緊張感が途切れることがない。
優秀で飛びぬけた業績を成し遂げてきたターが、崩壊していく過程に引き込まれる。表面上は人格者で、性格上問題のない社会人に見えるターだが、心の深いところで傲慢さや冷酷さを宿している。それがスキャンダルや人間関係の軋轢を生んでいく。
ターを演じたケイト・ブランシェットの演技はもちろんのこと、脚本や硬質な映像を映し出すカメラなど、作品としてのクオリティがとても高い。
あまり一般向けとはいいがたいが、洋画上級者の大人向けの作品といえる。
これはスゴい作品、ケート・ブランシェットさんの演技に圧倒される158分
ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」やフローリアン・ゼレール監督の「ファーザー」に似た雰囲気を持った作品ですごく好き、一気に引き込まれ158分の長尺を全く感じず、すごく面白かったです
何よりケートさんの演技が素晴らしかった
力強く、勢いと威圧感MAXで高い自尊心とプライドに満ち溢れた女王様が徐々に壊れていく様は圧倒的、彼女のキャリア最高傑作と謳われるのも心から納得できました
トッド・フィールド監督の演出と脚本も素晴らしかった
不穏な音楽と映像で、終始とてつもない緊張感に包まれ、観終わった後、硬直していた両肩の力が抜けて一気に落ちる感じ、それぐらい全編に漂うテンションの高さが半端ないです
クラシック界の話だけど音楽よりも“音” にフォーカスが当てられており、いろんな音が出てきて、嫌〜な感じがいいです
全体的に暗い映像もすごく好き
いつも曇り空、薄暗い室内、“何か”がいそうな闇
そして一番気になったのは“余白”を感じる構図としょっちゅう出てくる鏡越しの映像、主人公が壊れていく過程の二面性を象徴しているのでしょうか
後半の展開によってフィクションとノンフィクションのシームレスな世界に混乱しはじめ、観終わった後、始めからもう一回すぐ観たくなる傑作、すごく面白かったです
本作を楽しめる側の人間では無かった
レビューを見て覚悟はしていたが、想像以上に見る人間を選ぶ作品だったように思う。
特に冒頭の30分。
超絶音楽音痴で、小学生や中学生時代の授業で何を聴いても読んでも感想を書けない、思いつかない、感性というものをほぼ持ち合わせていない自分には何の共感も沸かない言葉ばかりまくし立てられ、ただ「早く次行けよ」と思っていた。
中盤から物語が加速するというようなレビューを見ていた為、期待して見続けたが、自分的にはあまり加速せず終わった(笑)
(三輪車から補助輪付き自転車ぐらいまでは加速したかな・・・)
本当に最後の最後の方のあの激しいシーンは少し「おお!?」と思ったが、その前に何故あの男性があそこに立っていたか分からなかった。もうちょい説明求む!
しかし、駄作だとは思わない。レビューの題名に述べた通りなのだろう。
かなり待たされたトッド・フィールドの新作ということで自分がハードル...
かなり待たされたトッド・フィールドの新作ということで自分がハードル上げすぎた感もあるけどケイト・ブランシェットの演技が圧巻でそれだけで充分おつりがくる
人を安易に傷つける人ほど脆い
ケイトの演技は素晴らしかったですが、リディア・ターという人物については全く共感することなく終わってしまいました。
正直、自業自得と言いますか。そりゃ近場の人と寝まくってたらそうなるだろうって感じですが、のし上がるために同性愛者を装って枕をやるしかなかったのか、単純に惚れやすい人間だったのかどっちだったのかは最後までわかりませんでした。
唯一言えることがあるとすれば…コンマス怖え。
自分が相手を切る立場の時は、相手の痛みなんてわからない。
自分が切られる立場になって、初めて痛みがわかるようになる。
それをわかりやすく描写した作品ではありましたが、なんにせよ、ちょっと脆すぎじゃないか主人公とは思ってしまった。
仕事人間としての自分とプライベートの自分に挟まれて我を忘れたとしても、さすがにどっちかの自分に対してはプライドを持ってるだろうとは思っていたので、転換期となったあの一件はさすがに落ちすぎだろと。
お前も終止線入れんなやとツッコミ入れてしまいましたが。
個人的に転換期のあの一件の強引さと、ラストのアレでなんだこりゃ?と思ったので3.5点と辛めにしました。
別の国の話なのに大阪人の指揮者という時点で変な悪寒がしましたが、やっぱり日本はアニメとゲームとコスプレの国だと思われてんだな全世界で…とエンドロールで思わず遠い目になってしまいました。
ケイト・ブランシェットに尽きる
ケイト・ブランシェット渾身の演技による凄まじい迫力の映画。
主人公のリディア・ターは、非凡な才能に恵まれた女性だ。本業の指揮ではベルリン・フィル初の女性主席指揮者となり、作曲や執筆もこなす。頂点に君臨した女帝が、ある事件をきっかけに転落する様を丹念に描いていく。
正直、楽しい映画ではない。頂点に立ちながら彼女は少しも幸せそうに見えない。意味不明なシーンも多々あり、観客に考えることを要求する。
だが、監督・脚本のトッド・フィールドが創造した人物に、ブランシェットが命を与えた。その奇跡を目の当たりにする価値は確かにある。
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