CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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致命的に人を傷つけてしまうということ
思春期はとりわけ他人の目が気になる。ましてや恋愛に関するものには敏感になる。「お前ら男同士なのに恋人みたいに仲がいいな」なんて言われたら…。
僕はレオの行動を理解できてしまう。レミに素っ気ない態度をとったり、レミとは関係のない新しい世界を見つけようともする。結果、レミを"致命的"に傷つけてしまう。そこまで気が回らない。
僕は人を傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。結果として対人関係が臆病になる。人付き合いが苦手になる(私です)。そんな僕でも、間違いなくたくさんの人を傷つけてきたと思う。しかもそれは自分を信頼してくれた友人だったり、自分を愛してくれた家族だったりもする。そんなことを考えると、なかなか辛い映画です。
なんとも美しく
観たままの感想をとにかくどこかにメモしたいという気持ちで書いてる。
時の流れの描写、、、美しさがすごい。
文字や言葉では出てこないが、レオがどのような感情で
どれほどの時を沈黙で耐えてきたかが描写からひしひしと伝わる。
思春期や環境の変化によって、些細なことだと思って気にも留めなかったレオの行動は、レミにとっては立ち直ることができない絶望だったのだろうか。
レオが 会いたい ただその一言にどれだけの後悔やレミに対する罪悪感 すべてを感じた上でまた会いたいと言葉にすることの重さが、、
普通の映画に比べて言葉数は少なかったように思うが
感情はとめどなく自分の心にのしかかってくる
リアルすぎて、レオがまだ泣いていないのにわたしが泣くことは許せない なんて感情まで出てきてしまった
素晴らしい映画だった。
名作誕生!
僕は「クーリンチェ殺人事件」をフェイバリットムービーにしているが、本作「CLOSE クロース」はそれに匹敵する、いや、凌駕していると言ってもいい、思春期の心を見事に映像化している作品だと思う。
観客は何度も繰り返される日常的な風景の中に映し出される、揺れる少年たちの心に触れることになる。それは「同性愛の映画」などと陳腐な言い方でまとめられない、少年期の繊細な心のありようであり、我々もかつて感じていた友情や愛情に対するいびつな感情や純粋な思いであって、宗教的、倫理的な正義や悪のような二項対立で言い表せるほど簡単ではないものだ。
僕らは社会に絡めとられていく中でそういった感情を忘れて大人になっていくのだけど、どちらが生き方として美しいのだろう。その答えは、この映画が教えてくれている。
パスタを吸い込むシーンが大好きです⭐️
家族ぐるみの付き合いで兄弟の様に仲が良く
いつもどんな時も一緒に過ごす13歳の少年2人の物語
冒頭の柔らかな光の中、花畑を駆けぬける天使の様な2人に見(魅)入ってしまいました
しかし無邪気な時間の終わりが訪れてしまう…
思春期へ向かう13歳の彼らには
集団という世界への入口、その世界の中で
自分を偽るのか自己を貫き通すのか…
生き辛さをも感じ始める時期でもあるのだ
鑑賞して1週間以上が経ち
ようやく迷子になっていた心が落ち着いてきた
取り返しがつかない悲劇の物語ではあれど
優しい旋律の音楽と柔らかで美しい映像は
鮮やか過ぎる程…私の中で宝石の様な傑作として心に刻まれました
レオ役エデン・ダンブリンの繊細で壊れそうで儚げな瞳に心奪われました⭐️
大きな傷を胸に歩いてゆく。
カンヌでグランプリを受賞した話題の本作。とても哀しくて儚くて、そして美しい映画でした。まるでアート作品のような圧倒的な映像美の反面、ストーリーは余りにリアルです。
ベルギーの田園風景の中、自転車で並走する2人の少年。13才のレミとレオ。四六時中共に過ごす2人。しかし中学に入学するとクラスメイト達からその間柄を揶揄され少しずつ関係が変わっていってしまう。そしてその先に待つある出来事。
レオが小さな背中で背負わなければならなくなったもの。どれだけ自らに痛みを与えても真実を受け入れなければ1歩も進めない。誰もが経験のある思春期の友情や素直になれない感情。小さなコミュニティの中で少年が恐れたものの正体。圧巻のリアリティーで描かれる繊細な表現に観ているこちらも胸が苦しかったです。2人の少年の眼差しも、演技も本当に素晴らしかった。揺れ動く心の内側を強烈に映し出した傑作です。
ちょっと合わなかった
中盤で起こる出来事がなんだか説得力なくて…
「え?」ってハテナ浮かんだままラストまでいっちゃいました…
「CLOSE」には親しいとか近いという意味もある一方、読みが濁って「クローズ」になれば終わりとか閉まるとかの意味も。ここは上手いなと思いました。
今の時代はこういう作品が評価されるべき
ストーリーはよくある展開だし、
大どんでん返しや驚きなストーリーじゃないけど
少年の涙にここまで心が動かされるとは…
心が洗われる作品だった。
色々なやりようで、さらに涙で前が見えないくらいに感動で陥れるような展開とかがあったと思うけど、
この映画はそこがちょうどいい。
心の窓をトントンと優しく叩いて、奥に入ってきて
じんわり溶かしてくれるような作品だと思う。
誰かの心無い言葉で関係が悪くなったり、傷ついたり、
そういう人がいることがわからないお馬鹿さんがあふれているSNS時代の今こそ、こういう作品がきちんと評価されるべきだと思う。
あとは、残された人がどんなに辛いか、
周りの影響にも気付いてほしい。
今度から疲れた時におすすめの映画ある?と聞かれたら、この映画を紹介したい。
23-094
少年が思春期を迎え、
それまで感じなかった感情が生まれる。
人それぞれ感じ方やタイミングが違う。
そのことによって、それまでの関係性が壊れることもあるだろう。
交友範囲や価値観の変化、
感情表現の不自由さもこれを後押しする。
苦しみ悩むことは
時間だけが癒してくれる。
人間は悲しみを忘れられる。
美しさが印象に残る映画
とにかく美しさが印象に残る映画で、出てくるのは美男美女ばかり、
咲き誇る綺麗な花畑、自転車で通り過ぎるだけの草原、やわらかな陽射し、
その全てが美しい。
撮影は、監督の出身地ベルギーとゴッホの出身地オランダで行われたらしいです。
美しい映画なのでケチつけたくないんですが、後半ねむくなってしまった(笑)
でも、いい映画です♪
シリアスな映画で少し静かめだけど、暗すぎず明るすぎず、観やすい映画かと。
ベルギーやオランダって美しいなー♪と思った、美しい映画です(笑)
ベルギー、オランダ、フランス、の合作なので、言語は何だろう?と調べてみたら、
ベルギーは、オランダ語、フランス語、ドイツ語、の3ヶ国語らしく、
過去、オランダ、フランス、ドイツ、に支配されてきた事に由来するそうです。
同じベルギー人でも言葉が通じない事あるんだとか。
映画で使われてるのは何語なんだろ?
ほんのりBL
絵作りの繊細な美しさがまさに至高。これだけでも十分見る価値がある。カットごとに配色や陰影が細かく計算されているのが分かる。特にお花畑のシーンが美しくて息をのむ。
加えて少年二人の微妙な表情や息遣いや肌感覚なんかが繊細に伝わってくる。
美的感覚の鋭さがすごい。
性のあわいの悲劇。
レオとレミは幼いころからの親友で、花卉農業を生業とする互いの家を行き来して長い時間を共にすごしていた。互いに深い好意を示すことに少しも疑いをはさまない暮らしの中で、夜も自然にベッドで体を寄せ合って眠るほどだった。
しかし二人のそうした濃密な関係は、彼らが小学校に入ると淫靡なからかいの的になる。レオはそれを疎ましく思い始め、レミは深く傷つき、事件が起きる。
中盤までのカメラはなかなか素敵。とりわけオープニングからしばらくの、暗がりで声を掛け合う二人が外へ飛び出して一面の花畑を駆けだしてゆくショット、オーボエを吹くレミを逆光の中からみつめるレオの幸福な視線、等々。このあたりは自らの性を明確に意識するより前の、幼い両性具有性をうまく捉えてみせたと思う。
しかし照明・カメラ・編集のいずれも表現の引き出しが少なくて、中盤以降は、同じスタイルが反復されすぎることがどうしても鼻についてくる。脚本の踏み込みの弱さがその印象に拍車をかける。
是枝裕和『怪物』にも同様のニュアンスを示唆するシーンがあるけど、あの映画の複雑さ・繊細さには到底及ばなかった。
ところで朝日新聞の本作レビューで「メロドラマの傑作」と評しているのは、メロドラマという言葉の誤用。メロドラマというのは、本作の場合なら二人が最後まで出口なしの状態で悩み続ける映画のことです。
少年たちの悲しみ
大人なら誰もが理解できる、子供時代に誰しもが一度は経験ある話し。ちょっとした感情で好きなのに離れたくなる気持ち。周りに振り回される感情。とても心が揺さぶれる。なんとも言えない悲しい物語だった。
泣きたいのに泣けない。
でもやっと泣けたね。待っていたよ。
私も泣いた。
展開が読めてしまって涙腺が緩まなかった。。。
幼馴染の少年2人、レオとレミの悲しい物語でした。2人は兄弟同様に育ち、寝る時も一緒というほどの仲良しでしたが、同じ中学校に入学して周囲から2人の関係を揶揄われるようになってからギクシャクしだし、悲劇を迎えるところで前半が終了。後半はレオの心情の変化に寄り添う形で物語が進められ、一応彼がひとつ成長したところでエンディングとなりました。
印象的にもテーマ的にも、また(カンヌ国際映画祭という)ショウレース的にも是枝監督の「怪物」と軌を一にする作品と言って良く、単なるLGBTQ物をさらに一歩進めて少年同士の話にするのが最近のヨーロッパ映画界の潮流というところなのだなと確認できる作品でした。ただ「怪物」と比較すると、容易に先が読めてしまうところがあり、悲しい物語でありながら全然泣けないところが悲しい作品でもありました。仮に同じことが現実に自分の身に起きたとしたら、立ち直るのに相当の時間をようするであろうことなのに、きっとこうなるかなと思った通りの出来事が起きるため、事前に耐性が出来てしまって涙腺が刺激されるには至りませんでした。別に泣きたくて映画を観に行った訳ではないですが、ちょっと残念な部分ではありました。
また本作の特徴は、そのカメラワークにありました。主に主人公に焦点を合わせてしかも大写しにして、さらにその背景をぼかすという映像が連続しており、他の登場人物があまり目立たないような創りになっていました。これは、彼らの心情がCLOSEしていることを表していたのか、美少年の映像を堪能してくれというメッセージなのかは分かりませんが、印象には残ったもののあまり感情を揺さぶられるような感じもありませんでした。
さらに、扱っているテーマ性から、社会に対するもっと強烈なメッセージ性とか、風刺とか訴求とかがあるのかと思っていましたが、そうしたものもあまり感じられず、ちょっと肩透かしを喰らったような形で映画館を後にしたところでした。
あと、内容とは全く関係ありませんが、「CLOSE クロース」という題名はどうなんでしょうか?先日も「Pearl パール」という作品を観ましたが、「英語+英語のカタカナ読み」という形式にするくらいなら、単純に「CLOSE」とか「Pearl」だけにしたらいいのになあ、と思わないでもありません。
そんな訳で、主人公2人の少年は、「怪物」同様にとてもかわいかったものの、物語としてはあまり揺さぶられることがなかったので、★2.5の評価とします。
丁寧な映像表現と感傷的な音楽で・・・
映像による描写が巧みで、感傷的な音楽と相俟って、悲しい感情をかき立てられました。悲しみを帯びたカットカットが兎に角印象的で、それはカメラによるものなのか演出によるものなのか演技によるものなのか、あるいは編集によるものなのか、まぁいずれの要素すべてが融合した結果なのでしょうけど、とにかく悲しくなってしまう作品でした。
前に進むために、人は忘却の機能を備えていますが、大人になって、思い出したくないことでも、ふとよみがえってくることがあります。そんな心の澱を洗い流す物語です。
大人の入り口に立つ少年のイニシエーション(通過儀礼)の物語。そう表現するには、あまりにも痛切で悲劇的です。二度と取り戻せない日々だからこそ、その一瞬がまぶしく輝いても見えてくるのでした。
13歳のレオ(エデン・ダンブリン)と大親友のレミ(グスタフ・ドウ・ワエル)は何をするにも一緒。学校へ行き、放課後はともに遊び、寝るときだって互いの家を行き来し、寄り添って寝るほどの仲の良さ。2人も家族も、それが当然と思っていました。
長い夏期休暇を無邪気に過ごし新学期に。中学生となった彼らは同じクラスになります。でも、それは無邪気な時間の終わりへ。繊細で壊れやすく、手にした瞬間にその手からすり抜けてしまう「何か」のように、二人の関係に異変が待ち受けていました。
学校に行くと2人のあまりの仲の良さをいぶかしがるクラスメートが、「付き合ってるの?」と揶揄してきます。レオは「親友だから仲が良いのは当然だ」とムキになって反論するのです。
しかし、クラスメートの視線が気になったレオは、これをキッカケにレミと距離を取るようになります。なぜ自分を避けるのかわからないレミ。
一方、レオはレミをどこかで気にかけながらも、他のクラスメートと交流を深めていき男らしさを求めて、アイスホッケーのチームに加わります。一方、音楽家を目指すレミは、遠くからレオを見つめるだけ。映画の前半は、思春期の友情とも同性愛ともつかぬ感情の芽生えを、繊細に描写されます。
そして2人の友情に決定的な別れが訪れるのです。
心理学の世界で「close friendship」と呼ばれる、友情とも、愛情ともつかない少年同士の親密な感情が題材となっています。
デビュー作「Girl/ガール」で、バレリーナを目指すトランスジェンダーの少年の痛みを切なく描いたルーカス・ドン監督は、再び少年の複雑な内面に迫ります。ほとんどの場面がクローズショットで、カメラはレオと、レオが見ているものだけを映してゆくのです。レオからすれば、自分の態度や振る舞いは周囲にどう見えるのか。世間の目を気にして、社会規範からの逸脱におびえています。一方で、レミが気にかかり、その姿を無意識に目で追いかけてしまうのです。
もう一つは作者の目。物語には、アンジェロ・タイセンスと共同で脚本を手がけたドン監督の少年期の体験も反映されているそうです。大人になったレオの目とも言えるかもしれませんが、過去に失ったものをしのび、いとおしむ。そんな気配を感じさせてくれました。
映画の途中であっと驚く秘密が明かされるわけではありません。観客は家族ぐるみで付き合っているレオとレミの親密さ、関係がぎくしゃくしていく過程を全て目の当たりにしたうえで、取り返しのつかない悲劇的な状況に陥ったレオの感情に同化することになります。大人の私たちも、楽しいことだけではなかった“あの頃”の不安や孤立感が脳裏によみがえるのです。
2人が自転車に乗って登校する場面が何度か出てきます。最初は明るい陽光の中、2人は幸福感と一体感に包まれて疾走しています。しかし学校での出来事の後、硬い表情の2人は目を合わせず前方をにらんだまま。どちらの場面もセリフはなく同じ構図なのに、気まずさと戸惑いが痛いほど伝わってくるのでした。
やがて悲劇が起きて、レオは取り残されてしまいます。何が起きたのか、映画はやはり、はっきりと示しません。レオの表情と生活の断片がつなげられ、観客はそのはざまを埋めるべく想像と思索を促されるのです。
そんな状況の説明も前後の経緯も描かず瞬間だけを切り取って、本作はそこにあふれる情感をみずみずしくすくい取っていきます。
舞台はのどかな田園地帯。レオの心象を自然の風景に仮託した映像美に息をのみました。レオの実家は花卉農家。花畑が見せる季節の移り変わりは無常観を表し、慣れ親しんだ関係や価値観の崩壊も予感させるのです。花畑を駆け抜ける少年たちと並走する移動ショットのえも言われぬ美しさ。「Girl/ガール」に続いてフランク・バン・デン・エーデン撮影監督が撮った映像美が際立っています。でもただ美しいだけではありませんでした。 前半の赤い壁の自分の部屋でオーボエを吹くレミと、「お前のマネジャーとして大金を稼ぐ」というレオ。悲劇の影もない2人を、金色がかった自然光で柔らかく撮られていました。
対照的なのは、硬く冷たい人工の光で照らされた夜のスケートリンク。レオが、通路に見えたレミの母親に近寄って手すりにつかまるバストアップ。レミの母親ソフィー(エミリー・ドゥケンヌ)がリンクに向けた目を戻し「会えてうれしい」と、レオがきつい角度で切り返しを重ねます。2人ともレミの話を避け、対話感が出ないポジションの妙。ぎこちなさに、巧みさが見えました。演じている感じなのです。
レミや母親のソフィの感情表現も抑制的。過度な感傷を排し、淡々と長回しで台詞もなく描かれていく演出でも、それぞれの煩慮が痛いほど伝わってきました。
エアポケットのような虚脱を経て、再生への希望もにじみます。レオの再生のキーパーソンとなるソフィを演じたエミリー・ドゥケンヌの助演が光っていました。ふたりが奏でるラストシーンは、きっと涙がこみ上げてくることでしょう。
ところで、本作ではレオとレミ役の男の子の演技が抜群。これはひとえに監督の演技指導といいますか、信頼関係がしっかり築けている証しなのかもしれません。
しかも驚きなのが、2人とも演技は初経験であるとか。とにかく自然な演技+透明感が圧倒的です。わたしはふと一連の是枝作品に登場する素人の子役たちの自然な演技を連想しました。
演技に見えない演技とでもいうべきか、余計なことは考えずに素直に心で演じている感じなのです。口にするのは簡単ですが、なかなかどうして根気が必要な作業ですから容易ではなかったと思います。
最後に、ひと言。前に進むために、人は忘却の機能を備えていますが、大人になって、思い出したくないことでも、ふとよみがえってくることがあります。そんな心の澱を洗い流す物語です。
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