ヴィレッジのレビュー・感想・評価
全64件中、61~64件目を表示
閉鎖的なムラ社会の権力構造と社会正義
本作は、気軽に鑑賞できる作品ではない。閉鎖的なムラ社会の中で苦悩する青年の再生物語を主軸とした、ヒューマンサスペンスである。ゴミの最終処分場などの今日的な問題を織り込んだ見応え十分の作品に仕上がっている。
本作の主人公は、故郷・霞門村で暮らす片山優(横浜流星)。彼は、幼い頃から村の伝統芸能である薪能に興味を持ち、能教室に通っていたが、ゴミの最終処分場建設を巡って事件が起き、村人との関係が悪化してしまう。母親の借金返済のため、優は、ゴミの最終処分場で働いていたが、日常的にイジメを受け、孤独で生きる希望を失った日々を過ごしていた。そんな状況の中で、幼馴染の美咲(黒木華)が東京から戻ってきたことにより、優の人生は大きく変化していく・・・・。
優は、優と同じ会社に就職した美咲によって覚醒していく。美咲の推薦で、優は、広報担当となり、持ち前の雄弁ぶりが開花して、TV放映を任されるまでになる。美咲とも次第に惹かれ合っていく。ムラ社会の権力構造の頂点に君臨する村長にも寵愛される。ムラ社会の権力構造の底辺から頂点に一気に上り詰めていく。
優を演じる横浜流星の表情の変化が劇的であり、劇的変化に対応した演技を巧みに熟す横浜流星に演者としての成長を感じた。もはや、彼は、アイドルではなく、演者になったと実感した。
黒木華は、どんな役柄でも熟す演技巧者振りを発揮している。故郷にバスで帰って来た時の表情に、只ならぬ気配を滲ませている。表情の演技が素晴らしい。
ムラ社会の象徴であったゴミの最終処分事業は、美咲の弟の告発で破綻していく。村長の片腕にまでなっていた優は破綻の阻止に躍起になるが、ムラ社会の権力構造の実態に気付き、自らの手でケリをつける。
エンドロール後のラストシーン。美咲の弟は故郷を去る。ムラ社会と決別する。社会正義を貫いた彼にムラ社会での居場所はなかった。
ムラ社会と社会正義。本作は、日本社会が抱える根本的課題を鋭く問題提起している。
ずっと囚われ続ける
映画館で予告を見た時に引き込まれた。
そのときはどんな映画なのか想像ができなかった。
優を演じられた横浜流星さんが凄まじいくらいいい。
物語のどのあたりだろうか、暗くて汚れた部屋の中に枕で顔を多い、泣き出すときに【孤独】という言葉がこんなにもしっくりとくる人がいるとは。
ただただ頭の中に【孤独】という字がうかんできた。
そんな彼が幼なじみの美咲との再開から恋人となるんだけど、映画の中では時間が短いはずなのに、物語にたしかに村の流れがあるので、確実に優が人として水を得た魚のように変わっていく。
顔色、表情、声、無口な印象がなくなり、上手に次期責任者としてまとめている。
時折映画の中にある鏡を使う写し方がすごくよかった。自分が自分を見ている印象と鏡の中は写鏡のようでミステリアスに感じた。
映画の中にお能が入ってくるのも印象的でその面についてもセリフがあるのも、すごく心の中に残った。
後半に関しては特に重め。
最終的に現実におこったことなのに、あの幸せの日々は一瞬でつかの間の夢だったのかと思わせるような最後だった。
エンドロール後も少しだけ映像が流れる。
日本のどこかにひっそりとありそうな村の話、あったら怖いけれど…。
伝えたかったのは。
藤井監督の作品は主人公だけでなく登場人物みんなの背景が見えてくるから好きなのだが。
今作は登場人物が多すぎて。
美咲は東京で何があったのか。
龍太はどうしてここで働かなければいけなくなったのか。
光吉はどうして村を出て行ったのか。
村長・修作と弟・光吉の確執は。
丸岡と母との関係は。
父はどんなイジメ(村八分)にあって誰を殺したのか。
等々、もっと掘り下げて描いて欲しかった。逆を言えば物足りなかった。(全部描いていたら2時間には収まらないか。)
何が伝えたかったのか。ちょっと欲張りすぎたのかな。
連続ドラマにしてじっくりと描いた方が良かったのかも。いきなり観光地、いきなり人気者になってたのがちょっと。
しっかりと作られた良い作品には違いないが、何度も観たくなるような映画ではない。横浜流星はどんな役でも素晴らしい。よくこんな映画に出たな(褒めてます)。
「最後まで行く」が楽しみ。
【”邯鄲の夢・・。”巨大なゴミ最終処分場誘致により存続している村で、村人たちが長年隠蔽してきた事。社会に居場所の無い若者達の盛衰や、村社会の旧弊的な体質や闇を描いた哀しくも恐ろしき作品。】
ー CGであろうが、山に抱かれた村の上に聳え立つ巨大なゴミ最終処分場が村人たちを見下ろしているようで、不気味である。
そして、そのゴミ最終処分場で行われてきた事は、もっと禍々しい事であった・・。-
■ゴミ最終処分場で働くユウ(横浜流星)は、ギャンブル依存症の母(西田尚美)と二人暮らし。いつも猫背で無精ひげを生やし、覇気のない空虚な生活を送っている。
冒頭、男が涙を流しながら室内にガソリンを撒き散らし、ライターを投げて炎に包まれるシーン。このシーンはラストに同様のシチュエーションで”再現”されるのである。
”負のサイクル”を描いた、作品構成の妙であろう。
◆感想
・冒頭で映し出される村で行われていた能のシーン。
演目は”羽衣”と”邯鄲”である。
ー それをじっと見ている幼き二人の男の子と、女の子。
感の良い人は、このシーンでこの後の展開が予測出来ると思う。-
・徐々に明らかになるユウの父が、ゴミ最終処分場建設の数少ない反対派で、村八分になっていた事。故に賛成派の人間を殺して、自宅に火を放った事。
ー ユウが暗い顔でゴミ最終処分場建設で働いている理由が分かる。母がギャンブル依存症になった理由も・・。-
■恐ろしいのは、村社会の中で、”殺人者の息子”と言う理由でユウが白眼視されている事である。これは、村に限った事ではなく重罪を犯した者がいる家族は、殆ど転居を余儀なくされているのが島国日本の実情なのである。
隣に誰が住んでいるのか分からない様な町に住むのも、嫌なモノだが・・。
・東京から幼馴染のミサキ(黒木華)が戻ってきた事で、ユウの表情に徐々に明るさが戻って来る。役場に勤めるミサキは、ユウをゴミ最終処分場の小学生向けのガイドに推薦する。だが、それを快く思わない村長(古田新太)の息子トオル(一ノ瀬ワタル)。トオルはヤクザともつながっており、且つミサキに恋していたのである。
ー 故に、必然の如く悲劇が起こる。
作品構成で巧いのはミサキをトオルが襲うシーンでトオルがユウを只管殴り続けている所で、シーンが変わる事である。
又、さりげなくミサキが東京に馴染めずに精神を病んでいた事も、劇中で語られるのである。-
・ユウはTVにも出演し、村には多数の観光客が訪れるようになる。ユウの姿を吃音のケイイチは”ヒーロー”として慕っているのである。
ー だが、実際には前半描かれているように、処分場には夜間、廃棄してはいけない”バイオハザード”がヤクザ(杉本哲太&トオル)により持ち込まれ、ユウたちはそれを埋めていたのである。シニカルである。そしてケイイチがある日処分場で見つけたモノとは・・。-
<ユウは、村長が自分の父にした事を知り彼の首を”お前がゴミだ!”と言って、”父と同じように”部屋に火を放つ。
そして、病の為に喋れない筈の村長の母(木野花:今作では一言も話さないが、物凄い存在感を放っている。)は炎が近づく中、”邯鄲”を謡うのである・・。
今作は、村という限られた空間の中で引き起こされる旧弊なる人間関係をベースに、村が抱えた闇や、格差を描いた作品なのである。あな、恐ろしや・・。>
全64件中、61~64件目を表示