CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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始まりは何時も突然。その終わりはあまりに悲しい
『是枝裕和』の〔怪物〕でも取り上げられた世界観。
とは言え、両者に通底するものを以って「LGBTQ+」の物語りと
単純にカテゴライズしたくはない。
十三歳の『レオ(エデン・ダンブリン)』と『レミ(グスタフ・ドゥ・ワエル)』は
兄弟のように育った二人。
始終二人で居ることが当たり前過ぎて、
疑問に感じる余地もない。
加えて、日頃の暮らしでも
スキンシップが濃密な国との背景。
実際に、主人公とその兄は
心に不安があれば一つベッドで寝るし、
肩を抱いて慰めることも。
それが、血が繋がっていないだけで
蔑視の対象になるのは何故か。
疑念を投げ掛けた側にも
どこまでの悪意があったろうか。
無邪気な疑問の発露かもしれず、
或いは、仲の良い二人を嫉んだだけの可能性も。
とは言え、そのことが要因で、
知己の間にヒビが入る。
最初は些細な隙間だったものが、
次第に大きな亀裂となって行く。
しかも、それは一方的に起こり、
された方は突然に距離を置かれたことに混乱し、
修復しようと試み、叶わぬと判れば怒りが募る。
そして悲劇は起きる。
煌めく陽光の中での二人の記憶は
切ない過去へと変わってしまう。
二度と楽しかった日々が戻って来ることはない。
理由も判らず残された側は
原因を探し、且つ自分を責める。
実際は他に要因があったかもしれず、
本当のことはもはや誰にも分らない。
ただ喪失の痛みだけが、永遠に続く。
幼少期にはありがちな幾つもの感情と、
心の揺らぎを瑞々しく、丁寧に掬いあげた一本との評価。
そして演じた二人の子役の演技が
あまりにも素晴らし過ぎることも印象に残る。
一人ひとりの心情やその変化をじっとりと、丁寧に伝えていた映画
2人の少年と花々の風景がとことん美しい。
一つ一つの映像がどのシーンを切り取っても絵画のように美しくて、2人の時間がいかに尊かったのかを実感させられる。
前半は自分の思春期を思い出すエモい青春映画。中学校の感じは、自分の中学生時代を思い出して胸がぎゅーっとなった。
後半からは、大切な人との永遠の別れと後悔という重い展開。
みな多くは語らず、大声を出すことも少ない。小さな表情や会話の間で伝えてくる。優しい大人たちとの触れ合いを積み重ねて少しずつ感情を表出し、前を向く主人公。演技や伝え方に、なんとなく『ドライブマイカー』を少し思いだした。肌の質感や温度までじっとり伝わってくるあたり、邦画っぽさがあった。
大人たちはみんな優しくて温かく、でも子ども目線でみても人間くささが滲み出ていたりして、よかった。
観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 13歳、児童とはもう言えず思春期には少し早い、無意識の残酷さを残したまま、でも成長は止まらず外界の一切を吸収しながらも最も傷つきやすい年頃。外界を見つめ内面を映すレオの瞳。
①自分の小学校から中学校に上がった時を思い出した。
レミのような大親友はいなかったけれども、小学校からの友達との付き合いは続いたけれど新しい環境になれることを優先した日々。
②12歳までは二人の世界が世界の全てだったのに、13歳ではじめて自分達が人の目にどう写るか嫌でも意識させられるようになるレオとレミ。
私もそうだった。狭い地域に住む友達達との日々が世界の全てだったのに、中学に上がってもっと広い地域の子達に混じって自分の居場所を作っていかねばならない。
ある意味はじめて“社会”というものに触れて意識し始める年頃。
③二人で一緒にいるのは二人にとってとても自然なことだったのに、“(少年少女の)社会”では「付き合っているの?」だの「いつも一緒にいる」だの揶揄される。
子供は残酷だから思ったまま言葉にする(大人になると思ってても言わないけど)。
レミは特に“オンナオトコ”等と呼ばれたから余計意識してしまう(私も全く同じ経験あり)。
“社会”に適応しようとするレオ。相変わらず自然体のレミ。
次第にギクシャクし出す二人の関係。これも思春期の入り口や思春期ではよく有ることだけど…
昔からの友達が新しい友達とつるむようになって自分が置き去りにされたような寂しさ、悲しさ。
今まで此方を向いていてくれたのに次第に向いてくれなくなる時の喪失感や寂廖感、孤独。
最も感じやすい年頃、最も傷つきやすい年頃だからこその苦しみ。
登校時先に行かれたレミが涙を流しはじめてレオにくってかかった時の気持ちもよく分かる。
でもあそこまで追い詰められていたとは。そこまで傷ついていたとは。
※最初にこの映画の概要をおぼろ気に知った時、少年版『噂の二人』?と思ったけれども、パルム・クィアにもノミネートされたところをみるとやはりうっすらとではあるがそういう要素を忍び込ませていたようだ。
④レオもそこまでは思い及ばなかったしレオに罪があるわけではない。
でも罪の意識が芽生えてしまったらもう抑えることは出来ない。
でも言えない。苦しい。そこまで苦しむことはないのに、と大人になった自分は思うのだが、それは自分が大人になってしまったから。
苦しいし怖い。
そこはやはりまだ子供だ。
勇気をふるってソフィに告白するが、怒ったソフィに危害を加えられるかと身を守る為に棒を振り上げるレオ。
しかしソフィとて真相を知ってもレオを傷つけられる筈はない。
レオも十分苦しんだと分かるから。
二人の抱擁は感動的だがそれがハッピーエンドではない。
頭では許していてもやはりレオが近くにいれば心穏やかにはなれないからだろう、引っ越していったレミの家族。
⑤何かを永遠に失くしてしまった13の年。
私達も忘れてしまっただけで何かを失くしてしまっているのかもしれない。いや、みんなそうなのだろう。
ラストのレオの視線がそう語っているように思えた。
レオ役のエデン・ダンプリンは大したものだと思う。監督の手腕とは云え、映画を一人でひっばっている。
追記:レオとソフィの抱擁のシーンは泣かなかったけれど、レオとレミの家族が食卓を囲んだシーンでレミの父親が泣き出した時にはもらい泣きしました。
大人であること
同監督の前作は観られていないのだが、子供の日々少しずつ変化する微妙な表情や行動を捉えるのが上手いな、という印象。
子供っていつも同じようでいながら毎日毎日少しずつ変わっていく。そうした変化の中で、周りからのほんの一言によって二人の関係も変化してゆく。
そして少年時代の終わりとしての花の季節の終わり。非常に上手い。風景や天候に雄弁に状況を語らせる。
そして予期せぬ事件。あの年代特有の危うさにふと思い当たったり…
フランス映画を観ていつも気付かされるのは、大人が過度に大人であることを求められず、個人のままでいることを許されている、ということ。レミの母もすべてを理解する大人でなくても良いのだ、ということの救いと残酷さ。
最近の日本映画のように一方的に大人であることを良しとはしないのだ…
切ない・・・
花が綺麗
仲良し男友達の
レミとレオ
思春期特有のやつ
付き合っているんじゃないかと
周りにからかわれて
レオが距離を取り始める
レミが急に亡くなり
レオが自分が原因だと思い
家業の手伝い
アイスホッケーに打ち込んでいく
レミの家族とも真正面から話せずに
ようやくレミの母親に心の内を話せたが、、、
レミは依存しすぎなのかなと思ったり
あんなにベタベタな男友達あんまりみないなぁ
レオとレオ兄も仲良くて
それが
レオとレミの原型だったのか
レミは一人っ子みたいだし
レオは本当に親友で兄弟みたいな
しかもレミはレオからそうゆうもんだと教わっていたのかも、レオが無意識にそうゆう関係を築いたのかも
かも
かもだらけ笑
目の前の友人を大事にしていきたい
そんな映画🎞️
観ていて揺さぶられまくった
とにかく美少年の表現力が凄い映画!
この重苦しい気持ちをどうしたらよいのか
現実と地続きの物語にしか感じることができず、心の整理がつかない。レオとレミの表情や仕草は、思春期の自然な反応としか思えないし、両親や兄弟は、本物の家族でないとできない複雑な感情を見せる。
実話を追体験している感覚に陥って、終始、胸が締め付けられる。
是枝監督の『怪物』とテーマは重なるが、『CLOSE』の方が愛情と友情の境目が少ない。レオもレミも愛情に関しては無自覚というか、恋愛に発展しなかった可能性もある。そんな仲の良い2人を、思春期の同級生が放っておくはずもなく、からかいの対象になってしまう。
バラ農園の中を駆ける2人のシーンとか、レオが雨に打たれて歩くシーンとか、見とれるような美しいショットが数多くスクリーンに映し出される。その美しさと裏腹に、2人やその家族の心情を思うと心が晴れることはない。
この重苦しい気持ちをいったいどうしたらよいのか。
お腹空いてない
森を彷徨うレオをレミの母が追うシーン,我が子の死の引き金になった忌むべき者であると同時にまさにその我が子にとってかけがえのなかった者を抱擁する彼女の行動が胸に突き刺さる。
中一男子といえば恋愛感情とか友情とか夢セイみたいな心身ともに湧き出るようなリビドーを持て余すわけだけれども,誰かの何気ない言動(多くは悪気のない)がそれを本人が思ってもいない方へこぼれさせてしまう。このこぼし方をしくじると自己肯定感を失う。本当にガラスの世代なのだと再認識させられる。
冒頭、花畑を駆けるシーンから否応無しに「怪物」を思い出して時々フラッシュバックしてしまった。どちらの結末がより希望を抱かせてくれただろう?
二人の距離感の描写はいい
少年二人の距離感の描写は繊細で丁寧に描かれている。
けど自殺(明確には描かれていないが)はどうだろう?思春期の些細なすれ違いを描くのに、死はどうも安直に感じてしまう。そもそも死ぬほどの心情だったのだろうか?相手の存在が生きるのにかけがえにないものには見えないのだが。
友達はでき、去っていく。
友達がささいなことで離れていくのはよくある話で、そこの微妙な距離感こそが青春のせつなさや残酷さにつながると思う。しかし死はどうもテーマを外してしまう気がする。
ゆえに後半のドラマが悲しむだけの単調な流れに感じる。
死んだ友の母に告白する流れも、どうも蛇足というか。あくまで二人だけの、二人にしかあの時間に共有できない感覚というか。
子供たちは好演だった。
レオの悲しみ
予告編でストーリーは想像できました。でも役者も映像も想像以上でした。レオの悲しみは彼にしか分からない。そして彼はそれを抱えたまま、その感情をどのように自分の中に収めれば良いか分からない。だから彼は涙を流せないし、流さない。兄に溢れるように打ち明ける告白。ただ、親友に会いたい、でも会えない。その喪失と自身の行動への後悔と怒り。そして彼は涙する。胸がいっぱいになりました。レミの両親は家を移り、レオの悲しみはレミと過ごしたその家に封印される。レオはこれからの人生、人をどこまで純粋な心で受け入れることができるだろうか。そんなことを思いました。レオと兄との寝室のシーンを私はこれからも忘れることはないだろうと思いました。
反復でみせる隙間風
隣りの女性が終盤からずっと泣いていた。そんな繊細な映画でありつつ、とにかくドキッとするほどの美少年がこっちを見つめる。出演しているどの女の子より美しい。そんな仲良しの少年同士のお話。ただ、思ったよりエモーションに来ないのは、キモの部分をあまり描かないから。2人だけの楽園に邪魔(学校生活)が入るとメリメリっと関係に隙間風が忍び込んで、予想もしない亀裂となる。展開はとにかく日常の繰り返しを繰り返して見せて(特にオープニングとラスト)、2人だったものが1人に変わった世界、そしてその1人が消えると行くあてない世界が広がってしまうことを映す。削ぎ落とした中で見せる寂寥感。そして見せないことで引っ張る少年の罪。美しさと残酷さと、そんなわけで失った者を反復で見せる映画でした。
思春期の儚さ、危うさ、残酷さをここまで美しく描けるものとは
皆背負って生きていく
泣きたい訳ではないのに・・
自然に涙がでてくる
ほぼレオの心情を描いている
大好きな友(レミ)を失くした時
レオの表情は
涙を一切見せなかった…が
腕を怪我した時痛くて泣いた
(心がボロボロになってた)
レミの母親に自分のせいかもしれない
と話した時に大粒の涙を流した
…辛かっただろうね…レオくん
レミ本人、家族も
そしてレオの家族も。
怪我が治ってギプスを外した後
…彼の顔の表情が軽やかにみえた
レオくん役の男の子の目が
…素晴らしく見事なまでの表情です
重いストーリー。二人の少年の演技は見事
話題のCLOSEを観たが、二人の少年レオとレミの演技は素晴らしかった。ここは良かったが、ストーリーは考えさせられる内容だが、重たいストーリー。好みは分かれるだろう。もう少し、最後は希望を持たせても良かったのでは。先月公開の怪物でも二人の少年がポイントになっているだけに比較も面白い。気になったのはレミは結局どうなったの?観客に想像してほしいのだろうか?ここははっきりさせてほしい。可もなく不可もない作品。
重たい
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