劇場公開日 2022年5月13日

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「愛国心はならず者の最後の逃げ場」教育と愛国 critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0愛国心はならず者の最後の逃げ場

2022年5月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この映画を見る者は斉加氏の同名書を読むべきだし、また映画の解説パンフをも読むべきだろう。
映画では「匿名」化された人物の一人ひとりが、同書では実名を挙げて記載されていることや、地方都市の首長たる松浦何某のその後の「敗北宣言」を同書では挙げてはいるものの、映画では取り扱っていないことを考えてみても、映画は書籍とは異なりソフトランディングさせているようにも思える。

映画のパンフで白井聡氏は「愛国心はならず者の最後の逃げ場」というサミュエル・ジョンソンの言葉を援用し、「愛国心は劣等感に苛まれ者の最後の逃げ場」とまで喝破した。
全くその通りだと思う。
彼らが繰り返す「反日」や「自虐」という言葉は、実は彼らが最も恐れる自らのアイデンティの崩壊を他罰によって回復しようとする手っ取り早い方法であると。そんなことは、おそらくは彼ら「以外」の者たちは誰もが知るところのものだ。

しかし、このような一部の人間を外部化してしまっては、思考方法が彼らと同じになってしまう。彼らを「反知性主義」者として追い込むことは簡単なことだ。しかし、それをしてしまっては遂行矛盾に陥ってしまう。では、どのように彼らに対峙すべきなのか。

「政治は教育に介入すべきではない」と言う。
そうだろうか。
政治が教育に口を出すのはいつものことで、教育のあり方は政治そのものだ。
だから「政治は教育に介入すべきではない」としいてるだけでは無力で、そのままでは政治は必ずや教育に「介入」してくる。

それがあまりにもお粗末な「政治」であるということを誰もが理解しているのであれば、それについての異議申立てを諦めてはいけない。同書の中で斉加氏は、かつて時代の寵児ともて囃された首長の矢継ぎ早の「改革」に対して声を挙げた、当時の生野照子教育委員長の言葉を引用している。
「相手が政治でやってきたら、政治でないと返せないんです。」(p.113)
教育を通して「政治」にしっかり向かい合うこと。教育への政治介入をただ嘆くのではなく、彼らが用いるその政治の未熟さを、彼らとは違った「政治」の手法でしっかりと指摘してやることだ。

映画では牟田前大阪大学教授の研究を「捏造」とまで言い切り、自分の厚顔無恥ぶりを余すところなく発信続け、桜井何某に媚び諂う杉田何某という国会議員をも映像化していたが、自分としては、このような小さき者をとりあげることに加え、平井教諭の従軍慰安婦に関する授業に対して行われた大阪教育員会の愚劣で執拗な「攻撃」の前段のコンテクストをなす(同書第2部にあたたる)大阪府及び大阪市と教育「現場」との攻防をも、もう少し取りあげてもらいたかった。

そうすることで、
この一連の「大阪」ムーブメントの流れに棹さし蒙昧でいられる輩の驕り昂る不遜さを、またその者たちに重ねる者たちの狐仮虎威をも手に取るように見えてくるドキュメントになったのではないか。
そして、そうすることでまさに彼らの「政治」を徹底して暴きたてることになったのではないか。

そう短くはないこのドキュメンタリーからそんなことを考えてみた。

critique_0102