千夜、一夜のレビュー・感想・評価
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幾千もの夜を数えて
夫は生きているのだろうか、この海の向こうのどこかで。それともとっくに死んでいるのだろうか。
拉致されたのだろうか、別に女が出来たのだろうか、何か事件にでも巻き込まれたんだろうか。寄せては返す波の数だけ様々な考えが浮かんでは消えてゆく。
夫が帰ってこなくなって久しい。もはや夫の顔の記憶さえもおぼろげだ。さみしい気持ち、悲しみの感情さえも遠い昔のようなほど月日が過ぎていた。それでも待ち続ける。砂浜に夫の手掛かりとなるものが漂着してないか、漂着船の乗組員から夫の手掛かりを聞き出そうとしたりもした。しかし手掛かりは何も得られない。
もはや夫の顔も思い出せない、にも関わらず夫への思いをつなぎとめるために夫の声をカセットが擦り切れるほど聞き続ける。聞くたびにあの頃に帰った気がする。
自分はなぜ今も待ち続けるのか。夫への義理立てなどというものか、あるいはただきっかけを失っただけか。奈美のようにほかにいい男がいれば乗り換えてもよかったはず。夫への義理立てなどもはや不要なほど時間は経ちすぎている。喪に服してるわけでもない。それとも自分は今も夫を愛しているのか、顔も思い出せなくなるくらいおぼろげな記憶になりつつあるというのに。いまも夫を待ち続ける自分はなんなのだろうか。
離島の港町、人口は少なく皆お互いをよく知った仲。家には鍵もかけない。用があれば扉を開けて声をかける。気心の知れたもの同士、勝手知ったるなんとやらである。
互いのことをよく知ってるだけに気兼ねなく付き合える関係だが、それがありがたくもあり、時には疎ましくもある。プライバシーはほぼない。
夫は行方不明だが、死別したわけでもなく離婚もしていない。憐れな後家さんのように同情の目で見られるのはごめんだ。タイプでもない漁師の春男との縁談を何かと周りが勧めてくるのもありがた迷惑な話である。ダンカンだし。
昔ながらの村社会のような田舎町、そんな田舎町のしがらみに嫌気がさして夫はいなくなったんだろうか。自分との暮らしを捨ててまでこのしがらみから解放されたかったのだろうか。だとすればそんな夫の気持ちは今の自分にはわかる気がする。
人間社会におけるしがらみは何かと面倒である。時に人はそんなしがらみから解放されて自由になりたいがために蒸発するんだろうか。奈美の夫の洋司がそうであったように。
奈美は自分の姿を見てこんなふうにはなりたくないと思ったはずである。ただ何十年も帰らぬ夫を待ち続けるなど自分には到底耐えられないと。
彼女は自分の人生を大切にしたいからこそ過去のしがらみを捨てて別の相手と新たな人生を歩もうとした。
だとすれば自分はなんなのか、ただ自分は夫との過去のしがらみを断ち切ることもできずにここまで来てしまったのか。奈美のように別の男に乗り換える機会もあったはずなのにその機会を失い、ただ惰性でここまで来てしまっただけなのだろうか。
自分とは違いしがらみを断ち切り新たな人生を歩もうとする奈美がうらやましくもあり憎らしくもあった。だから洋司を奈美のもとに連れ帰ったのかもしれない。少しだけ彼女に意地悪をしてやろうと。
彼女はあなたは夢の中にいるのだと、夢の中で旦那さんを待ち続けてるんだと言った。そうかもしれない。夫を思い、過ごした幾千もの夜。これはただの夢で本当は夫は一晩留守にしただけでひょっこり何事もなかったかのように帰ってくるのではないか。幾千もの夜を過ごしたかのようで実は一夜だけの出来事だったのかもしれない。
夫が帰ってきて自分を抱きしめてくれる、あの時と同じように。まるであの時から時間は止まっていたかのように。
今までただ悪い夢を見ていただけで目が覚めれば夫がそこにいる。自分もあの時の若い姿のままだ。だが、自分を抱きしめていたのは夫ではなく奈美の夫の洋司だった。
わたしはもう年を取りすぎた。きっとこれからもこの田舎町でひとり生きていくしかないのだろう。田舎町のしがらみに縛られ、夫への思いに縛られてただ朽ちていくのもいいのかもしれない。
なぜ自分は夫を待ち続けたのだろうか。そこまで愛していたのだろうか、なぜ帰って来ない夫に見切りをつけて新たな人生を踏み出そうとしなかったのか。自分はこの田舎町のしがらみを毛嫌いしながらもそこからは抜け出せなかった。その気になれば島を出て別の人生を歩めたかもしれない。でもそうはしなかった。夫を愛していたからか、あるいは夫を待ち続けることでこの島を出る勇気がなかったことの言い訳にしたかっただけなのではないか。そうだ、自分には勇気がなかったのだ。自分にとってはこの生まれ育った小さな港町だけが生きる世界だったのだ。何のとりえもない自分はここから出る勇気がなかっただけなのだ。
結局自分はこの田舎町から抜け出すこともできず年老いて死んでいくのだろう。ならばせめて夢ぐらい見てもいいではないか。帰ってくるはずもない夫を待ち続けながら。
自分はこれからもそうして夫と過ごした過去のしがらみに縛られて生きてゆくのだろう。それは自分にとっては心地よいものなのかもしれない。
意味不明
田中裕子の年齢設定がわからない。
実年齢より20歳ぐらい下ならちょっと無理がある。顔に無理がある。『ひとよ』の時は、大体あの年齢の子供の親ぐらいでピッタリだった。設定年齢に合わせて言動を若い感じに演じていて気にならない方はいいが、私は不自然と違和感という言葉が浮かんで来てストーリーどころではなかった。
義理父の平泉成さんとは11歳しか違わない。二人が話していた時、田中裕子の夫の兄だろうか、と思っていたら父でありビックリである。
ストーリーも初めまだ良かったけれど、中盤以降、わけわからない。
尾野真千子扮する看護師が同僚男性に朝ご飯を誘ったら、次のシーンはベッドの横。そんなに飢えていたの?と聞きたいぐらい。じゃ、なぜ探すんだ?と疑問も湧く。
安藤政信の行動も奇妙。昨日今日会った人の家、なぜかわかったみたいだが、なぜ行く?
田中裕子が、失踪した夫に話しているシーンから無茶苦茶。••••••あれから翌朝までに何があったの❓
海に入るのもわからなかった。
食品加工の作業場ってマスクしないの?
何故に届かぬ我が想い
監督は『家路』の久保田直
脚本は『いつか読書する日』『スープオペラ』『家路』の青木研次
舞台は佐渡
失踪して30年になる夫を待っている登美子
失踪して2年になる夫を待っていた奈美
登美子は世話役の元町長の仲介で奈美に相談され奈美の夫の居所を調査するため彼の関係者の話を聞いて回る
登美子と似た境遇だが奈美は帰らない夫を諦め離婚を決意
登美子は周囲の人々から彼女に恋焦がれる春男と一緒になることを頼まれるがすべて断り夫の帰りを待ち続ける
そんな折に夫の母の葬儀に出席するために佐渡から本土を渡った登美子
出席後街を歩いていると奈美の夫の洋司を発見する
声をかけ喫茶店で事情聴取し帰る意思はあることを確認
登美子は洋司を連れて佐渡に帰り病院の同僚との再婚を決めた奈美と再会させた
登美子の母の葬儀で真っ最中にいきなり佐渡おけさ
生前の母のリクエストだったらしいが登美子はそれを知らなかった
自分は佐渡の文化だと勘違いしたがどうやら違うらしい
帰ってきた洋司と連れてきた登美子にキレまくる奈美のシーンが特に好き
登美子はもっと若い田中裕子より10歳くらい下の俳優で良かった気がした
だが見終わってみると田中裕子でも良かったがしてきた
それにしても68歳のわりに元気だな
夫が2年経っても音信不通で蒸発したままでも妻は他の男と寝たら不倫になるのだろうか
僕は違うと確信するが世間の人はどう思うだろうか
だがどう思おうと自分は考えを変える気はないけどね
淡々と話は進んでいくが眠くなることは全くなく観る前に思ったよりわりと良作
星5を与えたい
最近の邦画で面白いのはないのかと聞かれたら薦めたくなる作品
配役
水産工場で働いている若松登美子に田中裕子
登美子の夫で遠洋の船員の若松愉に阿部進之介
在日3世で帰化した看護師の田村奈美に尾野真千子
奈美の夫で中学で理科の教師をしていた田村洋司に安藤政信
登美子に想いを寄せ続ける漁師の藤倉春男にダンカン
春男の母の藤倉千代に白石千代子
登美子の母の絹代に長内美那子
登美子が働いている水産工場の同僚の妙子に田島令子
奈美が勤めている市民病院の同僚の大賀に山中崇
生活安全課の警察官の安斎に田中要次
春男の漁師仲間の吉村に諏訪太朗
登美子の手助けしてきた元町長の入江春弼に小倉久寛
愉の父の若松俊雄に平泉成
新潟県の佐渡島、イカの加工工場で働く60歳間近の登美子(田中裕子)...
新潟県の佐渡島、イカの加工工場で働く60歳間近の登美子(田中裕子)は、30年前に夫が突然姿を消した。
拉致被害者の可能性があり、特別失踪人に指定されている。
登美子は、これまで夫の消息を訪ね、夫の帰りを待ち続けていた。
そんなある日、登美子のもとに、30代の若い女性・奈美(尾野真千子)が現れる。
彼女の夫も2年前に理由なく突然に失踪、拉致被害の可能性が信じた奈美は、夫が消えた理由を知りたかったのだ・・・
というところからはじまる物語で、夫が姿を消した女性ふたりを対比して描く物語(のようだ)。
ま、それはおおむねそのとおりなのだけれど、対比されるのはふたりの女性だけでなく、女性という意味では、もうひとり登場する。
地元における特別失踪人捜索者支援をしている初老の男性(小倉久寛)の妻で、彼女は認知症を患い、最愛の夫が目の前から消えてしまったと思い込んでいる。
この認知症の妻の存在が物語に奥行きを与えており、彼女がいないとなると、登美子と奈美の対比だけでは薄っぺらくなってしまう。
さて、奈美の夫であるが、案の定、拉致被害ではないことが終盤判明。
登美子と対峙する奈美の夫(安藤政信)の口から語られるのは、漠然とした不安である。
この漠然とした不安というものは、わからない人にはわからないが、感じている者にとっては強迫観念に近いようなもので、逃れることが難しい。
奈美の夫が感じた漠然とした不安の契機は、妻・奈美との結婚なのだが、もうひとり、漠然とした不安を抱え込んでいる男性が登場する。
登美子の幼友だちで、長年彼女に恋慕し続けていた漁師の春男(ダンカン)である。
彼の不安の契機は、ひとりでいることで、恋慕の感情は、いわば言い訳めいたものである。
その春男も中盤、ふと姿を消してしまう。
男というものは、不意に姿を消すものなのか・・・
たぶん、消すんだろう。
いなくなることで、それまで「いた」ことを証明する。
なんだか歪んだようなレゾンデートルだ。
一方、女は姿は消さない。
いつづけることが存在証明、レゾンデートルだ。
姿を消したふたりの男(奈美の夫と春男)がふたたび姿を現してからは、過去観た映画を彷彿とさせる。
映画は『いつか読書する日』。
田中裕子演じる登美子のキャラクターも似ている気がするが、男性陣も似ている気がする。
似ている気がするのも道理で、本作の脚本は同作を担当した青木研次。
なるほど。
なお、映画の時代背景は、いまから少し前(たぶん10年ほど前)の設定なのだろう。
拉致被害が多かったのは70年代後半~80年代前半(登美子の夫の失踪時期を考えるとそうなる)。
なので、時代背景がいま現在だみると、奈美が夫の失踪を拉致と考えるのには合点がいかない。
10年ほど前ならば、拉致被害者の帰国もあり、理由なき失踪を拉致と結び付けてしまったのにも合点がいきます。
佐渡へ~佐渡へ~と草木もなびくよ 佐渡は居よいか住みよいか おけさせつなや やるせなや
春男役のダンカンの顔をみてるだけで辛い。春男になった気分で観てしまっていた。荒れる日本海。冬の佐渡の海はうんと厳しい。周りが一生懸命にくっつけようとするからだんだんおかしくなっちゃったのかな?春男の母親役の女優さんはかなりクセのある女優さんだったけど、とてもよかった。
平泉成を久しぶりに見た。元町長さんで、登美子の失踪した夫の父親役。
春男と登美子は50年来の幼なじみ。
周りの人が優し過ぎるから、かえっていけないのかな?
ラストチャンスに賭ける春男。
しかし、登美子が頑な過ぎて、
自分から死にたいよ~と登美子に言っちゃう。そうしたら、
「鱈のエサになってしまえ」って、
ちょっとヒドくない?
田中裕子の突然カッとして、切れる演技はもはや定番。田中裕子は若い頃から、何を考えているのかわからない不気味さを持ち合わせている。
だから、観ているこっちは余計にわからない。
カセットテープだけが唯一の手掛かりだが・・・幸せだったことしかわからない。
安藤政信と阿部慎之介が共演する映画は「新聞記者」の藤井道人監督の「デイアンドナイト」以来。実際は絡まないけど、登美子の頭の中で二人がダブる。渋くて、カッコいい二人。
同僚看護師役の山中崇。最近は軽いダメ男役はめっきり減った。
山中崇が羨ましかった。
だって、尾野真千子だもの。
夜勤明けの朝ごはんからの・・・・
安藤政信の失踪の件はやはり理解し難い。教師なのにね。
海洋調査船に10か月?
理科の先生だから?
年に8万人以上も行方不明者がいるらしいが、すぐ見つかる徘徊老人なとが大部分で、みずからの意思で故意に行方をくらます者は少数。
3年以上経つと離婚裁判を申請して認められれば、残された者は再婚可能らしい。新潟市内にたまたま行った登美子に見っかっちゃう安藤政信もなんだかなぁ。
尾野真千子のビンタのシーンのときは、チャッカリ安藤政信になりすましていた。
変態だね🙏
「サバカン」で竹原ピストルの頭をブツ時の演技と違って、迫力満点。
「おらおらでひとりいぐも」は埼玉の所沢のコメディだったから、あんまり、悩まなくてすんだんだけど、この映画は辛いし、なんとも言いようがないけど、脇役陣がすごくよかった。
映像もとてもよかった。
葬式での佐渡おけさにはちょっとビックリ。
てっきり死んだと思っていた春男が生きててよかった。
ラストはベタだった。
待つ身と待たせる身
「夫は死んでると思ってるから、待っていられる」
このセリフが、この作品の全てでは。
田中裕子、今や、「サンダカン八番娼館 望郷」の田中絹代ですね。女優を全く感じさせないんですから。俳優の極みですね。
生き様にみる幸せの尺度
あの日から出かけたまま帰らぬ夫。
登美子は、30年ひたすら待っている。
夫は、嫌いだった実父からの救いであり心が解放される存在だった。
昔からの友人春男は、夫が蒸発して長い登美子を心配し、一緒にならないかと言い続ける。
しかし、登美子は頑なに断る。
それでも春男の母が直談判したり、仕事仲間が気をきかせ縁を繋ごうと試すが、たぶん周りが手を回す程、無理、無理、無理なのだ。
春男がなぜ夫の代わりになれないかがそこにあるような気がする。
登美子が待ち焦がれるのはただひとり。
ふらりと自由な空気でまわりとのしがらみを感じさせないあの頃の夫なのだ。
登美子は、同じように失踪した夫・田村に見切りをつけ、新たな人生をみつける覚悟をした奈美に出会う。
そして、町でたまたま見かけた田村に声をかけ話をしてみる。
田村は失踪の経緯などを説明。
そんな田村には夫を思い出させる雰囲気がちらつきなつかしい面影を見たに違いない。話をしながらどんなに心が揺れただろう。
その後、田村を連れ奈美の家に案内するのだが奈美は動揺と憤慨で田村を罵る。
その姿は、もう自分の気持ちが田村に戻らないようにする区切りの行為にみえた。
夜になり、雨の中、奈美子に追い出された田村が登美子を頼りに訪ねてくる。
ずぶ濡れの田村に白湯を渡し、夫のであろう服を貸す。
大きいと思われた夫の服がぴったりだったところあたりから、心中を察して胸がざわざわした。
夜中に隣の部屋でみえない夫と会話している登美子を目撃してしまった田中。
会話の内容はふたりがまだ若い時のようだ。
切ない孤独を自分なりに紛らわせながらぎりぎりの精神状態でずっと生きてきたのだろう。
田中は、犯した間違いがどれだけ奈美を傷つけることだったかをこのときはじめて深く理解した。
嗚咽し悔やみうなだれる田中。
ぎゅうっと離さないように抱きしめる登美子。
田中のなかで、田中を抱きしめるのは、もう夫との決別をきめてしまった妻・奈美。
そして
登美子のなかで、登美子が抱きしめるのは、いまも帰らず許せないが許したい夫。
2人は偶然にもそんな立場で出会い
そうやって今の自分の気持ちの在処をみせた。
明け方に田村がそっと出て行く音。
登美子の記憶は、あの別れの日と重なっている。
高台の家の玄関をあけ、外を眺める登美子の年老いた横顔。
それきり帰ることのない夫を『再び』待ち始めた意志のあるまなざしだ。
登美子は浜辺に来た春男の更なる告白を跳ね除ける。
それが登美子の納得の尺度。
何を信じるか、何を求めるか。
仕方ない。
登美子には待ちたい夫がいる。
今までも今も。
一応、趣旨は理解しなくもないのだけど…(減点対象でネタバレを含みうるので注意)。
今年301本目(合計576本目/今月(2022年10月度)15本目)。
※ 映画館トラブルで上映が3~5分遅くなっているのか、オープニングが変なところからはじまっているので、その部分は除きます(エンディングロールは正常に流れている)。
一言でいうと「雑だなぁ…」という印象です。
ストーリー的には他の方が書かれているものと同じだし(映画なのだから当たり前)、そのストーリーの趣旨も「待ち続けること」に主眼があたっているのは当然理解はできます。
一方で、このサイトや映画内でもちらっとだけ「失踪者リスト」という名称は出ますが、それが何であるのかが明示的に示されず(まぁ、大人の事情…)、さらにエンディングロールまでみると???な状態になっているので、法律系資格持ちはかなり混乱します。
というより、この映画、実はちらっとだけ「法テラス」のポスターが見えるのですが(過疎地まで弁護士をはじめとした法律の相談ができるという趣旨の「実在する」制度)、それも踏まえてみると、何がどうなっているんだろう…という気がします。
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(減点1.2/趣旨が(法律的に)理解しがたい、ぼかした結果よく分からない部分等)
・ まず、この映画には「2組のカップル」が出ます。1つ目は2年待っているという女性、もう1人は30年待っているという女性です。そして「失踪者リスト」という名称から、おそらく想定しているものは「あれなのだろう」ということは理解できても、固有名詞を出すと問題になるのか出ていない…という状況です。
一応にも「固有名詞を出していませんが、現在の日本の国交に配慮したものです」などあればまだ理解もできるのですが、それもないので、民法などを基準にしてみることしかできないのですよね…。
すると、2年帰ってこない、というだけでは裁判上の離婚を請求することはできません(民法770条)。「3年以上生存が明らかでないとき」に該当しないからです。一方、30年というのもきわめて極端ですが、裁判上の離婚は強制ではない(親族相続などは、当事者の意思が尊重されるので、悪用しない限り強制的な対応はとられない)ものの、年金関係など、他の制度と組み合わせると理解が破たんしてしまいます(なお、リアル世界では、このように「実際の参照している事件」のようなケースでは特別法があり、年金関係は別の規定が存在します)。
※ ほか「悪意の遺棄」というのもありますが、判例上「悪意の遺棄」というのは、「常時介護が必要な配偶者を放置する」といった積極的なケースが該当します(「悪意」は法律上は特殊な用法をしますが、ここでは普通の日本語の意味)。
そして前者のほう…は「裁判上の離婚」をへて(この部分は明示的に発言がある)、新しい再出発をしている(映画内では再婚しているっぽい?まだ準備中?)のですが、もとの裁判上の離婚が成立しない以上、再婚が成立するかも微妙です(裁判上の離婚は、協議離婚における「条件を満たしていないものは受理してはいけないが、誤って受理したものは有効として扱う」(765条)の規定を準用していないため(771条))。
※ 765条(誤った受理の禁止、誤った受理の有効性)を裁判上離婚で準用していないのは、「裁判所は間違った処理をしない」という前提があるから。
すると特にこちらの新カップルは法律上非常に怪しい状況になってしまい(法の想定する範囲を超越してしまう)、どうするんだろう…というところです(どうにもこうにも、こういう事例がリアルで存在しないので、どうなるのか謎)。親族相続というものに無効・取り消しというものはなじまないためです(さらに法律関係をややこしくしてしまう)。
※ なお、結婚離婚その他関係なく、すべてに適用される「失踪者」の扱いは、7年(普通失踪)か、1年(船舶の沈没、戦地に赴いたものなど、特別失踪)です(民法30条)。
※ 「船舶の沈没」は、そもそも日本でできた最初の民法から存在するように、当時は船舶や飛行機がそこそこ沈没していた(同様に「戦地に赴く」など、今だとちょっとあり得ないような規定も存在する)ように、「文言通りには読まない」(この「不審船」が「船」だからといって適用はされない。そうだとすると、連れ去り方法が何であるかによって普通失踪か特別失踪かが変わるという珍妙な状況になるため)のです。
・ 映画内では明示的に名称こそ出ないものの、この映画でいう「失踪者リスト」という名称や、「不審船」などが想定する国が何であるのかは明らかです。にもかかわらず、エンディングロールで「韓国語指導・だれそれ」というのはどうなのか…(朝鮮語(便宜上の名称。ここでは韓国に接する「北側の国」を指す))というところです(ある程度韓国映画をみていれば、韓国語と「その国の言語」に差異があることは常識扱いのため)。
まさか「韓国からの失踪者」というように見るのは無理があるし…。
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田中裕子の名演?怪演?
佐渡島の港町で、登美子(田中裕子)は30年前に突然姿を消した夫の帰りを待ち続けていた。漁師の春男(ダンカン)は小さい頃から彼女に思いを寄せているが、彼女が春男の気持ちに応えることはなかった。そんな登美子を、2年前に失踪した夫・洋司(安藤政信)を捜す奈美(尾野真知子)が訪ねて来た。奈美は自分の中で折り合いをつけ、次に進むため、洋司がいなくなった理由を知りたいと言った。ある日、登美子が義理の母の葬儀に船で渡った先(新潟?)の街中で偶然洋司に似た人を見かけて、声を掛けると本人だった。さてどうなる、春男と登美子は?てな話。
日本全国で年間8万人も失踪者がいるなら、警察にいなくなったと届け出てもほとんど相手にされないだろうなぁ、と思った。幼児ならともかく、大人の場合、洋司のようなケースもあるわけで、
とにかく登美子の頑なな失踪夫への思いが病的に感じた。それを演じる田中裕子の怪演も見所。
ただし、夫の父(義父)役の平泉成と田中裕子の年齢差が11歳だからか、親子?、って感じた。もっと平泉成を老けたメイクにするとか田中裕子をもっと若くメイクするとかビジュアルの工夫が欲しかった。
奈美の次を探す行動はもっともだと思ったし、登美子との違いを描く事で登美子の一途な思いを深めたのかな。
人生一度きりなんだから、登美子も次に進めなかったのかな、と思った。子供でもいれば違ったかもしれないけど。
30年会えなくても愛し続けることは可能か?
30年前に失踪した夫を待ち続ける登美子。
閉鎖的な港町で立ってしまう波風。
登美子以外の人物の方が共感しやすいし
普通だと感じてしまいますが
愛し方や幸せの感じ方は十人十色。
先入観や固定観念で鑑賞すると登美子や
この作品を理解することは出来ないと感じました。
30年もいなくなった人を愛することは
不可能だと感じてしまうからです。
しかし登美子には当たり前にそれが出来てしまう。
テープに録音された僅かな思い出だけで
30年間更新されることが無くても消えない愛。
寧ろ、時間が経つにつれ忘れそうになる
自分が許せないと嘆く。
相手が存在しない愛を演じる田中裕子さんが
複雑な感情を沁みるように届けてくれます。
【”私、狂ってるから、ずっと・・。”愛する夫を突然の失踪により”30年間待つ女性”を田中裕子が抑制した演技で魅せる、静かで哀しき作品。 ”夫婦の愛、繋がりとは何か”を考えさせられる作品でもある。】
ー 舞台が新潟の佐渡島なので、失踪の原因は幾つか考えられる。
”隣国”による拉致(特別失踪)。
海での事故。
だが、登美子(田中裕子)の夫(阿部進之介:写真と声のみで出演)は、幸せの絶頂だった新婚時に姿を消す。
劇中、殆ど音楽も掛からない静かな作品であるが、田中裕子さん、尾野真千子さん、安藤政信さんという名優たちの確かな演技が、この作品を支えている。-
◆感想
・田中裕子演じる登美子は、劇中一度も笑わない。夫が失踪してから彼女の表情から”笑顔”は消えたのだろう。
ー 登美子は、夫が失踪しても自分を慕う漁師の春男(ダンカン)の求愛にも反応しない。死亡届も出していない。只管に愛する夫の帰りを待っているのだ。ー
・そんな彼女の元に、2年前に夫、洋司(安藤政信)が失踪したという奈美(尾野真千子)が、やって来る。フラリと散歩に出かけたまま、帰らないという。彼女は夫が失踪した理由を考え、自分を慕ってくれる男(山中崇)との関係も考え、自分の心と折り合いを付けようとする。
■漂泊の想い
・作家、檀一雄は、生前屡々、”失踪”したという。彼の言葉によると、”何かに突き動かされるように、何処かに行ってしまいたくなる。”のだそうである。
今作で言えば、奈美の夫、洋司が口にした言葉に似ている。
”幸せだが、茫漠たる未来への不安・・。”
・登美子が、新婚時の夫との遣り取りを録音したテープをカセットデッキで何度も聞くシーンの登美子の表情。そして、テープは擦り切れ、切れる。
ー 何とも切ないシーンである。夫と登美子の幸せそうな声。-
・漁師の春男が、登美子に袖にされ、行方不明になっても、登美子の姿勢は揺るがない。
・ある日、街中で登美子が見た奈美の夫。喫茶店で、彼を詰ることなく無表情に夫の言葉を聞く登美子。そして一言。”私の夫だったら、殴っているわ。”
奈美の夫は登美子に付き添われて、自宅へ。そこには、奈美が一緒になろうと決意した男とともに、奈美がいる。そして、何度も夫の頬を叩く。
ー 家を追い出された洋司が、登美子の家を頼り、擦り切れたテープを直し、二人で聞くシーン。
”幸せそうですね‥。”という洋司の言葉に、微かに微笑む登美子。
そして、翌朝、洋司は、静に登美子の家を出る・・。-
<今作は、新潟・佐渡島の風景を背景に、人心の不可思議さと、失踪した夫を待つ妻の大人の愛の物語である。
”夫婦の愛、繋がりとは何か”を考えさせられる作品でもある。>
■余計な事は、重々承知の上で・・。
とても、静な作品なので、睡眠はキチンと取ってから鑑賞されると良いと思います。
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