マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
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俳優さん達の演技が光ってる
永野芽郁さんは今まで可愛い役が多かったが、やさぐれて男前なシイノを見事に演じきっていたし、奈緒さんの暴力によって壊れたマリコ、ナチュラルにシイノにアドバイスする窪田正孝さんなどキャストさんの演技に感心させられた。
登場人物が発する言葉がどれも印象的で考えさせられるものだった。
ラストシーンが特に印象的で余韻が凄かった。
見終わった後、良い意味で「面白かったあ」と一言で感想が言えないような映画だった。
迫力の演技
原作に忠実
この映画、ほとんど前情報なしで見に行きました。
大好きな永野芽郁が主演っていう理由、ただそれだけです。
映画を見終わって、なんともいえない物足りなさが残りました。漫画は絶対こんな感じじゃないっしょ、評価高いし。気づいたら本屋で原作の漫画を購入してました。
漫画を読んでみて、シイノのセリフだったり、各シーンの描写や主人公や関係人物の行動など、映画と瓜二つでした。非常に原作に忠実な映画だと感じました。
漫画を見てるのと見てないのとでは明らかに感想が変わると思います。
映画を見ただけでは、手紙の内容くらい見せろや。と思うところでしたが、漫画にも映画にも、「私以外の誰もがマリコが死んでも関係ない、日常を過ごしている」というシーンがあります。
最後の手紙を見せないのは、試聴しているだけの関係のない他人が介入するものではなく、二人だけが知ってればいいということなのではないかなと思いました。
思えば劇中で手紙の全てを見せるようなシーンはなかったのかなと思います。
まだ見てない人は原作を見るべきだし、見た人は原作も見てほしい映画です。一巻完結なので、家を出る前に読めます。
ぶっ飛んだ映画は大好き!
ユナイテッドシネマ浦和にて鑑賞。
本作のような「ぶっ飛んだ映画」は大好き!
兎に角、親友に死なれて想像できない行動を続ける永野芽郁はアッパレの凄さだった。
営業OLのシイノ(永野芽郁)はニュースで親友マリコ(奈緒)の死を知る。大切なダチの遺骨が彼女を虐げていた親の元にあるので、ダチの遺骨を奪取して逃げる。そして……といったドラマ。
このあたりは予告編で見ていたが、全編にわたって「えっ!」と思わされる展開が見事!
永野芽郁が「本作でシイノを演じるにあたって…」を語っている映像を見たが、永野芽郁ご自身はもともと非喫煙者だそうで、3~4ヶ月前からスタッフが用意してくれたニコチンとかタール抜きのタバコ(?)で喫煙者の役作りをしたらしいが、その甲斐あって、劇中では確かに喫煙者していた。
また、ロケ地も見どころだと思うし、撮影面でのショットの捉え方なども効果的であったと思う。
いろいろと書きたいことが沢山ある映画だが、公開されたばかりなので、ここでは控えめな記載にとどめておくが、とても楽しい映画であり、観て良かったと思えるタナダユキ監督の佳作。
……と書きながら、「また観たい」と思ってしまう(笑)
<映倫No.123067>
ちゃんと疑義のある部分もチェックされていて好印象。対抗以上。
今年290本目(合計565本目/今月(2022年10月度)4本目)。
今日最後に見た映画になります。
この映画も原作って存在するんですね…。私は知りませんでした。ただ、主人公も含め設定などの説明がとても丁寧なので「小説前提、知らない人お断り」になっていない点はとても好印象です。
この映画は解釈がしやすく、かつ、「ひとつの解釈のしかた」しか(おそらく)できないし、そのラストも明示的に描写されるので「解釈のゆらぎ」は発生せず、もっぱら映画単体の描写などの評価の論点「だけ」に絞られるように思えます。
その観点で見ると、多少わかりにくいかな…と思える点はある(時間ずらし表現があっちこっち飛ぶところがある)ものの、結局は過去にしか飛んでいない(過去からさらに過去といったことにはなっていない)ため、その部分も「あることさえ」理解していれば理解はしやすいです。
一方で気になった点として、この映画は結局のところは「児童虐待」「家庭崩壊」といった論点が絡むため、「適正に処理するなら」、行政に相談するなり弁護士会に相談するなりするべきであるものの、そうするとこの映画は1分で終わってしまいます。さすがにそれも支離滅裂であり、その点は仕方がないのかな…というところです。
すると、それも含めて法律的な解釈がどうか、という点が気になるものの、若干説明不足な点はあるもののおおむね正しく、ここでは評価5.0が上限ですが、個人的には6.5くらいいきそうな気がします。
減点対象は特に見当たらないのでフルスコアです。
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(▼参考/「火葬は、亡くなってから24時間を経過しないとできない」)
・ これは、墓地埋葬に関する法律による規定です(事件性のあるものが、警察のチェックを受けることなく火葬・土葬されることを防ぐ趣旨のもの)。
(▼参考/自殺を思いとどませるシーン)
・ この行為(やめるように説得したり、実際に実力行使に出る行為)は、民法上の事務管理にあたります。事務管理はその規定上、「本人の意思に反する場合、その事務管理を中止しなければならない」という規定があります。ただしその場合でも、公序良俗違反や自殺を実行する行為を止めるような場合は、そうした「違法や不当、公序良俗、人命に関することを実行する行為」は、それらををとめることのほうがさらに優先されるため(判例)、本人の意思に反してでも無理やりにでも中止させることが可能です。
(▼参考/ものを無理やり持ち去ったりするシーン(2か所。序盤の主人公の行為と、中盤あたり、バイクのひったくり)
・ これらの行為自体は民法上問題になりますが、一方で無理やりにでも奪ったものにも占有権はありますので、それを実力で取り返す行為は占有訴権との関係で問題になります(占有回収の訴え)。
※ 要は、「無理やりにでも奪われた場合は、法律にのっとって裁判所などを経由して合法に取り返すのであり、無理やり私人間で奪い合いをしてはいけない」ということです(社会秩序崩壊防止の観点)。
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エンディングがベストマッチ!!
ガリレオを観に行った際の予告で、タイトルに惹かれて観に行きました。
結論から言うと、ものすごく良い作品です。
キャストの方々の演技がとても上手だし、話も面白いし、なによりもタイトルが本当に秀逸でオシャレだと思います。
最後の手紙の内容は原作同様明かされませんが、エンディングの『生きのばし』がそのヒントになってるのではと勝手に思っています。
ここまで作品とマッチしたエンディングを選んでいる時点で、原作へのリスペクトや作品への愛を感じます。
本当に見てよかったです。
骨壷の使い方
火の玉と化したシイノの疾走感がヤバい。そのシイノをいなしながらクールダウンさせる釣り人マキオ。マキオとシイノのアンバランス感が醸し出すオフビートなリズムに思わず笑ってしまう。
自殺した親友マリコの骨壷を強奪して、マリコと語り合うために旅に出る。このシーンを予告で目にした時、絶対見るべき作品の予感がしたんだけど、正解。
永野芽郁のヤサグレ感といい、男に対する啖呵の切れ味といい、役作りが完璧。気だるそうにタバコを吸う顔とか、クソ上司への態度とか、嘘泣きの様子とか、笑っちゃうくらい自然。
昨日鑑賞した『それがいる森』で、邦画の未来が心配になったが、そんな杞憂を吹き飛ばす仕上がりでございました。
骨壷の使い方もすばらしい。
追記
原作を読んでみた。原作の世界観が損なわれずに映像化されている。タナダユキ監督はいい仕事したね。
それでも生きていく‼️❓じゃねえ‼️生きさせていただきます‼️❓
私事ですが、鬱で入院してる時、半分青いを観てました、朝ドラを全部観たのはこれだけです、永野芽郁は命の恩人と、過言ではありません。
奈緒も半分青いで永野芽郁の親友でした、偶然ではないのでしょう、役回りはテレコだと感じました、でも、これはこれでハマる、そう感じました。
何故かわからないけど、最初から最後まで慟哭してました、意味なく泣いたのは初めてです。
意味がなさそうな行動の数々ですが、当事者には意味があるんだと思いました、それが苦しくても生きれる、そんなことだと。
なんだか、レビュー書いてると泣けてきます。
友情も掛け値無しだし、親切にしてくれる気持ちも掛け値無しです。
命懸けで生きてる人だけができることであり、気持ちなんだと思います。
なんのために生きているのか、悩んでいる人は、是非。
生きるのが苦しい人も、もちろん是非。
誰かのために、生きよう、そうゆう人がいると良いですね。
難しさは残るが、真実を捉えている
なるほど~ 漫画の実写版ですか~
基本的にはヒューマンドラマに近いようにも思えるが、ミステリー要素も含んでいる作品に仕上がっている。
親友マリコの死をニュースで見てしまったシイノ
ニュースが伝えた自殺
この理由こそシイノが探していることであり、この物語の原動力となっている。
有名俳優が多く登場することで、この物語が何について語っているのかがわかりにくい点は、逆にミステリー要素を演出している。
そしてこのミステリーには解釈こそあれど、答えは得られないのかもしれない。
なぜなら、
自殺してしまった人に対し、遡って「あの時に」と悔やむ以外できることなど何もないからだ。
そして原因はひとつではない。少なくともいくつかの要素が雪だるま式に膨れ上がってしまうことなのかもしれないが、実際にある自殺についての答えは、もしかしたらほとんど誰も真剣に考えようとしないという実態があるのではないだろうか?
さて、
自殺したマリコの継母から届いたシイノの靴と手紙
その手紙の中に入っていたマリコからシイノに宛てられた手紙
シイノは、手紙ばかり書いていたマリコが、死ぬ前に自分宛に手紙を残さなかったのはどう考えても合点がいかなかった。
やっぱり手紙はあったのだ。
その内容は明かされることはないが、シイノが手紙を見て微笑んでいる。
そこに書かれていたのは、間違いなくマリコ自身の姿であり本心だったのだろう。
釣り人のセリフ「もういない人に会うには、生きているしかないんじゃないですか?」
おそらくこれこそがこの物語が最も伝えたかったことだろう。
シイノの想い出の中のマリコ
時系列がバラバラで、視聴者にはその真意がつかめない。
高校生まであったマリコの父の虐待
一人暮らしを始めたにもかかわらず、その虐待は彼氏に化けて続いた。
その全てがマリコ自身の所為だと考えるようになってしまっている。
「もうどこから直していけばいいのかわからなくなった」
一般的に考えると、マリコはその過去の影響から躁鬱のようになって、やがて統合失調症のようになったように思える。
そしてなぜ、あの最後の手紙が継母から届いたのだろうか?
それはおそらく飛び降りる直前に書いたことで、投函しなかったからだろう。
マリコが死を決意したその手紙に対し、なぜシイノは微笑みながら読んでいたのだろうか?
ここの部分の解釈は難しい。
その内容はマリコらしい表現で彩られていたと思われるが、同時にそれはいつもの手紙と大差はなかったのだと思われる。
つまり、マリコにとってはいつでも自殺できる状態が昔から続いていたことを意味する。
シイノはその手紙を読みながらやがて涙するのは、そのような状態が長く続いていたマリコの核心部分に蓋をして見ないようにしてきた自分自身の内面を知ったからかもしれない。
シイノの本心のひとつ 「面倒くさい女だと思っていたのにさー」
彼女の自立を願っていたシイノは、一般的な我々同様に本気で自殺することを考えていない。
まりがおか岬にて頂点に達したシイノの想いは、確かにいつだって本気だったことをマリコに伝えていた。
自殺という裏切りにもとれる行為に対するお返しを、やっぱり自殺で返してやるという極限の想いはシイノの本気度を表している。
「恥ずかしながらシイノトモヨ帰ってまいりました」
このセリフに込められた自殺の意志と覚悟。
そして幻覚 カメラの視点は少し上にあって、それがマリコの視点だとわかる。
ここにファンタジー要素も加わっている。
また、
どうしても解せないのがマリコの父
なぜ彼は祭壇の前にいたのだろう? 気配すら消し去っているほどだ。
葬儀すら挙げない親の姿としては矛盾が残ってしまったが、これが作家の実体験であるならば、この要素もまたマリコの自殺理由の謎の要因となっているのかもしれない。
さて、、
マリコがシイノに一緒に住もうと言ったシーンが数回ある。
これがマリコのたった一つの希望だったのではないだろうか?
マリコはシイノの想いを見抜いていた。
それは彼女自身が自立すること。
だからシイノは口では一緒に住もうと言いながらも、実際にはしなかったのだろう。
線香花火のシーンは、まだ高校生の頃だったように感じた。
一緒に住むことに救いを求めたマリコだったが、その甘えを受け入れまいとするシイノの一線が、マリコには明確に見えていたのだろう。
シイノにとって良かれと思ったことが仇となった。
高校時代までどうしようもなくなっていたマリコの精神状態は、決して良くなることなどなく、似たような悪いものを引き寄せながら、ゆっくりと破壊されていったのだ。
いつものように、その時々の想いをしたためた手紙と、ふっと切れてしまった「何か」
ずっとナイフのエッジの上を歩きながらシイノを見続けてきたマリコの、その「何か」がその瞬間切れたのだ。
それだけマリコは追い詰められていた。
「彼氏がいるときは全然連絡しないくせに」
精一杯の自立を演じても、できないものはできなかった…マリコ。
作家は、友人の自殺という実体験から、どうにもできなかった事などを踏まえつつ、その自殺者への本心を親友の目という客観的視点から探ろうとしたのがこの作品なのかもしれない。
殆どの人はその人のためと思い一線を画す。
それは結局自殺するという行為で表現されることで、一般的にはすべてが自殺者の所為になってしまうが、自立を促す前に、その本心を見定めることが重要なのだろう。
誰一人シイノを責めることはできない。
シイノ本人も自分を責めてはいけない。
彼女の勤務先 そこに垣間見える現代社会の在り様
「友人が死んだからって、仕事さぼっていいわけじゃないんだぞ」
この中にある「常識」という名の異常
これらの常識の中からマリコの死の真相を探ることなどできない。
自殺というものが何かを問いかけているものであるならば、それは、シイノのように探り出さねばならないのだ。
それだけが自殺者に対する報いとなるのだろう。
その自殺がどんな理由であれ、自殺者にとっての真実だ。
その真実がどうであれ、その真実を手繰り寄せることは、きっと思いやりの一部だろう。
考えても正直難しいのだが、この作品は自殺者に関しある種の真実を捉えているように思う。
もういない人に会うには、
マリコはもう一人のシイちゃんなのか
親から愛されず、マリコ以外の友達がいないシイちゃん。
やさぐれてはいても、優しくて強くて賢いシイちゃんに、なぜ友達ができないんだろう?
醜くぶっ壊れた父親に、常識人でとても良い後妻がもらえるのも不思議。
この違和感は、「さまざまな暗喩」が混ざり込んでるからじゃないのだろうか。
マリコの身に起きたことは、実はシイちゃんに起きたことなのかもしれません。
マリコの死は、シイちゃんの弱い部分の死。
弱さから脱皮しようとするシイちゃんから、さらにひったくろうとする人、手を差し伸べる人、助けを求める人。
それぞれを正しく対処して、シイちゃんは、日常に戻ってきた。
戻ってきてみたら、日常はそんなに悪いものじゃなかった。
話しの通じないと思っていた上司は、もしかしたらそんなに悪い奴じゃないのかもしれない。
ただブラックだと思っていた職場は、もしかしたらとても忙しいけれど売りがいのある商品を販売している会社なのかもしれない。
「マリコの死」を通じて、シイちゃんは大人になった。
……という感想とは別に、マリコみたいな友人がいたとして、どうやったら救えるのかと考えたりもしました。
劇中でシイちゃんが告白している通り「めんどくせぇ女」だけど、誰よりも自分を慕ってくれて、自分にとっても彼女以外の存在はないのなら。
そっちの方が難しい話ですね。
最後の手紙、この監督なら絶対読まないまま終わると思った。
画面の切り取り方や構図がセンスあるなあと思った。
場面の繋ぎ方にもかなりのこだわりを持ってるのが見えたから、この人は絶対 こうやって終わるでしょ!って思ったらその通りで、しかもそれでブツっと切る!
永野芽郁のあの声が好きで、インスタントスープのCMで飾り気なく歌う感じがたまらなくて トロトロスープを買ってしまった事もある。
この映画の公開当時に永野芽郁の
「自分じゃない方がいいんじゃないかと思ってかなり悩んだ」って言ってた言葉が記憶にあった。
タバコも数ヶ月前から吸った とあった。
テレビじゃNGのやつだなあと思いながら見た。
しぃちゃんの家庭は全く出て来ない。
親の離婚でおばあちゃんちに行く話だけ。
全く親に顧みられない家庭。
ネグレクトに近い。
花火をしに公園に行く事も全く誰にも心配されない家。
マリコんちみたいに 殴られたりはしないだけ。
あそこまで身体中に傷があると今の時代なら、児童相談所扱い。
近所の人も あれは通報しないとダメなやつ。
罰則規定はないけれど、見て見ぬふりはお咎めがある。
そして成長後は彼氏に依存する。
しぃちゃんには絶対彼氏作るなと言った後の場面で
あっさり自分は男を優先した姿と あまり良い付き合いの出来ない様を見せる。
男関係が進行中は連絡が来ない。
終わると来る電話。
そして自分が壊れちゃってる事を自覚している。
しぃちゃんに嫌われたら終わり、そう思っていても上手く生きられない。
だから飛び降りる。
そのあたりの説得力はあった。
しぃちゃんにもマリコだけだった。
マリコよりもっともっとマリコだけだった。
方向性が違って 強さ に見えてしまうが 彼女の
「ひとり」であることの強烈な空洞を 永野芽郁は上手く演じていた。
窪田正孝の 見てるだけでもなんか正気がないというか
もしかしたらコイツ幽霊か?ってくらいの感じも良かった。
もちろん マリコの奈緒 もそれにしか見えないくらい本当に上手くやっていた。
最後の手紙も 中身は そう 微笑みの出る内容なんだなあという事だけ伝えればよし。
ここで吉田羊おばさん が “どんだけいい人”で、
「てか 家バレてるし、、、」封筒から落ちる手紙
という構成も良かった。
というわけで
全般 言う事なしなんだけれど
途中でネットショッピングで検索してしまうくらい気になったのが、骨壷カバー。
夫の死がまだまだ記憶に新しいんだけれど
骨壷の あのよくある布のカバーって 覆い(おおい)って言うんだとAmazon検索で初めて知ったんだけれども
あれ、底は布なくて上からすぽっと被せるのが一般的なんだと思う。
だって 上部の組紐をいちいち結び直す仕組みにはなってないんだから。
だから 骨壷バックみたいなのがあってそれに入れて持ち運ぶ。
しかも男女の差は(夫とマリコはガタイもそりゃ随分違うだろうけれど)あるだろうけれど
ずっと片手で持ってられる程軽くない。
あのまま持ったら布から 骨壷の桐箱はするっと落ちてしまうくらい 持ちづらい。
それで二階から飛び降りてさらに川を渡るとか
もうここはリアリティは抜こう この絵づら として
監督は骨壷はこういう風であると考えたんだね
と思い込ませた、んだけれど こういうタイプももしかしたらあるんだろうか、骨壷のサイズもたぶん数種類あるだろうと ネット検索に至った次第。
(じゃないと落ち着いて見ていられなくなってしまって、、、)
で 出てくるのは ペットの骨壷。
あとは手元供養とか言って分骨する用のやつは 私も買ってあって九州のお墓に入ってるものから喉仏の分を取ってうちにある小さい仏壇に分骨してある。
小柄なマリコは夫のよりはひとサイズ下だろう、とは言え人間だし人間用は2種類くらい。骨壷の陶器だけでも結構な重さだよなあ。
さらに 散らばけた骨は拾わないと人骨ってだけで事件だわーでもこれは別の事件でお咎めなしか。
と言ったような事でマイナス0.5
みたいな厳密な点数付けはいつもしないんだけれど
今回はまあ そういう事です。
マリコからの手紙
クライマックスでの一撃に、たまらなくスカッ!
「ユニコーンに乗って」で永野さんに興味を持ち、鑑賞。
原作未読。
過去と現在を交錯させながら、主人公が友人の死を受け入れるまでの物語。
とてもオーソドックスだが惹かれたのは、
主人公のハードボイルド感を演者が上手くさばいていたためだろう。
やりすぎ感に無理やり感もなく、ごく自然な「しーちゃん」の存在感がとてもよかった。
通してみる友人「マリコ」像も痛々しいだけでなく、儚く謎めいていて美しい。
物語はほぼ主人公の一人舞台なるも、途中から出てくる「釣り人」もまた寓話的で、
主人公の精神世界に奥行をもたせてくれる。
ゆえにリアルとファンタジーの混じったようなキャラクターだが、この演技も絶妙と観た。
救えなかった罪悪感、そんな自身への憤り、そして取り残されたことへの怒り。
まとめてぶつけるクライマックスでの一撃が、たまらなくスカッとする。
マリコが助けてくれてありがとう、と言っているようにさえ聞こえた。
また劇中では徹底して主人公の身の上について触れない。
だがなんらか不条理が過去から現在まで澱と溜まっていることは明白で、
この一撃にはそれらもまた、込められている。
そんなカタルシスも感じることができてとても印象に残った。
などなどひと悶着を経て戻った現実は、
だからと言って何か変化するわけでもなく
そこに「天気の子」を思い出す。
現実とのかかわりに焦点を当てるよりも、
関わる現実を個々の内でどう解釈しなおし生きてゆくのか。
これまた王道だが、近頃なお目立つように感じている。
ともかく振り切っていたハードボイルド永野さん、ヨシ。
そして途中、死者と会話するというコンセプトから
「スイスアーミーマン」を思い出したことも記録しておく。
むしろこのメモは「スイスアーミーマン」鑑賞のためだろう。
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