「無知ゆえの判断不能」RRR 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
無知ゆえの判断不能
まず第一に、この映画はメチャクチャ面白い。叙事詩のごとき圧倒的なナラティブで受け手に時間を忘却させる、まさにパワフルという形容が相応しい映画だった。間断のない物語展開もさることながら演出も素晴らしい。特にビームとラーマの邂逅シーンは白眉だ。ロープの両端を持ったまま橋の上からそれぞれ真逆の方向に跳躍し、振り子の要領で少年を救出するという荒唐無稽で空前絶後なアクロバット。橋下で宙吊りのまま固く手を握り合うビームとラーマ、最高潮の興奮を湛えたままそこに「RRR」のタイトルが堂々と顕現する。
私は常々、映画においては物語の緩急を受け手の欲望からどれだけ意図的に外すかが重要なことだと思っているんだけど、本作は過剰なまでに受け手の欲望を満たすことで逆説的に受け手の意表を突いているといえる。ありえね〜!やりすぎだろ〜!という我々の常識からの逸脱ぶりが本作をメモラブルなものにしている。例のナートゥダンスも爽快で、フレッド・アステアもジーン・ケリーも裸足で逃げ出しそうなインド人たちのパッションに心躍らされた。同じ大志を抱きながらもプロセスの違いから対立せざるを得ないビームとラーマのアンビバレントな関係も、古典的といえば古典的だがゆえに普遍性と説得力がある。裏切りと屈辱の果てに誤解が融解し、二人が再び(あの橋下での邂逅のときと同じように)固く手を握り合うシークエンスは感動的だ。そこから繰り広げられる超人的な復讐劇も外連味たっぷりで清々しい。
いやー面白かった、とマジで口に出しながら劇場を後にした。
…のだが、やっぱりこれでいいのか?という疑問も残る。これでいいのか?というのはもちろん本作そのものの姿勢(大英帝国の過度な悪魔化、女に対する抑圧的な淑女性の要求、暴力への再帰など)についてもいえる。しかしここで言いたいのはどちらかというと、地球の裏側の隔絶された場所から本作を観る自分が、多分に政治的・歴史的コノテーションを含む本作を、「あー面白かった」の一言で無邪気に片付けていいのか、ということだ。
大英帝国の描き方や、ビームとラーマの友情を通じたイスラム・ヒンドゥー融和の暗示からもわかるように、本作はインドのナショナリズムを強化する、言ってしまえばある種のプロパガンダ映画であるといえる。そういう政治的・歴史的な緊張感を孕んだ作品を、文脈もクソもない安全圏から好き勝手に毀誉褒貶するというのは、異文化理解からは最も隔たった行為だ。別に価値判断の基準を「面白いかどうか」とか「萌えられる関係性があるかどうか」とかいった一点のみに定めているのならそれで構わないと思う。そういう映画の見方もある。でも私はそう簡単に割り切れない。他国の、しかもきわめてナショナリズム的な価値観に触れるのなら、その国に関するある程度詳細な知識がなければどうにもならないと思う。
残念ながら私はインドという国のことをちっとも知らない。インド映画というものにもあまり触れたことがない。そうである以上、本作のようなナショナリズムが強すぎる映画について性急に判断をすることは避けたい。というかできない。本作への評価がこの程度に落ち着いてしまったのは、ひとえに私の知識不足ゆえだ。
それはそうと、私はもっとインドのアウトサイド的な映画を観てみたいと思った。ミュージカルもハッピーエンドも存在せず、1時間半で終わる、言うなれば現代版サタジット・レイのような映画が。日本に輸入されていないというだけで、そういう映画は必ず存在するはずだ。
>多分に政治的・歴史的コノテーションを含む本作を、「あー面白かった」の一言で無邪気に片付けていいのか、ということだ。
なるほど。確かに最後のエンディングのところなど、インドの偉人紹介になっていて思いっきり政治的・歴史的になってましたね。
観終わったあとに少しだけ小骨が引っ掛かった感じがしたのですが、その正体がわかりました。言語化力、素晴らしいです。。