PLAN 75のレビュー・感想・評価
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焦燥感と行き場のない怒りで心が痛い。
合理的に考えると行き着く先はこうなんだろう。
携帯の勧誘のような「PLAN75」の販促と受付ブース。職員が顔色ひとつ変えず淡々と受付手続きを進める姿が恐ろしい。「貰える10万円は葬式費用に回される方もおられますよ~。」まるで旅行のプランニングや住宅ローンの説明のようだ。
藤子・F・不二雄の『SF・異色短編(1)』に出てくる 「定年退食」と「間引き」という2つの短編がオーバーラップした。「定年退食」では“定員法”というものが制定され73歳以上は年金や医療など国家による一切の保障が打ち切られる。「間引き」では人口爆発による食糧難で“カロリー保険”という早く死亡するほど遺族に食券が多く配布される商品が発売される。
NKHスペシャルの「終の住処はどこに~老人漂流社会~」には、1カ月毎に施設をたらい回しされる高齢者の現状があった。安心して居ることのできる場所がない。「定住できる安心感。心ある人が見守ってくれている安心感。これが最低限度の尊厳だがこれが損なわれている。」と専門家は言う。若いころは運送屋を営みバリバリ働いてきた老人が「家族とご飯を食べたい」と涙を流す。なぜ最後にこんな仕打ちを受けなければならないのか。
ボーヴォワールの『老い』も再読した。
・この社会は彼らに「かつかつの余命」をあたえるだけで、それ以上は何も与えない。
・独り暮らしの老人は「悪い健康と窮乏と孤独という三重の悪循環」に陥る。
・老年の悲劇は、人間を毀損する。この人生のシステムはその構成員の圧倒的多数者にいかなる生存理由(いきがい)も与えない。
角谷ミチ(倍賞千恵子)の住まいが一人で暮らす私の母の住まいに酷似していた。
「団地」「台所の瞬間湯沸かし器」「布巾を多用」「藤の間仕切り」「コードのある昔ながらの電話機」「観葉植物」、、、。物は多いが小綺麗で慎ましやかできちっとしている。このぐらいの年代の女性ってこんな感じが多い気がする。こういう人たちの尊厳が脅かされる世の中だけは見たくない。
PLAN75の受付をしていた市役所の青年、申込者がその日を迎えるまで話し相手になるオペレーターの若い女性、安楽死した人の遺留品を処分する仕事に従事する外国人の女性。。 救いはこの3人の若者が最後に見せた人間的な涙。そこには確かに血が通っていた。
そしてもうひとつの救いは、最後の場面で丘からの風景をみていたミチがその場を去る時に見せた毅然とした横顔。
映画的にどうというより、大きな衝撃と問題を与えた点で重要な作品である。
明日は敬老の日、、、。
生死の選択をめぐる「ざわつき」
75歳に達すると自分の死を選択できる制度、「プラン75」。コロナの日々でワクチン接種や治療の優先順位を示されるようになり、命をランク付けをするようなこの制度も、妙な現実味を帯びている。冒頭、高齢者を襲った男は「国のために死ぬ考えは、この国ではきっと受け入れられる」と遺書を残す。「プラン75」のPR動画に登場する女性は「生まれてくるときは選べない。だから、死ぬときくらいは自分で選びたいの」と微笑み、PRは「次の未来のために」というコピーで締めくくられる。では、この制度を志願する人々の実際は、一体どうなのか。
ホテルの清掃係として働くミチは、つつましくも穏やかな生活を重ねていた。黙々と働き、同年代の同僚と他愛もないおしゃべりを楽しみ、時には歌う。ある日、同僚のひとりが職場で倒れたことで、彼女の生活は一変する。彼女たちは解雇され、途端に生活に行き詰まる。職探しや転居もままならない。ためらってきた生活保護受給さえハードルが高いと感じたミチは、とうとうプラン75の選択に至る。
本作には、モデルケースとなるミチを軸に、窓口担当として働くヒロムとその叔父、ミチを担当するオペレーターの瑤子、関連施設で働き始める、フィリピンに病気の娘を残してきた元介護士•マリアが、主要人物として登場する。けれども、ミチと瑤子、ヒロムと叔父以外は、ほとんど接点を持たない。それぞれに「ざわつき」を感じながらも、声を挙げることはなく、黙々とプラン75に携わっている。観客だけが、それぞれの「ざわつき」と、彼らのすれ違いを垣間見ることができるのだ。
本作の持ち味は「ざわつき」。冒頭ゆっくりと流れるピアノから、美しいけれどどこか不吉で、気が許せない。そして、繰り返し現れるミチの常に張り詰めた表情、内実を知ったヒロムのためらいと驚き、職場の会話を立ち聞きした瑤子の沈黙、高収入の仕事の「中身」を知ったマリアの静かな動揺。美しく整然としているゆえの違和感が、じわりじわりと描かれていく。
さらには、プラン75が、あくまで本人の選択で、10万円の支度金が支給され、合同葬であれば費用が掛からない、といった(一見)完璧な至れり尽くせりのサービスであることも、「何かがおかしい」と心がざわつく。「今、(本当は)何が起きているのか」、「彼らは(内心は)どう感じているのか」を感じ取ろうと、流れに身を任さず、ふと立ち止まりたくなっていく。カギとなる「何か」を見逃さないよう、聞き逃さないよう、心のアンテナを高く伸ばす。そのような「静かな牽引力」が、本作には満ちていた。
ミチが最後に見た光は、きっと、それぞれの場所にいる彼らにも、静かに降り注いだはず。「生まれてくるときは選べない。そのかわり、「死なない」で「生きる」ことを、人は日々選択している」と、自分なりの結論に至り、2時間弱の旅をひとまず終えることができた。
設定と演出とキャスティングの妙
勿論、間近に迫る日本の近未来を見据えた視点には震えるものがある。75歳を過ぎると自ら生死を取捨選択できる制度が導入された社会というのは、実際、年金制度の見直しが決定したこの国では、すでに近未来ではないからだ。
しかし、本作のリアルはより細部に宿る。ある日突然、高齢を理由に解雇された78歳のヒロインが、役所に出向いて『まだ、働きたい』と申し出ても、担当者は年齢を理由に彼女の意向を遮断してしまうシーンには、行政の冷酷さと、まだ生かせる労働力を適切に社会に還元できない政治の対応力の遅さがあからさまなのだ。そういう意味で『PLAN 75』がいかに短絡的な制度かがよく分かる。
細部がリアルなのは、演技者たちのスキルに負うところも大きい。政治への疑問や不満を声高に訴えられず、未来へのわずかな希望に縋って生きる主人公は、これまで、庶民の喜びと悲しみを映画を介して代弁して来た倍賞千恵子ならではの役どころだし、『PALN 75』の申請窓口で働く青年を演じる磯村勇斗の、老人たちに対する優しい目線には、思わず引き込まれるものがある。
すぐそこまで来ている厳しい現実が、俳優たちの魅力によってより身近なものに思える。本作の高評価は監督の演出力とキャスティングによるものだと思う。
想像と解釈を喚起する「余白」の巧みさ
これは、少子高齢化のような“正答”のない難題に直面したとき、誰もリスクと責任を取って解決にあたろうとせず、ひたすら先延ばしにしようとする日本的なメンタリティへの静かな抗議ではないか。本作を観ながらそんな風に思っていたのだが、鑑賞後に資料を読むと、早川千絵監督の意図は違うところにあったようだ。本作を着想するきっかけのひとつに、2016年に相模原で起きた障害者施設殺傷事件があり、「人の命を生産性で語り、社会の役に立たない人間は生きている価値がないとする考え方」への危機感が、映画を作る原動力になったとしている。
とはいえ、75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行されている近未来の日本を舞台にした本作は、特定の意見や主義主張を明示する映画ではない。登場人物らの苦悩や心の触れ合いを描いているが、彼らに思いのすべてを語らせるのではなく、観客のさまざまな想像や解釈を喚起する“余白”が大いにある。1983年のカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作「楢山節考」で描かれた姥(うば)捨ての風習を想起する人もいれば、スイスやオランダなど一部の国で合法化されている安楽死と関連付ける人もいるだろう。この国では安楽死について口にすることさえタブーのような空気があるが、本作をきっかけに議論が活発化するなら良いことだと思う。
本作の主演に倍賞千恵子をキャスティングした点にも感心させられた。当たり役は「男はつらいよ」シリーズでの寅次郎の妹“さくら”であり、高度成長期に日本の国花の役名で知られた女優が、本作では衰退する日本、“日(ひ)没する国”を象徴するようなミチを演じているのだ。このアイロニカルな巡り合わせに思いをはせる観客も多いのではないか。
私の「PLAN75」は、大好きな映画を観ながらであったら…
監督がこのTV放映のすぐ後に劇場公開された
「ルノアール」の早川千絵だったので、
それに因む放映だったのだろうか。
若い頃は「楢山節考」という
老いた方には厳しい内容の映画があったが、
年齢的に臨場感が増したこともあり、
似た匂いのこの作品を恐る恐る鑑賞した。
この淡々としたドキュメンタリータッチは
本来、リアリズム的映像手法なのだと思う。
しかし、この作品では、
外国人労働者問題などへの
間口を拡げ過ぎたことと、
更には、登場人物それぞれが
社会的立場上の微かな接点こそはあるが、
人間関係としての絡みがほぼ無いことが
ドラマとしての盛り上がりの欠如を招き、
映画作品としての深みを生み出していない
ような気がした。
人間の価値や命の尊さへの想いや、
こんな姥捨て山のような社会システムが
あってはならないとの
制作者側の狙いは理解するが、
国家プロジェクトとして開始されたはずの
この“尊厳死”のシステムが貧相過ぎるのと、
外部者がその最期の場所・タイミングに
いとも簡単に侵入出来るという安易な設定
にしたのかが私には理解不能で、
問題提起以前に、
ドキュメンタリー的作風にも関わらず、
リアリティの欠如感が私の脳裏を
混乱させてしまい、
早川監督の最新作「ルノアール」への期待も
少し萎む鑑賞になってしまった。
さて、若い頃に比べて肉体的には
万全さを欠いてきている己の現状だが、
一方で、人生の積み重ねの結果、
色々な絡み合いが増えて来て
精神的には人生の面白みを
感じ始めて来ている昨今、
少なくとも身体が動く間は、
この作品のようなシステムがあったとしても
厄介にならないようにしたいものだが、
しかし、身体の自由を失い始めた際は、
この作品での無味乾燥なシステムではなく、
せめて、美味しいもの食べながら、
そして、大好きな映画作品を観ながらの
「PLAN75」であったらなあ、
と願わずにはいられなかった。
老人問題ではなく貧困問題
生活資金もなく誰からも愛されていない老人は死んでください、という救いようのない映画。
役者さんたちはとても良い。
ワントーンでひたすら暗い。
全くリアリティがなくてイライラしながら観る。
そもそもストーリーの年代はいつなのか、未来な感じがしないし、情景がひと昔前の様に古い。
主人公、働き者の老人が若い頃2度結婚してどんな生活だったのか?多少の貯蓄もできなかったのか?年金制度がない世界なのか?それとも若い頃から少しも支払ってなかったのか?
住まいもなぜ急に無くなるのか?会社の寮だったとか?
老人になっていきなり貧困になることはないと思うから
若い頃の生活に多少問題があったのでは?としか思えない。
この世界でも贅沢せずとも暮らせるだけの資金がある老人と、それなりに家族とうまくやっている老人は「プラン75」なんてなんの関係もないのでしょうね。
なぜ火葬場に運ぼうとしてるの?
安楽死できなかったら帰されるの???
最後まで釈然としないの暗い映画でした。
無気力
75歳で安楽死を選択出来る。
ストーリーは淡々と進み、大きく感情を動かされる訳でもなく、メッセージ性も感じない。
方や、ヘルパーをしていた外国人の女性は、国に残した5才の娘の心臓が悪く、救う為に、懸命に遺体の遺品処理の仕事に、勤める。
それも淡々と。。
安楽死と言うワードは考えさせられるが、この映画は何を伝えようとしてるのか?
後で気付いたのは「無気力」と言うことか?
どこかの国は、安楽死を認めてる所があったのじゃなかったかな?
歳じゃなく、いろんな厳しい条件をクリアした人のみ?
映画の内容でなく、重度な介護が必要で、施設に入れない人とか?
国で決まった政策なら、いろんなパターンがあるだろうが、「無気力」を表現したかったのなら、納得かも。
孤独
65歳以上の高齢者人口の割合において日本は世界最高
そして、65歳以上の4人に1人が働いている日本
私は現在36歳ですが、一体いつまで働くのだろう、これだけ働いてその後はどれくらいゆっくり過ごせるのだろうとか、人生のほとんど働いて終わり?とか、いろいろ考えたりします
これは、75歳以上の方が選択死するというお話ですが、年齢に関係なく人はみんな孤独と戦っていると思います
結婚しているから子供がいるから孤独じゃないという訳でもなく、家族や友達がいてもふと孤独に押し潰されそうになることがあります
高齢社会により、社会保障費など現役世代に対して更なる負担が予想されること、実際いろんな問題がありますが、もしこの制度が成立したとして、周りの人が利用しようしたら絶対止めたい、でもその後自分には何ができるのか…
全然纏まりませんが、いろんなことを考えさせられる作品でした
切ない
母親が76才で、見ていて感情移入してしまって切なくなった😭
社会問題に切り込んでるのかな?とは思いつつ
面白く見られました👍
自分の老後や親の老後など、色々考えたり悩んでる人には見てほしい映画。
あと何年ぶりかに見た倍賞千恵子が年取ってた!!
でも名演!!素敵過ぎる!!
「善」か「悪」か
死を自ら選べるようになった世界で、その制度は果たして善か悪か。もちろん現実では実現していない制度だし、明らかに監督側がこの制度を悪として描いているのはわかるのだが…。
しかし、失業して新しい仕事も物件も決まらず、生活保護は受けたくないといった最後の矜持まで蔑まれ、途方に暮れていた倍賞千恵子に、少しの間ではあるが、彼女の精神的な支えとなったのは、plan75の職員、河合優実であった。
河合優実がいなければ、もしもplan75がなければ、倍賞千恵子はそれこそ彼女の友人のような死に方をしてしまう未来もあったのではと思う。
とはいえ、死を選択しなかった彼女が今後どうなるのか、考えただけで少し暗い気持ちになるのだが、この映画は、そこまでの問題提起をしていないようにも感じる。
淡々と進められていく死へのカウントダウン、どことなく冷たい彼女の友人たち、そして不動産職員。対して、主人公をはじめ、その周りの登場人物たちの人としての優しさ(思いやり?)が、なんとも言えない対比になっていて、生々しかった。
自分はもちろんこの制度に賛成というわけではないのだが、かといって完全悪とも言い切れないのが、今の日本の現状だと思う。
折角の問題提起がぼやけているような
75歳になったら誰でも理由なしに安楽死できる法が成立・施行されたという話。
安楽死法賛成!
PLAN75は、理由不問のところがとても良い。
理由を病気に限定すると、医療関係者のお気持ち次第になってしまい、自己決定権がないからだ。
ただ、年齢に関係無く施行する必要があるだろう。
国は高齢者に年金支給や生活保護給付をしたくないがために法制化するわけだが、映画でも、10万円の支給やら豪華宿泊体験やら、手を挙げた者が心変わりしないよう担当者を配置するなど、どんどん75歳以上の者が自主的に死んでもらうための制度の充実に余念がない。
こうなると、75歳以上なら苦しまずに楽に死ねる権利があるのに、その権利のない若者から搾取してまでして年金や生活保護を貰って生きたいのか?との空気感、同調圧力が出てきて、やがては忖度死せざる得なくなるだろう。
国としては期待する流れなわけだが、これでは「長生きは罪」なディストピアでしかない。
ただ、主人公(倍賞千恵子の役)には、感情移入出来なかった。
バイトがなくなったら即家賃も払えないというのは、その年齢でどういうライフプランなのか。
贅沢している様子にも見えなかったが、年金2000万円問題ではないが、身体が動かなくなった時用に備えてすらもいなかったのか?誰かに騙され、資産を失った設定なのか?それとも、年金支給が急にゼロになった世界なのか?
また、全然死にたくないのに手を挙げて、結局、服薬を中止して逃げ出してしまったけれど、家もなく、この先どうするつもりなのだろうかとも思った。
夕陽なんか眺めている場合じゃないんだが?
主人公の生き方とは関係なしに、映画の高齢者あるある話は、かなり頷けた。
1つは、仕事。
主人公はクビになったため、ハロワに出掛けるが、その年齢では求人なし。
ある程度の年齢以上になると、大抵の者は新しいことを覚えるのが苦手で、そのため未経験の仕事を得るのは難しい。
体力勝負の仕事は、自身がキツくて続けられない。
子守は送迎だけと言えど命を預かる仕事で、高齢者に任せることは敬遠されるだろう。
手に職のない者は、主人公のように詰んでしまうわけだ。
1つは、お喋り。
高齢者は話を聞いて貰いたがる傾向があるようだ。
傾聴ボランティアというのまであるくらい。
自分の話を聞いてもらうのはドーパミンが出るそうだから、科学的な話でもあるのか。
PLAN75の担当者と縋るように会話する主人公が、とても哀れだった。死の促進をする役の相手に、遠慮しながらも、たったの15分間の会話を愛おしむ。
担当者も立ち位置を理解しているにも関わらず、主人公に感情移入してしまって、こんな調子だといつ離職するかわからなそうだったが、メンタルがやられそうな大変な職場なのは間違いない。
ところで、映画では、PLAN75の担当者が、PLAN75での遺体はゴミと一緒に廃棄されることを知っており、叔父の死体を担いで火葬場まで持ち込もうとして、速度違反で捕まる場面があったが、あれは必要だったのか?
歌ではないが、私はここにはいないのだ。
私自身が死んだら、生ゴミと一緒に焼却して貰って全く構わない。気にもならない。いや、死んでるので、そもそも気すら存在していない。多分、叔父さんも同じ気持ちではないか。
といった遺体の処遇は遺族次第という話は、PLAN75の問題というより一般的な葬儀の話にもある。
高齢者の惨めな生き方を描きたかったのか?
高齢者あるある話がしたかったのか?
死者の尊厳についての話がしたかったのか?
安楽死施策を支える者たちのメンタル的負担を訴えたかったのか?
折角、PLAN75という法を出したんだから、"高齢者の安楽死"の問題点についてだけに絞って物語を紡いでくれたら、倍賞千恵子の演技力も素晴らしいのだし、もっと名作になったと思う。
それと、ここにこんな間はいらないだろうと思われる場面が、明らかに何カ所も意図的にあって、何なんだ?と思った。
希死念慮を持つ私からみたplan75
私は自殺未遂を何度も繰り返した経験がある。正直、今も死にたい気持ちは変わらない。外国で安楽死を認めている国があるが、それは身体的に問題がある人のみが認められており精神的な問題を抱える人には適用されない。
対して、この映画で出てくるplan75は75歳以上の人ならどんな人でも死を選ぶことの出来る制度だ。「死にたい」と思う人には良い制度だと思う。若者の負担になりたくない、これ以上生きていても明るい未来が見えない、身寄りがない、様々な理由がある。
全国で高齢者を憎む若者による高齢者を狙った事件が多発しようとも、その事件に支持者が現れようともその人達の意見はごく少数に思う。だが、plan75の制度が出来てからのこの映画に出てくる高齢者達は「私たち生きていていいのかな」と肩身の狭い思いをしている。肩身の狭い思いからこの制度を利用する人が必ず現れる。そうなれば国が、社会が人殺しをしているのと同じだ。
植松聖が起こした障害者を狙った大量殺人事件。あの事件にも賛否が生まれる時代。私も正直正解は分からない。辛い思いをするのは障害者本人でありその家族である。ならば障害を持って生まれそうな場合は子供を産むべきではないのでは無いか。この事件でもそのような考えが社会に生まれこの事件をきっかけに子供を持たない人もいるのだと思う。それが正解か不正解かは分からないが。
現在23歳の自分の祖父母は毎日のように自分も含め、子供や孫が家に訪れる。倍賞千恵子に比べれば祖父母は幸せなのかなと思ったりもしたが、本当にそうなのか。実際、祖父母が友人と出掛けるのは年に数回(友人を多く亡くしている)だし祖父は未だに現役で仕事を続けているが祖母はほぼ毎日家と近所のスーパーの往復だ。家に訪れて話や食事を共にするだけでなくボーリングやカラオケなどたまには祖父母と一緒に行ってみようかなと思えた。
「みんな歳とるのにね」というセリフがあった。その通りだ。みんな歳をとるのに新しい職が見つからない。新しい家が見つからない。雇う側にも家を貸す側にもしょうがない事情があるだけに難しい。
理論的に言えばplan75は正しい制度なのかもしれないが、人間的に見れば正しくない制度。
希死念慮を持つ私からすれば正直安楽死制度はあってもいいように思っていた。ただ、この映画を見た事でその制度が認められることで起こる様々な問題が見えてきた。
私は自分で死を選ぶことは決して悪手では無いと思っている。ただ、制度化してしまうとこの映画で出てきたような問題が起こるのなら、自殺する人はせめて他人に迷惑がかからないように死のう。
終活を考える
75歳以上の人は健康な人であっても、安楽死を選択できるという制度「PLAN75」。国も積極的に広報活動を行い、推奨しているという架空の社会を描いた話。
未来に希望が持てない毎日を送っている老人にとっては、利用したくなる気持ちも分からなくはない。
PLAN75に関わり、恩恵を受けている側のヒロムやコールセンタースタッフの瑶子、マリア。でも心のどこかでこの制度に疑問を抱いている。しかし、思ったところで社会は何も変わらない。最後にヒロムがおじさんのために行動を起こすシーンで、少し救われたような気持ちになった。
賠償千恵子がおばあさん役を若造りなど全くすることなく演じているのが印象的。美しくて上品で、80を超えていまだ主演をはることのできる人はなかなかいない。
年のせいか、こんな制度があってもいいかな、と思えてくる。
とてもリアルだった。
他の方のレビューには、「死を選べる制度」が日本に成立するリアリティがないとの感想もいくつも書かれていた。
その通りだ。こんな法案が、どういう経緯で誰が言い出して、世論の支持を得て、国会で成立してしまうのか。まったくイメージできないし、この映画を見ても分からなかった。
それでも、リアルだった。この映画で描かれている、法案「PLAN 75」が成立したあとの日本は、いまの日本と何も変わらない。昔ほどの勢いはないけれど、世の中は比較的穏健で、礼儀正しく、親切な人たちのたくさんいる場所だった。
年をとるにつれ、仲のよかった友だちも亡くなったりする。幸い自分はひどい病気もなく、働けている。パートアルバイトなら年齢制限なども特にないし、そこそこ求人もある。住むための物件もたくさんある。それでも、いちど仕事を失うと、採用してくれるところが見つかるまで時間がかかるようになった。年配者に肉体労働をさせる職場は、お年寄りにやさしくないイメージに見えてしまうのだね。確かに、お年寄りに部屋掃除させてる一流ホテルなんてないですよね。
もう少し安い部屋に引っ越そうと思う。不動産屋さんに部屋はたくさんあるようなのだけれど、なかなか決まらない。年寄りには、なるべく貸したくないのだね。ある日突然死なれたら、あとの借り手がみつかりにくくなる。それもわかる。
娘も孫たちも、お金持ちではないけれど元気にやっている。電話すれば声も聞けるし、いっしょに暮らせたらいいなと言えば、きっと迎えてくれる。でも私は一人で暮らせてるし、そんなことお願いするのは気が進まない。私はいまのところ大丈夫だ。
「PLAN75」という仕組み、批判している若い人たちもいるけれど、そんなに悪い制度ではないのでは?とふと思ったりする。もう十分働いたし、無理に働かなくても良いのではとも思う。楽しい日々もそれなりにあった。私といて楽しいと思ってくれる人もいなくなっちゃったし。最後に美味しいもの食べて、そのまま静かに眠れたらいいんじゃないかな。そのまま目が覚めなくても。社会保障も若い人たちの重荷になっているのですよね。
倍賞千恵子さん演じる主人公の心の動きは、とても自然で、とてもよく分かる。
あと10年ちょっとで、私もその年齢になる。「PLAN75」、やっぱり気になる。1年前にこの映画を観たときのメモを見ながら書いているけれど、感想は変わらない。その日まで、1年短くなっただけ。選ぶのは私だから。選ばないのも私だけれど。
長々とした年寄りの感想文を、最後まで読んでくれてありがとう。
これ、おもしろいの?
悲しい現実…
おばあさんが今後どうなってしまうのか気が気ではない
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