エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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作りが安っぽく下品だが、米国映画伝統の家族愛を新しい方法論で描いた、目新しく巧妙でチャレンジングな映画
ダニエル・クワン及びダニエル・シャイナート脚本・監督による2022年製作(139分)のアメリカ映画。原題:Everything Everywhere All at Once、配給:ギャガ。
7つのアカデミー賞獲得ということで、見に行ったのだが、作りの安っぽさにビックリ。実際米国映画としては低予算で、約2,000万ドル前後だったらしい。お尻に棒状のものが突き刺さるネタ?も、下品でしつこくて笑えない。ただ、SF映画にしてカンフー映画、アジア系移民映画であり家族再生の映画と、今までで見たことの無い新しいタイプの映画で、新鮮さは確かに感じた。
俳優たちの演技は良かった。特に、頼りない夫、カンフーで敵を薙ぎ倒す強い夫、文化人で知的な夫、優しさの塊の様で実は頼りになる夫を、それぞれ演じ分けたキー・ホイ・クァン演技は素晴らしく、圧倒された。そして、反抗期の娘、暴虐な支配者の娘、絶望して消えようとしている娘、を演じたステファニー・スーにも感心させられた。
マルチバースの他のバースにおいて、主人公の中国系おばさんエヴリン(ミシェル・ヨー)は、大映画スター(実際のミシェル・ヨー自身)、カンフーの達人、歌手、コック、指がソーセージの世界、石になってしまう世界など、様々な姿・世界が示される。ただ、展開が慌ただしすぎて、ついて行けずに置いていかれた感はあった。登場する映像は幾つかの映画のパロディらしいが、「2001年宇宙の旅」以外は分からなかったし、他のバースで得た能力が原世界に持ち込める設定も気付けなかった。
マルチバースの支配者ジョブ・トゥパキが、実は自分の娘という設定は上手いと感じた。最後の、娘の理解と娘への愛情表現がセットで初めて和解できたとの展開が巧妙で、子供がいる親としてはかなり胸を打った。
更に、主人公がマルチバースを行き来する闘いの中で、夫の思い遣る姿勢の素晴らしさに気がつき、自分もそれを取り入れて、戦いではなく相手と愛情を持って対話していく展開は、とても良いなと思った。東洋的知恵への開眼(おでこに貼られた目玉が象徴か)というか、家族を中国系とした意味がそこに読み取れた。生きるか死ぬかの戦いが大好きなハリウッド映画の伝統にに異議を唱え、もしかすると敵国とただ熾烈に争うことが基本方針にも思える米国の権力者達にNOを突きつけたのだろうか?
映画全体として、米国映画伝統の家族愛を新しい方法論で描いた、目新しく巧妙でチャレンジングな映画であると感じた。とても感心させられ、心も動かされたが、必ずしも深い感動は覚えなかった。監督及び脚本のダニエル・クワン及びダニエル・シャイナートは1987/1988年生まれと、とても若い。作りの安っぽさや下品さ等、自分の好みではない部分もある。しかし、こういった若い新たな才能の登場を歓迎して、おそらく欠点には目を瞑り、その挑戦的な新しいものが有る作品にアカデミー賞を与える米国社会を、とても羨ましいと感じた。
監督ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート、製作ジョー・ルッソ、アンソニー・ルッソ、マイク・ラロッカ、 ダニエル・クワン、 ダニエル・シャイナート、 ジョナサン・ワン、
製作総指揮ティム・ヘディントン、 テレサ・スティール・ペイジ 、トッド・マクラス、 ジョシュ・ラドニック、 ミシェル・ヨー、脚本ダニエル・クワン、 ダニエル・シャイナート、撮影ラーキン・サイプル、美術ジェイソン・キスバーデイ、衣装シャーリー・クラタ、編集
ポール・ロジャース、音楽サン・ラックス、音楽監修ローレン・マリー・ミカス、 ブルース・ギルバート、視覚効果監修ザック・ストルツ。
出演
ミシェル・ヨーエヴリン・ワン、ステファニー・スージョイ・ワン/ジョブ・トゥパキ、キー・ホイ・クァンウェイモンド・ワン、ジェニー・スレイトビッグ・ノーズ、ハリー・シャム・Jr.チャド、ジェームズ・ホンゴンゴン(エヴリンの父親)、ジェイミー・リー・カーティスディアドラ・ボーベアドラ(IRSの監察官)、タリー・メデルベッキー・スリガー(ジョイの女性の恋人)、アンディ・リー、ブライアン・リー、
お金をじゃぶじゃぶ使った割に
ミシェルヨーは、めっちゃカッコよかった。良い女優さんなんだと知れた。
それで星一個つけた。
ただ、前半はリアルにつまらなすぎてアクビの連続。
突飛なことをすればするほど、かけ離れた自分を見つけることができるってことなんかな??
その発想がありきたりすぎて面白くなかった。
笑いにも程遠いし。
・・・・なんか監督のやりたい事はすごい伝わるし、最後までブレてないって点は、賞を取れる素養という事なのかもしれないけど、自分には合わなかった。
走馬灯の様に
独特な世界観の連続。
いろんな世界、それぞれの感情の中で家族とは、自己を肯定する事の大事さを1人の女性を通し有りとあらゆる自分を見ることで、何が1番大切なものなのかを描く。
連続した場面と世界観といったいろんなものが走馬灯の様に切り替えられ、観てる者の頭ははちゃめちゃになるんだけど、その中心には家族を想う1人の女性と、その家族愛を描ききってる。
アカデミー賞発表の前に観ていたらどうだったのだろう
昨日映画館に行った後に「これはしまった。アカデミー賞発表の前に観れば良かった」と思った。鑑賞中も、何だかその評価が頭から離れずに完全に没頭できなかった。
全体としては私の中で「破滅的表現」というジャンルに分けられる映画で、特に好きなのは「カンフーハッスル」と「マッドマックス 怒りのデスロード」。ただこれらもハチャメチャな中に、どこか芯の通った映像的な美学がある。しかしこの映画はそのあたりが少し苦しい、というかあまり好きではない部分がある。
アカデミー賞受賞作品に対して偉そうにいうと、もう少し丁寧な映像表現やモチーフで支離滅裂な世界を描けなかったのかという気持ち。お下品でもよいし、場面がガチャガチャしていてもいい。けれども、ちょっと安っぽくないだろうか。それが狙いだとしても。
ちなみに、おじいちゃんは広東語と標準語少し、お母さんは標準語と英語、娘は英語だけを話すことができて、おじいちゃんと孫はうまくコミュニケーションがとれないという、中国三世代家族あるあるを表現しているのは良かったです。これらの言語をもう少し理解できていると、もう少し深みを感じたのかもしれません。
アカデミー賞発表前だったら、自分の評価は3.0だっただろうか、それとも4.0だっただろうか。映画を鑑賞するタイミングって大事ですね。
ベーグルウーマン
EVERYTHING EVERYWHERE ALL AT ONCE
いきなり、領収書でいっぱいのダイニングテーブルが映し出される。ついでにその周辺も恣意的なほどにやたらごちゃごちゃしている。きっとここがこの映画が展開する、まさにその机上なんだろうなと思った。その様子をchaosと呼ぶにはあまりに軽率だが、単にmessed upと呼ぶには物足りない。私は2時間半もの間、とにかく瞳に飛び込んでくる情報をひたすら咀嚼もできず飲み込むことしかできなかった。
映像の情報量とその目まぐるしい物語の展開速度は、子供がおもちゃ箱をひっくり返した瞬間が連綿と続いているみたいであり、熱出てる時に見る夢みたいでもあった。ないしは壊れたジェットコースターみたいな。しかもそれがマルチバースでall at onceに起きるので少しでも気を抜いたら置いていかれそうになる。もはや映画というよりアトラクション。だってちょっと酔ったもん。
何の説明もなくどんどん進んでいく映画が好きで、EEAAOもまさにそんな映画だったんですよ。何の説明もなく、さもそれがこの世界では当然と言わんばかりに物語が進んでいっちゃって、気づいたら終わってた、みたいな。でもそうやって、あえてこの現実世界と差別化をしないことで、あくまで地続きの世界での出来事なんですよ、と無言で説明しているに過ぎないというか。だからきっとジョブ・トゥパキって私たちの心の中にも潜んでるものなんだろうな、って思えるわけです。
芸術的な要素も多くて、この映画を楽しめる人はきっと一つの物事を多元的に捉えられる人たちでしょうね。そもそもこの映画が多元宇宙を舞台にしている時点で、狭い視野で太刀打ちできるものではないと思いました。想像力というよりは、常識を捨てる力が必要。こういう映画を見るたびに「『普通』なんてあって無いようなものだな」と思わされる。この映画における、何本もの軸が幾重にも交差してどこかで繋がっている多元宇宙の存在を示す表現は、この現実世界が個々の視野の範囲内だけで完結するものではなく、思いもよらないあらゆる要素が繋がりあって均衡を保っているからこそ成立しているものなのだということを、多角的に表現していたのだと思います。そうやって固定観念とかの、自分を縛り付けているものを捨ててみたら、今より少し豊かな自分になれると思いませんか?なれると思います。私は。
ちっぽけな喩えで申し訳ないのですが、きっと私がいま東京で暮らしているのも、これまでの人生で様々な選択をしてきたからなのですよね。それと同時に排除してしまった可能性もたくさんあったわけで、それも全部ひっくるめて今を生きていると思えます。その中で他者との営みは絶えず続いていて、どれだけ世界が混沌としていても、他者と関わる上で大事にしたいものはいつでも変わらないな、というのもまた重要な事実です。先入観で相手を判断しないで、相手の本質を見ようとすること。外の世界に対して、無知であることを私たちは常に知っておくべきなんです。
件のウイルスの流行で世界はだいぶ混沌としちゃいましたよね。振り返ってみると、だからこそ人との関わり方も変化があったし、その中で気づけたこともたくさんあって、それが今に活かされていたりする気もします。宇宙って、今でも膨張し続けているらしいですよ。宇宙が膨張しているぐらいなのだから、私たち自身も、この世界も、長い目で見たら緩やかに変化していくんでしょうね。なんか、馬鹿馬鹿しいと思うこともやってみたら世界を揺るがす案外すごい力を発揮したりすんのかも。明日会社行ったら、用具室にいるのを想像して靴を左右履き替えてみますね。
命題は哲学、おまけとしてのマルチバース
まず、監督の手腕が凄いということをお伝えしたい。
本作は予告でも言われてる通りカオスな映画でコメディ強めでやりたい放題。前半マルチバースを使ったアクションやユーモアが次々に炸裂する。
しかし、これだけ時間を使ってごちゃごちゃやっておきながら、後半ちゃんと伝えたいメッセージまでゴリ押しでまとめ上げる脚本と監督の技術が凄い。カオスはカオスでも、全て計算されている巧妙に練られたカオスで、これだけズバ抜けた作品は今後出ることは当分ないだろう。
次に、カンフーアクションが凄い。
凄いと言ってもジョンウィック的なテクニックやかっこよさというより、アクションがこの作品を王道にのし上げている要素の一つになっているのが凄い。
おそらくマルチバースだけでは哲学的な映画となりうるし、キューブリック作品のような難解だからこそ名作とされているものに分類されてしまう。
しかし、アクションが充実していることで哲学的な要素はありつつも面白さが単純化されて、気軽に見ることができるところまで変化させている。
他の作品でいうところの『アベンジャーズ シビルウォー』が近いだろう。正義の行方という哲学的な命題がありつつもヒーローアクションものとしても楽しめるようになっている。
また観てみたいので星5.0とする。
余談にはなるが、アカデミー賞作品賞を受賞していることに対して、評価が分かれている。評価基準を疑う人も出てきているが、私はアカデミー賞の審査員に対する評価がグッと上がった。今までアカデミー賞作品賞は暗黙的に世界情勢に対する問いかけが必要な作品とばかり思っていたが、単純に面白い作品もノミネートされたことで、ちゃんと映画そのもののあり方を大きく捉えながらも良い作品を選んでいるのだと安心した。
バカバカしさで好き嫌いが分かれそう。
カンフーとマルチバース(並行宇宙)だけでなく、『リック・アンド・モーティ』などのいわゆる大人向けシュールコメディーカートゥーンに近いノリが全体に漂っているように感じました。
マルチバースから力を取り出すために突飛でバカバカしいことをやる必要がある、という設定が出てきた時点でこれはそういう作品なのだと理解しました。
カンフーやマルチバースの不思議な力を含んだアクション部分はとても素晴らしく見ごたえがあります。ストーリーは感動的な良い話でも無ければ、なにかすごい気付きがあるような話でもありません。そこに過度な期待はしないようにしましょう。
映倫の区分が「G」になっていますが、微妙に過激で下品な下ネタも出てくるので、子供連れやカップルで見に行くなら注意したほうが良いと思います。
NetflixなどのVODに入ったら次は自宅でゲラゲラ笑いながら鑑賞したいですね。
主人公の旦那さんのキャストをずっとジャッキーチェンだと思って見てましたが、似てるだけでぜんぜん違う人だと後から気づきました。
そろそろアジア人にアカデミー賞やっとくか
懐かしのキー・ホイ・クァンと素敵なミシェル・ヨーが見たくて見に行きました。約40年ぶりに観たキーは素晴らしかったです。マルチバースの自分をたくみに演じ分けており、アクションもかっこよく、全盛期のジャッキー・チェンを思わせます。こんな良い役者を「白人じゃない」と言うだけで起用しないなんて。アメリカ映画界は大変な間違いを犯しましたね(今も進行中?)、大いなる損失ですよ。アメリカにはこんな隠れた名優がたくさんいるんだろうな。切なくなります。
ストーリーは私には難解で、途中までやや退屈しながら、おもに映像を楽しんでいました。でも終盤に心打たれる展開が。退屈なパートはこの展開に繋げるための壮大な前置きだったんだなあ。でも英語字幕だったので細かいニュアンスがわからなかっただけかも。配信やレンタルで吹替版が登場したらまた見るつもりです。
面白かったし、こころ打たれました。でも人にお勧めするほどではないかな。キーやミシェルはすごくよかった。でもこの映画そのものは他のノミネート作より抜きん出ている感じはしません。なんとなく「ポリコレにうるさいし、そろそろアジア人にアカデミー賞やっとくか」と言う思惑があったように感じられてなりません。穿ちすぎかな。
ちゃんと話をすれば、人はわかり合える、というだけのことを癖強すぎに...
合わない映画
世界論、宇宙論、映画論
なんの前提もなく、ただアカデミーをとったという理由で見始めたのだった。
最初は、娯楽SFが、なぜアカデミーを取ったのかよくわからなかったのだが、
ここには「壮大な」物語が用意されていたのだった。
そしてこの壮大さとは、陳腐さと滑稽の裏返しであり、極めて矮小な世事のことでもあった。
あえて小賢しく言えば、
Everything Everywhere All at Onceの意味するのは、矛盾的総体の世界である。
これは時空を含めてのことなのだが、それをどのように描こうとするのかということだったのだろうか。
だから、いくら言葉を尽くしても言い表せないものがあるし、また世界がある。
それは、今を形成している重層的であり多層的な、これもまた無限な彼方にある可能性から現実化した今である。
それがEverything Everywhere All at Onceなのだ。
ありていに言えば
この現実化されている世界はモナドそのものだ。我々はなんら窓を持ってはいない。
だから、事柄の、出来事の繰り返しなど本来はないものであり、そこにただひたすらに道筋を作り合点したいと思うだけだ。
・・・などと・・
相当なものが盛り込まれていただけに、解釈もてんこ盛りになりそうだ。
おそらくは日常の「世界」はI have no story.と言えるようなものなのだろう。
Roman holidayのようなThere is no story.なのだ。
しかし、だからこそ、そこに描ける現実「世界」はまた「別様に実在する」世界だとも言える。それを相違させてくれる映画でもあった。
これはエイプリルフール作品だったのか!?
こちら第95回アカデミー賞において作品賞、主演女優賞ほか7部門も受賞したことでニュースになりまりましたね! ところがいざ作品が始まると、珍妙なストーリーと中途半端なカンフーが繰り広げられるという有様で、これでよくアカデミー賞をもらえたなぁと信じられませんでした・・・。いや鑑賞した日がエイプリルフールだっただけに・・・。
ストーリーは一昔前の日本の漫画やアニメに沢山あったパラレルワールド+スキル入手系の展開であるし、とある家庭の母と娘の確執が世界の命運を決めるというラノベによく採用されたセカイ系のプロットとなりこれで脚本賞いけるのかと逆に驚くほどです。
アクションシーンに関しては、ジェット・リーやドニー・イェンの作品と比べてしまうとほぼお遊戯に等しいですね。もしやパロディ的な狙いがあったのかもしれませんが、実はそこまで笑いもとれていないので意図がわかりません。
もっとクォリティ高い作品かと思っていたので、ちょっと辛口となってしまいスミマセン ○┓。
クレヨンしんちゃんの洋画版?
2023 46本目(劇場3作目)
ひとことReview!
このタイプの作品は、大傑作か糞映画に別れるのだが、今回はいい意味でこんがらがった大傑作。選択次第で、人生が大きく変わってしまう。『キングスマン』を彷彿させるカクカク感のアクション・シーンや、安っぽいインディーズ風な作りも野心的な驚異のマルチヴァース体験。
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