ノースマン 導かれし復讐者のレビュー・感想・評価
全100件中、61~80件目を表示
北欧神話の基礎知識がないと難解
シェイクスピアの「ハムレット」が題材になっていると聞いて、なんとなく観に行きました。「ハムレット」のストーリーは言わずと知れていますが、デンマークの王子ハムレットが、父王を叔父に殺されて叔父が王位に就き、しかも父の妃だった母が叔父と再婚してしまい、叔父への仇討ちを誓うという物語でした。本作のストーリーの枠組みも、概ねこれに沿ったものでした。
そしてこれは観た後に調べて得た後知恵ですが、「ハムレット」自体がデンマークに伝わる北欧神話を題材にしているそうで、本作は「ハムレット」だけでなく、その元となった北欧神話をもオマージュして製作された作品でした。さらには公式サイトによると、 アイスランドの英雄物語やヴァイキング伝説をもベースにしているそうで、神話や伝説を現代調にした映画だったと言えるかと思います。
本作と「ハムレット」や件の北欧神話の繋がりは、主人公の名前にも見て取ることが出来ます。アレキサンダー・スカルスガルド演じる主人公の名前はアムレート(Amleth)ですが、北欧神話に出てくる王子の名前も同じアムレート。そしてハムレット(Hamlet)のスペリングは、Amlethのアナグラムになっているという訳です。
また、これは北欧神話を意識したものでしょうが、キリスト教が普及する前の北欧において崇められていたという「オーディン」という主神はじめ、「ヴァルキリー(ワルキューレ)」や「ノルン」という神々の名前や、「ヴァルハラ」というオーディンの宮殿を意味する言葉が、一切の遠慮なく続々と出てきます。当然映画の中では注釈がないため、基礎知識がないまま観に行った自分にはこの辺りのことが全く分からず、置いてけぼり感をかなり強くありました。
恐らく西洋文明に属する人々は、基礎教育段階でこうしたことを学んでいるのでしょう。しかし日本においてはそうした分野に明るい人は少ないでしょうから、必然的に本作を理解できる人はかなり限定的ではないかなと、自分の無知を棚に上げて思った次第です。観に行くなら、そうした辺りの基礎知識を得てから行くことをお勧めしたいと思います。
ただ仇討ちの話は古今東西あり、日本においても曽我兄弟の話や忠臣蔵などがあります。親の仇討ちということでは、本作は曽我兄弟の話と類似すると言っていいかと思いますが、とにかく殺して殺して殺しまくる場面が連続する本作は、現代調にしているという部分も多分にあるんでしょうが、流石はバイキング伝説の流れも汲んでいるということでしょう。この辺りは好みが分かれるところですが、個人的にはその荒涼として暗澹たる風景とマッチしていたかなと感じたところです。
あと、少し違和感があったのは、父王が叔父に殺される場面では無邪気な少年だったアムレートが、「数年後」に身長2メートルはあろうかという筋骨隆々なオッサンになっていたこと。20年後というならまだしも、数年であれだけ成長、というか豹変するというのは、ちょっと行き過ぎだったように思われました。
役者陣では、最近いろんな作品で観かけるようになったアニャ・テイラー=ジョイが、アムレートの恋人役という準主役として目立っていました。個人的に彼女の出演作を観たのは3回目でしたが、最初に観た「アムステルダム」ではイッちゃってる役だったものの、「ザ・メニュー」ではカッコいい役。そして今回は「ザ・メニュー」同様のカッコいい役。次は「アムステルダム」みたいな役どころの作品が観てみたいところです。
そんな訳で、観ている段階では置いてけぼり感が強かったものの、事後的とは言えいろんな知識を得られたこともあったので、評価は★3としたいと思います。
シリアスな復讐劇 娯楽作品ではない
予告編のイメージ通り9世紀の北欧を舞台にしたどシリアス復讐劇でした。
結論から言うと娯楽作品ではなく家族同士の憎悪と復讐を血生臭く描いた真面目に作られた人間ドラマ。
見終わった後は非常に疲れました。それも心地良くない疲労感を感じる作品でした。
漫画ヴィンランド・サガに近い世界観で見ごたえはありました。
シリアスでリアルな描写が満載で黒澤明映画の時代劇を見てるよう。
出演者アニヤ・テイラー=ジョイは相変わらず美しく名優もたくさん出演してますが髭面な為判別できず(笑)
ライティングや舞台セットも見事で最後まで飽きることはなかったです。
家族の当主争いがメインなのでスケール感はなく楽しめる映画か?と言われるとかなり微妙すのでお勧め度は低め。
ヴィンランド・サガの世界感が好きな方で血生臭いのも気にならない方だけ見て下さい。
古代北欧の匂いがする物語
復讐譚なのに主人公に感情移入できない。鑑賞後に調べてみると、ハムレットのネタ元になっているアムレートの伝説らしい。それであれば、主人公が人生の選択に悩むのも無理はない。
ロバート・エガースの前2作の『ウィッチ』、『ライトハウス』とも眠気を我慢しながら見た覚えがあるが、今回の『ノースマン』も画面も内容も暗い物語で、やっぱり睡魔がやってきた。寝落ちしそうな時にようやくアニャ・テイラー=ジョイが登場。アニャの大きな瞳がスクリーンに映っている間は、目がシャッキっとするから不思議。
10世紀の北欧だとまだ土着信仰で、キリスト教を敵視していたらしい。キエフから攫ったスラブの民がすでにキリスト教に帰依していて、そのスラブ人の奴隷を異教徒扱いしているのが意外だった。
ヴァイキングの儀式が、なんだか日本古来のシャーマニズムと雰囲気が似ている。和太鼓のような独特なビートの中でおどろおどろしい何かが行なわれる。アイスランドの厳しくて雄大な自然は、古代の神々がいてもおかしくはない。
アニャ以外にもニコール・キッドマン、イーサン・ホーク、ウィレム・デフォーなど有名どころがいっぱい出演しているし、ビョークまで登場する。そんな豪華なキャストで古代北欧の匂いが残っている物語を見るのもなかなかでございます。
北の人、筋肉の無駄遣いかも(笑)
終始一貫、兎に角ものすげ〜絵力で圧倒されまくりましたが、筋は平凡でメッチャつまらなくて、私にとっては登場人物の誰にも同情や感情移入出来ないままスルスルスルーと目の前を通り過ぎて行った映画でした
キッチリ落とし前をつけてくれるが、なんか納得するよりレスラーに勢いで押し倒されフォールされた感じかしらネ😵💫
昨夜寝る前にチョビっと北欧神話のおさらいしてから観たので、飛び交う単語の意味に戸惑うことは無かったけど、日本人なら誰もが知ってる神話の世界観があるように、この映画って北欧文化圏の人には物凄くウケるのかもしれないね
バイキングについても緻密に描かれている感じだしね、遺憾無く虫唾が走る野蛮人は嫌い
なので、観る人は事前にWikipediaなんかで北欧神話を検索してヴァルハラやオーディンや使い魔なんかの基礎知識を持ってから見たほうが余計なモヤモヤ感持たずに映画に集中出来ると思いまふまふ
ぐいぐい。
歴史、ファンタジー物の弱点は話が大体初めに予想付く事と、ちんたらしちゃう事なんだが、、、エガースはテンポ良く、強力な絵力とリアリズム、たまに入る幻想的なカットで137分振り抜いた。まったく眠くならなかったよ。
彼の映画は考証を徹底的にやるので、アシスタントやスタッフがたいへんだと言う話はよく聞くが、今回は更にこの規模の大きな撮影をワンカメでフィルムで撮るという、ハリウッド産業合理主義に真っ向から対立したやり方をとったらしくww。色々な監督がいて映画は楽しいなぁ。
本作はエガースの長編3作目だけどニコールキッドマン絡んでていい仕事してます。彼女は若手監督先物買の鼻が効く人で、ラースフォントリァやヨロゴスなどメジャーへの橋渡しを積極的にやってるように見えます。
凄く映画すきで若手の映画たくさん見て、ラブコール送ってるんだろうなぁ。
アーニャもデビューがエガースのThe VVitchで、信頼関係は良好。あっという間にスケジュール取れないメジャー俳優になってしまったが、今回の役は彼女のために書いた、、、とか言われたら出ない訳にはいかない。
制作にも絡んでる主役のスカルスガルトも含めて首脳部の結束は硬い。「役の名前が熊だから熊になる様に演技した」そうです。いい人そうで草、、、あの盛り上がった猫背はそんなイメージか。
ビッケ
王道スペクタクル
「ワルキューレ」とか「指輪」とか
鑑賞前の興味・関心は大きく二つ。
一つは
〔ウィッチ(2015年)〕
〔ライトハウス(2019年)〕で、
小さな共同体の「内部崩壊」を描いた『ロバート・エガース』が
より大きな(とは言え、実際は縁戚間の諍いだが)スケールの物語りを
どう料理するのか。
もう一つは、
叔父に父を殺され、母は奪われたとの境遇の主人公は
実在したと言われる北欧伝説上の人物
且つ、『シェイクスピア』の〔ハムレット〕の元ネタとも言われるプロット。
類似の設定は
〔コナン・ザ・グレート(1982年)〕
〔コナン・ザ・バーバリアン(2011年)〕でもあり
(しかも主人公は何れもマッチョ)、
「コナン」の評価はダメダメな一方、本作が高い理由。
ちなみに鑑賞日時点では、
IMDb:7.1
Metascore:82
と、わけても評論家筋の支持が高め。
筋立ては極めて直線的。
領民にも慕われた(二つ名を持つ)バイキングの王『ホーヴェンディル(イーサン・ホーク )』が
弟の『フィヨルニル(クレス・バング)』に殺され
王権は奪われる。
王子であった『アムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)』は
一旦姿を隠し、身を窶し、復讐の機会を伺う。
神話だけあり、
多くの怪異が主人公を助けた末に悲願は達せられ、
王権は所有者の血筋に戻される。
この世のものならぬ援助が多くあることこそ、
主人公が正統であることの証。
この時代臣下に慕われる要素は、
単純に戦に強いこと。
先の王は多くの町や村を襲い、略奪し、殺害し、焼き尽くし、
生き残りは男も女も奴隷として扱うことが理。
そこには本来であれば多くの怨恨が絡み合うはずも、
王族のそれだけが取り上げられるのは、
本来的には矛盾。
とは言え「英雄譚」なのだから、
致し方はないところか。
一方で、そこに散りばめられた諸々は
血生臭くも美しい。
監督は規模の大小とは関係なく、
持ち前の透徹した映像美で描く。
時としてオペラを観ている感覚にもとらわれ、
なるほどこれは、高評価が得られよう。
また、肉親同士の葛藤や王や王妃の裏の顔も暴き出し
人間ドラマとしても秀逸。
とりわけ王妃の動機は「Frailty, thy name is woman」にも関連し、
主人公の葛藤は「To be, or not to be」に繋がる。
脚本も練り込まれている。
北欧神話だけあり、
「ワルキューレ」や「ノルン」「オーディン」等の名称の頻出も特徴的。
それにしても我が国産のゲームやアニメ、コミック、ノベルスは、
こうした出典を良く学んでいるのだな、と
異なる側面でも感心してしまう。
まぁまぁでした😑
正直、グロイだけで面白くないです
北欧神話に詳しければ、もっと楽しめたかも…
先に観た「パーフェクト・ドライバー」がおもしろく、勢いに乗って本作をハシゴ鑑賞してきました。予備情報はなくキービジュアルだけで、屈強な男が悪の親玉を叩きのめすような話かと予想していましたが、そんな甘っちょろい話ではなかったです。
ストーリーは、9世紀の北欧のとある国で、父オーヴァンディル王を叔父フィヨルニルに殺され、母も連れ去られた、幼い息子アムレートが、父の復讐と母の奪還を誓って祖国を脱出し、バイキングの一員となって数年が過ぎた頃、仇のフィヨルニルがアイスランドにいることを知り、奴隷に紛れてそこに乗り込んでいくというもの。
簡単に言えばそれだけで、北欧で繰り広げられる復讐劇という、それ以上でもそれ以下でもない話です。曇天のもと、荒涼とした凍てついた大地、暴虐の限りを尽くすバイキング、彼らに売買されて労働を強いられる奴隷と、気分が沈むような暗い映像が終始映し出されます。当時は本当にこのような非人道的な行為が日常的に行われていたのかと思うと、恐ろしくなります。しかし、これが復讐に向かう重苦しい雰囲気を醸し出し、じわじわとお膳立てしている感じは悪くないです。
また、途中の会話に北欧神話に基づくと思われるオーディン、ヴァルハラ、ヴァルキリー等が出てきたり、預言者が登場してスピリチュアルな空気を醸したりと、当時の人々の信仰、思想、風習、人生観等を描こうとしているようで、その雰囲気が伝わってきたのはよかったです。北欧の方が観たら、本作の根底に流れるものにかなり共感できるのかもしれません。
とはいえ、北欧神話に疎い自分には、本作で描く世界観や当時の宗教や信仰のもつ意味が十分に汲み取れず、単なる復讐劇としか映らなかったのは残念です。また、さらわれた母へのこだわりが強すぎて、終盤で明かされる母の思惑も途中で読めてしまい、ストーリー的にも魅力は薄かったです。というわけで、北欧の自然や雰囲気を存分に感じさせてもらえたものの、作品としておもしろかったかと問われると、ちょっと微妙な感じでした。
主演はアレクサンダー・スカルスガルドで、鍛え上げた肉体で復讐に燃えるアムレートを演じています。共演のアニヤ・テイラー=ジョイは、強く美しいオルガを好演。脇を固めるのは、ニコール・キッドマン、イーサン・ホーク、ウィレム・デフォーら。でも、上映中はウィレム・デフォーに気づきませんでした。
ロバート・エガースって映画
色のない映像、どんよりした曇り空、雨、泥濘、不衛生感、不快な音響などなどロバート・エガースの大好きなシチュエーションを漏らす事なく盛り込んだハムレットのモデルとなった北欧神話の映像化。
父親の復讐を試みるもスカされ、正義や大義を見失いつつもshow must go onで心の整理ができないまま破滅の道を辿らざるを得なかった悲劇、と言う意味では面白く観ることができた。
一方、得体の知れない儀式や人間によるものか神によるものかよくわからない所業(馬が空飛んだり、双子を言い当てたり)などある程度の(何かの?)リテラシーが無いとわかりにくい部分も多く、意図された設計通りの楽しみ方は出来なかったような気がして少し残念なところもあった。
主演のアレクサンダー・スカルスガルドや敵役のクレス・バングなど北欧出身の2m近い長身の役者やニコール・キッドマン、アニャ・テイラー=ジョイなど美しい白人女優を起用し雰囲気づくりはさすがだと思った。
個人的にはせっかくなのでビョークにもっと活躍の場を与えて欲しいと思った。
上映時間長すぎ。
人の命に価値がない時代
父の仇
北欧の英雄譚だが若干マカロニ・ウェスタン風味? 咆哮を上げ続ける筋肉ダルマのハムレット!!
実は映画館にちょっと早く着いてしまって、始まる1時間前から外の通路に座って仕事をしたりしていた。すると……劇場のなかからひたすら、
「ぬおおおおお!!」「ぐおおおおお!!」
と、男たちの上げる雄たけびが、えんえん漏れ聞こえてくるじゃないか(笑)。
おいおい、いったい中で何が起こってるんだ??
なんか狼とか狒々のディスプレイ(求愛の遠吠え)みたいなんだけど。
観る前から、ずいぶんと気分があがってしまいました……!
で、実際に最後まで観ての第一印象。
北欧神話とか、『ハムレット』とか、『コナン・ザ・グレート』とか、いろいろ言われてるけど、実際に観た感覚で言えば、いちばんノリが近いのは、マカロニ・ウエスタンなんじゃないの? これ。
てか、じつはロバート・エガース監督がいちばんやりたかったことって、「残酷ウエスタンの進化形」を模索することだったのでは?
だって、音楽が途中から、マカロニそのまんまなんだもん(笑)。
ヴィヨンヴィヨンとアイヌのムックリみたいな音が混ざってきた時点で怪しかったが、ワルキューレみたいなのが白馬で疾駆するシーンでかかった曲が、あまりにモリコーネ臭くて大爆笑。
ヴァイキングの民族楽器だったり、何かの吠え声だったり、妙なヨーデルみたいなスキャットだったりをサンプリングしてくる作り方自体が、まさにモリコーネを踏襲しているのに加えて、ジャンジャカジャンジャンというリズムどりもそっくり。しかもパンフでは一切言及が成されていないから、これはもう確信犯だ。
話の展開も、たしかに『ハムレット』や『コナン』も父親の復讐に親族を討つ物語だが、父親の仇を討つのはマカロニでもいつもやってることだ。かつての彼女が相手の女になってるパターンも頻出する。で、女が実はかつての悲劇で主導的な役割を果たしているってのも定番。
奴隷のふりをして相手の懐に潜入するとか、すぐに暗殺できるのに特定のシチュにこだわって計画を引き伸ばすとか、下手を打って両手縛られて吊るされて拷問されるとか、無理やり最後は一対一の決闘に話を持っていく(決闘場所も指定される)とか、全部俺、マカロニ・ウエスタンで観たことあるよ(笑)。
逆に、マカロニ・ウエスタンをやると言わずに、北欧の英雄伝説をやるとの触れ込みで、黙ってその祖型だけ生かして作ると、こんな映画に仕上がるんだなあ、と感心しきり。
出だしから、いきなり噓っぽいカラスの飛翔シーンとか、演劇的なカメラ目線でくわっと振り返るお母さま(ニコール・キッドマン)とか、総じてリアリティを追求している画面のなかに、作為性の強いネタ感たっぷりの画面が交錯して、なんだか狙い目のわかりにくい映画だなあ、と思っていたのだが、これが「マカロニの変奏」だと思えば、映画全体に漂う「ネタ感」「あざとさ」「雑駁さ」も十分理解できる。
あえて北欧が舞台なのに、ヴァイキング語以外はみんな「英語」しゃべってるっていういい加減な感じも、この映画の淵源に「マカロニ」があると考えると、なんとなく得心がいくというものだ。
ー ー ー ー
「敢えて英語でしゃべる」理由としては、『ハムレット』との影響関係も考慮すべきだろう。
全体的に登場人物のダイアログが持って回った文語調、詠嘆調で、演劇がかっているというのもそうだし、舞台じみた大仰な身振りや、真正面から役者を捉えるカメラワークも、本作の根底に『ハムレット』の祖型があることと無関係ではない。
そもそもパンフによれば、ロバート・エガース監督は、かつて舞台俳優として『ハムレット』の主役を張ったことがあるのだ。凝り性のエガースのことだから、そのとき『ハムレット』については徹頭徹尾調べ尽くしただろうし、もちろん台詞は今でも全部諳んじられるはずだ。
そんな彼が、主演兼プロデューサーのアレクサンダー・スカルスガルドから、北欧神話の映画化という腹案を持ちかけられたとき、「アムレート」の英雄譚を素材にすれば、『ハムレット』を骨格に映画が作れるとひらめかなかったはずがない。
『ハムレット』を祖型の一部とすることで、『リアリティ×ファンタジー』という相反する要素の「かすがい」として、舞台性、演劇性を導入する決断にも大きな説得力が生じる(とくに幽霊の介入)。
その結果として、「おいおい、ハムレットのほうが水に飛び込むのかよ!」みたいなくすぐりも入れられるしね。あと、ウィレム・デフォーの演じる「道化」が、序盤できわめて重要な役割を果たすのも、いかにもシェイクスピアらしいと、個人的には思う。
ー ー ー ー
『リアリティ×ファンタジー』という点では、リアリティ寄りのシーンでカラー撮影、ファンタジー寄りのシーンではモノクロ撮影が取られていたのは、比較的わかりやすい色彩の使い分けだった。
これで思い出したのが、辻佐保子先生の名著『中世絵画を読む』。
この本は、中世(まさにこの映画の舞台になった時代も含まれる)のキリスト教絵画において、現実世界を描く際はポリクロミー(多彩)を用いる一方で、現実世界とは次元を異にする超越的な世界を表現するために、不可視世界の異次元化を示す技法として、モノクロミー(単彩)が用いられていた事実を、詳細な事例から明らかにした美術研究書だ。
その関連で、辻先生はタルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』のほか、マーティン・スコセッシや、ウッディ・アレン、ジャック・ドゥミなどの「モノクロとカラーの使い分け」についても言及している。
シネフィルであり学究肌のエガースが、中世における「モノクロミーのもつ象徴的意味」を知らないはずはないし、タルコフスキーやウッディ・アレンが「モノクロ・パート」に持たせた意味性についても当然知識があるだろう。彼はそのあたりをちゃんと念頭に置いたうえで、本作の「仕掛け」を考えたのだと思われる。
実際、現実と地続きのように見えても、いつの間にか異界に呼び込まれているというシーンが本作には散見され、このとき「画面がカラーかモノクロームか」というのは、状況を認識する一助となるはずだ。
ただ、個人的には、ファミリーツリーの描写にしても、ワルキューレ(?)の描写にしても、本作のSFXがらみのシーンは、どれもみな妙にちゃちいというか、作り物くさすぎるというか、本作全体のテイストとイマイチしっくり合っていない印象が強かった。もう少しなんとかならなかったものか、と率直に思ったことを付け加えておく。
ー ー ー ー
冒頭に「男の雄たけびの話」を書いたが、実際、終盤になると、主人公も叔父さんも、ひたすら体育会系みたいに怒鳴り合っていて、観ていてちょっと笑ってしまう。
よくラガーマンとかが顔向き合わせて吠えてるアレね(映画でヴァイキングたちはハカみたいな踊りも踊る!)。
あれは、動物どうしのマウンティングのようなものだ。
あるいは、発情期における「どちらが強い雄か」を示すためのディスプレイのようなもの。
結局、本作は「男と男」という以上に、「雄と雄」との対決の物語なのだ。
アムレートは、ヴァイキングの仲間になってからは、「ベオウルフ(熊×狼)」と名乗り、狼の毛皮を背中にまとっている。実際、アレクサンダー・スカルスガルドはインタビューで、「アムレートは狼と熊を組み合わせたようなキャラクターです。だから僕は熊みたいにならなければいけなかった」と述べている(叔父役のクレス・バングとともに、十分に説得力のある素晴らしい筋肉美を築き上げていて、本当に感心した)。要するに、彼は半分「けだもの」のような存在だ。
これは、物語の根幹にかかわる問題である。
なぜなら、本作のプロットの中核は、「群れの若い雄が、自分の狙う雌のパートナーである群れの第一位の雄(アルファメール)を追い落として殺し、さらには彼が雌に産ませた彼の遺伝子を継ぐ子どもたちをも皆殺しにする」、という「獅子の子殺し」――「動物のロジック」に支配されているからだ。
アムレートがしきりに口にする、「家族のつながり」とか、「血のさだめ」というのは、具体的になんのことかというと、要するに「遺伝子の継承」の話をしていると考えればいい。
叔父が、あえて謀反に際してアムレートを殺そうとしたのも、そういうことだ。
アムレートもまた、父王の「遺伝子」を次代に遺したい。
そのためには、叔父のみならず、叔父の「遺伝子」まで根絶やしにする必要がある。
だから、彼は積極的に、叔父の長子をその手をかける。
その後、いったん逃亡して、オルガと出帆する間際までいっておいて、なぜ彼はわざわざアイスランドに戻る必要があったのか?
それは、オルガのなかに父王―自分の「遺伝子」が宿ったことを知ったからだ。
叔父を残したままでは、必ずや叔父の血族が、草の根をわけても「アムレートの遺伝子を継ぐ子供たち」を「根絶やし」にせんと追ってくることが、アムレートには「わかっていた」からだ。
それは、まさに人というより、動物の論理。
でも、動物にとっては、当たり前のロジック。
「平家は、頼朝を生かしておいてはならなかった」――そういうことだ。
ー ー ー ー
その他、観ていて思ったことをつらつらと。
●ヴァイキングが村落を襲って殺しまくるシーンは、本作でも最高の見せ場で、素晴らしい仕上がりだった。ちょうど最近読んだケン・フォレットの『大聖堂 夜と朝と』の冒頭で、イングランド沿岸部の村をヴァイキングの一団が襲って掠奪と殺戮の限りを尽くす様子が活写されるのだが、まさにそのシーンの映像化そのままといった感じだった。カメラワークやアングル、殺陣の生々しさには、黒澤明の『七人の侍』からの影響を色濃く感じとることができる。
●ついこの間、『LAMB/ラム』を観たばかりなので、またアイスランドの特異な自然景を堪能できる映画が出てきて、なんか流行ってるのかなあと。アイスランドは、ニュージーランドと並ぶ映画ロケ地大国であり、その現実離れした光景は、宇宙ものや近未来ものでも何かと重宝されている。
今回は、すり鉢状の山に囲まれた村落(『ラム』とよく似てる)のほかにも、荒涼とした海岸景や、活火山の火口付近の地獄めいた風景を楽しむことができて良かった。
あと、やっぱりアイスランド系とかスカンジナビア系は、顔立ちにヴァイキングっぽい個性が間違いなく残ってるなあ、とひげ面の男たちを観て思いました。
●世間的には『コナン・ザ・グレート』との類似を指摘する声が大きい印象があるが、個人的には、優秀な新人監督が何本かクセの強い犯罪ものを撮ったあと、唐突に北欧神話に材を採って、男の闘いと復讐を描く史劇に挑んだ、という意味では、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ヴァルハラ・ライジング』を猛烈に彷彿させる映画だと思う。
配役の傾向だとか、結局「英語」で話させている点とか、撮り方の方向性とか、主人公の「奴隷」という身分設定など、両作にはかなり似かよった点が多く、エガースがこの映画を意識している可能性は十分に高い。ただ、徹頭徹尾なんの話なんだかさっぱり理解不能だった『ヴァルハラ・ライジング』と比べれば、100倍『ノースマン』は分かりやすい映画に仕上がっているけど。
●『ウィッチ』でも、『ライトハウス』でも、舞台は17世紀だったり19世紀だったりしたものの、あからさまに「中世」的(ボッシュ・ブリューゲル的)な暴力と汚猥の世界を描こうとしてきたロバート・エガースが、ついに本物の「中世」に手を伸ばしたんだなあ、という印象も強い。
なので、似たような「中世へと傾斜する」芸風をもつアレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』とは、殺伐とした肉弾戦の在り方や、グロテスクな残虐描写、主人公の暴力無双を追い続けるようなカメラワークにおいて、影響関係はきわめて顕著であるように思われる。
全体に愉しめたし、出演陣はみな素晴らしかったが、SFXのダサい感じと、展開の若干適当な感じ、それと終わり方の微妙さが少し気にはなったか。
まあこの映画は、マカロニの発展形として、あまり気負わずにときどき爆笑しながら観るのが一番正しい見方なのかもしれない。
長いけど面白い
野生…
全100件中、61~80件目を表示
















