「いろんな意味で肩透かし… ではあったが、類い稀なドキュメンタリーであることには、間違いなし。」日の丸 寺山修司40年目の挑発 osmtさんの映画レビュー(感想・評価)
いろんな意味で肩透かし… ではあったが、類い稀なドキュメンタリーであることには、間違いなし。
う〜ん…
とてもディープで興味深い内容ではあったが…
監督本人がラスト近くで語っていた通り、迷路に嵌まってしまったまま終わってしまい、なんとも肩透かし…
そもそも、50年以上が経過したからといって、あの問いから、なんらかのアップデートされた「今」が浮き上がるとも思えない。
それに監督自身、ドキュメンタリーが本質的に抱えている「制作者の加害性」という問題性は相当に意識していたらしく、街頭インタビューは、あえて自らの加害性を随分と強調していたらしいのだが…
本家本元において、寺山&萩元が狙っていたであろう暴力的な「凄み」に遠く及んでいない。
同じ手法にも関わらず、どれもこれも、回答の印象が予定調和に見えてしまう。
元の白黒の映像で見せているタブーの鍵を抉じ開けるような「危なっかしい」までの生々しさが殆ど見えて来ない。
寺山や萩元が狙っていたのは、回答の言葉ではなく、真にリアルな虚を突かれたような反応や表情であったのは間違いない。
寺山修司が目論んでいたであろう詩的なアジテーションという意図を、そもそも理解してはいなかったか。
あるいは頭では理解していても、実際のアウトプットまでに至らなかっということか。
本作の最新版の街頭インタビューに於いては、その殆どが質問それ自体への純粋な反応というよりは、今どきのユーチューバーなのか?といったような、質問の意図の本質と少しズレた反応が色濃く出ているように見える。
ここが最大の失敗要因だったと思う。
まあ、1967年当時の日本人の方が今より遥かに素朴だったゆえ、寺山と萩元の思惑がバッチリとハマったとも思えるが。
今回も、元のオリジナルと同様にするため、TBSとは名乗らず質問しているのだが、今この時代において、今回のああいった反応は十分に想定できたはずで、もうちょっと対策は練っておくべきだった。
そして、特に後半の方は、寺山修司や萩元晴彦の狙いについて、当時の関係者に取材するだけでなく、この企画の加虐性、まさに「マイクの暴力」に関して、メディア論を展開した方が、だいぶ観応えはあったと思う。
それに関しては、もはや当事者の萩元や寺山に直接、話を聞くことが出来ないとはいえ、一連の騒動の後に萩元自身が、当時の状況を克明に記録した本も出版していた訳だから、そちらのフォローアップは是非やって欲しかった。
というか、それに関する萩元や寺山へのインタビュー映像も、アーカイブを探せば出てきそうだし、しっかりと現在の視点で改めて検証して欲しかった。
あと、やっぱり、なんてったって、本家本元の番組の方は、当時の完パケを丸々ノーカットで見せて欲しかったよ。
本作の監督は、DJが曲をマッシュアップさせるが如く編集したかったようなのだが(ウルトラセブンからの引用もそれに該当するのだろう)
マッシュアップの方はオリジナルを完全に観せた後でも良かったと思う。
そういえば、オープニングの開始直後、ん?『気狂いピエロ』のパクリ?と思っていたら、やはりゴダール・オマージュというか、元々はジガ・ヴェルトフ集団みたいなポエティックなドキュメンタリーを作りたいという気持ちもあったようだ。
それにしても、上映当日、有楽町での最終日18:30スタートだったから、まあまあ混んでるのかと思いきや、観客は私を含めて、たったの3人…
この現実が一番の肩透かしであった。