「映画だからこそできる演出で原作の良さが光る作品」カラオケ行こ! コウさんの映画レビュー(感想・評価)
映画だからこそできる演出で原作の良さが光る作品
原作読了済みです。
映画化でどうなるのかと思っていましたが、とても良かったです。
原作同様に笑わせてくれるな〜という演出も多くありつつ、クライマックスでは感動で泣かされました。
決して原作通りではないし、映画ならではのシーンもとても多く、個人的に原作で大好きなシーンも変更されていました。
それでも原作の芯の部分を保ったままで、映画というエンターテイメントとして上手く形作られていると感じました。
原作と比較すると、部活動や合唱大会のシーンなど聡実君の学生生活の描写が多いのですが、映画としてはそれがとても良かったです。
原作のどこか達観した様な部分を感じさせるキャラクターとはまた違う印象ではあるのですが、等身大の中学生である岡聡実という一人の少年の立ち位置がよく分かる演出になっていました。
“愛は与えるもんらしい”
映画を観る部で栗山君と愛について話すシーンからの、自宅での食卓シーン。父に好物の焼鮭の皮を分け与える母の姿に ”与える愛” をみて、ハッとする聡実君。そしてそこからの合唱シーン。歌われている ”心の瞳” の歌詞にまで "愛" で繋がっているという、この一連の演出が本当に素晴らしいと感じました。素人ながらに感心しました。
“映画を観る部”
この部は原作漫画には存在しません。しかし、和山ワールドを感じさせる雰囲気があり、違和感がないのが良かったです。これは和山先生の別作品「女の園の星」に出てきそうな合唱部の女子たちのやりとりにも言えます。
正式な部員が一人しかいない、カーテンで閉め切られた薄暗い室内。ここが聡実君の学校での逃げ場所なのですが、実は素直になれる場所でもあって、栗山君にだけは狂児の事を話していると分かるシーンがありましたよね。
また、合唱部後輩の和田君の感情暴走の場でもありましたし、栗山君にとっては青春の場であった事が分かります。
ここは、彼らが "映画を観る" という行為を通して、”映画を観ている私たち”に多感な彼らの心情を伝えてくれる場所でもあるのでしょう。
あと単純に、映画好きとしてはこんな部があったなら入部したかったな〜と。あんな風にゆったり映画を観て過ごす青春がうらやましく思えました。
スナックでのカラオケ大会。
単に ”狂児が歌っていた曲を聡実君が歌う” というだけではなくて、"変声期に悩む彼が普通の男性は歌うのが難しい高音のこの曲を歌う" という事にとても意味があると思います。
ソプラノが出なくなるという現実から逃げていたはずの聡実君が、地獄へ落ちた狂児を思った時、彼に捧げるためにと迷わず選んだ曲がこの紅なのです。声が出ないかもなんて迷いはその時の彼にとってはちっぽけな事で、だからこそ、彼がその喉を紅く染め、出なくなる声でも最後まで想いを叫びつづける姿に、観ている私たちは感動するのだと思います。
映画では歌詞の意味が深掘りされているのが本当に良かったです。私個人としては、漫画だけではここまで歌詞の意味を二人の関係性と照らし合わせて考える事はなかったと思います。そして大阪弁での和訳というのがまたすごく良い!この和訳がエンディングで繋がるのもとても素敵でした。
コメディ要素だけでなく、ここまで感動的な描写として表現できた事に拍手です。紅という楽曲の魅力も改めて感じる事ができました。
全く交わることのない立場や存在であったはずの人間が偶然に出会い、こうして心の深い部分でなんとなく繋がる事ができる経験というのは、この短くて長い人生においてなんと貴重で美しいのかと。そんな事を改めて感じました。
しかし、原作未読か原作読了済みか、はたまた続編まで読んでいるのか、これらでかなり今作の解釈は変わるだろうなと思いました。
もし続編も映画化するとしたならばと考えると、原作漫画と今作の映画での二人の関係性の違いのようなものも納得というか、腑に落ちるような気がします。
個人的には、ただの知り合いというにはとても深くて、安易に友情とも言えないような、でも決して家族でも恋人でもない。どこまで行っても “狂児と聡実” でしかない二人、とでもいう様な関係が好きだなと感じているので、この辺りは人によって好みが別れそうではありますね。