「原作愛を感じるが、個人的には解釈不一致」神々の山嶺(いただき) まっすーさんの映画レビュー(感想・評価)
原作愛を感じるが、個人的には解釈不一致
原作漫画の大ファンだった私は、待望の映画化と言うこともあり、公開日翌日には劇場に足を運んでいた。製作している監督、スタッフは存じ上げなかったが、緻密な人物描写や海外製作ながらもしっかりと描かれた日本の風景、リアルなクライミング描写、そして何より息を飲むような美しくも荒々しい山々は特筆すべきものがあります。
ただ、ファンとしてカット・省略されたシーン・描写がやはり気になってしまった。もちろん、壮大な原作を限られた時間のある映画にまとめるためにはある程度仕方ないことであり、例えば深町と女性キャラのエピソードや長谷の山はおそらくカットされるであろうと予想していましたが、羽生のエベレスト敗退は個人的にはカットすべきエピソードではなかったと感じています。グランドジョラス敗退を経てのエベレストへの挑戦は羽生のモデルとなった森田勝(森田勝氏は羽生と同じような運命をたどりながらグランドジョラスの事故で死亡)からの脱却であり、登山界のIFを描くと言う意味でも重要で、羽生がエベレストへ固執する理由を紐解くためにも描くべきだったと感じてしまった。そして、もう一つ気になったのがエベレスト山中で羽生が深町にルートを語るシーン。原作ではなぜイエローバンド経由しないのか?という疑問を口にしてしまった深町は、言わずとも指摘したルートを辿ったことを理解しつつも死地へ追いやった罪悪感に苛まれ、それがラストのシーンへとつながっていくと考えていたのでココに関してもしっかり描いて欲しかったと感じた。あとは、羽生の遺体との対面がなく流れでマロリーのフィルムを手に入れるのも説明不足に思う。
総じて言えることだが作り手の愛を感じつつも、なぜか不足を感じてしまうのはお国柄の違いなのかもなぁと思ってしまいます。そう感じたのは自分のイメージして羽生像との解釈不一致感で、自分の中の羽生像はどこまでも人間臭く、井上(鬼スラのザイルパートナー)に「終わってみれば、おれひとりで登ったようなもん」と言って空気が読めずポカーンとしたり、岸の妹(映画では姉)と慰めあったり、アンツェリンの娘と子供を設けたり……でも映画では孤高の山屋としての羽生が切り取られており、高所登山が日本よりも身近なフランス人にはそんな風に見えていたのかなぁなんて思ってしまいます。