「はい、生きてません」はい、泳げません つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
はい、生きてません
作中の綾瀬はるか演じる静香先生の言葉を借りるなら泳ぐことは生きることだ。生きることとはただ息をしてその場にいることではなく前に進むことだ。
泳げない長谷川博己演じる小鳥遊が泳げるようになっていくことと前に進めるようになっていくことを暗喩的にも直喩的にも絡めたドラマで、観る前に想像していたようなコメディ作品ではない。
静香先生のトラウマも克服させてあげればいいのにという感想を読んだ。この作品はトラウマを克服する物語ではないのでこのままでいい。
主人公小鳥遊もトラウマを「克服」したわけではない。
タイトルの「はい、泳げません」は、質問、もしくは指摘に対する返事だ。答えたのが小鳥遊である場合、投げかけられた言葉は「あなたは泳げませんね?」か「あなたは泳げません」だ。
泳ぐことは生きることなのだから、「あなたは生きてませんね?」「あなたは生きてません」と言い換えることができる。
小鳥遊にこの言葉を言う人は静香先生だ。静香先生が言うということは静香先生は「泳げる」「生きている」といえる。
つまり静香先生はトラウマを抱えたまま前に進むことを選べた人で、止まったまま前に進めずにいる小鳥遊にとって、泳ぐことでも生きることでもよき手本なのだ。
トラウマは抱えたままでいいのだと、忘れたりなかったことにせずとも前に進めるのだと示すため静香先生のトラウマはそのままでいい。
物語も良かったけれど、いくつかの遊び心のある演出は映画的にも面白く、思っていた感じと全然違うけれど大いに楽しめた。
原作は泳ぐパートだけのエッセイであるらしい。本作のドラマ部分は全て原作にはないということだ。
泳げない人間が泳げるようになりたいと思うのはどんなときかというところから膨らませて物語を紡いだらしい。
原作の方は思わぬドラマチックさに感動し泣いてしまったそう。
中盤で小鳥遊の元妻が言う「今度はちゃんと助けたいんだね」は複雑でありつつも核心をつく。そして驚きとともになんだか感動的でもある。