夜、鳥たちが啼くのレビュー・感想・評価
全69件中、21~40件目を表示
そう考えるだけで、素晴らしいじゃないか
この作品を観て、原作者の佐藤 泰志さんのことを調べたところ。「きみの鳥はうたえる」「オーバーフェンス」「そこのみにて光輝く」も僕の好きな映画でした。
明日は、佐藤 泰志さんの小説を買いに行きます。
楽しみがたくさんです。
嫌いじゃないけど主人公が嫌い
お互い惹かれあっているのに踏み込めない、踏み込まないようにしている描写はとても良かった。んもーーーあんたたち早くヤれよじれったいなーーー!!!!と思いながら大変楽しめた。映像も綺麗だし雰囲気が良い。
しかし結末は私には理解できなかった。傷を負った大人同士の恋愛、まして子供もいるのでふわっとした関係のままでいいじゃないというのはわかる。ただピザ屋での会話は全く嚙み合っていないように見えたので、希望のあるラストには思えなかった。
身体の関係を持った翌朝。
「なんで慎一くんの家にいるのって言われてなんて答えていいかわからなかった」
「家族になってとか言わないから」
「好きにして、変な期待しないから」
いやこれ、期待させてよって言ってるように見えたんだが。
慎一は恋人になるとか結婚とか、具体的な先のことは恐らく考えていない。裕子はそれをわかっていて、慎一は何も言っていないのに自ら線を引こうとしている。さらにその後再び体を求めてくる慎一を冷たい目と強い言葉で思いっきり拒否している。結局それでも寝るのだが、それは慎一に恋しているからじゃないだろうかと思った。夜な夜な男と遊ぶ裕子だが、慎一にはそういう風に扱われたくない、重たい女とも思われたくない、しかし好きだから求められると応じてしまう、これ以上好きになりたくない、結婚は嫌だけど一人もしんどい…でも先のことは考えていない相手に深入りはしたくない、等、様々な葛藤があったのではないか。
からのピザ屋。
「このままやってみたらどう?結婚もしてないのに家庭内別居。面白いよな」
「面白くないよ」
「慎一君はずっとプレハブ?」
「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない」
「結婚なんてしたいと思ってないのに」
慎一の適当な返答に裕子はここで目線を落とし声を低くして落胆している。このままでいいんじゃないとヘラヘラしているのは慎一だけだ。冗談ぽく会話は終わる。慎一のところを出て一人でちゃんとやっていこうとする裕子を慎一は止めるが、覚悟も無いのにそれは酷というものだ。裕子はきっとずっとモヤモヤするに違いない。
後半、慎一は子供と仲良くなっていい人っぽく描かれているが、嫉妬で元カノの職場の男性をめちゃめちゃに殴りに行くようなわけのわからないヤバい男だ。子供と仲良くなることが慎一の奔放さ、悪い意味での子供っぽさを表しているようで背筋が寒くなる。穿ちすぎかなあ?(多分そう。)
結局私はこの慎一という主人公が大嫌いなのだと思った。
1990年に41歳の若さで自殺した作家・佐藤泰志
の6作目の映画化作品。没後30年で6作は多い。
1、海炭市叙景(2010年)
2、そこのみにて光輝く(2014年)
3、オーバー・フェンス(2016年)
4、きみの鳥はうたえる(2018年)
5、草の響き(2021年)
そして
6番目の映画化が「夜、鳥たちが啼く(2022年)
監督は城定秀夫。
正直言って、山田裕貴が小説家の役を演じて演技の幅を広げる。
それを目的のしたような映画という気が観る前からしていた。
だか山田裕貴の演じる小説家・・・
意外と違和感がなかった。
冴えない普通の人に見えた。
スターオーラは消されていた。
彼が32歳になっていたことに少し驚いた。
もう少し若いと思っていた。
原作は知らないが、
同棲していた恋人に嫉妬して恋人の上司に暴力をふるったりして、
嫌われて別れた売れない作家。
その慎一(山田裕貴)は、友人の元妻・裕子と小学生のアキラに、
住んでいた一軒家を明け渡して住まわせる。
自分は向かいのプレハブに越すのだった。
この設定は中々面白い、と思います。
同棲するでもなく、家を差し出す。
家を貸す行為に下心のない慎一。
裕子も強いて夕食を共にしたりしない。
ここで裕子の夜遊びの件り。
一人の夜が寂しい裕子はアキラを寝かしつけて夜な夜な一夜の
男漁りに出かけている。
ボーツ見てたら、
「えーっ、そんな描写、どこにありましたっけ??」
そう思ったのでちょっと見返しました。
はい、夜中に男とバーで酒を飲み嬉しそうに笑う裕子・・・
それだけでした。
(夫に去られた裕子は欲望を持て余して、男漁りをしていた・・・?)
慎一の「俺と結婚してないのに、家庭内別居しないか?」
「もう毎晩出かけなくて済むよ」とか、
裕子の、
「今日はまだ、他の人としてないから・・・」
などの会話で仄めかされる。
大体に、夜に発情した鳥が啼く?
夜中に鳥が鳴くのは、聞いたことがない。
この題名は、夫と離婚して夜中に一人で過ごせない裕子を、
「夜、啼く鳥」に重ねたのかもしれない。
作家を目指す男の、売れないことのストレス・・・
事実「草の響き」の主人公は自殺未遂をする程、
メンタルがやられている。
「草の響き」はヒリヒリする映画だった。
今振り返ると心に残像が残っている。
佐藤泰志の映画化作品なら、「海炭市叙景」と「そこのみにて光輝く」が
頭抜けている。
山田裕貴からは暴力を振るったシーンや、
元恋人に嫉妬深い面は窺えたが、
作家志望の男の認められたいとの強い思いは、真に迫って来ない。
裕子は普通の優しい母親にしか見えない。
慎一も多少は変わり者だが、
2人とも情念に身を焼く男女には到底見えないのだ。
この映画は、一つか二つのシーンが心に刻まれ、残像として
残るのだろうか?
情念に囚われたその先にある 相互な独りよがりの安息地
きっと知り合う前に出会っていれば こうはならなかった2人。
苦しみや絶望感、寂しさや飢えを知り、
ほんの少しだけ経験値が上がり
自分達の意志所存は曖昧に、
子供きっかけで始めていないように始まった関係性は、
ズルくも本能的で艶かしくて、
どうしようもない大人という生物の等身大のリアルだなぁ。と。
美しい艶を放つ色とりどりの羽根を震わせながら
馬鹿みたいに鼓膜を刺すように甲高く叫ぶように鳴く
柵の中の鳥たち。
それはただの情欲の本能。
型にはまらず自分勝手に生きることで
大切な物を失わずにいれるのならば
保身だって別に悪くない。
それが互いに都合良いならなおのこと。
「先のことはおいといて、そのまんまでいいんじゃない?」というふたりの何でも先延ばしの考え方には、納得いきませでした。
原作は佐藤泰志の短編小説。佐藤の原作の映画化は「海炭市叙景」「きみの鳥はうたえる」などが知られるが、「夜、鳥たちがI」は、どの映画よりも官能的。成人映画なども手掛けた城定秀夫監督ならではの作品です。
青みがかった夜の気配が男と女を包み込む。その姿は、盛りがつき夜に鳴くという鳥たちのように、淫靡で美しいものでした。
物語の主人公は、若くして小説家となった慎一。しかし、その後は鳴かず飛ばずの状態で付き合っていた恋人も離れていき、鬱屈した日々を送っていました。
そんなある日、職場の先輩の妻だった裕子(松本まりか)が一人息子のアキラ(森優理斗)とともに慎一の家に引っ越してきたのです。先輩の妻として顔見知りだった裕子が離婚したため、慎一が自宅に招いたのです。離婚の原因は、夫の浮気のため。しかもその夫の浮気相手というのが、慎一の元カノという偶然。パートナーに去られた男女が、傷をなめ合うように接近し、新たな関係を築くまでが描かれます。
こうして自分が住んでいた家を裕子と子供に与え、慎一はプレハブに住むことになるという奇妙な共同生活を送ることになります。自分の身勝手な性格が災いして他人を傷つけた経緯のある慎一は夜になると、 かつての自分自身の姿を投影するような小説を書く日々を送るようになっていいました。自らの無様な姿を、夜ごと終わりのない物語へと綴ってゆくのです。けれども書いては止まり、原稿を破り捨て、また書き始める。それはまるで自傷行為のようでもあったのです。
一方、一人息子とともに慎一のところに身を寄せた裕子は息子が寝静まった頃に外へと繰り出し、夜ごと男たちと逢瀬を繰り返していました。
親として人として強くあらねばと言う思いと、埋めがたい孤独との間で彼女もまた苦しんでいたのです。
そんな生活をしていく中で父親がいなくなった淋しさで傷心していたアキラは慎一を慕い始めます。慎一と裕子は互いを刺激し合わぬように共同生活を送りますが、それぞれに前に進むきっかけを掴めずにいました。
失敗に懲り、恋愛に臆病になっているのが、彼らの共通点。慎一は、孤独を愛し、自身の魂の救済として私小説を書くことにこだわっています。裕子は、自戒を込めて、男に期待をし過ぎない。一緒になりたい気持ちはあるのに、新しい生活をスタートする勇気がない2人だったのです。
そんな男女の関係性を象徴しているのが、慎一の住まいです。平屋建ての一軒家があり、すぐそばにプレハブ住宅が建っています。慎一は裕子たちに平屋建てを明け渡し、プレハブで小説を書き、寝泊まりするようになります。男と女は、一つ屋根の下で暮らすのではなく、二つの建物を行き来します。まるで通い婚のような関係ですが、決して男と女の関係に深入りしようとしないところが、見ていて奇妙でした。この距離感が、どう縮まり、解消されていくのか。そこに不思議なサスペンスを感じさせてくれたのです。
けれども微妙な関係が煮詰まっていき、煮え切らないふたりの感情が上下していくなかで、さすがにふたりの気持も頂点を迎えることになります。そこが物語でもクライマックスとなりました。かつてのロマンポルノ映画のような、男女の感情の機微を描いたドラマです。松本まりかの脱ぎっぷりも素晴らしく、濃密な濡れ場が描かれます。けれどもそんなに厭らしく感じられませんでした。濡れ場にいたるふたりの抱えた心の傷が本当に重く描かれてきたため、ふたりが交わるシーンも、劣情をかき立てるよりも、心の傷が刹那に癒されていくような安堵の気持ちと、このふたりの幸せを願う気持ちを強く感じさせる濡れ場でした。
特に印象に残るのは、アキラに遊んであげる時の慎一のよきパパぶり。母親の裕子はどうあれ、アキラの父親に慎一がうまく収まってほしいものだと思いました。それを暗示するかのように、作品の終盤では、打ち上げ花火を見上げた3人の笑顔が、青々とした夜の孤独を打ち消すほど美しく描かれていました。
だからこそ、「先のことはおいといて、そのまんまでいいんじゃない?」というふたりの何でも先延ばしの考え方には、納得いきませでした。
城定監督の長回しを多用したエモーショナルな映像と夜の鳥の鳴き声をメタファーとした闇の妖しさの表現など演出面では、高度なテクニックを感じさせてくれました。また脚本面でも、ふたりの過去をタイミングよくカットバックさせて、現在の孤独に結びつけるところなど、巧みな構成がよく練られています。問題があるとしたら佐藤泰志の原作そのものです。どの作品にも、夢も希望もなくすようなネクラな話ばかりなのです。しかし本作ではそのネクラさも中途半端。主演2人が健闘しているだけに、いっそ抱える闇がもっと濃ければ、より強い陰影が生まれたのではないでしょうか。
山田裕貴は裏切らない
「アルプススタンドのはしの方」の城定秀夫監督
佐藤泰志原作の映画「そこのみにて光輝く」「オーバー・フェンス」の高田亮が脚本
好きな小説家の佐藤泰志原作の映画化なので映画館で観られて良かったです。人間って弱いところがある物なんですよね。
松本まりかもいい女優さんですね。
トンネルを抜けてもそこはトンネル
願いと行動がチグハグになり、自分自身の魂の迷宮を彷徨う物語。それでも必ず光はあるし、貴方を照らしている。そんな希望もちゃんとある。城定監督の「ドラマチックじゃない日常描写」が大好きで、2022年はしてやられましたね。コレはそんな止めに最適でした。
とにかく二人にモヤモヤする鑑賞になるのだけれども、ソレはきっと皆の中にもあるであろう。そんな世界の中でアキラくんはまさに天使。本人も彷徨える魂なのに、純粋さがただただ眩しかった。変に盛り上げたり事件を起こさない、そんな展開と結末に拍手でございました。
「愛なのに」で始まって「夜、鳥たちが啼く」で〆られた今年は幸せでした。
佐藤泰志さんの意志がまた一つ
佐藤泰志さんの原作がまた映画化された 作家として不遇であり思いもかけない形でその生涯を閉じたこと、亡くなってから次々と映画化されて現在になって評価されている
これまで「函館」の舞台、市民映画館の「アイリス」などの支援で作られていたものが、今回は「函館」を離れているも、作家としての苦しみが描かれると、佐藤さんの作家として生きてきた日々とダブるような気がしてならない
嫉妬深い自分を俯瞰して、客観的に文章を書いているであろうに、その醜い自分が再び露わになっての葛藤、男性として辛いものがありました
これまで映画化された作品は、必ずしも希望の持てる結末ではなかったものが多かったが、本作は希望のもてるものでありました エンドロールにこの原作を管理(?)されているであろう、佐藤さんという方の名前があったこと、作家が今になって再評価がされていることの証のような気がしました(12月29日 なんばパークスシネマにて鑑賞)
好きな人は好きなのかな
タイトルに書いたとおり。
よく言えば、淡々としている。
山田裕貴の狂気と優しさの演じ分けは、よかったと思う。
だけど、わざわざ行くことはなかったと思った映画。
人間らしくて
あんまり背景や心情が描かれない感はあるが、なんか頭ではわかってても、どうにでもなれー的なときもあるというか、そんな人間らしさがよい。夜の鳥かぁ。
山田裕貴はさすがです。松本まりかもよかったね。見えはしませんがだいぶエロかったです。中村ゆりかキャスティングするならそっちのエロも見たかった、笑。
発情して傷を舐め合う関係の何が悪い
原作は未読。山田裕貴と松本まりかだけで観に行ったようなもの。
最初はこの2人がどんな関係なのかをボカしたまま始まり、徐々に見せていく流れ。なるほど、これなら2人が深い関係になるのも納得。たとえ傷を舐め合う関係であったとしても。松本まりかが山田裕貴の腕を舐めるシーンのエロさったらない。あれだけで半分くらい満足してしまった。タイトルの意味もそういうことだったし。
でも、話は淡々と進むから若干退屈なところもあったりするし、終わり方もこれでいいのか?なんて思ったりもする。
相手の懐に踏み込むのが怖いときもあるし、期待しすぎるのが怖い時がある。そもそも自己評価が低い2人だと関係はそう簡単には縮まらない。なんとなく受け入れてもらえて、なんとなく求めあえる、そんなふんわりした関係のまま続けるのも悪くない。最後の2人(3人)の笑顔を見たときにそんなことを思ってしまった。少し前向きになれた気がする。これはこれでいいんだよな、たぶん。
退屈だった
特に前半は非常に退屈だった。
鳥って関係あるの?
まあ、深読みすると関係がなくもないかも知れないけど、全ての人間関係とかが明らかになるまで非常に退屈だった。
そして、女が求めることを、男がうまい具合に利用している?
なんだか、よくわからない内容だった…。
最近、松本まりかの濡れ場シーンをよく見るのは気のせい?
レノアアロマジェル‼️❓どうしたー‼️❓
はるばる、遠くまで、観てきました、ローカル映画🎞🎟🎬なので。
ストーリーや脚本、登場人物には何一つ共感できるものもなければ、主人公にも何一つ魅力はありません。
多分、自分以下の人間が、だらだら過ごす映画には、何か、居た堪れれない思いと、退屈と、痛さと、中途半端な文芸崩れの外した空気感が残ります。
でも、やきもちやきの暴力クソ男が、子供に優しくなり幸福の端をつかみそうになる姿見には少し応援したい🤏とは思います。
松本まりか、ラブシーンでも、痛さしか無い、吉岡里帆の腹違いの腐れ姉をCMで演じる、落ちぶれた演技がお似合いで、可愛そうなのが、演技派なんでしょうか、惹かれないけど。
山田くんは、ステレオタイプの演技で、安定してます。
暇ならどうぞ。
男女のちょうどよい距離
2022年。城定秀夫監督。小説家・佐藤泰志の原作を映画化。評価されるが売れない小説家の若者は恋人と別れたばかり。住む場所を探している友人の元妻とその子を家に招き、自らは敷地内のプレハブで暮らすことになる。子供を介して距離が縮まっていく二人だが、お互いに深入りを恐れていて、、、という話。小説家が別れた恋人との関係を小説に書くという設定によって、書くことに苦しみ日常生活がおかしなっていく小説家の過去や友人の元妻との出会いが無理なく描かれる。
同じ敷地に住む若い未婚の男女なのだから、いかに距離が縮まっていくのかに焦点が当たるのだが、鍵や窓の開け閉めに表現されるように、二人の心の殻は固い(ところが、お互いに同じ鍵を持っていることによって出入り自由にもなっている)。その所以が過去の話として挿入されることで自然と納得されるようになっている。
結婚や同棲が男女のちょうどよい距離とは限らないので、母屋とプレハブ(共通の鍵・出入り自由)を手始めに、二人のここちよい距離を見つけて行こうという前向きな終わり方のように見えた。
瓶ビールとだるまさんが転んだ
暗がりの中、瓶ビールのケースをプレハブ小屋に運ぶ男。不気味な声で啼く鳥たち。翌朝、子連れの女が母屋に引っ越してくる。男は小説を書いていて、かつて母屋で共に暮らしていた恋人と別れたようだが、引っ越してきた親子との関係はまだわからない。
男と女がただならぬ関係になることは容易に想像がつく。いわば、そこまでの過程が脚本・演出の見せどころだが、母屋とプレハブ小屋の距離感、カーテンのない窓越しの視線、瓶ビールをコップに注ぐ間など、丹念に描いていて、間延びしない。
嫉妬深い男の露悪的な話になるのかと鼻白む思いもあったが、連れ子の少年との交流が深まるあたりから、心温まる感じがしてくる。だるまさんが転んだのシーンがいい。
山田裕貴は、危うさと純粋さを感じさせて、堂々と主役としての魅力を見せている。子役の少年が上手い。松本まりかは、もう少し色気がほしかった。
ラスト、男は新たな小説に取りかかることができたと考えると、後味は良い。
直に啼き止むことを知っている。
感情をコントロールできず恋人に逃げられたスランプ中の小説家慎一。旦那の不倫が原因で離婚し夜な夜な出歩いては寂しさを埋めるシングルマザーの裕子。
古い一軒家とその隣に建つプレハブ。夜になると断末魔のような鳥の啼く声が静寂の空を割る。お互い深く関わり合おうとしない2人が、それぞれの痛みに触れ少しずつその距離を縮めてゆく。
松本まりかの為の映画であり、山田裕貴の新たな一面を見届ける映画でもある。つまりのところ2人が素晴らしい。山田裕貴は本当に色んな役ができますね。慎一は目の前の人物によって表情も違って見えるような多面的な性格ですが、見事な演じ分けでした。どの慎一が本当の姿なのか。裕子とアキラがいつかその答えを知るのだろうか。
この2人を見るだけでもけっこう痺れます。ストーリーはちょっと単調ですが私はこのくらいの感じ好きです。
全69件中、21~40件目を表示