ザ・ホエールのレビュー・感想・評価
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感情を完全にもってかれた。
いわゆる密室劇で、パーソナルな物語。舞台劇のようや小さな設定に「人は人を救えるのか」といった重いテーマは、登場人物たちの演技力に、前のめりで見入ってしまうほどの迫力を感じられた。レトリックや伏線が重ねられて複雑にも思えるけど、軸はブラさずにエンディングに進んでいく流れは好印象。しかもポジティブに。久々にいい映画を観た。
末路
ブレンダン・ブレイザーの演技は見事だが?
アカデミー賞作品賞候補だったザ・ホエールは
主演男優賞ブレンダン・ブレイザーの演技は素晴らしかったが、作品全般からすると分かりづらく、作品終盤でやっとこの作品のポイントが見えてきただけにもう少し分かりやすくしてほしかった。観た感触がイニシェリン島の精霊を観た時と同じ感覚。題名がそのままこの作品のキーワードとなっているし、英文学に関心がある方は興味深く鑑賞できる内容。物足りなさは残る。
確かに傑作
やや映画の述べる主張がわかりにくい点はあるかなぁ…。
今年115本目(合計766本目/今月(2023年4月度)10本目)。
歯を抜くのは痛いですね…。おかげで1週間も映画館に行けない日々に。
まぁ今は少し落ち着きましたが…。
さて、こちらの作品です。
正直なところ、「アメリカの文化・宗教論等も入っているため、何を言わんとするか主義主張が見えづらい」点は言えます。
一方、多くの方が触れている通り、映画の展開は99%以上が主人公のいる家でだけ進むし、原則時間ずらし描写もないので、「今どこ?」というような展開も起きにくいのは救いです。
問題提起型(極端な肥満の防止)という観点で見れば、最後までエンディングロールを見れば、アメリカの厚労省に相当するような省庁から「肥満には注意しましょう」みたいな一文は出てもおかしくないものの、それは一切出てこず。また、本映画のタイトルと、映画内で参照されている「白鯨」(小説)については、一応出ることは出ても参照されているだけです(肥満問題が一切触れられないのに比べて、こちらはある程度出る)。
さらにアメリカの宗教論(キリスト教およびその宗派・いわゆる分派等も含め)等も出ると思えば親権がどうのといった法律ワードも飛び出すので、「何を主義主張として述べたいか」はよくわからないところです(ただ、宗教論については明示的に出るし、日本基準ではおよそ聞かないような語も出るので、そちら主軸の可能性もありそう。なお、字幕としては一般的なキリスト教の文化の知識で足りるようになっています)。
おそらく、厚労省(日本基準)の「肥満の防止のうんぬん」は何ら問題提起の論点ではなく、おそらく「白鯨」に関することか、宗教論ではなかろうか…(あるいは、家族を取り巻く扶養義務の問題?)と思えるものの、ここははっきりとせず。
ただ、「主義主張はわかりにくいものの、映画のストーリー的に混乱させる要素はまるでもって存在しない」ので、その点では対抗以上には推せると思います(というより、4月2週(14日からの週)は、コナン以外に新作が大半なく、ほとんどが先週からの継続ですが…)。
採点に関しては下記を考慮しています。
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(減点0.3/映画の主義主張が多義に取れてしまう)
映画内で明確に述べられていなくても「肥満には注意しましょう」という軸で見るのも常識的な範囲でありうる解釈で、一方で「白鯨」や宗教論ととらえることも可能で、ここは解釈がかなりゆらぐのでは…と思えます(この意味で、「日本で」放映することはあまり想定されていない?)。
といっても、一応指摘はするものの、「映画の述べるところ、展開の理解」についてはトップクラスにわかりやすいので(解釈はともかく、ストーリーの理解については支障をきたす部分が皆無に近い)、減点はこの程度にしました。
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ブレンダンの芝居は見応えがありました
ダーレン・アロノフスキー監督の、贖罪をテーマとしたヒューマンドラマ。
主演は「ハムナプトラ」のブレンダン・フレイザーで、彼の沈んでいた人生と少しリンクするような起用が面白かった。
怪我・離婚・母との死別・セクハラによる心の傷・肥満・主役降板・作品の打ち切りにお蔵入りとずっと闇の中だったろうと思う。どうしても主人公チャーリーの影が見えるんですね。
ここら辺の采配は監督の見事な洞察力なのでしょう。
多くの主演俳優がオスカーを手にしている事からもそう思います。
またその芝居を導きだすのもうまいのでしょうね。
今作もやはり見所は役者陣の芝居。特にブレンダンはその表情など、特に見応えがありました。
ワンシチュエーションだった事も、より効果的だったのでしょう。
物語自体は着地が見えていたものの、静かな結び方で良かったと思います。
何よりブレンダン本人にとって、光となる作品であった事でしょう。
二律背反の愛の水底に沈む哀しき巨体... 贖罪のために食べ続け泣き続け謝り続けた男が人生の最後に望む絆の映画
十年ほど前に妻子を捨てて同性の恋人との愛に走った中年男性が、自らを罰するかのように陰々滅々とした日々を暮らす中で健康を害し、生涯最後の望みとして一人娘との絆の再生を希求する最期の一週間の物語。
元が同名の舞台劇だったということもあってとあるアパートの一室、登場人物は数人という極私的な世界ですが、それだけに濃密な内省世界が展開され、またダーレン・アロノフスキー監督による官能的で粘液質且つ幻想的な画造りが観ている側を酩酊感に誘う、まさしく深海に潜っているかのような息苦しさと開放感を同時に感じる力作です。
映画評論家の町山智浩さんが本作について"親だって完璧な人間じゃないんだ、というお話"と端的に評されていましたがまさにその通りだと思います。
自分の幼少期の頃を思い出してみると、親が何かに失敗したり負けてしまうことそれ自体は大した問題ではなく、むしろ彼らがそれを認めようとしない姿にこそショックを受けたり悔しい思いをしたのではないでしょうか。
人として真っ当であるということは器用なことではなくて誠実であるということ。それを思えばネバーギブアップなのですが、一方で本作が"取り返しのつかない過ちが有る"を大前提とした物語であるがゆえに観ている側もまさに二律背反の煩悶に迷い込む作品でした。
誰とも会わなくても過ごせてしまうこの時代。だからこそ生み出された映画といってもいいでしょう。心を揺さぶる傑作です。
映画を見ていて、この役は絶対にこの人にしかできなかっただろうと思えた時、物語に一層、引き込まれる。その最たる例ではなでしょうか。
「ハムナプトラ」シリーズなどで人気を博しながら、心身に不調をきたし、ハリウッドの表舞台から遠ざかっていたブレンダン・フレイザー。彼が体重272㎏の男に扮し、米アカデミー賞の主演男優賞に輝いた本作で浮かび上がるのは、人間のもろさや悲哀、愛情。 誰しもが共感し、考えさせられる作品になったのは、全てをさらけ出したブレイザーの熱演と、メーキャップなどのスタッフの技術のたまものです。
原案は2012年に米で初上演された同名戯曲。
主人公は、“彼氏”のアランを亡くしたショックから、現実逃避するように過食を繰り返し、極度の肥満体形となった40代の教師チャーリー(ブレンダン・フレイザー)。自宅に引きこもり、大学のオンライン講座で素顔を隠しながら教べんをとって生計を立てていたのです。
歩行器なしでは移動もままならないチャーリーは、病院行きを断固拒否し、アランの妹で唯一の親友でもある看護師のリズ(ホン・チャウ)に面倒を見てもらっていましたが、うっ血性心不全の病状は悪化する一方。しかし、余命がわずかと悟り、離婚して以来長らく音信不通だった17歳の娘エリー(セイディー・ジンク)との関係を修復しようと決意します。ところが家にやってきたエリーは、学校生活と家庭で多くのトラブルを抱え、心が荒みきっていたのでした。
月曜から金曜までの“最期の5日間”の物語で、ほぼ全編、アパートの一室で展開していきます。序盤は、歩行器を使わないと立つことも歩くこともままならない、マジックハンドなしでは物も拾えないといった、チャーリーの身体性に焦点を当てられました。撮影の度にメーキャップに4時間を要したというブレイザーの姿を含め、映像は強烈で、見ていてつらくなりましたが、それが物語に欠かせぬ前振りだった、と後に気付かされたのです。
つまり本当に描きたいのはチャーリーの外見ではなく内面なのです。リズや、家を訪ねてきた若い宣教師、元妻、エリーとの出来事や対話を通じ、彼のぬぐいきれない罪悪感や、死を目前に抱く後悔がにじみ出てきます。残された時間で彼の心は晴れるのか。反面、あなたの生き方はどうか。そんな問いかけも、それとなく突きつけられるのです。
本作は、徹底した室内劇として展開されるスタイル。原作の同名戯曲に感動した ダーレン監督は、映画化すると決めたときから、原作のままのアパートの一室での展開にためらいはなかったそうです。そしていかに観客が一つの空間を見続けられるかが大事だったから、撮影前に3週間リハーサルをして、フレームに常に観客が新しく学べる要素を入れられるように準備したとのこと。
ダーレン監督の作品を知っていれば、彼が映画において究極的に大事なのはエモーショナルなんだというこだわりに共感されることでしょう。わたしにとっても「レスラー」「ブラック・スワン」などダーレン監督の過去の作品は、忘れがたい名作として記憶に残っています。
なので本作でもついついフレイザーの巨体ぶりに目が奪われがちですが、本質はそこではないのです。娘との関係において罪悪感を漂わせる一方で、独特のユーモアセンスもある人間味あふれる男が、いかに人ときちんと向き合うか。ブレイザーは、目の演技一つで表現していることが素晴らしいと思います。ダーレン監督が彼をキャスティングするまで約10年を費やした努力が実ったと言えそうです。
極論すれば、誰とも会わなくても過ごせてしまうこの時代。だからこそ生み出された映画といってもいいでしょう。心を揺さぶる傑作です。ブレイザー、ダーレン監督をはじめ、本作に関わった全ての人にこころから拍手を送りたいと思います。
歩行器で立ち上がる絵を広角、ローアングルで撮る
いやーこれ凄いなぁ。
まあ元々舞台劇だったとはいえ、よく家一軒でもたせたなぁ。
パートナーに先立たれ、過食、肥満という緩慢な自死を選んだ男の最期の5日間の話です、、。
出入りする人も色々事情や、関係があって、、まあそこは自分で見てください。ぶっちゃけ2時間かけてそれぞれのエゴとクソ野郎のデブが「御免なさい、ありがとう」というだけの内容なんですが、、人との関係って結局はエゴのぶつかり合いだよねと妙に納得して映画館を出ました。色々受賞してるように出演者達の演技が魅せます。
特殊メイクとCGの手を借りてるのはわかっているけど、まったく不自然さはなかったし、ほとんど顔芸にちかい(肥満で動けない)ブレンダンフレイザーの演技は素晴らしかった。日本人は体質なのかここまで極端な肥満をあまり見ないけど、白人はこの手の肥満は社会問題になってる。あまり見かけないのは外出出来ないせいかもね。役作りでブレンダンも肥満援助団体OACの人達からヒアリングしたらしい。あと介護士ホンチャウの自然さと新興宗教宣教師の不安定な感じ、タイシンプキンが良かったなぁ。
インタビューみたら皆んなでそのまま舞台ができるくらい3週間ガッツリリハーサルやったらしい。
準備の重要性をブレンダンが言ってた。
準備は大切だよ。
ひとつの捕鯨問題
デニーロが役作りで30kg体重増やしたという話があるので、今年のアカデミー主演男優賞を本作で獲ったこのブレンダン・フレイザーさん(よく知らない)は270kgまで増量したんか!と思っていたが、そうではないらしい。世間の作品の評価は高く、その理由のひとつはフレイザーさんの超肥満演技と思われるけど、これって動物の形態模写なんかとあまり変わらない気も…(失礼!)。昔のびっくり人間大集合でこういう人は出ていたので(失礼!)絵的なインパクトも特に感じられず。
限られた登場人物たちはそれぞれの理由で心に傷を負っていて、そんな彼らの気持ちに自分も寄り添って…と理屈では理解するのだが、人生の経験値が低すぎるのか感受性が乏しすぎるのか感情面で共振できず、結果的に話にまるでピンと来ず。ラストも、エリーのひたすら邪悪な態度・行動にはちょっとわくわくしていたのに、なんでそうなるの?かと…。
ちなみに自分が体験した糖質制限ダイエットの知識からすると、ピザやチョコバーはNGだけど、フライドチキンはいくら食ってもOK!
大学レベルの文学やエッセイを教える「教育者」
アメリカには歩行器なしではいられない重症の肥満症患者がたくさんいる
この主人公チャーリーは、医療保険や生活保護のみで暮らすニートやひきこもりとは違う
大学のオンライン授業で文学やエッセイを教える知的な教育者である
4時間以上も要するメイクとファットスーツを着たブレンダン・フレイザーの演技は、
ファットフォビア(肥満恐怖症)やボディシェイミングを煽るような痛みと恐怖も感じられる
一方、「正直でいろ!」「正直な気持ちで書け!」「あなたは素晴らしい」「美しい人間なんだ」っと他人を鼓舞するセリフも出てくる
この映画を見て号泣してしまうのは
チャーリーの自己的な贖罪と償還を
他人の自己として見過ごせない人間の本質が描かれているからだ
孤独でひきこもり経験のある人
思春期の子どもに手を焼く両親
宗教観の違いによる悩み
死を看取る上でのあり方など
どのテーマも決して他人事とは思えない映画だった
sorryがつらい
親バカチャーリー
全編光を閉ざした物語
とにかく暗い、主人公に感情移入しない、どこか自業自得?まで思う
溺れる鯨
強烈。そして圧巻。
演技はもちろんだけれども、皆見た目にインパクトのあるブレンダン・フレイザーについてばかり賞賛するのみで、この映画の本質的な部分に触れられることが少ないのは残念。
裏切った後悔と自責の念から自らを罰するように肥大化したモンスターのような主人公の苦悩や諦観、僅かな希望。
「白鯨」をモチーフに描かれる宗教的欺瞞からの自己解放。
現代病と言われ幾星霜、依存症という言葉で言い表せないくらいに何かに依存する人たち。
それらが絶妙に絡まりあって織りなす人間ドラマ。
アパートの室内のみで展開される様子は演劇のようでもあるし、短編小説を読んでいるような錯覚にも陥った。
そして明確に死へと向かう物語が、どこかサスペンスのような緊張感を保ちながら進行することで単調な会話劇に終始してしまわないよう効果的に機能している。
人と人は簡単に分かり合えない。許し合えないし認め合えない。ドラマのようなハッピーエンドは現実世界でそう多くない。むしろ非常なことの方が多い。
この映画はそんなリアリズムを踏襲しながら、死の直前に魂と魂の相克がほんの少しの希望を見せてくれる。
その一瞬のシーンが圧倒的に美しい。
溺れる鯨が死の間際に何を想ったのか。何を見たのか。
ほんとうに良い映画だった。
全171件中、101~120件目を表示