逆転のトライアングルのレビュー・感想・評価
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ブラックジョークでshit
導入でめんどくさい主人公だと思ったが、周りも大概で、それでも豪華客船であんなに酷い展開になるとは思わなかった。
島編はナディアばりに要らなかったのではとも思いつつも、金持ち、権力の移り変わりとかの皮肉な演出にはやはり必要だったのか。。
それでも船爆破で終わっといても良かったような。。
カンヌの“間”
物語が展開するまでたっぷり時間をとる(間を取る)感じがカンヌ。物語が展開するまでが長い気がした。ただこの間を待ってられるのがカンヌ。ハリウッドなら30分は短縮してたはず。オチはスタイリッシュな音楽で誤魔化された感じがするが、後半の設定は映画「OLD」とさほど変わらない。
人物像(個人)の心理描写が少ない(表面的な事柄のみ、掘り下げない)ので、なんとなくオチも読めた。映画評論家ウケのよさそうな映画。
船の中という世界で、各々の業界で「1番」を目指す・自負する金持ちの注文に、船のクルーはすべてイエスと応える。その「資本主義/社会主義/マルクス主義のせいで不幸が訪れ、原始的な生活を人間が強いられるようになる!」…とでも言いたかったのだろうか。鑑賞者にとってはどうとでも取れる。
船の中ではチップがもらえるから従うだけで、島の中では食料があるから従うようになる。お金を持っている=お金持ちの人らへの戒めのような映画。なので、セレブが見てセレブが(あぁこんなふうになるのはやめよう)と思うための映画で、セレブが評価した映画。
お金を持たざるものからすると「いけすかない」とも思ってしまった。でも映画は映画。おもしろいです。
ラストシーンの後はどうなるのだろう?
カンヌのパルムドール受賞作品で観たいと思っていたが封切りの時に見損ねていた作品。少し長過ぎるとは思うが中々面白かった。この監督は色々な人達(軍需産業で儲ける英国人とか売春してるのと変わらないモデルとかインフルエンサーとか)をコケにするのが好きなようだ。現代が何故"眉間の皺"なのかは(台詞で一度出てきたが)僕はピンと来なかった。寧ろ邦題の逆転のトライアングル(三角関係の意味で)の方がしっくりくる。ラストシーンの後はどうなるのだろう?色々なシナリオが考えられるが。
トレイラーでアピールされた痛快さよりはなかなか一考すべき作品
数年前に監督の前作『スクエア』を観て、今よりも圧倒的にあまり深く考えずに映画を観てきていた自分は
「これはなんだったんだ?」と疑問だらけになった記憶がある。
やはり人間臭さの表現と万国共通の気まずさを直視させる演出は一級品。眉をひそめつつ爆笑させてくれる皮肉に満ちた会話は素晴らしい。
パート2の遭難までが冗長に感じるが、それらは遭難までの振りなので仕方なしと思う。そこでの船長の振る舞いや会話は特に"逆転"の要素にも絡んでくるのでやはり仕方なしと思う。
ラストに関しては、「ヤヤは殴られずに2人でキャンプに帰り報告を聞いたカールは喜び急いで島の反対側へ向かう」といったものだと思った。そう感じた後に他の可能性、パターンも考えたが直感的に思った上記の感想は揺るぎなかった。
ただこれは一見"どのキャラクターに感情移入するか"ということがラストシーンの捉え方に影響するようにも見えるが、モデル2人には冒頭のやりとりなどからも不快感を与える構成になっているため感情移入はしづらいので、どうしてもアビゲイル側に立った視点になってしまいがちとなる。だが「あの特定のシチュエーションでは逆転していたが、それ以外のこの世ではすべからく富や名声が支配する側に立っている」という事実を理解している以上は一種の諦めとして遭難メンバーが脱出することをゴールに映画を観ており、このままサバイバルしてアビゲイルがキャプテンのままいて欲しいという気持ちのままエンディングを迎えるのは私は難しいように思った。
逆転島で起きたこと
学校や会社は社会の縮図とよく揶揄される。
世の中皆平等と言っときながら、悲しいかな人間って必ずピラミッド型になる。
それを豪華クルーズ船の中に置き換えて。
ピラミッド上部はイケメンモデルやインフルエンサーの美人恋人や裕福な乗客たち。
中部は船長や客室乗務員たち。
下部は料理や清掃などのスタッフたち。
これには国籍や人種も絡む。
上部はアメリカ人やイギリス人やロシア人ら世界の大国。中部は専ら白人。下部は黒人や有色人種が多い。
結局世界ってこんな感じ。覆る事はない。
が、もし、ある状況に置かれた時、このヒエラルキーが“転覆”したら…?
皮肉や風刺をたっぷり乗せて。
イケメン&美人カップルはたかだかレストランの支払いで言い合い。
“クソ”で大金持ちになったロシア人富豪。彼の妻が死んだ時、泣きながら亡骸を抱きつつ、身に付けていた宝飾品をちゃっかり取る。
穏やかそうなイギリス人老夫婦は、武器商人! 二人がある物で爆死するシーンは何ちゅー皮肉。
船長はまともに働きもせず飲んだくれ。白人客室乗務員たちは如何にしてチップを貰うか熱心。
そんな中、料理や清掃のスタッフたちはせっせせっせと仕事。
嵐で船がゆ~らゆら。豪華ディナーがとんでもねー場に。
揺れやアルコールやなまものに当たってゴージャスセレブたちはゲロゲロ祭り。
チップを期待した客室乗務員たちは空回り。
そんな中、清掃スタッフは汚物をせっせせっせと処理。
嵐に加え、海賊の襲撃。もはや漫画だ。
船は難波して生き残った面々は無人島へ漂着…。
言うまでもなくサバイバル能力など皆無のセレブたち。
魚も取れない。火も起こせない。出来るのは少ない飲食を恵んで貰ってボケ~ッと助けを待つ事だけ。
客室乗務員はこんな場でも仕切ろうとする。
そんな中驚くべき能力を見せたのが、トイレ清掃員の中年有色人女性。
魚も取れる。火も起こせる。類い稀なサバイバル能力を見せる。
よし、船の中同様コイツを働かせて…なんてのはここじゃ通用しない。
ここじゃ私がキャプテン。食べる物を餌にわざわざそれを言わす。
食べ物を恵んで貰う為、皆彼女に媚びる。
まるで犬に餌をやるように食べ物を投げ与えるトイレ清掃員。それにがっつくセレブ。
自分や女性たちは救命ボートで寝る。男どもは火の番。
それをすっぽかして見つけたスナック菓子をこっそり食べる。その姿が何と情けな…。無論バレて翌日は食事抜き。
女王のような力握るトイレ清掃員。まあ、分からんでもない。
魚を取ったのも私。火を起こしたのも私。私は何でも出来る。じゃあ、アンタたちは何が出来るの?
何にも出来ない役立たずども。働かざる者食うべからず。
でもどんどんどんどん独裁者になっていく。救命ボートで寝るのも最初は女たちだったのに、いつしか若いイケメンをお呼びに。
シュール過ぎるラスト。あのエレベーターは何…?
ここから助かって、またヒエラルキーの下部になるよりかは、ここで女王様として君臨していたい。
人はここまで醜態堕ちるのか。
遭難や漂流やサバイバル映画数あれど、絶対にこんな状況になりたくないトップレベル。
最初は退屈だったが、船の揺れが始まってから~無人島サバイバル辺りはそれなりに。
滑稽なハリス・ディキンソン。
美しい肢体を披露しつつ、癖ある役所のチャーリビ・ディーン。経歴調べたら、事故で脾臓摘出、感染症で急死とは…。合掌。
知名度あるキャストはウディ・ハレルソンくらいだが、一際存在感放つのはドリー・デ・レオン。
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』に続き2作品連続でカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたリューベン・オストルンド監督の目の付け所は奇才ならでは。
その『ザ・スクエア』よりかは面白く見れたと思う。
でも、本当に心底面白かった/良かったかと問われたら…。
作品は人間やヒエラルキーを風刺したテーマやメッセージこそ訴えているのかもしれないが、どうしてもゲロゲロゲロゲロやトイレ逆流の汚物シーンが干からびるほど脳裏にこびりつく。見ていてかなり辟易…。セレブの醜態を失笑するには充分だけど、あんなに胸糞悪く見せる必要あったのか…? 何だかかなり趣味が悪い。
意味はあるのかもしれないけど、はっきり言って中身なんてない。これで2時間半…。
それがカンヌ受賞やアカデミーノミネート。批評家や業界人や通な人たちはこんなのが好みなのか…?
こんなのに面白味を感じて、理解してこそ、真の映画マイスターなのだろう。
きっとお偉い批評家様たちが選ぶキネ旬でもBEST10入りは間違いないだろう。
『マリオ』や『サンドランド』や『キングダム』などに興奮&感動する私なんぞ、お偉い批評家様たちから見ればそれこそ失笑ものなのだろう。
そんな低能無知アホバカな私に映画を語る資格ナシ!
私の映画を見る目って…。何かガッカリする。
今日は凹んで寝よう…。
下品なシーンが長すぎて最悪
個人的に下品なシーンが嫌いなせいもあるのか、
乗客がディナー中に船酔いして嘔吐しまくるシーン(トイレでさらに汚いシーンも)が本当に不快で最悪でした。
それがまた一瞬ならまだ仕方ないが、もう長くてしつこいのなんのって。終わるまで目と耳を塞ぎました。
ストーリー的にあんなにも汚いシーンを長々と観客に見せる必要性はないのに意味が分かりません。
監督の神経を疑いました。
DVDで観たのが不幸中の幸いで、これ映画館でポップコーンを食べながら観ていたらもう本当に最悪だった、と思います。
下品なシーンさえなければ伏線や細かい描写に皮肉や深い意味が込められていたりと、全体的に面白いストーリーでした。
ちょっと雑な時間配分と構成で下手くそな映画ではありましたが。
狂った時代を笑い飛ばせ
豪華客船のクルージング船が漂流した島での局所的な社会の発生を描く。
社会主義者である船長の自暴自棄な航海により、皮肉にも資本主義者たちが社会主義的なコミュニティを形成する。
金銭的な裕福は意味を失い、容姿や能力が権力へ直結するもある程度生活が形になっていく。
ヒエラルキーの逆転が安定してきた所で、キャプテンと1人のクルーは社会への復帰の糸口を見つける。
キャプテンは現在のヒエラルキーを維持するためにクルーの殺害を目論むが、それに気づかないクルーの言葉に葛藤する。
最後の言葉は「付き人とならないか?」、、、善意から成る暴力の結末はどうなるか?
悪意がないからこそ救いのないラストシーン、最後までシニカルを貫いたブラックコメディの良作。
風刺と毒
《ヒエラルキーの逆転!!》
エッジが効いていて痛快です。
金持ちセレブ、不労所得のインフルエンサー、
武器商人の金持ち夫婦、ロシアの大富豪夫妻。
セレブ(庶民の敵)はトイレ掃除人にひざまずくことになる。
溜飲が下がりました。
これぞカンヌのパルムドールに相応しい。
監督のリューベン・オストルンド。
2作品連続の快挙だけど、「ザ・スクエア思いやりの聖域」
より主張が明確で分かりやすい。
「フレンチアルプスで起きたこと」
これはブラック度が足りず物足りなくて歯痒かった。
なのでこの作品は毒が炸裂して変な気取りがなくて
私にはこちらの方がピンと来る。
【風刺と毒】
分かり易く庶民の敵・インフルエンサーを血祭りにあげる。
豪華クルーズ船と言う馬鹿ばかしい【金と暇の象徴】
そこを映画の舞台にしたことが効果的だ。
最初はひたすら不愉快だった。
顔と体だけが売りの男性モデル・カール(ハリス・ディキンソン)の
オーディション風景。
仕切ってる男がイヤミな奴で傲岸で男性モデルを見下している。
モデルは人ではなく品物だ。
カールの同棲相手で恋人のヤヤ(チャールビ・ディーン)
ヤヤは人気モデルで有名なインフルエンサー。
そのヤヤのヒモのようなカール。
レストランの支払いを「俺に意図して払わせようとする」と、
カールは因縁をつけてネチネチとからむ。
このバカップルの日常的痴話喧嘩なのでしょうが、嫌気がさす。
そして場面は変わり
《2・・・ヨット》
彼らはインスタに発信する事の対価として、
なんと無料で豪華クルーズ船に乗船している。
ヤヤがモデルの傍らインスタグラムで投稿して
膨大な利益を得ているらしい。
スマホに向かい大口を開けてパスタを食べるヤヤ・・・
実際にはヤヤはパスタを一口も食べない
(穀物アレルギーと言い訳してるが、太るからか?
(インスタの中身は一事が万事この調子なのだろう・・・)
クルーズ船には暇と金を持て余した【リタイアした金持ち】が
飽食を繰り返して傍若無人に振る舞っている。
スタッフは高額なチップのためなら、どんな要求も飲む。
マネー!!money!!money!!と狂喜乱舞するスタッフ、
【カールの告げ口】
「従業員の1人が甲板で上半身裸で作業している、しかも喫煙しながら」
穏便に対処して・・・と口では言うが、
チーフ・マネージャーのポーラは素早い対応、
その従業員は即刻船を降ろされてもモーターボートで去っていく。
特筆すべきは、
文句をつけたカールの服装が上半身裸で下は海水パンツなのだ。
(客の裸は良くて、肉体労働者は脱ぐことも御法度)
この辺りから私の心はカールが不快で怒りでムカムカして来る。
そしてロシアの富豪夫人も同情という名の傲慢な申し出をする。
「自分はジャグジーで楽しんでいる、だからスタッフも海を楽しむべきだ」
食事の支度の忙しい時にスタッフはウォーター滑り台で
プールでダイブする羽目になる。
《迷惑なのは、あんただ》
お客様と従業員。
神様と僕(しもべ)
その格差、ヒエラルキーがこれでもかと描写される。
そして船は大揺れの中キャプテンズ・ディナーが開催される。
船長はアル中のマルクス主義者。
船長とロシア富豪の会話は蘊蓄だらけで面白かった。
いわく、共産主義者とは、マルクス・レーニンを読む人。
反共産主義者とは、マルクス・レーニンを理解している人。
そう言ったのはロナルド・レーガン大統領とか?
真偽の程は分からないが、大変面白かった。
この映画の1番のBIG・NAMEであるウディ・ハレルソンが
演じる船長。
ディナーが終わりに近づくと、大揺れの船内。
客の嘔吐大戦争になる。
特にロシアの富豪夫人の嘔吐は自室の便器を抱え込み、
揺れに吹っ飛び、転がり床に這いつくばる壮絶なものだ。
我儘のしっぺ返し・・監督は意地が悪い。
そして海賊が投げ込んだ手榴弾で豪華クルーズ船は沈没する。
《3・・・島》
無人島ではゴールディング作の「蝿の王」を連想するのだった。
力のあるものが他を睥睨する。
この後半の59分から「逆転のトライアングル」の火蓋が切られる。
無人島に流れ着いたのは、
1、ロシア人富豪(妻の死体から指輪とネックレスを泣きながら外す)
2、すぐに「ロレックスを買ってやる」と言う会社を売った金持ち。
3、黒人の機械室の乗組員。
4、「雲の中」と呼ばれる口のきけないセレブの妻。
(この言葉は連呼されるが、歩けなくて口のきけないセレブ妻の名が、
(インゲン・ヴォルケン=雲の中ってホント?
(人間の運命なんて五里霧中ということか?)
5、総括マネージャーのポーラ。
6、ヤヤ。
7、カール、
そしてトイレの掃除係りの中年アジア系のアビゲイル。
総勢8人だ。
蛸(タコ)を素手で捕まえて、火を起こし、調理して振舞ったのは
アビゲイルだった。
アビゲイルは素手で魚を捕獲して、食料で7人を手なずけて
「キャプテン」に収まる。
食料欲しさにアビゲイルのご機嫌を取る7人。
まるで役立たずのカールはひょんなことから、
アビゲイルと食料を貰う対価としてSEXすることになる。
オレンジ色の寝心地の良い救命ボックスを2人で独占して、
【ラブボート】と落書きされカールは見下され、妬まれ、
恋人のヤヤからは冷たい仕打ちを受ける。
ヤヤとアビゲイル。
外見の差は明らかだ。
今は食料で釣っているがヤヤが邪魔だ。
2人で山越えをすると、なんとリゾート地の裏手に出る?
これも廃墟にも見えるし、すべて額面通りには受け取れない。
ラストでアビゲイルはヤヤを殺す。
カール、ヤヤとの3角関係の精算なのか?
「付き人にしてやる」との言葉にキレたのか?
カールが気が狂ったように叫んで茂みを突っ走って行く・・・
ここで映画は終わるのだが・・・
エンディング曲のダンスミュージカルは、
「この厳しい状況を乗り越えよう」と歌っている。
一見セレブにエールを送るかのような歌詞だが、
ヤヤを殺したアビゲイルはどんな報いを受けるのか?
アビゲイルは「蝿の王」(蝿のたかった死体?)
になるのか?
余韻は複雑でとても満足した。
極上の面白さでした。
現代社会の嘘くささ
この監督は現代社会の進み過ぎてしまって嘘くさくなったところを描くのがうまいね。
主演の二人がインスタグラマーとメンズモデルって、食うものや着るものに困る時代じゃそんざいし得ない職業だし。
それで金持ちの傲慢さを散々描いてから、状況をガラッと変えるの。
その直前の、キャプテンズ・ディナーのめちゃくちゃっぷりがいいね。
みんな吐いて、トイレが溢れて、現代社会が隠してたもんが溢れてきたってことなのかなって、観終わって考えて思ったな。
そこで語られる資本主義と共産主義の話もすごい。何言ってんだこいつらって思うけど、あとで効いてくるね。
そして船は遭難し、無人島に漂着する。
ここで権力者になるのが、トイレ清掃婦。食料調達能力と火を起こす能力という生きるために大事な能力を備えてたからね。
そして夕飯を分けるときは「お前たちの分、私の分、お前たちの分、私の分」とやって、一人で食料を半分とってしまう。
「ひどいよ」と思うんだけど、資本主義で強者がやってることまんまなんだよね。能力に応じて分配しただけだっていう。
そして掃除婦はメンズモデルを漂流船に連れ込む。これ、男女逆だったら、散々描かれたことなの。それでインスタグラマーが、嫌なんだけど、その状況を許容するしかないとか、メンズモデルも「まあ、いいかな」みたいになってくとか。
最後は「この島、高級リゾートで、漂着したの裏側だった」ってオチなんだけど、ここでインスタグラマーの語りもいいね。
掃除婦のために何かしてあげたいって、施しをするようなことを述べるんだけど、そうじゃねえだろって分かってねえのかって感じで。
ラストはどうなるのか明示せずに終わったけど、どっちのラストがいいか、迷うね。
あーなんかめんどくせー、まどろっこしー、タコ食いてー!
面白い、と言えば面白いんですよ。でも、南の島に流れ着くサバイバルものとしての時間帯に関して言えば、諸々のシナリオが雑すぎて、合理性なさ過ぎて、萎えます。
でですよ。
脚本が、かなり技巧に走ってるって言う感じがするんです。かつ、概念的。狙いは「立場の逆転」と「三角関係」と言う状況を作り出すこと。
男の方は、いわゆるダメンズです。プライドだけは高いけど、稼ぎがどーたらこーたらごねまくります。実質ヒモ男。陸上でもこれですから、その特性は無人島でも変わりません。
で、このダメンズを回転軸にして、「売れっ子モデル」と「トイレ清掃係」の立場が逆転した上での、三角関係が発生。
島の裏側のエレベーターの前で、再度軸が回転し立場が入れ替わることを拒否するトイレマネージャーは、「付き人」の一言に激高する。
ラストショットは走るダメンズです。誰のために、どこに向かって走ってるのかは不描写です。何がどうあれ、この男は役に立たないんだけどね。こんな男をめぐって、人生掛けた三角関係なんて、哀しいよ。
って言う映画。
面白かった。
けど、まどろっこしくて、寝落ちしそうになりました。
と言うか、最初、すこし寝たw
腰を痛めて劇場のシートに身体が耐えなくなってしまい。暖かくなり、ほぼ回復したので、久しぶりの一日4本にチャレンジしました。これが、この日の2本目でしたが、腰がかなりヤバイ。立ち上がった後、5分は普通に歩くことが出来ないw
今更ですが、個人的には頂けない作品でした。
(完全ネタバレですので、必ず鑑賞後にお闇下さい)
カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した作品でもあり、今更、私のような者がレビューもないのですが、書いておいた方が良いと思ってしまい書いてみます。
率直に言うと個人的には頂けない作品でした。
この映画を超絶雑にまとめると、
【LGBTQなど、言ってる方が差別的で、そんな人たちにゲロとクソの汚物を!】
だと思われました。
主人公のカール(ハリス・ディキンソンさん)は男性ファッションモデルですが、男性モデルは女性モデルの1/3のギャラであり、ゲイに狙われる存在だと映画の冒頭で示されます。
つまり今、一般的に女性差別やLGBTQ差別に反対など言われていますが、主人公カールがいるファッションの世界では、逆に差別されているのは男性でありLGBTQ側が加害者であると、暗に今一般的に言われている”差別反対”の方を皮肉っています。
そして映画の第1章で主人公のカールは、彼が付き合っている彼女であるヤヤ(チャールビ・ディーンさん)に対して、レストランでの支払いについて自分より収入の多い彼女のヤヤが昨日このレストランの支払いをすると言ったと、口論を始めます。
この場面で1観客としての私はかなり不快感を持ちました。
その理由は、言った言わないや食事代を払う払わないや男女の問題など以前に、主人公カールが【相手に対する思いやりの全くない】理屈を押し通す人物であったからです。
【相手に対する思いやりの全くない】人物に対して付き合うのは時間の無駄だと思われるので、彼女のヤヤの方からさっさと別れを切り出して、この2人は別れた方が良いと思って見ていると、なんと主張を折らない主人公カールの元にヤヤは戻って行きます。
観客の私は、なるほどこのバカップルには付き合いきれないな、との感想を早くも第1章で感じることになります。
しかし、これはそう思わせる「逆の」意図ある表現なのかなと(なにせ邦題が『逆転の…』なので)思い直して見ることになります。
ところが、第2章では、豪華客船の船の中の話になるのですが、嵐で乗客が船酔いしディナーの席で船に酔った乗客がゲロを吐き続ける、そして船のトイレからクソが逆流する描写が最後に続きます。
そして、クソ(肥料)で儲けたロシア人の資本主義者のディミトリ(ズラッコ・ブリッチさん)と、ずっと酒に酔って部屋から出てこなかった社会主義者の船長(ウッディ・ハレルソンさん)が、嵐の中で、特に船長は自分の仕事を放棄したまま、2人が泥酔して口論を続ける場面が描写されます。
この第2章で描かれているのは、雑にまとめれば
【資本主義はクソであり、豪華客船に来ている金持ちにゲロとクソと浴びせかける!】
との話です。
私はここでさすがに呆れ果てて苦笑するしかありませんでした。
その後、海賊に豪華客船は爆破され、主人公のカールや彼女のヤヤ達など生き残った数名はある岸に流され、そこから彼らの無人島生活が始まります。
映画の第3章のこの無人島生活で、豪華客船のトイレ清掃係だったアジア人のアビゲイル(ドリー・デ・レオンさん)が、魚を獲る才覚などで、自分は(豪華客船、あるいは普通の社会の時とは違い)この無人島ではリーダーなのだと皆に誇示して高圧的に認めさせ、周りもアビゲイルが獲った魚などの食事欲しさに彼女に従います。
このアジア人のアビゲイルの振る舞いも、【相手に対する思いやりの全くない】人物として私に伝わり不快にさせます。
アジア人アビゲイルはその後、無人島でリーダーとして振る舞い、主人公カールがアビゲイルのリュックからスナック菓子を盗んだことをきっかけに、終盤にはアビゲイル自身の性欲を満たすためにカールを毎晩のように救助船の室内に誘って己の性欲を満たします。
ところでこの映画は、皆が無人島だと思っていた場所は、実は開発されたリゾート地であったと、ヤヤとアビゲイルが自分達がいた場所から遠く離れた海岸にエレベーターを発見することで気がつくシーンでラストを迎えます。
そしてアジア人アビゲイルは、エレベーターから元の世界に戻ったら自分はまたトイレ清掃係のような生活に逆戻りだと恐れて、リゾート地であることを隠すために口封じでヤヤを殺害しようとする場面でこの映画は終わるのです。
ところで、ではこのアジア人アビゲイルは、彼女が<<アジア人だったから>>豪華客船のトイレ清掃係だったのでしょうか?
私にはまったくそういう風には感じられませんでした。
アビゲイルが豪華客船のトイレ清掃係だったり【相手に対する思いやりの全くない】人物であったのは、(アビゲイルがアジア人なのが理由ではなく)彼女の【個人の要因】が
大部分であると私には強く思われました。
私はこの無人島の場面を見ながら、アジア人アビゲイルに、かつての日本での連合赤軍によるあさま山荘事件の永田洋子死刑囚(死刑執行前に拘置所で病死)の姿を見ていました。
永田洋子死刑囚もまた【相手に対する思いやりの全くない】人物として私には伝わっています。
しかしその要因はやはり【その人自身の問題】として(社会に対してでなく)彼女自身に問いかける必要があったと思われます。
私は、【相手に対する思いやりの全くない】(主人公カールやアジア人アビゲイルなどの)自身の正当化のためにこの映画が作られているように感じました。
女性差別もLGBTQ差別も厳然と存在し、それへの対処は言うまでもなく必要です。
しかしそれと【相手に対する思いやりの全くない】彼ら(あなた)自身の問題とは別の話なのです。
この映画は、豪華客船に乗るような身分でアジア人に対する潜在的な差別意識を持っている欧米の人達が、”アジア人であるアビゲイルが差別されていて可哀そう”とラストで思ってしまい、その自身の潜在的な差別意識を悟られないためにこの映画を評価してしまっているのではないかと私には感じられました。
しかし、アジア人でもあり金持ちでも全くない私から言わせてもらえれば、<アジア人を舐めてもらっては困る!>とこの映画を見て思われました。
【相手に対する思いやりの全くない】主人公カールや無人島で反動的にふるまっていたアジア人アビゲイルの問題は、大部分は(カテゴライズされた男性モデルやアジア人に対する差別が要因なのでなく)【その人自身から出た本質が要因なのだ】と、厳しく指摘しておきたいと思われました。
以上のような理由から、私ははっきりとこの映画は「NOだ」と、残念ながら思われました。
今回の評価はそれが理由になります。
バレンシアガとH&Mで表情を変えるモデルたち。どちらも私に馴染みの...
バレンシアガとH&Mで表情を変えるモデルたち。どちらも私に馴染みのないブランドなのだが、ヴィトンとユニクロみたいなものかな?
何か風刺してたのかもしれないけど、よくわからないし面白くない。モデルたちは当たり前だがスタイルが良い。
3部構成で一部はモデルのカップル、カールとヤヤの話。これはあまり面白くなかった。ヤヤはカッコイイ女性だ。女優は既に亡くなっている。
次に舞台は船に移動。金持ちたちが乗船している。トライアングルというから三角なのだけど、金持ち、白人のクルー、末端のアジア人てことなのかな?これが立場が変わるわけだ。
とても強い嵐になって、船が揺れ乗客達は嘔吐する。窓には波が押し寄せるのだが、何故か水切りの道具が写る。誤りなのか意図なのか?
そして船は海賊に襲われて沈没する。海賊の投げた爆弾が地雷製造で儲けた夫婦のところに落ちて、爆死する。
流れ着いた島でサバイバル生活になる。ここでは末端のトイレ係の女性がキャプテンになる。ここまででもう残り30分くらい。公式のストーリーでここまでの流れが書いてあってびっくり!
キャプテンがカールと二人きりで夜を過ごすようになる。ヤヤは不満だがカールは何もしないと誓っていたが、食料不足の島生活で、お菓子欲しさにキャプテンと夜を過ごす。
最後にはカールはキャプテンを好きになっているようだ。キャプテンとヤヤが二人で島を探索する。キャプテンは殺害目的でヤヤの背後から大きな石を持って近づくが、ヤヤとのやり取りを思い出して殺害を躊躇する。
結果、キャプテンがヤヤをどうしたか分からないが、カールが駆けつけようとしているのか、走っている映像で映画は終わる。
何か社会風刺があったのかもしれないが理解できなかった。島の生活からは面白いと思った。
追記
なるほど、他の人のレビュー見てわかった。
最後にリゾートとわかるけど、それが資本主義への回帰なわけですね。だから、また最下層に戻りたくないキャプテンがヤヤを殺そうとしたと。
【"サバイバルスキルに依る、ヒエラルキーの逆転。"資本主義社会のヒエラルキートッブの愚かしき人々の姿、言動、行動をシニカルに描いたブラック過ぎるコメディ。】
ー リューベン・オストランド監督作品は「フレンチアルプスで起きたこと」と「ザ・スクエア 思いやりの聖域」の2作品を観たのみであるが、人間の根源的な本性をシニカルブラックに抉り取る内容に”もう、止めて上げて!”と鑑賞中に思う程、鑑賞後の不快感というか、何とも言えない感情が心に被さって来る作品であった。-
◆感想
・予想通りのシニカルブラック過ぎる作品である。
・付き合っているのに、レストランの支払いでマウントを取り合うモデルでインフルエンサーのヤヤ(故、コーナーチャールビ・ディーンさん。早逝が残念です。)とカール(ハリス・ディキンソン)の遣り取りの愚かしさ。
・舞台は変わり、二人が乗船した豪華客船の超富裕なロシア人実業家のとんでもない申し出に唯々諾々と従う乗務員の人々の姿。
ー 金が有れば、何でも自分の思い通りになると思っている男の奢り高ぶる姿。-
・無責任な船長(ウディ・ハレルソン)の言い付けで、嵐の晩に行われたキャプテン・ディナー。で、船酔い者続出で嘔吐の数々。
ー けれど、必死に床清掃する乗務員達の姿。シニカルだなあ。ー
・翌日、海賊に襲われ、投げ込まれた手榴弾を武器売買で儲けた老夫婦の婦人が”これ、なーに?”と拾ってしまい、大爆発。
- 無茶苦茶、ブラックだなあ。-
・島に流れ着いた幸運な人々のトッブに立ったのは、火興し、漁に長けたトイレ清掃係の中年女のアビゲイル。
アビゲイルが皆よりも一段高い場所に腰掛け、”誰がキャプテンか?”と一人一人に問いかけ、"貴女です。"と答えた人々にタコの欠片を犬に餌をやる様に、投げる様。
- そんな彼女にせっせと媚びを売る富裕な人々と、客船では重要な地位にいた女性。火興しは確かに大変だけれど、生きる上で大切なんだよ。-
・カールもアビゲイルに気に入られ、寝心地の良い救急船で一緒に寝る。
ー カール、情けない奴である。で、ヤヤから"アスホール!"等と言われてしまうのである。-
<島がリゾート地である事を知ったヤヤとアビゲイル。
そしてアビゲイルは大きな石を持ってヤヤの背後に迫るのである。
今作品は資本主義社会のヒエラルキーのトッブに居た人々の、如何なる時でも金に執着する姿をシニカルブラックに描いたコメディであり、もしかしたらホラーかもしれない作品である。>
ある意味ホラー
シャイニングを思わせるあのシーンは本当に悲鳴を上げてしまった
長丁場なのも上映中、私に無人島での疲労感、無気力感を与えるには充分でした。
最後は一瞬光が見えたものの、彼女の現実の世界と重なり、しこりが残る作品となってしまいました
何を観させられてるのか?!
見てる間中、一体なにを見せられていてこの話はどこに向かっているんだろう?と思いました。主役は誰で何を言いたいのか??と。なかなか一筋縄ではいかない面白い作品でした。比べる必要はないんですがエブエブより遙かに面白かったです。
誰1人応援したくなる人物がおらず、また意味なく不思議な設定•キャプテンが何故か扱いづらかったり、彼女がサバイバルスキルに長けていたり不条理さが面白いです。結局この話の主役はカールで、彼は通常世界でも、逆転世界でも体を売ってしか生きていけない存在なんですね。
この監督今のところすべての作品面白いですね。
ヤヤの女優さん、昨年亡くなってるんですね。残念です。
意外にも邦題が的確だった
さまざまな権力関係が状況に応じて変化していくさまを描いています。まさに逆転が何回も起こります。
ジェンダーやルッキズム、人種だけでなく職業上のものなど、細かいところまで丁寧に描いています。
「逆転の」がダサいと思ってましたが、実は的確な邦題だったんですね。
ラストシーンはこれ以上なく皮肉が効いていて、しかもわかりやすいと思うんですが、意味がわからない人がたくさんいるようですね。
日常を取り戻した途端、日常的な人種的偏見も元に戻ってしまう。やっぱりアジア人は下働きかよ!と誰でも叫びたくなると思いましたが。
監督はアジア人は黒人より差別されているということを、既に船のシーンからきちんと描いていましたね。
たしかに船のシーンがちょっと長い。あそこを少し刈り込んでくれたらもっと高評価でした。
この映画はおそらく、現在の性差や人種的な権力関係も、偶然にできたものにすぎないという点まで描いていますね。男女の小さく見える話から始まって、そうしたスケールまで達している作品だと思います。
好き嫌いは別れそう
ヒエラルキーの欺瞞を暴いた問題作…などと力むまでもなく,年齢・性別・富などによる優劣が危機に臨んで崩壊した時(パラダイム・シフトってやつ?)の右往左往ぶりを楽しみたい。娑婆へ戻るのを躊躇するおばちゃんの心情を最後の最後で察知できなかった美人モデルの態度と末路を通じて,階級間の順位転倒はあっても分断は解消されない事を思い知らされ,少しほろ苦い。
皮肉の詰め合わせ
3章すべてに登場するのはカールとヤヤのみで、その変遷も皮肉の一部なのだが、故に一貫したものはありません。
クセの強い2章のキャラも大半は使い捨てで、極論、3章それぞれ全く違うキャストでやっても“話”は成り立つのです。
中盤、トイレに駆け込む者もなくみんながギリギリまで我慢した挙げ句、噴き出すように吐く。
地獄絵図の中、平然と議論を交わす船長と『クソの王』。
船酔いにしては違和感が強く、船長たちがあらすじにある海賊の一味で一服盛ったか、と勘ぐるが、何もなし。
元々沈みかけの船に、武器商人への皮肉のためだけに手榴弾が投げ込まれる。
すべて“皮肉”のための演出でしかない。
本番と思われた島に漂着してからは、正直薄味。
『キャプテン』以外での蹴落とし合い出し抜き合いなどもなく、更なる下剋上を狙う者もいない。
弱者の切り捨てや短絡的な暴力なども起こらない。
描きたい事の範囲外なのか、起こりうるべき駆け引きや醜い本性などは描かれず、無駄に上品。
そしてラスト、ヤヤの台詞はアビゲイルに希望を見せるのか、それとも逆撫でしたのか。
あれだけストーリーそっちのけで“皮肉”を描いておいて、主張を明確にせず観客に委ねるのは個人的にナシ。
予告にある『バレンシアガ』と『H&M』の一幕は面白かったが、映画である必要性は感じませんでした。
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