「名前の付けられない、自分でもよくわからない感情というものは、不安の...」ハッチング 孵化 imymayさんの映画レビュー(感想・評価)
名前の付けられない、自分でもよくわからない感情というものは、不安の...
名前の付けられない、自分でもよくわからない感情というものは、不安の対象でもあるし、恐怖の対象でもある。
少女のそのような名付け不能な負の感情が大きく育って生まれたのが、あの、鳥のような分身である。だからこそ、あの鳥は、言語を話すことができず、声にならない不快な音で叫ぶ。まさに、名付けできない(言語化できない)複雑で恐ろしい感情そのものの具現化なのかもしれない。
母が娘を自分の理想通りに育てようとしたように、ティンヤも鳥を理想通りに育てようとする。
娘は母に喜んでもらいたくて、体操の練習をするけれど、なかなか上達することができず、母を喜ばせることができない。娘は悲しい。
鳥はティンヤに喜んでもらいたくて、近所の犬を殺したり、友だちや赤ちゃんを襲ったりするのだけれど、もちろんティンヤは喜ばない。鳥はなぜ彼女が喜ばないのかを理解できずに悲しい。
なんともおぞましく、悲しい連鎖。人は自分が教わったようにしか、人に教えられないし、愛されたようにしか愛せないのかもしれない。
クローンを作ろうとする行為のなかに潜むおぞましさがすべて、母、娘、鳥のつながりのなかに現れていたように思う。
最後はティンヤ(少女の善の部分)と鳥(彼女の言語化できない悪の部分、言語化してはいけないようなおぞましい感情を担っていた部分)がひとつの身体に統合してしまう。ティンヤが死んで、鳥が生き残ったように描写されるけれども、彼女たちはそもそも、分身状態にあっただけで同じ個体なのだ。ふたつの個体としてはっきり分けられていた善/悪が混ざり合って曖昧になる。だけど、それは、わたしたちすべての人間の状態と同じ。ほんとうにこわいのは、わたしたちが、そのようなおぞましい悪の感情を誰でも等しく持っていて、理性で制御しているから行動に表さないだけということ。なにかをきっかけにそれは暴走してしまうことがありうるのだ。
人間は自分の悪の部分をなかなか受け入れることができない。だから彼女はなんども嘔吐してそのような自分を吐き出そうとする。だけど、吐き出しても吐き出しても、自分の汚い部分が臭い匂いを伴って、目の前に嘔吐物として可視化されるだけである。自分の嫌な部分と向き合い続ける真摯な姿とそのつらさもまた、丁寧に描き出されていたように思う。