エゴイストのレビュー・感想・評価
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エゴと愛。
前半は、2人の愛の物語。
後半はそのお母さんとの愛の物語。
2人への愛が詰まってます。
お金を渡してつながっている関係を
人は良いとはしない方もいる。
ですが繋ぎ止めるにはそうするしかなかった選択や
人それぞれの思いがあって成り立っている関係。
やはり2人がいいとしてるなら、他人がとやかく言う必要ってないんだよなぁって思う作品でした。
男性同士の恋愛が世間ではまだ偏見の目があったり
彼女はいるの?結婚は?って質問も彼らにとっても
胸がキュッと締め付けられる質問であったり、
でもお母さんはその2人の関係に気づき、受け入れてたり。
エゴイストって題名ですが、
これは人をエゴと呼ぶのか。
彼自身から見たらエゴだけど、相手はそれをどう感じているか。
お母さんは、彼のエゴを愛とよんでいました。
愛が何かわからないという彼に、わからなくても私たちは愛だと思ってるからそれでいいのよって。
一緒に暮らしましょうっていう気持ちもわかるし
それはエゴだからダメと一線をおくお母さんの気持ちもよくわかります。
最初のシーンがリアルな模写が多く、家族団欒で見れる映画ではないですが、すごく素敵な作品です。
後半はずっと涙が止まらない時間が多々ありました。
ここに出ている役者さんたちは本当に演技が自然なのと
鈴木さんの演技のうまさに度肝抜かれると共に
お母さんの演技が、演技じゃないです。
本物です。あまりに自然すぎて自分の母親を照らし合わせてみてしまう時間や、映画の中にいるみたいな感情になるほどの、雰囲気と世界観に引き込まれます。
亡くなった理由は過労死?ですかね。
天国を信じない現実主義の彼はお母さんの
【天国で息子はあなたのお母さんのお世話をしている】
みたいな呟きのような問いかけに対して
【そうですね】と。
目に見えないものは信じないと言っていた彼が
お母さんの問いにはそうですねと答えているのが印象的でした。
映画前半で【優しい嘘もある】嘘には二つあると言っていた彼がついた、これは優しい嘘だったのか、それとも、そう信じたいって彼自身も思ったのか。
入院先を教えたら心配するからと教えなかったお母さんに対して、教えない方が心配しますって伝えているシーンや、最初は息子じゃないと説明してた、認知症の同じ病室の患者さんに、後半では【自慢の息子です】と伝えていて、入院先を教えてなかった相手へ最後には
【まだ帰らないで】【はい】と手を握り合って話している。
最初はエゴから始まったかもしれませんが
エゴではなく、お互いがお互いを求め合っていました。
ずっと胸が締め付けられる作品でした。
オネエの役者?さんたちの演技も自然でした。
リアル追及だが、ちょっと厳しい。
ジェンダーものも社会勉強のつもりで、とチョイスしたが、前半はちょっと厳しい。
後半からやっと映画のストーリーになってくる。
これは2組の息子と母親の関係と、高級服で鎧をまとってお金でしか繋がれない寂しさや虚しさ、急死する人を間近で経験した二人の思いが錯綜していく作品である。
後半をもっと丁寧に描いたらいいのに。
リュウタはどうして亡くなったのか。そのことについてのシーンがほとんどない。
そして恋人の母親との歪んだ関係。そこをもっと知りたかったな。
鈴木亮平はヤクザ役やったかと思えば、救急隊員やったり、変幻自在な俳優さんで役作りのストイックさを感じる。
タイトルなし(ネタバレ)
辛くて何度も涙が出た。
自動販売機の前で主人公がお金を拾うシーンは、涙が溢れてきた。
2人の方向性の違う色気と演技力が素晴らしかった。
ストーリーはまさかの展開で、これが本当にあった話だと思うと、、、愛の奥深さとそれ故の辛さがひしひしとピリピリと伝わってきた。
ただ、前半の性描写はキツかった。
本当の自分を見せられる相手と、共に過ごせる時間は奇跡
本当に美しい良い映画でした。
鈴木亮平の演技も素晴らしかったですが、なんと言っても特筆すべきは宮沢氷魚。
間違いなく日本アカデミー賞の助演男優賞の一人にノミネートされると思います(少なくとも私は投票します)。
さもすると男性同士のセックスシーンに注目が集まってしまうかもしれませんが、そういうシーンでさえふたりの純愛を感じられる感動的なシーンでした。
母親の前の二人の笑顔がたまらなく幸せそうだったのが印象的で、思い出しても胸が苦しくなります。
二人が出会ったあと、ゲイ仲間の新宿2〜3丁目で素の自分で酔っ払って楽しんでいる鈴木亮平の演技がとても印象的(よく行くお店が使われていてそれも嬉しかったり)。
本当の自分で生きることって難しいことだけど、本当の自分を見せられる相手と時間を過ごすことは奇跡であるということを噛み締めました。
ちなみにファッション雑誌の編集者は、実家が太くなければ、あんなにリッチな生活はできません…笑
複雑
「僕が買ってあげる。」
もう何回観たかなと。
観る度に込み上げてくる感情があって、それを確かめたいがために何度も、何度でも観たいと思う。
昔、個人的に好きなアーティストが楽曲の中でこんな主張をしていた。
「行き着く所は 学ぶべき事とは
見返りを求めずに与える事だ
つまり受け取ってもらったこっちの方が
感謝するという心の状態」
この映画を観て覚える感覚にこれに近いものがある。気がする。
これを学びたい。観たい。触れたい。
そう思って映画館に何度も足を運んで、結果何度も涙した。
普通映画ってセリフとか言い回しで感動したりってことが多いって思ってたけど、この映画で涙するシーンは主人公のセリフのない無言の激情シーンだったりする。
凄い演技と表現だと本当に思う。
やっぱりいい映画を観る度に、映画が好きでよかったと心から思う。
そして自分自身もこうでありたいというある種の憧れのようなものをスクリーンの中に確かめることができる。
表情やセリフの言葉使い、リアルな雰囲気、ピシャリとしたような無音の中に放たれる感覚や伝わってくるメッセージ。
被写体との距離が近いこの映画は時にドキュメンタリーそのもの。
誤解を恐れずに言うなら純粋にLGBTQ +をどうのと言っている映画ではもはやないと思う。
映画を通して「エゴイスト」の言葉の持つ意味が変わるのが分かる。
浩輔の人生のエゴに祝福をしたい。
それが愛と気付くまで
出会いはスポーツジム。相手はトレーナーだった。
トレーニングの傍ら交流を重ねる内、意識し合う。惹かれ合う。
魅力的な所に惹かれた。
ピュアさに惹かれた。
深い関係になっていく。
浩輔と龍太。
昨今映画で、LGBTを題材にした作品が自然に当たり前のように描かれるようになって久しい。
ジェンダー意識が低いと言われる日本映画に於いてはどうか…?
近年の作品に留めるが、『彼らが本気で編むときは、』『his』『窮鼠はチーズの夢を見る』『ミッドナイトスワン』、今年の話題作『怪物』も。TVドラマでは『おっさんずラブ』、漫画/アニメでは“BL(ボーイズラブ)”というジャンルも。
いずれも秀作であり、訴えるもの、考えさせるもの、感動を呼ぶものがあった。
本作は邦画に於ける同ジャンルのエポックメーキングになるんじゃないかと思わせるほど真に迫る作品であった。
松永大司監督の繊細でドキュメンタリータッチの演出。
手持ちカメラのような映像は人によっては画面酔いしそうでもあるが、アップや長回し多用で、二人の視線や心情に寄り添うように見つめていく。
鈴木亮平と宮沢氷魚の二人には脱帽。
ちょっとした仕草や言葉遣いまで。鈴木亮平の凝った巧さ。
鈴木亮平と言えば『孤狼の血 LEVEL2』の恐演。その他の作品でも変幻自在。そんな中で本作での難役名演は随一ではなかろうか。
宮沢氷魚は『his』に続く同性愛者役だが、それは彼もまた巧く、繊細な表現が出来るから。柔らかさや誰から見ても可愛らしさ愛おしさを感じさせる。
キスシーンやラブシーンはかなり激しい。息遣い、匂い立つもの、感触まで伝わってきそうなほど。
同性愛カップルの絡みはこれも人によっては抵抗あるだろう。どうしても生々しさや感情移入のしづらさなど。
しかし個人的には、美しさを見た。同性愛カップルを描いてこんなにも美しさを感じたのは『ブロークバック・マウンテン』以来ではなかろうか。
同性愛云々ではない。人と人が惹かれ合い、想い合ってゆく、ただただその美しさ。
体現と言うより、ナチュラルさ。松永監督の手腕と、鈴木亮平&宮沢氷魚に改めて脱帽圧巻。
浩輔が龍太に惹かれたのは、母性くすぐるような愛らしさもあるが、彼のその人となりだろう。
トレーナーの仕事だけでは食っていけない。肉体労働の仕事も掛け持ち。
その懸命さ。明るさや和やかさは失わない。ふとした時、儚さ滲ませ…。
必死なのは自分の為だけじゃない。母の為。母親を養っている。
ここが浩輔にとっては大きなポイント。
浩輔は早くに母親を亡くしている。実家には父一人、命日になると必ず帰郷。
母親に何もしてあげられなかった。母親の為に頑張る龍太に、自分が出来なかった事を重ね合わせ…。
龍太は母親に浩輔を紹介し、母親も交え会食など交流を深める。
あくまで“友人”として。
正直前半はちとタルかった。
確かに名演や繊細な演出は素晴らしいが、話自体にそれほど大きな展開はない。
強いて言えば、龍太から別れたいと。龍太は“売り”をしている。そんな穢れた自分は浩輔に相応しくないと、辛いと…。
どうしても龍太に会いたい浩輔は、客を装って龍太を呼ぶ。ある提案をする…。
浩輔と龍太の関係、龍太の母親も交えた交流が続く。
話が動いたのは、中盤の突然の出来事。
龍太が、死んだ。
あまりにも突然の事。それは見ているこちらさえ。
喪失感。いや、気持ちの整理が付かない。
混乱し、ただただ龍太の母親に謝る。
どうしてあなたが謝るの…?
母親は知っていた。浩輔が龍太のただの友人ではなく、“大切な人”である事を。
龍太にとって浩輔は大切な人。
では、浩輔にとって龍太は…?
無論その感情は同じであろう。大切で、欠けがえのない人。
しかし、その想いや気持ちの本当の意味…。
そこにネックになってくるのが、お金である。
生前の龍太への浩輔からの提案。
お金面での援助。
自分のみならず母親の為にも頑張る龍太に、少しだけでも応援したい。
定期的にまとまった金を渡す。助力くらいに言ってるが、10万円は渡しているだろう。
お金だけじゃなく、高級なお寿司やお菓子も。お母さんへ、と。
勿論龍太は当初は拒むが、受け取る。
龍太は“売り”もしているので、その筋の仕事としては正当な報酬かもしれない。
が、両者共、お金の為の関係ではない事は確か。ただただ純粋に。
浩輔の援助は龍太亡き後も。龍太の母親を援助しようとする。
母親は断る。浩輔は引かない。息子が亡くなって生活に苦しくなるのは否めない。申し訳なく、ありがたく受ける。
ある時はこんな提案すら。一緒に暮らしませんか…?
無償。献身。浩輔のやってる事はなかなか出来るもんじゃない。大切な人ならまだしも、その母親にまで。
でも見方を変えれば、ちと度が過ぎている。
これは本当にピュアな誠意、気持ちや想いなのか…?
浩輔の生い立ちが関係している気がした。
生まれは地方。地元ではゲイとして散々差別偏見を受けていた。
東京へ。ファッション誌の編集者として成功を収める。
一定の富も地位も手に入れた。蔑んできた奴らを見返した。
お金さえあれば何でも手に入れられる。
それは言い換えれば、お金で気持ちも想いも表し、繋ぎ留めておく事しか出来ない。
別に浩輔は金の亡者でも横暴振るう権力者でもない。それでしか気持ちや想いを伝える事の出来ない哀しい人なのかもしれない。
そんな時出会った、大切な人。
龍太の母親が突然入院する。ステージ4のがん。長くは持たないかもしれない、と本人。
浩輔はまたしても謝る。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…。
どうしてあなたが謝るの…?
気付いてあげられなかった。
龍太なら気付いてかもしれない。
でもその龍太を自分と過ごす時間に費やし、気付かせられなかったから…。
実の母親を早くに亡くした浩輔にとって、龍太の母親は予期せず現れた母親のような人。
龍太の分も含めて、お母さんをもっともっと大事にしたい。
その矢先…。実の母親を亡くし、龍太を亡くし、さらには龍太の母親まで…。
どんなに気持ちや想いを“形”で伝えても、それは本当に相手へ届いているのだろうか…?
悲しみに暮れる浩輔に、龍太の母親が掛けた言葉が温かく包み込む。
尚、龍太の母親役の阿川佐和子の好演も特筆すべきもの。思ってた以上に大きな役回りで、その演技、優しさに救われる。
「分からなくても、私たちがそう思っている」
“愛”が何なのか。
自分のしてきた事は“愛”と言えるのか…?
相手の断りも押し通してお金などで援助。
相手は本当に喜んでいるのか、自分のただの自己満足ではないのか。
相手が不快感を示したら、それは勿論自分のただの自己満足だ。その時の自分はエゴイストでしかない。
しかし、相手がそれに愛を感じたら、それは真の愛だ。
愛とエゴは時に紙一重。
相手を一人占めしたい。欲したい。
激しい愛の形でもあり、エゴでもある。
淀んだ独占欲なら問題だが、ただただ不器用ながらもピュアで大切な気持ちや想い。
それもまたエゴ=愛の形。
激しく、大きく、強いものから、ほんのささやかなワガママまで。
ラストシーンの龍太の母親の台詞=頼みだって。
同性愛ラブストーリーとして始まり、家族愛や人間愛。
大きな愛の形に気付けば感動していた。
それが愛と気付くまで。
お金で支配する関係は愛では無い
ヒューマンドラマとあったが、蓋を開けてみるとゲイの身勝手映画だった。
いい部分が一つもない邦画を初めて観た。
ものすごい鬱映画だった。二度と見たくない。多分この監督の内面が作品全篇を覆ってるのだろう。暗すぎる。
リュウタが宮沢和史に似てると思ってたら、やはり彼の息子だった。キメ顔がなんだか女性みたいでどうも受け付けない。常に他人の目を意識している。
彼がピュア?……ほど遠い。
鈴木亮平も途中から役を作りすぎて不自然。
売春シーン、必要か?
お金でしか繋がれない二人。
鈴木亮平がもし貧乏な男でもリュウタは好きになったか?計算が全くないといえるか?
また、鈴木もお金を渡していたから自分の元は去らないと思っていたんじゃないか?
どちらかがどちらかをお金で支配する関係は無償どころか、もはや“愛”ではないと思う。
専属の売春でしかない。
一番の黒幕(まああえてエゴイストと云わせてもらおう)はあの母親だと思う。
息子のお金や存在を当てにせず、働けないならば福祉に頼るべき。少なくとも親のせいで子供が過労死するだとか、今の世の中ではあり得ない。これが50年前の話しならばまだ理解出来るが…。
母親は鈴木に『あなたは悪くない』。その通り。悪いのはお母さん、あなただよ。
お金がないなら息子と一緒に住んで節約するとか出来ないのか?また、あの年齢だとリュウタを何歳で産んだのだろう?母親というより、リュウタの祖母。
またはリュウタと鈴木亮平が一緒に住めばいいのでは。
鈴木亮平もリュウタが好きというよりただ寂しいだけじゃないか。
お金を堂々と渡すのも、そして受け取るのもすごく下品に見える。
果たして、この映画から“お金”を取ると何も残らない(!)。
『一緒に住みませんか?』
母親も母親で、
『あたしの白髪染めしてくれる?』
血の繋がった親子の台詞ならアリ。
この二人の歪(イビツ)な関係だと違和感しかない。
リュウタが何故亡くなったのか。
誰一人話題にしない。
リュウタの母親や鈴木亮平が本気で悲しみ涙を流すシーンが観たかった。
リアルさがなく、フワフワしてる人しか出てこない。
1ミリも、誰にも共感出来ない作品だった。
(辛口失礼しました。)
誰がエゴイストなのか
普通に考えれば主人公で、ほぼ彼の目線で物語が進む浩輔。経済的な理由で離れていく恋人・龍太を経済的援助で引き留める。が、その援助では足りない事は承知で、結果龍太は無理をして死亡。
でも、他の登場人物の浩輔の父、龍太と母もそれぞれにエゴが有ったのではないか。浩輔の父は本当に息子がゲイなのを気がついてないのか?中学の同級生にオカマ扱いされていたのに、親が気付かない?結婚や孫の話をする。
龍太も母も、拒否しながらも結局は経済的援助を受け入れる。龍太の死後、母と浩輔は疑似親子関係で空白を埋める。
みんな、エゴイスト。でも、人間なんてみんなエゴイスト。
アップの多用、公開時のレビューでカラミのシーンでアップが多く酔いそうになったと言うのを見たが、うん、確かに酔いそうになった。自分は80インチプロジェクターで観たけど、映画館のスクリーンだともっとかも。他のシーンでもそういう撮り方が多い。
序盤、頻繁に入るオネエ女子会って必要だったんかなぁ。
映像化とかされるゲイの同性愛ってオネエ表現が多いけど、性自認は男で、恋愛対象が男と言う人も当然居るだろうけども。描写しやすいんだろうなぁ。
愛の本質とは。行き場を失った愛を埋めようと奔走する姿。
観終えて最初に感じたことは「こういう愛の形もあるんだな」ということです。
恋人を金銭面で援助することや、愛した恋人が亡くなっても金銭面や身の回りの世話という形でその家族の面倒を見ている。
これは果たして「愛」なのだろうかと考えさせられました。
なぜならばもう愛した人は存在しないからです。
最初に生まれた愛が突如として行き場を失い、その悲しみや心の隙間を埋めようと亡くなった恋人の母親に向けられるエゴ。
主人公はこの作品で「わがまま」という言葉を何度も口にします。
自分のしていることへの葛藤と闘いながら自分の気持ちの整理をつけるために起こしていた行動だと思います。
愛に正解がないからこそ主人公のしている行動に違和感を感じつつも否定することはありません。
現実にもきっと様々な愛の形があるように、これもまたひとつの愛の形なんだと思います。
鈴木亮平スゴイ!!!
「田端のChupki(チュプキ) TABATAで」
社会的に強いゲイの目線から見ることでぼやけてしまう切実さ
ゲイである自分からすると、製作陣側が用意周到に批判される芽を潰していった感動ポルノというのが率直な感想です。
ゲイの中でも社会的な立場がかなり強い人を物語の主軸に置いたことで、役者のファンやこういった関係性が好きなヘテロ側の人達がこの切実な問題を孕んだ物語をただの「悲しい物語」として消費しやすくしてしまっていると感じました。もちろん、当事者を演じた役者さんが役作りを徹底しているのは理解しています。しかし、当事者の自伝が原作ということを免罪符にこれ以上ヘテロ側の社会システムに対してなんの批評性も生み出さず、ただただ社会的な立場が弱いゲイが死ぬ物語やほっこり日常系BLドラマを生み出し続ける意味とはなんなのでしょうか。
今、沢山存在している中流かそれ以下の生活を送っている中年以上のセクシャルマイノリティの人は今どんな状況に立たされているのか、どんな不安を抱えながら毎日生きているのか、現状の社会システムそのものになにか批評的なスタンスを示さない作品ならばせめてまず龍太みたいな立場の人にフォーカスを当てた物語を作ってほしかった。
涙がとまりませんでした
鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんの大ファンで期待大で映画を観ました。
どちらもイケメンさんですね。
私も昔お付き合いした、年下の彼氏との恋愛と少し重なるところがあって途中から涙がとまりませんでした🥲
お互い恋愛が辛くなるくらい好きになることや、お互い好きでも会えなくなることの辛さ、好きな人をずっと好きでい続ける主人公の気持ちとか、切なさがとても伝わってきて素晴らしい演技だったと思います。
最初はちょっと高飛車で自意識高い系のオネエ役とかも大袈裟過ぎるくらい鈴木亮平さんの演技が素敵でした。
宮沢氷魚さんも普通にいそうなイケメンな若いゲイ役、エッチの演技、売り専の演技もリアルで素晴らかったです。
阿川さんや柄本さんやゲイの友達役の方達も自然体の演技で最後までハマってしまいました。
皆さんの演技、人を好きになることの素晴らしさ、切なさとか伝わってくる素晴らしい内容だったと思います。
当事者の感想
単なる同性愛の作品ではなく、愛をテーマにした良い作品でした。与える...
愛はたぶん身勝手…
ドキュメンタリーを見てるのかな…て、錯覚するくらい、全てのシーンがリアルで、台本がある物語だと言うこと忘れてしまいそうだった。
それだけ役者さんたちの演技力がもの凄かった。
この愛は身勝手ですか…
て、考え出したら、
はい、身勝手です。
にしか辿り着かない気がする…
愛は身勝手なんです、エゴなんです、と認めてしまっていいんじゃないかな。
「受け取る側が愛だと感じたら、それは愛なんです。」
て、龍太のお母さん言うてたし、それでいいと思う。
先に原作を読みました。
原作も映画もどっちも胸に刺さりました。
浩輔と中村親子がもっとたくさんの時間、幸せに過ごせたらよかったのに…
大きな愛(男でも女でも、親でも、関係なく)
ゲイカップルの愛を描いているようで、本当は人間の大きな愛を
描いた映画でした。
鈴木亮平の芯の強さ、ふところの深さを思い知らされた。
そして宮沢氷魚のピュアな透明感と優しさにも感動した。
手持ちカメラの映像がとても多くて、接写すると心の奥底まで、
掬い取るようなレンズでした。
ちょっと酔いそうだったけれど・・・そこがまた夢見心地を誘う。
2人の濡れ場はかなり情熱的で、激しかった。
愛し合って、龍太(宮沢氷魚)が帰った後で、浩輔(鈴木亮平)が歌う、
メロディと歌詞がすっごい沁みた!!
(ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」って歌だそうなのですが、)
(浩輔のそれまでの夜の孤独と闇と傷を、
(癒す時間が、龍太・・なんだなと、)
浩輔と龍太が、愛し合う2人がもし日本で法律的に結婚出来ていたら、
龍太の命も救えたかも知れない。
法律の傘の下、法的に守られていたら、龍太は浩輔のお金を
当然の権利として受け取れた。
一緒に暮らして栄養ある食事も清潔な住まいもそして十分な
睡眠も取れたと思う。
そして日本がもっともっと福祉の厚い国なら、
龍太は高校を中退せずに通えたし、
母親も早期治療が受けられた筈です。
だから浩輔はエゴイストなんかではない。
心底優しい人です。
母親に対する心遣い・・・常に龍太の後ろにいる母親を思い遣る。
この映画で驚いたのは終盤は龍太の母・妙子(阿川佐和子)の比重が
とても重いこと。
病の重い母親の世話をして浩輔は献身的に支える。
実の母親を12歳で亡くした浩輔には妙子は母親の分身・身代わりです。
ここでも龍太と浩輔が結婚していたら?!
と、強く感じました。
そうしたら何の気兼ねもなく妙子は浩輔と同居したと思います。
原作では妙子と龍太とは健康保険にも入っていないと記述があるのです。
(保険料が払えなかったのです)
結婚して家族になれれば、癌の治療費も浩輔の健康保険を使えます。
浩輔はエゴイストではない。
法の整備が、同性婚を認めるのが、遅過ぎるのです。
宮沢氷魚の初々しさと可愛らしさ瑞々しさに見惚れて、
鈴木亮平のゲイの男らしさに惚れ惚れして、
(亮平のゲイバーでの仕草や語り口、上手い!!)
ゲイカップルの法整備・・・
訴える意図はなかったかも知れないのに、
結果的にその問題点を提起する映画になっている。
優しさの原点。
人を愛することの深さを教えてくれる
「ゲイ映画」の枠を
軽々と飛び越えた傑作でした。
タイトルなし(ネタバレ)
東京でファッション誌の編集者として働く浩輔(鈴木亮平)。
ブランドファッションを身にまとい、さながらそれは甲冑、戦闘服のようでもある。
そんな浩輔も、同じゲイ仲間の前では優男になる。
ある日、仲間から紹介されたパーソナルトレーナーの龍太(宮沢氷魚)と出逢った浩輔は、ひとめで彼に惚れてしまい、すぐに肉体関係を持つことになる。
龍太が母親のために働いていることを知り、さらに入れあげるのだが、龍太の仕事はウリであった。
浩輔の思いは冷めることはなかったが、浩輔の思いを知った龍太はウリの仕事ができなくなり、浩輔に別れを切り出す・・・
といった物語で、ここまでが前半3分の1。
ここまでで、幾度となく浩輔と龍太の生々しい肉体シーンが登場し、息が詰まってしまう。
さらに、別れた後、ウリの仕事に戻った龍太の生々しいシーンも続き・・・
いやぁ、こんなにこの手のシーンが続く映画、日本映画の一般映画でははじめてではありますまいか。
かつてはそれ系の映画館もあったりしたが、観たことがなかったからねぇ。
と、そんな肉体シーンに息もつけない状態のなか、映画は突然の変転を迎える。
龍太が急死してしまうのだ。
えええ、そんな・・・
で、タイトルにもなっている「エゴイスト」が描かれるのは、この中盤以降。
龍太の代わりに、面倒をみようと浩輔が龍太の母親(阿川佐和子)に申し出、母親も仕方がなく受け入れる。
その浩輔は、ただの自己満足なのか、それとも無償の愛のようなものなのか。
映画の面白さは、この中盤以降に屹立して来、特に、実家との折り合いが悪い浩輔のハナシが加わるにあたって、代償的な愛にもみえるのだけれど、それを受け入れる龍太の母親がいいのである。
エゴも愛も紙一重。
いや、紙の両面、表と裏。
前半の肉体の葛藤が、後半は精神の葛藤へと昇華していく。
日本映画では、いろいろな意味で、近年稀にみる映画だったように感じました。
わがままな人
"気持ち悪い"
鑑賞中に抱いていたのはこの感情だった。
でもこれは決してネガティブな感想ではない。
どうして"気持ち悪い"のか?
それはおそらく、あの空気全てが"本物"だったからだ。
セックスシーンが多く生々しいラブストーリーを描く癖に、一丁前に人の死や愛について涙する登場人物たち。
居酒屋では、ゲイたちの飲み会でカメラを回しているような、ドキュメンタリーチックな会話シーン。
少しずつ年老い、少しずつやつれる二人。
悪者はおらず、悲しみや怒りの矛先を誰に向けることもできないまま終わっていく展開。
役者の演技も、カット割も、それを取り巻く美術も、全てが本物だから、ただただその現実を見ているのが、もどかしく、気持ち悪い。
優しさなのか、愛なのか、はたまた執着なのか。
与えても与えても溢れていく大切な者。そこに生まれているのは紛れもなく愛のように思えるが、
あのラストによって、タイトルの意味がようやくわかったような気がした。確かに誰も悪くないし、誰も謝る必要はない。けれどみんなエゴイストなんだ。
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