「肩車にあらわれるインドナショナリズム」RRR 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)
肩車にあらわれるインドナショナリズム
2022年。S・S・ラージャマウリ監督。1920年代インド。お互いの素性を知らぬまま親友となった男二人が、実はイギリスによるインドの植民地統治を巡って敵対関係にあるとわかり対立、しかしさらにその奥に、イギリスへの抵抗という共通点があることが判明するという話。最後の群舞が露わにしているように、「力」と「知性」を頼みとした、前向きであけすけな、しかしよく考えられたナショナリズム映画。
対立と見えたものが実は対立ではなく、既存の政治システムの上位に上り詰めてから権力を経てそれから抵抗する二段階路線か(必然的に最初の段階では自らの素性を隠し、信条を棚上げする知性が求められる)、とにかく今ここでの暴虐に対して正義を求める直接行動か(大衆的想像力を味方にした知性を経ない直情的な行動)の路線対立に過ぎないことがわかる。わかった後は協力して一気呵成に敵を倒すのみだが、直情型の男が知性派の男を型の上に乗せる肩車(劇中に二度登場)こそがその協力の形を表してる。
力強さやスピード感をスローまたはストップモーションを多用した映像で表現し、時に度を超える演習もあることはあるが、さほど超人的な動きがなかったのが以外。一応、現実の歴史のうえに設定されているからだろうか。
二人の見知らぬ男同士が素性を明かさぬまま親友となるという物語の肝となる部分がイメージ映像だけで説明されていて腑に落ちないが、イメージ映像による説明は「バーフバリ」でも多様されていた監督の得意技(インド映画の、かも)。インドという国の若さ、前向きな「力」への信奉、ナショナリズムへの無垢な没入、を感じる。