ロストケアのレビュー・感想・評価
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日本社会の重要な課題をえぐり出す
原作のミステリー要素は抑えめにして、早々に犯人が分かり、本作のテーマである介護問題をめぐる議論を深める方向に脚色していた。日本のこれからにとって非常に重要な、重苦しい問題を突き付けてくる。大量殺人の動機は、介護で犠牲になる人々を解放することだった。介護業界も人材不足、共働きせねば生きていけない世帯が増えるので、家族で介護するのも難しい。そもそも、子どもたちと別居している世帯が地方には多い。それでも家族の介護に関わっている者たちはギリギリで生きている。しかし、介護に時間を取られて満足に働けないし、体力的にも精神的にも追い詰められていく。殺人が救いになるなど、あってはいけないと思いたい。しかし、この現実から目を背けてもいけない。超高齢化社会の日本ではこれは全くの絵空事ではない。介護を受ける人の尊厳、介護する人の尊厳、どちらも守ることは社会にできるだろうか。様々なリソースが減少し続けるこの国が抱える深刻な課題を突き付ける優れた作品。
これを他人事だと言い切れる人が何人いる?
同じ介護士が働く訪問介護事務所の入居者の死亡率が突出していることから、1人の検事が事実の確認に着手する。やがて見えてくるのは、65歳以上の高齢者が人口全体の3割を占めるここ日本で、もはや国の政策や制度では賄い切れない厳しすぎる現実だ。
疑惑の介護士が言い放つ、常軌を逸しているようで、実は胸に突き刺さる一言に激昂し、否定する刑事の側も迷いがある。2人のやり取りを聞いていて、これを他人事だと言い切れる人がいったい何人いるだろうか?
介護問題と人間の尊厳が天秤にかけられ、危ういバランスを保っているこの国で、だからこそ、これは今、作られるべくして作られた映画。ここ数年、進境著しい松山ケンイチ(介護士)と長澤まさみ(検事)が共に渾身の演技で観客を映画の空間に引き込んでいく。その吸引力が半端ない。
社会派ドラマとサスペンスが絶妙のバランスで配分された必見作と言えるだろう。
表面的には白黒が付けやすいように思えるが、実は「正解」が極めて見えにくい。見ておきたい良作。
本作は、長澤まさみ×松山ケンイチという組み合わせの段階で魅力的です。
ただ、内容自体は、私たちにとって重大な様々な問いかけをしてきます。
私たちは自然と「見たいもの」と「見たくないもの」という分け方をすることで、できるだけ「見たくないもの」を逃避する傾向があります。
本作では、その後者に当たる「現実問題」を分かりやすく見せることで、私たちに「考えること」を促します。
ネタバレにならないように、本作に出てくるキーワードで「問題」を提示してみます。
本作では、「年金」「生活保護」「刑務所」というワードが出てきます。
例えば「(国民)年金の場合は、生活保護費よりも少ない場合がある。これは不公平ではないか。年金の保険料を払わない方が得だ」といった意見を見かけることがあります。
この論については、いろんな誤解があるのですが、ここでは解説するのではなく、次の問い掛けをしてみます。
「生活保護によって非常に限られたお金で苦しい生活をするくらいなら、自動的に毎日3食が食べられ雨風をしのげる住まいや医療も提供される刑務所に入っていた方が得だ」という考えはどうでしょうか?
実は、前者の論よりも後者の論の方が、「正解」が見えにくくもあるのです。
このように、普段は考えないような「社会問題」も、日本は「世界一の高齢大国」であるため、「介護」の問題は私たちが世代を問わず直面し得る極めて重要な「問題」なのです!
その「問題」においては、「連続殺人犯」vs「検事」という極めて分かりやすそうな構図であっても、正直なところ「どちらが本当に正しいのか?」と「正解」は非常に見えにくいのです。
これは、例えば今ロシアで刑務所にいる殺人犯が戦場に駆り出されていますが、その殺人犯が戦場で多くの敵を殺戮すれば、無罪放免になるどころか「英雄」になれる、といった「現実」もあることが象徴的です。
このように、環境によって「正解」が真逆となるのが「現実社会」でもあるのです。
以上の予備知識を踏まえた上で本作を見れば、様々な視点で考えられる「軸」のような映画となることでしょう。
本当の犯人は?
いつものように、予備知識ゼロで観られてラッキーでした。介護の話ということも知らなかったので、冒頭から「え、どういう話?」というところからぐいぐい興味をそそられました。まさに介護に奮闘中という個人的状況も相まって、登場人物らに共感しまくりでした。ミステリー仕立てということもあり、見せる順番がなかなか素晴らしかったと思います。意外と早い段階で「犯人」が明らかになって拍子抜けしましたが、そこから先が見所であり、今作の強い思いが強烈にほとばしっていて、心を揺さぶられました。本当の犯人は誰なのか、社会に突きつけられたように感じました。松山ケンイチ、長澤まさみの名演技、流石でした!エンドロールで前田哲監督だと知って、そこも知らずに観ていたので嬉しかったです。作品によって多少好みの違いはありますが、「極道めし」(11)、「老後の資金がありません!」(21)、「そして、バトンは渡された」(21)などと共に、今作も大好きな前田作品となりました。
誰かを救う事は自分を救う事と同義
見て見ぬふりはもう出来ない。
とても面白かった。
はじめに斯波と言う男が
いかに素晴らしい介護士かを描き、
謎解きはそこそこに一気に問題提起まで持って行く
脚本が素晴らしかった。
斯波がやった事は本当に悪ですか?
と言うことをこれでもかと見せてくる。
これはじゃあ嘱託殺人は良し、安楽死は良し
と言う事ではなく、
安心出来るところからただ見てるだけでなく、
この問題をじゃあどう解決しますか?
と言うものであって、
ラストももう少し先を見せてくれ
解決してくれと思ったけど、
ここで終わらせると言う事は、
各々ちゃんと考えないといけないよ?
と言う事だと思いました。
このままだと斯波がやった事は
良い事のように思ってしまう。
だけど絶対間違ってるはずだから。
社会のシステムを変える事は容易ではないけど、
自分の親と自分に介護が必要となった時に
どうするのかが正しいのか、
家族と共に考えないといけない。
私が原作に惹かれすぎていました
公開時に二度観に行ったが今回は家で。
公開前、原作本の厚さにかなり内容がカットされると思い読了。それから予告を観て「えっ!」となってしまった。検事が長澤まさみに、男性から女性になったのは全く抵抗を感じなかったが、原作では最後に松山ケンイチが演じた斯波が犯人と分かる。それまで全く考えていなかったので読んだ時は「えええっ!」となったものだ。これは私の読み込みが浅いとも言えるが。
斯波が犯人と最初から分かる物語にどう再構築するのか。と、映画を観に行ったがどうしても原作と違う組み立てに混乱していた。
そして考えてしまったのが斯波の父としての柄本明の起用。すごすぎた。私の感覚だがW主役の二人を圧倒してしまった。それが検事の母と犯人の父の介護の差をより印象的にするが、演技の見事さにいつまでも斯波の父の姿が頭から離れてくれなかった。その結果他の話が薄く感じられてしまった。
そして映画冒頭で「刑務所に入れて」と頼む老婆。少しコミカル的で長澤まさみの顔にも苦笑が浮かぶ。しかし原作でははっきりと社会問題と扱う。映画未登場だが弱い者を食い物にする人物も登場する。
確かにこの映画は他人事ではない介護問題を扱う。しかし柄本明の名演に全て持っていかれたという印象を捨てることができない。そしてラストの二人の面会。検事が死刑囚に救いを求めている? そう見えてしまう。
原作があると映画公開前に読むのはカットされる部分を脳内補完したいのと、映画と原作の違いを楽しんでいるつもりだ。原作主義ではないと思っている。だがこの作品は原作に軍配を上げたい。
付け足しになるが斯波が怪しいと分析される方法も原作ではページを使っていて面白い。
穴
安楽死の是非
今作は安楽死をテーマにしている。当然のことながら、問題は認知症などの症状が甚だしい人々に対する介護の負担を、家族などの当事者に全て押し付けていることだ。問題を解決するには、そういった介護の負担の大きい人々を受け入れる体制の拡充が考えられる。しかし、それができるなら既に実施されている。実際には介護業界の人手不足や財源の捻出の問題からできないとなると、やはり安楽死を制度化する必要があるんじゃないだろうか。
そもそも、今作に出てくるような認知症の進行が甚だしい人々も、正常な判断力を持っていた頃ならば、自分の尊厳が傷つくような状態になってまで生きたいとは思わないのが多数派だろう。プライドは無くなっていないわけで、だとすれば、やはり人としての尊厳を保ったまま人生を終えられた方がいいんじゃないだろうか。検事が犯人の行動は身勝手な正義と言っていたが、それは自分が介護に携わらなくて済む人間の綺麗事にしか聞こえない。以上の点から、真犯人の行動は法律に反しているとはいえ共感できるものだった。
ストーリーの構成は、真犯人が明らかになった辺りから、やや冗長になってくる印象を受けた。検事の父の孤独死のエピソードも、彼女の心境の変化を描きたかったのだろうが、入れる必要があったのか疑問だった。しかし全体としては良い映画だった。
「考えさせられる」は、必ずしも「良い作品」を意味しない
「泣ける」は、必ずしも良い作品を意味するわけではない。
それと同じで、「考えさせられる」からといって良い作品ではない。
そんなことを感じた作品だった。
親の最期は、ポックリであってほしい。
これは辛く厳しい介護をしている限界状態の子どもだけなく、いずれ訪れる親の老後にそこはかとない不安を抱える人にも共通の想いかもしれない。
親側も、子どもに手間をかけずポックリ死ぬことが理想だと考える人が多いだろう。
介護に疲れ果てた末の親殺しや無理心中が同情をもって語られがちなのも、介護の苦労が容易に想像できるからだ。
そういう意味で、この映画はとても考えさせられる。
松山ケンイチ、長澤まさみ、柄本明、鈴鹿央士、藤田弓子らの俳優陣も素晴らしく、登場人物たちの苦悩は胸に迫る。
しかし、制作側のスタンスは最後までわからない。
それぞれに事情があり、それぞれの正義がある。
という、映画を見る前から自明のことが再確認できるだけだ。
最終的な答えを観る人に委ねる映画が嫌いなわけではない。
しかしこの映画は観る人に委ねすぎて、逃げているように感じてしまった。
考えさせられる映画ではあるが、考えたいだけならこの映画のあらすじをを読むだけでいい。
とにかく辛い
まさに介護はじまったところなのでリアル
あの衝撃的な大量殺人のターゲットを少し変えて映画化したようで恐る恐るアマプラで鑑賞。
冒頭の長澤まさみのいるシーンが付箋回収されるのに衝撃を感じた。
また長澤まさみの親の描写、まさに自分の親にあてはめてしまうリアルさに見入ってしまった。親の介護はいまや誰もがいつかは直面することなのだが、実際始まるまではよくわかってないのが現実だと思う。私もそう思ってたが、急にその日はやってくることもあるし、じわじわくることもあるから誰もが人ごとではないと思う。
壮絶な介護しているシーンがとても見ていて辛かったが、それが現実な人はたくさんいるはずなので、日本の問題点をあぶりだしてくれている大切な作品なのではないかと思う。
ただ実際の事件は本当に遺憾ではあるし犯人には同情したくはないとは思うが。
私の中では救済かもしれない
重い お父さんが殺してくれって言うところほんまにしんどい。 もし親...
尊厳死の救い
膵臓癌で治療の見込みもなく半年痛みで苦しみ抜いた母に
「安楽死させてほしい」
と何度もお願いされたことを思い出した。
わたしも斯波のように「救いたい」と何度も思った。
なんでもできた人が、人に迷惑をかけたくないという優しい人が、治る見込みもないと理解しながら緩和病棟の看護師さんに手数をかけて、緩和治療で鎮痛剤という麻薬を投入して、ただ呼吸と排泄をしている状態は「生きる」いうことなのか、と母は葛藤していた。
言葉や状況がわからない子供の世話は将来できるようになっていく手助けだけど
親の介護はできてたことができなくなっていくのを死ぬまで見続けていかなければならないという苦行と誰かが言っていた。
「救われた」と新しい生活に期待をする人もいた。
最後法廷で、「人殺し!」と叫んだ人もいた。
でも人殺しと叫んだ人も親が死んだ時は、「ああ、終わったんだ」と安堵した瞬間はあったと思う。
被害者遺族もまた、真実を知った時、多角的な正義の狭間でもがくんだろうな。
映像はとてもシンプルで、長澤まさみの舞台のような発声の仕方が際立っていた。
都合の悪いことや嫌なことは「切り棄てる」ことによって効率の良い人生を生きようとする。
もともと私たちは無垢を失っているのに、キリストのリダンプションをつうじて、一挙にじゃなく、ゆるゆると時間をかけて、私たちは無垢に戻るのだ。オコナーは言っている。現実での過程をとばして、安易にニセの無垢に戻ることが、つまりセンチメンタルだと言うわけだ。
ともかく「ゆるゆると時間をかけて」するべきことを一挙にやろうとしたり、やれたと思ったりする時に、センチメンタリティが動く。自己実現した人がいると思ったり、誰かの役に立つとか、「治す」とかを安易に考えるのはセンチメンタルなのであろう。
あまりにも安易にロストケアを描くと人生の全体性を失う。切り棄てることをやめて生きようとする人は、自分の物語りを作らなくてはならない。その過程こそが大切だと思う。
そんなことが身に染みてきた映画であった。
安易にセンチに陥いるふたりの主人公に同情の念が湧き上がってくるのは果たしていかがなものであろう。
社会的に切実な問題を注目に導く価値ある作品。介護に直面した人には犯...
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