ヨーロッパ新世紀のレビュー・感想・評価
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現代グローバル社会の不寛容さ
直接的には移民に対する差別、格差の問題など、多くの国で抱える社会問題を描いた作品と言えるが、もっと広く人間は根本的に不寛容さを抱えた存在ではないかと問いかけている。
主幹産業だった炭鉱の閉鎖以来、貧しい状況から抜け出せない村。新しくできたパン工場に補助金目当てで外国人労働者を雇い入れると差別が発生していく。外国人労働者の受け入れが経済的には村の助けになるわけで、合理的に考えれば村の人々にとっても良いことなはず。しかし、人々は経済合理性だけで物事を判断しない。
そうした外国人労働者の追放を訴える集会が教会で開かれる。教会でそんな話し合いをすることに、なんとも言えない気分になる。心の拠り所としての宗教は、時に排他的になる理屈としても機能してしまう。
排他的な村であることは確かだが、それをすべて断罪して終わりにしない作品でもある。よそからやってきたフランスのNGO職員の言葉は正しいが空虚である。複雑なグローバル社会がきしんでいる、機能不全であるとこの映画は描いている。
対立と分断が激化する2020年代の世界との悲痛な共鳴
東欧ルーマニアの村を舞台にした映画だが、欧州各国で深刻さを増す移民・難民をめぐる問題をはじめ、ロシアによるウクライナ侵攻、そしてこの10月に勃発したパレスチナのイスラム組織ハマスとイスラエルの武力衝突など、人種や宗教の違い、利害の不一致、歴史的な不和に根差した対立と分断が激化する今の世界と悲しいくらいに共鳴する。
監督・脚本のクリスティアン・ムンジウが提示してみせるのは、多様性・融和の理想と差別・憎悪の現実という痛ましくも埋めがたいギャップだ。もともとルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人の多民族コミュニティーが危ういバランスで共存してきたトランシルヴァニアの斜陽の村に、パン工場経営者がEUの補助金目当てでスリランカ人労働者を雇い入れたことにより、外国人への反感や憎悪の感情が次第に高まっていく。
不仲な両親のもとから子供が消える点では「ラブレス」、差別をめぐる議論が大きなウェイトを占める点では「ウーマン・トーキング 私たちの選択」、村の閉鎖性と“熊”つながりでは「熊は、いない」といった比較的近年の力作を思い出した。
ラスト1分の畳みかけるような展開が強烈で、黙示的でもある。何かを象徴するような、予言するような幕引きの“その後”を想い続けることが、観客に課された宿題なのかもしれない。
静けさの中、やがて嵐がやってくる
原題「RMN」はルーマニア語でMRIという意味だとか。なるほど本作には年老いた父親が医療施設でMRIを受けるシーンが描かれるし、この映画そのものもまた、現代ヨーロッパの田舎町をめぐって、表層からは窺い知ることのできない内部状況をつぶさに探ろうとする構造を持っている。えてして我々はヨーロッパをひと括りにして考えがちだが、本作からは地方の閉鎖性、外国人への差別意識、EU補助金をめぐるジレンマ、東西格差の問題など、様々なものがマグマのごとく溜まりたまっている様子が伺える。これらを観客に突き付けてただただ嫌な気持ちに浸らせるのでなく、事態が最大風速を迎えるくだりでムンジウ監督があえて固定カメラで長回しに打って出るところなど、我々の理解と映画の魔法とを深く交わらせようとする趣向もまた大きな魅力だ。このような病巣は世界中に溢れている。本作はさながら鏡のような存在であり、かつ現代の寓話とも言えるだろう。
人の頭んなかの解らなさ
映画は2020年におきたディトラウ外国人排斥事件というじっさいの事件にもとづいているそうだ。
ルーマニアのディトラウという村で、パン工場がスリランカ人を雇用したことに抗議し、ハンガリー系住民が牧師を陣頭に1,800の署名を集め市役所に嘆願書を提出した。
もともとパン工場の労働条件に不満があったことと移民への差別感情が重なり、嘆願書には労働条件の改善、移民の受け入れ停止、住民への補償や謝罪などの要求が盛り込まれた。
この事件はメディアで大きく取り上げられ、多数派ルーマニア民族と少数派ハンガリー民族の対立へと発展したという。
実話をなぞりながら、ルーマニア人マティアスの境遇について哀傷をつづっていく。
冒頭は出稼ぎ先ドイツの食肉工場のシーン。ジプシーと罵られて上司に暴力をふるい、地元トランシルヴァニアへ帰ってくるところから映画がはじまる。
ルーマニアは歴史上移動型放浪民のロマが流れ着いた地域ゆえにルーマニア人はヨーロッパ他地域の人からジプシーと蔑称されることがあるという。
映画のテーマは他民族・他人種への並々ならぬ嫌悪と人々の閉鎖性だが、環境が複雑で安易なことは言えない感じ。たとえば川口のクルド人問題とは違う。
根っこにあるもの、たとえば歴史や宗教や文化などの深度と、他民族共存環境が違うので、日本の移民問題とは比べようがない。と感じた。
そのことと世界を見る目の大人っぽさがちがう。侵略にさらされてきた地続きのヨーロッパと島国日本の意識には埋めようのない差があるのは当然だが、絵づくりが冷徹で、映画内の季節上の寒さ以上に、冷たさが伝わってくる。
外国映画をみて日本の映画はこどもっぽいなと思うことがよくある。とくにアスガル・ファルハーディーやヌリ・ビルゲ・ジェイランやアンドレイ・ズビャギンツェフ、あるいはこのクリスティアン・ムンジウの映画にもそれを思う。
映画がこどもっぽいというより、日本人は人として相対的にこどもではないか──という敗北感に近いものを感じる。
もちろんこれに勝敗はなく是非もないが、たとえば最近日本映画で意識が高いとされている映画と比べたとき──、例えばうんこのようにあざとい荻上直子の波紋とか、例えばほんとにうんこ映画の阪本順治のせかいのおきくとか、例えば昭和ポルノの化石荒井晴彦の映画とか──とくらべたとき、あっとうてきなへだたりを感じる。
しかもファルハーディやジュイランやズビャギンツェフやムンジウの映画には「おれは意識高いんだぜ」という承認欲求がまったく顕れない。
反して荻上直子の波紋には「わたしはいろいろと問題意識をもっているんです」という承認欲求が顕れまくりの溢れまくりで、そもそも意識高い系の日本映画すべてが監督の承認欲求を見るようなものと言って過言ではない。
すなわち内容だけでなく、画に承認欲求が顕れ出てしまうか・否かは、大人映画と子供映画を分かつ重大な因子といえる。そしてなぜかは解らないが日本映画は園子温みたいに「おれすげえだろ」が画に顕れ出てしまう映画が多い。多いというかほとんどの映画に承認欲求が顕れ出ているから、承認欲求が出ていないだけで加点したくなる。
日本映画をけなしはじめると昂奮状態になってしまうのでこのへんでやめておくがファルハーディやジュイランやズビャギンツェフやムンジウの映画と日本映画を比べたときの絶対的な差はみなさまもご存知だろう。そもそも比べる必要のないこと、とはいえ。
しかし映画内の閉鎖性についてはおおいに異議をもった。人々が不親切すぎる。もちろん前述したように環境も文化も歴史も宗教的背景もちがうので、極東のじぶんが安易なことは言えないのは解っているつもりだが、外国人労働者にたいして非人情すぎる。
日本人でもワーキングホリデービザを利用して外国へ行く若者がいるが、外国へ行って、周りに友人もいないひとりぼっちで、言葉もおぼつかない、その状況下でステイ先からないがしろにされたり、職場でいじめられたら切ないだろうって話。
むろんワーキングホリデーで海外へ行く日本人と、トランシルヴァニアのパン工場に雇用されたスリランカ人では立場にへだたりがある。とはいえ、基本的に遠くから働きにきている外国人労働者にたいして思いやりを持つことは、真っ当な人間感情であり、移民問題にたいする考え方と、じっさいの移民や外国人労働者に対する態度は分けるのが常識だと思われる。
つまり反移民でも移民には優しくしたいという考え。繰り返しになるが、このての理想論は周りにひとりの移民もいない甘ちゃん日本人のお花畑な考え方に過ぎない、ことは解っている。
多くの日本人の移民意識は矛盾している。と思うことがある。
つまり少子高齢化対策が日本の重要課題であることに異議はないが、多くの日本人は反移民を標榜している。わたしもだいたいそんなところだ。
生産人口の目減りが地球一はげしい日本では、いま国史上いちばん産めよ増やせよの局面にある。が、移民には反対したい。しかし、労働力の減少をどうやってカバーするのか、たとえば移民ではなくロボット化を推し進める、といった代替案をもっているわけではない。おそらくこれは我が国の保守層がかかえているもっともポピュラーな矛盾ではなかろうか。
原題は「R.M.N.」でnuclear magnetic resonanceの頭文字NMRをもじってつけられたという。NMRはわたしたちの知っている語に置き換えるとMRI(Magnetic Resonance Imaging、核磁気共鳴画像診断法)のことであって、マティアスの父が脳に病気をもっていることでそのスキャン画像が何度かでてくる。転じて人は何を考えているのか解らない──ということの示唆ではなかろうか。と思われた。
カンヌに出品されたがこの年(2022)のパルムドールはルーベンオストルンドの逆転のトライアングルがもっていった。
imdb7.2、RottenTomatoes97%と97%。
ヨーロッパの自殺
R.M.N.って“ルーマニア・ナショナリズム”の略かなんかと思っていたら、まったく違っておりました。人間の脳の断面を撮影する“M.R.I.”の事だったのです。主人公マティアスの父ちゃんが脳腫瘍におかされていて、そのM.R.I.写真をスマホで何度も見ていましたよね。あれです。要するにこの映画、ルーマニアトランシルバニア地方の小村にスリランカから招かれた移民労働者を、不治の病“脳腫瘍”に例えているのではないでしょうか。自分たちのコミュニティに入り込みいつの間にか破壊していく厄介者として、移民の彼らを排斥する狭量な村民たち。現在EUにおける最大の脳腫瘍=移民問題を真正面からあつかった作品なのです。
実は、主人公マティアスの祖先も700年ほど前にルクセンブルクから渡ってきたドイツ系の移民であり、出稼ぎで働いていたドイツの🐑肉工場で暴力事件を起こし、家族がいるトランシルバニアに逃げ帰ってくるのです。移民労働者を雇用するパン工場長のシーラもハンガリーからの移民の子孫であり、マティアスとは昔恋仲であったらしいのです。若い働き手はほとんどEUの諸外国に出稼ぎに出ているため、パン工場は慢性的な人手不足状態。移民を最低賃金で雇用するとEU政府から補助金も出るため、会社側は何としても移民労働力がほしいのでしょう。しかし、ムスリム(実際にはカトリック)が手で触ったパンなど口に入れたくないと不買運動が起こってしまうのです。
今やカンヌ映画祭にお呼ばれされる常連監督となったクリスティアン・ムンジウのデビュー作『4ヶ月3週と2日』や『汚れなき祈り』、『エリザのために』を実際に観賞されると分かるのですが、一貫してグローバリズムが唱える新自由主義に懐疑的な立場をとっている保守派の映画監督なのです。一応映画は中立的な立場で撮られてはいますが、村民の雇用を唯一支えているパン工場のやり方に、あまりいい感情を抱いていないことは確かなようです。このトランシルバニアという舞台自体に、かつてハンガリーとルーマニアの間で領有権を争った歴史もあるそうで、もともと独立意識が大変強い地域らしいのです。
ルーマニア語とハンガリー語が劇中チャンポンで話されたり、かつてはドイツ人を、最近ではロマ族を領土から追い出した経緯もありーので、ナショナリズムという一言だけでは簡単には片付けられない複雑な人種的要素が絡んだ地域らしいのです。ドラキュラ伝説のモデルとなった暴君ヴラド3世は、この地から侵入を試みる他民族と幾度となく戦った英雄だといいます。トランシルバニアの地で暮らすハンガリー系の人びとは特に、自分たちの祖先が戦ったおかげで、オスマンなどの蛮族からヨーロッパを守ったという自負があるのです。
ムンジウはそんな閉鎖的意識が強く残っているトランシルバニア地方を、わざと映画の舞台に選んでいる気がします。古くからの因習が色濃く残っているこの地で、もしも肌の色が違う移民が暮しだしたらどうなるか。結果はご覧のとおり。村ぐるみで移民労働者排斥運動が起こり、ルーマニアに既に融和しているはずのハンガリー系、ドイツ系の村民もそのトバッチリを受けてしまうのです。映画の出来として、息子ルディが口を利かなくなった理由や、脳腫瘍の父親が、シナリオの中でうまく有効活用できていない点が悔やまれます。環境(移民)保護したら逆に増えすぎた🐻さんたち(間男)が羊(女)を襲う。左派グローバリストがやることなすこと全てにおいてどこか矛盾している気がするのです。
久しぶりにイライラ 主人公の行動に共感できない ルーマニアハンガリ...
久しぶりにイライラ 主人公の行動に共感できない
ルーマニアハンガリーナチスドイツの名残でドイツ系トランシルヴァニア地方ギリシャの上 ドラキュラ伯爵で有名常にトルコからの侵略と戦っている
見る前すごく期待していた。アンアンの稲垣吾郎の映画コラムで取り上げていたし。
活弁シネマ推薦の映画なのか?
社会派でも思いっきり左翼的な女性が出てくる もっと郷に入っては郷に従うをすればいいのに 主人公の男の体格の良さ愚鈍さに見えてきて動物的熊のような凶暴さも備えててどうしようもない人物に見えた。
産業がない寒村で男たちは西のドイツへ出稼ぎ EU内で絶え間なく資本主義の競争にさらされている底辺の地位にいるしかない白人ではあるけれども 村にやってきたスリランカ人に対する猛烈な反発
この映画を見た後は日本人である幸せ 他国の存在を常に感じなくてもいいし社会の中でダメ人間でも比較的なあなあで生きてける自分の方から堕落したり法を破ったり危険を冒そうとさえしなければ トランシルヴァニアのこの主人公の男よりは
遠い外国の話ではない
17分の長回しが映画とは思えないほどのリアリティである。
何も罪を犯していない外国人を排除しようとするこの村は差別的だと言ってしまえばそれまでだが、果たして日本でも同じことが起きていないと言えるだろうか。
自分の住んでいる地域に急に外国人が増えたら、相手を知ろうとする前に警戒し排斥しようとすることは人間誰しも持ちうる感情なのかもしれない。問題はその感情とどう向き合うか、で。
主人公は根っからの悪人というわけではないものの、なんとも典型的な「有害な男らしさ」をまとっている。村人の反発を恐れて移民を教会に入れない事なかれ主義の神父といい、移民労働者たちを除けば出てくる男性はろくでもない。建前だけでも正義を掲げることすらしない。
熊がニュースを賑わせる昨今、熊から身を守るために猟銃を持つ村人達と、熊の数を調査するために来た動物保護団体の外国人との対比が何とも皮肉だ。
もう、あそこのパンは食べないの。
ドイツに行けば差別されるルーマニア人が、自分たちの村では今度はスリランカ人を差別する。人種、宗教の異なる相手が自分たちより下(とは勝手な優越感なのだが)と見れば、排除することを正義だと信じる人々。古今東西、人間の内面に自我と欲望が存在する限り、歴然とあり続ける問題だものな。この映画の話が他人事のつもりだったのに、「アジア人って日本人じゃなかったのね」と残念がるシーンを見て、ちょっとほっとしている自分もいる。やはりどこかで差別する意識があるからなのだろうな。ヨーロッパの地域間格差の詳細は不勉強だが、ルーマニアが周辺強国の狭間できゅうきゅうと生き延びてきたことは理解できた。そういった人々が偏狭で偏屈なのも、例えば日本の戦乱期の山あいに暮らしていた百姓たちを想像すれば、同じだろうと思う。どの国でも、どの時代でも、人間は一緒なのだ。そして思う、自分はどちら側なのだろうか。もしくは、どちらでもないのだろうか。もし、自分が村人の立場にいた時、スリランカ人の握ったパンを食べることに躊躇うのだろうか。迷うことなくパンを食わないと同調するのだろうか。逆に気にしないと思えた時に、俺はパンを食べるって言える勇気があるだろうか。
都市に住む人々の綺麗ごとでは納まらない現実。
閉鎖的なルーマニアの寒村。唯一の産業のパン工場が人手不足でスリランカ人労働者を雇用しとことで起きる排斥運動。異邦人へのコンサバティブ&エクスクリーシヴな「田舎」の悲劇。ある意味では、集会で議論されている中味は、カワグチを連想させる。レイシズムと伴うヘイトは、無くならないという諦観がある。特に、舞台である寒村は、ルーマニアとハンガリーとドイツ民族の葛藤の末、ロマを排除する団結で平和(均衡)を維持した、という過去があるというような描かれ方がされている。だから余計にスリランカ人という異質な存在への<恐怖>があるのだろう。
民族差別、ジプシー排除の実態
ヨーロッパ新世紀
大阪十三の映画館「第七芸術劇場」で鑑賞した。2023年11月3日
パンフレットを入手
ルーマニア人はEU内では、差別の対象となっているという事実。映画やパンフレットに記載がないのは、それが定着しているからではと思います。
そうした背景を把握した前提で映画を鑑賞する必要があります。
この舞台はルーマニアの小さな村。ルーマニア人とハンガリー人が住んでいて、少数のドイツ人、ロマの人々が住んでいる。
民族差別、ジプシー排除の実態です。
ストーリーを簡単に述べる
羊屠殺業を営む人物が、パン製造を始めることで、シーラをパン工場の責任者とした。
パン製造工場で働いていたスリランカ人を異物とみなした村人たちが、容赦なく偏見のまなざしを送り、攻撃的な発言を述べる。
その一方で民族や宗教など多様なルーツを持つ村人、様々な立場のひとが騒ぎ出す。
それが大きく拡大していき村全体の大きく揺るがす事態に発展。
あらためて緊急集会をひらくが、批判の声が一層大きくきくなっていく、リベラルなEUの対応にも批判の矛先が向けられてしまう
凄まじい罵声が飛び交う混乱となっていくのだった。
痛烈なメッセージ
今を辛辣に問いかける衝撃作。社会問題×トランシルヴァニアの壮大な風景の凄まじい融合。尋常じゃない没入感にラストの17分に及ぶ圧巻の長回し。何もかも心臓に響き渡るただならぬ不穏さ。少年の語らない目で訴えかけるリアル。身体全体で震え上がる現実に息を呑む。
移民問題
いろんな言語での「ありがとう」
ちょっと難しかったけどしっとりした怖さが漂っていた。
やはり人は過去に受けた恐怖や迫害を忘れられない生き物である。
手に入れた安息とも思える土地で常に外部からの侵入を守ろうとする人もいれば、今のままじゃ良くならないと思い新しい事を始め外部から人を迎えようとする者もいる。
どちらの考え方も間違っていないからこそ問題はなかなか解決していかない、
ラストは怒涛の展開で思考がついて行かなかったが、、なんとなく恐ろしい村人達の力が働いていたのではないか?と、、うーん。解釈が難しいや、
新世紀の行方
何もしなくても、ヒトは分かり合えると思うのは、ガンダムの見過ぎですかね。
どうにも違和感、覚えます。ヨーロッパのヒトって、狩猟民族の末裔なの?。良く言えば同調圧力に屈しない。再変換すると、我を貫きまくる。和をもって尊しなんて欠片も思わない。だからこそ、対話が熱くなる。言わなくても分かるだろ?、は、通じない。そもそもひとつのクニで、複数の言語が飛び交うのだから。同じ目的があるとしても、目指すルートが異なるヒト達と、どう向き合うのか。答えが見つかりません。
新世紀に、私達が目指すものは何?。
一歩間違えると、世界規模の紛争に成りかねないウクライナと、イスラエル。何らかの形で欧州、あるいは欧州より移民したヒトが造ったクニと関わりがある。だとしたら、今、欧州で、何が起きているのか、どんなことを考えているのか、知って損はないはず。
因みに、ドイツとフランスは、時に事件が起きながらも、移民政策を推進。ただ、そうでないクニもあるようです。ひっくるめて欧州ですが、その内部には結構、温度差があるみたい。ところで特別軍事作戦を、未だに敢行する例の大統領、その温度差が拡がるのを待っているとか。困ったヒトですね。
クニに名前と特徴があるように、ヒトにも名前がある。それぞれの個性がある。それらを個別に知ることが、対話の始まりなのかな。
とは言え、ドラキュラ公のお膝元で出稼ぎするのは、止めたほうがいいみたいですね。
「この自由な世界で」
タイトルはすごく素敵ですが、内容はすごく陰鬱。地球の歩き方には、決して掲載されない欧州の姿を垣間見ることになります。ついでに、ブルガリア映画「ソフィアの夜明け」もどうぞ。ヨーグルト食べてるだけでは生活できない現実に、打ちのめされてね。
余所者排斥
トランシルバニア地方と言えばドラキュラだけど、本作は全く関係なし!
2020年に実際にルーマニアで起こった外国人排斥事件が元になっている。
トランシルバニアの小さな村は、ルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人、
そして現在はロマと呼ばれるジプシーらが混在して暮らしている。
言葉はルーマニア語とハンガリー語を中心にドイツ語フランス語、英語が混在。
ハンガリー語で聞き、ルーマニア語やドイツ語で答える。
(そもそも日本人には聞き分け難しいので、それぞれの言語の字幕に色がついてます)
主人公は、男尊女卑の社会で育った腕力が全てを支配できると思っていそうな男。
ドイツでロマと罵られて、暴力を振るいそのまま逃げるようにトランシルバニアに。
家族とは距離が出来、元カノの所に行ってしまう。
元カノは地元のパン工場の責任者。
いくら求人を出しても、最低賃金の職場には地元の人間は誰も応募はしない。
元カノに、地元のパン工場で働かないかと聞かれても、即断る。
仕方なくアジア系の労働者を雇ったとたん、
村中が偏見を露わにして排斥運動が燃え上がる…
現代なのに、余所者に対して村民一丸となったヒステリックなこの反応にビックリ⁉
というか、日本でも似たような展開になりそうな事案でもある。
主人公の男の家族については、今一つよく分からなくて、考察の余地あり。
他人事にしてはいけない題材だった。
厳しい現実を突き付けられる
観て感動や興奮できる映画ではない。面白いとも言えない。なのに画面から目が離せず、最初から最後まで緊張感を強いられて疲れた。世界中で問題となっている経済格差や移民の問題を、ルーマニアという馴染みのない国を舞台にリアルに描いた作品。ルーマニアの映画は初めて観たが、登場人物は皆どこの国にもいるキャラで、感情移入しやすかった。
他所の国から来て働く者に対し、排除しようとする人たち。彼らの身内も他国に出稼ぎに行っており、立場は似た者同士なのに。つくづく人間は勝手な生き物だと思った。
クライマックスは文化センターでの住民たちの騒然たる論戦(?)で、台本があるとは思えないほど、リアルにまくし立て、ヘイトの醜さをこれでもかと延々見せつけ、単純に誰が悪いとかで片付けられない厳しい現実を突き付けられる。ある意味こんなにパワーのある映画はそうそうないと思う。
ただ、ラストのくだりだけは理解できなかった。なぜシーラはあんなに謝るのかわからない。クマのきぐるみみたいのが何なのかもわからない。口をきけなかった息子が取って付けたように父親に「愛してる」と言うのも無理やり感あり。そこまでのシーンがずっと見応えあったのに、最後がモヤモヤだらけで終わったのが残念でならない。
世界の現実、日本の他人事。
ロシアとウクライナ
アルメニアとアルバニア
イスラエルとパレスチナ
知っているのはこの程度だが、プチな争いは数知れず。宗教、人種、国籍など導火線はいつでも着火できる状態にあるように思う。
個人的には、日本はこのテーマに対する耐性が、歴史的にも他のどの国よりも低いように思う。今はインバウンドに浮かれてるレベルなので、映画で描く世界はまだまだ他人事。現実になる頃、日本はどうなっているのだろうか。
内容だけでなく、題名から字幕まで秀逸
グローバル化の進展の結果、国境を越えたヒト、モノ、カネの移動が飛躍的に増加し、特にヒトの移動により異文化、異人種、異宗教、異言語をバックボーンに持つ人々が、同じ地域に同居する機会が増えるようになりました。その結果、元から住んでいた住人と、新たに移り住んできた移民との間に軋轢が生じ、様々なトラブルが発生しています。本作は、ドラキュラ伝説発祥の地と言われるルーマニアのトランシルヴァニア地方の田舎を舞台にした物語でしたが、程度の差こそあれ、日本も含めて世界的に生じている現象であり、「ヨーロッパ新世紀」という題名でありながら、全世界的な問題を取り扱った意欲作でした。
主人公のマティアスは、ドイツに出稼ぎに出ていましたが、職場で受けた差別発言をきっかけに暴力沙汰を起こしてトランシルヴァニアに帰郷。ところが故郷に待つ妻・アナとの関係は冷え切っており、一粒種の小学生のルディは口がきけなくなってしまっていました。身体が衰えた父親との関係も微妙。
そんなマティアスの故郷は、元々は鉱山の街として栄えていたようですが、主要産業の鉱山が閉鎖されて働き盛りの人達はマティアスのようにEU域内をはじめ他国に出稼ぎに出てしまい、逆に地元の働き手がいない状況。そのためマティアスの元恋人であるシーラが勤めるパン工場では、スリランカ人労働者を受け入れることになり、地元民との軋轢、というか、地元民が一方的にスリランカ人を追い出そうという騒動が生じることになりました。
スリランカ人労働者が特に問題を起こした訳ではないにも関わらず、「衛生上問題がある」、「彼らがこねたパンは食べたくない」、「ウィルスを運んでくる」など、非科学的な批判が噴出。また、パン工場で求人をしても応募がなかったにも関わらず、「地元の人間を雇わず、外国人に仕事を与えた」などといった無茶苦茶な声や、彼らがクリスチャンであるにも関わらずムスリムだと決めつけるなど、地元民の主張は支離滅裂で頑迷ではあるけれども、騒ぎは大きくなるばかりの状況を、臨場感溢れる映像でこれでもかと突き付けて来るのが本作の最大の特徴でした。
働き手が減ってしまった結果、移民労働者に頼らざるを得ない状況は、今の日本でも同様です。コンビニエンスストアやファーストフードの店に行けば、外国人の店員がいるのは当たり前。それ以外にも、農場や工場、看護師や介護士など、外国人労働者は広範な領域で働いているのが今の日本であり、トランシルヴァニアだけの問題でないことは明白です。
幸いにして日本では、実質的に国境をなくしてしまったEUほど深刻な状況になっていないと思われますが、低賃金で人手不足を解消したい財界の意向を反映し続ける政権が続く限り、早晩日本のあちこちにトランシルヴァニアのような状況が出来するであろうことは容易に想像できます。特に円安が進行した上、四半世紀に渡って賃金が低下傾向にあった日本から、海外に働き場を探そうとする日本人は増えることが予想され、そうなれば人手不足解消のためにはどうしたって移民労働者に頼らざるを得なくなるでしょう。
そうなった時に、我々はいかに行動すべきなのか?本作が問いかけるのは、そうしたことなのではないかと感じたところです。
因みに邦題の「ヨーロッパ新世紀」に対して、現代は「R.M.N.」。これは、Rezonanta Magnetica Nuclearaの頭文字を取ったものだそうです。RMNは、日本で言うところのMRI(核磁気共鳴画像法)という医療機器のこと。かく言う私も何度かMRIでの検査を受けたことがありますが、身体に磁気を当てて脳や内臓の状況を見る機器です。劇中マティアスの父親がMRIの検査をし、その脳の検査画像をマティアスがスマートフォンで何度も確認する場面があるのですが、題名はここから取られています。
非常に暗喩的な題名で、一体何を意味しているのかは人それぞれ解釈があると思うのですが、パンフレットによれば、「共感などの社会的スキルは脳の大脳皮質の表面で生成され、残りの99%は、人間が生き残るための動物的な本能が占めている」そうです。移民など、バックボーンが異なる人への共感が生まれるか否かは、大部分を本能に依存しているということであり、もしかすると本作で移民に反対していた人たちの強硬な拒絶反応は、本能的なものなのかとも思ったりしました。そうだとすれば共感が生まれることは極めて困難であり、現下の世界状況は極めて絶望的だと言わざるを得ないものだなと感じたところです。
それにしても、原題をそのまま邦題にする”安易な”選択が多い中、「ヨーロッパ新世紀」という名付けは秀逸だったと思います。
あと、トランシルヴァニア地方は現在はルーマニアに属していますが、かつてはオーストリア・ハンガリー帝国に属していたことなどがあり、言語的にはルーマニア語、ハンガリー語、少数ながらドイツ語が使われているそうです。映画の中でも様々な言語が飛び交っていましたが、ルーマニア語の白、ハンガリー語の黄色、ドイツ語や英語、フランス語などその他のピンク色の字幕で表示されており、中々凄いアイディアだと感じました。これにより、登場人物たちがそれぞれの言語にどういった思いを持っているのかということも感じられるように出来ており、本作の理解を深めるのには欠かせない仕掛けだったように思います。
そんな訳で、映画の内容はもとより、題名や字幕に至るまで趣向を凝らした素晴らしい作品だったので、評価は★4.5とします。
熊映画
今週「コカインベア」という熊がコカイン喰ってラリパッパ~映画を観たのだが、この「ヨーロッパ新世紀」という映画もまさかの熊映画だった
ルーマニアのトランシルヴァニア地方の村を舞台に多民族の分断を描き、終盤の村人達の会議シーンは圧巻!(17分間の長回し)
この話、外国の話でしょ〜カンケーナイネ~なんて呑気に考えそうだが、日本の遠くない未来を暗示しているようで怖くもなる
弱者が更に弱い者を差別する典型的な話
最後のオチは多少分かりづらいが、シーラ役の彼女の脱ぎっぷりに👍
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