ザ・ホエールのレビュー・感想・評価
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エリーが書いたエッセイが親子を結びつけた。
ストーリーはそれほど、稀でもない。妻と娘とクリスチャンの信仰を捨て同性の恋人に走り、ガンの人生をおくって亡くなった人を知っている。それに、アイダホ州は共和党の州でこの映画でも、共和党でテッドクルズやマルコ・ルビオよりトランプ(30%)が優勢だと2016年の大統領選のための共和党予備選中だ。それにこの州には腐るほど、モルモン、アッセンブリー・オブ・ゴッドなど教会がある。友達がいるなどの理由で何度か訪れている
が、公立学校の隣に教会、特にモルモン教会があるというように政教分離がちょっと?この映画ではNewLife教会の伝道師(アイオワ州ウォーターローからのトーマス)とやらが登場している。チャーリー(ブレンダン・フレイザー)のパートナーであるアレンもNew Lifeで、私的にかなりよく状況を把握できて、なにも新鮮さを感じないがないが、チャーリーの生き方、それに、家族愛、宗教の矛盾には衝撃を受けた。それに、チャーリーの娘、エリー(セイディー・シンク)の書いた詩(脚本)で気に入ったところがいくつかある。
まず、父親チャーリーは8歳で別れた娘、エリーが8年生の時書いた作文を自分の心を落ち着けるための糧にしていたことだ。この作文を持ち続けていたということだ。中学2年生の時のこの作文の出来はいいがこれを何度も復唱するシーンが多い。心を落ち着けるだけでなく、死に瀕しているときも暗唱する。それに、父親が『好きなことをかけ、何でもいいんだよ』といわれ、書き出したエリーの詩(川柳):
This apartment smells
This notebooks retarded
I hate everyone.
父親がこの詩を詠み、8年生の時に書いた作文の中に取り入れるところがまたいいね。エリーは心の中を吐き出して言葉に表すことができる。父親がその指導を文学初級のクラスで教えている。エリーは「文学101」のクラスは(文学初級)を卒業できるねえ。エリーに対して『amazing』を連発するけど、私もそう感じたよ。
母親が、エリーは父親のことを『There'll be a grease fire in hell when he starts to burn』 というと。そして、悪魔ねと。これを聞いて父親は
『This is not evil. This is honesty!!!』と答える。
私も本当のことをうまく文学的な言葉に表せるエリーに感心したよ。
エリーは8歳まで父親といたから彼の才能や思想の影響を受けているように思える。それに、いやみたらしい現実的な母親の影響も。この元夫婦は陰陽のバランスが良かったようで、父はポシティブ、母はシニカルで、エリーはシニカルであり、正直で賢い、annoyingであり、amazing である。
正直なところ、ここに脚本家の意図が含まれていると思う。脚本家の言いたいことは『真実を正直に自分で表すことの大切さ、それが時には自分を助けたり(父親、家族と繋がり始める)関わってくる人を助けたり(トーマスを両親の元に戻らせる。アレンを助ける。リズの蟠りも消える)、または人や自分を傷つけたり(エリー自身の生き方)する。でも真実を伝えようと。綺麗事やまやかし、ここでは宗教家、宣教師であるトーマスとの対比(矛盾:ゲイを受け入れられないなら初めから綺麗事を言うな!Be honest 正直であることが大事。ゲイは受け入れられないって言え)で現れていると思う。レッド州(共和党)のこのような片田舎ではでは宗教が全てにオブラートをかけて、正直さを隠しているような気がする。(私はクリスチャンなのでこういう言い方はしたくないが、)『現実に目を逸らすな』が信条なのでこう書き留める。ステレオタイプだが、日本社会のような裏表の社会、本音建前の社会、内外の社会、では、正直者で、人助けができるエリーのような存在はどうなんだろう?
次に、最後のシーンでは「文学101」のクラスで、本人自らも学習者に正直になり、自分の心と体を見せる。彼は初めから病院に行くことなんて考えていないと思う。天国でボーイフレンドのアレンと一緒に暮らせることができるし、娘のために何か一つでもいいことをしてあげたいから。才能のある娘を彼が貯めたお金で好きな道に生かしてあげられるから。親子の結びつきがなく、父親に捨てられたと思っていた娘が、父親に書かせた作文は娘自身が8年生の時に書いたものである。それを知らなく読み始めた娘は父親の今までの気持ちを理解する。『私を愛していてくれたんだ』と。それに、自分で書けるんだということも実感する。父親自身も人には寛大でよくできるが自分には満足できなかった。でも、死ぬ一歩手前で娘が読んでくれて、最高の幸せを味わったようだ。娘のために何か一つでもいいことをしてあげたいことがお金だけじゃなく、娘への愛情も知ってもらったし、自分自身も満足できたと思う。『Daddy 』と娘は初めて父親に言った。初めて!泣けた!
蛇足:
エリーは才能がある。正直いうと脚本が優れているんだよね。脚本家が気になって調べたら、有名な人、サム・ハンターだった。2022TIFF (ティフ:トロント映画祭2022 Toronto International Film Festival on September)を聞いたら、監督はサムの誕生日にティフにこの映画を上映して欲しく頼んだと。
サムは北アイダホで生まれ育ち宗教的な環境の中でゲイで肥満であったことも自分とのコネクションがあると言っていた。
この戯曲は120席という小さな劇場で上映されていたが、そこにこの映画の監督が来ていて是非映画にさせてくれと言い出したと。初めは断ったが、何度かの監督の訪問で10年かけてこれが映画にできたと。主役だが、以前に監督の映画に出たことがある、フレイザーに声をかけたと。
フレイザーに対する観客の拍手はものすごくて圧倒された。私は監督もフレイザーも全く知らなかったけどこの映画祭の観客の喝采に驚愕。
うーん...
ブレンダン・フレイザーの最優秀賞男優には納得しました。
リズのホン・チャウも、とても良かったです。
しかし、ストーリーは“???”でした。
娘への絶対的な愛は、ひしひしと伝わってきたのですが…
母も娘も、もちろんリズも、チャーリーのこと、
ものすごく気に掛けてるじゃないですか。
だったら、やはり、だれか病院連れてこうよ…っていう、
最もな思考が頭から離れずで…
宣教師の立ち位置も、娘が実は良い子っだって思わせるために、
仕込んだだけ?にしては、若干煩わしかったなぁ…
もう少し、チャーリーのために良い動きしてくれるのかと思ってた。
チャーリーにとっては、最後は笑っていたからハッピーエンドなのかなぁ…
もう一回観たら、また違うところに気づくかなぁ…
ブレンダン・フレイザーを観る
ほとんど暗い室内の映像だが、全く飽きることがなく引き込まれた。
しかし、「白鯨」や宗教、超肥満、介護、同性愛等について、自分はあまり深い知識がないので、その理解力があったならもっと評価が上がったのではないかと思う。
チャーリーをめぐる人間関係の温かさ
何度も訪ね、母親から自分のことがどれほど伝わっているか、さり気なく探ろうとするところを見ると、実の娘のエリーは内心はチャーリーに無関心ではないようです。アランの妹が彼を献身的に看るのも、今は亡き兄の身代わりとしてだろうと思われます。
家族を捨てて、愛する同性の元に走ったというチャーリーですけれど、彼に「捨てられた」という元妻や娘は、本当にチャーリーを嫌い、憎んでいたのでしょうか。
チャーリー自身は、その自責から、いわば「白鯨」と化した自身を呪っていたようですけれども、それは、自虐的過ぎるとも言えないでしょうか。
そう考えてみると、チャーリーの恵まれた人間関係は、実は本当は、温かなものだったとも、評論子には思われます。
チャーリーが頑なに治療を拒んでいることも、限られた遺産を、どうせ助かりはしない(また、助かろうとも、助かりたいとも思っていない)自分の治療費で浪費することなく、少しでも多く遺族に残せるようにとの配慮だと見るのは、果たして「穿ち過ぎ」というものでしょうか。
破滅に向かって進みつつあることは間違いがないのですけれども。しかし、評論子は(評論子なりの)チャーリーの心情に思いを致すと、見終わって、心に沁みるような一本だったと思います。
佳作であったと思います。
この映画で伝えたかったことは何だったのだろうか 人生の意味、宗教、...
この映画で伝えたかったことは何だったのだろうか
人生の意味、宗教、セクシャルマイノリティ、等々…
各々のセリフに正解となる解釈がある気がするが、読み取れないことが多く(これは自分の読解力の無さが原因か)
主人公の醜悪さで、集中が削がれる場面もしばしばあった
引き込まれる魅力があったことは確か
作品より俳優陣が凄過ぎて!!
主役のブレンダン・フレイザーが話題の本作!!ほぼ情報を入れていない状態で見てきました。
ストーリー自体は(詳細は省きますが)、特筆すべき所は正直ないです…。
ただ、“激烈”なる主役の演技と、娘役のセイディ・シンクの雰囲気が想像を遥かに上回ります!!
私の人生においても、珍しい作品です。恐らく、娘役の子は今後大ブレークするのでは⁈と思われる作品です。
是非、映画館でご観賞を!!
(原題) The Whale
「白鯨」が物語のキーとなり、人との繋がり、影響、真っ当な生き方について考えさせられる。2時間ほぼずっと家の中のシーンだけど退屈しない。逆にそのロケーションの単調さが、過食で272kgになった主人公の孤独や社会からの隔絶を際立たせていたと思いました。この映画に出てくる俳優の演技は全員が見素晴らしかった。特に主演のブレンダン・フレイザーの演技は体を大きく動かせないのに観客の感情に大きく訴えかけてくる迫力があり、主演男優賞も納得の演技でした。
「推敲」への幻想
◉書き直したかった男
人が存在することや、生きていくことへの大きな問いかけをチャーリー(ブレンダン・フレイザー)が発していた訳ではなかった……と思う。チャーリーの瞳があまりに深い悲しみを湛えていたから、そんな風に思ったのだが、チャーリーが見つめていたものは、妻子を見捨てた自らの罪悪の浄化。そして娘への償い。嘆き悲しむ巨体の男の魂は、次第に娘と言う小さな点に集約されていく。
同性の恋人ができて妻と娘を捨て、その恋人が死んだショックで引き込もりになって肥満からの多臓器不全になるが、娘に金を残すために治療を拒否。この迷いのない自己犠牲。息を切らせて暗い部屋を這い回るのは、とにかく死期を早めたいがための行為にしか見えない。
しかし、文章や言葉への意欲は遂に最後まで尽きることはなかった。文筆の専門家として教鞭を取っているチャーリーは、教え子たちに「推敲を重ねればエッセイは良質になっていく」と説く。それは一つの妄想がチャーリーを捉えていたからだではなかったか。既に過ぎてしまった人生であっても、自らの悔恨やあからさまな想いを素直に書き綴れば、別の人生に成り変われるかも知れないと言う幻想。
◉白い鯨と部屋の中の鯨
チャーリーが「娘のエリー(セイディー・シンク)にはエッセイを書く力がある」と称賛した、課題エッセイの文意が映画の中ではよく聞き取れず、パンフを買いました。このただのメモ書きにしか思えないようなエッセイに、チャーリーは娘とのよすがを求めていた。
エッセイは「白い鯨を殺すことがエイハブの人生のすべて。しかしその生き甲斐は悲しい。鯨には感情などないのだから。ただ大きく哀れな生き物。殺してもエイハブの人生はよくはならない。私は登場人物たちに複雑な思いを抱いた。鯨の描写の退屈な章にはうんざりさせられた。語り手は自らの暗い物語を先送りする。」と言った内容。
これは『白鯨』への感想を綴ったエッセイであるが、同時にこの作品が訴える暗喩が詰まっているとして……
「ただ大きく哀れな生き物」とは、娘が憎悪と侮蔑の対象にしている現在の鯨(父親)。娘にとっては、チャーリーが鯨の想いについてどれほど説明しようとしても、それは「退屈」で「うんざりした」行為だ。
チャーリーは悔恨の情いっぱいで、過去の鯨を追って仕留めようとしている。だが、殺したところで、何にもならない。「暗い物語を先送り」するように、もう考えるのは止めようと娘が呟く。
娘の思いは厳しくて、救いがなかった。突き放されるチャーリー。けれど、いじましいぐらい控え目に、繰り返し繰り返し娘への愛を差し出そうとする父の姿。
やがて推敲できなかった過去から光が射して来る。そこには妻と娘が居て、チャーリーの魂は光の中に紛れて消えていく。
ひたすらに信ずるだけの者ではなくて、悩み苦しんだ者が救われると言う、やるせ無いけれど納得のいく結末。
見ているのも辛くなるような巨漢であるのに、身体いっぱいに優しい笑みが溢れているようだったチャーリー!
◉リズも大きな安寧の海に沈む
看護師のリズ(ホン・チャウ)がしばしの眠りに就いたチャーリーを、まるでベッド代わりにして寄り添うシーン。見ていて、私もそこに倒れ込めるならそうしたいほどの、安らぎを感じてしまった。何故だったろう。辿り着く先は判っていると言う、諦念込みの安堵感だったのか。
それにしても看護師対病人の関わりを差し引いても、余りあるリズの安らぎ。リズにとってチャーリーの胸に沈むことは、つまり兄のアランとチャーリー二人が居る海に、しばし沈み込むことだったのかも知れないと思いました。
Beautiful
嫌悪感しか抱けぬ娘の行動ながら、彼女の顔を見れば何か拠り所を探させてしまうセイディシンクの説得力ある演技が冴える。エセ宣教師の救いの話の絶妙な着地。そうは問屋が卸さない現実もあるが、奇なる結果もよく見るところ。他に選択肢があったとしても、偽るより正直さに平安を求めたいところ。Full of beautiful mistakes。
インセプション、トータル・リコール、そしてレスラー…
この映画はオープンエンドタイプの終わり方をしている(と初見時に思った)。
上記に上げた映画と同じタイプの終わり方をしている、と。
映像上から読み取れるのは、あれだけ神の存在を作中否定したにも関わらず、ただ彼の中にあるキリスト教的な記憶からなのか、宗教的サルベーション(救済)ぽい救われ方をする、というエンディングの描き方をしている。
しかし、わたしが考えるエンドは、娘がドアを開けたその瞬間にショックで彼は死んだ。その後の展開は走馬灯みたいな、自分が見たかった世界。そのため娘の態度も彼にとっては大変好ましく、そして不可能だった歩くという行為も可能に、そのうえ天国へサルベーションなど、彼に不可能なことも全てやってのける。
じゃあバッドエンドかというと違い、この物語は彼の「終活の話」で、心残りである娘への愛は伝え終わってる。あとはどう死ぬかの考え方の話になっている。
監督アロノフスキーとしては、「もしかしたら娘は立ち去ったかも、もしかしたら白鯨のエッセイを朗読してくれたかも、現実に何が起こったかはそこまで重要じゃない。自分の中でどう物語が終わったか、それが大事」という考え方を伝えたかったのだと思う(π、レスラー、ブラックスワン、マザー!から考えるに)。
そしてそれがヒューマンドラマを求めている観客にはそのままサルベーションの感動物語として受け取られ、穿った観客にはその救われ方の提示の仕方に、心を引っ張られ続ける。
そんな映画だと思った。
・補足
作中、宣教師が「肉欲に溺れたから死んだ。神を信じれば救われる(的なニュアンスの発言)」という、彼にとってこの世で最も聞かされたくなった発言をして、その上でわざわざあの天国へ向かうような描写=キリスト教的救済描写を入れた。
なんであんな描写になったのか、ってことも、彼がもっとも見たかった景色を死ぬ間際にすべて見られたからだと思う。
娘に救われる、パートナーが救いをもった場所=天国へ連れて行ってもらえる、過去にもっとも思い出深い波打ち際の景色を見ることができた、という。
これで、パートナーが天国から手を差し出す、みたいな幻を入れたら、よりフィクションとしてのこの解釈が分かりやすくなったけれど、その解釈も認めつつ、痛烈な信仰による盲目さ、みたいなものを観客の視線でも感じさせようとしたんじゃないかとも思った。
しかし実際のところ、その種明かしはオープンエンディングとしてあやふやに提示された。つまりこれらの考察も全部あやふやになった。この映画においては、それはそれで正しい解釈だと思う。
緩慢な自殺に向かう巨鯨に救済の海はあるのか
舞台劇が原作なだけあって、アパートの一室で繰り広げられる、重苦しく息詰まるような密室心理劇です。外は雨か曇りの陰鬱な天気で、アパートの室内は終始薄暗く澱んだ雰囲気は、暴飲暴食で信じられないくらい肥大化した主人公の昏く絶望的な心象風景のようです。さらに、次々と現れる宣教師、彼が棄てた娘、妻達によって、欺瞞,偽善、憎しみ,愛情、悔恨、想い出が彼を苛むのは、観ていて息苦しくなります。正直言って、主人公にはまるで感情移入できないし、彼のアパートへの闖入者達は、どいつもこいつも身勝手でイラつくし、映画の内容を全て理解できているわけではありません。それでいて、この救いようのないドラマから目が離せないのは、監督の手腕であり、また、この異常とも言えるキャラを演じ切ったブレンダン・フレイザーの俳優としての誠実で真摯な姿勢だと思います。異常なキャラはオスカーを取りやすいと言われていますが、そんな事は関係なく、いち映画ファンとしてブレンダン・フレイザーの帰還に拍手したいと思います。
素晴らしい俳優陣
予備知識等、ほとんどいれずに鑑賞しました。
閉ざされた心と空間がほの暗い画面を通して匂うようでした。
体調を崩している大きな男、壁一面埋めつくされている本、食べ物の臭い、人が生活して生きているにおい。
その家の中、彼の前に現れる人々の頭の中や心は明かされることはなく、吐露することも無く、大きな男の前でそれぞれの人生を歩んでいるんです。
明らかに死が近い男の前で人々の葛藤が全く別の人生であると感じさせてくれました。
男と彼らのつながりを絆と呼ぶのか情と呼ぶのかは分かりませんがとてもリアルに身近に感じました。
主人公の人生が本軸ではありますが、それだけでは無い、登場人物、彼氏も含めてすべての人生を垣間見たような気がします。
人生
部屋の中だけで起こる映画
人生最後の1週間
もうすぐ亡くなる人、あんなに話せないし、あんなに食べれないよなぁと思いつつ
ハムナプトラ大好きだったわたしは、復活ブレンダン・フレイザーさんの名演技は素晴らしいと感じました
もっと言えば、リズ役の女優ホン・チャウさん
あの方
めっちゃ凄い女優さんですね
アカデミー賞見た時、華やかで綺麗な人と思ってましたが、映画のなかだと別人ですね
夜勤明けのナースにしかみえない笑
泣きの演技凄い✨
役者達が素晴らしいと感じた映画です♪
舞台劇の映画化というし、アカデミー受賞だし、どう思うかなと思いなが...
舞台劇の映画化というし、アカデミー受賞だし、どう思うかなと思いながら足を運んだ。
舞台劇の独特な世界観が割とそのままなんだなと感じた(舞台はちょっとニガテ)。それに、たまにある難解すぎてシンプルにさすがアカデミー賞!と思えないパターンの方だった。
でも、嫌いじゃないかも、これ。
決して明るい内容ではない中、特に食べるシーンが結構強烈だった。
憎しみをぶつけるように、自分を痛めつけるように、なにかの不安を埋めるように、苦しそうな顔で食べるその姿に思わず目を背けたくなるほど。
封を開けたチョコバーを引き出しに戻すなよ、食べかけのチョコバーを引き出しに戻すなよ、と細かい点も気になってしまったけれど。。。
宗教の青年のしつこさと人の話を聞かない点はうんざりするし、娘の情緒不安定ぶりも見ていて心地よくないし、優しそうなピザ配達員が彼の姿を見た時の反応にイヤな気持ちになるし、、、
でも、なぜだろう。
これ、嫌いじゃない。
まるで舞台を観ているような臨場感でした。
ほぼ主人公の部屋の中で、物語が進んでいきます。
まるで自分がその部屋の中にいるように感じました。
だからこそ、主人公の200㌔を超える体型が暑苦しいです。
妊娠中、私も臨月に10㌔体重増加した経験があります。
歩く、立つ、寝るなど、ひとつひとつの動作がしんどかったです。
だからこそ、主人公の大変さには同情しますが…。
同時に、よくその体重をキープできるなとも呆れます。
アメリカの食べ物は、ひとつひとつカロリーが高い上に、かまなくていいものが多いので、満腹感も日本食に比べると感じにくいんですよね。
私も、アメリカ滞在時、ひと月で5㌔太ったことがあります。
体重200㌔以上は、治療が必要なレベルだと思うけれど、大人に受診や入院は強制するのは難しいですね。
思春期の娘が、自分を捨てた父親を訪れることには、驚きました。
暴言や素行の悪さは思春期あるあるな気がしますが、彼女のもろさは父親の責任大でしょう。
お金を遺すことよりも、まず、我が子より己の欲を優先したことを誠心誠意謝って欲しいです。
親に十分に愛されなかった人の飢餓感を、他人が癒すことは難しいです。
「白鯨」のフレーズが、映画の中で引用されています。
あることに執着して、例えそれを成し遂げても、人生は変わらない。
ラストで主人公が解放された瞬間、私も視界が開けた気がしました。
フレイザーの見事な演技と、巧みな語りが絶妙に連動した一作
今年の第95回アカデミー賞授賞式での、主演男優賞とヘアメイク&スタイリング賞の受賞は、まさに本作を象徴しています。長年の苦しみの後で復帰を果たしたブレンダン・フレイザーの、自らの人生を反映したかのような(というか、間違いなく反映した役作りになっている)演技はどのシーンにおいても忘れ難い印象を残します。
苦難を抱え死期を悟った主人公・チャーリーが家族の絆を取り戻そうとする話、という大筋は予告編でも想像が付くし、実際その通りなんだけど、本作は”泣かせる”要素以上に、薄紙をはがしていくように真実が明らかになっていく語り口が非常に巧みで、展開の面白さという点でも特筆に値する作品となっています。
ほとんどチャーリーの居室で物語が進むため、画面に差し込む光は少なく、話の深刻さも相まって全編やや落ち着いた、というか暗い印象を受ける映像となっているんだけど、それだけにある場面の輝き、開放感は圧倒的です。この強烈な対比によって、物語のテーマが映像的にもより一層明瞭となっています。
ほぼ最初から登場するある人物は、その行動によって物語の方向性に決定的な影響を与えるんだけど、行為自体は客観的には許し難くても、でも自分でも思わず同じ行動をしてしまうんじゃないか…、と後々まで考え込まされる場面となっています。
パンフレットは、作中で重要な役割を果たす聖書になぞらえているのか、(チャーリーの巨躯とは対照的に)小ぶりだけど絵画作品を彷彿とさせる装丁、そして手書きエッセイ風のレイアウトとなっているなど入念な造りです。
ケア
あの身体でどうやって生活してるんだろう?と思っていたが、いろいろ生活の知恵が出てきて興味深かった。手伝ってもらっているとはいえ、案外こぎれいに暮らしてるし。
リズのケア役割が気になっちゃった。仕事も看護師だし、ずっと誰かのケアをしていて大変そう。彼女の安まるところはあるのかな。
娘の10代のイラつきはみていて身につまされた。あんな風に私も人を傷つけていたのかな…。お父さんに優しくしようと思った。カラスの皿割ったり、マジでヤバいやつの可能性も捨てきれず、今ひとつ感動できませんでした。録音送ったのも結果オーライとはいえ、動機は黒いでしょ。チャーリーは娘の未来を信じられて満足しただろうけど。お母さんはムリって思ってたしなあ。
「私を捨てたのね!」とぶつけられるなら、その点については大丈夫なんじゃないかと思った。捨てられたなんて認めたくはないものだから。
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