TAR ターのレビュー・感想・評価
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ケイトブランシェットを浴びました
これは。
コリンファースで言うところの「シングルマン」とでもいいましょうか、とにかく大好きな俳優さんがこういう作品でてくれると本当に感謝しかありません。
ちなみにマーラーちゃんと聴いたことないレベルの者でも楽しめました。
逆にクラシック好きの方は意外と演奏シーンが少なかったのでその点は物足りないかもなとも思ったり。
158分間、リディア・ターに支配される
才能が権威(マエストロ)になり権力を手にしたリディア・ター。自信に満ち溢れた威容は、周りの者を圧倒する。ケイト・ブランシェットが放つオーラはスクリーン越しでも伝わってくる。
リディア・ターと助手や指導した学生との関係は、はっきり描かれない。狭い業界に君臨する圧倒的な権力を前に、思い切って身を委ねるか、生きていくために心を殺す。その二択しかないと思い込んでしまうのは容易に想像できる。
リディア・ターの耳に入ってくるノイズ、幻聴。ターの脳裏に映し出される幻覚。不吉な予兆は、文学的な演出にとどまっているので、ターの内面の不安を示しているのか、未来を暗示しているのかわからないが、見ているこちらの心も掻き乱される。
選ばれし者は、何をしても許される。ケイト・ブランシェットの怪演を見ていると、そういう錯覚に陥る。リディアに畏怖してしまう副指揮者のセバスチャンと助手のフランチェスカ。彼らが見せる愛想笑いが屈服してしまった人間の哀しさを物語っている。
リディアがジュリアード音楽院で指揮者コースの講義を行うシーンがある。生徒の1人が、バッハの人種や人間性を理由にバッハの曲を頑なに拒否する。僕には屁理屈にしか聞こえないが、キャンセル・カルチャーが行き過ぎると、バッハでさえもアウトになってしまう危険性がある。バッハが20人の子供を作ったというだけで。
もっとも、ワーグナーの方が先にキャンセルされる可能性が高いが。
「五感を震わせる圧巻のラスト」という謳い文句は大袈裟だが、虚を突かれた。このラストの受け取り方はどちらかに分かれると思うが、僕は好意的に受け止めた。リディア・ターは必ず復活する。
追記
2度目のTARは、TARの視点で鑑賞。権力が一つ一つ剥がされて行く恐怖は、天上から地上に堕ちていくようで、自殺を選びたくなる。追従を言っていた人間が冷笑を浮かべてTARにトドメを刺す。
TARが、子供の時に何度も見たであろうバーンスタインのビデオ。「音楽は、人々に喜びを与えるために存在する」バーンスタインの言葉は、迷い子になったTARの進むべき道を照らす。
人生の途中
主人公、リディアターの成功者から転落していく人生を描いたもの。
前半にリディアの指揮者に対する心構え、中盤に性事情の話を挟み込みその2つを軸に後半から終わりまで話を進めていくものになる。
リディアの人生の途中から描いているためか、十分には登場人物の説明はなく、話が展開していくごとに該当人物が現れるような構成で、話を結びつけるのが難しいと感じた。
性事情に関しては最初は誠実な人物かと思ったら移り目がひどく、音楽の才能がとびぬけたオルガが登場するとかなり入れ込むようなだらしなさ。最初からレズビアンだと思っていたら、パートナーが連れ込んだとぶっこまれあそこは少し笑った。
指揮者、作曲、家庭、楽団、多くのストレスにより、少しの異音でも目が覚めてしまうほど神経が過敏になり、薬を取らないと生活していけないような始末。話が進み成功者から転落しはじめ、少しずつ解放されていく中で、リディアの家で森の中で眠る演出はあそこが彼女のターニングポイントだったのかもしれない。
転落途中に実家に帰宅し自分の指揮者としての原点を再確認。自分は指揮者が好きなのだと再確認し、自分を採用してくれるような会社を探すために2か国ほど国を渡り、最終的にリディアはアジア圏のコスプレ集団が映像を見る中で生演奏のBGMを流すための指揮者として幕を閉じる。
リディアの指揮者でいることのこだわり、指揮者としてのこだわりを最後まで貫き、どんなところに行っても指揮者であり続けるという姿勢は良かった。また、リディアの人生が転落していく問題になったクリスカは最後までリディアにすがり、自分では行動せず最終的に自殺を選んだ心の弱さ、もしくはリディアの生き方への対比はどちらが正しいとは昨今では言いにくいが、もしかしたらリディアのような力強さも必要だと伝えたかったと思う。
クリスカは最後まで見るとリディアにたぶらかされたのかもしれないがそこについては本編ではわからない。
不満な部分は多く、リディアの人生の出来事を映していたためか、出来事の顛末を映すことなく物語が終わった。フランチェスカが辞めた真意、動画を作成していたのはオルガなのか誰なのか、訴訟の結末、名前だけ出てきた人物など。私がまだまだ未熟で理解していない部分が多いと思うがもう一度見てすべて理解したいと思う作品ではなかった。
実在してそうな人物
ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技!
主人公ターがトップに君臨するためには
犠牲にしなければならないことが多くあります。
人をマネジメントする難しさや
中傷を浴びること、そして私生活も犠牲になります。
まともな神経ではいられなくなるでしょう。
強くあればあるほどそのリバウンドが恐い。
実在の人物ではないけど実在してそうな人物でした。
今度は3大ケイト‼️
先日、我が家の3大クリス(プラット、エバンス、パイン)の話を別のレビューで書きました。
とくれば、今回は3大ケイトに触れないわけにはいきません。
ブランシェット、ウィンスレット、ハドソン‼️
ラン、スー、ミキと比べてもなんら遜色ない。
いやまあ、スケール感というか度量衡が違う、とかはこの際言いっこなし❗️(あくまでも我が家限定の一般教養として、ご容赦ください)
ブランシェットは、我が家では神のような存在です。
親娘揃って『ロード・オブ・ザ・リング』を崇め奉ってますから、誰がなんと言おうとガラドリエル様を未来永劫尊崇し続けることになってます。
映画のジャンルがまったく違っても、まさに、降臨としか表現できない(劇中の言葉で言えば、音符♫でしか表現できない)圧倒的なオーラ‼️
ハーバード白熱教室のサンデル教授のような講義のシーンもついつい字幕を追ってしまい乗り切れず、その後のストーリー展開も少し凝りすぎな感じでややダラけかけたところはありましたが、ジョギングとサンドバッグ打ちで、心身のリズムやテンポを調えるパターンは、個人的にはナイスでした。
知的作業や創作を行うことと運動が脳に与える効果との関係性については、アンデス・ハンシェンの『運動脳』や『スマホ脳』で説得力のある事例が紹介されてます。
テーマ性を読み解こうとすると、ちょっと疲れる映画ですが、ケイト・ブランシェットの〝神〟演技を堪能できるのが嬉しい人と、個人的嗜好が合う人にとっては、とても満足度の高い映画です。
パワハラセクハラ主人公を正面から描いた稀有な名作‼️❓
字幕で観たが、吹き替えを含めて、字幕と吹き替えの表現で内容にフィルターが掛かると思う。
例えば、娘をいじめている子に迫る言葉が、直訳なら、殺す、だが無難にしてる、それだと主人公の造形を歪める。
最初の、自殺者のところから始まるが、主人公が、ただ、個性の塊か、鬼畜なのか、グレーだが、現実にはパワハラもセクハラもグレーなことが多いのだろう。
参考になるのは、主人公が悩み苦しみながらも、とことん太々しいこと、あれだけ有名なら、ベトナムくらいしか活躍の場がないのだろう。
パワハラやセクハラ、いじめに自死するに対比して、なんと前向きなことか、感心した、敵ながらアツパレ、惚れ惚れする、嫌味じゃなく。
予告編にミスリードされて、ホラーかサスペンスと誤解して観てたら、人間ドラマでした。
吹き替えならどんな印象でしょうね、ミュージカルみたいに別物の映画になると思います。
いろいろ見方が変わる映画🎞🎟🎬、みんなのレビューが楽しみな映画🎦是非
クラシック音楽業界に止まらない、21世紀の人間の業が凝縮された感じ
まずはその、ケイト・ブランシェットの役作りに圧倒される。リディアになりきって、吹き替えなしのパフォーマンス。逆に「すごい努力家の俳優さんだな」という邪念まで湧いてきてしまう。
ストーリーを図にするとグライダーみたいだ。実力と向上心で正当に上り詰めた主人公は、いわゆる超人であるがゆえに少しずつ周囲の人たちとの関係性が綻び、内部から崩壊していく。エンパシーの欠落だろうか。彼女のベルリンのアパートメントのクールすぎるインテリアと同じで、隙はないけど温かみもない(個人的には好みだけど)、みたいな、、、。
だからこそ、まさかのラストに救いが! ビジュアル的にもサプラーイズ!
ところで、アジア人もアラブ系かラティーナ系の人も見えたようけど、見当たらなかったようなカテゴリーの人も、、、。BLM(Black Lives Matter)概念とクラシック音楽業界には距離があるのが現実なのだろうか。
プログラムによると、仕掛けも多いみたいだし、できればもう一度見たいと思った。翌日もひきづるタイプの大作だったと思う。
ひとえにケイトのおかげ。
ブラック・スワンほど病んでいかない。
凡庸な女優さんでは主役はムリだったろうな。
しかし、病む理由なんて浜の砂ほどあるんだなぁ…
でも、Tarは世に出てくるよ。
何羽かのツバメが電線に停まってても、棒振るね、彼女。
ART?!
誰か書くだろうって黙って見ていたら誰も書きゃしないじゃない、TARがARTのアナグラムだって。私やトッドの最後の映画になるかもしれないってあれほど大風呂敷広げたのに、どうも興行の方はパッとしないみたいね。やっぱりトッドの勘はあたってたわ。たとえ大物俳優(もちろん私のことよ)に渾身の演技をさせたところで、アート作品じゃ客を呼べないって、時代は変わったのね。ウォシャウスキーが『レザレクションズ』で映画とリアル(ネット動画)の共存をうたい、カラックスが“MOTAL”致死状態の映画を嘆き、リドリー・スコットがミレニアル世代の映画離れを罵倒し、ジョーダン・ピールがブロック・バスターの終焉を予言したように、トッド・フィールドは本作のような芸術映画がもはや時代遅れだってことにちゃんと気がついていたのね。だから映画の中にジャンル系(オカルト)のトッピングを混ぜてあったんだ。あんたたち大好きでしょ、そういうの?じゃあ映画についての映画ってこと、って当たり前じゃない、あんたたちどこ見てんのよ。聞く人がいないとうまく歌えないって私が冒頭教えてあげたでしょ。見る人がいないとうまく演技できない、つまり、ケイト・ブランシェットがケイト・ブランシェットを演じた映画でもあるのよこの映画、わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。私が演じたターよりも、それを動画に撮っているのは誰かってことで、あんたたち盛り上っていたらしいじゃない。まるでターが実在しているかのようなごっこをしてネットで遊んでたって噂よ。私とトッドが心配してたことまんましでかしてどうすんのよ。本チャンのライブ(映画)よりも、指揮者(役者)本人のスキャンダルの方を見る人がずっと多い、っていう本末転倒現象のことを言ってるの。キャンセル・カルチャー云々はどちらかというとその副産物ね。アケルマンへのオマージュショット※だって“映画についての映画”であることのちゃんとヒントになってるでしょ、気がついてよったく。フィリピンの滝のシーンで、案内係のバカップルがリディアのことそっちのけで遊び呆けてたでしょ、(滝の)スクリーンの中の私をひとりぼっちにして。水槽の中の風俗嬢だってみんな目をふせていたじゃない。そんな誰も見ない芸術映画を自己満足でつくったって意味がないってこと。たとえ系統は違っても若い人たちがノリノリで見てくれるエンディングのような、どんな形でも映画が生き残る道を考えるべき時代に突入してる、ってことを言いたかったのに、ったく。
※この映画実は過去の名作へのオマージュらしきシーンを、他にもたくさん発見できそうな作品です。気がついた部分だけ列挙しますが、おそらくこれだけではないでしょう。
・常時精神安定剤を服用し、饒舌かつ神経質、#me-tooでパージされたコンダクターは、トッド・フィールドが映画のイロハを教わったというウディ・アレンがモデルなのかもしれません。
・一連のボクシング練習シーンとカプランぶん殴りにいくシーン→ロッキー
・チェリストを追って廃墟でリディアが迷子になるシーン→ベニスに死す or ストーカー
・リディアが口から煙を吐く幻覚シーン→地獄の黙示録
タイトルなし
結末、アジア人としては胸糞じゃないですか?文化といえばゲームとコスプレ、性を売り物にする野蛮さ…へいへいわかりましたよ、としか思わないのだが。ターが自らの傲慢さを突きつけられるためにああいう演出なのだとしたら、そんなことのためにステレオタイプを強化するな、端的に制作陣の傲慢さの表れだと思う。
(追記)上記のような指摘に対して答える監督のインタビューも読んだが、典型的な「俺にはマイノリティの友人がいる」話法で笑ってしまった。この期に及んで『ロスト・イン・トランスレーション』のだめな部分を見せられるとは。
理性と感性と
「指揮者の故郷は演奏台」
カッコつけます。これは現代の「8 1/2」であり、「地獄の黙示録」です。
正直に言います、よく分かりません。
理解したければここまで登りつめて来いという、そういう作品です。
そして何より、徹頭徹尾マイノリティに配慮した(或いはせざるを得なかった)作品に映りました。
冒険しているのに堅牢、僕はあまりスマートフォンやタブレット端末が登場する作品は、(サイバーものでもない限り)作品の奥行きが損なわれる気がして好かないのですが、ここでは全く雰囲気を損ねていないのは見事。
そしてケイト・ブランシェットの多彩ぶりに驚くばかり。ピアノは弾く、ドイツ語はペラペラ話す、エンドロールを観たら「指揮:ケイト・ブランシェット」表記の多いこと多いこと。おっと、「多彩」という言葉は現代においては否定的な表現でしたね、専門性がないと生きていけない。
私事ですが、最近ベルリンを舞台にした海外ドラマにハマっておりまして、本作の主な舞台もベルリンということで、華やかなりしも陰を漂わせるのはベルリンならでは。作業場にフォルカー・ブルッフやリヴ=リサ・フリースが突然現れるのではないかとドキドキしました。
ただ、マーラーの交響曲第五番第四楽章"アダージェット"はやや軽かったかな?あれではダーク・ボガードが未練タラタラになってしまう(劇中リハーサルでもヴィスコンティに触れていましたね)。
人生を安全に生き抜くには徹底的に感情を排除しなければならないが、人間そうはいかない。いわんや芸術家をや。本作で取り上げられた問題はあくまでも氷山の一角で、恐らく至る所で起こっていたのではないかと推察します。
映画手法は斬新だが説明不足で観る人を選ぶ
どんな指揮者の半生を描くんだろうと思っていましたが、
無駄にレズビアンであること、気に入った女性スタッフをえこ贔屓しがちでひんしゅくをかっていること等。。音楽に直接関係無い本人の嗜好が何故か強調されて行き、
しかも途中の幻聴の理由説明が無い。
もしかしてオカルト映画?ホラー映画なのか??と困惑する演出が淡々と続き、
一応話の流れとしては意図しないスキャンダルで名声のあった指揮者が干されてゆき、最後はおそらく何でもいいから仕事しないと、となってアニメ映画か?ゲーム映画?のオーケストラの指揮で観客はコスプレOK上映をしている。。
もちろんマーラーやベートーヴェンとかの交響曲の演奏のほうが格式は高いかもしれませんが、例えばドラクエや鬼滅の刃のオーケストラコンサートなんかは凄く本格的なきちんとした演奏をするものだから、例え観客が世界観のコスプレOKの演奏会、上映会だったとしても「落ちぶれた指揮者の成れの果て」みたいな演出にゲーム音楽を充てるのはちょっと納得いきませんでした。
それと。。場面が唐突に変わりすぎ、説明無さすぎて観客はほっとかれるし。。この斬新な手法も面白いと思う観客だけが楽しめばいい、という監督の意図なのか???うーんちょっと私はこの映画手法はあまり好きになれませんでした。
自ら命を絶った若い女性の亡霊が為せるわざなのかなんなのか、何が言いたい映画かよく分かりませんが、
とりあえずターさん、この若い女性がロビーで「メールしてもいいですか?」って尋ねた時にはっきり「忙しくて返信出来ないのでメールはしないでね」と断らなかったくせに、結局スタッフが「またメール来てますがどう返信しますか?」の問いに「あぁ、返信しなくていいから」ってぶっきらぼうに。。。この部分だけは誠実さが無さすぎて、ターが落ちぶれていっても同情出来ませんでした。
返信する暇が無いなら、メールとか連絡はしないで、とちゃんと断っていれば、せめて途中にこれからはごめんなさい返信出来ないので、ごめんなさいね、と誠実に状況を説明していれば、若い女性は命を断つこともその両親が告発することもなかったのに、と残念でした。
同居しているパートナーにも事態を黙っていたとか。。。とにかく主人公も監督も説明しなさ過ぎる映画であまり面白くはなかったです。
ケイト・ブランシェットの無駄遣いだと思いました。。残念。
物音はドレミでしか聞こえません♪
色々なプレッシャーがかかり苦悩する天才女性指揮者の話。
冒頭から始まるインタビュー、余りにも長い会話で即寝落ちしそうな私。インタビュー終わったと思ったら喫茶店で話。(笑)
話が長いよー!!
作品観て音楽部分の感想するなら、作品が作品なだけにプロ側の話であって、軽く楽器かじってます位のレベルでは共感は出来ないと思った。作品を観てストーリーは把握出来ても、ホントに音楽をやってて、ある程度の領域、もしくはプロじゃないとわからない話の部分があるように思えた。(楽器の演奏部分、音楽関係者の話部分など)
あと凄いと思ったのは主役のター、白パン履いて貧乏ゆすりの天パーかパンチヘアの彼のシーン、あそこのセリフ相当長かったけどカット入らないで一連撮り?ごめんなさい私はプロではないので一連撮りという言葉であってるのかわからないけど。
個人的わがままを音楽作品だから音楽風で例えるけど、もうちょっと強弱ありの山あり谷ありが良かったかな!平坦な一本道って感じでちょっと時間が長いと感じてしまった。
芸術と生活の葛藤・現代版
2022年。トッド・フィールド監督。ピアノを弾き、古典音楽の歴史にも音楽理論にも民族音楽にも通暁して、指揮者としてトップに上り詰めた女性が転落していく様をリアルに、かつ、現代社会批判として描く。
昔から天才芸術家は生活面では壊れていることが多く、そのことを表現する文学作品も映画作品も多い。この映画もその「天才ジャンル」の正統的な流れに沿っている。破綻の原因が恋であることもパターンといえばそれまでだ。異なるところは、女性主人公がレズビアンを公表しており、相手が女性たちであることと、悪意あるSNSによって集団内の出来事がすぐに一般的な倫理規範にさらされて反論の余地がないということだろう。SNSは特殊事例を許さず、あらゆる出来事を標準化・一般化の圧力にさらす。民主主義の原則をどこまでも完遂しようとする。しかし、天才は民主主義にはなじまない。才能は平等ではないから。
天才の描き方も新鮮だった。この映画では、主人公は自らの天才ぶりに自覚的であり、その意味では生活者の資質を持っている。したがって、天才であること=普通の生活者ではないことに恐れを抱いている(天才の自意識)。それを表現するために、ちょっとした生活音におびえる様子が細かく挿入されているし、自信を裏切る若い女性演奏家の姿を見ても我を忘れて怒るのではなく、あきらめとともに受け入れている。没落後の生活も音楽に奉仕するかのごとく淡々と描かれている。
天才であることが特別視されない現代社会をよくわかっている天才の悲劇、というところだろうか。
クラシックの知識がある方向き
前半のモタモタ感はクラシックの知識が有れば乗り切れるかも 後半のバタバタした展開も前半の伏線が理解できれば楽しめるのだろう 始まって30分で置いて行かれた私には残り2時間は辛かった
レヴァインwデュトワww
ブランシェット凄すぎ。冒頭インタビューとそれに続く音楽院講義シーンでの台詞の抑揚・緩急・間、眼と手の表情等、全てに圧倒され,あっという間に見終わった。
並外れた才能・野心・使命感に相応しい栄達と,それを失うまいと守勢に入った時の痛々しいほどの不器用さとの対比が鮮烈。
女性は指揮者には不向き、と言い続けた岩城宏之氏が御存命なら、どんな感想をお持ちだろう?
権力者は賞賛も嫉妬も誹謗中傷も「都落ち」も全て受け入れる覚悟を
音が苦手で、雑音も騒音も時計のカチカチ音もダメだ。夜の工事音やアイドリングやお喋りが我慢ならないレベルに達すると110番してしまう。ラジオやテレビはめったにつけない。音楽を聞きながら歩くことも仕事をすることもない。皿洗いや料理やダンスなど自分も盛大に音と共に動く時だけ音楽を流す。
だからこの映画の不穏な音はとても怖かった。一度気になったら正体が分かって完全に止めるまで安心できない。でも背筋が痺れて鳥肌がたつ感動もあった。前半のTarの指揮によるオケの音だ。この映画の音響は本当に素晴らしい。映像も。
権力の最高峰にいるTar、歩き方も指揮する姿もインタビューに滔々と答える様子もケイト・ブランシェットにしかできない。リハーサルでのオケメンバーへの指示にも魅入られた。英語である必要性、ドイツ語である必要性に説得力があり、強くて適切な緊張感のあるドイツ語をマスターしていた。
Tarをフィクションの女設定にしたことで、過去の、今の、リアルだった(過去形にしていいのかわからない)男性中心の権力構造が裏返しに透けて見えた。おぞましくホモソーシャルで限りなく傲慢で極端な身贔屓。のし上がるための情報源確保、自分の地位を脅かしかねない者や気にくわない者は丁重に結果的には蹴落とす。自分にとって愛らしく能力ある若い存在はペットのように側に置き鼻についてきたら捨てる。権力トップに座すれば性別関係なく起こる。それほど権力は強烈で甘くて毒がある。その毒は権力者自身にもまわる。
「ブルー・ジャスミン」と通底するが、TARは見てからの疲労感が凄まじかった。
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でもトッド・フィールド監督はブルー・ジャスミンの監督とは異なる。Tarの「都落ち」の先にはピラミッドの無い、みんなが楽しいホモ・ルーデンスの世界が待っていた。Tarは子どもの頃の夢に戻って自由な時空を思い出し回復する。二回目鑑賞してTarの思考と感情に少しだけ近づけたように思う。
迫りくる老い(すっころんで顔に大怪我)、死(隣人の母親の死)、絶望(女性若手指揮者の自死に始まる自分の転落)を苦しく味わい腹から身に沁みて、Tarは再生し希望への一歩を踏み出す。Tarはヴィスコンティの主人公のように「ベニスに死す」ことなく、音楽以外は潔く捨て「アジアに生きる」。(2023.5.15.)
おまけ
マーク・ストロング、髪の毛があったので本人だとわからなかったー!大好きだから残念だった(再度鑑賞で確認できました!)。
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