窓辺にてのレビュー・感想・評価
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色んな恋や結婚な形を肯定する今泉監督らしい会話劇
窓辺で繰り広げられるカメラの長回し&会話劇が特徴的な本作。
いろんな愛情やカタチ、恋の多様性を肯定している文学的な作品だ。
稲垣吾郎と中村ゆり演じる夫婦と、若葉竜也と志田未来演じる夫婦、さらにそれぞれの不倫相手、さらに若き小説家演じる玉城ティナと稲垣吾郎、金髪青年が人間の複雑な感情を絡ませながら紡いでいる。
時には、テレビ業界や小説家に監督自身を投影したようなセリフや描写もみられた。
「嫉妬=好き、愛している」
それは決めつけだ。
「怒らない、嫉妬をしない=好きじゃない、愛していない」
これも決めつけだ。
つまり愛し方や愛情表現だって人それぞれだってこと。色んな人間がいて、いろんな感情を持つ。
もっと言えば、結婚ってなんなんだ!?ってさえ思ってしまう。
ぜーんぶ包み込んでくれるような優しさが本作には詰まっていた。
窓辺から差し込む陽の光がグラスを跳ね返してできるプリズムが美しかった。
たっぷりと長回しの会話劇を堪能できる作品だ。
手放す、知る、愛
『窓辺にて』のテーマは、手放す、知る、愛、の3点の関係性について問うものでした。高校生作家の久保留亜は主人公市川茂巳にこういったことを言います。「手放すことは知ることである。」冒頭で久保が受賞した小説には全てを手に入れ、そして手放す人の話が出てきます。それを踏まえてのセリフです。確かに、手放すことで知ることはあるでしょう。例えば、別れ話を持ちかけることで相手の愛を知ろうとするとか。しかし、この言葉はこういう意味でもあります。「知ることは手放すことである。」これは市川の本質を指した言葉です。市川は知れば知るほど、それを手放してしまう。そんな人間です。久保の彼氏はそれを「サイコパス」と表現しましたし、市川の友人マサの妻も市川を追い返すほど否定していました。しかし、市川はそんな人間なのです。この映画はそれを表現したかったのかな、と私は映画を最後まで見て感じました。「知ることは手放すこと」がどのように描写されていたか確認しましょう。市川は、ある日妻の不倫を知ってしまいます。しかし、その事実にショックを受けなかった。知ることによって、妻への愛が手放されてしまった描写です。次は、市川がマサの妻に向かって言うセリフ「言い方悪いですけど、(不倫を知って怒ることができる)あなたが羨ましい。」です。これは、知ることによって妻を手放してしまう市川が、マサの不倫を知ったマサの妻がマサへ怒りを向け、戻ってきてほしいと願う、つまり手放さないことへの羨望が見て取れます。これは次に説明する、市川の思想が無自覚なものであるという点にも絡んできます。タクシーの運ちゃんが言う「パチンコは時間と金を同時に失ってしまうから贅沢な遊びである」というシーンも考えてみましょう。それを聞いた市川は、さっそくパチンコをして見るのですが、とても稼いでしまいその結果2万円を受け取ってしまいます。市川は贅沢をするのに失敗してしまうのです。贅沢を知ろうとして、失敗、つまり手放してしまうのでした。これは少し無理やりかもしれませんね。もう少し考える必要があります。最後。市川は久保の風呂を覗こうとはしませんでした。これは、知ると手放してしまうから、手放したくないから、知ろうとしなかったシーンではないのでしょうか。
次に考えるべきことは、「知ることは手放すこと、ではないこと」です。というのも、先程の「知ることは手放すこと」というのは市川の本質ですが、市川自身の思想ではありません。ただ、事実として市川は知ると結果的に何かを手放してしまうことになるのです。それでは、市川自身の思想、つまり先程挙げた「知ることは手放すこと、ではないこと」とはどういうことなのでしょうか。「知ることは手放すこと」では、手放すこと、手放されてしまうものは、望んではいないことでした。しかし、「知ることは手放すこと、ではないこと」、つまり市川の考えでは、手放すことは悪ではありません。むしろ、手放すことこそ愛なのです。その根拠となる部分ですが、「もたないってことは好きってことじゃないの?」という久保の言葉に、「そうだね、それはとても好きだ」と市川は答えています。市川が小説を書くことを手放したことは妻に対する愛によるものでした。市川が妻に離婚を突きつける、妻を手放そうとすることは、妻を思ってのことです。問題となるのは、「手放すことは愛である」というこの思想は、市川以外には理解されないという点です。それゆえ、妻は市川の言動を理解出来ず苦しみましたし、友人たちも同様に理解はできなかったようです。市川自身もこの思想に無自覚なのかもしれず、それゆえ妻の不倫を知った際の葛藤が描かれていました。また、先程出てきたようにマサの妻に対して羨ましいというセリフからも思想との乖離が見られます。
配役の妙
執着と愛の関係性
今泉力哉監督は好きな監督だから若干期待感強めで観に行った本作。
稲垣吾郎が演じる茂巳の力みのない佇まいはとてもよかった。相手の懐に入り込んでいく茂巳の才を感じさせる演技。歳をとっていい俳優になったなと思う。
本作には3組の男女が登場するが、相手に執着する感情が好きという感情の証になるのかってことを考えさせられる。いや、でも浮気されて全く怒りを感じなくなってしまったら、それはもう愛が冷めたと言えるけど。
おじさんである茂巳が、若い2人から刺激を受けたり暗に批判される姿はとてもおもしろい構図だった。今泉監督はこういう構図の作り方がうまい。
思ったよりも上映時間が長くて、若干退屈してしまったのも正直な感想だ。やはり期待感を強くしたのが失敗だったのかもしれない。
久々に映画らしい映画を観ました(満足)
すべての言葉をスクショしたい
妻が浮気してるんだ。だけど、浮気を知ったのにまったく怒りがわかないんだ。
稲垣吾郎演じる市川の恋愛観ってどんななんだろう。少なくとも性欲は感じられない。それが今時なのだろうか。この夫婦の性生活はうまくいっているのだろうか、それがなくても成り立っているのだろうか、と他所ながら心配してしまう。少なくとも、市川にとってSEXは必要な要素ではないらしい。しかし、妻はどうだろう。市川のやさしさから愛を感じられているのだろうか。
そして若葉竜也演じる友の有坂にとって、夫婦生活に倫理は必要ではないのだろうか。ちょっとお茶をするくらいの気軽さで浮気をしているのではないか。その妻はどうか。夫の浮気を知りながら何もできず、その怒りを市川にぶつけてはいないか。むしろ、自分に対して腹を立てているんじゃないか。
玉城ティナ演じる久保留亜は、そんな彼氏で満足しているのか。君の知性と釣り合わなくとも、自分を心底好きでいてくれるだけでこの後も続いていけるのだろうか。
そんな、なにか歯車がかみ合っていないような、どこか不釣り合いな、夫婦とカップルばかり。傍目には幸せそうな人たちなのに、誰もが大なり小なりの不満と悩みを抱えてる。それでもストーリーが荒れないのは、吾郎の醸す中性感が毒気を吸収してしまうのかもしれないな。誰もが経験する、何かを手に入れる、または手放すという行為は物に限らず、人との出会いもそうなのかもしれないが、すべて無駄ではないのだろう。迷うことも、悩むことも無駄にはならない。それが人を成長させるのだから。むしろ、いいな悲しめて、というゆがんだ羨望さえ抱く。そう、迷っている時間は贅沢、という感覚。その無駄なものに対して、せめて正直であること、それだけでたいてい上手くいくような気がする。少なくとも、市川の周辺では。エンディングに流れてきた沢辺渡の歌声を聞きながらそう思った。
タイトルなし(ネタバレ)
【良かった点】
まるで小説を読んでいるかのような時間。今泉監督作品の中でも突出して行間を楽しむような作りになっていると個人的には感じた。様々なセリフの中に意味があるように匂わせ、その意味を観客が思い思いに想像し楽しむ。これが癖になるから今泉監督の作品はやめられない。主演のゴローちゃんも素晴らしく、ニュートラルな演技が上手すぎる。
【良くなかった点】
基本的に不倫が大きなテーマの一つにあり、そこに絡み合う人間模様が軸の作品。大人の不倫、子どもの純愛の対照は、恋愛を扱う作品としてやや単調に感じてしまった。
光の指輪
妻の不倫を知った後
彼女への愛し方を模索した話
贅沢な時間
好きな小説を
居心地のよい場所で
読んだような清涼感。
ある年齢を超えると
ひとに相談できない悩みを
持つようになりませんか。
自身のプライドなのか
相談する人への迷惑を思ってなのか
その時期に親しい人がいない
など
それぞれですが。
市川の思いが観客に問いかける。
妻の不倫を知った時、
心底愛していれば
怒りの感情が湧くはずなのに、
自分は彼女を愛していないのか。
しかし、
紗衣との生活を
大事に最優先にした自分は
小説への思いを枯らしてまで
二人で暮らしていたのに。
これからの人生に
二人でいることが
正解なのかわからない‥
作中では、
悩んだ末になんとか見つけた相談者から
相手が可哀想というアドバイスを
もらって、
彼はある判断をする。
一生で何度かある
人生の分岐点を
疑似体験しているようでした。
本作の出演者や
監督のセンスが
素敵。
結婚感を光の指輪に例えて
美しいものだけど
儚くある時間が経つと消えてしまう
と
表現しているのが
恋愛を神聖化しているようでした。
現実はそんなものじゃないと
理解していても
好きな小説としてこの世界観に
浸りたい
という気持ち。
本作のパンフレットは
凝っていて
留亜の受賞作もついてます。
山形産の洋梨はラ・フランス
新潟産はル・レクチェなんですよね。
私は新潟産のほうが好き。
おすすめ。
パンフレットも。
喫茶店の窓辺などでの一見淡々とした、一対一の会話シーンが連なっていく
という作りの中に単純には言い表せない微妙な機微が描かれ、見えない緊張感や不安定感に目が離せなくなっていく。それでいてちょっと奇妙でなんだかユーモアが常に感じられる。
序盤は律儀に1ショットの切り返しでテンポよく描かれていた会話が、微妙な関係や状況が現れてくるにつれ2ショット(あるいは3ショット)の長回しとなり、役者たちの芝居に委ねられていく。脚本と演出と演技が一体化した気持ちのよい作品。
そして古典的な喫茶店で紙の本を読みながら休日を過ごしたくなること請け合い。
吾郎ちゃん、演技(?)上手い!
偶々この映画を観ようと思った日が、生中継の舞台挨拶の日でした。
上映開始から2週間目だったそうですが、五郎ちゃんがコロナにかかったのでそうなったそうで、妻役の中村ゆりさんと監督さん、そして吾郎ちゃんの三名。
他の舞台挨拶も何度も観ていますが、今回はかなり自然体。面白いエピソードも聞けて、それを頭に入れながら映画を観てました。
まるで素のままの吾郎ちゃん、こんなに演技が上手かった?と振り返ったほど。
映画館には若い女性たちが多かったので、ファンなんでしょうね。こんな生中継が観られて、良かったですね。(私も含めてですが)
映画を観ながらフリーライターってこんなに裕福?とか、なんでこんな娘に付き合うの?とか思いながら観ていました。
は?とか、誰かが誰かに話すと、直ぐに「は?」とかの反応が入るのが、不思議でした。私の周りでそんな反応は皆無なので気になりました。
色々含めて面白い映画でした。
干渉
長かった…よく最後まで観れたと思う。
なのだが、退屈だったわけじゃない。
面白かったは的確ではなく、興味深かった。
稲垣氏ありきの脚本なのかと思う。
他に該当する役者が思い浮かばず、こんな才能もあったのかと興味深い。存在感がないという存在感。
書いてる自分自身も「?」って感じなのだけど、なんかそんな感じだ。
作品を観ながら終始頭に浮かんでたのは、浮遊する円だった。ともすれば人が人と知り合いになるまでを描いていたような気にもなる。
フワフワと漂う個が、ふとした事で接触し、離れまた接触し、互いに侵食していく。
広くなったり結びついたりはしない、変わらずユラユラと漂うのだけれど、中心は変わらずに円の輪郭だけが増えていくようなイメージ。
皆様、おっかなびっくり探り合う。
つついて見て、反応を確かめて、またつついてみたり…空間に滲んでく波長みたいなものが見えてた。
実に興味深い撮り方だった。
それなりにセンセーショナルな話が散りばめられてたりはするのだけれど、それは143分という尺を持たせる為で、要はそれではなくて、この波長なのかと思う。
この波長が生まれる過程を認識させるのに、それだけの時間が必要なのだろう。
ほぼカットを割られる事はなく、ひき絵の長回し。1日1シーンのスケジュールだったとしても疑問には思わないだろう。
なんせ演者に気負いがない。
監督はどんな手法を用いたのだろうか…興味が尽きない。落とす視線や、ふいに訪れる静寂や、うつむく顔や…感情にそぐわない仕草は一つとしてなく、感情を誇張する仕草もなかったように思う。
すっごく平坦な、いやわざと平坦なのだろうけど、ここまで波風立たないのに、俺が飽きてないのが不思議でしょうがない。
観終わって、即座に思ったのが、トイレの為に中座しなくて良かった、だった。
意外に台詞を通して登場人物たちの胸の内を想像してた143分なのかとも思う。
彼らの事を解ろうと試みていたのかも。
現実で出会う人物にそうしているかのように。
なぜこんな感想を抱くに至ったか、実に興味深い。
そしてタイトルについて考える。
「窓辺にて」
多分、監督がこの話を閃いた場所なんだな。
緩やかな日差しが差し込む窓辺で、つい哲学的な事に思いを馳せる時間ってあるじゃない?
絶対違うけど、なんかそんな事だ。
もしくは、窓辺から行き交う人を観察してる状況に酷似した作品だからかもしれない。
自分も含め、人間ってな興味深いなぁ。
たぶん、台詞というか言葉の裏側を想像するのかと思う。喋る行為には感情が伴い、なんらかの意図があってその言葉になる。
今、喋ったその言葉には、どんな意図が隠れているのか?そういう目には見えない波長を映像として撮ると、こういう事になるのかなと。
有意義な対話だった。
ある意味多様性を肯定する作品。脚本が非常に良かった。出てくる人が全...
味が薄い
吾郎ちゃんファンに勧められて観ました。吾郎ちゃんありきで作られたような印象。
高評価が多くてびっくり。私は鑑賞力がないのかな?
全体的に味が薄い。各キャラクターもありきたりで面白味がない。それをリアルと言うのでしょうか。
少女作家が体験を貪欲に小説の材料として消化していく(手放す)のに対し、主人公は小説にしてしまうと過去のものになってしまうので書かない、というコントラストは面白かったし、唯一新進作家との対話場面は緊張感があったものの、"私にはいらない小説"というセリフがやけに印象的でこの映画の感想に。。なんだか化けそうな映画だけにちょっと残念。
フルーツパフェよりお寿司が美味しそうだった。
追記:自分の感想と大多数の高評価のギャップに、他サイトのレビューまで貪り読んで、わずかに同じ感想のレビューを見つけて安心したり、何に対してかわからない怒りが湧いてきたりして結果ずっと映画のことを考えている。忘れない映画になりそうな予感さえしてナニコレ、ヤメテ。味のないガムを噛み続けやっと小さな紙に包んでもきっと指に付いてしまうトラウマ。
パフェと中年
窓辺の席で
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