マイ・ブロークン・マリコ

劇場公開日:

マイ・ブロークン・マリコ

解説

平庫ワカの同名コミックを、永野芽郁の主演、「ふがいない僕は空を見た」のタナダユキ監督のメガホンで映画化。鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノトモヨは、親友のイカガワマリコが亡くなったことをテレビのニュースで知る。マリコは幼い頃から、実の父親にひどい虐待を受けていた。そんなマリコの魂を救うため、シイノはマリコの父親のもとから遺骨を奪うことを決意。マリコの父親と再婚相手が暮らす家を訪れ、遺骨を強奪し逃亡する。マリコの遺骨を抱き、マリコとの思い出を胸に旅に出るシイノだったが……。亡き親友マリコを奈緒、シイノが旅先で出会うマキオを窪田正孝、マリコの父を尾美としのり、その再婚相手を吉田羊が演じる。

2022年製作/85分/G/日本
配給:ハピネットファントム・スタジオ、KADOKAWA
劇場公開日:2022年9月30日

スタッフ・キャスト

監督
原作
平庫ワカ
脚本
向井康介
タナダユキ
エグゼクティブプロデューサー
小西啓介
コーエグゼクティブプロデューサー
堀内大示
大富國正
企画
永田芳弘
プロデューサー
永田芳弘
米山加奈子
熊谷悠
共同プロデューサー
横山一博
岡本圭三
成瀬保則
撮影
高木風太
照明
秋山恵二郎
録音
小川武
美術
井上心平
装飾
遠藤善人
スタイリスト
宮本茉莉
ヘアメイク
岩本みちる
VFXスーパーバイザー
諸星勲
音響効果
中村佳央
編集
宮島竜治
音楽
加藤久貴
主題歌
The ピーズ
スクリプター
増子さおり
キャスティング
山下葉子
助監督
松倉大夏
制作担当
村山亜希子
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(C)2022映画「マイ・ブロークン・マリコ」製作委員会

映画レビュー

4.0壊れた社会で生きれば壊れてしまうのは必然

2022年11月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

原作の切々とした寂寥感が実写映像で上手く表現されていてよい映像化になった。永野芽郁のこれまでにない役柄も上手くハマっていたし、奈緒の「壊れた」感じがとてもリアル。ブロークン・マリコというタイトル通り、壊れて死んでしまった親友を弔う旅路を描くが、彼女がなぜ壊れてしまい、どうして自分に救うことができなかったのかを骨壺を持ちながら自問自答する。主人公み一方で、営業の仕事で毎日のように上司に理不尽な叱責を受けている。こんな環境では、タフな彼女のような人間でない限りすぐに壊れてしまうだろうなと思う。
マリコが壊れたしまった原因は、直接的には家庭問題だが、もっと広く、この社会全体が壊れているのではないかと感じさせる。窪田正孝演じる男もかつて「壊れた」ことがあったようだ。壊れた社会で人が壊れたとしても、それはむしろ正常な反応かもしれない。主人公も実は壊れる寸前ではないのか、死者との旅路で彼女はかろうじて壊れる寸前で留まれたのだと思う。

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杉本穂高

4.0ハードボイルドと呼ぶにふさわしい骨太さがある

2022年9月30日
PCから投稿

永野芽郁が見せる荒ぶる魂に魅せられた。まず従来の演技とは目つきの鋭さが全く違うし、シーンを重ねるごとにヒリヒリとした摩擦が熱を帯びていくかのよう。それだけじゃない。上司の小言を受け流す。やさぐれ気味に煙草を吸う。着流しのコートとドクターマーチンの靴で突っ走る。酒場ではベロベロに酔う。挙げ句の果てに、彼女が小脇に抱えるのは、無二の親友の遺骨・・・。これはもう一言で表現するならハードボイルド。一方の親友マリコは”ファムファタール”と呼ぶにはちょっとニュアンスが違うかもしれないが、少なくとも主人公の人生を翻弄する”運命の女”である点は一致している。空が落ちてきそうなほどの曇天模様が全編を覆う中、旅を続ける主人公の心が時に大きく剥き出しとなり、かと思えば、躍動しながら少しずつ変貌を遂げていくこのひととき。タナダユキ監督が描くクセモノ揃いの人間たちの中でも、格別に熱い芯を持ったヒロインの誕生である。

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牛津厚信

4.0シイノトモヨは二回跳ぶ

2022年9月29日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

笑える

悲しい

これはバディが不在の女性版バディムービーだ。永野芽郁が演じるシイノトモヨは、子供のころからの親友マリコ(奈緒)の遺骨(を収めた箱)を抱き、マリコがかつて行きたいと言った岬を目指して旅に出る。マリコは不在ではあるが、道すがらシイノが回想するシーンで、2人は確かに、共に生きている。

当然ながらロードムービーでもあるが、シイノの日常であるブラック企業の職場とのコントラストが、そうだよな旅って日常からの逃避であり脱出だよなあ、と当たり前のことに改めて気づかせてくれるのもいい。

シイノが跳ぶ場面が2回あり、それぞれ印象的であると同時に、作劇の上でも物語を跳躍(leap)させるはたらきを持つ。2つの場面でともに“水”が登場するのも偶然ではない。シイノが次のステージに進むためのイニシエーション(儀式)を象徴しているのだろう。

虐待されて育った女の子が、若くして死んでしまうという重い要素をはらむ映画だが、シイノの特別なキャラクターと永野芽郁の熱演、タナダユキ監督の誠実な演出によって、きっと観る人の心を軽くしたり希望になったりするのだろうなと信じられる好作になった。

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共感した! 31件)
高森 郁哉

4.5難しさは残るが、真実を捉えている

2025年1月17日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

なるほど~ 漫画の実写版ですか~
基本的にはヒューマンドラマに近いようにも思えるが、ミステリー要素も含んでいる作品に仕上がっている。
親友マリコの死をニュースで見てしまったシイノ
ニュースが伝えた自殺
この理由こそシイノが探していることであり、この物語の原動力となっている。
有名俳優が多く登場することで、この物語が何について語っているのかがわかりにくい点は、逆にミステリー要素を演出している。
そしてこのミステリーには解釈こそあれど、答えは得られないのかもしれない。
なぜなら、
自殺してしまった人に対し、遡って「あの時に」と悔やむ以外できることなど何もないからだ。
そして原因はひとつではない。少なくともいくつかの要素が雪だるま式に膨れ上がってしまうことなのかもしれないが、実際にある自殺についての答えは、もしかしたらほとんど誰も真剣に考えようとしないという実態があるのではないだろうか?
さて、
自殺したマリコの継母から届いたシイノの靴と手紙
その手紙の中に入っていたマリコからシイノに宛てられた手紙
シイノは、手紙ばかり書いていたマリコが、死ぬ前に自分宛に手紙を残さなかったのはどう考えても合点がいかなかった。
やっぱり手紙はあったのだ。
その内容は明かされることはないが、シイノが手紙を見て微笑んでいる。
そこに書かれていたのは、間違いなくマリコ自身の姿であり本心だったのだろう。
釣り人のセリフ「もういない人に会うには、生きているしかないんじゃないですか?」
おそらくこれこそがこの物語が最も伝えたかったことだろう。
シイノの想い出の中のマリコ
時系列がバラバラで、視聴者にはその真意がつかめない。
高校生まであったマリコの父の虐待
一人暮らしを始めたにもかかわらず、その虐待は彼氏に化けて続いた。
その全てがマリコ自身の所為だと考えるようになってしまっている。
「もうどこから直していけばいいのかわからなくなった」
一般的に考えると、マリコはその過去の影響から躁鬱のようになって、やがて統合失調症のようになったように思える。
そしてなぜ、あの最後の手紙が継母から届いたのだろうか?
それはおそらく飛び降りる直前に書いたことで、投函しなかったからだろう。
マリコが死を決意したその手紙に対し、なぜシイノは微笑みながら読んでいたのだろうか?
ここの部分の解釈は難しい。
その内容はマリコらしい表現で彩られていたと思われるが、同時にそれはいつもの手紙と大差はなかったのだと思われる。
つまり、マリコにとってはいつでも自殺できる状態が昔から続いていたことを意味する。
シイノはその手紙を読みながらやがて涙するのは、そのような状態が長く続いていたマリコの核心部分に蓋をして見ないようにしてきた自分自身の内面を知ったからかもしれない。
シイノの本心のひとつ 「面倒くさい女だと思っていたのにさー」
彼女の自立を願っていたシイノは、一般的な我々同様に本気で自殺することを考えていない。
まりがおか岬にて頂点に達したシイノの想いは、確かにいつだって本気だったことをマリコに伝えていた。
自殺という裏切りにもとれる行為に対するお返しを、やっぱり自殺で返してやるという極限の想いはシイノの本気度を表している。
「恥ずかしながらシイノトモヨ帰ってまいりました」
このセリフに込められた自殺の意志と覚悟。
そして幻覚 カメラの視点は少し上にあって、それがマリコの視点だとわかる。
ここにファンタジー要素も加わっている。
また、
どうしても解せないのがマリコの父
なぜ彼は祭壇の前にいたのだろう? 気配すら消し去っているほどだ。
葬儀すら挙げない親の姿としては矛盾が残ってしまったが、これが作家の実体験であるならば、この要素もまたマリコの自殺理由の謎の要因となっているのかもしれない。
さて、、
マリコがシイノに一緒に住もうと言ったシーンが数回ある。
これがマリコのたった一つの希望だったのではないだろうか?
マリコはシイノの想いを見抜いていた。
それは彼女自身が自立すること。
だからシイノは口では一緒に住もうと言いながらも、実際にはしなかったのだろう。
線香花火のシーンは、まだ高校生の頃だったように感じた。
一緒に住むことに救いを求めたマリコだったが、その甘えを受け入れまいとするシイノの一線が、マリコには明確に見えていたのだろう。
シイノにとって良かれと思ったことが仇となった。
高校時代までどうしようもなくなっていたマリコの精神状態は、決して良くなることなどなく、似たような悪いものを引き寄せながら、ゆっくりと破壊されていったのだ。
いつものように、その時々の想いをしたためた手紙と、ふっと切れてしまった「何か」
ずっとナイフのエッジの上を歩きながらシイノを見続けてきたマリコの、その「何か」がその瞬間切れたのだ。
それだけマリコは追い詰められていた。
「彼氏がいるときは全然連絡しないくせに」
精一杯の自立を演じても、できないものはできなかった…マリコ。
作家は、友人の自殺という実体験から、どうにもできなかった事などを踏まえつつ、その自殺者への本心を親友の目という客観的視点から探ろうとしたのがこの作品なのかもしれない。
殆どの人はその人のためと思い一線を画す。
それは結局自殺するという行為で表現されることで、一般的にはすべてが自殺者の所為になってしまうが、自立を促す前に、その本心を見定めることが重要なのだろう。
誰一人シイノを責めることはできない。
シイノ本人も自分を責めてはいけない。
彼女の勤務先 そこに垣間見える現代社会の在り様
「友人が死んだからって、仕事さぼっていいわけじゃないんだぞ」
この中にある「常識」という名の異常
これらの常識の中からマリコの死の真相を探ることなどできない。
自殺というものが何かを問いかけているものであるならば、それは、シイノのように探り出さねばならないのだ。
それだけが自殺者に対する報いとなるのだろう。
その自殺がどんな理由であれ、自殺者にとっての真実だ。
その真実がどうであれ、その真実を手繰り寄せることは、きっと思いやりの一部だろう。
考えても正直難しいのだが、この作品は自殺者に関しある種の真実を捉えているように思う。

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