逆転のトライアングルのレビュー・感想・評価
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MX4Dで観た逆転のトライアングル
シネコンのローテーションだろう。
MX4Dのスクリーンだった。
いろんな事を期待してしまった。
バレンシアガでシューとか、
H&Mでモワーとか、
手榴弾でガタガタ、、、
インターナショナル、、、
シューも、
ガタガタもないのはわかっていたが、
両手をグーにして観ていた。
こんなくだらない事は、
言ってられないくらい驚いた。
広いサイズで描ければアルトマン、
シュールさが入ればブニュエル、
シニカルな捻りが効けば川島雄三、
のレベルまで進化していた。
汗臭さまで描写できれば今村昌平レベルかもしれないし、(汗臭い描写も可能だろうけど、興味がないのか、または、トイレの一連のシークェンスとのバランスを考えたか)
飄々としたテンポで描けると岡本喜八、
ミュージカルならダンサーインザダーク。
ロバのシークェンスのあっさり(カットしたか?)感から邪推すると、
汗臭さはあまり興味はない?
これだけ情報、ガジェットが多い、
2023年、言い過ぎ?でもない。
フレンチアルプスは、
言いたい事はわかるけど、
気を衒ってる感が鼻についた。
スクエアは、
ちゃんと言いたい事を整理して章分けでもすればいいと、
当時、具体的章分け案を書いた。(はず。)
今回は章分けされていたが、
不要なくらい、
シニカルさ、コメディ、
ブラック、下品、
微妙な違いの匙加減を
うまくブレンドして、
ストーリーに乗せていた。
傑作は傑作です。
じゃあ、アカデミー賞?
と言われると違う。
お笑い芸人で例えると、
ラランド、ハイツ友の会とか。
(知ってる範囲内で)
M-1はとらない(とってほしい、とってもとらなくても、おもしろいのは不変。)かもしれないが、人気はある。
♪を運ぶコンビも例にあげたいが、
M-1とる気がする。
アカデミー賞は獲らない
(獲ってほしい)が、
パルムドールは獲る。
珍品だけど、
無視できない程、
世間、社会、時代を突き刺してるー、
それがカンヌ、
だったはず。
マイクの取り合い、
場内一斉に流れるのは
『M☆A☆S☆H』くらい
ハマっていた。
見えなくなるより、
笑われていたい、
言えなくなるより、
怒られていたい、
右も左も上も下も、
王様は裸じゃないか?
何を観させられてるのか?!
見てる間中、一体なにを見せられていてこの話はどこに向かっているんだろう?と思いました。主役は誰で何を言いたいのか??と。なかなか一筋縄ではいかない面白い作品でした。比べる必要はないんですがエブエブより遙かに面白かったです。
誰1人応援したくなる人物がおらず、また意味なく不思議な設定•キャプテンが何故か扱いづらかったり、彼女がサバイバルスキルに長けていたり不条理さが面白いです。結局この話の主役はカールで、彼は通常世界でも、逆転世界でも体を売ってしか生きていけない存在なんですね。
この監督今のところすべての作品面白いですね。
ヤヤの女優さん、昨年亡くなってるんですね。残念です。
意外にも邦題が的確だった
さまざまな権力関係が状況に応じて変化していくさまを描いています。まさに逆転が何回も起こります。
ジェンダーやルッキズム、人種だけでなく職業上のものなど、細かいところまで丁寧に描いています。
「逆転の」がダサいと思ってましたが、実は的確な邦題だったんですね。
ラストシーンはこれ以上なく皮肉が効いていて、しかもわかりやすいと思うんですが、意味がわからない人がたくさんいるようですね。
日常を取り戻した途端、日常的な人種的偏見も元に戻ってしまう。やっぱりアジア人は下働きかよ!と誰でも叫びたくなると思いましたが。
監督はアジア人は黒人より差別されているということを、既に船のシーンからきちんと描いていましたね。
たしかに船のシーンがちょっと長い。あそこを少し刈り込んでくれたらもっと高評価でした。
この映画はおそらく、現在の性差や人種的な権力関係も、偶然にできたものにすぎないという点まで描いていますね。男女の小さく見える話から始まって、そうしたスケールまで達している作品だと思います。
Triangle of Sadnessは、ボトックスで直すことができる「眉間のしわ」を指す業界用語だそうで、ファッション業界とルッキズム、人間関係のパワーバランスとヒエラルキーの崩壊が圧巻。
これでもか!という社会風刺と社会批判が面白くあっという間の2時間強。それぞれのキャラクターが思い当たるのでそれを考えながら見るのも良い。
アル中の船長:国の長としての責任を放棄し自説だけを声高にするどこかの国の人
武器で財を得たセレブ:人を助け国のために尽くしていると自負するどこかの国の人
ロシアの財閥:共産主義を揶揄しながらもその頂点に君臨している誰か
当人に力はないのにセレブのパートナーというだけの女たち:そこら中にいる勘違いオンナ
一見忠実だが金と権力に屈する乗組員:世の中のほとんど人
トイレ清掃員:現状は単なるトイレ清掃員だが、ある局面で隠された能力を発揮する下剋上を狙う誰か
カールのボヤっと感と現代の若者像もうんうんと頷くのだ
嵐の船中での嘔吐シーンも躊躇なく表現しながら、接客係は表情さえ変えずテキパキと業務をこなすシーンとの対比も面白い。また、気まずさ・困惑を隠そうとしても隠しきれない人間たちの演出はリューベン・オストルンド監督の得意とするところで、今回も見事だ。
前半のファッション業界批判はやや冗長とも思われるが、落ち目の男性モデル・カールの存在が後半で生きてくるので良しとしよう。そして、人間もやはり食欲が一番で、それが満たされると快楽(性欲と権力)を手にするのだということもおかしいようで悲しいようで。
病気で言葉を発することができないキャラクターも、「言葉」というコミュニケーション手段しか認めない人々への痛烈な批判なのだろう。世界で起きている様々な問題を作品に映し込み問題提起する監督を今後も注視したい。
嘔吐の祭典
汚いの駄目な人は気をつけようね!
どんな状況でも冷静に理性的にお仕事を続けるポーラさん大好き。シンゴジの官僚や自衛隊さんたちを思い出す。
どいつもこいつも人間性がしんでる奴らが多い中で、上辺だけであったとしても理性を維持してくれている人が居ると安心するな……
あ、「マーネッ!! マーネッ!!」してる彼女も大好きです。
汚染、浄化、洗練
人気モデルでインフルエンサーのヤヤと、その恋人で落ち目の男性モデルのカールは、豪華客船のクルーズ旅行に招待される。
そこにはクセの強い富豪たちが集まり、乗務員の丁寧な接客のもとでゴージャスな船旅が繰り広げられていた。
しかし、キャプテン・ディナーの夜、豪華客船は嵐へ突入し、乗客たちはひどい船酔いに。船内は地獄と化す。
船は翌朝沈没、近くの無人島に漂着して助かった数名の乗客と乗員。
その中で主導権を握ったのは、なんとトイレの清掃婦だった。
昨年のパルム・ドールに輝いたリューベン・オストルンド監督最新作。
監督の作品は『ザ・スクエア〜』に続いて2本目だが、今作でも安定の悪意MAXブラックコメディが炸裂している。
本編は三部構成で147分と少々長い。
でも、本当に驚いた。全く飽きない。一瞬たりとも集中が切れない。
正直言うと、『ザ・スクエア〜』は途中で集中が切れてしまったので少し時間を空けて鑑賞した。
ひたすら淡々と、それでいて劇的に、常に画面の中で何かが起こり続ける。
三部構成も上手くて、展開や主題は一貫していながら一部ごとに全く違う味わいがあった。
まずは第一部「カールとヤヤ」。
昨今話題の女性に奢る奢らない問題を真正面から描く。
延々と続く押し問答にイライラする。もちろんいい意味で。
どうやら監督の実体験を元にしているらしい。
冒頭の「H&M、バレンシアガ」から心を持ってかれる。
正気の中の狂気みたいなものに最高の人間味を感じる。
次に第二部「ヨット」。
オストルンド金持ち嫌いすぎるだろ笑
本当によく人間観察をしているのが伝わってくる。
人間とはまさにこういう生き物。
こういうやついるいるが満載だし、自分もこうはなっていないだろうかと客観的に自分を見ることになる。
こういう富裕層の老〇に限って、自分の価値観押し通してきたり、さりげなくマウント取ってきたり、ありがた迷惑な善意を押し付けてきたりする。
優雅で豪華な船内での生活。煌びやかで綺麗な面ばかりが目立つが、嵐の夜の地獄への変貌は革命的。
美味しそうな料理も高貴な人々も飾られた装飾品も地位も名誉もそして金も。
キラキラ輝いていたものたちが汚物でどんどん汚されていく。
いつの間にか画面はゲロとクソまみれ。
こんなしっかりゲロな映画は初めてかもしれない。
確かに汚い。ただ、自分には本来の人間に姿に立ち戻る浄化に見えた。
着飾ったものや汚れきったうわべの姿を取っ払う魔法。
言いたいことを全て吐き出して見える真の姿とは何なのか。
そして、第三部「島」
全てを吐き出した彼らは空っぽになった。
ここには名誉も金も無い。ただ本能のままに生きる人間。
性欲も食欲も睡眠欲も抑えることはできない。
僅かばかり残った理性だけで何とか生き繋ぐ。
富に囲まれてきた彼らは火も起こせないし、魚も捌けない。
動物として最弱になった彼らの中で王者となったのは、トイレ清掃婦のアビゲイルであった。
女は群れ、知性を働かせ、陰で仲間を妬む。
男は一匹狼、本能のままに、表で仲間を嗤う。
ラストは解釈・賛否の分かれるところ。
監督の意地の悪さが最高のフィナーレを演出していると、個人的には思った。
この映画への不満は一点、この邦題。
原題の通りに『悲しみのトライアングル』で良かったのでは。
立場逆転映画ってことを伝えたいのは分かるけど、これじゃ逆三角形?ってなってしまうではないか。
ちなみにこの「Triangle of Sadness」っていうのは美容用語で、眉間にできる三角形の皺のことらしい。
こんなゲロクソまみれの映画が最高賞ってやっぱりカンヌはやっぱり頭がおかしい。
今作はアカデミー賞にもノミネートされているらしい。アカデミー賞作品が合わない自分にとってはこういう作品が獲って欲しい気もするけど、ちょっと厳しいかな。
観察のもと、さらに磨きがかかった人間という生物への探究心。
第一部では個人的な、第二部では社会的な、第三部では本質的な人間の嫌な部分をよりシニカルに問い詰める傑作。
ルッキズムや前述の奢り問題、貧富の差からインフルエンサーの話まで、日本でも近年よく炎上するような社会問題が少しずつ入っているので、そういった意味でもおすすめ。
ただ、人が吐いてるの見て吐いちゃうような人は観ない方がいいかもしれない。
眠気覚ましにポップコーン買わなくて良かった……
とりあえず人間嫌になったので人間辞めてきます。
〈追記〉
ヒロインのチャールビ・ディーンが32歳の若さで亡くなり、今作が遺作となってしまったのがなにより残念でならない。
「好き過ぎる」
今年31本目。
「イニシェリン島の精霊」など外国映画で今年3本面白すぎる作品が続いたなあと嬉しいです。今作と「RRR」の3本。ほんの少し触りだけ内容知っていたので後は全く予想付かない展開。Partごとに分かれているのもいい。147分が短く感じた映画も珍しい。昨年のカンヌでパルムドール受賞。今年のアカデミー賞作品賞ノミネート。凄い作品だったんだなあと。
クレイジー、ただただクレイジー 予想外だったけどそこまで悪くはなか...
クレイジー、ただただクレイジー
予想外だったけどそこまで悪くはなかった
でもちょっと吐きすぎ
もう少し端折った方が良い
最後は、良い方へ考えて良いの?
好き嫌いは別れそう
ヒエラルキーの欺瞞を暴いた問題作…などと力むまでもなく,年齢・性別・富などによる優劣が危機に臨んで崩壊した時(パラダイム・シフトってやつ?)の右往左往ぶりを楽しみたい。娑婆へ戻るのを躊躇するおばちゃんの心情を最後の最後で察知できなかった美人モデルの態度と末路を通じて,階級間の順位転倒はあっても分断は解消されない事を思い知らされ,少しほろ苦い。
皮肉の詰め合わせ
3章すべてに登場するのはカールとヤヤのみで、その変遷も皮肉の一部なのだが、故に一貫したものはありません。
クセの強い2章のキャラも大半は使い捨てで、極論、3章それぞれ全く違うキャストでやっても“話”は成り立つのです。
中盤、トイレに駆け込む者もなくみんながギリギリまで我慢した挙げ句、噴き出すように吐く。
地獄絵図の中、平然と議論を交わす船長と『クソの王』。
船酔いにしては違和感が強く、船長たちがあらすじにある海賊の一味で一服盛ったか、と勘ぐるが、何もなし。
元々沈みかけの船に、武器商人への皮肉のためだけに手榴弾が投げ込まれる。
すべて“皮肉”のための演出でしかない。
本番と思われた島に漂着してからは、正直薄味。
『キャプテン』以外での蹴落とし合い出し抜き合いなどもなく、更なる下剋上を狙う者もいない。
弱者の切り捨てや短絡的な暴力なども起こらない。
描きたい事の範囲外なのか、起こりうるべき駆け引きや醜い本性などは描かれず、無駄に上品。
そしてラスト、ヤヤの台詞はアビゲイルに希望を見せるのか、それとも逆撫でしたのか。
あれだけストーリーそっちのけで“皮肉”を描いておいて、主張を明確にせず観客に委ねるのは個人的にナシ。
予告にある『バレンシアガ』と『H&M』の一幕は面白かったが、映画である必要性は感じませんでした。
現代ヨーロッパ的な作品
昨今話題のリューベン・オストルンド監督作品を初見。イケメンカップルの食事代をめぐる諍いから、クルーズ船での富豪たちの傍若無人な振る舞いとカオス、そして無人島への漂着と、ストーリーは荒唐無稽に展開する。
貧富の格差をジェンダー問題も絡ませて描くのは、まさしく現代ヨーロッパ的なのだろう。ブルジョワたちの不条理劇といえば、ルイス・ブニュエルを思い起こさせるが、こちらは薄味であっさりした感じがするのも今風なのだろう。
主人公カールは、空っぽな感じがいい。ヤヤのチャールビ・ディーンは、スター性があり、これが遺作となってしまったことが残念。酔いどれ船長のウッディ・ハレルソンが怪演。ロシアの資本主義者とアメリカのマルクス主義者のやり取りは、諧謔的で面白みがあった。
それにしても、オストルンド監督は、これからもこのテーマと描写を続けるのだろうか。そうだとしたら、いずれマンネリに陥ってしまいそうな感じがするのが正直な感想。
痛烈な風刺と現実的な人間性の冷静な描写
ブラックコメディ風ポスターだけを見て鑑賞を決めた。人間の優位性は外見や知名度、地位などではかられるのか?やはり金持ちなら何でもできるのか?でももし状況が変わったら、その価値基準は変わってしまうのか?スクリーンからそんな質問を投げかけられているような作品。
途中、社会主義だ資本主義だと酔って大喜利風に騒ぐシーンが個人的にかなり不快だったのは、汚物まみれの人々、揺れる船、騒音に近いわめき声騒ぎ声が、見ていてストレスを感じたからかも。あのシーンの長さ意味ない気がする。もし敢えてだとしたら、タチが悪い。
そして後半の大きな変化が、悲劇のはずなのにそのように見えないのは、どこか楽観的に現状を受け入れ、何が得なのかを考えて従う、人間の浅はかさが出ているからか。驚きのラストシーンで放つ、人気モデルのヤヤの行動とセリフから「人を操るのが得意」って最初に言っていた!と思い出し、彼女の設定に関してはずっと筋が通っていたのかも、と感心。スカッとはしないけど、ラストはちゃんと落ちが用意されていてそれなりに納得したりして。
金、富、権威渦中の自分とは?自己の価値は?
お金(富)の価値、存在?
ものごとの存在や価値を考えるとき
容易いのは
逆、反対のこと、状態とを
対比させて思考すること。
(容易い発想であるが、それでは真理にたどり着けない)
お金持ちの反対は
貧乏、ではなさそうです。
でも、持って生まれた美貌は
揺るぎない財産なのかも知れない
マルクス、レーガン・・・
語録は、面白かった!
シュールで面白い、中満足!
中盤のグロくて汚い描写が笑えた。欲のせめぎ合いの描き方がリアルで自然。ラストはあれで良いと思う。長さは感じなかった。
◆各項目別評価。
ストーリー4
映像:4
サウンド:4
演技:5
没入感:3
グロさ:4
シュールさ:4
◆総合3.8
鑑賞日時と場所
2/28(火)TOHOシネマズ新宿スクリーン3。前から3列目。
ニックネームと同名のYouTubeチャンネルで、上記詳細を語ったネタバレレビューをアップしました。
ラストシーンの“人は何に向かって走る?”
「フレンチアルプスで起きたこと」で大好きになった、リューベン・オストルンド監督作品ですが、本作も個人的に好みの作品になっていました。
作風は、過去作と同様に現在社会に対して超風刺の利いた作品でしたが、アカデミー賞狙いなのか表現がかなり過激でベタで分かり易く欧米的笑いも多かったような気がします。しかし、分かり易い(錯覚)の上に底の見え難さ(深さ?)もありました。ラストの解釈も「フレンチ~」の様に観客に委ねる形で終わっていましたしね。
まず表層的なテーマから話すと、いつも通りではあるけど人間社会の階層・階級・序列・ヒエラルキーに対する皮肉と悲哀と、能力・美醜・貧富・人種・性差・職業・思想・価値観の対立と容認。といった、納得は出来ないが人間の資質的に現状では解決不能なため不本意ながら受け入れることに対する叫びというか原題の“悲しみのトライアングル”(眉間の三角皴)の映画です。
しかし本作では、人間はあらゆる関係性の中にヒエラルキー(上下)は存在している様に感じているが、実はそれは全くの間違いであり(思い込みでもあり)、もっと正確に言うなら人間関係の中で発生する上下の関係は、本来TPOによってある時は上であったり、ある時は中間であったり、ある時は下であったりと、状況が変わればいつでも頂点が逆転するトライアングルであるという事を、分かり易く教えてくれる作品でした。
但し、それだけを言いたい映画でもなくて、前日に『小さき麦の花』という作品を観たのですが、作風としては全く対極にある作品の様にも見えますが、作り手の奥にある本来のメッセージはかなり近い様にも感じられました。
あちらは、最底辺の人間の姿をミレーの絵画のごとく神々しく描かれていましたが、全く逆の方法論の「ソドムとゴモラ」を縮図的に描かれているのでしょうね。
それが美醜では優位、その他では劣位(または中間)の男性モデル視点で描かれているのが凄くキャッチーで面白い。
一章ではモデル業界という(小さな)世界でのヒエラルキーを見せ、二章では豪華客船での世界の縮図を見せ、三章では逆転価値観の世界を見せ、ラストは主人公が画面の左から右に向かって走るカットで終わり、何に向かって走っているのかは観客の想像に委ねるという構図は見事です。
おちょくり劇場
いつものおちょくり炸裂です。わかりやすい下品なスノビズムを貶すというより、悪意なく上品で人のいい金持ちを描こうとしているところもかえって生々しい。無人島もので逆転の構図が同じらしいリナ・ウェルトリューナー『流されて…』を見てみようと思いましたね。
作中ずっと走ってる美に対する経済的な価値、ていうテーマも面白かったです。美は資産。むごい。
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