CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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あの頃の自分と目があった
なんとも切ない、心が締め付けられる映画でした。
街の風景と少年達の美しさが相待ってより胸を締め付けられる映画でした。
レオとレミを見ていると、誰もがそういう経験をしてるんじゃないかと思いますし、自分もそう言う経験があるし、レオの気持ちもわかるし、レミの気持ちも痛い程わかります。
しかしよくよく考えてみるとレオ側になった記憶はあまり鮮明ではないが、レミ側になった時の気持ちは今でも覚えて覚えているし、あの時は学校と言う社会しかなかったので本当に苦しかった記憶があります。
もちろん、年をとって部活など、会う人が変わっていくと、距離が変わるのは当たり前な事ではあるのですが、
二人だった世界から急に学校という世界に変わって、心が追いつかない気持ちが二人の眼差しからより伝わりより切なさを感じました。
あの時代特有のなんとも言葉に変え難い気持ちなどを、レオとレミを演じた二人から言葉にせずとも伝わってきて、あの時の昔の自分が頭に出てきてより苦しくなりました。
当たり前ですが、人によって感じ方は違うし、傷つけるつもりがなくって言った一言で傷つける事はあるし、ちょとした些細な事が、誰かに取っては大事な事だったり、今ならなんとも思わない事が、あの時代なら物凄く傷つく事もあるし、人間の残酷さや、人の気持ちの残酷を感じたりしました。
あと何でも人は自分の知らない物や見た事ない事をかってにいままであるものに方にはめがちですが、それもきよつけなくてはと思いました。
映画はレオの視点で描かれているので、レミの視点で描かれたり、レミの母親の視点で描かれていたらまた違うとは思いますが、最後にレオが後ろを見て走るシーンを見てそれでも、生きていくとレオは思ったのかなと自分は感じました。
長々とすいません。読んでくれた方がいればありがとう。
映画見たあとお腹が空いたので、二人が仲が良かった頃に食べていたパスタを食べたくなりましたが、二人がやっていた食べ方はできませんでしたが、満腹で家路につきました。
少年時代の投影!! 親密だった2人の少年にできたこころの溝 閉ざされた心が開いていくまで
を描いたストーリーでした。
13歳のレオとレミは、兄弟のようなフレンドシップ、友情で結ばれた2人に見えました。
しかし、同級生の揶揄するような言葉から
些細なことでレオとレミがケンカをしてしまいました。
今までもこれからもずっと近くにいてくれる
存在だと思われたレミが居なくなった!
レオはアイスホッケーに力を注いで、距離を置いていたけどレミのことを純粋に好きでいた
少年の心の美しさ、喪失感、生命の儚さを
感じました。
レミを死に追いやったのは自分なのだと
レオの悔やまれる感情が機微に表現されていました。大事な人が亡くなり、レミの母親に
面影を感じる姿がありました。
ベルギーの花を摘むシーン。
色とりどりの咲く花に囲まれるシーン。
悲しいときは泣いてもいいと言ってくれた
家族の深い愛を感じました。
レジリエンス、自然の中で強く生きていく
立ち直る力が感じられるストーリーでした。
タイトルなし
曖昧な関係性の脆さと鮮烈さ
この関係性に身に覚えのあるセクシャリティの自分からしたら、美化しすぎなんじゃないかと思う瞬間や要素も結構あった。そして、会いたいという感情をあの年齢で相手にしっかり伝えることただそれだけのことが本当にどれほど幸福なことか。
やっぱり、自分はレオが踏み出した一歩を成長とも適応ともまだ言い換えたくない。
曖昧な関係性を曖昧なまま余白を残して表現してくれた製作陣に感謝します。絶対見なければいけないと感じる映画が今年は多く、本作品も劇場でまた見に行ってからもっと色々考えて文章にしてみたいと思います。
思春期は言葉にならない感情との闘い
保護猫の兄弟みたいな絶対切り離せない関係の二人が、思春期の集団の中に入ったことで、自分たちだけの世界から、それを外から見るとどう見えるのかを知ることになる。
一方の成長のスピードにもう一方がついていけなかったのかな。
気持ちが言葉に追いつかない日々。
折れたのは腕じゃなくて心。
会いたい、の一言がこんなに沁みるとは。
もっと年齢がいって、レオが持った複雑な気持ちを言葉にできて、レミが納得がいくだけの説明ができたなら結果は変わったのだろうけど。
思春期の入り口付近はまだまだ大人になるまでの第一脱皮段階みたいなもので、全部が未発達だから、気持ちなんていう不確かで目に見えないものを相手に伝わる言葉で表現するなんてなかなか出来ないよな。
何も言わなくても伝わる仲だったのに、片方がもしかしたらこれは他人から見たらおかしいことなのかもしれない、という思春期にありがちな揺らぎを持ったことによって二人は固く結ばれていた心のバランスを崩してしまった。
子猫みたいにくっついて寝て、繊細なレミが不安になったら文学的なアヒルの例えで寝かしつけしてくれて。一人っ子で両親から惜しみなく愛をもらって大事大事に育てられてたレミにとって、レオは間違いなく血より濃い相棒だったと思う。
二人でいて完璧に楽しかった世界から、一歩外へレオが踏み出してしまったけど、レミはその先に一緒に行けなかった。
だって彼はまだその先に興味もないし、二人の関係に疑問も不安もなかったから。
多分裏切りに近い衝撃があっただろうなと思う。
けどレオが外に一歩踏み出したそれは、間違いなく人として誰もが成長の通過点で経験することで、特別なことじゃない。それが皆んなわかっているから、観ている方も余計に辛いのだ。
泣く準備はして観た映画だけども。
彼らの言葉にならない感情が、本当に辛い時、しんどい時は涙すら出ない気持ちが沁みてくる。演者が悲痛に演じながらも泣いてない場面でも、観ているこちらは涙が止まらん。
アフタートークで奥浜レイラさんが、この映画は社会がどういう規範をもって、子どもたちへどのように影響を与えていくのか、という話でもあるのでは、というようなことを仰っていたけど、本当そうだなと納得した。
子どもの世界から学ぶことは多い。
大人の世界と必ず繋がっているからだ。
あの頃の気持ちだけじゃなく、今、子どもたちとどう関わるべきかも今一度考え直す素晴らしい作品だった。
無邪気と残酷
(オンライン試写会は内容にネタバレがなくても一律ネタバレ扱い)
今年184本目(合計835本目/今月(2023年6月度)9本目)。
fanvoiceさまのご厚意で、40日ほど早くみることができました。
まだ12~13歳という、子供か大人への入り口か…という微妙な年ごろの少年2人と、その2人に起きた出来事に焦点があたっている映画です。
当然のごとく、日本においても本国(フランス。一部はオランダ、ベルギーでも取られている模様)においても、12歳くらいの子であれば、仮に同姓であっても、それは「付き合う」とか「恋愛」であるとかという概念は薄いものです。「しいてあげるなら」程度にすぎません。それこそ幼稚園(保育園)の時から友達だった、というような背景がプラスされれば、この年頃であれば、十分にあっておかしくないのです。
しかし、今現在、日本も含めて一般的に「恋愛」の対象であるとこの「一般的な恋愛」以外のものは何かと軽視されたり、また当事者(この場合は、周りの子も同じ年ごろ)にも悪意(積極的悪害)がなくてもそのように、「男の子どうしで付き合っているの?」というような発言は、悪意(積極的悪害)がなくても生じうるものです。
全般的にストーリーの展開がゆっくりかつ、会話が少ないパートと多いパートの差が激しいため、ちょっとでも見逃すと(オンライン試写会では巻き戻しはできますが)、あれれ?という展開の読めなさが(実際の放映では)起こりうるのかな…というところです。
いわゆるクィア映画のタイプと考えられるところ、LGBTQを語るときの当事者の恋愛をナチュラルに表現するときに close friendship (密接な友情)と言い換える(このように「言い換える」ことが妥当かどうかはさておき)文化が海外には存在し、このタイトルの close もここからきているのではないのかな…というところです。
採点上においては、フランス映画ということもあり、一般的には余韻を残したタイプのストーリーが好まれるところ、この映画は上記のようなテーマを扱い(ただし、言われれば気が付く程度)、かつ、ラストも余韻を残す(どこまでのLGBTQ論を展開するかで、解釈も複数取れそう)ストーリーとなっており、特に減点するまで気が付いた点はないので、フルスコアにしています。
本当に特別な映画だと思います。
日差しの中、花畑をのびのび駆け回って、あたたかく寄り添っていたレオとレミの心が、次第に張りつめていく様子が、とても演技には思えなくて見ているのが辛かったです。
レオはまるで自分自身を罰するように肉体的にも自分を追いつめて、彼の心が今この瞬間にも破れてしまうのではないかと、映画を見ている間ずっと胸が苦しかった。
でも、私はラストシーンのレオの力強い眼差しに、希望を感じました。タイトルのcloseはいろんな意味が考えられますが、うまく言えませんが『大丈夫だよ、レミはそばにいるよ』って気持ちで、私はこの映画のことを覚えていたいなと思いました。
インタビュー記事で、監督はレオ役のEdenを電車の中でスカウトしたと言っていました。
音楽を聞いていた監督のそばにEdenが座っていて、話し声は聞こえないけど、友だちと話している彼の表情の動きを見て『今彼に声をかけなければ、きっと後悔する』と思いアプローチしたそうです。
このふたりの出会いや、ロケ地や陽の光や、すべてがこの映画を特別なものにしているんだな…と、しみじみ思わされました。
※追記
最初に考えていたタイトルは『CLOSE 』ではなく、Walt Whitman の詩と David Hockney の絵からとって、『We Two Boys Together Clinging』にしようと考えていたそうです。
ちょうどこの映画が上映される時期に、東京都現代美術館でDavid Hockney 展が開かれると知ったので、追記しました(^^)
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