帰らない日曜日のレビュー・感想・評価
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I’m born again 的なヤツ。
メイドに許された1日だけの休暇に起きた出来事、なんだけど。
ポールとジェーンの関係には感づいていたと思われるニヴン卿。
ポールの死後、何らかの証拠が自室に残されていないかを気にする彼。
「さようならジェーン」と言うポールの言葉からは自殺の兆候も読み取れ。
ガソリンに引火したとすれば白煙は上がらないから、あれは命を失った後の事故。
と言う流れの末の、ジェーンのこの言葉。
「4つ目の脚は私だったの」
マザリング・デーに帰る家が無いジェーンは、「つがい」不在の家に招き入れられ、性愛にふける。ポールが一人出かけた後の、広い、無人の家を、生まれたままの姿で歩き回り、本に手を伸ばし、パイを食べビールを飲み。そして服を着て出て行く。ポールの裸身の後ろ姿を鏡の中に見たような気がした後に。
まるで、シェリンガム家で生まれた娘の様に。
と言うか、ここで過ごした、この午後の体験で、彼女は、もう一度生まれた。
てな感じの、文学作品です。
ヤバい。画がとことん綺麗ですもん。文学作品に相応しい時間感覚ですもん。コリン・ファースにオリビア・コールマンと、脇を固めるのは名優中の名優です。美しい英国の牧歌的風景、と言うより、美しく撮ったと言うべきでしょうか。
終演の場面の染み方と言い、後味の良さと言い、「珠玉」と言う言葉が相応しい一本でした。
大切な人を失くすって
それぞれが喪失感を抱えて、生きている。
それぞれが、知っていることを隠して生きている。
生まれたときから、すべてをなくして、もう、なくすものなどなにもない。
そんなわけないでしょ。
でも、その言葉に救われたのかも。
ポールは、決めていたのかな。自らの行く末を。
別れ際の言葉と眼差しが切ない。
イギリスの家の魅力が満載。
モーリスのようなクロス。
調度品。
まさにビンテージもののドアや窓枠。
お手本にできるインテリアの数々。
最後に、まさにロンドンの家。奥庭のある書斎。本当にリアルなイギリスの生活を垣間見ることができる、素晴らしい映像。
女流作家の回想 人生を変えたある日曜日
イギリスの上流家庭ニヴン家のメイドとして働く孤児院上がりのジェーン。そしてジェーンはニヴン家と交流のある上流家庭シェリンガム家の子息ポールと深い関係を結ぶ。階級制度のはっきりした100年前のイギリスにおいて実らぬ恋であることは百も承知のジェーン。ポールの突然の死に心を乱されつつもそれを受け止める。既に戦争でふたりの息子を失っていたニヴン夫人は子供の頃から交流のあったポールの死に二人の息子達の死を重ね合わせジェーンに言う。「私(達)は全てを奪われてしまった(だから生きる希望は最早ない)。しかし親に捨てられたあなたは生まれたときにすべて奪われていた。だから恐いものなんてないのよ。それは強みなのよ」
これは絶望感に苛まれていたニヴン夫人の本音であり(息子達の死だけでなく上流階級に生まれてきて嫌なことがたくさんあったんだろうな)、ジェーンはこの言葉を胸に強く生きることを決意する。ポールの死は大変な喪失だったが自分の物にならないことなど始めから分かっていたことなのである。そしてこれこそがジェーンの人生を一変させたある日曜日の出来事だった。
イギリスの上流階級の住む屋敷と緑豊かな田園風景。その上流階級の人々の交遊風景。そこに働く若いメイド達。そのメイドの一人であるジェーンと上流階級の若者ポールとの官能的な愛欲シーン。シェリンガム家の屋敷に一人残ったジェーンが一糸纏わぬ姿で書架に並ぶ(愛すべき)蔵書と戯れる。まるで書物達と愛し合うかのように。そして作家として歩み始めた十数年後?のジェーンの姿と時間的に前後(回想)しながら映像は進んでいく。
最後に、成功を納めた老作家ジェーンが自分の人生を改めて回想する。
文学的な美しい作品。カズオ・イシグロが絶賛した小説の映画化って言うのが売りみたいです。なるほどね。
しっとりとした余韻を感じました◎
カズオ・イシグロさんもおススメというので、イギリスの独特の雰囲気のある映画でした。
メイドとお金持ちのご子息との合挽き。2人の兄を戦争で亡くしたポールは優しいけれどどことなく寂しそう。孤児院育ちのジェーンは、淡々と仕事をこなし、ポールとの結婚など夢の又夢。
それでもひとときの逢瀬の描写も美しかった〜◎
まだ日の差す部屋や、靴から脱がせてゆくシーン。
プチプチと、ホックを外す音もグッド。
「さよなら、ジェーン」え?、その後の鏡に一瞬映った彼の背中。
事故じゃない気がする、、、
裸のまま、お屋敷の部屋を歩くシーンも美しながら、ちょっと心配しました。誰か戻ってくるんではないかと。
2人はそれも想像しながら楽しく会話するんですが。
ジェーンの雇い主の夫婦は、とても紳士なコリン・ファースと、息子を亡くした悲しみから抜け出せない奥さまオリビア・コールマン。
彼女の言葉に泣けました。「あなたは生まれた時から何もない、それを武器にしなさい」喪失感でいっぱいの心強いアドバイス。
恋人とある日突然失うけれども、それも彼女の小説家としての源となったのだから、結果的には好きな展開でした。
1番好きなシーンは、自転車を走らせるジェーンの赤いコートの端(ボタン含む)が風ではためいて、一瞬アップになった所!素敵すぎる〜👏👏👏
あと、ちょっとした記念?に屋敷の蘭の花を、下着に入れて持ち帰り、一日の終わりにそれをつまんで出したシーン。まさかこんな日になるとは思いもせず、、、
色に耽ったばっかりに
メイドさんから作家さんになる女性の半生記です。軽いエロと風景等の美しさが心に残りました。
重いエロはAVに任せるとして、この映画があまり身分差別に見えないのは互いのリスペクトが感じられるからですかね。
鑑賞後も決して悪い後味は残らなかったです。
帰らない日曜日
帰らないとは、秘密の彼との逢瀬で家には戻らないと言う時間的な感じかと思っていましたが、精神的に二度と戻らない思い出の一日だったのですね。作家になる大きな一因となる出来事になるのですね。時間が前後しますが、モノや雰囲気でキチンとその時間に連れて行く感じが良くできていたと思います。
無から生き抜く力
主人公のメイド・ジェーンの全てを変えたあの一日…あの日から物語は始まる
ジェーンが奉公する屋敷の夫婦をはじめ上流階級の家族達は戦争で愛する者を失い皆々が哀しみや痛手、喪失から立ち直れないでいる…
メイドと上流階級の子息の恋…
よくある物語ではあるが「持つ」哀しみと「持たない」得…初めから何も無いジェーンの強靭で冷静な生き方…
図書室を裸で歩き本を撫でる若き日のジェーンが
小説家と言う生業を見出せた事も強運への繋がり…かも
ジェーンが奉公する屋敷の夫婦…オリビア・コールマンとその夫コリン・ファース
生きる意味を失った悲痛な演技が若手の2人を更に盛り上げている!
着心地の良い肌着のように心に馴染む作品
作品の空気がとても心地良かったです。
過剰さや押し付けが無いのに印象的なシーンが多く
自然と感情に染み込む幾つもの美しい風景。
想像の余白も。
多くを語らないけれど深い優しさが滲む
コリン・ファース演じる旦那様。
全てを知っていてジェーンの為に…?
そしてポールの選択も…。
余談ですがボカシを入れなかったのも
作品の魅力を損なわない、美しさを穢さない
懸命な判断だったと思います。
とても良い映画
個人的には、品が良かろうが悪かろうが、ブルジョワな人たちの生活は、そのデカいお屋敷に、高級な調度品に美術品、まるで見せびらかすかのような蔵書群…そして、メイドには手は出すけれども、子どもが出来ても責任は一切取らないとか…その生活ぶりは、一見お上品に見えても本当は"お下品"だなぁとしか思わないんだけれども、この作品で描かれるのは、そんな一見お上品でホントは"お下品"な家庭に生まれ育ちながらも、幼馴染のフィアンセではなくて、他家に仕えるメイドと恋仲になった青年(ポール)と、そのメイド(ジェーン)との官能的というか…まあ"お下品"な日々を描き、そして、突然逝ってしまった青年への未練がきっかけで作家となった元メイドの物語である。なお、この青年は、フィアンセとは一緒になりたくなかったのか、自死することでその潔癖性を保ちます。
元メイドにとっては、青年の死は悲劇であったのかも知れませんが、自立して行くきっかけを掴む事が出来ました…もし青年がフィアンセと結婚していたなら、ずるずると秘密の逢瀬を続けていたかも知れない…と思うのは、私だけでしょうか?
なお、この作品、ひとつひとつのカットがとても素敵でした。ちょっと鳥肌ものでした。
特に好きな場面は、
ポールの死を主人から聞かされた後、台所で水を飲もうとするジェーンの映し方が、かなりしびれました…髪を後ろへくくる仕草とか…そういうところが、いちいち官能的なんです(笑)
なお、裸の場面が多い作品ですが、何とも"お下品"でしたね(笑)
恋愛映画好きな方、"官能的"が好きな方は、どうぞ!笑
英国メイドの裏事情/避妊ペッサリー物語
1924年の英国が舞台。上流階級のニブン家のお屋敷に勤める孤児院出身のメイドさんが長じて小説家になり、メイド時代を回想するストーリー。近世の階級社会をまだ色濃く残していた第一次世界大戦直後のイギリス。大多数の若い女性がメイドとして働いていたらしいことがうかがえます。マザーリング・サンデーとは使用人達が年に一回、半日だけ実家の親の元に帰れる休暇。母の日ですかね。えぇーっ、たった半日?と思いますよね。半日じゃ、行って帰ってこられない人もいっぱいいたでしょう。私の好きな落語の「藪入り」だって丸々1日は貰えるのにねって思いました。しかし、帰る家のないジェーン。
その超貴重な半日を別のお屋敷の御曹司との逢い引きに使う賢いメイドの隠密行動は私でも容易に理解できます。彼女が勤めるニブン家の旦那様は英国きっての紳士俳優コリン・ファース(英国王のスピーチ)。上流階級出身。奥様役はオリビア・コールマン(女王陛下のお気に入り、ファーザー)。長男、次男は戦死してしまい、今は夫婦二人だけ。
長兄二人が戦死して、ひとり残った三男坊を演ずるのはゴッズオウンカントリーで羊飼いの青年役のジョシュ・オコナー。弁護士を目指して勉強しているフリ。まだあどけなさの残る青年役。自分ちのメイドと街角で話していた新米メイドのジェーン・フェアチャイルド(オデッサ・ヤング)を街中で見かけ、即ナンパ。
もう子供はひとりだけになったシューリンガン家とホブディ家。お家断絶の危機。近隣の仲のよい親同士が結婚を前提に家族ぐるみのお付き合いをサポートするためのピクニックランチの日がまさにマザーリングサンデーだった。オデッサ・ヤング。はじめての関係でシーツに付いた破瓜の血が混じったお汁を嬉しそうに自分で洗います。ジョシューオコナーも悪びれた感じは微塵もありません。ヨーロッパのメイドとご主人様の間ではよくあることのようでもあります。コリン・ファースがジェーンを連れ、シューリンガン家の豪邸に向かい、現場検証しょうとするシーンは、自分にも昔経験があり、だいたい予想はできるけれども、自分のところのメイドが引き起こしたかもしれない両家の婚約消滅を静かに責めるようなシーンでもあったと思いますが、複雑な心境の演技が素晴らしかった。さすがオスカー俳優。出かける前にジェーンが水を飲んでからと言って、台所に戻り、水道で顔を洗いながらひとしきり泣いたあと、片足を椅子にあげ、月経カップのような形状のものに付いたものの臭いを嗅ぐシーンがとても気になって、眠気がぶっ飛びました。あの時代にあんな避妊具があったのか? 調べるとすぐ見っかりました。1910年から1930年ぐらいまでイギリスで使用されたゴム製の避妊用ペッサリー。当時はコンドームのようなものはまだ全然主流ではなかったようです。避妊具より性病予防の品物。男尊女卑の封建性が避妊具の歴史にも反映されていると感じたわけでございます。
私はメイド喫茶に行きたいと思ったことはありませんが、オデッサ・ヤングのメイド姿にはちょっと萌えました。それとは全く関係ありませんが、ちっともやらしくない中世の宗教画のようなエレガントな裸体。たくさんの蔵書の棚と裸のおしりのコントラスト。ジョシュ・オコナーの長いポール牧は私には別に~でしたが、鏡に写った彼の幻にははっとしました。彼が出て言った後のジェーンの書斎をうろつくシーンは自由そのもので、生まれた時、タイプライターをプレゼントされた時に次ぐ3つ目の体験としても見事な映像表現でした。私の好きな湖のシーンもありました。私は裸の湖のシーンがある映画が好きなんですw
ジェーンの10代から40才ぐらいを通して、とても自然な新星オデッサ・ヤングの起用は大当たり🎯
オリビア・コールマンの息子を失って呆然としたまま、両家の婚約を心から喜べない複雑な心境の母親の表情やジェーンに言ったあの言葉もすごく刺さりました。
ジェーン自身の産みの親ももしかして、ご主人様の子を身籠ったメイドだったかもしれません。母親のときには避妊具はなかったから。ポールの種はジェーンの畑に蒔かれて芽を出すことはありませんでした。しかし、ジェーンは物語という花を代わりに咲かせました。それを多くの人が時代を越えて反復体験することができます。芸術って素晴らしいです。
私のレビューも花を咲かせることはないにせよ、おこがましくも生きた証のひとつになればと思う昨今です。
風景や人物、衣装などの映像が美しく、重厚感のある映画でした。前半、ちょっと眠くなりましたが。渋谷のBunkamuraやイメージフォーラムで上映しておらないのがちょっと不思議な感じ。ジョシュ・オコナーの○○○がみられるのにね。
でも、付き合う男性がことごとく死んでしまうのは、魔性の女の証なんでしょうか?藤あや子みたいに。
邦題も伏線?
主人公がメイドとして仕えるニヴン家、主人公の身分違いの恋愛相手のシェリンガム家、その彼の婚約者のボブデイ家の3家族は屋敷同士はかなり離れているが昔から家族ぐるみの付き合いで今年の母の日も川辺でピクニック。それはシェリンガム家の息子とボブデイ家の娘の婚約披露の場でもあった。ニヴン家の夫は場の盛り上げ役なのに対して妻の不機嫌なこと。
シェリンガム家の息子は孤児の主人公にお金や本をあげると言うが断られ「3人分の相続があるんだから使わせてよ」と言う。彼は三男坊で上の2人は戦死しており
彼の婚約者はニヴン家の亡き息子の元恋人だった。
身分違いの恋か。しかも愛し合っていない者同士が結婚して、下の身分の彼女の方に気持ちが残ったままの暗い結婚生活、とは嫌な感じやな。
と思ったら。
ピクニックに途中参加する彼を見送った後全裸で屋敷内を探検し玄関の蘭を1輪摘んで、電話のベルをきっかけにニヴン家に戻った主人公を待ち受ける悲報。しまった胸元から出てきた蘭に、胸が詰まる。屋敷の探検中に背後にポールがいる気がして振り向いたのは、虫の知らせだったのか。
その後書店の店員の仕事を見つけてニヴン家を去り、客からもらったタイプライターで作家を志す。文学好きの恋人と婚約し幸せな時を送っていたが彼が脳の病に。思い出を残してまたもや愛する人が去ってしまう。
更に時が過ぎ、いくつも文学賞を取る作家になった。自宅に詰め掛ける報道陣に辛口で答える主人公。向こうにメイド時代の自分が見える。
原作があるだけあって、ストーリーは若者のロマンスだけでなく何層にも重なっている。冒頭の「昔々、若い男性が戦死する時代」とはそういうことだったのだ。
【”身分違いの儚い恋・・”1924年の英国を舞台にした、優雅な衣装、重厚な意匠、エロティシズム溢れる数々のシーンに魅入られる哀しくも切ない作品。映倫の英断に驚いた作品でもある。】
ー 1924年の英国が舞台が。「母の日」母の日に当たる日曜日、名家ニブン家でメイドとして働くジェーン(オデッサ・ヤング)は孤児故に帰る家がない。
そんな彼女の姿を以前から見ていた同じくシュリンガム家の、三兄弟の中で只一人、第一次世界大戦で戦死しなかったポール(ジョシュ・オコナー)は、密かに彼女を逢瀬の誘いに誘う・・。
その頃、ニブン家、シュリンガム家、そしてポールの婚約者エマのホブディ家は、恒例のガーデン・パーティを行っていた。-
◆感想
・英国歴史映画らしい、優雅な衣装、重厚な意匠が、見事である。
だが、恒例のガーデン・パーティ葉何処か、重い雰囲気に包まれている。
ポールがなかなか来ない事に苛立つエマ。
それを取りなすように振舞うニブン家のゴドフリー。(コリン・ファース:個人的に、英国俳優としてはトップ3に入る位好きである。そして、この俳優さんが出演しているだけで、”ウーム、英国映画・・、と感じてしまう程の、品性の良さが漂う英国が誇る、稀有な名優である。)
だが、夫人は浮かない顔である。夫人を演じたオリヴィア・コールマンの憂愁の表情から事情が徐々に分かって来る。
- ニブン家の二人の息子は戦死していたのだ。シュリンガム家の兄弟も又・・。且つて、彼らが幼かった時には、各家の子供たちはガーデン・パーティ時には、池に入って遊び興じていたのだろう・・。と言うことが、名優オリヴィア・コールマンの笑顔一つ見せない表情からも伺える。-
・一方、ポールとジェーンは誰もいない広大なシュリンガム家で、愛を交わす。白いシーツに残された情交の後。ポールは寂しそうな笑顔を浮かべて言う。”種を残さないようにね・・。”
そして、彼はガーデン・パーティに出席するために、服を着始める。
- この一連のシーンで、暈しは私が視た限り、入っていなかったと思う。
ポールの男性器はそのまま映されていた。「ROMA/ローマ」の様に。
可なり昔、大島渚監督が撮った「愛のコリーダ」など、揉めていたよなあ・・。
芸術か、猥褻か・・。
断言するが、私は、このシーンで猥褻感は全く感じなかった。映倫の英断を指示したい。
只一つ言うとすれば、ポールを演じたジョシュ・オコナーのモノが、ナカナカ立派であった事であろうか・・。(ホント、すいません・・。男って、”比べたがる”おバカな生き物なんです・・。) -
・ポールが去った後、広大な屋敷の中をジェーンは全裸で歩き回る。立派な書棚に並べられた本の背表紙を指先で触れていくシーンや、ケーキを食べるシーンなどは印象的である。
- 最早、自分とは違う世界になるだろう名家の肌触りを確認し、訣別する事を決めているように私には見えた。-
・そして、ニブン家に戻ったジェーンに、慌てた様子のゴドフリーが言った言葉。
”ポールが車で事故に遭ったらしい・・。”
ジェーンは、一度ニブン家の台所に戻り、泣き崩れる・・。
- これは、私の勝手な推測であるが、ポールはもしかしたら只一人生き残ってしまったことに対し、そして身分違いの恋を成就させることが出来ずに幼馴染のエマと結婚する事に抵抗感を持ってわざと事故を起こしたのではないか、と思った。
何故ならば、彼がジェーンと情を交わした後に、数回口にした”種を残さないようにね・・。”と言う言葉が気になっていたからである。
■少し、残念だった点。
・途中、作家として独り立ちしつつある、この事件から24年後のジェーンが恋人と暮らすシーンが差し込まれたり、老年期に賞を取った彼女(グレンダ・ジャクソン)が取材を受けるシーンが映し出されるが、作品の全体構成が少し勿体ないなあ、と思ってしまった。
<自由恋愛が認められなかった時代に、身分違いの恋を経験したジェーンが“Once Upon a time・・”と言う冒頭のシーンから始まる、一人の身寄りのない女性が且つて経験した悲恋及びその後名だたる作家になる過程(上記の様に、ここは少し残念。)を、見事に可視化したエロティシズム溢れる作品。
イギリスの天気の様に・・”晴のち曇り、そして急な雷雨・・”と言うストーリー展開も見応えある、哀しき作品でもある。>
描き方が中途半端
女性作家が作家になるターニングポイントの一日だったのだろうけど、裸の逢瀬のシーンが多すぎて、薄っぺらな作品になってしまった。
良家の息子との恋は、もっと人間的な結び付きや彼女の中での葛藤やその熟成が描かれないと、後に思い出して作品になるほどの厚みが見えてこない。
後の結婚生活にも深みがない。
上流階級の生活も役者はよく演じていたが、こちらも第一次世界大戦後の社会の全体像も彼らの代わりゆく立場も見えてこない。
最後に、良家の息子は自殺ではなかったのかしらと思ってしまった。部屋を出ていくときの「さようなら」がもう一生会わないという感じを漂わせていた。
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