TAR ターのレビュー・感想・評価
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「情熱大陸」×「ブラックスワン」風
ジャンルも分からずに、ケイト・ブランシェットに釣られて観ましたが当たりでした。
頂点に登りつめた者が周囲の嫉妬や偏見や無知、無理解に苦しめられ、加えて自らの対応ミスもあって引きずり降ろされる話です。
引っ掛けがあったりわざとぼかしたりしてて一筋縄ではいかない感じです。
まず主人公が誹謗されている場面で、並外れた自己プロデュース力と上手く立ち回ったことによって実力以上の地位についた人間なのかなと思わせますが、違いました。才能も実力も十分にある人物です。
最初の会話が長くて集中がしにくいですが、生徒の指導や楽団の指揮になると実在の指揮者みたいでリディア・ターに圧倒されて目が離せません。その言葉も、指揮する姿もまさにカリスマです。
プレッシャーで次第に神経が参っていって幻覚に悩まされるあたりはホラーサスペンスのようです。
本作は映像や音が素晴らしいし、脚本が細部まで作り込まれています。再起を図って新たな音楽事務所に入ったら、ベテラン担当者を断られて新人を付けられるとか、会話も面白い。ターを取り巻く様々なタイプの人間描写も見ごたえがありました。聞き逃しや理解できなかったところもありましたが面白かったです。
ラストの感想。
落ちぶれた後のアジアの国での仕事は、外国の富裕層向けとみられる性的サービスの店なんかは現実にはなさそうで好きではないですが、ここでのシーンが長いのは、このままでは終わらないというターのしぶとさを表しているのだと思いました。ゲーム音楽の演奏会でも、手を抜く気は全く無く、気力がみなぎっているようでした。
それにしても、ハリウッドは汚物が好きみたいです。
……5/19追記……
一度しか観ていないのでうろ覚えですが……
上記に対応ミスと書きましたが、ジュリアードの学生への対応は良かったと思っています。彼は自分から音大に入っておいてバッハを全否定しています。私の勝手な想像ではそんな人がいるとは思えませんが、現実に居るとしたらかなりヤバい奴です。そういう偏った思想の学生を、ターは根気よく諭したと思いました。でも、学生の「クソ女め」のセリフは、ターがまるで陰湿ないじめをしたかのように思わせる効果がありました。
そして、誰かが(誰でもいい)それを録画し、悪意のある編集をしました。
また、記者会見で。後ろで聞いていた(というかちゃんと聞いてない)カップル。彼女が彼に「どうだった?」と聞き、彼は「例えがクソだ」と答えます。すると彼女は、自分は理解していないにもかかわらず、ターの事を『つまらない事を得意げに話す女』とインプットするでしょう。
こうして、SNSで特定の人をバッシングする構図が出来るのだなと思いました。
卓越した天才の盛衰
音楽にも詳しくないし158分だし。ちょっと見るのに勇気がいるわぁ、色々と入り込めなかったらどうしよう…と不安半分で挑んだもの。あっという間でした。魅せに魅せられたケイトブランシェットの迫真の演技が強烈すぎました。最高に息苦しくて、どうしようもないくらい追い詰められていく彼女の背中をひたすらに見守り抜いた時間でした。冒頭から音楽の専門性や歴史についてやたらめったら語るシーンが長かったんだけど、それもそれで彼女の超越したエゴイスティックな要素を大風呂敷で描かれるにあたって必要だったわけです。ある音楽家の卓越した才能の頂点と転落。自分自身を尖らせて、戦って、鼓舞しつづけて、才能を煽り続ける人生というのは…辛いだろうなぁ。最終的には「人間性の弱点」を叩かれまくっていく過程を観ながら、それはそれで当然な部分もあるけれど、周りと信頼関係を紡げなかった彼女の孤独性を想像すると悲しかった。どんな状況下においても音楽を続けていく事が彼女にとっては生きること。それだけが救い。
女優さんがどんな女優さんか、僕は知らない。だから、凄い演技なのか僕は分からない。
1.レズビアンの所だろうが、感覚が完全に男の目線に感じる。
2.話があちこち飛んで、起承転結が壊れている。
3.マーラーの5番とか登場するので、一瞬惹かれるが、長く続かない上に、そちらがメインテーマではないと分かる。
4/ジェー○ズ・レヴ○インの事件やカラ○ンの疑惑やフルト○ングラーの反ナチス行為は別物。この偉大な指揮者たちの行為をモデルにしているのは理解できるが、だから、許されたり、過大評価する必要はない。まぁ、そう言った事は音楽に限った事ではなく、例えば三島由紀夫先生の小説や、藤田嗣治画伯の絵画を、彼らの行動で評価する事は出来ない事と同じだと思う。
そもそも、名指揮者とか名演奏家等と評価しているが、例えば、ベルリンと日本国の元国営放送の楽団の差なんて、わかるのだろうか?
この映画でも、ベルリンじゃなくて、ドレスデンな訳でしょう。
カラヤンは偉大な指揮者なのだろうが、デジタル音源で聞くのがやっとの事。フルトベングラーに至っては音源にステレオがない。やはり、どんなに名のない楽団であっても生のオーケストラの音にかなう訳が無い。
さて、
映画の中で『ユダヤ人が黒人のJAZZで食って来た』とか『バッハが女性差別主義者』とか言って『バッハが好きになれない?何故?』と貧乏ゆすりの青年にこの主人公が迫るが、その青年が突然切れる。その理由が分からなかった。そんな人物が、指揮者にはそもそもならないだろうと思う。また、女性主人公の話は、特別な極論ではない。
『バクダットカフェ』にバッハをこよなく愛する黒人青年が登場するが『黒人と見るとJAZZ』と言う『決めつけ』が、この演出家の偏見なような気がする。
オーケストラは指揮者が凄いのではない。作曲家から鑑賞者まで全部を含めた総合芸術だと思っている。そう、建物(音楽を聞く場所)もね。勿論、聞く人間の叡智も含んでいると僕は思っている。
ある意味、映画も同じだ。しかし、
沢山の人達で演奏するから、値段が高いのは分かるが、もう少し安くしてもらいたい。
6月4日にあるところへ、ショスタコーヴィチの革命を聞きに行く。市民楽団の演奏なので、恐縮するくらい安い。しかし、元国営放送の演奏を、テレビで見るよりも凄いはずだ。
もっとも、僕のモニターには元国営放送は映らない。
最後もおちぶれて、タイの楽団かベトナムの楽団ってことなのか?メコン川やメナム川にワニなんかいた?その感覚が、西洋人の黄禍論なのかもしれない。西洋のクラシックをアジア系の人たちが奏でる事が、西洋の人たちからすれば、違和感があるのか?どうやら、インドシナ半島にもワニいない訳では無い様だが、アリゲーターは中南米だし、クロコダイルも別の場所。大人しいクロコダイルの亜種がインドシナ半島にも生息するが。
追記
そのワニたちですが、専門家から聞いた話では、環境破壊が進んで、寧ろ、絶滅危惧種の類のようです。
何を支配するか、時に心身を任せる
TAR
ター
ケイト・ブランシェットでないとターは演じきれない、さすがの存在感。
支配〜パワーゲーム
支配から逃れ執着を手放すことが人生の河(時)に流れていくのに大切なことだと感じた。
もう一度観ないと解らない。
TARは観る人それぞれに意識の変化をもたらす。
本質に近づくために
#TAR
#ター
#ケイトブランシェット
面白くないわけじゃないんだけど‥
冒頭からの超長ゼリフはじめ、ケイト・ブランシェットの女優力というか、演技力はさすがの一言。
ただ、ストーリーが‥
天才指揮者の転落、みたいな内容と思っていたんですが、いや、大筋そういう流れなんですけど、なんか泡々としてるというか‥
何か凄く大きな出来事がおきるわけでもなく、いや、おきてるんですけど、メインの筋であろう自殺に追い込まれた弟子?との描写がほぼ無いので、2人の間で何があったのかもいまいちわからない‥
ブラック・スワンみたいな、劇的な流れを勝手に期待してたので、ちょっと肩透かしでした。
アナグラム的な倒錯
世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命されたリディア・ター。彼女は並外れた才能とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する(公式サイトから一部引用)。
公式サイトのあらすじが、割と本作の核心部分まで紹介されているところと、いわゆる商業作品としてはずいぶんと説明を端折っているので全体的に分かりづらい構成になっているところなどから、ストーリーそのものが重要というわけではない作品と分かる。
純粋に音楽に魅せられた原体験、徹底した音へのこだわり、わざわざ養女を育てるレズビアンカップル、遅々として作曲が進まない焦燥、歯止めのかからない承認欲求、逃避的に顕在する情欲、権力とプレッシャー等々、たくさんの要素を個人の中に自ら引き込み混濁し、徐々に倒錯していく過程を、ケイト・ブランシェットの常軌を逸した怪演と、静謐で美しいながらも常に緊張感の漂う映像で見事に表現している。
作中、文章の文字を並び替えて別の何かの文章にしてメッセージを読み解くという、アナグラム的なシーンがほんの少し登場する。「指揮者によって異なる楽譜の解釈」と、「見方によって全く異なる位相を見せる現実社会」を示すダブルメタファーだと思うが、主人公のTARという名前もまた、ARTのアナグラムであるという。それでも音楽という芸術に吸い寄せられていく無垢さか、あるいは、結局のところ音楽という芸術でしか生きられないカルマなのか、ラストは文字通り、解釈が分かれそうである。
名優ケイト・ブランシェット
凄い演技力だ。表現力も素晴らしい。役に打ち込む姿勢も目を見張るものがある。ケイト・ブランシェットは言わずもがな特別な俳優である。
内容はパワハラの行く末を描いており、経歴がどれほど素晴らしくとも、人間性に難があると足元を掬われかねないと人生訓を分かりやすく映像化している。ジェンダーの更なる先にある人間たるものの所作が問われている。象牙の塔が如きクラシック界の男性社会を糾弾しつつも、その環境に囚われ、過剰なはどの欲望と欲求を満たすために利用する自らのステイタス。知性がずば抜けていても、卓越した音楽的才能を有していても、それらは幸運にも備わっている能力に過ぎず、根源的な人間性に全て起因する行動と反応が内にも外にも遺憾なく発揮された結果が、自らを引き上げるか、叩き落とす運命の支配であり、翻弄されるばかりが生々しい人間そのものなのである。
そもそも、本当の答えは事の始まりに出ているのだ。その答えは純粋に「好き」というものである。音楽が好きという答えに気づいた堕ちたターは世界中をドサ周りしようとも、情熱は失ってはいないのだ。例えゲームイベントの指揮者へと落ちこぼれても、気づいた後の強みはある。矛盾のない音楽との関係は常にシンプルであり、それを自らが望んでいるのならば、救われた新たなる出発なのではないか?
芸術(音楽)への信頼
を感じさせる作品でした。
(だからこそ)ケイトさん自身がピアノやアコーディオンを弾くシーンはなくてもよかった。
「ブラックスワン」はもろに芸術至上主義を感じさせる作品だったが、この作品の根底には別の意味で芸術(音楽)への確かな信頼が感じられた。
追記
再度鑑賞。改めて、頂点を極めた人の転落の物語ではなく、再生の物語であることを再確認。
もう少し、フルオーケストラの場面での曲を長く聞きたかった。
監督は、ビデオのシーンをどこかで見つけて、この映画を作る気になったのかな、と思った。
ʅ(◞‿◟)ʃ初めから最後まで置いてけぼり
メルカリかヤフオクで解説本を探したいと思います。
精神をやられ次第におかしくなっていくター。どこからが彼女の幻覚?
あのロシア人が出てきてからか?ターが襲われたのも幻覚だろうか?毎晩幻聴が聞こえているのは完全に統合失調症だろう。ラストシーンの観客は完璧に、、、、幻覚妄想か。
映画の中に伏線が多く出てきますが回収されたかも分からず。登場人物もよくわからず。隣の部屋の人との関係は?夢の中の人物は?
衝撃的最後との触れ込みであるが、患者が一般人をぶん殴った?感じなんでしょう。
ラストシーンはどう捉えるのか?精神疾患が発病してコレから大変な旅(治療)が始まるぞって私は勝手に思いましたけどね。(意外にあっているかも?)
わけわからん映画でした。
クラッシック音楽好きには堪らない❤️
冒頭からいきなりエンド・クレジット。「???」と思いつつ、クラッシックのCDは演奏者はもちろん、いつ・どこでの録音とか、ほーんと事細かにクレジットされてるんだよなー。なのに日本で良く出されていた、クラッシック名曲全集…的なのには、サラッとしか記録されてなくて😭などど余計な事を思っていたら、本編スタート🎵
ケイト・ブランシェット演じる、ターのカリスマ性や発する言葉にどんどん惹き込まれていきます。自信みなぎる声・仕草、もはや台詞ではなく、ケイトの知性から出て来る言葉のようにも思えて来ます。
インタビューやジュリアードのくだりは長過ぎる!という方もいらっしゃいましたが、そこはかとなく散りばめられたアレコレを拾い集めながら、照らし合わせながら、観る楽しみがありました。アバド、カラヤン、、、指揮を時計に例えるのも、なるほど味わい深く…。
ジュリアードの授業で、バッハをピアノで弾く場面では、グールド来るかな?と思ったら、ドンピシャりで(^^)
マーラーとアルマと言えば、ココシュカの「風の花嫁」の絵画が思い浮かんだり、ロマンチックな気持ちになったところで、あの演奏が重なって来ます。
オーケストラの音を指揮台で浴びたい、演奏者の中で聴いてみたい、、、そんな欲望もこの映画では叶えてもらえます。とにかく、音が良い!でも、でも…まだ本物のマエストロの指揮には、0.01ミリくらい足りないかなー…惜しい惜しい惜しいー(←などと超偉そうに、すみません🙇♀️)。オーケストラをコントロールする、うねりを出す瞬間をもっともっと観たかったかも。
そして、団員さん達の目。冷ややかだったり、認めたり…。ターの要求に、皆で気持ちを合わせて、高みにまで達した時の表情などなど、良かったです。
ターの音楽への向き合い方は、最初から最後まで常に誠実でした。ただ、クリスタの死には瞬間的に心に蓋をしてしまった。指揮者として自分の感情も、コントロールするため?自分の築いて来た地位を守りたいため?本能的に?
けれども、ターの本当の声はそれ(心に蓋をする事)は違う‼️と叫んでいる。だって、これではどんどん音楽の本質からかけ離れて行ってしまうのだから。それゆえ、徐々にターの精神が蝕まれ始めるのです( ; ; )
実家に帰り、昔のビデオを見て、バーンスタイン?の言葉に涙するター。
立ち直りのきっかけは、アジアにあった。「Bunkamura」の単語が出て来た時は嬉しかった!
ドン底まで叩き落とされたターですが、音楽には寄り添い続ける…だから、曲を知るために川を渡り滝を行き、そして同時にエネルギーをチャージする。
ザンッ!と終わって、クラブミュージック的な音楽と共に、楽曲のクレジットが流れ始めます。狐につままれたように、呆気に取られて、ある意味エブエブより、不可解だー(/ _ ; )と思いました。が、
あれはモンスター・ハンターを下敷きにしているのですね。ネタバレのレビューを読んで、なるほどでした。
音に怯え、音楽に癒される、そして何よりケイト・ブランシェットに魅了され続ける映画。映画館で観る価値ある、映画でした。
ケイトの予習に「あるスキャンダルの覚え書き」を観て行ったので、尚更のこと感慨深かったです、、、
一体なに??
どこに向かってるんだろうという気持ちで観ていて、最終的に、えっどこに着いたの??という、何だったのか気になり過ぎてパンフレットを買った。町山智浩さんの映画秘宝noteも聞いて、観た後も色々楽しめる!
ケイト・ブランシェットが凄い、とにかく。
途中からホラーになってくところが面白かった。最後まで観ると最初に戻ってもう一周観たくなる。伏線が全部回収されて終わりではなく、余白が残るところもいい。
もう一度観直したい。。。
さてさて、ざっくりと聞いていた前評判から「評するのが難しそうな作品」とは思っていましたが、観終われなやはり「一度観ただけでは消化しきれない」とても複雑な作品です。何せ、いわゆる説明的なシーンやセリフは一切なく、展開を追いつつ前のシーンを思い起こして「何があったのか」を想像していく必要があります。
オープニングからクレジットが流れ、バックグラウンドで流れる音楽(歌)と子供たちの声が眠気を誘うのを我慢しつつ、ようやく始まった冒頭のシーンからスマホのアップにメッセージのやり取りを見せられて、正直、何を意味するのか全く解りません。ただ、これ結構な後半シーンで繋がる状況と、もしかしたらこれは?と匂わせる(とは言え、やはり説明はされない)やり取りを思い起こせば、実は「重要なシーン」なのだと思います。(あぁ、もう一度観直したい。。。)
そして、音楽やオーケストラという世界に全く造詣がないとこれまた何を言ってるのか解らないやり取りを聞いて、これをあと2時間半か、、、とおののきますが、その後徐々に物語が動き出すことで、細かい意味は解らなくてもケイト・ブランシェットの凄みだけは否が応でも感じます。そして、そのケイト演じるリディア・ターに惹き込まれること請け合いです。オケを仕切る指揮者としての彼女も、学生に講義をする彼女も、その説得力と有無を言わせない押しの強さに気圧されますが、徐々に見えてくるそれ以外の部分における彼女の言動の「際どさ」に不安を感じ、リディア自身の不安定さ(不眠)が相まって強い毒性を感じます。
兎も角、この作品の肝は何と言っても「音」にあります。それは迫力十分のオーケストラが奏でる音楽から、リディアの強迫観念を際立てる微かな物音まで様々ですが、さすがにこれは劇場でないと味わいきれないでしょう。
残念ながらアカデミー賞では6部門でノミネートされたものの、結局無冠に終わりましたが、サービスデイとは言え平日の微妙な時間帯のTOHOシネマズ日比谷のスクリーン1はなかなかの客入りでした。結構な集中力を要する難解な作品ですが、見応え十分ですし、個人的に「作品性」としては正直エブエブよりこちらの方が好みだったりします。観終わって感じる「もう一度観直したい」難解さは癖になる面白さで、実に濃厚です。
偉くなると忘れていくものな〰️に
てっぺんまで登り積めたら、後は落ちるだけ 雇われ社長に良くあるタイプ
色々な現代の問題をちりばめていた(LGBT パワハラ セクハラ オールドハラ等々)が、結論として井の中の蛙大海を知らずで、裸の王様になってしまったのかも…
僕も謙虚さを忘れず、明日からも頑張ろうと思いました
若い人が多数中盤で観映放棄 若い人には向かないかな
主人公も定年間際の管理職感を感じたのは…
クラシック音楽好きな方オーケストラ演奏が好きな方、ヒューマンドラマが好きな方 観て(団員感覚で)、音の良い映画館で!
内容、予告編、本編内容は未読未見、キャストのみ把握し、クラシック音楽からのドラマと勝手に予見、鑑賞しました。
内容は、クラシック音楽のベルリンヒルオーケストラ初の主席女性指揮者「TARター」が為に起こる本人の人間的な部分と、才能(音楽の解釈と表現方法)と、現場楽団員の心模様に人間関係の危うさ〓→現指導すした者+以前指導していた人物の出来事などの事件から・・この界隈のトップに立っていたTARターの進路に不協和音が起こり、業界、マスコミ、他、+身辺周(オーケストラ員と同居して育てている幼女、他)。現代社会であるが上での、LGBT、パワハラ、セクハラ、などが絡み合い、TARターの運命は・・・。
映画本編は、始まりは淡々と起伏なく進行していき、どういった展開の映画かと身を任せる時間が流れます・・が、この部分からが物語の後半部分に多大な影響をもたらすことになるドラマの始まりです。
TARターを演じた「ケイト・ブランシエット」の振舞い(目線、指先、仕草、英語、ドイツ語)すべてがカリスマ・マエストロそのもので、俳優の演技以上のものを感じるほど
・架空のドラマと知りながらも、映画鑑賞時は本物のドキュメンタリー作品を見ているかの錯覚を囚われました
(ドラマにでてくる今の社会環境、登場人物実名多数、ドラマ中での会話実名実話の事柄多数・・)
本物チェリスト ソフィー・カウアー 出演演奏
撮影時のワンカット長回し、長セリフ、オーケストラ指揮、・・・
ケイト・ブランシエット マエストロブリが際立っている。
楽曲は
マーラー 交響曲5番
エルガー チェロ協奏曲
をメインに演奏し、ドラマが進行。
1番の残念が、ある程度の時間をさいて演奏を聞かせてほしいが、ドラマ優先の進行のため短時間に終始。
★Digital5.1CH鑑賞
★重低音 3
★音圧 4
★分離度 5
★サイド、(左右、後、活躍度)3
★サラウンド 3
本編は、ほぼスクリーン側で、分離度の良い左、中央、右で高音質でダイナミックレンジの広い音を場面に応じて聴かせてくれる。要所要所ではサラウンド左、右、独立して使用。
オーケストラ演奏部分はスクリーン、サラウンド左右後方(映画館を演奏会場内音響や、コンサートホール音響)をダイナミックレンジ豊かに重層にクリアに生々しく聴かせてくれる。
※ 余談ですがDOLBYクレジットされてますが、残念ながら上映がなく、dtsxも無く、今回初めてTOHO日比谷
のスクリーン1(カスタム オーダーメイドスピーカー システム)に入ったのですが、オーディオ的に従来映画音響としてはダイナミックレンジ、音の解像度、音域、広がり、厚み、最高でした。作品の音造りが良かっただけかもしれませんが。場内シート、壁、装飾、構造、高低差、私的に完璧でした。ボヘミアンラプソディのようなエンターテイメントてなく、巨匠指揮者TARのドキュメンタリー映画と錯覚して見てしまった。(実話でないのは知っていましたが)
エルガーのチェロ協奏曲を、TAR指揮のもと、本物チェリスト演奏が、圧巻の演奏と共にその映像で、リアルなシアター音響があいまって聴かせてくれ、満足感極まる。
ただただ願いは・・1曲とは言わないものの、一楽章くらい・・・聴かせてほしかった。
絵画のような映画…
数か月前から予告編観て
これヤバい映画公開されるぞ!と胸躍らせて劇場へ…
ケイトブランシェットの迫真の演技!
カリスマ指揮者とオーケストラのリアルな演奏。
実際の指揮者の実生活もこんな感じなんだろうと想像できたし
一つ一つのシーンが音楽的で絵画のような印象を受けた。
しかし、途中からストーリーを探している自分に気づいた
ここからどうなるのだろう?と…
決定的事件でもあるのか?…
テーマは何だ?…
この映画、説明がない。
…淡々と主人公が追い詰められていくシーンが続く。
ストーリーを自分なりに解釈し埋める作業が
映画を見終わった後で待っていた。
絵画のような映画。
それが監督の狙いなら良いと思うが…。
音の途切れない作品
音楽の素養など全く持ち合わせていない私には難解で、指揮者ってこんなお仕事なのかーと教えられる場面が多かったですが、一人の人間の生き様を物凄い迫力で観せられました。
序盤から指揮について熱く語る主人公の声
主人公の指揮に合わせて演奏される音楽
彼女を悩ませ続ける住まいでの雑音
負けじと騒ぎ立てる主人公
主人公の引き起こした出来事へデモを起こした人々の声
どんなに飛ばしても静かな高級車の音
チェリストと出会いな場となったトイレでの音
やはり、さまざまな音が印象に残りました。
皮肉っぽいですが、周りの人達の優しい声に耳を傾けることができていたら、あんな顛末にならずに済んだんでしょうか。あるい、天才の宿命なんでしょうか。考えさせられました。
終盤に「音楽は言葉で表現できないものをもっている」(正確には覚えられませんでした)みたいな言葉に改めて感銘を受ける主人公が描かれましたが、彼女の生き方そのものも、言葉を超えるものがあったように思いました。
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