「ネタバレ厳禁。「空から来る未知の恐怖」×黒人版『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』!」NOPE ノープ じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
ネタバレ厳禁。「空から来る未知の恐怖」×黒人版『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』!
なんの話かを書くだけで、とたんに興覚めになる映画なのだが、
さすがになんの話だったかくらいは書かないと、この映画の感想は僕には書けない(笑)。
なので、今回は全編ネタバレモードです。
スパイク・リー的なM・ナイト・シャマランみたいな立ち位置を手に入れたジョーダン・ピール。
(いや、M・ナイト・シャマラン的なスパイク・リーみたいな立ち位置なのか?)
その第三作が、「宙から来る恐怖」を描いた作品なのは、シャマランがブレイク後三作目に撮ったのが『サイン』だったのと、微妙に被っていて面白い。
前半、ネタをひた隠しに隠して、後半になって究極のアホネタを真顔で投下してくる作り自体も結構よく似ている。
結局、アメリカの映画監督は、作品の成功によって「資本力」と「企画通過力」を手に入れたら、まずは落ちぶれないうちに、俺流『未知との遭遇』を撮っておきたいのかもしれない(笑)。
ちなみに、もちろん二人とも重度のスピルバーグ・オタクである。
シャマランがインド系アメリカ人でありながら、何事もないかのように白人主導のスターシステムに順応していったのに対して、同じ綺想とアイディアで勝負するタイプであっても、ジョーダン・ピールは、徹底して「黒人主導」のキャスティングと、「黒人差別」にまつわるテーマ設定にこだわってきた。
今回もその部分は変わらない。
本作は撮影所のバックヤードものでもあるのだが、ざっくり言うと、「映画の始まりから存在した黒人騎手」から話を起こして、その子孫が「世界で初めてのUFO動画をモノにする」までを描く映画、といってもよい。冒頭の黒人騎手の映画と、ラストでエメラルドが撮影するUFOが、いずれも「動画」といいつつ「コマ撮りの連続写真」であるというのも、心憎い寄せ方だ。
いわば本作は、黒人の視点から見た、もうひとつの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でもあるのだ。
この映画には、OJとエメラルドの黒人兄妹と並んでもうひとり、ジュープという青年が準主役として登場するが、こちらは韓国人のスティーヴン・ユンが演じて、「ハリウッドで生きてきた東洋人」の一典型を示す。むしろ、ジョーダン・ピールにいわせると、こちらのキャラに自分の半生が投影されているという。
こうしてジョーダン・ピールは、ハリウッドのシステムのなかで搾取され、ステロタイプの役柄を押し付けられてきた「黒人」と「東洋人」という存在を、映画を通じて描き出そうとする。
パンフを読むと評論家さんが、ジュープの子役時代にスタジオでブチ切れて惨劇を引き起こしたチンパンジーもまた、黒人&東洋人の鬱屈と怒りの象徴だといってて、なるほどなあと感心。だからジュープはチンパンジーと『E.T.』みたいにグータッチしようとしてたのか(あとでGジャンを飼いならせると慢心する由来にもなっている)。
ちなみに、黒人兄妹に協力する電化量販店のエンジェル役のブランドン・ぺレアはフィリピン&プエルトリコ系、助っ人カメラマンのホルスト役のマイケル・ウィンコットは英国&イタリア系というから、キャスティングにおける人種配置へのこだわりは、『インディペンデンス・デイ』並に念が入っている。
そんな「黒人」OJと「東洋人」ジュープが、こだわりをもって目指すヒーロー像が、そろって白人のマシズムの象徴ともいうべき「ウェスタン(西部劇)のカウボーイ」というのも皮肉な話だ。
そう、本作は、典型的な「ウェスタン」として企図された映画でもある。
なにせラストは、馬上の主人公のショット→エンニオ・モリコーネ・パロディなのだから。
途中、『未知との遭遇』でもやるのかと思ってたら(このあたりではジョン・ウィリアムズ風の曲が流れるw)、終盤で「バケモノ相手の西部劇」としてジャンル・チェンジするんだけど、彼らがshoot するのは、銃弾ではなくて、カメラでした、というわけだ。
西部劇として観れば、本作の骨格は「山を越えて周期的に襲ってくる敵に、牧場主の父親を殺された兄妹が、牧場を継いだうえで見事に仇討ちを果たす」というもので、きわめてオーソドックスなプロット立てといえる。ジュープは、敵と結んで商売っ気を出すものの、裏切られて惨殺される興行主。助っ人にやってくる凄腕Shooterのホルストは、まさにリー・バン・クリーフみたいな助っ人ガンマンである。自宅を要塞化し、立てこもってUFOの姿を「狙う」展開は、まさに『リオ・ブラボー』のようだ。
さしずめ、屋上に据えられた監視カメラは機関銃。エンジェルが構える新型のヴィデオカメラはライフル。ホルストが使いこなす「手回し」カメラはリヴォルヴァー、といったところか。
「ハリウッドの舞台裏」、「未知との遭遇」、「西部劇」に加えて、登場する最後のファクター。
それが、「モンスター」だ。
しかも人型ではない。ひたすら巨大な、エヴァの「使徒」か、ゆゆゆの「バーテックス」みたいな、空中飛来型のレヴィアタンである。
お前ら、UFOって聞いてみんな宇宙人が出てくると思ったろ、ざまあ見やがれ、と笑うジョーダン・ピールの姿が目に浮かぶようだ。
「西部劇テイスト×巨大モンスター」というと、僕らの世代だとやはり“午後ローの星”『トレマーズ』を思い浮かべる人が多いのではないか(笑)。なんか、オフビートなノリや退治法もよく似てるし。
地下から襲って来るグラボイズと、空から襲って来るGジャンという違いはあれども、ジョーダン・ピールがあの映画を意識していないなんてことは、まずないんじゃないかな。
あと、怪物「Gジャン」を観て僕が最初に想起したのは、実は「使徒」でも「バーテックス」でもなくて、あのホームズ譚で名高いアーサー・コナン・ドイルが書いたSFホラー短編「大空の恐怖」だった。
あっちの「宙の怪物」に襲われるのは飛行機乗りだが、「雲間に潜む巨大なクラゲ状の狂暴な浮遊生物」がじつは「UFOの正体」という設定は、本作とほとんど一緒である。
……とまあ、霊感源をいろいろ考えても、結局はわからないんだけどね。
このオタク監督なら、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる『やかんづる』とか『野槌』とかだって知ってておかしくはないわけで。
もしかしたら、部屋でうろうろしてるルンバが、ビニル袋吸い込んで故障するのを観ながら思いついただけの企画かもしれないし(笑)。
なんにせよ、「布製」とおぼしき質感の巨大モンスターってのは前代未聞の気もするし(要するに後半の最終形態は、「クラゲ」×「凧」なんだろう)、それに対して荒野に大量に立ち並ぶスカイダンサー(パチンコ屋の前で、エアでくねくね踊りながら手をふってる、あの長ぼそい人形)で立ち向かうってのも、なかなか独創的な掛け合わせであり、ビジュアルイメージだ。
総じて面白い映画ではあった。
まず、全編を通じて、カッティングが不穏。
ぶつっ、ぶつっと切ってはつないでいくので、だんだんこちらの不安感が高まってゆく。
「音のホラー」としても巧く機能していて、とにかくBGMと効果音が精神に刺さる。
前半戦で、意地になってるかのように執拗にネタを秘匿しつづけるノリも、決して嫌いではない。
(タイトルも、ネタを気取らせないためにわざわざ曖昧な題にしてるんだろうし)
ネタ明かししたあとの、おバカでくっだらないトンデモノリも、併せて嫌いではない。
『モンキーシャイン』みたいなシットコムの惨劇も、猿版『ファニーゲーム』っぽくて良かった。
心の牢獄のようなジュープの遊園地ジュピター・パークと、その「奥の院」としての個人記念館。
『シン・ゴジラ』みたいなGジャンの形態変化。
林立するスカイダンサーを縫って馬で疾駆する鳥瞰ショット。
吸引されてぶっとんでく人間の浮遊シーン(なんかデジャヴがあると思ったら、ジュリアン・ムーアの『フォーガットン』だった! あれは死ぬほど笑ったなあ)
いろいろと、見どころは満載だ。
台詞だと「ジークフリート&ロイだってヤラれたんだ」で一番爆笑した(今の若い子わかるのかこのネタ??)
「浮かばれない映画人」に焦点を当てる映画だからこそ、徹底的にエンドロールでかかわった人間を出し切ろうとしてるのも、首尾一貫した姿勢で好感がもてた。
ただ……『ゲット・アウト』や『アス』ほどに手放しで賞賛できる出来だったかっていわれると、しょうじき悩ましいところだ。
ネタを秘匿するために前半で無理をしすぎて、「ほぼ本筋と関係ない」エピソードに尺をとりすぎているし(1時間も宙ぶらりんのままというのは、さすがに長すぎる)、たとえ「有色人種の怒り」の描写だとしても、一連の「猿」の話が、本筋である「Gジャン襲来」とほぼ何の関連もないのは、やはりどうかと思う。
全体に、Gジャンの謎ときについても、説明不足の感がつきまとう。
たとえば、星新一の『おーい、でてこい』のラストみたいな映画の冒頭は大変に魅力的だが、Gジャンが人を襲う以外のどういうシチュで物を落としていったのかは結局説明がない。
ジュープの「宇宙交信ショー」についても、馬を生贄にしてUFOを呼んでいたことは示唆されているが、これまでどれくらい成功していたのか、その手順でUFOを呼べると確信したきっかけはなんだったのかは描かれず、いきなり「失敗」のシーンだけ見せられるので、なんだかもやっとする。
シットコムのお姉さん役をわざわざ客として招待してたし、だいたい、あんなショー1回でもやったらSNSで大騒ぎになることは必定なので、OJが夜に聞いた召喚儀式の音はあくまでリハーサルの様子で、人前でやるのはこれが初めてだったと個人的には思ってるんだけど。
そもそも、馬をUFOに喰わせるショーが見世物として成立するって考え自体が、およそ正気の沙汰ではないので、作り手がこのショーをどう扱おうとしてるのかがとらえにくいのかもしれない。
それから、ショーの観客が根こそぎ呑まれる現場にぎりぎり立ち会ったとはいえ、その後OJが、「怪物の目を見てはいけない」とか、「旗や飾り物を吞み込むとアイツは気道がやられる」とか、やたら確信をもって説明しているのも、そこまで自身満々に主張できるほどの根拠があったのか疑問だ。
他にも、なんで結局ホルストが来てくれたのかとか、なんでホルストは自殺行為のような撮影に飛び出していったのかとか、観終わっても結局僕には得心のいかなかったシーンが山ほどある。
なにより、「目を見てはいけない」とか、「空は無限大で敵襲を防ぎようがない」といった設定は、うまくやればいくらでも面白くできそうな気がするのだが、設定だけ呈示しておいて、実際のところはあまり生かされていない気がする。
一番気になるのは、先でも述べた「映画業界の裏話」的な部分と、主人公たちの兄妹愛を描く人間ドラマと、怪物撮影&退治に奔走するSFホラー的部分が、あまりうまく混じり合っていないうえに、どれも深まりきらないうちに終わっちゃった感じが強いことだ。しかも、これにジュープの体験した惨劇と復活、挫折の物語が別途くっついてくるんだけど、これまたうまく融合していない印象。
要するに、全体に手はこんでいるものの、どこかちぐはぐというか、統一感を欠くのだ。
ワン・テーマなら突っ切れるけど、ここまで風呂敷を広げてしまうと、結局はどっちつかずになっちゃうってことか。いろいろともったいない。
あと、今回は全般的に出演陣にあんまり魅力を感じなかったなあ。
とはいえ、さんざん気をもたされたぶん、こっちが期待しすぎちゃった部分もあったと思う。
夏のB級モンスター・ディザスター・ムービーだと思って、気楽に観るぶんには、じゅうぶん楽しめる内容だし、そういう映画にしては、めちゃくちゃお金もかかっている。
なにより、こうやって「なんの映画か」の核心を公開前からひた隠しにして、映画館に無理やり客を呼び込もうとする姿勢自体が、花園神社の興行めいていて、僕は嫌いじゃない。
「見世物」をテーマとする映画の、これぞただしい客引きのありようでしょう(笑)。