TAR ターのレビュー・感想・評価
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面白くないわけじゃないんだけど‥
冒頭からの超長ゼリフはじめ、ケイト・ブランシェットの女優力というか、演技力はさすがの一言。
ただ、ストーリーが‥
天才指揮者の転落、みたいな内容と思っていたんですが、いや、大筋そういう流れなんですけど、なんか泡々としてるというか‥
何か凄く大きな出来事がおきるわけでもなく、いや、おきてるんですけど、メインの筋であろう自殺に追い込まれた弟子?との描写がほぼ無いので、2人の間で何があったのかもいまいちわからない‥
ブラック・スワンみたいな、劇的な流れを勝手に期待してたので、ちょっと肩透かしでした。
アナグラム的な倒錯
世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命されたリディア・ター。彼女は並外れた才能とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する(公式サイトから一部引用)。
公式サイトのあらすじが、割と本作の核心部分まで紹介されているところと、いわゆる商業作品としてはずいぶんと説明を端折っているので全体的に分かりづらい構成になっているところなどから、ストーリーそのものが重要というわけではない作品と分かる。
純粋に音楽に魅せられた原体験、徹底した音へのこだわり、わざわざ養女を育てるレズビアンカップル、遅々として作曲が進まない焦燥、歯止めのかからない承認欲求、逃避的に顕在する情欲、権力とプレッシャー等々、たくさんの要素を個人の中に自ら引き込み混濁し、徐々に倒錯していく過程を、ケイト・ブランシェットの常軌を逸した怪演と、静謐で美しいながらも常に緊張感の漂う映像で見事に表現している。
作中、文章の文字を並び替えて別の何かの文章にしてメッセージを読み解くという、アナグラム的なシーンがほんの少し登場する。「指揮者によって異なる楽譜の解釈」と、「見方によって全く異なる位相を見せる現実社会」を示すダブルメタファーだと思うが、主人公のTARという名前もまた、ARTのアナグラムであるという。それでも音楽という芸術に吸い寄せられていく無垢さか、あるいは、結局のところ音楽という芸術でしか生きられないカルマなのか、ラストは文字通り、解釈が分かれそうである。
名優ケイト・ブランシェット
凄い演技力だ。表現力も素晴らしい。役に打ち込む姿勢も目を見張るものがある。ケイト・ブランシェットは言わずもがな特別な俳優である。
内容はパワハラの行く末を描いており、経歴がどれほど素晴らしくとも、人間性に難があると足元を掬われかねないと人生訓を分かりやすく映像化している。ジェンダーの更なる先にある人間たるものの所作が問われている。象牙の塔が如きクラシック界の男性社会を糾弾しつつも、その環境に囚われ、過剰なはどの欲望と欲求を満たすために利用する自らのステイタス。知性がずば抜けていても、卓越した音楽的才能を有していても、それらは幸運にも備わっている能力に過ぎず、根源的な人間性に全て起因する行動と反応が内にも外にも遺憾なく発揮された結果が、自らを引き上げるか、叩き落とす運命の支配であり、翻弄されるばかりが生々しい人間そのものなのである。
そもそも、本当の答えは事の始まりに出ているのだ。その答えは純粋に「好き」というものである。音楽が好きという答えに気づいた堕ちたターは世界中をドサ周りしようとも、情熱は失ってはいないのだ。例えゲームイベントの指揮者へと落ちこぼれても、気づいた後の強みはある。矛盾のない音楽との関係は常にシンプルであり、それを自らが望んでいるのならば、救われた新たなる出発なのではないか?
芸術(音楽)への信頼
を感じさせる作品でした。
(だからこそ)ケイトさん自身がピアノやアコーディオンを弾くシーンはなくてもよかった。
「ブラックスワン」はもろに芸術至上主義を感じさせる作品だったが、この作品の根底には別の意味で芸術(音楽)への確かな信頼が感じられた。
追記
再度鑑賞。改めて、頂点を極めた人の転落の物語ではなく、再生の物語であることを再確認。
もう少し、フルオーケストラの場面での曲を長く聞きたかった。
監督は、ビデオのシーンをどこかで見つけて、この映画を作る気になったのかな、と思った。
ʅ(◞‿◟)ʃ初めから最後まで置いてけぼり
メルカリかヤフオクで解説本を探したいと思います。
精神をやられ次第におかしくなっていくター。どこからが彼女の幻覚?
あのロシア人が出てきてからか?ターが襲われたのも幻覚だろうか?毎晩幻聴が聞こえているのは完全に統合失調症だろう。ラストシーンの観客は完璧に、、、、幻覚妄想か。
映画の中に伏線が多く出てきますが回収されたかも分からず。登場人物もよくわからず。隣の部屋の人との関係は?夢の中の人物は?
衝撃的最後との触れ込みであるが、患者が一般人をぶん殴った?感じなんでしょう。
ラストシーンはどう捉えるのか?精神疾患が発病してコレから大変な旅(治療)が始まるぞって私は勝手に思いましたけどね。(意外にあっているかも?)
わけわからん映画でした。
クラッシック音楽好きには堪らない❤️
冒頭からいきなりエンド・クレジット。「???」と思いつつ、クラッシックのCDは演奏者はもちろん、いつ・どこでの録音とか、ほーんと事細かにクレジットされてるんだよなー。なのに日本で良く出されていた、クラッシック名曲全集…的なのには、サラッとしか記録されてなくて😭などど余計な事を思っていたら、本編スタート🎵
ケイト・ブランシェット演じる、ターのカリスマ性や発する言葉にどんどん惹き込まれていきます。自信みなぎる声・仕草、もはや台詞ではなく、ケイトの知性から出て来る言葉のようにも思えて来ます。
インタビューやジュリアードのくだりは長過ぎる!という方もいらっしゃいましたが、そこはかとなく散りばめられたアレコレを拾い集めながら、照らし合わせながら、観る楽しみがありました。アバド、カラヤン、、、指揮を時計に例えるのも、なるほど味わい深く…。
ジュリアードの授業で、バッハをピアノで弾く場面では、グールド来るかな?と思ったら、ドンピシャりで(^^)
マーラーとアルマと言えば、ココシュカの「風の花嫁」の絵画が思い浮かんだり、ロマンチックな気持ちになったところで、あの演奏が重なって来ます。
オーケストラの音を指揮台で浴びたい、演奏者の中で聴いてみたい、、、そんな欲望もこの映画では叶えてもらえます。とにかく、音が良い!でも、でも…まだ本物のマエストロの指揮には、0.01ミリくらい足りないかなー…惜しい惜しい惜しいー(←などと超偉そうに、すみません🙇♀️)。オーケストラをコントロールする、うねりを出す瞬間をもっともっと観たかったかも。
そして、団員さん達の目。冷ややかだったり、認めたり…。ターの要求に、皆で気持ちを合わせて、高みにまで達した時の表情などなど、良かったです。
ターの音楽への向き合い方は、最初から最後まで常に誠実でした。ただ、クリスタの死には瞬間的に心に蓋をしてしまった。指揮者として自分の感情も、コントロールするため?自分の築いて来た地位を守りたいため?本能的に?
けれども、ターの本当の声はそれ(心に蓋をする事)は違う‼️と叫んでいる。だって、これではどんどん音楽の本質からかけ離れて行ってしまうのだから。それゆえ、徐々にターの精神が蝕まれ始めるのです( ; ; )
実家に帰り、昔のビデオを見て、バーンスタイン?の言葉に涙するター。
立ち直りのきっかけは、アジアにあった。「Bunkamura」の単語が出て来た時は嬉しかった!
ドン底まで叩き落とされたターですが、音楽には寄り添い続ける…だから、曲を知るために川を渡り滝を行き、そして同時にエネルギーをチャージする。
ザンッ!と終わって、クラブミュージック的な音楽と共に、楽曲のクレジットが流れ始めます。狐につままれたように、呆気に取られて、ある意味エブエブより、不可解だー(/ _ ; )と思いました。が、
あれはモンスター・ハンターを下敷きにしているのですね。ネタバレのレビューを読んで、なるほどでした。
音に怯え、音楽に癒される、そして何よりケイト・ブランシェットに魅了され続ける映画。映画館で観る価値ある、映画でした。
ケイトの予習に「あるスキャンダルの覚え書き」を観て行ったので、尚更のこと感慨深かったです、、、
一体なに??
どこに向かってるんだろうという気持ちで観ていて、最終的に、えっどこに着いたの??という、何だったのか気になり過ぎてパンフレットを買った。町山智浩さんの映画秘宝noteも聞いて、観た後も色々楽しめる!
ケイト・ブランシェットが凄い、とにかく。
途中からホラーになってくところが面白かった。最後まで観ると最初に戻ってもう一周観たくなる。伏線が全部回収されて終わりではなく、余白が残るところもいい。
もう一度観直したい。。。
さてさて、ざっくりと聞いていた前評判から「評するのが難しそうな作品」とは思っていましたが、観終われなやはり「一度観ただけでは消化しきれない」とても複雑な作品です。何せ、いわゆる説明的なシーンやセリフは一切なく、展開を追いつつ前のシーンを思い起こして「何があったのか」を想像していく必要があります。
オープニングからクレジットが流れ、バックグラウンドで流れる音楽(歌)と子供たちの声が眠気を誘うのを我慢しつつ、ようやく始まった冒頭のシーンからスマホのアップにメッセージのやり取りを見せられて、正直、何を意味するのか全く解りません。ただ、これ結構な後半シーンで繋がる状況と、もしかしたらこれは?と匂わせる(とは言え、やはり説明はされない)やり取りを思い起こせば、実は「重要なシーン」なのだと思います。(あぁ、もう一度観直したい。。。)
そして、音楽やオーケストラという世界に全く造詣がないとこれまた何を言ってるのか解らないやり取りを聞いて、これをあと2時間半か、、、とおののきますが、その後徐々に物語が動き出すことで、細かい意味は解らなくてもケイト・ブランシェットの凄みだけは否が応でも感じます。そして、そのケイト演じるリディア・ターに惹き込まれること請け合いです。オケを仕切る指揮者としての彼女も、学生に講義をする彼女も、その説得力と有無を言わせない押しの強さに気圧されますが、徐々に見えてくるそれ以外の部分における彼女の言動の「際どさ」に不安を感じ、リディア自身の不安定さ(不眠)が相まって強い毒性を感じます。
兎も角、この作品の肝は何と言っても「音」にあります。それは迫力十分のオーケストラが奏でる音楽から、リディアの強迫観念を際立てる微かな物音まで様々ですが、さすがにこれは劇場でないと味わいきれないでしょう。
残念ながらアカデミー賞では6部門でノミネートされたものの、結局無冠に終わりましたが、サービスデイとは言え平日の微妙な時間帯のTOHOシネマズ日比谷のスクリーン1はなかなかの客入りでした。結構な集中力を要する難解な作品ですが、見応え十分ですし、個人的に「作品性」としては正直エブエブよりこちらの方が好みだったりします。観終わって感じる「もう一度観直したい」難解さは癖になる面白さで、実に濃厚です。
偉くなると忘れていくものな〰️に
てっぺんまで登り積めたら、後は落ちるだけ 雇われ社長に良くあるタイプ
色々な現代の問題をちりばめていた(LGBT パワハラ セクハラ オールドハラ等々)が、結論として井の中の蛙大海を知らずで、裸の王様になってしまったのかも…
僕も謙虚さを忘れず、明日からも頑張ろうと思いました
若い人が多数中盤で観映放棄 若い人には向かないかな
主人公も定年間際の管理職感を感じたのは…
クラシック音楽好きな方オーケストラ演奏が好きな方、ヒューマンドラマが好きな方 観て(団員感覚で)、音の良い映画館で!
内容、予告編、本編内容は未読未見、キャストのみ把握し、クラシック音楽からのドラマと勝手に予見、鑑賞しました。
内容は、クラシック音楽のベルリンヒルオーケストラ初の主席女性指揮者「TARター」が為に起こる本人の人間的な部分と、才能(音楽の解釈と表現方法)と、現場楽団員の心模様に人間関係の危うさ〓→現指導すした者+以前指導していた人物の出来事などの事件から・・この界隈のトップに立っていたTARターの進路に不協和音が起こり、業界、マスコミ、他、+身辺周(オーケストラ員と同居して育てている幼女、他)。現代社会であるが上での、LGBT、パワハラ、セクハラ、などが絡み合い、TARターの運命は・・・。
映画本編は、始まりは淡々と起伏なく進行していき、どういった展開の映画かと身を任せる時間が流れます・・が、この部分からが物語の後半部分に多大な影響をもたらすことになるドラマの始まりです。
TARターを演じた「ケイト・ブランシエット」の振舞い(目線、指先、仕草、英語、ドイツ語)すべてがカリスマ・マエストロそのもので、俳優の演技以上のものを感じるほど
・架空のドラマと知りながらも、映画鑑賞時は本物のドキュメンタリー作品を見ているかの錯覚を囚われました
(ドラマにでてくる今の社会環境、登場人物実名多数、ドラマ中での会話実名実話の事柄多数・・)
本物チェリスト ソフィー・カウアー 出演演奏
撮影時のワンカット長回し、長セリフ、オーケストラ指揮、・・・
ケイト・ブランシエット マエストロブリが際立っている。
楽曲は
マーラー 交響曲5番
エルガー チェロ協奏曲
をメインに演奏し、ドラマが進行。
1番の残念が、ある程度の時間をさいて演奏を聞かせてほしいが、ドラマ優先の進行のため短時間に終始。
★Digital5.1CH鑑賞
★重低音 3
★音圧 4
★分離度 5
★サイド、(左右、後、活躍度)3
★サラウンド 3
本編は、ほぼスクリーン側で、分離度の良い左、中央、右で高音質でダイナミックレンジの広い音を場面に応じて聴かせてくれる。要所要所ではサラウンド左、右、独立して使用。
オーケストラ演奏部分はスクリーン、サラウンド左右後方(映画館を演奏会場内音響や、コンサートホール音響)をダイナミックレンジ豊かに重層にクリアに生々しく聴かせてくれる。
※ 余談ですがDOLBYクレジットされてますが、残念ながら上映がなく、dtsxも無く、今回初めてTOHO日比谷
のスクリーン1(カスタム オーダーメイドスピーカー システム)に入ったのですが、オーディオ的に従来映画音響としてはダイナミックレンジ、音の解像度、音域、広がり、厚み、最高でした。作品の音造りが良かっただけかもしれませんが。場内シート、壁、装飾、構造、高低差、私的に完璧でした。ボヘミアンラプソディのようなエンターテイメントてなく、巨匠指揮者TARのドキュメンタリー映画と錯覚して見てしまった。(実話でないのは知っていましたが)
エルガーのチェロ協奏曲を、TAR指揮のもと、本物チェリスト演奏が、圧巻の演奏と共にその映像で、リアルなシアター音響があいまって聴かせてくれ、満足感極まる。
ただただ願いは・・1曲とは言わないものの、一楽章くらい・・・聴かせてほしかった。
絵画のような映画…
数か月前から予告編観て
これヤバい映画公開されるぞ!と胸躍らせて劇場へ…
ケイトブランシェットの迫真の演技!
カリスマ指揮者とオーケストラのリアルな演奏。
実際の指揮者の実生活もこんな感じなんだろうと想像できたし
一つ一つのシーンが音楽的で絵画のような印象を受けた。
しかし、途中からストーリーを探している自分に気づいた
ここからどうなるのだろう?と…
決定的事件でもあるのか?…
テーマは何だ?…
この映画、説明がない。
…淡々と主人公が追い詰められていくシーンが続く。
ストーリーを自分なりに解釈し埋める作業が
映画を見終わった後で待っていた。
絵画のような映画。
それが監督の狙いなら良いと思うが…。
音の途切れない作品
音楽の素養など全く持ち合わせていない私には難解で、指揮者ってこんなお仕事なのかーと教えられる場面が多かったですが、一人の人間の生き様を物凄い迫力で観せられました。
序盤から指揮について熱く語る主人公の声
主人公の指揮に合わせて演奏される音楽
彼女を悩ませ続ける住まいでの雑音
負けじと騒ぎ立てる主人公
主人公の引き起こした出来事へデモを起こした人々の声
どんなに飛ばしても静かな高級車の音
チェリストと出会いな場となったトイレでの音
やはり、さまざまな音が印象に残りました。
皮肉っぽいですが、周りの人達の優しい声に耳を傾けることができていたら、あんな顛末にならずに済んだんでしょうか。あるい、天才の宿命なんでしょうか。考えさせられました。
終盤に「音楽は言葉で表現できないものをもっている」(正確には覚えられませんでした)みたいな言葉に改めて感銘を受ける主人公が描かれましたが、彼女の生き方そのものも、言葉を超えるものがあったように思いました。
さっぱり分からん ベトナムで酒店?
今週の大本命として観て来ましたが、正直なところ、さっぱり分からない内容でした。セリフに音楽の専門用語が多いです。勿論、私の理解力不足です。
クリスタの自死があるのですが、そもそもクリスタって誰?という感じでした。
中盤で、ターを襲った男も誰か分からずでした。
ターが最後に行った所は、ネタバレ解説を見るとベトナムだったのですね。セリフで大阪と字幕にあったり、酒店の看板もあったので、日本にも行ったのかしら。
最後にコスプレのような人達が出てきて、さらに混乱しました。
スリラーだけど、伏線が繋がってない感じで、すっきりしませんでした。
ラスト残念
同じオーケストラで同じ曲でも指揮者の好みによって変わる、前半は録音を成功させたいターがグイグイくる展開。
やがてスキャンダルとか怪しい展開に。
でも最後はターが逆境を克服して録音演奏を成功すると期待してましたが。
マーラーの5番もうちょい聴かせて欲しかった。
クラシック音楽好きならわかると思うが
最初の1時間半くらいはクラシック音楽の詳しいうんちくがたくさん出てきて、わかる人には面白かろう、という話。うんちくはほとんどが正鵠を得ていて、ややクラシック音楽オタクの私にはとても面白かったです。私にとってリアリティの担保にはなる。例えばカラヤンがその権威を利用してひいきの若い女性クラリネット奏者(ザビーネ・マイヤー)をベルリンフィルに入団させようとしてもめたことなんかも思い出させますし、バーンスタインが世界を回って若者のオーケストラを指導していたことなんかを想起させるシーンもある。EGOT獲得(メル・ブルックスも獲ってると言って笑うシーンもあるが笑、クラシック音楽業界だけでない業績もあるということ)、ベルリンフィル首席着任がどれだけ凄いことか、ということを知ってる必要はありますね。ただ、こんな話を続けて落としどころはどういう話なんだろう、と不安になります。ていうかわかんない人には全然面白くないし物語に入れないでしょう。というか長いことストーリー成分が薄い笑。丁寧にリディアの人物像を描いたってわけですね。こういう人物だから後々ああいうことになるという布石ではある。一応必要な描写なんです。
ブーランジェ、オルソップ、シュトゥッツマン、ジミー(!)・レヴァイン、チャールズ(って呼んでました! 日本では「シャルル」だ)・デュトワ、デュ・プレ、バレンボイム、MTT(ディスられてましたね笑)とか、どんな人たちだか知ってますか?当のオルソップはこの映画を観て文句を言ってるらしい。まあ世間はリディアをオルソップになぞらえて見るだろうしねえ。
それから、ベルリン・フィルハーモニーザールとして現れるホール。ちょっと本家と似てるけど(知らない人は似てることすら分からないし、知ってる人には似て非なるものだと判るところが微妙だ笑)ドレスデンにあるホールですね。
音楽はマーラーの5番がメインです。劇中で5番がリュッケルトの詩に唯一関連がない、って言ってるけどなぜだろう。ここには私は異を唱えたい。事実はリュッケルトに最も関係あるのに。4楽章(アダージェット)なんて同時期に書かれた「リュッケルトの詩による歌曲集」の「私はこの世に忘れられ」とそっくりの曲だよ。リハーサルのとき「ヴィスコンティの映画で知られてるけど気にしないで」なんていってたのに字幕は「有名だけどね」程度だったのはいささか残念。この映画を観るような人ならヴィスコンティを出したほうがニヤリとするだろうに。ことさら他でもない5番を選んでるってのいうも、ヴィスコンティとその映画の同性愛を想起させる狙いもあるんでしょう。
これを含めリハーサルシーンでドイツ語の指示には字幕を出さなかったのはどういうことだろう?手抜きだったら許せん。でも音楽の指示だからなんとなくはわかりましたけどね。
さて物語。本編には迷路模様などいろいろ謎めいたアイテムが出てきますが、別に回収されません笑。つじつまが合わないところは全部妄想ってことなんでしょう。予告編にはもっと迷路模様のシーンが出てきてるんですが本編映像には出てこない。本当は「《3人》での南米のフィールドワーク」などが描写されていたんでしょうがカットされたんでしょうね。この辺がちゃんと描写されていればクリスタとの関係とか、もっと分りやすかったと思います(「伏線が回収されません」なんて批判は少ないでしょう笑)が、3時間を超えちゃうんでしょうねえ....でも公開版の本編は竜頭蛇尾というか尻すぼみ、もしくは説明不足の感はありますね。リディアの描写をあれだけ丁寧にやったのに。そのバランスどうよ。
表面的に見ると、傲慢で権力に酔ったカリスマが権威をかさに着て悪事を働き失脚するって話かと思いこみがちですが、そんなに単純な話ではなさそうです。表向きリディアの言動はそれなりにまともです。ジュリアードのアカハラっぽいエピソードも私はリディアの言い分の方が真っ当だと思うし、副指揮者セバスチャンの解任だって(理由はともかく)本人と話してちゃんと筋を通そうとした。なまじっか(醜聞や批判を恐れて?そんなものは怖くないはずだがなぜか微妙にバランスをとって)正当な判断としてフランチェスカを副指揮者に指名しなかった。そのために却って大きな困難を招いてる。あくまでわがままを通すのならフランチェスカを選びそうなものなのに(副指揮者としての資質については曖昧でしたが)。クリスタの家族による告発も、本当に性的搾取があったのかどうかについて明示的には描写されていない。「(真偽は別として)告発されたらおしまいなんだ」っていう皮肉なセリフもありましたが。この辺りは観客によっていずれの解釈(リディアが徹頭徹尾悪者として描かれているわけではない)もできるようオープンになっていて興味深い(でもメールを削除したりして怪しくもある笑)。いずれにせよ悪意のあるSNSに引っかかったらもうおしまいという、必ずしも本人の善悪とか真偽と関係のないキャンセルカルチャーを皮肉ってることにもなってるんですね。その一方、栄光の陰で生活や健康や心は蝕まれていく、という芸術家の悲劇もしっかり表現されていました。このような多義的で重層的なヒロインをケイト・ブランシェットが完璧に演じておりました。ケイト・ブランシェットが当てられなければこの映画は断念する、って監督は言ってたそうです。
終盤はちょっとかわいそうでしたが、あそこまで狂気に走っちゃうか、ってのはやや疑問。
でも総じてつくりは悪くなかったとは思う。K. ブランシェットの演技がいいから一定レベルなんだな。
冒頭のプライベートジェットでのTikTok(動画チャット)は誰が撮影して誰とチャットしてるか、ってことについて考察します。順当に考えればベルリンから(インタビュー番組出演のため)NYに飛んでいる最中にフランチェスカがクリスタとチャットしてるんでしょうね。直後にNYのシーンになりますし。「まだ愛してるの?」みたいな文面からも腑に落ちます。
チャット主はオルガだって説もありますが、私は違うと思います。後半にリディアが告発されて公聴会みたいなのに出席するためにNYに飛ぶシーンがあります。この時にオルガが撮影したという説です。違うと思う理由(1)この映画はシーンの急展開はありますが、時間軸はそれほど大きく前後しません。終盤のフライトシーンが冒頭に来る必然性は薄い。ありえないとは言えませんが。違うと思う理由(2)チャットの内容からするとオルガはフランチェスカと対話してることになります。クリスタが死んでから後のフライトですから。フランチェスカとリディアの過去を知っていないと書けない内容です。とするとオルガはフランチェスカと前からの知り合いであるということになる。オルガはフランチェスカ側が送り込んだ刺客だ、ということになります。これは私は無理があると思う。リディアが依怙贔屓するようなルックスで、しかもブラインドオーディションで皆から余裕で認められるほどの腕前の刺客を用意することは不可能だと思う。リディアの没落のきっかけになったことは確かだけど、それを狙った刺客だとすると迂遠すぎる(絶対そうなるかわからない)気もするし。映画なんだからありだよね、と言われればそれまでですが随分なご都合主義で、それではこの映画の価値が下がると思います。刺客じゃないまでもフランチェスカに丸め込まれた、と考えられなくもないですが、それにしてはチャットの内容が深入りしてる。
チャット主がクリスタだって説。プライベートジェットにリディアと2人きりで乗ることはなかったでしょうからありえません。クリスタとリディアに関係があったのはベルリンに住むよりずっと前の話(リディアのプライベートジェットもなかった頃)だし、そのころの行動は《3人》が基本だったようですし。というわけでフランチェスカで決まりです。
いずれにせよ明示的には示されてないから、観客に解釈の自由は残されていますけどね。
最後のシーンについて、知らない人にはモンハンとは分からない(とか近くにオタクがいないとこの映画の理解に至らない)って文句言ってる人がいるけど、少なくともエンドロールに"Monster Hunter Orchestra"ってメンバー表が出てきますから、こういうモンハンのコンサートがあるんだな、ってことは察しが付くと思うんだけどね。
細かいことですが日本のポスターが"TÁR"でなくアクセントなしの"TAR"になっているところがちょっと気に入りません。この「アクサン」あるなしはリディアの人物描写の一部なんです。彼女の本名はLinda Tarrなんですが(最後の方で実家へ帰ると この名前が出てくる)、ヨーロッパ(非英語)風に見える(聞える)ようにLydia Tárという芸名を使っているのです(アメリカの音楽家はヨーロッパでは格下に扱われる傾向があるから)。冒頭の長いインタビューシーンでもわかるように、彼女は周到なイメージ戦略をとっているということ。芸名もその一環。この映画の広報担当者は報道に対して「重要な注意事項が 1 つあります。タイトルは TÁR です。常にすべて大文字で、文字 A の上にアクセントが付いています」というメールを送ったそうです。ある動画で彼女は「(監督に告げられた映画の題の)Tarって変な苗字だな、って考えてるときにたまたまブダペストの薬局の看板の一部に「tár」って部分があったのでこれだ、って思って監督に写メしたら採用になった。Tarの上にアクセントをつけたのはブダペストなの」って言ってました笑。 また、トッド・フィールド監督とケイト・ブランシェットがこの映画を語るYoutubeで、監督が「アクセント付きの"Tár"はアイスランド語で「涙」の意味だ」って言ってケイトが「そうそう、アイスランド語だったわよね」と応えてるなんてのもありました(だからこのタイトルにした、とは言ってない)。意味深いタイトル。ま、とにかく邦題つける人/ポスター作る人も気を遣ってほしいってこった。
フランチェスカ役のノエミ・メルランってどっかで見たなと思ったら「燃える女の肖像」の彼女ね。ちょっとエマ・ワトソンに似てると思ったから覚えてた。
ちょっとトリビア:最後の東南アジアのロケはフィリピン:ルソン島だと思います。なぜなら「地獄の黙示録」はここで撮られたからです。それから、泳いではダメな理由として「川にクロコダイルがいるからだ」といわれてリディアが「こんな内陸に?」と尋ねると「マーロン・ブランドーの映画云々」と答えるという話になってますが、クロコダイルは和名「入り江わに」というくらいで、アメリカの方では海辺にいるワニなんですね。だから「内陸?」の疑問が出るというわけです。ですが、調べたところフィリピンのクロコダイルはむしろ淡水を好むようです。だから地獄の黙示録と関係なく、もともと内陸にも棲んでるらしい。「マーロン・ブランドー云々」はジョーク(もしくは都市伝説?笑)なわけだ。どーでもいいか。
実話かと思ってた
あまり前情報入れずに観に行って、途中まで実話だと思って観てた。
クラッシックにも現代音楽にも知識がないので最後よくわからなかったですが、ここのレビューのいくつか読んで納得できましたが、もう一度観たい。
長いけどケイト・ブランシェットの演技とは思えない迫力ある姿にまったく飽きることはなかった。
インタビューのシーンやバッハを否定する学生に説いて聞かせるシーンとか、ドキュメンタリーかと思ってしまうほど。俳優さんてすごいな。
それにしても、バッハ認めない学生の論理ってなんだかな。こういうの増えてくるんだろうな。
平日昼間にもかかわらず結構お客さん入ってた。
しっかりした大人向けの作品が観たい人もたくさんいるんだと思って安心した。
重厚感ある画と静謐で不穏な空気感
女性指揮者の栄光と心の闇を描き出すサイコスリラーともいうべき作品。
ケイト演じるターは、アメリカの5大オーストラで指揮者を務めた後、女性として初めて名門ベルリン・フィルの首席指揮者に就任するという輝かしい経歴の持ち主。
劇中はマーラーの交響曲第5番のライブ録音に取り掛かる様子が描かれる。録音として出ていないのは、交響曲全曲中5番だけで、これが録音されればマーラー交響曲全集としてアルバムが出され、自伝的書籍も発売されるという、まさに黄金期のピークともいえる姿が映し出されるのだ。
冒頭からターのインタビューや大学の講義の長尺のシーンがあり、単調に感じるが、中盤での家庭や職場での不協和音、クリスタという謎多き女性側から告訴されるあたりから、それぞれの要素が呼応するように、栄光が崩れ始めていく。
全体的にはダークで陰鬱な印象。幻聴のシーンはどれもサイコホラーテイストで、緊迫感を上手く演出している。色彩も絞り、画に重厚感を持たせたり、特徴的・独創的なカットも数多くあるので、一定の緊張感を保つことに成功している。
ターの栄枯盛衰のターニングポイントが描かれる本作は、光も強ければ闇も強く現れるということを知らせてくれているようだ。
個人的にターの立ち振る舞いよりも、多様性を主張する無知蒙昧で傲慢で身勝手な若者たちの態度に終始辟易した。
圧巻のパフォーマンスに感嘆
ケイト・ブランシェットによる最高傑作の誕生と言うべき秀作。数々の輝かしい受賞作品と比べても秀逸な特別な作品でありケイトにしか演じる事のできないものだと感じました。
クラッシック音楽🎵は滅多に聴かないしオーケストラについても詳しくありませんが鬼気迫る迫力ある演技に引き込まれます。セリフが続く場面が多く字幕ですべてを把握するのは非常に困難な作品ではあるがケイトの演技を観るだけでも大いに価値ある作品といえるでしょう。
アカデミー主演女優賞ノミネートは当然ですが受賞できないのが不思議というか不可解です。
是非映画館で🎦
映画館でこその作品だと思います♪
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天才とは
TARが天才あるがゆえに、狂気に落ちてしまう。
演技の凄さと、オーケストラの演奏が聴ける映画と思いきや、ほぼ台詞だらけを演じきった、女優さんの凄さ❗
全く違和感のない演技力
映画の内容より、演じた女優さんを評価したい。
天才だ!
Dull Dull
近年のアカデミー賞受賞作と自分は相性が悪いのは承知で鑑賞。2時間半越えの時点である程度察するべきでしたが、超長かったです。
まず冒頭のインタビューシーン、ここで見事に睡魔に襲われました。物語が面白いくらい動かないまま、延々と会話シーンの連発なのでどうにもつまらないと思ってしまいました。
というか延々会話が続いてるので、オーケストラの壮大なシーンと精神を病む過程を交互に映していく作品だと思っていたので、そこを求めて観にいった身としては思いっきり肩透かしを食らってしまいました。
ター自身、レズビアンという事を公言していて、実際に女性のパートナーや養子もいたりしますが、基本的にその相手に色々と任せっきりで、ターは男性のような生活をしているなーと思いました。仕草が男性っぽいものなので、そこも意識されて演じているのかなと思うと脱帽ものです。長ゼリフを幾度となくこなしたケイト・ブランシェットの演技はお見事でした。
最後も突然終わってしまったので、思いっきりズッコケてしまいました。長いなーいつ終わるのかなーとは思っていましたが、いやそんな急に終わられても…と。
アカデミー賞…どうしてこんなにも合わないんだろうと三度考えることになりました。普段血みどろの映画を観てるのがデカいとは思いますが笑
鑑賞日 5/15
鑑賞時間 11:20〜14:05
座席 H-5
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