アイ・アム まきもとのレビュー・感想・評価
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あんまり分からんかったわ
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市役所職員のまきもとは、孤独死した老人の遺体を引き取り、
遺族を探して引き渡すのが仕事で、熱心に取り組んでた。
遺族が見つからない場合は、自費で葬式まであげてやってた。
新しく来た上司は、そんなの無駄と言って係の廃止を決める。
そんな中、最後の孤独死体で調査を進めて行くまきもと。
そしてその人を知る人や娘を探し当て、葬式への出席を促す。
そんな折に突然交通事故でまきもと死亡。
上記で関わった人達の参列で、孤独でない葬式となった。
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まきもとは人の言葉の裏が読めない、おそらく発達障害の人。
でもマジメで、自分が独身で孤独だから、仕事に全力を尽くす。
それはいいけど、税金の無駄遣いレベルのことをしてるし、
どこまで自費なのかは知らんが、係の廃止は仕方がないと思う。
まきもとが突然死ぬ展開も、どうなんやろ?って思ったなあ。
まず死に方がアホ。カメラをのぞきながら横断歩道を渡ってて、
信号無視の車にひかれる。ある程度、自業自得よな。
孤独やったまきもとの葬儀に大勢集まったのはええけど、
でも死ぬには若過ぎるし、全然幸福でも何でも無い。
少なくとも、良かったね、って気持ちにはならんかったわ。
どう生きるかを考えさせる映画かもしれない
おみおくり係という市役所の係をするまきもと。
周囲との協調もなく,こだわりすぎるくらい拘っている男は、変人としか言いようがないと見られていただろう。
実際,部下にいたら嫌かも(笑)
ストーリーはそんな彼を淡々と描いて進行する。
そしてある男の身元引受人を探すために,その娘と関わり少しずつ相手の気持ちに寄り添うようになっていった。
最後にあっけなく、本当にビックリするほど簡単に死んでしまった彼の無縁墓地には、今まで彼が拘って思いを寄せていた人達が大勢やってくるのだ。亡くなってる人達だけどね。
死んだ後はわからないという考えもあるけれど,この映画を見ると生き様は死後に何かを残すのかもしれないと思った。
日本的なラストが感動的です。
『アイ・アムまきもと』を観終えたら、
オリジナルの『おみおくりの作法』のラストがとても知りたくなった。
一度は観ていますが、ラストが悲しかった・・・という印象以外に
細かい部分は覚えていない。
(今、観てきました)
基本的にはとてもイギリス映画を踏襲していました。
でも、やはりお国柄の違いは、所々に顕著です。
日本版『アイ・アムまきもと』
日本人の心に寄り添いますね。
盛り上げ方が、日本人の心にピターっとハマりました。
ファースト・シーンでマキモトが歌う讃美歌
「慈しみ深き友なるエスは・・・」と、歌い
葬儀はキリスト教で神父さま。
次に仏教でお経が唱えられ、そして神道・・・神主さんです。
マキモトは弔辞の言葉さえ考えて、故人の人となりの紹介文まで書きます。
そして立派な分厚いアルバムに故人の思い出の写真を貼り付けて、
時々見返しているのです。
本当に家族以上に死者を悼んでいます。
「最近は安上がりな神道に鞍替えする式が多い」と、
葬儀屋のでんでんが話す。
死者も孤独死が多く「おみおくり係り」のマキモトも、
数週間して発見される遺体を引き取りに行く。
市役所の方針で「おみおくり係り」は廃止されて
他の係りと統合されることになり、マキモトは外される。
マキモトの仕事は丁寧すぎて、時間と費用がかかりすぎるのだ。
「火葬でいい。葬式をする必要はない」 上司は言います。
「大体に葬儀は生きている者のためにするものなんだ」と、
しかし映画は庄内平野の美しい風景が素晴らしく、
撮影(カメラマン)のセンスが光ります。
田んぼ、平野の一本道、美しい日本そのもののへ風景。
多くの撮影は、庄内地方(山形県)の鶴岡市と酒田市で行われたそうです。
長閑な田園風景に、ちょっと浮世離れしたマキモト。
阿部サダヲさんの、怖くない人のバージョンの映画。
死んだ写真の人。
宇崎竜童さんってすぐ分かりました。
台詞は一個もないんだけれど、ラストに登場してましたね。
エラく格好良いです。
白いお髭がダンディーです。
やたらと女にモテたって過去・・・それは説得力あります、
モテたでしょう、そりゃあ!!
可笑しかったのは、娘さん(満島ひかり)の仕事場が、
日本は《養豚場》
イギリスは《保護犬センター》
日本は元彼女(宮沢りえ)は食堂経営。
イギリスはフィッシュ&チップスの店。
イギリスは一泊で地方へ調査に行くときの列車。
メチャメチャ高級感あります。
棺とか安置所とかも豪華ですね。
ホームレスになった昔の友人と石段に座って酒を酌み交わす建物も、
よく分からないけれど裁判所のような歴史的建造物の前庭。
ジョン・メイさんもロルドン市の外郭団体のお見送り係。
格調高いです。
リメイクはいい意味で羽目を外しています。
宇崎竜童の登場が然り、
ラストの盛り上げ方、泣かせ方然り、
結局、マキモトの粘り勝ちです。
宇崎竜童さんの葬儀は多くの人に送られて暖かく幸せでした。
マキモトの、
「頑張ったー」と呟き満足そうな笑顔。
死に際にそう思える人はそう多くはいないでしょう。
同じく酒田市で撮影された「おくりびと」とは一味違いますが、
どちらも心に沁みる名作ですね。
夕暮れてマキモトに葬られた死者たちが次々と現れて、
マキモトの貧しい墓を
取り囲んで弔う「ラストシーン」
深く感動しました。
日本でリメイクしたら、こうなってました
2013年のイギリス映画『おみおくりの作法』を見た時、日本映画を見ているようだった。
孤独死した人を一人弔う民生係の男。
『おくりびと』にも通じるような人の死を扱った仕事、死生観…。
喜怒哀楽の感情を揺さぶるような作風ではないが、淡々とした中に、人の生と死をしみじみと浮かび上がらせる。
主人公の実直な仕事ぶり。無口で親しい友人もおらず、彼もまた孤独…。
社会のシステムや問題を込めつつ、不条理な悲しさと静かな感動を呼ぶ…。
日本ではミニシアターで口コミヒット。
いい映画を見たと素直に思えた。日本には『おくりびと』があるが、いい題材を出し抜かれたとも思ったもんだ。日本でも出来そう。
…と思っていたら、日本でリメイク。
にしても、監督と主演の名を見た時、正直驚いた。
水田伸生×阿部サダヲ。
『舞妓Haaaan!!!』『なくもんか』『謝罪の王様』などコメディで三度タッグ。
まさかこのヒューマンドラマの秀作をコメディに…?
心配は無用だった。そもそも、今回脚本はクドカンじゃないし。
阿部サダヲはシリアス作品でも名演と実力見せているし、監督もTVドラマではシリアス作品で高い評価を受けているよう。このタッグだからと言ってコメディばかりじゃない。
このタッグだからコメディを見たかった人には期待外れかもしれないが、所々ユーモアも滲ませつつ、真摯に人の生死を見送る…。
話は概ね踏襲。
とある市役所の“おみおくり係”の牧本。
真面目で物静かだが、故人を偲ぶ余り周囲に迷惑かけがち。警察はいつもおかんむり、馴染みの葬儀屋がフォロー。ここら辺、コメディタッチ。
職場でも閑職故、常に孤立。空気のような存在だが、本人もまたKY気味。
家に帰っても生活感全くナシ。食事も質素に黙々と。唯一の“家族”は金魚。
趣味もナシ。敢えて言えば、担当した故人の写真などをアルバムに収める事。
一貫して故人に思いを馳せる…。
牧本が担当するのは孤独死した人たち。
その状況は悲惨なもの。
誰にも気付かれず息を引き取ってから暫く経つなんてしょっちゅう。
故人の家の中はゴミ屋敷同然で、異臭も放つ。
彼らはどんな人生を…?
身寄りも無い。人付き合いも無い。社会に居場所も無い。…
似たような境遇の牧本。彼らに自分を重ね合わせているのだろうか…?
事情は人それぞれ。せめて最期くらい、誰かに偲ばれて…。
いや、受け入れ、引き取ってくれる遺族だって必ずいる。
牧本はそう信じているが…。
見放された人たちへの社会の対応は無情。
完全に縁切り。勝手に死のうがこちらには関係ない。葬式出席や遺骨引き取りなど拒否。
生きてても孤独。死んでも孤独。
彼らを思う人はいないのか…?
牧本がいる。
しかし、またもや不条理。新任局長が“おみおくり係”の廃止を決定。
引き取り手の無い遺骨などさっさと無縁墓地へ。“おみおくり係”や牧本がやってる事も無駄。
死んだらただそれだけ。何も残らない。
本当にそうなのか…?
無情に言い放つ局長に、牧本は反論。“思い”がある。
牧本が言っている事は理想的な感情論に過ぎないかもしれないが、そうありたいと願うのが人の心。
この冷血局長にこそ孤独死を!…だが、こういう輩に限って盛大に見送られる。
対して牧本は…。
牧本最後の仕事。孤独死した老男性の遺族を探す。
故人はかなりのトラブルメーカー。
大声を上げたり、アパートの住人たちと揉め事を起こしたり。
職場でも問題行動。彼を知る人に尋ねても、出るのは悪いイメージばかり…。
が、中には…。職場で不条理なシステムにブッ飛んだ行動で抗ったり、彼に助けられた人も…。
本当にただの嫌われ人間だったのか…?
やがて、唯一の身内を見つける。娘。
絶縁状態だったが、牧本の人なりに心許したのか、父の死に向き合おうとする。
葬儀の日が近付くが、その時悲劇が…。
老男性の葬儀に娘や知人が参列。牧本の思いが伝わった。
思い偲んでくれる人たちは必ずいる。人は決して孤独ではない。
…いや、
同じ墓地でもう一人埋葬。
孤独死した人たちの為に尽くしたのにも関わらず、その本人が悲しすぎる独りぼっちの死…。
誰も彼を思い偲んでくれないのか…?
思わぬ“参列者たち”が。彼に感謝を込めて…。
話もオチまでもほとんどそのまま。
ユーモア、人情、人の繋がり、悲しさ、切なさ、問題提起、そして何処か救われる…。
満島ひかりや宮沢りえらキャストの好演。
基がいいだけに、勿論本作も好編だ。
が、あまりにも忠実過ぎて、ちょっと芸の無さも感じてしまった。
オリジナルはあんなにしみじみさせたのに、何かちょっと淡白と言うか…。
阿部サダヲも勿論好演だが、ヘンな違和感も…。
人情味あり、ユーモア滲ませ、時々周囲に迷惑かけるKYな所はドンピシャだが、時折言動がイライラさせる。
人の話を聞いていないような、鈍いような、とんちんかんのような…。
何か訳でもあるのかと思ったら(例えば最後は事故死ではなく、本作オリジナルの病死でその前兆とか)、特にナシ。
発達障害気味と見て取れる。とは言え、
局長の飾り物に“アレ”するシーンや孤独な家でアルバムの故人を眺めるシーンは、せめてもの仕返しや侘しさ感じさせると同時に、何処かサイコパス…。
そう感じるのはまだ『死刑にいたる病』の影響…?
それは冗談として、ちと哀愁が足りなかった気がする。
その点、オリジナルのエディ・マーサンの滲ませる哀愁は絶品だった。
すんなり日本でも置き換えられると思いきや、
勿論悪くはない。頑張った、頑張った。
が、ちょいちょい“作り”に違和感を感じてしまった。
牧本の妙な癖のよう。日本でリメイクしたら、こうなってしまいました。
心ぽかぽかの展開と思いきや…衝撃のラスト!
予告見る限り、あったかくてクスリと笑える映画でした。
途中までは予想通り。思った以上に牧本が変わり者でしたが…。あのルーティンの徹底ぶりはおそらく自閉症だろうなと思いながら観ていました。
が、終盤でまさかの展開になり、思わず声出ちゃいました!
ここで気づいたことが2つ。
1つは、物語が展開するうちに、いつのまにか牧本に夢中になっていたこと。
本当にびっくりして信じたくない気持ちになっていました。
もう1つは、作中にけっこう伏線張られていたんだなということ。
やたらじっくり死者の写真を映したり、横断歩道で毎度毎度律儀に左右確認していたりしたことがラストシーンに繋がっていたなんて…
世にも奇妙な的なエンディングも、これはこれで良き。
迷惑系ヒューマンストーリー
大学卒業後に区役所の福祉課に配属されて身寄りのない方の弔いなどをしていた従兄弟を思い出した。
本作に描かれている方々はまさに現実。人の生き方や死に方について色々考えさせられた。
長いコロナ禍で私たちは今までよりも死を身近に感じる昨今…本作の映画化に意義は大きい。
高齢化、独居問題、少子化問題、貧困問題などなど抱えている課題は多いよね。
市役所でおみおくり係として働く牧本さん。ちょっと個性的で周りの人にとっては迷惑かもしれないけれども真っ直ぐで純粋。クスクス笑いながら心の中で彼を応援しながら鑑賞。
阿部サダヲさん、満島ひかりさん、松下洸平さんはじめキャストが素晴らしかった。
一番心に残ったのが蕪木役の宇崎竜童さん。蕪木の人生が胸に刺さった。台詞はひとつもないけど…
水田伸生監督と阿部サダヲさんの相性がいいので優しい映画が完成。
庄内平野の美しい光景が彩りを添え、宇崎竜童さんが歌うOver the Rainbowが心に沁みて泣きながら家に帰った。
牧本さんは醜いアヒルの子だったんだね。
がんばった、がんばった…
コメディかと思って観たら感動作品でした。
阿部サダヲが好きで観に行きました。
ネットで意外な結末と聞いてましたが、勝手にハッピーエンドなコメディだと先入観をもって観たら発達障害?な牧本の真っ直ぐさと察することにチグハグなキャラクターに笑いがありながらも、社会問題にもなっている孤独死をテーマとして、孤独に人生を終えたひとり一人にもストーリーがあり最後に弔うことの大切さを思い考えさせられました。
ラストに向けて蕪木の娘に初めて恋し浮かれた牧本に交通事故死という最期が予想外で、私はハッピーエンドが訪れるものだと思って観てましたが本人が看取られることなく亡くなり、ぶつかり合った刑事に無縁仏にされるなんて泣けました。
片や蕪木は生前関わりがあった人々にまで見送られ、幸せな葬儀で荼毘に付されたのは牧本の頑張りの賜物でした。
本当に良く頑張った❗牧本。
出来れば蕪木の娘とハッピーになって欲しかったとストーリーとは関係なく思った。
サイコスリラー映画なのか?
まずシナリオが全く面白くなく、理不尽な不条理映画なのか?
主人公に全く感情移入出来ない。なぜなのか?主人公が何故おみおくりであんなに一生懸命になるのか?バックボーンがないのでただの死者の写真を集めが趣味のサイコパスのよう。または自閉症気味の痛いキャラクターなのか?
食事でまともに食器で食べるシーンとか入れても気持ち悪いだけ。
父親もまた回想等なくただセリフで説明されているだけでただの荒くれ者としか想像できない。炭鉱の話も友人が不幸だから家族を捨てて生きるとかこれこそサイコ。その後に定食屋の女将に転がり込むとか全く感情が不安定。
捨てた家族はどうなるんだよ。これも回収なし。
ラストもただの不条理。あんなに一生懸命家族探したの恩を仇で返されてるのか?牧本の事誰も触れないってあり得る?自分達だけ葬式して。どう考えても牧本が父親の葬式に来ないなら気づくしそこは映画として描くべきでは。
大ラスも何なの?牧本はお釈迦様だった落ちなら納得行くけど。世話した人達出てくる演出なら牧本も出てきて良いのでは?
演出も20年はないのでは。気になって仕方ない。携帯20年も持つのかとか細かいことが気になる。(本編がつまらないから)
久しぶりにつまらなく、時間の無駄だったと思う映画を観た。
これを評価する人は映画がなにか分かっていない。プロビューアーとは何なのか?
人知れない努力が見えた時。感動しました。
牧本さんが身寄りなき故人を思いやり、遺骨を貰い手が来るかもしれないからと最後の最後までとっておく所。自費で葬儀を上げる所。見ず知らずの他人の死をそこまで思いやることが出来る牧本さん。私だったら仕事だからとそこまでは絶対にしないと思います。だけど、最後の場面で牧本さんが亡くなった時。今まで牧本さんがお見送りしてきた人が次々とお参りにしにきたところで涙腺が止まらなかったですね。ちゃんと、亡き人は牧本さんの行動をみてたんだよと。牧本さん、ありがとうね。という声が聞こえてきました。正直牧本さんが亡くなるタイミングがあれだけど、この場面があったからこそ泣けました。よって牧本の死があってからこそのこの映画だと思いました。←失礼
虹が架かった後の空は晴れ
市役所の職員が
孤独死した方を悼み
親類でもないのに弔事を丁寧に
やりすぎることが
行き過ぎた行為として問題になり
部門閉鎖に。
その最後の葬式で起こった
人への尊重が生んだ
出来事の話でした。
牧本の故人への行いは
賛否両論あると思うんですが
私は人にはできないすごいことを
やっていると思いました。
死生観もあるとおもいますが。
ただ、
彼が何を喜びにして
何の為に生きているんだろうと
気になりました。
亡くなった方の為に
生けている人間が、理由もなく
奉仕するのが異様に感じます。
宗教的には、
そういう功徳が天国への往生に
つながるのを示唆するのかも。
そういう動機を示さないで
行動の理由がいい人や変な人
という扱いになっているところに
掴みどころのない彼の魅力に
見せているのかな。
ただ良心に従って
尋常じゃない行動を
貫きとおす姿に
ただ頭が下がりました。
無償の奉仕の先に
なにがあるのか。
災害時の自衛隊、無医村の医者、
大火災時の消防隊のような
誰かのために自分を捧げる方の
尊い思いなんだなと
途中で気づきました。
そういう行動をする人の心は
日常生活のなかでは、
すぐに気づけなくて、
自分の近くで、死に直面し、
経験した時に
初めてわかるんですよね。
その存在価値に。
自分の仕事の考え方や
人生の選択に影響しそうな
作品でした。
虹が架かる墓地に
ひとり、またひとり…
最後のシーン、歌には
まいりました。
暫く立てませんでした。
「粘り勝ちですよ」のライバルの一言に目頭が熱くなる
予告編でお見送り係の廃止が伝えられた。その後の「まきもとさん、あなたの粘り勝ちですよ」は、お見送り係の存続を告げる、市の職員の言葉だと信じて疑わなかった。まさか、警察官(松下洸平)の鎮魂の一言とは想定外。この驚きが感動を締め括ってくれました。
まきもとさん(阿部サダヲ)の死は遣り切れないし、救いのカケラもないように思えます。でも、思い切って哀しみに目をつぶれば、きっと温かい大団円なのでしょう。そう思うことにします。
なお、原作の「お見送りの作法」は観ていません。
◉荒ぶる魂と奇矯な魂
荒ぶるが故に、結局は孤独な人生を送ることになってしまった蕪木(宇崎竜童)の魂に、一途で奇矯なるが故に、仲間から孤立するまきもとさんの魂が、ぐうっと寄り添っていく。担当者として最後のお見送りと言うこともあって。
どう見てもコスパの枠にも、スタッフの枠にも収まらないまきもとさん。その日々の暮らしの最大のご執心は金魚であり、その人生の最大のご執心は、心のこもったお見送りをすることである。だから、身元不明のお骨は火葬が済んでも手放せない。
◉心優しき偏執狂
どこの現場にも飛んで行って遺留品をかき集め、関係者の情報をルーペで調べ上げ、アルバムを丁寧に作り続けてきたと言う、筋金入りの偏執狂・コレクター。観る者は、どう見ても普通と異なるまきもとさんの素行を知らされたことで、同僚たちより彼に近づけた気分になります。
◉私の方が叫びたかった
「君は自分の行く末と、お見送りを重ねているな!」と局長が、まきもとさんに叫ぶ。そうだ、それの何が悪い! と思わずシアターの暗がりで叫ぶところでした 笑
ただ私がそうであっても、まきもとさんの場合は分からない。遥かに超越したステージで、たった一人で亡くなった人の弔いや供養のことを、想っていたのかも知れないです。
しかし生者はご遺体やお骨になると、呆れるほど物と化す。しかも、最高の敬意を求める。だから時によっては扱う側は困って、早く荼毘に伏して地中に埋めてしまいたいと願う。これは、近親者や仲間でも例外ではなかったりします。
まきもとさんはひと時でも、そのコスパの時間の流れを止める存在であったのでしょう。
◉浄化され、浄化していく魂の旅
蕪木を訪ねるまきもとさんの行脚は、恋人、娘、同僚たちの想い出や過去も露わにしていきます。晒されるほどに、人の胸に染み込む秘密。まきもとさんに問われて呟くうちに、皆の愛憎やしがらみが少しずつほどけていく状況が、とても気持ち良かった。
◉白鳥の恋は儚い
人らしい感情など失った蕪木が、白鳥に心惹かれて写真を撮っていた。同じ場所の白鳥の写真が娘・塔子の独り暮らしの家にあるのを見つける。白鳥がきっかけになって、塔子の気持ちに近づく、まきもとさん。まきもとさんの赤裸々な一途さに、心が静かに揺れる塔子。
一眼レフを買った時、塔子と近づいた気がして、初めてまきもとさんが頬を緩めましたね。その後に死が控えているとは知らない、神ならぬ身の喜び。何とも儚いなぁ。でも、それが誰も知り得ない人生の秘密でもあるのですね。
近景にまきもとさんがいない、蕪木の納骨。遠景に蕪木たちの魂が見送る、まきもとさんの納骨。どうしたのだろうと訝る塔子。ややアンバランスにも思える景色は悲しかったですが、ここはまきもとさんの意志は無言のまま、皆さんの心にしっかり残されたと言うことで。
「川っぺりムコリッタ」でもそうでしたけど、魂の住む空の方へと、想いを募らせる生者たち。切なくとも、柔らかく結ばれて生きていく人たち。
感動作品にするために犠牲になった男の中途半端な物語
コメディかと思っていたが、社会派かつ感動作品に仕上がっていた。
悪い作品ではないが、なぜ牧本がおみおくり係にこだわり、おみおくり係として最後の一件だからとはいえ蕪木の件にそこまで情熱を燃やすのか、納得できないわけではないがあまりピンとこなかった。
いくつか笑えるシーンもあるものの、大抵は単発の笑いで、牧本の個性(おそらく発達障害)がもたらす周囲とのズレも序盤以外はあまり顕著には描かれない。
最後の事故も唐突で映画の主軸が見えず、感動作品に仕立てるために殺されたようにも思える(周囲が見えなくなり、いつものように道路横断への慎重さを欠いていたが信号は青だった)。
蕪木に自身の墓を譲るのやりすぎだし、作劇上の意味を考えるとラストシーンのコントラストのため。
鏑木の娘が葬儀の際に牧本の不在をほとんど気にしてないのもツラいし、無縁墓地に来るのが刑事だけで、牧本に理解を示していたはずの葬儀屋や上司がいないのも不自然。
予告で感じたような発達障害を笑うような作品になってなかったのは唯一の救い。
どうして
オリジナル作品は観てないけど、マキモトを死なす必要あります?
納得できない終わりかただった。
満島ひかりといい感じになっていたのに、あんな風に死なせます?嫌な上司への天誅がオシッコだけ。マスコミに取り上げられるか何かで
お見送り係の存続が決まり、満島ひかりといい感じのままのラストが良かった。
山形ロケ作品ということと、満島ひかり、宮沢りえ、阿部サダヲ、宇崎竜童、などそうそうたる出演者に敬意を表しての星3。
頑張った、頑張った。
小さな市役所で働く、身寄りのない遺体を"お見送り"する牧本の最後のひと仕事の話。
イギリスの作品をリメイクらしく、なぜ今リメイクする必要があるか不明な作品が多い中、今作は「孤独死」というテーマだけで充分今の日本でリメイクする必要あるだろうなという納得観。というか邦画高確率で死の匂いがするテーマが入ってくるんだが、どんだけ日本は暗い国なの(笑)
葬儀は遺族のためか亡くなった人のためかという話が途中でてきたのだが、私はやっぱり遺族というか今生きている人達のためのものだと思う。牧本自身は死者のためを思っておみおくりをしていたのだろうけど、その中で故人の人柄と人生を知り、人と交流して、徐々に何かを得ていく。これは身寄りのない牧本自身の終活でもあったんだなと。
死ぬ瞬間1人ぼっちで外だけど、白鳥も見えておばあちゃんから教わった「頑張った」を唱えれば、ほんの少しだけ怖くない。報われないように見える牧本の死だけど、最後の最後の瞬間にはちゃんと報われてる。なので個人的に最後お墓の前に故人達が来るのわざわざなくても良かったかなぁと思った。
葬儀って、ちゃんとたくさんの親族に見送られてても、親族が多ければ多いほど香典返しやら座る位置やら花の位置やら、全く知らない親戚に挨拶するやら、結構会社の業務みたいなとこあって意外とちゃんとおみおくりできてるかは疑問。
昔は家族が皆同じところに住んで、親戚も近所にいたからこの形で良かったのだろうけど、葬儀も時代と共に形式を変える必要あるんでは?と思った。私はもし自分が独り身のまま死んだとして、火葬場まで着いてきてくれるのは親族よりその時に交流が深かった他人が良い。
ハンカチはイリマシタ
オリジナルの「おみおくりの作法」の方は、上映終了後に紹介記事を読んで、観たかったなあと思った作品です。ラストがどうなるかも記事に書いてあったので知っていました(でも未見)。
本作は、同じく山形県酒田市が舞台の「おくりびと」に比べると、良く練られた脚本とは言えませんが、阿部サダヲさんの演技が良かったです。私は阿部さんの甲高い声でまくしたてる話し方が苦手で、「いだてん」ではヒステリックに感じましたが、本作ではチャーミングでした。
”お見送り係”牧本のキャラクターはなかなか掴みづらいです。
こだわりが強く、自分が作ったルールで行動したがり、ルーティンから外れるとパニックになる牧本。
時には喋り出すと止まらなくなるほど饒舌なのに、内心は明かさない牧本。
48歳になってお見送り係の廃止が決まってしまい、環境の変化に順応しづらい彼は、将来に不安を感じたのではなかったか。
毎日フライパンで調理してそのフライパンから直に食べていた彼が、ある日きちんと皿によそって食事するようになった心境の変化は気まぐれなのか、何か深く感じ入る事があったのか。たぶん、この仕事を始めた頃は、ただただ愚直にこなしていた男が、次第に心から故人の為に奔走する善意の人になったということかなと思いました。
牧本の最後の「がんばった」が、すべてをやり遂げて満足した「がんばった」ではないだろうと思うと、切ないですね。
ラストの二つのお葬式は、対比を強調したいがために、極端にし過ぎました。塔子はお墓を譲ってもらう必要があったでしょうか。父親を母親と一緒にするかどうかも含めて、後でゆっくり考えればいい事ですから。
もう少し、日本人の感覚や人情に沿ったラストでも良かったでしょう。
どうしてもくらべてしまう
どうしてもオリジナルとくらべてしまう。
オリジナルの英国映画「お見送りの作法(Still Life)」のラストシーンは、「ニューシネマパラダイス」のラストと同じくらい心が震えて暖かい涙が出た覚えがある。
今作は予告編から、オリジナルの主人公の設定だけを活かしたコメディかと思っていた。
あのファンタジックなラストシーンをもってくるなら、途中のディテールはリアルに描いてほしかった。
蕪木のひととなりや越し方に違和感がある。愛する妻と娘を捨てて、他でまた人を愛してまた捨てるって?
30年前の路上生活者仲間すぐ見つかるの? いつもあそこに座ってたって、そのベンチいつからあるの?
宮沢りえ年合わないでしょ。娘に孫までいるし、4、5年前の話かと思ってたけど、店の客までよく覚えてるね。
路上生活者仲間や店の客が覚えてるくらいなら、助けてもらった会社の人たち、もっといるだろ。
自分と母を捨てて、知らないところで別に作った家族に初めて会って仲良くなれる?
あんな立派な家で生活して、訳ありでもなさそうな蕪木の娘に、自分のために用意していた墓地を譲るのは何故? また何故そこまでしてもらうの?
そもそも刑務所の面会記録から見つけ出すより、戸籍に載ってないの?
がんばった、がんばった、は良かったけどよく考えたら、疲れたの代わりにがんばったを言うんだったから、あそこは本人にがんばったって言わせちゃいけないのかな。
ラストも葬儀が同時に行われるのはドラマチックだけどどうしても無理がある。仲の良かった葬儀屋さんはマキモトの方へ行くよね。
どうしても「川っぺりムコリッタ」とくらべてしまう。
阿部サダヲはとても良かったけど、「川っぺりムコリッタ」でお見送り係?役だった柄本祐がマキモトを演じてたらどうだったろう。
富山の川っぺりや空はとても美しく撮られていたけど、庄内の美しい山々や田園風景が全然きれいに撮られていなかった。劇場の大画面で映画を観るファンにとって、映像が美しくあることは最低条件です。
いろいろと不満な点を書き連ねましたが、好きな作品です。最初のいろんな形の葬儀とか勉強になったな。
生きた証は残してあげたいけど、生きてる間の時間を大切にしなきゃ。
エンディングの宇崎竜童のOver the Rainbowにはしびれました。
がんばった、がんばった。
なんかモヤモヤ
決して悪い話では無いし
クスッとさせ、しんみりさせ、映画としては
面白かったですが、なぜかモヤモヤ。
役所の葬儀担当なら有りかも知れませんが
思いの強すぎる人は遺族に失礼な人もいそうで
葬儀屋には向かないと思うし、
ストーリー的には牧本さんの葬儀のとき
役所からは誰も来てないとか、
満島ひかり他から何も話題にもならないとか
不自然なところが多すぎませんか?
最後のシーンは良かったですが、
製作陣は最後のシーンだけで、
全てがチャラになると思ったのだろうか?
デスクの下
想像以上に良かった!
何が良いって
キャストとテンポが良い!
みんな誰だって
一人で最期を迎えるけど
一人で生きていたわけではない
絶対に誰かと関わって生きている
それを改めて魅せてくれた映画です🎬
久しぶりに涙流れるくらいまでの映画観た✨
以下ネタバレ
國村隼さんの眼が見えない演技がリアル
風呂のシーンですぐ、この人は眼が見えない人だとわかる
凄い俳優さんですね
マキモトさんとの会話のシーンどの人達との会話も笑わせてくれる
とても笑いました🤣
松尾スズキさんとのやりとり好き
マキモトさんが車に跳ねられる時
どうか生きてと願い
葬式のシーンで、松葉杖ついてかけつけてくれる事を祈りながらみていたけど、亡くなってしまう展開でマイナス笑
マキモトさんが動いてくれたから、みんな葬儀に来てくれたのは出来過ぎでしたが、普通に感動して泣く笑
あと亡くなった人達の写真たちのシーンもジーンとする
後味スッキリ観れた映画でした🎬✨
故人のために奮闘する型破りな男
本作は、イギリス・イタリア合作映画「おみおくりの作法」のリメイクである。孤独死した故人を弔うために奮闘する型破りの市役所職員の姿を描いたコメディ風味の人間ドラマである。感動的なラストシーンが強く心に刻まれる良作である。
本作の主人公は、市役所のおみおくり係・牧本(阿部サダヲ)。彼は、孤独死した故人を想うあまり、縁者を探し、自費で葬儀を執り行うという型破りな行動で組織から浮いていた。新任局長は、そんな牧本の出過ぎた行動を嫌い、おみおくり係の廃止を決める。牧本は、おみおくり係の最後の仕事となった孤独死した老人・蕪木(宇崎竜童)の縁者探しに奔走する・・・。
型破りで察しが悪いという個性的な牧本を阿部サダヲが優しさ溢れる演技で巧演している。どんな役柄も、らしさを発揮して熟すのは流石。
牧本は、故人を弔うためには、故人の縁者に葬儀に参列してもらうことが最良だと考えている。彼の行動は、縁者のためではない。故人のためである。故人を安らかに弔うためである。
牧本の粘り強い蕪木の縁者探しは、ミステリーのようであり、蕪木の意外な人生、意外な人物像を浮き彫りにしていく。そして、縁者に辿り着いていく。孤独死をする人でも、その人生には多くの人達との繋がりがある。人は人との繋がりの中で生きている。故に、牧本は、故人を弔うために、繫がりの強かった人達を探していることが得心できる。
終盤の展開は意外ではあるが、中盤までの横断歩道を渡る時の牧本の挙動の繰り返し描写。さらに、牧本の天職であったおみおくり係での最後の仕事は、彼の集大成であり花道である。その後は?と考えれば彼の運命は推察できる。推察できてもなお涙を誘う。
ラストシーンは感動的である。牧本の周りに集う故人たちの彼への感謝の気持ちがスクリーンから静かに伝わってくる。
本作は、死を扱ってはいるが、作風が重くならず観終わって心癒されて劇場を後にすることができる作品である。
まきもとは泣かない
オープニング、気持ち良さそうに寝転がり空を見上げるまきもと。
最後に「頑張った」と言って空を見上げるまきもと。
まきもとは空を見るのが好きなんですね。
阿部サダヲのまきもとは筋が通っている。変な人だけど嘘くさくない。出てくる人は胡散臭さと自分勝手さと優しさと全部表現している。すごいです。
まきもとは亡くなった人のためにおみおくりをきちんと行う。けど、涙を流すのは身寄りの方であるとわきまえているのかも。
お仕事中のまきもとは泣かない。
涙は個人の気持ちを顕すものでした。
観たあとは寂しさも感じました。
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