TAR ターのレビュー・感想・評価
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分かりずらいオチといくつかの謎について!
カリスマ超有能パワハラ職権乱用レズビアン神経質指揮者の崩壊物語!!!
役が特殊過ぎて庶民的な人では合わないし出来る人ってジェンダーレスでカッコいいケイトブランシェットだからこそ この作品が実現したのだと思います、更に人類で18人しか成し遂げていないEGOT (エミー賞 ゴールデングローブ賞 アカデミー賞はオスカー トニー賞全てをとった人で全部の頭文字を合わせてEGOT)を獲ったという設定で説得力のある人って普通に思いつかないしこの役を出来る俳優は男女含めても地球上ではケイト以外出来る人は存在しないと言っても過言じゃないでしょう。
この役をもし本来の映画会社の要求通りに男が演じていたら恐らくセッション系セクハラパワハラスケベオヤジなだけになりそうですし監督がこの役ケイトにしてって言ったそうで正解でしょうね!
あとベースになる人物が居てそれを映画化した訳じゃ無いっての理解してないと ああいう凄い人が居ると完全に勘違いするくらいターの人物像は作り込まれていました、更に言うと普通なら努力して頑張る感動系か怒鳴ってしばき倒すセッション的な根性モノになると思いきや全く違っていて 完全な善人でも完全な悪人でも無いキャラクターで悪いやつなんだけど有能でカッコ良くて こういうやつのパワハラってしょうがないのかなあとか思わせられるような絶妙な人物にしていて このキャラ好きになって良いの?って困惑させられるような人物でもあるんですよね。
つうかケイトブランシェットじゃなくて完璧にリディアターだったというか実在するリディアターのドキュメントを見る映画って設定で 架空の人物だって言うのを忘れてカリスマターに魅入ってしまいますよこれ。
パワハラに関しては怒鳴ったりしないパターンのパワハラだし子供相手に100%で対峙してるしその時に私は父親よってハッキリ言ってるのも凄かったし実際家庭では子育てや家事は一才やらない父親的存在ではあったけど子供に関していいとこどりし過ぎていてこいつ色々と都合の良いところだけは自分て感じで やってんなお前とは思いました!
あと演技に関しては怪演度マックス濃縮還元400%プラス指の先から瞬きや顔のひきつりとか疲れた表情とかちょっとした仕草にに至るまで完璧に演技をしているのは凄かった、しかもドイツ語と英語を話しながら身振り手振り全開で細かく楽団を調整していく場面と演奏中の指揮してるシーンは素人の自分が見ても凄いのがわかりました。
あと 音がキーワードで音の仕事のプロがどんどん歯車が狂い皮肉な事に音に敏感になって睡眠不足になって徐々に壊れていく描写がホラー要素あってなんだか怖いしランニング中の叫び声はクリスタの声の可能性高いですよね。
最後の風俗の相手を選ぶ場所で5番の子がジーっと見て来て
自分はマーラーの5番をやってて あの5番の子にジーって見られた時に自分のやって来た事に嫌悪感を感じ完全に参ってしまったんでしょうね
それと娘は自殺したクリスタのお化け完全に見えてますよね、あとクライマックスの演奏の場面はターのコンサートじゃ無いしあの場所で直接指揮者を奪い取ろうとするとか完全にタガが外れてましたねー
この映画の1番ビックリするところは映画始まった瞬間にエンドクレジットが流れるところ。
案外アレがエンドクレジットだって分かって無い人も多いみたいですがなんで最初にエンドクレジットやるんすか?って思っていたら最後武装した人が座る客席が写りいきなりスパっと終わって????になるんだけど理由は全てあのラストあの終わり方にする為にわざわざ最初にエンドクレジットをやってたというのが発覚して 相当衝撃を受けました!
何故他国に行って温泉入って元気になって武装してる人が劇場に居て演奏が始まってカッコいい曲流れつついきなり終るので自分は最初元ネタを知らないから???ってなったんだけど そりゃあゲームが好きな人でモンスターハンターやった事ない人は分かる訳無いオチなので劇場に居たおじさんとおばさんと自分は最後唖然として映画おわるんだけど
見に行ったツレがそれ分かっていて映画終わってから元ネタがモンハンだよって説明受けてやっと理解出来た感じでした。
ゲームやり込んでるツレいわく宿行って温泉に浸かりながら敵が来ないように滝が流れている岩場で隠れつつターの居た所と同じ用な場所で休んで回復するらしくそこもまんまなんだそうです。
帰り道に前を歩いている若者もそれに気づいてモンハンだよねアレって会話していて
劇場から出る時のラストの元ネタが分かった人に説明を受けるのを含めてターという映画に含まれているんだなあと思ったら 凄い面白い作品だぞこれってなりました!
たしかにあのラストのあとでダラダラエンドクレジット流したら呆然としたまま劇場を出る事が出来ないですからその為の初めのエンドクレジットって訳なんです。
モンハンはそういう演奏するコンサートやってますよねそういや。
でラストに関しては あれだけの地位にいながらゲーム音楽の指揮者に落ちぶれたと考えるか見事に復活して良かったねと考えるか 更にいうと頭のおかしいターの妄想で有能な指揮者だと思い込んでたって可能性もゼロでは無いし解釈が変わると思いますが監督がモンハン大好きという事なのでアジアを見下してバカにしたオチでは無いと思います!
謎の送り主からターに送られて来た本を破り捨てたりしてましたが
あの本 同性愛カップルが別れてそれを悲観して自殺するって内容らしく そうなると送り主はクリスタだし自殺したクリスタってオーケストラ関係の事での自殺じゃなくてターと別れた事による自殺なんでしょうね!
自分はターがベッドで目覚めた時に自殺したクリスタが一瞬居るシーンや最初に生きてる時のクリスタらしき人が最初に居たとか全くわからなかったし最初の寝てるターを写しながらの携帯でのメールのやりとりの内容(オルガが携帯の人って分かった頃には終盤になってるから内容とかハッキリ覚えてないので2回見ないと理解出来ない構成にわざわざしてるし結局オルガはターを転落させる為の刺客もしくはクリスタ側の協力者がいてオルガを送り込んでるのかもしれない)など確認したい事だらけなので2回目をじっくり画面の隅々まで見て感想を更に書き直ししようと思ってます。
こんなに考察どころ満載の作品も珍しいと思うしこれでもまだ書き足りないくらいですから
それと最初は前半の会話シーンとか長くてなんなのよ?しかも専門用語ばかりで訳分からんとか思ってたけど最後まで見て思ったのが全く無駄が無いし後半を見たら前半部分のやりとりなど全てしっかり回収していて完璧な構成だったんだという結論に至りました!
とはいえ気づいてない部分かなりあると思うし 年に一回しか映画見ないような人向け感0%の超玄人向けでありつつ監督からの俺の意図した事をどれだけ気付くのかな?っていう挑戦状のような作品でもありますねこいつは!!!!!
この作品に関しては簡単に面白く無いって切り捨てて終わりにしないでネタバレを見て貰ってもいいから 色々理解した上で判断して欲しいです、それでも面白く無いならそれでいいんですが これだけ色々と仕掛けがあるってのはわかって欲しいですよ こんな凄い作品は中々ありませんから
自分の中ではスネークプリスケンやマックスやジョーカーやトラヴィスや座頭市と並ぶくらいのカリスマ性を久しぶりに感じるくらいのイカすキャラに出会ったって感覚あります。
最後に ターが気に入り過ぎてサントラ買ったら映画の中で撮影してた そのままの表紙で更にアマゾンだと大きいサイズの限定のジャケットのオマケもついてきて額に入れて飾ってますがなんだかんだ言っても結局はター最高ター最高ター最高。
ケイトブランシェットを浴びました
158分間、リディア・ターに支配される
才能が権威(マエストロ)になり権力を手にしたリディア・ター。自信に満ち溢れた威容は、周りの者を圧倒する。ケイト・ブランシェットが放つオーラはスクリーン越しでも伝わってくる。
リディア・ターと助手や指導した学生との関係は、はっきり描かれない。狭い業界に君臨する圧倒的な権力を前に、思い切って身を委ねるか、生きていくために心を殺す。その二択しかないと思い込んでしまうのは容易に想像できる。
リディア・ターの耳に入ってくるノイズ、幻聴。ターの脳裏に映し出される幻覚。不吉な予兆は、文学的な演出にとどまっているので、ターの内面の不安を示しているのか、未来を暗示しているのかわからないが、見ているこちらの心も掻き乱される。
選ばれし者は、何をしても許される。ケイト・ブランシェットの怪演を見ていると、そういう錯覚に陥る。リディアに畏怖してしまう副指揮者のセバスチャンと助手のフランチェスカ。彼らが見せる愛想笑いが屈服してしまった人間の哀しさを物語っている。
リディアがジュリアード音楽院で指揮者コースの講義を行うシーンがある。生徒の1人が、バッハの人種や人間性を理由にバッハの曲を頑なに拒否する。僕には屁理屈にしか聞こえないが、キャンセル・カルチャーが行き過ぎると、バッハでさえもアウトになってしまう危険性がある。バッハが20人の子供を作ったというだけで。
もっとも、ワーグナーの方が先にキャンセルされる可能性が高いが。
「五感を震わせる圧巻のラスト」という謳い文句は大袈裟だが、虚を突かれた。このラストの受け取り方はどちらかに分かれると思うが、僕は好意的に受け止めた。リディア・ターは必ず復活する。
追記
2度目のTARは、TARの視点で鑑賞。権力が一つ一つ剥がされて行く恐怖は、天上から地上に堕ちていくようで、自殺を選びたくなる。追従を言っていた人間が冷笑を浮かべてTARにトドメを刺す。
TARが、子供の時に何度も見たであろうバーンスタインのビデオ。「音楽は、人々に喜びを与えるために存在する」バーンスタインの言葉は、迷い子になったTARの進むべき道を照らす。
人生の途中
主人公、リディアターの成功者から転落していく人生を描いたもの。
前半にリディアの指揮者に対する心構え、中盤に性事情の話を挟み込みその2つを軸に後半から終わりまで話を進めていくものになる。
リディアの人生の途中から描いているためか、十分には登場人物の説明はなく、話が展開していくごとに該当人物が現れるような構成で、話を結びつけるのが難しいと感じた。
性事情に関しては最初は誠実な人物かと思ったら移り目がひどく、音楽の才能がとびぬけたオルガが登場するとかなり入れ込むようなだらしなさ。最初からレズビアンだと思っていたら、パートナーが連れ込んだとぶっこまれあそこは少し笑った。
指揮者、作曲、家庭、楽団、多くのストレスにより、少しの異音でも目が覚めてしまうほど神経が過敏になり、薬を取らないと生活していけないような始末。話が進み成功者から転落しはじめ、少しずつ解放されていく中で、リディアの家で森の中で眠る演出はあそこが彼女のターニングポイントだったのかもしれない。
転落途中に実家に帰宅し自分の指揮者としての原点を再確認。自分は指揮者が好きなのだと再確認し、自分を採用してくれるような会社を探すために2か国ほど国を渡り、最終的にリディアはアジア圏のコスプレ集団が映像を見る中で生演奏のBGMを流すための指揮者として幕を閉じる。
リディアの指揮者でいることのこだわり、指揮者としてのこだわりを最後まで貫き、どんなところに行っても指揮者であり続けるという姿勢は良かった。また、リディアの人生が転落していく問題になったクリスカは最後までリディアにすがり、自分では行動せず最終的に自殺を選んだ心の弱さ、もしくはリディアの生き方への対比はどちらが正しいとは昨今では言いにくいが、もしかしたらリディアのような力強さも必要だと伝えたかったと思う。
クリスカは最後まで見るとリディアにたぶらかされたのかもしれないがそこについては本編ではわからない。
不満な部分は多く、リディアの人生の出来事を映していたためか、出来事の顛末を映すことなく物語が終わった。フランチェスカが辞めた真意、動画を作成していたのはオルガなのか誰なのか、訴訟の結末、名前だけ出てきた人物など。私がまだまだ未熟で理解していない部分が多いと思うがもう一度見てすべて理解したいと思う作品ではなかった。
実在してそうな人物
今度は3大ケイト‼️
先日、我が家の3大クリス(プラット、エバンス、パイン)の話を別のレビューで書きました。
とくれば、今回は3大ケイトに触れないわけにはいきません。
ブランシェット、ウィンスレット、ハドソン‼️
ラン、スー、ミキと比べてもなんら遜色ない。
いやまあ、スケール感というか度量衡が違う、とかはこの際言いっこなし❗️(あくまでも我が家限定の一般教養として、ご容赦ください)
ブランシェットは、我が家では神のような存在です。
親娘揃って『ロード・オブ・ザ・リング』を崇め奉ってますから、誰がなんと言おうとガラドリエル様を未来永劫尊崇し続けることになってます。
映画のジャンルがまったく違っても、まさに、降臨としか表現できない(劇中の言葉で言えば、音符♫でしか表現できない)圧倒的なオーラ‼️
ハーバード白熱教室のサンデル教授のような講義のシーンもついつい字幕を追ってしまい乗り切れず、その後のストーリー展開も少し凝りすぎな感じでややダラけかけたところはありましたが、ジョギングとサンドバッグ打ちで、心身のリズムやテンポを調えるパターンは、個人的にはナイスでした。
知的作業や創作を行うことと運動が脳に与える効果との関係性については、アンデス・ハンシェンの『運動脳』や『スマホ脳』で説得力のある事例が紹介されてます。
テーマ性を読み解こうとすると、ちょっと疲れる映画ですが、ケイト・ブランシェットの〝神〟演技を堪能できるのが嬉しい人と、個人的嗜好が合う人にとっては、とても満足度の高い映画です。
パワハラセクハラ主人公を正面から描いた稀有な名作‼️❓
字幕で観たが、吹き替えを含めて、字幕と吹き替えの表現で内容にフィルターが掛かると思う。
例えば、娘をいじめている子に迫る言葉が、直訳なら、殺す、だが無難にしてる、それだと主人公の造形を歪める。
最初の、自殺者のところから始まるが、主人公が、ただ、個性の塊か、鬼畜なのか、グレーだが、現実にはパワハラもセクハラもグレーなことが多いのだろう。
参考になるのは、主人公が悩み苦しみながらも、とことん太々しいこと、あれだけ有名なら、ベトナムくらいしか活躍の場がないのだろう。
パワハラやセクハラ、いじめに自死するに対比して、なんと前向きなことか、感心した、敵ながらアツパレ、惚れ惚れする、嫌味じゃなく。
予告編にミスリードされて、ホラーかサスペンスと誤解して観てたら、人間ドラマでした。
吹き替えならどんな印象でしょうね、ミュージカルみたいに別物の映画になると思います。
いろいろ見方が変わる映画🎞🎟🎬、みんなのレビューが楽しみな映画🎦是非
クラシック音楽業界に止まらない、21世紀の人間の業が凝縮された感じ
まずはその、ケイト・ブランシェットの役作りに圧倒される。リディアになりきって、吹き替えなしのパフォーマンス。逆に「すごい努力家の俳優さんだな」という邪念まで湧いてきてしまう。
ストーリーを図にするとグライダーみたいだ。実力と向上心で正当に上り詰めた主人公は、いわゆる超人であるがゆえに少しずつ周囲の人たちとの関係性が綻び、内部から崩壊していく。エンパシーの欠落だろうか。彼女のベルリンのアパートメントのクールすぎるインテリアと同じで、隙はないけど温かみもない(個人的には好みだけど)、みたいな、、、。
だからこそ、まさかのラストに救いが! ビジュアル的にもサプラーイズ!
ところで、アジア人もアラブ系かラティーナ系の人も見えたようけど、見当たらなかったようなカテゴリーの人も、、、。BLM(Black Lives Matter)概念とクラシック音楽業界には距離があるのが現実なのだろうか。
プログラムによると、仕掛けも多いみたいだし、できればもう一度見たいと思った。翌日もひきづるタイプの大作だったと思う。
ひとえにケイトのおかげ。
ART?!
誰か書くだろうって黙って見ていたら誰も書きゃしないじゃない、TARがARTのアナグラムだって。私やトッドの最後の映画になるかもしれないってあれほど大風呂敷広げたのに、どうも興行の方はパッとしないみたいね。やっぱりトッドの勘はあたってたわ。たとえ大物俳優(もちろん私のことよ)に渾身の演技をさせたところで、アート作品じゃ客を呼べないって、時代は変わったのね。ウォシャウスキーが『レザレクションズ』で映画とリアル(ネット動画)の共存をうたい、カラックスが“MOTAL”致死状態の映画を嘆き、リドリー・スコットがミレニアル世代の映画離れを罵倒し、ジョーダン・ピールがブロック・バスターの終焉を予言したように、トッド・フィールドは本作のような芸術映画がもはや時代遅れだってことにちゃんと気がついていたのね。だから映画の中にジャンル系(オカルト)のトッピングを混ぜてあったんだ。あんたたち大好きでしょ、そういうの?じゃあ映画についての映画ってこと、って当たり前じゃない、あんたたちどこ見てんのよ。聞く人がいないとうまく歌えないって私が冒頭教えてあげたでしょ。見る人がいないとうまく演技できない、つまり、ケイト・ブランシェットがケイト・ブランシェットを演じた映画でもあるのよこの映画、わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。私が演じたターよりも、それを動画に撮っているのは誰かってことで、あんたたち盛り上っていたらしいじゃない。まるでターが実在しているかのようなごっこをしてネットで遊んでたって噂よ。私とトッドが心配してたことまんましでかしてどうすんのよ。本チャンのライブ(映画)よりも、指揮者(役者)本人のスキャンダルの方を見る人がずっと多い、っていう本末転倒現象のことを言ってるの。キャンセル・カルチャー云々はどちらかというとその副産物ね。アケルマンへのオマージュショット※だって“映画についての映画”であることのちゃんとヒントになってるでしょ、気がついてよったく。フィリピンの滝のシーンで、案内係のバカップルがリディアのことそっちのけで遊び呆けてたでしょ、(滝の)スクリーンの中の私をひとりぼっちにして。水槽の中の風俗嬢だってみんな目をふせていたじゃない。そんな誰も見ない芸術映画を自己満足でつくったって意味がないってこと。たとえ系統は違っても若い人たちがノリノリで見てくれるエンディングのような、どんな形でも映画が生き残る道を考えるべき時代に突入してる、ってことを言いたかったのに、ったく。
※この映画実は過去の名作へのオマージュらしきシーンを、他にもたくさん発見できそうな作品です。気がついた部分だけ列挙しますが、おそらくこれだけではないでしょう。
・常時精神安定剤を服用し、饒舌かつ神経質、#me-tooでパージされたコンダクターは、トッド・フィールドが映画のイロハを教わったというウディ・アレンがモデルなのかもしれません。
・一連のボクシング練習シーンとカプランぶん殴りにいくシーン→ロッキー
・チェリストを追って廃墟でリディアが迷子になるシーン→ベニスに死す or ストーカー
・リディアが口から煙を吐く幻覚シーン→地獄の黙示録
タイトルなし
結末、アジア人としては胸糞じゃないですか?文化といえばゲームとコスプレ、性を売り物にする野蛮さ…へいへいわかりましたよ、としか思わないのだが。ターが自らの傲慢さを突きつけられるためにああいう演出なのだとしたら、そんなことのためにステレオタイプを強化するな、端的に制作陣の傲慢さの表れだと思う。
(追記)上記のような指摘に対して答える監督のインタビューも読んだが、典型的な「俺にはマイノリティの友人がいる」話法で笑ってしまった。この期に及んで『ロスト・イン・トランスレーション』のだめな部分を見せられるとは。
理性と感性と
「指揮者の故郷は演奏台」
カッコつけます。これは現代の「8 1/2」であり、「地獄の黙示録」です。
正直に言います、よく分かりません。
理解したければここまで登りつめて来いという、そういう作品です。
そして何より、徹頭徹尾マイノリティに配慮した(或いはせざるを得なかった)作品に映りました。
冒険しているのに堅牢、僕はあまりスマートフォンやタブレット端末が登場する作品は、(サイバーものでもない限り)作品の奥行きが損なわれる気がして好かないのですが、ここでは全く雰囲気を損ねていないのは見事。
そしてケイト・ブランシェットの多彩ぶりに驚くばかり。ピアノは弾く、ドイツ語はペラペラ話す、エンドロールを観たら「指揮:ケイト・ブランシェット」表記の多いこと多いこと。おっと、「多彩」という言葉は現代においては否定的な表現でしたね、専門性がないと生きていけない。
私事ですが、最近ベルリンを舞台にした海外ドラマにハマっておりまして、本作の主な舞台もベルリンということで、華やかなりしも陰を漂わせるのはベルリンならでは。作業場にフォルカー・ブルッフやリヴ=リサ・フリースが突然現れるのではないかとドキドキしました。
ただ、マーラーの交響曲第五番第四楽章"アダージェット"はやや軽かったかな?あれではダーク・ボガードが未練タラタラになってしまう(劇中リハーサルでもヴィスコンティに触れていましたね)。
人生を安全に生き抜くには徹底的に感情を排除しなければならないが、人間そうはいかない。いわんや芸術家をや。本作で取り上げられた問題はあくまでも氷山の一角で、恐らく至る所で起こっていたのではないかと推察します。
映画手法は斬新だが説明不足で観る人を選ぶ
どんな指揮者の半生を描くんだろうと思っていましたが、
無駄にレズビアンであること、気に入った女性スタッフをえこ贔屓しがちでひんしゅくをかっていること等。。音楽に直接関係無い本人の嗜好が何故か強調されて行き、
しかも途中の幻聴の理由説明が無い。
もしかしてオカルト映画?ホラー映画なのか??と困惑する演出が淡々と続き、
一応話の流れとしては意図しないスキャンダルで名声のあった指揮者が干されてゆき、最後はおそらく何でもいいから仕事しないと、となってアニメ映画か?ゲーム映画?のオーケストラの指揮で観客はコスプレOK上映をしている。。
もちろんマーラーやベートーヴェンとかの交響曲の演奏のほうが格式は高いかもしれませんが、例えばドラクエや鬼滅の刃のオーケストラコンサートなんかは凄く本格的なきちんとした演奏をするものだから、例え観客が世界観のコスプレOKの演奏会、上映会だったとしても「落ちぶれた指揮者の成れの果て」みたいな演出にゲーム音楽を充てるのはちょっと納得いきませんでした。
それと。。場面が唐突に変わりすぎ、説明無さすぎて観客はほっとかれるし。。この斬新な手法も面白いと思う観客だけが楽しめばいい、という監督の意図なのか???うーんちょっと私はこの映画手法はあまり好きになれませんでした。
自ら命を絶った若い女性の亡霊が為せるわざなのかなんなのか、何が言いたい映画かよく分かりませんが、
とりあえずターさん、この若い女性がロビーで「メールしてもいいですか?」って尋ねた時にはっきり「忙しくて返信出来ないのでメールはしないでね」と断らなかったくせに、結局スタッフが「またメール来てますがどう返信しますか?」の問いに「あぁ、返信しなくていいから」ってぶっきらぼうに。。。この部分だけは誠実さが無さすぎて、ターが落ちぶれていっても同情出来ませんでした。
返信する暇が無いなら、メールとか連絡はしないで、とちゃんと断っていれば、せめて途中にこれからはごめんなさい返信出来ないので、ごめんなさいね、と誠実に状況を説明していれば、若い女性は命を断つこともその両親が告発することもなかったのに、と残念でした。
同居しているパートナーにも事態を黙っていたとか。。。とにかく主人公も監督も説明しなさ過ぎる映画であまり面白くはなかったです。
ケイト・ブランシェットの無駄遣いだと思いました。。残念。
物音はドレミでしか聞こえません♪
色々なプレッシャーがかかり苦悩する天才女性指揮者の話。
冒頭から始まるインタビュー、余りにも長い会話で即寝落ちしそうな私。インタビュー終わったと思ったら喫茶店で話。(笑)
話が長いよー!!
作品観て音楽部分の感想するなら、作品が作品なだけにプロ側の話であって、軽く楽器かじってます位のレベルでは共感は出来ないと思った。作品を観てストーリーは把握出来ても、ホントに音楽をやってて、ある程度の領域、もしくはプロじゃないとわからない話の部分があるように思えた。(楽器の演奏部分、音楽関係者の話部分など)
あと凄いと思ったのは主役のター、白パン履いて貧乏ゆすりの天パーかパンチヘアの彼のシーン、あそこのセリフ相当長かったけどカット入らないで一連撮り?ごめんなさい私はプロではないので一連撮りという言葉であってるのかわからないけど。
個人的わがままを音楽作品だから音楽風で例えるけど、もうちょっと強弱ありの山あり谷ありが良かったかな!平坦な一本道って感じでちょっと時間が長いと感じてしまった。
芸術と生活の葛藤・現代版
2022年。トッド・フィールド監督。ピアノを弾き、古典音楽の歴史にも音楽理論にも民族音楽にも通暁して、指揮者としてトップに上り詰めた女性が転落していく様をリアルに、かつ、現代社会批判として描く。
昔から天才芸術家は生活面では壊れていることが多く、そのことを表現する文学作品も映画作品も多い。この映画もその「天才ジャンル」の正統的な流れに沿っている。破綻の原因が恋であることもパターンといえばそれまでだ。異なるところは、女性主人公がレズビアンを公表しており、相手が女性たちであることと、悪意あるSNSによって集団内の出来事がすぐに一般的な倫理規範にさらされて反論の余地がないということだろう。SNSは特殊事例を許さず、あらゆる出来事を標準化・一般化の圧力にさらす。民主主義の原則をどこまでも完遂しようとする。しかし、天才は民主主義にはなじまない。才能は平等ではないから。
天才の描き方も新鮮だった。この映画では、主人公は自らの天才ぶりに自覚的であり、その意味では生活者の資質を持っている。したがって、天才であること=普通の生活者ではないことに恐れを抱いている(天才の自意識)。それを表現するために、ちょっとした生活音におびえる様子が細かく挿入されているし、自信を裏切る若い女性演奏家の姿を見ても我を忘れて怒るのではなく、あきらめとともに受け入れている。没落後の生活も音楽に奉仕するかのごとく淡々と描かれている。
天才であることが特別視されない現代社会をよくわかっている天才の悲劇、というところだろうか。
レヴァインwデュトワww
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