サントメール ある被告 : 映画評論・批評
2023年7月11日更新
2023年7月14日よりBunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほかにてロードショー
蔑まれ、追い詰められた「聖なる母たち」に向けた女性讃歌
2022年のヴェネチア国際映画祭で審査員大賞と新人監督賞をダブル受賞し、アカデミー賞国際長編映画部門のフランス代表にも選ばれた本作は、昨年のフランス映画界でもっとも議論を呼んだ作品かもしれない。
子殺しという実在の事件をもとにし、その裁判記録通りに台詞を構築した装飾を削いだ手触りは、もともとドキュメンタリー畑で高く評価されていたアリス・ディオップ監督らしい。
法廷劇は往往にしてサスペンスと緊張感に満ちているが、それは本作も同様だ。生後15ヶ月の我が子を、冬の海辺に置き去りにした母ロランスの殺人罪を問う裁判は、当初はまったく埒が明かない。理由を問われた彼女は、「わかりません。裁判でそれを教えてほしい」と答える(演じるガスラジー・マランダの無表情な顔が一層謎をもたらす)。だが審議が進むに連れさまざまな事実が発覚し、ロランスを囲む人間たちの本質、社会が彼女に向けた眼差しが見えてくる。
そこには「移民」に対する白人の根深い差別意識がある。否、差別とさえ意識していないかもしれない。特にフランスの元植民地だったセネガルから学生としてやってきた若いロランスに対する世間の蔑視、彼女を愛人にし、赤ん坊ができると認知を拒んだ、倍以上に年の離れた白人男性の無責任な態度、故国の家族と絆を断たれた四面楚歌な状況が、ロランスを精神的に追い詰めていったことが明らかになる。セネガルにルーツを持つディオップ監督が、そんなロランスの人生に引き込まれたのは必然と言えるだろう。
もっとも、本作はストレートな社会派映画とも異なる。実録ものと一線を画すためにディオップ監督が仕掛けたのは、裁判を見守るもうひとりの架空の主人公をもうけたこと。事件を題材にするため傍聴に来た作家のラマは、妊娠4ヶ月で出産をためらっている。移民2世の彼女もまた、ロランス同様、母親と複雑な関係にあり、自分が良き母になれる自信が持てない。傍聴を繰り返すたびにロランスに自身を投影し、不安が増していく。
映画の中盤になって気づくことは、ここには立場の異なる多くの女性たちがいることだ。裁判官もロランスの弁護士も女性(ロランスに敵対する検事が男性というのは象徴的だ)。さらにセネガルから訪れるロランスの母や、ラマの母親、そしてラマがパソコンで観る「王女メディア」の、子を殺めるメディア。
弁護士は最終弁論で「キメラ」と呼ばれる細胞の話をする。妊娠すると母親の細胞が胎児に移るが、胎児の細胞もまた母親の臓器に混ざる。それが「キメラ」であり、無限の連鎖となる。
そう、本作の真のテーマは女たちである。人種や社会的階層に拘らず、すべての女性たちに共通する母性、その複雑さと痛み。その意味でこの映画は大いなる女性讃歌と言えるだろう。
ちなみに題名にあるサントメールは地名だが、フランス語の音では「聖なる母」という意味を持つ。
(佐藤久理子)