劇場公開日 2022年12月23日

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「原作ファンです」かがみの孤城 Myさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0原作ファンです

2024年2月10日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波

原作に感動したので期待していました。この感動的な物語を、長文読解の苦手な子供も含む、より多くの子供達に届けるために、アニメーション映画にして届けようと尽力して下さった事には感謝しています。社会問題でもある、悩める子供の心に寄り添うような優しい作品は、これからもたくさん作り続けてほしいと願っています。

レビュー評価がかなり高いですが、読んでみると、「伏線回収が素晴らしい!感動した!」という高評価な感想の人達のほとんど!約9割が「原作は未読」とのこと。だからですよ…。伏線回収とか骨太の物語といった、褒められてる点は全て、原作小説のもの。たった一人の小説家が作った物語をわざわざ、何百人ものスタッフが関わって絵と音声と動きを伴う映像化作品にしたのに、映像という特性を生かして描ききれていないです。原作の魅力には到底及ばない、とがっかりしました。原作に感動したファンとしては、なんだこの程度か…が本音です。まして本屋大賞で非常に話題になった小説ですから、大勢の人が読んでいて、この作品の一番の魅力であるどんでん返しは既に知られているのです。それを説得力のある映像にして、観客を納得させて感動させてほしいのですけど。

アニメーションという映像方法の利点や魅力を生かせていません。例えば、キャラクター描写として気になった点ですが、「オオカミ様」はけなげな幼い少女が、威厳をもって怖いオオカミの物語を演じている姿には見えず、ミステリアスな魅力も伝わりません。生きて動く人間としてのリアリティが全然無く、動きがロボットのような出来の悪いアニメキャラにしか見えません。6~7歳とは幼稚園年長か小学校1年生です。亡くなった姉がその姿で現れたのだから、中身は大人に近くても、体の作り、声帯は幼い少女になっているのだから、あんな太い声が出るはずが無いです。甲高く厚みの無い声のはずです。芦田愛菜のあの声は全然、幼い少女の声ではありません。子役など幼くて高い声の女の子が頑張って低い声を出しているか、または、芦田愛菜を起用したいなら、子役時代のような高い声を出して演じてもらうかした方がよかったと思います。原作小説は文字だけしか無いけど、絵も動きも音声もある映像では、「6~7歳の姿」とわざわざセリフで説明しなくても、ぱっと見てひとめで観客が「6~7歳くらいだな」と感覚で納得できる映像でなくては「映像化できた」とは言えないのですよ。こころ達はだいたい中学生くらいだな、思春期の子だな、というのが雰囲気でわかるのに対し、オオカミ様のキャラクターは声も動きも違和感しかありません。映像化するならリアリティと説得力をもってキャラクターを描いてください。

また、主要な登場人物7人がこころ以外は紹介程度に終わっていて、掘り下げられていません。そんな事があったんだ~って匂わせ程度で、7人の個性や感情が伝わってきません。
そのため、例えば、マサムネが大好きなゲームは、スバルが将来大人になってロクレン(スバル星の別名は六連星)というペンネームで作ったゲームだという事に終盤で気づく場面が、本来ならこの伏線回収に感動して、「友達がこのゲームを作ってるんだと嘘をついてたマサムネの嘘が、真実になった」と胸が温かくなり、時を越えた二人の絆に感動するはずですが、ここで感動して良いのかどうか躊躇してしまいます。映画では、マサムネがいじめられていた理由は「このゲーム、友達が作ってるんだ」という発言をほらふき嘘つきと言われた事実のみです。その他にも何かあったのかどうかは何ひとつ描かれていません。普段から承認欲求でつい誇張表現やほらを吹いてしまう性格だったのか、この事だけしか言ってないのか。これだけでは、孤城での記憶を失った後のマサムネがなぜ未来でそんなウソをついたのかわからないし、どこかにおぼろげな記憶が残っていて本当の事を言ったのだとたら、むしろ、孤城での二人の出会いと絆が、いじめられるきっかけを作ったという風にも捉えられます。感動できる場面ではなくなってしまうのです。

原作小説は、読んでる途中で、謎が明かされる前にその謎に気づきました。(時間軸のずれや、信頼できる先生はこの7人の中の誰かが大人になった姿だということ)あーよくあるパターンだなとわかってしまっても、それでもラスト数ページで登場人物の気持ちが伝わってきて号泣しました。映画版は、その感動した肝心な場面が、映像化できてない印象でした。登場人物の覚悟や決意が伝わって来ませんでした。アキが真っ白でまぶしい世界の中で後ろ向きに歩いている姿、アキの絶望や恐怖や拒絶が伝わってきません。むしろ真っ暗闇の中でひざを抱えて動けずに泣いてる方がわかりやすい。でもこれはしろうとがぱっと一瞬で思いつく表現であって、映像のプロが何十人も揃って仕事してるのだから、よりわかりやすく、より切実で感動的な演出にしてほしいです。すごく大好きな場面なのに、映画版では感動できませんでした。

また、もえは、こころにとって特別な友達ですよね、孤城で出会った仲間と同じくらいに。ならば、絵を返しに行って最後のお別れをする場面が少しでもあった方が自然なのでは?遠くに引っ越してもう会えなくなるんですよ?なのにそこはないがしろ。特に前半はかなり時間の使い方がゆったりとしてテンポがよくないと感じるほどなのだから、大事な心理描写を描く時間は作れたと思いますよ。孤城の謎を解く大事なヒントとなる絵が飾ってあったのは、もえの家の玄関、というわざわざ原作と違う部分が、ただのご都合主義にされてしまい、登場人物の心理描写に生かしてないのが残念です。
映画全体として「キャラクターに命を吹き込む」というアニメーションの仕事の精度が低いと感じました。

My