ぼくらのよあけのレビュー・感想・評価
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JUVENILEの諸氏はこんなのでロマンを抱くな!
女性型AUTOPODに手を上げるのは『ゆうま』と言う主人公はク◯ガキで子供過ぎる。『何をいじけているんだ』と見える。
AUTOPOD曰く。
『喧嘩は良くない』
‥‥‥その通り。
母親曰く。
『家へ帰って、外出禁止です』
親の権限が子供に及ぶのは、2046年に及んでまだあるとは!
ジュブナイルって幼体って言う意味。あんまり好きになれない。子供の主体を認めていない。やはり『ヤング・アダルト』にしてもらいたい。
20世紀のジュブナイルの考えた温故知新な浪花節フィクション。感覚が公営団地があった時代のまま止まっている。手塚治虫先生のファンタジーの方が先進的。
科学とロマンとフィクションなのだ。またしかし、人工衛星が軍事目的から始まった歴史を頭の中に留めなければ駄目である。
従って、それに対して夢を抱くのは戦争を辞められない人間の性なのかもしれないが、吾輩は
『快獣ブースカ』で、JUVENILEからOLDに進化出来たので、37年かけなければ太陽系から離れられない時間が無駄だと感じている。
『宇宙人なんていない!』と証明したい。唯一証明できることは、25年経っても宇宙人は地球に訪れる事は無い事。それは証明できる。25年の間にファシズムが復活する事を前程にしてね。
出鱈目ならファンタジーであってもらいたい。結論として地球の素晴らしさをテーマにしてもらいたい。
ガガーリンと漂流団地は良かったけど。
あの夏、ぼくらは宇宙と出会った
ラストは思ってた以上のスケールや本格SFに。
でも、本筋は等身大。
夏、少年少女、団地、未知なるものとの出会いと別れ…。
SFジュブナイル・アニメーション。
27年ぶりの巨大彗星地球接近に沸く2049年の日本。
解体が決まった巨大団地に住む宇宙好きの小学生・悠真はワクワク胸を躍らせていた。
AIが発達。AIを搭載した人工衛星“SHⅢ”に憧れるも、家にあるAI搭載型家庭用オートボット“ナナコ”には不満気だった。
ある日、ナナコのシステムに不具合が。
…ではなかった。何者かにハッキング。
27年前、1万2000年もかけて地球付近にやって来た異星のAI宇宙船だと言う。“二月の黎明”と名乗る。
目的は惑星探査で、トラブルで故障した所をSHⅢに助けられ、団地の一棟に擬態し休眠していた。
帰還には3つのコアが必要。一つ足りない。
悠真と友達二人・銀之助と真悟は“彼”を還す為、コアを探す…。
SFアニメーションあるある。最初は突飛な設定や小難しい用語にちょい苦労。
“二月の黎明”は非常に高度な知能で小難しい事も言い、ここら辺ハードSFチックでもあるが、話自体はそう難しいものじゃない。
子供たちが未知の存在と出会って、交流し、尽力。
『ドラえもん』的な王道。
もう一つのコアを持っていたのは、同じ小学校に通う少女・花香。
彼女も加わり、皆で協力。大人には内緒。
そもそも、何故彼女の元にコアが…?
本人に心当たりナシ。実は、彼女の父、悠真の両親に関わりが…。
彼らの親たちが最初に“二月の黎明”と会っていた。今の悠真たちと同じく宇宙に還そうとするが、当時の彼らには無理で…。
大人になって、必ず約束を果たす。
が、いつしかその約束を忘れてはいなかったが、実行出来ないまま…。
親が果たせなかった約束を、子供たちが果たそうとする。
大抵こういう設定の場合、親は何も知らない分からず屋だが、当初は消極的であったり、とある事故から心配で口うるさくなるが、次第に“あの頃”の気持ちを取り戻す。
親にもフィーチャーされ、ラストは親子で協力。
ファミリー・ムービーとしても健全。
団地舞台のジュブナイル・アニメと言うと、昨年も『雨を告げる漂流団地』があったばかり。
あちらは設定や展開、キャラ描写に“?”が多かったが、こちらは上々。
AI宇宙船が一棟の団地に擬態というのが独創的。コミュニケーションのツールとして、屋上一帯に水を張り、ファンタスティックな描写。
団地ならではの危険やトラブル。
解体が決まっており、一時帰還を諦めた“二月の黎明”は“死ぬ”という事を受け入れる。
それに抗う子供たち。
AI故感情など持ち併せていないが、彼らとの交流を通じて、“感情”というものを知る。
AIや設定などは近未来。団地や子供たちのひと夏の不思議な出来事などはノスタルジック。
新しくも、何処か懐かしい。
ちと難点もあり。
花香と真悟の姉・わこは同級生。が、仲が悪く(と言うか、はっきり嫌い合ってる)、それ故花香は一旦、協力やコアの引き渡しを拒否する…。
どうやら花香はクラスで孤立。
わこは嫌がらせをするが、そんなわこも周囲から嫌われないよう無理して馴染もうとしている。
何だかここら辺の描写が今一つピンと来ず…。
花香や銀之助は片親で、何かしら複雑なものを抱えているが、その描写もちと希薄。
子供たちだけで団地の屋上に上がるのは危険と訴えているのだろうが、過剰過ぎる気も…。
でも最たる“う~ん”は、悠真の声。杉咲花が担当しているのだが、はっきり言ってミスキャスト。勿論杉咲花は実力派だが、男の子の役なのに、思いっきり地声丸出し。まだ変声期来てない?…いやいや、お粗末過ぎる。
悠真の母役の花澤香菜は、大人の女性/母親と過去の10代の少女の声を見事に演じ分け。売れっ子プロだから当然とは言え、さすがの巧さ!
人とAI。
現実のこの世界でもAI技術が目覚ましく発達し、その在り方を問う。
それを担うのは子供たちと“二月の黎明”であり、さらにもっと描かれるのは、悠真とナナコ。
家庭用オートボットとして万能のナナコ。が、ちょっと口うるさく、悠真はうんざり。
そんな時“二月の黎明”がナナコをハッキング。ナナコはハッキング中の記憶は無いようだが、実はそれは嘘。
最初にハッキングされた時から自身で調べ、知っていた。
“二月の黎明”や何より悠真の為に。協力もするようになり、ラストは“犠牲”になる。
それは、ナナコのメモリーが全て消えてしまうという事…。
ずっとナナコをウザく思っていた悠真だが、勿論それも嘘。家にやって来た時から、この“友達”が大好き。
他に方法はないのか…? これしかない。
嫌がる悠真。
意を決したナナコ。
遂に別れの時が…。
AIが人間のような感情を芽生えるのか…?
人間がAIに感情を抱くのか…?
そんな理想的な綺麗事…を、我々は、特に日本人は昔から慣れ親しんでいる。
人間とロボット/AIの絆、友情…。
AIの危険性や暴走を描いた作品も多いが、そんな未来より、AIとの良き共存を誰もが願う。
皆の思いが託された“彼”がいつかまた地球に戻ってきた時、そうあってほしい。
初めて最後まで観て後悔したアニメ映画
「雨を告げる漂流団地」が良かったので、更にスコアの高いこちらも視聴…
SF、団地、近未来…そしてショタと。
色々材料が良かったので観てみましたが、なん…すか…これ…?
なぜこれが「雨を告げる漂流団地」より良いとされているかがわかりません。
多分「ブレイブ・ストーリー」よりもひどいです…
まずキャラの話ですが、
ショタコンの私ですらこの主人公にはストレスがたまります…
この子のほうがロボットみたい「うっせーなー」とか「すげー」の連呼。
あと散々焦点当てといて最後まで救われない女の子とか、
最初いじめをしていて自業自得とは言え流石に登場させただけ不憫すぎる…
ホントなんの解決にもなってないし、なんでスポット当てる必要あったんですかね?
一番良かったのが花澤香菜さんが担当されたお母さんですね、
10歳の子の母ということは30代くらいかと思われますがとにかく可愛いお母さんでした。
ここだけは主人公が羨ましいです!
…ふざけた息子に対し甘すぎるのが難点ですが。
最後にラストシーンについてなのですが、正直うるっときました…。
多分すべての演出をここだけ派手にしたからだと思われます、
それ以前はBGMなんて有って無かったような地味さでしたもん…
結論:団地の屋上は呪われている。
SF要素を含んだ少年たちの冒険物語
近未来の世界で小学生たちが宇宙から来たものとの交流を描く。また主人公の親世代との関係も絡ませてる点は珍しく感じるのだが、アニメで描くためか描写自体に目新しさを感じず、子供向け感を強く感じた。
いまの現実を垣間見せてるんだけどなんとなく実感のない感じがして、もう少し挫折や痛みを伴うことも含んだ描き方をしても良かったんじゃないだろうか。
ア・オートボット・ミーツ・ア・ボーイ
妄想してもよいなら、これは紛れなくオートボットがAIから人に変わっていき、少年に思いを抱きつつも自らのアイデンティティに目覚めて、宇宙へと飛び立つ物語だったと思います。
◉健気過ぎるAI
職務に忠実であるがために、棒読み風に畳みかけるナナコが素敵で、更に処理落ちしても作業しようとするナナコに気持ちを持っていかれました。悠真もナナコも感じないうちに距離が縮まっていて、それに気づいた私の方が何故か胸がドキドキし始めたのだから、自分に呆れました。
ノーゲーム・ノーライフの機械仕掛けの少女の恋を連想した訳です。人間の男性に恋した少女は、最後は悪い女神に破壊されてしまう。シチュエーションは全く異なっていても、ナナコもアップデートを拒否して、自分の意思でかけがえのないものを保持しようとした。二月の黎明号との交流&悠真との触れ合いの記憶。
◉水は万物に従う
水は自由闊達で何にでも溶解するし、取り込み得るから、地球外人工知能のエネルギーにも使える。凝り固まらないで自然に流れる水の柔軟さが、親と子、友と友、男子と女子の結びつきにも役立つ…と言うことの暗示だった?
外観も室内も非常に古風な団地が、まさか銀河系の彼方から飛来した宇宙船だったことは新鮮な驚き。かつ、私的には登場人物のキャラデザインが昭和っぽくて、温もりを感じさせてくれました。
ただし、どの子ども一人一人の個性を感じさせず、反感も共感も抱きずらかったです。人間に関しては、平板な群像劇に収まってしまったように思います。
それだからなおさら、ナナコに目が向いたと言うことになるのかも知れないです。
よくできたジュブナイルSF
原作未読。キービジュから子供向けかと思ったが、SFとしてしっかり組み立てられていたと思う。
異星文明との接触ものだが、(主人公の少年少女たちに故郷のイメージは共有されるが)相手の実体は最後まで姿を顕さない。
実体の代わりに、媒体として水が使われるのが面白い。水を制御してコミュニケーションや演算のツール、果ては帰還用ロケットまで造るのだが、地球文明と隔絶しているので科学的矛盾を感じない。(打ち上げシーンは周りの住民に見えていないのかは気になったが)
もうひとつ重要なのは異星文明とAIとの接触で、過去のファーストコンタクトで人工衛星SH3搭載AIと意思疎通したことが相互に影響を及ぼす。
特に地球のAIの側に、「AIが秘密を持つ」という伏線を生じさせ、それが現在の物語に繋がるのはうまいと思った(SH3のAIはその後普及する人間をサポートするロボット、オートボットのAIの基礎になる)。ラスト、主人公家のオートボットが初期化を自ら拒否してロケットと共に旅立つのは胸熱だった。(文脈は違うが未知との遭遇を思い起こした)
ストーリーについては、親世代の現在での行動(の説明)が弱い(母が接触禁止したのがうやむやとか)、いじめ的描写は必要だったのか(姉が救われない)など、もう少し整理してもよかったかと感じた。
追記:2周目。前記の感想とほぼ変わらないが、親世代の3人も過去の出来事に葛藤しつつ、最後は子供たちの行動に自らの想いを重ねることにしたのだろう。(詳述しないのは主人公の子供目線からストーリーの軸をぶらさないためか)
営業的には苦戦とのことだが、多くの人に知られてほしい。
あとナナコ(オートボット)はかわいい。絵文字のような表情しかないのだが感情がよく伝わってきて素晴らしい。
団地アニメの呪い
設定やら感情やら、ちょいちょい飛ばしてるんじゃないかってくらい、入ってこない。
悠真は、期待した宇宙の話ができなかったくらいでナナコに何年も拗ねてたの?
真悟が復帰したのは、単に何度も連絡きたからってだけ?
銀之介は同級生の友達いないの?
花香は、姉ちゃんより殺しかけた本人に謝って。
わこ、ハブられたままだし話にも絡んでない。
お母さん、「忘れたことはない」って、でも何もしなかったよね。
宇宙船、水なの?無人探査機なのに無駄にデカい。
「また」って言うけど、1万2000年先へ帰るのだから無理じゃない?
などなど、気になる点はてんこ盛り。
銀之介と花香の片親設定も特に意味無し。
作画とキャラデザだけは悪くない。
色んな要素が放り込まれてた気がするけど、全く活かせてなかった。
色々と被ってる『雨をよぶ漂流団地』の下を行くとは、予想外でした。
原作ファンとしては、決して手放しで喜べる出来とは……
期待をしすぎたのかもしれません。
あるいは、原作と重ねて見なければよいのかもしれません。映像化の機会に恵まれただけでも喜ぶべきなのかもしれません。映画の尺に収めるためにはどうしても改変を避けえないことも理解はします。それでも、「この作品は絶対にアニメ映画に合う」と長年思い続けてきた原作ファンの一人としては、残念という気持ちが勝ります。というのも特に中盤以降、原作の重要なエッセンスをことごとく取りこぼしていると感じるからです。
・ゆうまとナナコの関係性
この作品の軸は宇宙船以上に、ゆうまとナナコが友達になり、そして別れるまでにあると思います。そこで重要な転機が、ナナコがゆうまに宇宙のことを手伝うとJAXAの写真を見せる一幕です。このシーン自体は映画にもありましたが、説明不足になっていた印象があります。
というのも、原作ではこの写真は一般に公開されているものではなく、処理能力のあるオートボット向けに限り公開されているものだということが明かされているのです。期待していたような宇宙の話ができずナナコに落胆していたゆうまにとって、彼女は彼女にしかできない形で宇宙への好奇心を満たしてくれると知った喜びは、一体どれほどだったでしょうか。このことがあればこそ、宇宙船がナナコを乗っ取っている事実を隠し続ける後ろめたさや別れを厭う気持ちへと繋がっていくと思うのですが、結果として映画ではここが弱くなってしまったように思います。
・大人たちの役目
屋上での転落未遂以降、映画ではゆうまたちは大人たちに隠れて宇宙船を帰すべく活動を続けます。あれだけのことがあった後のことで、さらに親の目を躱すために夜中に外出する描写もあり、これを見過ごす親はいくらなんでもザルではないか……と思った方は居られませんでしょうか。
実は、原作ではこれは直ちにバレています。そのうえで原作では、屋上には立ち入らないなどの約束のもと、むしろ沢渡父母と河合父は積極的に協力をしているのです。これはかつて宇宙船を帰せなかった彼ら自身のけじめでもありますが、危険なことを危険だからと禁じて終わるのではなく、きちんと監督下においてやりたいようにやらせるという姿勢は保護者として真っ当なもので、親たちを子供の視点からも尊敬に値する、魅力的な人物として描くうえで一役買っていました。映画ではこの点がスポイルされてしまった印象があり残念でした。(沢渡父に至っては存在感すら薄いような……)
・割ってはいけないリアリティライン
宇宙船を飛ばすための燃料として、30号棟を水で一杯にするという展開。劇場でこの展開を目の当たりにして、この近未来的な世界で、閉まっているはずの水栓にそれだけ大量の水が流れてバレないということがあるか、流量くらいモニタされているだろう、と一気に醒めてしまったのを覚えています。更には解体を控えているのだから業者が下見にでも来たらやはり露見するだろうなど、この改変(そう、改変なのです)には突っ込み始めればキリがありません。
原作では、宇宙船は飛ぶためのエネルギは保持しており、ただ点火するための機構が損なわれているという設定でした。この点火のためのエネルギ自体はそう大きなものではなくDIYレベルで可能なこと、ただ特殊なパルス信号である必要がありかつて親の世代では果たせなかったこと、今はナナコの能力でそれが可能であることも語られ、物語に一定の説得力をもたらしていたのですが。
・ラストシーンとエピローグ
終わりよければすべて良しと言いますが、残念ながら私にとっては、このラストシーンにみられた二つの改変こそは最も落胆すべきものでした。
ひとつは、飛び立つ宇宙船のデザイン。原作のそれは、徹頭徹尾小さな冒険といったスケール感で進んできた物語に相応しい小さなペットボトルロケットであり、そして何よりも大切なことには、ナナコの意匠があしらわれていました。明らかにこれはナナコなのだと分かる小さなロケットが、あっというまに空の向こうへ飛び去って行く原作の寂寥感。突然現れた思い入れもないデザインの巨大な宇宙船が悠々と飛び去るよりも、余程印象的であったと思います。
もうひとつは、去り際の二月の黎明号の台詞。原作の彼は、少年たちに自分の起動コードと共に破壊コードも託すほどにはドライな存在です。それがクライマックスの回想の中で告げる、「私はきみたちと友達になるために来たんだよ」という言葉。「友達」という言葉を二月の黎明号が自ら選んだこと、このクライマックスでその会話が初めて明かされること。前後するほのかの「地球の中でだってこんなに難しいのに」という台詞と合わせて、ぼくらのよあけという漫画で最も印象に残っている、最も好きなシーンです。翻って映画では、途中に差し込まれたオリジナルシーンでほのかが彼に「友達」という単語を仄めかしていること、また彼の台詞自体も「友達になれただろうか」と思い悩む妙に人間臭いものに変わっていることもあり、印象は全く違ったものとなりました。これははっきりと改悪であろうと感じます。
上二つと比べると些末かもしれませんが、原作のエピローグが削られたこともすっきりしない後味に拍車をかけています。原作では、宇宙飛行士になったゆうまがナナコを迎えに行くべく外宇宙探査機に乗り込む一幕で締められており、実にすっきりとした読後感を味わえるのですが……。
もちろん、見るべきところがなかったとまでは言いません。屋上でのわことほのかの取っ組み合いは声優の熱演も相まって引き込まれるものがありましたし(欲を言えば、落下未遂の後にわこがしんごを気遣い、遅れて「うちの弟殺す気かよ」とガチギレする一幕も欲しかったのですが)、映画のオリジナルシーンで言えば序盤の情景に過ぎないかと思われたペットボトルロケットとラジコン着陸船を終盤で活かした展開にも成程と思わされました。懸念していたキャラデザの変更も思いのほか受け入れることができました。しかし、それらを踏まえてもなお、原作からの取捨選択や改変が納得のいくものだったとは言い難いというのが率直なところです。何よりも、もしも原作を知らない方に「ぼくらのよあけ」はこの程度の作品と思われたとすれば、それはとても悔しくてなりません。
いつしか
10年以上前の作品を今映画化…?と不思議に思いましたが、どう転ぶのかなと気になったので鑑賞。
うーん、全体的に面白く無い雰囲気やギスギスした雰囲気がずっと蔓延っていて、話も複雑化したまま終わりへ向かっていって、お話としての納得ができないままエンドロールへ突入してしまいました。「雨を告げる漂流団地」とまさかの団地被りですが、漂流団地の方が面白さは上回っていたと思います。
まず良いところを挙げていくと、世界観を表現するための宇宙の映像はとても良かったと思います。幻想的な世界を大スクリーンで堪能できるので、その面では楽しめました。主題歌もマッチしていて良かったです。
あとは微妙だったり悪かった点だったりばかりです。列挙していきます。
・声優陣のミスマッチ
決して下手な人はいなかったのですが、杉咲花さんはかなりミスマッチだったと思います。声優としての表現力はすごいと思うんですが、全体的に煩い感じが琴線に響いてしまい、前半は特に疲れました。「サイダーのように言葉が湧き上がる」の時は全体的に落ち着いた雰囲気の役だったので合っていたんですが、ここは表現力が仇になったなって感じです。花澤香菜さん、細谷佳正さん、津田健次郎さんはじめプロの声優陣も完全に無駄遣いだなと思いました。近年でもトップクラスに使い方の下手な映画だなと思いました。悠木碧さんの可愛らしさは全面的に出ていたのが救いでした。
・時々起こるぶっ飛び要素
この作品、女子の腕力が異常です。まず花香が屋上で真悟を突き飛ばすシーン、いくら体勢が崩れたとはいえ、そこから転落するまでの流れは強引すぎじゃないかなと思いました。ピンチを作るにしても中途半端な場面ですし、それをお姉ちゃんが助けて腕捻るとか規模の大小がデカすぎてもう訳わからんかったです。あと悠真のお母さんが故意に花香のお父さんを過去に屋上から落としてしまった様子も描写されるんですが、これまた肩の力だけで振り回して落とすという超パワーを見せつけてくれます。もう少し変化をつけられなかったのかなとも思いましたし、そんな事があった後に何の確執も見られなかったのも違和感を増している原因にもなっています。
・姉の必要性
真悟の姉はたびたび登場するんですが、いてもいなくても同じようなキャラだなと思いました。とりあえず他人の目を気にするキャラとしての立ち位置だったとは思いますが、それで踏み出すようなキャラもいませんし、ただただ自己満で済ませているようなキャラでした。ギャーピー騒いでいるだけなのでかなり不快なキャラで終わってしまった印象です。
・知識のいるワードの連発
宇宙を題材にしているので、ある程度知識はいるんだろうなと基礎的な宇宙のことを調べてみましたが、その知識では足りないくらい聞いたことのないワードが散りばめられていました。全員に分かりやすくというのはエゴなので強く言えませんが、観客を置いてけぼりにして物語を進めていく強引さはどうなのかなと思った次第です。
映画化そのものが失敗とまでとはいきませんが、120分の尺を使い切れてはいませんし、物語そのものが面白く無い状態で進んだので乗れなかったです。そこそこ期待してただけに残念です。
鑑賞日 10/23
鑑賞時間 17:30〜19:40
座席 G-9
大人が観るのはキツい
SFモノ、AIモノとしてはかなり稚拙だなと感じました。
設定が壮大な割に宇宙船を帰すくだりはご都合主義だし、AIロボットとの信頼関係を築くエピソードがないので、最後のシーンも感動できず…
登場人物が小学生なのでしょうがない部分はあるんですが、専門用語連発の割にセリフが幼くてチグハグ感を感じました。
子供向けにするなら上映時間はもう少し短い方が良いと思いますし、大人が楽しむには幼さがありすぎました。
映像は綺麗でした。
某漂流団地と比べるとわかりやすい
本作は漫画原作のアニメ映画作品らしいが
原作は未読です
団地と小学生の冒険を聴くと最近見た
「雨を告げる漂流団地」を思い出したが
ストーリー的にこっちのほうがわかりやすかった
基本的に1万2000年かけてきた
宇宙船の人口知能が
人口知能ロボットのナナコを通じて
宇宙にもどる手伝いをしてほしいと頼みを聴き
宇宙船に興味がある悠真は
その人口知能の手伝いをしようとする
宇宙船の人口知能は
こどもたちを利用して陰謀を考えているかと思ったけど
そんなことはなかった
なぜ、大人の助けを借りられないのか
という理由も考えられてよかったとは思う
ただ本作にでてくるミッションを達成する問題というのは
基本的に女子の人間関係に基づいたものが多い気がする
女子のメッセージをブロックするシーンはリアルだと感じた
男の子たちは団地の屋上で落ちそうになった子も
含めて基本的に自然なふるまいだと思った
ただ、主人公の悠真の声が
活発な男の子の声に感じないので
ちょっと違和感があり、慣れるまで時間がかかった
ラストのほうのナナコの人格が
宇宙船の人口知能に絡み合ったことを
告白するシーンはちょっと唐突だと感じたので
ラストがいまいち感動できなかった
あとは、なぜ悠真の両親たちは
宇宙船を返すことはできなかったのか
よくわからなかった
悠真の母が突き落としてしまったことに
後ろめたさが残っているのかと思ったけど
再開してもあまりそういう雰囲気でないのでよくわからなかった
「雨を告げる漂流団地」よりはマシ
団地をテーマにした作品のコンペでも有るのか?ってくらい両作品とも団地描写がシッカリしていて、だから何だ?って感じ。
取り壊し予定の団地に勝手に入り込む、屋上から落ちる、仲間内のギスギス等、共通の縛りが有るのか、もしくは脚本が無能。
以下、感想を玉石混淆にて列挙。
主演の杉咲さんは目立った粗もなくシンクロ率もそれなりに高いのだが、とにかく主人公がイライラしてムカつくガキなのでキンキンした声がかなりキツい。何だコイツ、殴りてぇ。
取って付けたような学校内での苛めや家庭内不和。しかも解決しない。完全に時間の無駄。
ナナコと宇宙船さんの演技は流石。本作唯一の評価点かも。
ざーさん、細やん、ツダケンは完全に役不足(辞書本来の意味)。勿体ねぇよ。反省しろ。
水泥棒、駄目、絶対。大勢の人に迷惑がかかります。水は限られた資源。
シ、シンギュラリティ。助けて!或人社長。
映像から察するに二月の黎明号の故郷はELSと同じっぽいのでそろそろ滅ぶ。助けて!クアンタ。
総評:何がどう「ぼくらのよあけ」だったのか謎だ。
アイデアは斬新だがストーリーに疑問が多すぎる
遭遇した地球外知的生命体が、宇宙人ではなく、人工知能というのが目新しいところだろうか?確かに、宇宙旅行には長時間を要するし、宇宙人が来るにしても、最初は無人の探査機を送り込むだろうから、案外、これは、あり得る話なのかもしれないと納得した。コンピューターや宇宙船が、すべて「水」というのも斬新である。
ただし、物語としては疑問が多すぎるし、キャラクターの描き込み不足も気になる。
団地の屋上に2つのキューブを設置したのは、おそらく主人公の両親で、それは、もうすぐ団地が取り壊されるからだろうが、それでは、なぜ、昔の仲間と連絡を取って、宇宙船との約束を果たそうとしないのか?
両親たち3人が疎遠になってしまったのは、恋愛感情のもつれや転落事故のせいだろうが、その割には、再会後に、なぜ、何の確執も感じられないのか?
両親たちができなかった宇宙船の打ち上げを、なぜ、子供たちはできるのか?27年前と変わっているのが、ナナコの存在であるならば、それこそ、物語の核心部分になり得たはずなのに、なぜ、そのことを、もっと明確に説明しないのか?
そもそも、なぜ、打ち上げ場所が、ふんだんに水が使える川や池のそばではなく、団地なのか?
ストーリー上、特に必要性を感じられない「仲間外れ」のエピソードや「姉と弟の関係」なんかより、そういうところを、もっとしっかり描いて欲しかった。
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