ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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構想から完成までどのくらいなんだろう
ケイコのロードムービーという感じでした。
時間的に物足りなさを感じるものの、カメラ割りや質感がいい。メーテレの記念で作られたとテロップがあるが、荒川区なのも、気になる。終盤の流れは少し泣けますね。多様性と言うけれど、それぞれの壁や苦労を考えるきっかけとなる作品であれば良いです。
耳が聞こえないということ
耳が聞こえない女性プロボクサーの話
ボクサーということをぬきにして
あらためて
耳が聞こえないということは
とても大変だということを
痛感させられます。
聴者に対して
ろう者の世界はこうなんだ
ということを
示してくれている感じがした。
生活音だけのエンドロールが
象徴的でした。
画面に映っているのはケイコだけで
周りでのやり取りの声が聞こえてくる。
ケイコは無反応。
見ている聴者はそのやり取りが気になる。
そんなシーンがいくつかあった。
聞こえないって怖いな
不安にならないんだろうか
と思って見ていた。
会長の奥さんが
会長の病状を話すシーン
パンフレットの説明には
「呆然とするケイコ」
みたいに書かれていたけど
手話なしで喋ってるだけだったので
伝わってなくてキョトンとしてるだけ
かと思ってしまった。
いろんな人に見てほしい作品です。
よかった
すごい評判だったので期待しすぎたせいか、話がとにかく地味で盛り上がりに欠ける。無理にドラマチックすることを避けているのだろうけど、それにしてももうちょっと工夫があってもいいのではないだろうか。
主人公の岸井ゆきのさん、ボクシングの練習はすごくしていたけど、試合のシーンが少ない。3戦か4戦しかしてないのをリアルにしようとしたのか、あまり強そうな感じがせず動きの切れが悪い。腰が低すぎて強そうに見えない。安藤サクラやヒラリー・スワンクはもっと切れ切れだった。ろうあ者の感じはすごくする。しかも性格がそんなによくない感じがいい。
ゆきのの魅力
タイミングが合わずやっと観れました。
楽しみにしてたんですが作品が作品なだけにセリフがあまり無い、静か、シアタルーム暗い=眠くなる。作品が悪いんじゃなく私の仕事上の問題(早起き)。
ちょいちょい寝落ちしそうになりながらもストーリーは把握。
試合は負けたという結果はわかったけど他の部分が中途半端なまま終わってしまったっていう印象。
試合後に岸井ゆきの演じるケイコと三浦友和演じる会長の多少のやりとりがあっても良かったのではないかな?と個人的には思いました。
あとタイトルに書いた岸井ゆきのさんの魅力は何なんですかね?
私にはわからないけど映画、ドラマ、CMとかなり活躍されてるし、いつもいい役やられてるな!ってイメージ。
あと昨年末にやってた「アトムの童」で中盤の話辺りから急にキレイになったんですけど
男でも出来たのかな?って思う位雰囲気変わってビックリ!
ゆきのさんも役で結構イメージ変わるなと思いました!ちゃんとボクサーになれてた!
この映画は何を語りたかったのだろう?と考えた。
この映画は何を語りたかったのだろう?と考えた。観た人それぞれで自由に感じとってくれたらいい、というのは作り手側のコメントとしてよくあるが、それは表向き。作り手が熱を入れるには、伝えたい中核がなければと思う。公言するかは別として。
ストーリーは「ジムを閉めることになった」。それだけである。全編、映像詩? んー、そうもみれなくもないが、そう言ってしまえば、すべての映画は映像詩である、と言われたら、やはり中身を空っぽにされてしまう。
音のない世界を描いていて、聾者への理解が深まり、手話に関心をもつきっかけになる、そんな映画、と言えるけど、そこを描きたいのであれば、こういう内容にはならない気がする。もしそこを描きたくてこうなったのなら、相当な変化球である。
本作品はUDCASTでバリアフリーな上映がされていた。障がい者系映画ではよくある。しかし視覚障がい者が観賞したら落胆しそうな気がしてならない。聾者と盲者のコミュニケーションは難しいものだが、バリアフリーの映画を介しても、聾者の姿は盲者には見えてこないものなのかと。「いや、一般にそんなことないと思う。本作固有の問題としてならそうかも。」と意見したい。
一番こころに残ったのは「自分に負けるなよ」の叱りである。ジムの裏方で誰かがコーチに叱られていた。試合を控えていながら自己管理ができず体重が増えたようで。登場人物それぞれの「自分に負けるなよ」が下敷きにあったから、裏方での声が重く届いたのかもしれない。
二番目にこころに残ったのは、あの丹下的ジムの愛しかたの人それぞれである。最後の練習のリング上で、コンビネーションミットを受けるあの男性の涙。あの涙で「人それぞれ」だなと思った。そしてケイコはボクシングを愛していたというより、あのボクシングジムに通う生活の全体を愛していたのだなと私は解釈した。新しいジムは家から遠いのではなく、心から遠かったのだなと。愛する対象をどういう枠組みで愛するか。想いの交錯が人間関係を複雑にしている、その透視しづらい心理の骨組みを顕然させたことはすばらしくて、中身がないのでは?と訝りつつも大きな拍手を送るに値する。
いい意味で、まだ足りない
とてもいい人たちがいい雰囲気の中でもがいている日常。まるで20年前のような東京の下町の風景描写は心地よく、もっと長く、もっといろんな場面を見ていたいと感じた。仙道敦子、中島ひろ子といった懐かしい助演者への感慨もこうしたムードを手伝っていたのかもしれない。ベストに上げられる方もいらっしゃるが、当方としては良作というところです。このレベルのタッチ・ルックで描いてくれるのであれば、もう少しはっきりしたスジを取り込んで時間も伸ばした方がいろいろな思いが多くの人に伝えられそうだ、と思いました。
生まれついての聴覚障碍者という比較的少数な立場の主人公、ケイコを演じる岸井ゆきのは、失礼ながら初めて素直にいいなと思った。ボクシングも練習シーンを見てそれなりに準備されていることが見受けられた(ただ、洋画では当たり前な話なのだが、これをほめている自分がなんか物凄く微妙だ。。。)。16㎜撮影にこだわったゆえの予算の制約か、試合のシーンで何度か映るTV素材が同じだったりしたのは残念。
ともあれこの作品も良作であり、製作委員会筆頭のメ~テレの昨今の打数と打率に感服です。
蛇足:
もし自らが聴覚障碍者となったなら、そうであることを周りにわかるようにしたいと思いました。
生まれついて全聾のケイコ(岸井ゆきの)。 耳が聞こえないハンディキ...
生まれついて全聾のケイコ(岸井ゆきの)。
耳が聞こえないハンディキャップはありながら、プロボクサーとしてデビュー戦を勝利で飾った。
彼女にとってボクシングは、自分の居場所を与えてくれるところ。
そんなケイコの日常は、東京東部の川沿いの小さなマンションで健聴の弟と二人暮らし、住居費を含めて生活費は折半、ケイコはホテルのルームメイキングの仕事をしながら、毎日のジム通い。
それだけだ。
次の試合は近づくが、ケイコの心からボグシングについて少し距離置きたい気持ちが強くなっている矢先、ケイコが通う古いジムの会長(三浦友和)は、ジムを閉鎖することを決意する。
しかし、ケイコはそのことを知らない・・・
といった物語で、最近の映画には珍しく、大きな物語がない。
が、ケイコにとっては、先に書いたあらすじでも日々の大きな物語だろう。
ただただ生きる、日々生きるだけでも大きな物語であることを、映画を観ている方は忘れているのかもしれません。
そんな淡々とした、けれどもヒリヒリするような日々を映画は16mmカメラを通して切り取っていきます。
この生々しさ。
久しぶりに観たな。
80年代ぐらいまでは、この手の映画もあったけれど、もうほとんど見なくなった。
生々しさの源は、岸井ゆきのの肉体と眼力だろう。
彼女から、生きることのヒリヒリ感が漂ってきます。
ジム会長役の三浦友和も、いつも同様、癖のない素直な演技で好感が持てます。
で、手放しで褒めてもいいのだけれど、会長が病気で倒れるのは、ちょっととってつけた感じでいただけません。
ジム閉鎖の最後の試合がケイコの試合ということだけでよかったのではないかなぁ。
その試合で戦った相手と川原で出逢うシーン、相手は工事服姿で、これはよかった。
そう、どちらもヒリヒリした日常を生きている。
リングの上だけが非日常。
束の間の非日常のためにヒリヒリした日常を生き、それが生きることの居場所になる。
傑作といっていいかもしれませんね。
評価されている点は分かりつつ、自分には合いませんでした‥
(ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
個人的には、内容にリアリティあっても展開が乏しく淡々としている映画(特に邦画)は残念ながら評価が低くなります。
もちろん岸井ゆきのさんの演技は素晴らしく見るべき点も多かったと思われます。
しかし私達は、岸井ゆきのさんをはじめとする俳優陣の他の作品を他の映画やドラマで知っています。
いくら演出で作為性を排して行ったとしても、様々な箇所からこれはフィクションだとの亀裂は入って行きます。
逆に他作品に連想が行かない誰も知らない俳優陣で映画を作ったとしても、その芝居が深さを生むとも限りません。
であるならば、逆に展開などの演出を加え、面白さの背後にリアリティある映画にする必要があったのではと思われました。
例えば(監督はあえて主人公と観客との安易な共感を排するためにそのような演出をしていないようですが)主人公の耳の聞こえない小河ケイコ(岸井ゆきのさん)の場面は環境音や周りの人の会話の音含めて無音で良かったのではと思われました。
音楽を使わないなら、逆に観客に音の聞こえるケイコの世界の描写は中途半端に思えました。
(一方で、更衣室でケイコの下着姿を見せる理由が不明で、この映画の描き方ではその必要性を感じませんでした。)
淡々としてあまり自分の世界から出ない邦画を名作と評価するのは、個人的にはかなりの抵抗を持っています。
よってこの作品も評価は他の人のようにはなりませんでした。
ただ俳優陣の特に岸井ゆきのさんの演技はとても素晴らしくそれだけでも鑑賞の価値はあると感じ、そこへの評価となりました。
音と世界
通常スクリーンで鑑賞。
第36回高崎映画祭最優秀作品賞受賞作。
第77回毎日映画コンクール日本映画大賞受賞作。
第92回キネマ旬報ベスト・テン第1位。
原案(負けないで!)は未読。
感応性難聴のプロボクサーと云う難役を体当たりで演じた岸井ゆきの氏の演技が素晴らしかった。役づくりなど、演じるにあたっての相当な覚悟を端々から感じ取ることが出来た。
セリフがほぼ無いにも関わらず、手話で話す際の仕草や表情の細かい変化、ちょっとした目線の運び方などでその時々の感情を繊細に表現していて、すごい俳優さんだな、と…
ボクシングの所作なども相当練習を積んだと見え、つくり上げられた肉体と軽やかな体の動きに惚れ惚れさせられた。是非とも、今年の各演技賞を総ナメにして欲しいと思う。
音の表現に圧倒された。世間に溢れる音を、敢えてありのままに流すことで、音の無い世界への想像を掻き立てられるつくりになっている。これがケイコには聴こえていないのだ。
音の有る無しが世界を隔てている。ケイコに職務質問した警官や肩がぶつかってブチギレたおじさんみたいに、ケイコの生きる世界を完全に理解するのは無理なのかもしれない。
難しい問題だと思う。分かろうとするのももはやエゴかもしれないとさえ思える。でも、全員とは言わないが、多少なりとも生き辛いなと感じる瞬間ってあるのではないだろうか。もし感じたことがあるなら、誰かの悩みや苦しみに寄り添うくらいのことなら出来るかもしれない。ふと、そんな風に思った。
ケイコがいつもの河原で対戦相手に声を掛けられるラスト・シーンに、何故なのかは上手く説明出来ないけれど、否応無しに感動した。ケイコは土手を駆け上がり再び走り出す。彼女の新たな始まりを表現していて良い。その後の、生活音をバックに流れるエンドロールが最高の余韻を齎してくれた。
ケイコと友人たちの女子会のシーンで、手話に一度も字幕をつけなかったところに感じた三宅唱監督の作品への本気度も含め、新年早々素晴らしい作品に出会えた喜びに浸った。
~2023年、映画館初め~
[追記(2023/01/24)]
岸井ゆきの氏が高崎映画祭に引き続き、毎日映画コンクールで女優主演賞を獲得したことが本当に嬉しい。日本アカデミー賞でも優秀主演女優賞を受賞され、あとは最優秀主演女優賞を獲得するだけだ。本作での素晴らしい演技は評価されて当たり前だと思うし、受賞のニュースをきっかけに本作が多くの人に知られ、感動が広がっていくことを願って止まない。
[追記(2023/02/06)]
キネマ旬報ベスト・テン第1位、とても嬉しい。岸井ゆきの氏の主演女優賞獲得も納得だ。日本アカデミー賞の優秀作品賞にノミネートされていないのが甚だ疑問であるが、兎にも角にも、目指せ、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞!
[追記(2023/03/10)]
岸井ゆきの氏、日本アカデミー最優秀主演女優賞受賞!
おめでとうございます。やったー!!!
[以降の鑑賞記録]
2024/08/11:Amazon Prime Video
※修正(2024/08/11)
弟、仕事してたんだな
冒頭、Tシャツを脱いで露わになるのは、“女性”ではなく“ボクサー”の身体。
サービスカットでは勿論なく、ケイコに、物語に、リアリティを与える大事なシーンだった。
試合時の獣じみた目といい、岸井ゆきのが素晴らしい。
映画的な画角を用いない試合、母が撮ったブレまくりの写真etc...
ドキュメンタリーのような実在感という点は、相当に拘られたのではないだろうか。
しかし、ストーリー面ではイマイチ。
ケイコがボクシングを始めた切っ掛けや、会長やトレーナーとの関係性が育まれる過程など、“過去”がない。
それ故、“現在”が厚みを持って描かれているのに、それが“未来”へ増幅しない。
最後も、縄跳びの音で継続を伝える演出は好みなのに「そうなんだ」としかならず。
無限に想定できる過去に阻まれて、感情を絞り込むことができませんでした。
BGMを排すること含め、『演出しない風の演出』が前に出過ぎたこともあり、“筋”の薄さが悪目立ちした印象。
エンドロールもすごく良かっただけに、バランスの難しさを痛感しました。
目は口ほどに物言う
三宅監督のきみの鳥はうたえるが大好きでその流れで見に行きましたが、岸井ゆきのさんが本当に素晴らしいなと思いました。
もちろん耳が聞こえない役なので、言葉はほぼ発しないので目や動作だけであそこまで、心を動かすのは本当に素晴らしいなと思いました。
物語はボクシングに行って仕事に行っての繰り返しで、大きな出来事が起こらないですが、そもそも生きてて大きな事件とそう起こらないし、生きてて、電車で告白される事もないし、本を取ろうとして手が重なる事もないし、ネクタイを頭に巻いて寿司を持った酔っ払いも見ないし、食パンをカジリながら学校に通っている高校生もほぼ見ません。てか、そんなこと怒った事もないし、見たこともないです。
まあそれは置いといて、人生は繰り返しだし、嫌な事もやらないといけないし、人に傷つけられる事もある。しかし、そこに自分が情熱を注げるものがあったり、好きな事好きな物があれば乗り越えれ気がします。
あと、人はもちろん1人でもある程度生きて行けるとは思うのですが、やはり支えがあってまた強くなれるんだなち思いました。
ケイコもボクシングを続けて行くに連れて、怖さや、親の事など辞めようと迷ってしまいますが、会長やトレーナーの方に支えられてボクシングを続けて行く事を選ぶのもやはり周りが行って選べた事じゃあないかと。
誰だって強くはないですが、周りの助けがあれば、強くなれるわけではないですが一歩踏み出せるんだと思います。
最後のケイコの表情を見て走って行くケイコはまたボクシング続けていくのだろうと思っていたら、エンディング最後に縄跳びの飛ぶ音がして、まだケイコはボクシングを続けているんだと勝手に思いながら映画館を後にしました。
mute
評価超高めで気になっていましたが、中々空いてる時間が見つからず、タイミングをなんとか狙って鑑賞。結局混んでいました笑
事前の期待値が高すぎたのもあって、思っていたほどではありませんでしたが、映画館で見てこその作品だなと思いました。
まずケイコの周りの音を排除して主観視点の演出にするのではなく、ひたすらに環境音を聞かせるという演出には驚かされました。ミット打ちの際のパンっと鳴る力強い音、川のせせらぎ、車の排気音、小さな息遣い、音楽映画ではないんですが、徹底的に音に拘られて作られているなと思いました。この音が逆転する瞬間、鳥肌立ちまくりでした。
原作の一部を切り取っての映画化は仕方のない事だと思うんですが、ボクサーとしての視点や執念が強く感じれなかったのが惜しかったです。99分の間に詰め込むには濃かったんだと思いますが、ボクシングとはに注目して観に行った身としては少し物足りなかったです。
役者陣はどなたも秀逸で、特に岸井ゆきのさんの鍛えられた肉体に、目で行う演技に一つ一つのパンチにも強い感情が宿っていました。三浦友和さんの優しく見守りつつも、ケイコを大成させようとする様子がとても渋カッコ良かったです。
現実の小笠原恵子さんを原案としてフィクションで描いているので、映画ならではの終わり方をしなければならないのですが、そこもプツッと切れたような終わり方なのは少し残念でした。エンドロールが無音で、ひたすら街並みが流れていくのは好きでしたが。
演出、演技、雰囲気、どれを取っても素晴らしいんですが、ストーリーがうまく飲み込めずにこのくらいの評価に落ち着きました。年間ベストに食い込むか!?とは思いましたが、映画は観終わるまで分かりませんね。
鑑賞日 12/27
鑑賞時間 13:55〜15:45
座席 C-13
悔しさを知っている人へ
岸井ゆきのさんの好演、熱演に感動です。
セリフがないので難しい役どころだったと思いますが、表情や身ぶりなどで見事に主人公の心情を表現されていました。プロボクサーとしての役作りも素晴らしい。
この役を演じれる人って、他にはなかなかいないだろうと思ったほどです。
ドラマチックに描きすぎない脚本や、無理やり音楽などで盛り上げたりしない演出、16mmフィルムの自然なカメラワークも良かった。それでも感動できるのは、岸井ゆきのさんはじめ演者の皆さんの好演があってこそですね。
この映画、真剣な戦いや競争に破れたりで悔しさを知っている人はきっと泣けると思います。
でもその悔しさを知った時、またひとつ強くなれるのかな。
見た人に問いかける映画
恐ろしいほど、淡々とした映画だから万人受けはしないと思います。だからこそ、突き刺さる人にはとてつもなく突き刺さる映画だと思いました。エンディングで歌もなく淡々と終わる演出には、見終わった後、映画の余韻から抜け出せなくて、しばらく動けなかった。私には最高の映画でした!
しっとりとあったかい後味
遠くの山がまっしろに雪で覆われている。
手前の山は暖色のモヘアのセーターのようにあたたかそうな色を重ねている。
そのどちらも今、みてる世界なのだが視線がたった少しずれるだけでまったく違う場所にいるような気がする。
白い雪の山のことも、紅葉がのこる山のことも、ここからみている私の持つ印象があるという事実だけだ。
その繊細な部分や本質を捉えるにはこの世は大きすぎ深すぎる。
繰り返す日々には、そんなふうに手元の何かを見つめるだけで精一杯だったりすることや、あれこれ思いを巡らしながら自分のことなのにふとわかりづらくなることがある。
でも、続けて考えなければいけない時がある。
ケイコにもおとずれたマスクの中のようなその閉塞感。
彼女ももがく。
誰かと同じく。
静かに、1人で。
しかし
腐らず、すすむ。
そう。
ケイコは強かった。
淡々と逞しく自然体のまま
葛藤に向き合う。
そこには
ハンデを測る物差しなどない。
ましてや、なにかと比較するなどナンセンスで。
無理ない距離感で他人とのコミュニケーションをとり
そのなかで、本心の通う者とのつながりがもたらすものが
考え方や進む方向に影響を及ぼすことも示す。
それは決して表立ったものだけではなく、むしろ派手さは要らずに、本人たちだけがひっそりと気づく性質であることも。
自然災害や疫病がこの世を襲う度、絆という文字をよく目にするようになった。
何度となく、絆ってきっとそれほど簡単に構築できないんじゃないかとも感じたりした。
だけど本物ならば…その絆を手にしたものには、何があろうと揺るがないパワーを授かる可能性があるようだ。
敗北の試合の録画を真剣にみていた会長。彼の穏やかさと真摯な態度にケイコは固い信頼を寄せていた。ボクシングを続けることに悩み休会を伝えようと出向いたそのときみた会長の姿にケイコのこころの揺らぎが手に取るようにわかった。
本物ならば伝わるもの。
ケイコはそっとその場を離れた。
覚悟を後押しする存在のありがたさを私もかみしめた。
そして、それをキャッチする感性こそが研ぎ澄まされた世界を生きるケイコが生きていく上での最大の武器であり味方なのだろう。
どんな状況をむかえても、最後には自分が纏う自分の道のために。
実在の方をモチーフにしたそうだが、本人になりきっていく岸井さんの情熱が映像の中にうつくしく輝きをにじませていたようにおもう。
三浦さんの役柄は暖炉のようにストレートにあたたかく、仙道さんの役柄はさらりと明るくなにげなくまわりを巡らす空気のように感じた。
あったかい後味がした。
ミリオンダラー・ベイビーを超えてるわ!
まずジムの練習シーンがリアリティ満載で秀悦。ケイコの背筋が美しい。一度休みたいとノートに書いたのは、勝ててしまってモチベーションが下がったらなのでしょうか。そのノートを会長が試合のビデオを見ているのを見て破り捨てるシーン、会長と鏡に向かって構えるシーン、トレーナーがケイコがやる気を取り戻して涙ぐむシーン、なんだか一生忘れそうもありません!
ドライブマイカー、ラブライフと耳が不自由な方が出てくる映画が続いたのですが、ケイコにぶつかって怒鳴る男、職質する警官など、耳が不自由な人もいることに想像が及ばない人もいる現実も丁寧に描いていました。
そして最後の試合のシーン!相手の反則で冷静さを失ったケイコが唸り声をあげて大振りをする。結果負けるわけですか、次の課題(人生の糧)が見つかるのです。
それから想像を絶するラストシーン!すべてが満点としかいいようがありません!
縦と横
ショボクレ親父役がすっかり板についてきた最近の三浦友和が、なぜかデカプリオに見えてしょうがない。戦後すぐに親父から受け継いだボクシングジムを経営している、糖尿病の会長笹木を好演している。元世界チャンピオンの内藤大介に顔がクリソツの三宅唱監督、聾唖の女性ボクサーが主人公の小説『負けないで!』を読んで映画化を思い立ったらしいのだ。
16mmフィルムで撮影されたこの映画、ボクシングものであることは間違いないのだが、『あしたのジョー』のような汗臭さを不思議と感じないのである。聾唖ボクサーケイコ(岸井ゆきの)の内面にフォーカスを絞っているせいだろうか、ざらついた映像は、時にケイコの荒んだ気持ちを表現しているようにも見える。が、また別のシーンでは(デジタルとは一味違った)人の手の温もりを感じさせてくれるのである。
おんぼろのボクシングジムでケイコが縄跳びやミット打ちに励むシーンも、まるでダンスをしているかのようにリズミカルに撮られており、傍目にはとても楽しげに映るのである。しかし、聾唖というハンディキャップを背負っているケイコは、いつのまにか健常者との間に見えない壁をつくってしまっていて、それがある種の疎外感となって観客には伝わってくるのである。
主人公ケイコのそんな頑な気持ちを、三宅唱はお得意の“縦位置の構図”で表現している。荒川の土手から事務所へ降りる時の階段、線路下の河川敷でケイコが見つめる対岸の風景、勤務先のビジネスホテルでのシーツ替作業.....『きみの鳥はうたえる』では“ぬけ感”を強調していたその構図も、本作では登場人物の煮詰まり感や視野の狭さへと表現をシフトチェンジしている。
そんな時会長が脳梗塞で倒れジムをたたむことが決まってしまう。そして笹木ジム所属ボクサーとしての最後の試合のゴングが鳴り.....このままボクシングを続けるか、それともキッパリやめるべきか、思い悩むケイコだったが、その時思わぬ人物からひょこりと挨拶されるのである。弟の彼女やビジネスホテルの新入り、そして河川敷で自分に挨拶してきた◯◯◯◯.....
スマホに届いた写メの幅を指で広げたように、ボクシングを通じて、知らない間に“横のつながり”が増えていたことに気づいたケイコは決心するのである。このままボクシングを続けようと。それまでは縦位置の構図で切り取られていた同じ風景が、エンドロールでは横位置で映し出されるのである。それは、まるでワイド画面で撮ったように実に伸びやかにケイコの前に広がっているように見えるのであった。
3本目のジンクス
その年のアカデミー賞外国語映画賞の日本代表となった『百円の恋』(2014年 武正晴監督)の安藤サクラ、その年のアカデミー賞作品賞など総なめにした『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年 クリント・イーストウッド監督)のヒラリー・スワンク。二人とも高く評価されて主演女優賞を受賞している。これまで2本の「女性ボクサーが主人公」の映画のヒロインが栄冠に輝いている。そして、3本目のジンクスはあるのだろうか。「ガールファイト」も忘れてはいけないが。
本作のヒロイン小河ケイコを演じる岸井ゆきの。聾唖のボクサーという難役。ギラギラとスクリーンから溢れ出る存在感。どうやらジンクスは生きていそうだ。
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