破戒のレビュー・感想・評価
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原作は知らず鑑賞
すごく心がかき乱されるとか感情が高ぶるとかではなく、鼻の奥がツンとしてじわじわくる作品でした。
時代は明治で、あ〜こんな時代もあったんだと思う一方で、今も変わってないな…と思うところもありました。
当時の社会情勢、差別や偏見の中で苦しみながらも生きていく様、主人公の心の動きや苦悩がよくわかりました。
差別や偏見の不条理にやり切れない思いになりますが、最後に友と伴侶と子供達の存在に救われた思いがしました。
蝉の声、ピアノの音色がよかった。
無音になる場面があって、その時は映画館の中がシーンとなって一瞬時が止まったかのような感覚になります。
劇場まで足を運んでよかったと思えました。
明治29年の小説の意味を現代人に問う、改めて今観るべき価値のある映画。
今回、令和の時代にあってどうしてこの時期にと思ったが、「全国水平社創立100周年記念映画製作委員会」というクレジットがあり、節目の年ということだったのだ。
私は、原作の島崎藤村「破戒」(明治29年(1906))を昨年読み、昭和37年の市川崑監督、主演市川雷蔵の映画「破戒」も観た。これは原作の進行通りではなく、特にインパクトの強いところを独特の映像美で重苦しい主人公の心の中を表現していたように思う。
今回は、市川崑監督のとは違い、原作のストーリ展開に沿った形でより現代の我々に受け入れられる作りになっていると思う。役者もよく、本当に涙が出るところもあった。
出自の秘密を隠し通すように言われて育ち小学校教諭にまでなった主人公ではあるが、部落民差別を当然のごとく主張し横暴な態度の同僚の教諭の出現によって事態は大きく動いていく。政治がらみもあり、100年以上も前の原作を映画にしたこの作品は、現代に生きる我々にとってもどこか根深いところでその本質が脈々と流れているのではないかと、考えさせてくれる映画であった。
どんな境遇にあれ、社会を正すために立ち上がる人間に対して、自己の地位・利益を保持し続ける上から目線の人間が当然のごとく罵倒する。一見、部落民という表立ったものはないかもしれないが、貧困や職業、病気など様々なところで社会から見放された人がいる。
今回、平日の昼頃の上映であったが30人ほどの観客がいた。若い人たちにも是非見てほしい映画である。主役の瀬川丑松(間宮祥太朗)とその同僚の銀之助(矢本悠馬)の二人のゆるぎない信頼関係に心打たれた。
キャストと演技は素晴らしい!
この映画が、どの程度の史実に基づいているかはわからない。また、原作も読んだことがないため、どこまで原作に忠実かもわからない。
キャストと俳優陣の演技は素晴らしく、この映画の見応えをつくり出している。
現代の日本では身分制度はないが、職業や学歴や家柄などで、人間というものは優越感を持ちたい生き物かもしれない。
時代背景から考えると、江戸時代から時代が変わったとはいえ、現代より差別意識は、より強かったことは確かだろう。
反戦についての思想は、現代にかなり寄せているようにも感じられる。
やはり、こういった作品は原作を読んで、時代背景を確かめないと評価は難しい。
興味のある方は映画館で、自分の目で確かめてみてほしい。
間宮さん釘付け
今、旬な間宮さん↗️ヤンキードラマも当たり役だけど、まじめな役柄も見たくて観賞しました。
先生役もいいです。自身の出身を隠し、しほさんへの思いにも苦悩し悩む姿には美しく、はかなく、演技に引き込まれました。観賞前はまさか泣くとは思ってなかった。3回泣きました、子供たちに出身を告白するシーン、同僚が最後まで優しすぎるシーン、お見送りシーン。観てよかったです。何か勉強を頑張ろうと思えるようになった。間宮さんの生徒になったつもりで(笑)苦手なPC 勉強します。
間宮さんの目力、ステキです、しほさんの控えめな演技もよかったし、眞島さんもよかった。
破戒の意味
原作は未読。
部落出身というだけで宿泊していた宿屋から追い出され、宿の畳を全部張り替えると言われ、挙句の果てに石まで投げつけられるという冒頭。時代感を描写する凄まじい始まり方だった。
その後も描かれるのは部落出身者の状況の過酷さ。そこまでひどい扱いだったのかと思わせるのに十分な展開だ。でも、本作のメインテーマは破戒(戒めを破る)ということ。自分が何者か、また何者かを明かすかどうかはとても大事なこと。アイデンティティを確立しようとするその姿はとても勇気をもらえるものだった。100年以上前の話だけど、現代にも通じる内容だった。とても重いがしっかりと受け止める必要がある。
唯一気になったのは言葉遣い。この時代の設定だと仕方ないとも言えるが、仰々しい感じがしてしまう。時代劇とは違うし、現代の言葉とも違う。昔の日本映画でも感じてしまうことだが、若干戸惑ってしまう。
被差別部落出身の教師の葛藤
島崎藤村の破戒を間宮祥太朗主演で60年ぶりに映画化したとの事。
亡くなった父から自身が被差別部落出身である事を隠し通すよう強く言われていた瀬川は、地元を離れ小学校の教員として働いていた。言葉使いも丁寧で、生徒に慕われる瀬川だったが、出自を隠していることを悩み続け、下宿先の士族出身の志保を好きになったが、告白出来なかった。そのうち瀬川の出自について学校内外で部落出身じゃないかと疑念を抱かれるようになり、瀬川の立場は危ういものになってきた。苦しみの中、瀬川は被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎に傾倒していき、そして・・・てな話。
日露戦争の頃だから120年近く前の明治時代の設定で、先日観た、私のはなし部落のはなし、よりはるかに差別意識が酷かったのだろうと想像し、主人公の気持ちになって悲しくなった。
アメリカの黒人に対する差別、かつてのドイツでのユダヤ人に対する差別、トルコなどでのクルド人に対する差別、中国でのウイグル人やチベット人に対する迫害、日本で現在も続いている在日朝鮮人への差別など、世界中で差別は決して無くならないものなんだろうと思う。
人類皆兄弟、自由で平等というのは理想だろうが、人間は弱い生き物だから、自分より下と思える人が居ないと精神的に持たないのかもしれない。明らかに肌の色が違うなど、見た目が違う差別より、隠し通せと言われるような見た目が全く変わらず、自分のルーツに関わる部落差別は奥が深いのかもしれない。
そんな事を考えながら、悲しく涙が出そうになった。
瀬川役の間宮祥太朗が素晴らしい演技を見せてくれた。
ヒロイン役の石井杏奈が凛として清楚な感じで良かったし、学校での友人役の矢木悠馬の友達思いの言動が素晴らしかった。
楽しい作品ではないが、多くの人に観て、知って、考えて欲しい作品です。
余韻にひたってます
本当によい作品
期待以上だった
間宮祥太朗さんはじめ
みなさんの演技力
映像のうつくしさに
感動、泣きました
主人公、親友、恋人、
尊敬する活動家‥
それぞれの葛藤と激情を
静かに抑えながら
希望は未来を照らすように
描かれてた
差別、偏見は今もある
自分に引きつけて
考えさせられた
まだ余韻です
多くの人に観てもらいたい
もっともっと上映館増えますよう🙏
我は穢多なり
明治30年代後期、差別部落出身の出自を隠し、長野の尋常小学校の教員をする青年の話。
明治になり身分制度が廃止されてもなお、色濃く残る差別を背景に、幼少期から父親に出自は隠し通す様に言い聞かされてきた青年が、身を置く寺で出会った女性との恋や、出自を隠さなければならない現実に葛藤するストーリー。
出身地方や被差別部落出身の文筆家にして思想家の猪子蓮太郎に傾倒する様から、隠していた出自についての噂が立って…。
産まれも育ちも東京の自分の周りでは、幼い頃から既に所謂同和問題なんて聞こえて来なかったし、学校でも同和教育なんてなかったけれど、就職した際に会社で同和教育なるものがあり、西の方の出身の同期に学校でもあったと聞いて驚いた記憶が…。
ネットで情報が入ってくる現在に於いては、色々とキナ臭い話も聞こえてくるけれど。
今作の時代の世間では当たり前にあったし、教育者や政治家にあっても発言に矛盾するところのある部落差別問題が罷り通っていた状況下。
こんな簡単な話しではないとは思うけれど、人に惹かれる人にはそれなりの理由があるし、子供は純粋だしみるべきものをちゃんとみて感じているということですね。
映画化するのであれば
企画、脚本、監督、構成、カメラ、配役、音楽すべてにおいて中途半端な映画になってしまった。
最初の宿のおかみ、校長、しほ、住職、丑松ほか、ひとりひとりの技量どうこうではなく、配役ミスだと感じた。
小説を読んだときは胸が苦しくなるほどにつらかったが、この映画では丑松の心の極限の描き方が浅すぎた。丑松の感情のピークを、教員室でのやりとりに持ってくるべきではなかった。ただ大声を出させただけ、演出ありきの演技になってしまった。
カメラワーク、音楽もそう。
まるで時代劇のような撮り方では映画としての値打ちがなくなる。ドラマでもよかったのではないか。
音楽も効果的に使われたシーンが一度もなく、あえてそうした可能性もあるけれど学生作品の静かなドキュメンタリー映画を観ているような感覚に陥った。
もったいない、もったいない。
この題材を映画化するのであればなぜもっと詰めることができなかったのか。
じゃあ、監督や役者は誰がよかったのか?と聞かれても思い浮かばない。
日本にはもうこういう役を演じることができる若手の俳優がいないのかもしれない。
ドラマも映画も同じ顔ぶれをグルグル使いまわしているだけ。
監督も中の上はたくさんいるけれど、このテーマを撮ってもらうならこの人!という人はいない。
島崎藤村の破戒を熟読したスタッフはどれだけいたのだろうか。
われは穢多なり。されど穢多を恥じず。
個人的に最近、被差別側の小説や映画に凝っている。サンカや非人、穢多の話は、今では歴史的にも、人々の記憶的にも、そしてなにより彼らに対する差別意識自体が薄れゆくものとなっており、それは望ましいことだと思う。裏返せばそれだけに、この映画の訴えるものがなんの予備知識もない人にどこまで伝わるのかの老婆心はぬぐえない。
先日観た「橋のない川」一部、二部の中で、しきりに島崎藤村「破戒」の名が出てきた。それきっかけで読みだしてみると、偶然にもまもなくこの映画が公開するという。そこで今日の鑑賞に間に合うべく読み進み、場面は選挙応援演説の弁士として猪子蓮太郎が登場するところで昨日(7/8)の昼はいったん休止。そこに、安倍元総理の銃撃事件のニュースが飛び込んだ。心がざわつきながら読みだしたら、その猪子が暴漢に襲われる場面へ。鳥肌がたった。まさに、現実と小説の中がシンクロしてしまった感覚だった。いっきに明治の信州飯山の空気の中に身を置いてしまった気分になった。
映画の中で丑松は、常に悩み、苦しみ、迷い続ける(間宮祥太朗がこの苦悶する丑松を実によく演じている)。それは自分の素性ゆえだ。その丑松は言う。「差別と言うものは人の心から簡単にはなくなったりはしないと思うんだ。また新しい差別が生まれるだけだ。」と。その訳を「人は愚かではない。弱いのだ。」と。それが本質だとするならば、支え合わなければいけない。自分の弱さを人に晒し、人の弱さを補ってあげ、そして互いに良きところは称えるべきだろう。・・と、この言葉を打ったところでハッとした。今、広告機構のCMで「叩くより称え合おう」ってやってるじゃないか。それだよ、それ。でも人は、やはり弱いのだ。称えることが、怖いのだ。だから自分の居場所を守ろうとして、自分と意見の違うものを攻撃したり排除しようとする。その浅ましき人物(たとえばここでは校長や勝野)はいくらでも現れる。だから、自分が強くなるしかない。その手段として丑松は、勉強をしなさい、と説いていた。彼の説く、勉強をしなさい、は深い深い意味が込められているのだよなあ。
東京に旅立つ丑松には、志保という良き伴侶がいる。そして、銀之助というよき友人であり理解者もいる(矢本悠馬がまた実にいい)。彼もまた東京に出るのだから、また心強い友に支えられて生きていけるだろう。この先待ち受ける困難も、たぶん丑松なら乗り越えられる、そう思えた。
小説と比べると、やはり現代的な倫理観による演出が随所に。それはそれでいいのかなとも思う。ラストも、丑松たちが目指す場所がアメリカテキサスから変えられて東京になっている。これも、これでいい。だって、その方が身の丈に合っているじゃないか。それに、アメリカというと、どうも、逃げたような印象があったもの。しかも小説の終わり方が唐突な感じだったので、映画でしっかりお見送りができてすっきりさせてもらえた気分だった。
間宮君が美しい。演技も顔も表情も。 明日は選挙の投票日ですが、日本...
間宮君が美しい。演技も顔も表情も。
明日は選挙の投票日ですが、日本を良く変えることができるのは、リーダーというよりは、、、名もなき庶民なのでしょう。
難しくないよ
遥か昔に原作を読みました。
その時は「文学作品を読む」という、肩肘を張って読んで、中身より「読み終えた」ことに満足していたような気がします。
ということで、原作の詳細はろくすっぽ覚えてないのですが、だから良かったのかなぁ?
全く肩肘を張ることなく、素直にストーリーに入っていけましたし、主人公の苦悩に共感し、告白シーンは感動をもって受け入れることができました。
全然難しい映画じゃないので、興味のある方は是非鑑賞されることをお勧めします。
しかしなぁ、日本では未だにこの差別が存在してるんだよなー。
親から子へ伝えられて、根拠のない偏見・差別が脈々と続いていく。
また、映画の中でも言われていたが、「この差別がなくなっても、別の新しい差別が出てくる」というのは本当だよなって思った。
差別や障害を乗り超える人は、偉大でリスペクトしか無い‼️❓
原作を遥か昔に読んで、差別の現実に驚愕した、覚えがある。
アメリカでは人種差別に関する映画が溢れているのに、日本では差別に関する映画が少ない。
こんな映画が広く公開される日本のことを誇りに思いたい。
間宮祥太朗の演技は素晴らしい、役所広司、いや、ロバートデニーロやトムハンクスなんかより遥かに素晴らしい。
映画の品質もレベルが高い。
人類のプライドを思い知るために、是非。
ちなみに、映画で観てリスペクトした人は、サリバン先生とクンタキンテ。
今見ることに意味がある
島崎藤村の不朽の名作を令和版として落とし込んでおり、現代にも存在するあらゆる差別について考えさせられる作品です。
間宮祥太朗さんは丑松が静かな佇まいの中に隠している慟哭を見事に表現されていました。対照的に常に暖かく時に熱い好青年の銀之助を矢本悠馬さんが好演、石井杏奈さん演じるお志保さんの透明感と芯の強さにも好感が持てました。そして眞島秀和さん演じる猪子先生の存在感、その覚悟、使命感、内面から滲み出る凛々しさに惹きつけられました。
差別という原作のテーマを現代にも通じるように細部に配慮した脚本も、音や光、間やカメラワークなどにこだわった見せ方も良かったです。
重いテーマではありますが、どんなに遠くにいても誰もが簡単に世界に向けて差別的発言や誹謗中傷できてしまう現代だからこそ、多くの人にこの映画を見てもらって考えるきっかけにしてほしいと思います。
7/12追記
上記の私のレビューがほぼ丸パクりされてインスタに投稿されていました。ところどころ言葉を変えたり情報を付け足したりされてましたが内容は丸パクりでした。結構ショックを受けるのでパクるのはやめてくださいm(_ _)m
ペンは剣より強い❗️
冒頭から涙でした。
こんなに酷いことが公然と行われていたなんてよく知らなかった自分を恥じました。
被差別部落の人を都合よく利用する輩、恋路の邪魔にもなる丑松の出自を暴き、追放しようとする偉そうなインテリ教師。
差別はなくなったことになっても人の心が全く変わっていないことの残酷さ、自分が自分であることを社会から認められない理不尽さ。
最後の場面で見送っていた子どもたちが、被差別部落の人を支援してきた人を表していると思いました。丑松の人となりに惹かれ、世俗的な学校を飛び出してきた子どもたち。
差別に打ち勝つためにも勉強すること、教育を受けることが大切だということもよく分かりました。
今でも差別に苦しむ人がたくさんいます。たくさんの人に見てもらいたいです。
間宮祥太朗さんの演技も素晴らしかったです。
今に通じるメッセージ
帝一の國からの間宮ファン。
今回の難役をどう演じるのか
たのしみに完全披露試写会で鑑賞。
作品もさることながら
表情、視線、発声、所作‥
ご本人の心のきれいさから
滲み出る主人公の生きざまと心情
私、こういう間宮祥太朗を
観たかったんだと。
教え子に隠していたことを詫びる丑松。
一人ひとりがおどろきながらも
一生懸命受けとめようと聞き入る。
親友銀之助との関係性も
次第にお互いの立場を
想像した会話や表情に
変わっていくさまに
触れるたび、涙でした。
出自は謝ることではないのに。
並大抵では乗り越えることが
困難だったであろう時代。
苦悩、激情を抑えつつ、
生徒には真摯でありたい丑松。
原作は被差別部落出身の主人公の
葛藤が描かれる。
人を思いやること、
相手の立場を受け入れる大切さを
丁寧に描く上質な映画だった。
氷室ローランドもあたり役だったけど
間宮くん、ほんとうに大人になったなぁ。
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