マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
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マリコはもう一人のシイちゃんなのか
親から愛されず、マリコ以外の友達がいないシイちゃん。
やさぐれてはいても、優しくて強くて賢いシイちゃんに、なぜ友達ができないんだろう?
醜くぶっ壊れた父親に、常識人でとても良い後妻がもらえるのも不思議。
この違和感は、「さまざまな暗喩」が混ざり込んでるからじゃないのだろうか。
マリコの身に起きたことは、実はシイちゃんに起きたことなのかもしれません。
マリコの死は、シイちゃんの弱い部分の死。
弱さから脱皮しようとするシイちゃんから、さらにひったくろうとする人、手を差し伸べる人、助けを求める人。
それぞれを正しく対処して、シイちゃんは、日常に戻ってきた。
戻ってきてみたら、日常はそんなに悪いものじゃなかった。
話しの通じないと思っていた上司は、もしかしたらそんなに悪い奴じゃないのかもしれない。
ただブラックだと思っていた職場は、もしかしたらとても忙しいけれど売りがいのある商品を販売している会社なのかもしれない。
「マリコの死」を通じて、シイちゃんは大人になった。
……という感想とは別に、マリコみたいな友人がいたとして、どうやったら救えるのかと考えたりもしました。
劇中でシイちゃんが告白している通り「めんどくせぇ女」だけど、誰よりも自分を慕ってくれて、自分にとっても彼女以外の存在はないのなら。
そっちの方が難しい話ですね。
父親のSEX奴隷マリコ
最後の手紙、この監督なら絶対読まないまま終わると思った。
画面の切り取り方や構図がセンスあるなあと思った。
場面の繋ぎ方にもかなりのこだわりを持ってるのが見えたから、この人は絶対 こうやって終わるでしょ!って思ったらその通りで、しかもそれでブツっと切る!
永野芽郁のあの声が好きで、インスタントスープのCMで飾り気なく歌う感じがたまらなくて トロトロスープを買ってしまった事もある。
この映画の公開当時に永野芽郁の
「自分じゃない方がいいんじゃないかと思ってかなり悩んだ」って言ってた言葉が記憶にあった。
タバコも数ヶ月前から吸った とあった。
テレビじゃNGのやつだなあと思いながら見た。
しぃちゃんの家庭は全く出て来ない。
親の離婚でおばあちゃんちに行く話だけ。
全く親に顧みられない家庭。
ネグレクトに近い。
花火をしに公園に行く事も全く誰にも心配されない家。
マリコんちみたいに 殴られたりはしないだけ。
あそこまで身体中に傷があると今の時代なら、児童相談所扱い。
近所の人も あれは通報しないとダメなやつ。
罰則規定はないけれど、見て見ぬふりはお咎めがある。
そして成長後は彼氏に依存する。
しぃちゃんには絶対彼氏作るなと言った後の場面で
あっさり自分は男を優先した姿と あまり良い付き合いの出来ない様を見せる。
男関係が進行中は連絡が来ない。
終わると来る電話。
そして自分が壊れちゃってる事を自覚している。
しぃちゃんに嫌われたら終わり、そう思っていても上手く生きられない。
だから飛び降りる。
そのあたりの説得力はあった。
しぃちゃんにもマリコだけだった。
マリコよりもっともっとマリコだけだった。
方向性が違って 強さ に見えてしまうが 彼女の
「ひとり」であることの強烈な空洞を 永野芽郁は上手く演じていた。
窪田正孝の 見てるだけでもなんか正気がないというか
もしかしたらコイツ幽霊か?ってくらいの感じも良かった。
もちろん マリコの奈緒 もそれにしか見えないくらい本当に上手くやっていた。
最後の手紙も 中身は そう 微笑みの出る内容なんだなあという事だけ伝えればよし。
ここで吉田羊おばさん が “どんだけいい人”で、
「てか 家バレてるし、、、」封筒から落ちる手紙
という構成も良かった。
というわけで
全般 言う事なしなんだけれど
途中でネットショッピングで検索してしまうくらい気になったのが、骨壷カバー。
夫の死がまだまだ記憶に新しいんだけれど
骨壷の あのよくある布のカバーって 覆い(おおい)って言うんだとAmazon検索で初めて知ったんだけれども
あれ、底は布なくて上からすぽっと被せるのが一般的なんだと思う。
だって 上部の組紐をいちいち結び直す仕組みにはなってないんだから。
だから 骨壷バックみたいなのがあってそれに入れて持ち運ぶ。
しかも男女の差は(夫とマリコはガタイもそりゃ随分違うだろうけれど)あるだろうけれど
ずっと片手で持ってられる程軽くない。
あのまま持ったら布から 骨壷の桐箱はするっと落ちてしまうくらい 持ちづらい。
それで二階から飛び降りてさらに川を渡るとか
もうここはリアリティは抜こう この絵づら として
監督は骨壷はこういう風であると考えたんだね
と思い込ませた、んだけれど こういうタイプももしかしたらあるんだろうか、骨壷のサイズもたぶん数種類あるだろうと ネット検索に至った次第。
(じゃないと落ち着いて見ていられなくなってしまって、、、)
で 出てくるのは ペットの骨壷。
あとは手元供養とか言って分骨する用のやつは 私も買ってあって九州のお墓に入ってるものから喉仏の分を取ってうちにある小さい仏壇に分骨してある。
小柄なマリコは夫のよりはひとサイズ下だろう、とは言え人間だし人間用は2種類くらい。骨壷の陶器だけでも結構な重さだよなあ。
さらに 散らばけた骨は拾わないと人骨ってだけで事件だわーでもこれは別の事件でお咎めなしか。
と言ったような事でマイナス0.5
みたいな厳密な点数付けはいつもしないんだけれど
今回はまあ そういう事です。
過去と生きる。
主人公のグリーフワークがテーマ
きっと誰かの大切な人
家族に壊され彼氏にも壊されて、最期には自分自身を壊して消滅させたマリコ。
同じような境遇の人がたくさんいて珍しくも無くなってしまった現代社会だけれども、そんな事を憂いたって仕方がない。
親友シィちゃんは消化しきれない想いを抱えながら遺骨も抱えて海を目指すしかないのだ。包丁を振り回し、川を渡り、仕事を放り出し、骨壷で殴る。必死に生きる。死んだマリコに会いたくて生きる。死んだ人に会う為には生きるしかない。どう死ぬかはどう生きるかだ。壊され続けたマリコが誰にも助けを求められなかったのはそこまで彼女が壊れていた証左。でもマリコを喪ったシィちゃんの人生はまだ続く。これは親友をなくしたシィちゃんの物語だ。大切な人をなくしたみんなの物語だ。
マリコからのラストメッセージを読んで微笑むシィちゃんは、こらからもずっと彼女と共に生きていくんだろうなと思った。
煙草の良さ
友だち以上の関係なの
永野芽郁の女優魂の産物
この作品での役を演じるにあたって永野芽郁さんはメディアインタビューで「ヘビースモーカーであるシイノトモヨに少しでも近づくため撮影期間中実際に喫煙者の方々に吸い方や格好を聞いて回って喫煙者として生活をした」と話していました。このトモヨという骨太で男前な女性を見事に演じられていたと思います。永野さんのお芝居の生々しさが、この物語で描かれる人間の生きづらさや逃げ場のない不条理な世の中をノンフィクションに感じさせました。
永野芽郁さんのたばこシーンが話題になって見たかった作品
上映時に永野芽郁さんのたばこシーンがかっこいいと話題になった後に見に行こうと思っているうちに上映終了していた。
Prime Video で早くも見放題に追加されて鑑賞。
シリアスなのにコミカルを入れていて微妙なところがちょこちょこあった。
「一句読んじまった」は正直要らんかった。
その点から胸にぐっとくるまでの衝撃はなかった。
とは言え、昔こういうことがあったんだという誰かの武勇伝的にみるストーリーと考えるととても面白かった。
本人はいたって真剣なのだろうが、遺骨の前で牛丼に箸立てたり、骨壺で殴ったり絶妙に不謹慎で笑っていいのかどうなのか微妙な表情で見てしまった。
ストーリー的にはクラスや学年に1人はいるであろう劣悪な家庭環境に育った少女とその友達の話。何をやっても危害を加えてくる親と、仲良くしてくれる子に依存するというよくある展開。
マリコ自身は彼氏を作るのに主人公に対して「彼氏を作ったら私死ぬから」と脅迫するあたり感覚がぶっ壊れている感じはある。
安定のクソ男にしか引っかからない女になっている。
家庭環境が悪い女はこんな人生だという偏見をすべてぶち込んだ結果がマリコだと思う。
最終的にマキオと結婚して娘の名前はマリコにするオチかと思ったが案外さらっと終わった。
なんで死んだのかも最後の手紙には何が書いてあったのかも明かされなかったので消化不良感はあるが、皆さんのご想像にと言われればそれでもいいかと思える。
見る前はマリコの父親をどうにか殺す作品だと勘違いしていたが、多方面への社会風刺的な作品だった。
カッコいいたばこのシーンが見つからなかったがどのシーンだったのだろうか。
おじさんというのは人の気も知らない迷惑な生き物だなと改めて実感する。
「ちょっとした冗談じゃないか?」で済むと思っているのが痛々しい。
ダル絡みしてくるおじさんにはあれくらいの剣幕でちょうどいい。
永野芽郁さんを堪能出来ます。
マリコからの手紙
クライマックスでの一撃に、たまらなくスカッ!
「ユニコーンに乗って」で永野さんに興味を持ち、鑑賞。
原作未読。
過去と現在を交錯させながら、主人公が友人の死を受け入れるまでの物語。
とてもオーソドックスだが惹かれたのは、
主人公のハードボイルド感を演者が上手くさばいていたためだろう。
やりすぎ感に無理やり感もなく、ごく自然な「しーちゃん」の存在感がとてもよかった。
通してみる友人「マリコ」像も痛々しいだけでなく、儚く謎めいていて美しい。
物語はほぼ主人公の一人舞台なるも、途中から出てくる「釣り人」もまた寓話的で、
主人公の精神世界に奥行をもたせてくれる。
ゆえにリアルとファンタジーの混じったようなキャラクターだが、この演技も絶妙と観た。
救えなかった罪悪感、そんな自身への憤り、そして取り残されたことへの怒り。
まとめてぶつけるクライマックスでの一撃が、たまらなくスカッとする。
マリコが助けてくれてありがとう、と言っているようにさえ聞こえた。
また劇中では徹底して主人公の身の上について触れない。
だがなんらか不条理が過去から現在まで澱と溜まっていることは明白で、
この一撃にはそれらもまた、込められている。
そんなカタルシスも感じることができてとても印象に残った。
などなどひと悶着を経て戻った現実は、
だからと言って何か変化するわけでもなく
そこに「天気の子」を思い出す。
現実とのかかわりに焦点を当てるよりも、
関わる現実を個々の内でどう解釈しなおし生きてゆくのか。
これまた王道だが、近頃なお目立つように感じている。
ともかく振り切っていたハードボイルド永野さん、ヨシ。
そして途中、死者と会話するというコンセプトから
「スイスアーミーマン」を思い出したことも記録しておく。
むしろこのメモは「スイスアーミーマン」鑑賞のためだろう。
男前な芽郁ちゃんの魅力
本作は予備知識を全く入れずに鑑賞して、原作がコミックということも知りませんでしたが、映画観(み)の直観というのか冒頭を観ただけで「ああ、これは恐らくコミックの実写映画だな」という確信がありました。
そして今までの成功した漫画の実写化映画と(良い意味で)同じ匂いがしました。
そうした直観に引きずられ、最後まで一気に鑑賞出来ました。
ただ、よくこういう作品で重箱の隅を突く様な感じの感想の人を見かけますが、本作の様な作品は其処を無視できる人しか本来観るべきではないのでしょうね。(基本、リアルや整合性が売りの作品ではありませんからね)
これは余談ですが、この劇場(塚口サンサン劇場)って、上映している作品と何かしらリンクした作品を上映することが多くて、上映前に近日上映の『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』のポスターを見たのを鑑賞中に思い出し「ああ、これとのリンク作品なんだ!!」って思い至りました。
本作もなんか、あの作品のノリなんですよね。そう思うと余計に本作が愛おしくなってしまいましたよ。
永野芽郁が主演でしたが、なんか今すごい勢いですね。“のん”とは別の意味で突出した無双感があり、深きょんが出だした頃の感じと似ている気がします。
マイ・ブロークン・この世界。
原作は未読。自ら命を絶った親友マリコの遺骨を強奪したシイノ。骨箱を大事に抱え語りかけながら、かつてマリコが行きたいと言っていた岬を目指す物語。
足を広げて腰掛け煙草をふかす。粗雑で荒々しくまるで一匹狼のようなシイノ。一方幼少期から続く父親からの虐待により精神が崩壊しかけ、シイノなくしては生きられないマリコ。全くタイプの違う二人の共依存関係も、物語が進むにつれ実はシイノの方が依存度が高いことに気付かされる。月並みだけど結局人って孤独のままでは生きていけないのだろう。
シイノに助けを求めた二人の女性を手紙の文字で表現していて上手いと思った。あと窪田正孝の使い方も上手い。永野芽郁は新たな一面を見せてくれたし、奈緒の放つ繊細さと危うさはもはやマリコそのものだった。
全201件中、61~80件目を表示